七転び七起き
人生 ゆるーり がんばるくらいで ちょうどいいっしょ
秀吉に反抗した肥後国衆 和仁氏の居城 「田中城跡」
今朝、起きたら雪~!

240202 雪

積もるかな~と思ったら消えちゃった
福岡など九州北部ではかなり積もったとか

全国でも大雪のためいろんな事故が発生していて大混乱
3m越えの積雪のところがあったりと九州にいると想像もつかないことばかりです

まだまだ大雪の予報も出ているようですが
普通に生活するためにも早く暖かくなって欲しいと願っています

明日の朝は熊本でもこの冬一番の冷え込みになるとの予報
インフルエンザも警戒レベルに達したと言うし
体調管理には気をつけたいですね



さて1月最後の日曜日、見事に晴れ間が広がったので二人で久々にお出かけ~♪

あそこに行ってみようか、ここに行こうかと悩んだ末
最近ご無沙汰気味?の山鹿方面に決定^^

一番の目的は午後に予定してたので
午前中にちょこっと和水町まで足を伸ばしました

着いたのはこんなところ

240129 田中城跡1

え~?ただの山じゃないか
と思ったあなた、修行が足りませぬぞ!
これがなかなかのものなのですよ^^

国指定の史跡「田中城跡」でございます

240129 田中城跡2

え、字が小さくて読めない?
これをちゃんと読む人がいるのかな^^;

要するにですね

『その昔、肥後の国は国衆と言われる52人の豪族が
それぞれに領地・領民を支配する特殊な地域でした。
和水町の国衆が「和仁」氏であり、その居城が田中城です。

田中城は、戦国時代末期、肥後国衆の1人、和仁親実(わにちかざね)が居城。
天正15年(1587年)、菊池郡隈府城主の隈部親永(くまべちかなが)は
豊臣秀吉に肥後支配を任された佐々成政の検地に抵抗し、肥後国衆一揆が起こりました。

和仁親実は隈部親永に呼応し、兄弟(弟の親範と親宗)と
姉婿の辺春親行(へばるちかゆき)と共に田中城に立て籠もりました。

豊臣軍1万に対し、和仁軍はわずか1千余りの兵
36日間ものすさまじい戦いを繰り広げた後、
辺春氏の内通(裏切り)により、とうとう同年12月5日に落城しました。』


と、これが田中城の概要です

これは「辺春・和仁仕寄陣取図(へばる・わにしよりじんとりず)」

240129 田中城跡4

これによると田中城の西に主将小早川秀包軍、その南隣に安国寺恵瓊軍
南に立花宗茂および筑前・筑後衆、北に鍋島直茂および肥前衆が取り囲んでいます

1989年にこれが山口県文書館『毛利家文庫』で見つかったことによって
戦国期の歴史を知る上で貴重な遺構であるとして国の史跡に指定されたのです

どうしてこの「辺春・和仁仕寄陣取図」が山口県で発見されたかというと
毛利一族の小早川秀包が参戦した関係から、毛利家に伝わっていたということです

車でも登れるということでしたが、ここは歩いて登ってみることに^^

240129 田中城跡6

途中、あきらかに空堀と思えるところを通ります

240129 田中城跡7

とてもきれいに整備されていました
同じ国の史跡に指定された堅志田城とはえらい違いだ^^;

こちらは北側の「監視台跡?」と書いてあった出丸跡

240129 田中城跡8

確かに断崖の上にあり、見晴らしは良さそう

程なく主郭に到着、おやまあ想像以上に広いぞ^^

240129 田中城跡9

本丸跡に行ってみましょう

240129 田中城跡10

はあ~、ずいぶんときれいにしてありますよ

ここで『らぼっちを探せ!』(笑)
このなかにらぼっちがいます、探してみてね^^

240129 田中城跡11

そんなこたあどうでもいいか(笑)
でも、思わずそんなこともしたくなるくらいに広いんです
なんでもここだけで約1700㎡あるようですよ^^

240129 田中城跡12

そしてこのツゲの植え込みはただ植えてあるだけじゃない
当時の柱の位置にあり壁の広がりを表わしているということです

これで14棟の掘立柱建物跡がわかるようになっています
なるほど、考えられています^^

この石段も当時のものだろうか?

240129 田中城跡13

あり?とっちん・・・いつのまに?

240129 田中城跡14

こちらは南側の「監視台跡?」と書いてあった出丸跡
中世城の特徴として、田中城には石垣は築かれていません

この山の特徴をうまく活かして築かれた城なのでしょう

登ったほうとは反対側に下りてみることに^^
こちらには「弾正(だんじょう)屋敷跡」なるものが

240129 田中城跡15

和仁弾正親範、次男の屋敷だったのではないかと伝えられているとか
じゃ、他の二人の屋敷はいずこに?

240129 田中城跡16

ぐるっとまわってみていると、西側にこんなものが!

240129 田中城跡17

なんと磨崖仏じゃありませんか
下の四角い穴はよくわかりませんが、7人おられました^^

240129 田中城跡18

この磨崖仏は、室町末期のもので三昧耶形(さんまいやぎょう)といい
左から鉢、如意、憧幡、中央に閻魔大王、蓮華、宝珠、錫杖の順に並んでいます

240129 田中城跡19

田中城の安泰を祈念して作られたとの言い伝えもあるようです

こうしてぐるっと1周して車に戻り、小田川を渡り田中城の南側へ

この小田川、別名「血波川」と呼ばれているんだとか
戦いの際に流された血で真っ赤に染まった水が何日間も流れていたといわれることから
こう呼ばれているそうです、ぎゃ~(><)

そして田中城の南側に行くと
さっきまでの砂利の駐車場とは違い、立派な駐車場がありました

なあんだ、こっちが本来の入り口だったのね~(笑)

和仁勘解由親実(わにかげゆちかざね)・人鬼親宗(じんきちかむね)
弾正親範(だんじょうちかのり)の和仁三兄弟の石像がありました

うう、怖い^^;

240129 田中城跡20

戦国期の歴史を物語る貴重な遺構「田中城跡」
なかなかおもしろいところでした

2月12日にはここで「戦国肥後国衆まつり」が行われるようですよ

240129 田中城跡21

 

<田中城跡>
[アクセス]地図はコチラ

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テーマ:熊本のこと - ジャンル:地域情報

コメント
石像と川の別名・・・怖い(>_<)

らぼっちを探せはわかりましたよ!
らぼっちさん、しゃがんでるでしょ(^^)

それにしても、きちんと整備されてありますね。
柱の位置にツゲが植えてあるのも面白い。

石垣がないのがちょっと淋しいな~と思うのは私だけかな(笑)
まぁ、いろんな城跡がありますから仕方がないですよね。
2012/02/02(木) 22:49:48 | URL | mam | [ 編集 ]
こんばんは^^

鹿児島でも雪が降りました^^

写真たくさんで僕も和水に行った気持ちになりました!!ありがとうございます!!
2012/02/03(金) 01:35:51 | URL | ★夢叶男★ | [ 編集 ]
他人とは思えない
そんなお城です(^-^)
2012/02/03(金) 19:49:42 | URL | JOKER | [ 編集 ]
mamさんへ
らぼっちは太いからすぐ分かる^^;
ここに聳えたつ城を想像しながら歩きました
祭り等があるのでちゃんと
維持管理されているのでしょうね
変だけどなかなか美しい城跡でした♪
2012/02/03(金) 23:07:43 | URL | らぼっち | [ 編集 ]
★夢叶男★さんへ
予報では鹿児島も氷点下でしたから
南国の方には堪えたでしょう^^;
本当はこんな記事ばかり書いてます♪
2012/02/03(金) 23:10:26 | URL | らぼっち | [ 編集 ]
JOKERさんへ
そうでしたっけね^^
この辺りとは・・・関係ないですよね♪
2012/02/03(金) 23:12:07 | URL | らぼっち | [ 編集 ]



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