「倉吉に行きたい!」
山陰旅行を決めたとき、確かここをメインとしていたらぼっち
何がなんだかさっぱりわからないまま、付いていったとっちんです
倉吉と言えば・・・う~ん高校野球の倉吉北しか思い浮かばないな~(;・∀・)
まずは駐車場を、と偶然一台空いたところを見つけ停める
その近くにはこんな方の銅像が建っていました

横綱「琴桜」、あの渋~いお顔の琴桜さんです、倉吉出身だったんだ
直方駅前の魁皇さんのおとなしめの銅像もいいけど、両手を広げて勇ましい感じです
さて倉吉の街歩きには、ガイドさんを付けるか音声ガイドを使うか・・・
悩んだけど、どこで時間を取ってしまうかわからない二人なので音声ガイドに

ここは「重要伝統的建造物群保存地区」の他、「かおり風景100選」
「美しい日の本の歴史的風土100選」にも選定されているんですって

倉吉は絣でも有名なんですね~(@_@)
ちょっとこちらにお邪魔してみましょう、うわ~~~っと町屋風で長~~~い!!

倉吉絣は絵をそのまま織り込んだ様な複雑で精巧な模様が特徴で
江戸時代末から生産されていたようです

明治には盛んになったものの大正時代に入ると高度な技術のため機械化もできず衰退
戦後、織り方もわからなくなっていたものを苦心の末復活、現代に受け継がれているとか

伝統的なものを後世に遺すということは難しいことなんですね
さて、そこを出て通りを歩くとちょっと目を引く建物に出合います




入ってみたいけど、買いもしないのに見学だけっていうのは気が引けます
おもしろい参道もありました

ここはお店じゃないけど、昔ながらの家の造りのようです
ユニークな軒下の支えのような飾り木、下の格子は照り返しの防止でしょうか

正面からの写真を撮り忘れ(;゚Д゚)
通り左奥の「原田家住宅」を見学してみました

明治33年(1900)年建立、母屋一階の床の間
なかなかの材料で仕上げられているようです

なに?家の中に太鼓橋?

一階廊下の軒げたっていうんですか?長くてきれいな木が使ってあります

離れ一階の床の間、丸窓おっき~~~~い!(◎_◎;)

屋久杉の天井板、と確か聞いた覚えが・・・

離れ二階の床の間、床柱は黒檀(なんちゅう曲線^^;)、違い棚は栃、らしいです

廊下の天井もスゴイ!!

扉が2枚もある二段構えの蔵、中央にはクラックが・・・(>_<)
昨年の鳥取県中部地震では倉吉市が最大震度6弱、よく倒れなかったもんだ

そして本町通りを離れ、倉吉の現存する商家の中で最古の町屋「倉吉淀屋」へ
淀屋というと、江戸時代に大坂で繁栄を極めた豪商ですが・・・

闕所(けっしょ)前に4代目が当時の番頭、牧田仁右衛門に実の娘を託し倉吉に派遣
地域産業の興隆に一役買い、着実に財を蓄え続けたのが倉吉淀屋だとか

わ~お、このケヤキの大黒柱のデカいこと!!
こりゃ修復も大変だったことでしょう

倉吉淀屋を出て歩いていると
ありり?とてもユニークな造りの家、4棟繋がっている?長屋?

おっと、いたるところに地震の爪痕が(◎_◎;)

さ~て、玉川沿いの白壁土蔵群を散策したお話は次にしましょうかね~♪
山陰旅行を決めたとき、確かここをメインとしていたらぼっち
何がなんだかさっぱりわからないまま、付いていったとっちんです
倉吉と言えば・・・う~ん高校野球の倉吉北しか思い浮かばないな~(;・∀・)
まずは駐車場を、と偶然一台空いたところを見つけ停める
その近くにはこんな方の銅像が建っていました

横綱「琴桜」、あの渋~いお顔の琴桜さんです、倉吉出身だったんだ
直方駅前の魁皇さんのおとなしめの銅像もいいけど、両手を広げて勇ましい感じです
さて倉吉の街歩きには、ガイドさんを付けるか音声ガイドを使うか・・・
悩んだけど、どこで時間を取ってしまうかわからない二人なので音声ガイドに

ここは「重要伝統的建造物群保存地区」の他、「かおり風景100選」
「美しい日の本の歴史的風土100選」にも選定されているんですって

倉吉は絣でも有名なんですね~(@_@)
ちょっとこちらにお邪魔してみましょう、うわ~~~っと町屋風で長~~~い!!

倉吉絣は絵をそのまま織り込んだ様な複雑で精巧な模様が特徴で
江戸時代末から生産されていたようです

明治には盛んになったものの大正時代に入ると高度な技術のため機械化もできず衰退
戦後、織り方もわからなくなっていたものを苦心の末復活、現代に受け継がれているとか

伝統的なものを後世に遺すということは難しいことなんですね
さて、そこを出て通りを歩くとちょっと目を引く建物に出合います




入ってみたいけど、買いもしないのに見学だけっていうのは気が引けます
おもしろい参道もありました

ここはお店じゃないけど、昔ながらの家の造りのようです
ユニークな軒下の支えのような飾り木、下の格子は照り返しの防止でしょうか

正面からの写真を撮り忘れ(;゚Д゚)
通り左奥の「原田家住宅」を見学してみました

明治33年(1900)年建立、母屋一階の床の間
なかなかの材料で仕上げられているようです

なに?家の中に太鼓橋?

一階廊下の軒げたっていうんですか?長くてきれいな木が使ってあります

離れ一階の床の間、丸窓おっき~~~~い!(◎_◎;)

屋久杉の天井板、と確か聞いた覚えが・・・

離れ二階の床の間、床柱は黒檀(なんちゅう曲線^^;)、違い棚は栃、らしいです

廊下の天井もスゴイ!!

扉が2枚もある二段構えの蔵、中央にはクラックが・・・(>_<)
昨年の鳥取県中部地震では倉吉市が最大震度6弱、よく倒れなかったもんだ

そして本町通りを離れ、倉吉の現存する商家の中で最古の町屋「倉吉淀屋」へ
淀屋というと、江戸時代に大坂で繁栄を極めた豪商ですが・・・

闕所(けっしょ)前に4代目が当時の番頭、牧田仁右衛門に実の娘を託し倉吉に派遣
地域産業の興隆に一役買い、着実に財を蓄え続けたのが倉吉淀屋だとか

わ~お、このケヤキの大黒柱のデカいこと!!
こりゃ修復も大変だったことでしょう

倉吉淀屋を出て歩いていると
ありり?とてもユニークな造りの家、4棟繋がっている?長屋?

おっと、いたるところに地震の爪痕が(◎_◎;)

さ~て、玉川沿いの白壁土蔵群を散策したお話は次にしましょうかね~♪
<倉吉白壁土蔵群>
[アクセス] 地図はコチラ
第1ヒナ団が巣立って2週間ちょっと
子育てを終えた母さんツバメのツンちゃん(とっちん名付け^^;)が戻ってきました
父さんツバメのバンちゃんと何日か前から出たり入ったりしてたけど
とうとう次の卵を温めているようです
次のヒナもちゃんと育ってほしいな♪
子育てを終えた母さんツバメのツンちゃん(とっちん名付け^^;)が戻ってきました
父さんツバメのバンちゃんと何日か前から出たり入ったりしてたけど
とうとう次の卵を温めているようです
次のヒナもちゃんと育ってほしいな♪
今朝はお寺の奉仕作業、らぼっちとふたりで行ってきました
小雨決行だったのですが、開始時刻の1時間前はえらく雨が降っていて
あるのかないのか気を揉んだけど、どうにか小降りになってきました
新参者ですから、早めに行ったつもりなのにすでに数人の人
何もわからないので最初のうちから参加できてよかった
着いてからは雨が降ることもなく順調に作業は進みます
参加者のおよそ半分は同じ地区からの参加、なんか心強い気がしました
およそ2時間半、らぼっちは草刈りと剪定、とっちんは草取りを頑張りました
お義父さんが眠っているお寺、きれいになって気分よくなってくれたかな?
さて山陰旅行、足立美術館からの続きです
美術館のある安来市から伯耆坊「大山」、らっきょう畑、風車を見つつ
山陰道をひた走ること1時間半、この日の宿に着きました
「お部屋は1階でございます」
え~1階か~、んじゃ景色はイマイチね・・と思いながら部屋に案内してもらいました
あらま~♪ ごめんなさい、全然そんなことありませんでした(;´∀`)

ここは鳥取県東伯郡湯梨浜町にある汽水湖、東郷池
湖なのに池とはこれいかに(*´Д`)?

湯梨浜町は平成16年に羽合町、泊村、東郷町が合併してできた町
そしてここはハワイ、いえ、はわい温泉です

到着後、すぐにらぼっちは露天風呂に
そしてほどなく夕食~♪ え?牛肉なの~?

いやいや、ここは山陰、海の幸でしょう
魚持って来て~!と叫ぼうと思ったら・・・来ましたー(*^▽^*)

やっぱり山陰と言ったら、松葉ガニだす!(#^.^#)

無口になるのはもっともなこと

山海の味を堪能、食べるのに夢中でした

翌朝5時、朝焼けの映る湖、じゃなかった池(笑)

朝ご飯を7時半にしていたもので、待ち長いったりゃありゃしない(;´・ω・)
時間を持て余していると、「ブーーーン」と音がするじゃないですか、なになに?

ボートレース??

後から後からどんどんやって来ています

いちばん角の部屋だったので、すぐ真横を通るのです
乗っている人の顔がわかるくらい近い

あとでわかったのですが、この池は鬼しじみで有名な場所
あれ、おっかしい~な~、宿で出たしじみは普通だったけどな(^-^;

宿を出てから池沿いの道を走るとまだ漁をしている人がいました

さてその後、ナビもとっちんも“左”と言っているのに“右”だといってきかないらぼっち
なんの根拠もなく「そう思ったから」と・・・間違いだと気づくまでほっときました
どこに行きたかったかって?
らぼっちが最初は登ろうかなどと考えていたこんなとこ

ここは三仏寺の開祖とされる役小角が蔵王権現などを祀った仏堂を
法力で山に投げ入れたという言い伝えから「投入堂」と呼ばれるところとか

10年で3人の方が亡くなった?投入堂参拝登山、まあ、らぼっちには到底無理です
ここの道路から眺めるのが無難というもの、同じ考えの人もたくさんいらっしゃった

そんでもってらぼっちが、そこにあった望遠鏡にiPhoneを押し付けて撮ると良いのが撮れる
なあんて言うので、とっちんも真似して撮ってみました

なんやこれ???
全然見えてないじゃないのーーー(; ・`д・´)
小雨決行だったのですが、開始時刻の1時間前はえらく雨が降っていて
あるのかないのか気を揉んだけど、どうにか小降りになってきました
新参者ですから、早めに行ったつもりなのにすでに数人の人
何もわからないので最初のうちから参加できてよかった
着いてからは雨が降ることもなく順調に作業は進みます
参加者のおよそ半分は同じ地区からの参加、なんか心強い気がしました
およそ2時間半、らぼっちは草刈りと剪定、とっちんは草取りを頑張りました
お義父さんが眠っているお寺、きれいになって気分よくなってくれたかな?
さて山陰旅行、足立美術館からの続きです
美術館のある安来市から伯耆坊「大山」、らっきょう畑、風車を見つつ
山陰道をひた走ること1時間半、この日の宿に着きました
「お部屋は1階でございます」
え~1階か~、んじゃ景色はイマイチね・・と思いながら部屋に案内してもらいました
あらま~♪ ごめんなさい、全然そんなことありませんでした(;´∀`)

ここは鳥取県東伯郡湯梨浜町にある汽水湖、東郷池
湖なのに池とはこれいかに(*´Д`)?

湯梨浜町は平成16年に羽合町、泊村、東郷町が合併してできた町
そしてここはハワイ、いえ、はわい温泉です

到着後、すぐにらぼっちは露天風呂に
そしてほどなく夕食~♪ え?牛肉なの~?

いやいや、ここは山陰、海の幸でしょう
魚持って来て~!と叫ぼうと思ったら・・・来ましたー(*^▽^*)

やっぱり山陰と言ったら、松葉ガニだす!(#^.^#)

無口になるのはもっともなこと

山海の味を堪能、食べるのに夢中でした

翌朝5時、朝焼けの映る湖、じゃなかった池(笑)

朝ご飯を7時半にしていたもので、待ち長いったりゃありゃしない(;´・ω・)
時間を持て余していると、「ブーーーン」と音がするじゃないですか、なになに?

ボートレース??

後から後からどんどんやって来ています

いちばん角の部屋だったので、すぐ真横を通るのです
乗っている人の顔がわかるくらい近い

あとでわかったのですが、この池は鬼しじみで有名な場所
あれ、おっかしい~な~、宿で出たしじみは普通だったけどな(^-^;

宿を出てから池沿いの道を走るとまだ漁をしている人がいました

さてその後、ナビもとっちんも“左”と言っているのに“右”だといってきかないらぼっち
なんの根拠もなく「そう思ったから」と・・・間違いだと気づくまでほっときました
どこに行きたかったかって?
らぼっちが最初は登ろうかなどと考えていたこんなとこ

ここは三仏寺の開祖とされる役小角が蔵王権現などを祀った仏堂を
法力で山に投げ入れたという言い伝えから「投入堂」と呼ばれるところとか

10年で3人の方が亡くなった?投入堂参拝登山、まあ、らぼっちには到底無理です
ここの道路から眺めるのが無難というもの、同じ考えの人もたくさんいらっしゃった

そんでもってらぼっちが、そこにあった望遠鏡にiPhoneを押し付けて撮ると良いのが撮れる
なあんて言うので、とっちんも真似して撮ってみました

なんやこれ???
全然見えてないじゃないのーーー(; ・`д・´)
<東郷池>
[アクセス] 地図はコチラ
今日の筑豊地方の雨は小休止、時おり晴れ間が覗くお天気でした
こんな時は草取りに最適~♪
土は草取り鎌がざっくり入るほど柔らかいし、根っこに付いた土は掃うとすぐに取れる
午前中は雑草の葉っぱには水分が残っていたので手袋はべっちょりになったけど
午後はそれもなく捗る、捗る、いつもこんな調子だといいのにね
それよりも、梅雨に入って今まで降らなかったと
この先どかんと降らないよう適度な雨を空にお願いしたいものです
さて、山陰旅行のお話をじゃんじゃん進めていきましょうか(*´з`)
出雲大社(何回も言うけど、いずもおおやしろですぞ^^;)を後にして
宍道湖の北側を松江方面へ車は走ります
宍道湖に浮かぶ唯一の島、嫁ヶ島を遠目に・・夕陽に映える島なんだけどな~
ン十年前のことが鮮やかによみがえってきます、懐かしいな~(#^^#)

そして松江城も車から望みます、こんなだったっけ?
浦島太郎になったごとく、近辺の景色はすっかり変わってしまい道に迷うエアウェイブ(^^;;

とっちんの母校は移転し、下宿もすっかり無くなっていて見ることもできませんが
らぼっちのほうはどちらも建て直されていてきれいな建物になっていました
ふたりでよく行っていた中華料理屋さんもありました
よかった~、大好きだった中華丼はまだメニューにあるよね(*^▽^*)

ちょっと回り道をしちゃったので、ここに着いたのは午後3時半をまわっていました

「庭園もまた一枚の絵画である」
地元出身の創設者、足立全康(あだちぜんこう)の夢とロマンの美術館です
美術品のコレクターであり、庭造りへの関心も大きかった足立全康さんは
昭和45年、71歳の時、郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればと美術館を創設

常時、蒐集したたくさんの横山大観作品が随時展示してあり
春季特別展として人物画の名作を紹介されていました、もちろん撮影不可
なので、決められた順路に従って眺められる庭園のみを撮ってきました
庭園は館内からが多く一部外から見学できましたが、もうちょっと近くで見たかったな













木炭運搬をしていた少年がこんな著名な美術品を蒐集し
5万坪に及ぶ6つの庭園を造りあげるなんて、驚きの連続でした
噂には聞いていましたが、他に例を見ない圧巻の美術館に来れてよかった~♪
緑濃い時季の訪問でしたが、四季折々美しい日本庭園が観れるようです

さ、順路に沿って最後は北大路魯山人の陶芸作品を・・・
え、観ないの?時間がない?まだ閉館まで1時間あるのに?
はぃ~?ハワイまで行くって~?

こんな時は草取りに最適~♪
土は草取り鎌がざっくり入るほど柔らかいし、根っこに付いた土は掃うとすぐに取れる
午前中は雑草の葉っぱには水分が残っていたので手袋はべっちょりになったけど
午後はそれもなく捗る、捗る、いつもこんな調子だといいのにね
それよりも、梅雨に入って今まで降らなかったと
この先どかんと降らないよう適度な雨を空にお願いしたいものです
さて、山陰旅行のお話をじゃんじゃん進めていきましょうか(*´з`)
出雲大社(何回も言うけど、いずもおおやしろですぞ^^;)を後にして
宍道湖の北側を松江方面へ車は走ります
宍道湖に浮かぶ唯一の島、嫁ヶ島を遠目に・・夕陽に映える島なんだけどな~
ン十年前のことが鮮やかによみがえってきます、懐かしいな~(#^^#)

そして松江城も車から望みます、こんなだったっけ?
浦島太郎になったごとく、近辺の景色はすっかり変わってしまい道に迷うエアウェイブ(^^;;

とっちんの母校は移転し、下宿もすっかり無くなっていて見ることもできませんが
らぼっちのほうはどちらも建て直されていてきれいな建物になっていました
ふたりでよく行っていた中華料理屋さんもありました
よかった~、大好きだった中華丼はまだメニューにあるよね(*^▽^*)

ちょっと回り道をしちゃったので、ここに着いたのは午後3時半をまわっていました

「庭園もまた一枚の絵画である」
地元出身の創設者、足立全康(あだちぜんこう)の夢とロマンの美術館です
美術品のコレクターであり、庭造りへの関心も大きかった足立全康さんは
昭和45年、71歳の時、郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればと美術館を創設

常時、蒐集したたくさんの横山大観作品が随時展示してあり
春季特別展として人物画の名作を紹介されていました、もちろん撮影不可
なので、決められた順路に従って眺められる庭園のみを撮ってきました
庭園は館内からが多く一部外から見学できましたが、もうちょっと近くで見たかったな













木炭運搬をしていた少年がこんな著名な美術品を蒐集し
5万坪に及ぶ6つの庭園を造りあげるなんて、驚きの連続でした
噂には聞いていましたが、他に例を見ない圧巻の美術館に来れてよかった~♪
緑濃い時季の訪問でしたが、四季折々美しい日本庭園が観れるようです

さ、順路に沿って最後は北大路魯山人の陶芸作品を・・・
え、観ないの?時間がない?まだ閉館まで1時間あるのに?
はぃ~?ハワイまで行くって~?

<足立美術館>
[アクセス] 地図はコチラ
知っていましたか?
「出雲大社」は「いずもたいしゃ」ではなくて正式には「いずもおおやしろ」と言うのを!
実は最近になって知ったとっちん
近くに大社町(たいしゃまち)というのもあって、ずっと大社=たいしゃだと思っていました
縁結びの神様として知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)をまつる出雲大社
やっぱりここの景色から出発でしょ~♪

ところが、らぼっちは車に御朱印帳を忘れたとかで駐車場に逆戻り
ま、最初っからここに来るつもりもなかったようで途中で待つんだと(ーー;)

大きな石の大鳥居は通ってないけど、ここ「勢溜(せいだまり)」の鳥居から(^.^)v
多くの人がここから出雲大社に入って行っています

む?むむむ?あそこの人だかりは何だろか?
と、ここでとっちん、出雲大社の参拝の仕方をネットで検索、ほほう~やっぱり!

手水舎の前に「祓社(はらえのやしろ)」へお参りするのが正しい作法らしい
皆さんご存知らしく長い行列ができていてとっちんもその後ろに並びました

身についた穢れを祓い清めている間、らぼっちは待ちぼうけ
穢れだらけのらぼっちは遅くなったとっちんを責める責める(笑)

参道は松並木、真ん中は神様が通られる道なので左側を通りましょうか
お、ここにも鳥居があったのね

八百万もの神々が集まる場所、二礼四拍手一礼が正しいお参りの仕方です
因みに「神様に一番願いが届きやすい拝礼位置」というのがあって、そこでも参拝しました

えっと~、ここは初めてじゃないけど、注連縄はこんなだったっけ?
もっと大きかったイメージ、それでも長さ6.5m、重さ1tあるんだって・・・

出雲大社では一般的な神社とは反対に、向かって左方を上位、右方を下位とする習わしだそうで
上位である左方が綯い始めで、右方を綯い終りとする張り方だそうです

八足門、この前で御朱印をいただくために今度はらぼっちが行列に並び、とっちんは待ちぼうけ
すると団体さんが八足門を入っていくではありませんか、申し込みすると入れるんでしょうね

国宝である現在の御本殿は1744年に造営され、これまで3度の遷宮が行われてきました
平成20年からは60年ぶりとなる「平成の大遷宮」が行われています
老朽化が進んでいたご本殿の屋根の葺き替えをメインに行われた「平成の大遷宮」
平成25年に修復作業は終わり、伊勢神宮の「式年遷宮」と重なって話題にもなりましたね

境内をぐるっと一周、他の人が見向きもしない建物に興味を持つ熟年ふたり
入れることを知らず写真を撮って素通り、惜しいことをしました(*_*;

こちらは神楽殿の注連縄、長さ13m、重さ4.5tで日本最大だとか
もしかしたら記憶に残っているのはこちらのほうだったか・・・(@_@)

お昼になったので、駐車場に戻る途中に出雲そばを堪能
名物と言いつつ、普通のおそばということはわかっていました

それから出雲大社の隣にある「古代出雲歴史博物館」へ
なんでもらぼっちが2000年に発見された高さ48mあったと言われる柱が観たいと言うので

スギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されたようです
境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土したとか

直径が最大で約6mもある柱穴には、人の頭の大きさ以上の石がぎっしりと積み込まれ
世界に例のない掘立柱の地下構造も明らかになり・・・これじゃわかんないね(^-^;

要するに、こんな具合になっていたらしい
ちょっと考え難い構造だけど、本当だったら素晴らしい

いろんな方がいろんな考えをお持ちだったようです
どれが良いか、らぼっちと話が弾み・・・いや、そういう問題ではないですね(;・∀・)

古墳時代の豪族を飾った金銀の大刀、島根から出土した凄い数の多さに圧倒されました
写真を撮ってもいいという歴史博物館も珍しいな~

そして、カオナシ
ん?違うって?

国宝の荒神谷遺跡から出土の青銅器や加茂岩倉遺跡から出土の銅鐸
へ~~~~、これも写真撮っていいの?びっくり(◎_◎;)

なんと40年ぶりくらいに足を運んだ出雲大社ですが
初めて行ったに近い発見ばかり、再訪できてよかった~♪
縁結びの神様でもある出雲大社、ふたりで行くと別れるなんて噂もあるけど
本当のところはど~なんでしょうね~

「出雲大社」は「いずもたいしゃ」ではなくて正式には「いずもおおやしろ」と言うのを!
実は最近になって知ったとっちん
近くに大社町(たいしゃまち)というのもあって、ずっと大社=たいしゃだと思っていました
縁結びの神様として知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)をまつる出雲大社
やっぱりここの景色から出発でしょ~♪

ところが、らぼっちは車に御朱印帳を忘れたとかで駐車場に逆戻り
ま、最初っからここに来るつもりもなかったようで途中で待つんだと(ーー;)

大きな石の大鳥居は通ってないけど、ここ「勢溜(せいだまり)」の鳥居から(^.^)v
多くの人がここから出雲大社に入って行っています

む?むむむ?あそこの人だかりは何だろか?
と、ここでとっちん、出雲大社の参拝の仕方をネットで検索、ほほう~やっぱり!

手水舎の前に「祓社(はらえのやしろ)」へお参りするのが正しい作法らしい
皆さんご存知らしく長い行列ができていてとっちんもその後ろに並びました

身についた穢れを祓い清めている間、らぼっちは待ちぼうけ
穢れだらけのらぼっちは遅くなったとっちんを責める責める(笑)

参道は松並木、真ん中は神様が通られる道なので左側を通りましょうか
お、ここにも鳥居があったのね

八百万もの神々が集まる場所、二礼四拍手一礼が正しいお参りの仕方です
因みに「神様に一番願いが届きやすい拝礼位置」というのがあって、そこでも参拝しました

えっと~、ここは初めてじゃないけど、注連縄はこんなだったっけ?
もっと大きかったイメージ、それでも長さ6.5m、重さ1tあるんだって・・・

出雲大社では一般的な神社とは反対に、向かって左方を上位、右方を下位とする習わしだそうで
上位である左方が綯い始めで、右方を綯い終りとする張り方だそうです

八足門、この前で御朱印をいただくために今度はらぼっちが行列に並び、とっちんは待ちぼうけ
すると団体さんが八足門を入っていくではありませんか、申し込みすると入れるんでしょうね

国宝である現在の御本殿は1744年に造営され、これまで3度の遷宮が行われてきました
平成20年からは60年ぶりとなる「平成の大遷宮」が行われています
老朽化が進んでいたご本殿の屋根の葺き替えをメインに行われた「平成の大遷宮」
平成25年に修復作業は終わり、伊勢神宮の「式年遷宮」と重なって話題にもなりましたね

境内をぐるっと一周、他の人が見向きもしない建物に興味を持つ熟年ふたり
入れることを知らず写真を撮って素通り、惜しいことをしました(*_*;

こちらは神楽殿の注連縄、長さ13m、重さ4.5tで日本最大だとか
もしかしたら記憶に残っているのはこちらのほうだったか・・・(@_@)

お昼になったので、駐車場に戻る途中に出雲そばを堪能
名物と言いつつ、普通のおそばということはわかっていました

それから出雲大社の隣にある「古代出雲歴史博物館」へ
なんでもらぼっちが2000年に発見された高さ48mあったと言われる柱が観たいと言うので

スギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されたようです
境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土したとか

直径が最大で約6mもある柱穴には、人の頭の大きさ以上の石がぎっしりと積み込まれ
世界に例のない掘立柱の地下構造も明らかになり・・・これじゃわかんないね(^-^;

要するに、こんな具合になっていたらしい
ちょっと考え難い構造だけど、本当だったら素晴らしい

いろんな方がいろんな考えをお持ちだったようです
どれが良いか、らぼっちと話が弾み・・・いや、そういう問題ではないですね(;・∀・)

古墳時代の豪族を飾った金銀の大刀、島根から出土した凄い数の多さに圧倒されました
写真を撮ってもいいという歴史博物館も珍しいな~

そして、カオナシ
ん?違うって?

国宝の荒神谷遺跡から出土の青銅器や加茂岩倉遺跡から出土の銅鐸
へ~~~~、これも写真撮っていいの?びっくり(◎_◎;)

なんと40年ぶりくらいに足を運んだ出雲大社ですが
初めて行ったに近い発見ばかり、再訪できてよかった~♪
縁結びの神様でもある出雲大社、ふたりで行くと別れるなんて噂もあるけど
本当のところはど~なんでしょうね~

<出雲大社>
[アクセス] 地図はコチラ
降った~、しっかり降りました、雨が!!
昨日愚痴ったからかな、お天道様は聞いてくれたんだ(^-^;
でもよかった~、野菜が・・庭木が・・、そしてなにより
「水やりせんでいいき、よかった~」・・・義母が喜んでいる
心配していた植物にも動物にも、田んぼにもダムにも、川にも海にも
全てが潤って、当たり前の光景が戻ってくることでしょう
いや待てよ!
雑草も喜んでいるってことは、また格闘しなきゃいけないっちゅうことよね
ひょえ~~~(;´∀`)
さてと、昨日の続き♪です

う~ん、インパクトあるような、ないような(^-^;
昨日アップしたウミネコも見守る

ここは高さ43.65mと日本一を誇る「出雲日御碕灯台」

あら、説明板には東洋一って書いてあるわ

明治36年(1903年)に設置され、110歳を越えた今でも現役で海の安全を守っているんです
光度は48万カンデラで、夜間は約40km沖合まで達するとか、あ、人がいる(;´Д`)

外壁は松江市美保関町から硬質の石材を切り出して使用した美しい石造り
内壁はレンガ造りで施され、外壁と空間をあけた特殊な二重構造になっているそう

その歴史や文化的な価値の高さから、平成10年に「世界の歴史的灯台百選」の一つに
平成25年に国の登録有形文化財に選ばれました
海に面して遊歩道があります
「歩こうか?」と聞くと「いや、いい」とらぼっち、とっちんは「あらら・・・」

だけど~、あんな先のほうへは行くのよね・・・
なんとかと煙は高いところが好きって言うけど(*´з`)

地形も珍しいかもしれない

でも、ここの岩はおもしろい

ぼろぼろと剥がれそうなのに、硬いんです

灯台に登るには163段のらせん階段、らぼっちは「登らなくていいやろ」とっちん「あ、そ」

学生時代に登ったな~、らぼっちじゃなくて義母と義妹とで(;´∀`)

駐車場までの帰り道、らぼっちが興味津々で撮っていたもの・・・

それはいろんな海の幸が香る誘う中で、ノドグロちゃんの干物に釘付け♪
あ~あ、これから家に帰るならな~( ノД`)シクシク…

昨日愚痴ったからかな、お天道様は聞いてくれたんだ(^-^;
でもよかった~、野菜が・・庭木が・・、そしてなにより
「水やりせんでいいき、よかった~」・・・義母が喜んでいる
心配していた植物にも動物にも、田んぼにもダムにも、川にも海にも
全てが潤って、当たり前の光景が戻ってくることでしょう
いや待てよ!
雑草も喜んでいるってことは、また格闘しなきゃいけないっちゅうことよね
ひょえ~~~(;´∀`)
さてと、昨日の続き♪です

う~ん、インパクトあるような、ないような(^-^;
昨日アップしたウミネコも見守る

ここは高さ43.65mと日本一を誇る「出雲日御碕灯台」

あら、説明板には東洋一って書いてあるわ

明治36年(1903年)に設置され、110歳を越えた今でも現役で海の安全を守っているんです
光度は48万カンデラで、夜間は約40km沖合まで達するとか、あ、人がいる(;´Д`)

外壁は松江市美保関町から硬質の石材を切り出して使用した美しい石造り
内壁はレンガ造りで施され、外壁と空間をあけた特殊な二重構造になっているそう

その歴史や文化的な価値の高さから、平成10年に「世界の歴史的灯台百選」の一つに
平成25年に国の登録有形文化財に選ばれました
海に面して遊歩道があります
「歩こうか?」と聞くと「いや、いい」とらぼっち、とっちんは「あらら・・・」

だけど~、あんな先のほうへは行くのよね・・・
なんとかと煙は高いところが好きって言うけど(*´з`)

地形も珍しいかもしれない

でも、ここの岩はおもしろい

ぼろぼろと剥がれそうなのに、硬いんです

灯台に登るには163段のらせん階段、らぼっちは「登らなくていいやろ」とっちん「あ、そ」

学生時代に登ったな~、らぼっちじゃなくて義母と義妹とで(;´∀`)

駐車場までの帰り道、らぼっちが興味津々で撮っていたもの・・・

それはいろんな海の幸が香る誘う中で、ノドグロちゃんの干物に釘付け♪
あ~あ、これから家に帰るならな~( ノД`)シクシク…

<出雲日御碕灯台>
[アクセス] 地図はコチラ
結構な量のじゃがいも、たまねぎ、ごぼうの収穫を終えたあと
新たな野菜を植えたのはいいけど、雨が降らないな~(;´Д`)
梅雨だったよね?ほんと?
各地で水不足の話題、野菜も高騰の予想らしい
我が家では義母が毎日せっせと横の山水から引いた水を畑の野菜にかけています
不思議なことに、この山水が今までに切れたことがないのが救い、有り難い
この日照り続きで畑の雑草もあまり伸びないけど
中にはこれでもかと根を張る雑草があって取るのにひと苦労
雨、欲しいときに適度に降ってくれないかな
山陰の海岸線を北上していたかと思うと、突然現れた建物
ここは島根半島の西端、出雲市にある日御碕

あれはなんじゃ?と、助手席で考えているとっちんの横で
さも来たことがあるような雰囲気を出していたらぼっち、駐車場も知らなかったのにね

そうか、日御碕に神社があったんだ

なんとも美しい楼門です

大根?

楼門をくぐると、大きいけど形の変わった松が待っていました

わ~お、こういう造りは見たことがない

楼門から正面には下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」
天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています

右手階段の上には上の宮「神の宮」、年代的にはこちらが下の宮より先のようです
こちらには素盞嗚尊(すさのおのみこと)が祀られています

両本社を総称して「日御碕神社」と呼びます
伊勢神宮が日本の昼を守る神社で、日御碕神社は夜を守る神社だとか
日沈宮という名前は伊勢神宮が日本の昼を守るというのに対し
日御碕神社は日本の夜を守るようにと勅命を受けたことに由来するそうです


現在の建物は江戸時代に建立されたもの
壁や木の切り口は白色、柱や横木が丹塗りされた社殿は桃山時代の面影を残しています

社殿の全てと境内の石造建造物は、貴重な神社建築として国の重要文化財に指定

回廊というのでしょうか、これがまた魅力的です

空には輪を描くトンビの群れ
ジンジャラーとして良いところを訪問できてよかった~(*^^*)

日沉宮が当初「百枝槐社(ももええにす)」として、祀られていたのが「経島(ふみしま)」
日御碕神社のすぐ近くにありウミネコの繁殖地としても有名で、国の天然記念物にも指定

毎年11月下旬から冬にかけて約5000羽ものウミネコが飛来し
4月から5月にかけて産卵・孵化するそうで、この頃ちょうど産卵した後だったのかな

神域なので、一般のは入島できないそうですが
ちょっとこの光景を見れば、遠慮して当たり前ですかね(^-^;

新たな野菜を植えたのはいいけど、雨が降らないな~(;´Д`)
梅雨だったよね?ほんと?
各地で水不足の話題、野菜も高騰の予想らしい
我が家では義母が毎日せっせと横の山水から引いた水を畑の野菜にかけています
不思議なことに、この山水が今までに切れたことがないのが救い、有り難い
この日照り続きで畑の雑草もあまり伸びないけど
中にはこれでもかと根を張る雑草があって取るのにひと苦労
雨、欲しいときに適度に降ってくれないかな
山陰の海岸線を北上していたかと思うと、突然現れた建物
ここは島根半島の西端、出雲市にある日御碕

あれはなんじゃ?と、助手席で考えているとっちんの横で
さも来たことがあるような雰囲気を出していたらぼっち、駐車場も知らなかったのにね

そうか、日御碕に神社があったんだ

なんとも美しい楼門です

大根?

楼門をくぐると、大きいけど形の変わった松が待っていました

わ~お、こういう造りは見たことがない

楼門から正面には下の宮「日沉宮(ひしずみのみや)」
天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています

右手階段の上には上の宮「神の宮」、年代的にはこちらが下の宮より先のようです
こちらには素盞嗚尊(すさのおのみこと)が祀られています

両本社を総称して「日御碕神社」と呼びます
伊勢神宮が日本の昼を守る神社で、日御碕神社は夜を守る神社だとか
日沈宮という名前は伊勢神宮が日本の昼を守るというのに対し
日御碕神社は日本の夜を守るようにと勅命を受けたことに由来するそうです


現在の建物は江戸時代に建立されたもの
壁や木の切り口は白色、柱や横木が丹塗りされた社殿は桃山時代の面影を残しています

社殿の全てと境内の石造建造物は、貴重な神社建築として国の重要文化財に指定

回廊というのでしょうか、これがまた魅力的です

空には輪を描くトンビの群れ
ジンジャラーとして良いところを訪問できてよかった~(*^^*)

日沉宮が当初「百枝槐社(ももええにす)」として、祀られていたのが「経島(ふみしま)」
日御碕神社のすぐ近くにありウミネコの繁殖地としても有名で、国の天然記念物にも指定

毎年11月下旬から冬にかけて約5000羽ものウミネコが飛来し
4月から5月にかけて産卵・孵化するそうで、この頃ちょうど産卵した後だったのかな

神域なので、一般のは入島できないそうですが
ちょっとこの光景を見れば、遠慮して当たり前ですかね(^-^;

<日御碕神社>
[アクセス] 地図はコチラ
今日は父の日
子供たちかららぼっちに日頃の感謝を込めてプレゼント…
なんてことも、メールのひとつもなく寂しい父の日
だけど幸か不幸か、本人も父の日ということを全く知る由もなかったんです
だいたい母の日に何もなかったのに
父の日に何かあると、とっちんとしては(>_<)ですから(笑)
子供たちはそれぞれに自分の生活をしっかり築いてくれていたらそれでいいのです
我が家はそれで成り立っているんです
ただ、昨年この家に戻ってきたら孝行しようと思っていたのに
この時期に義父は入院してしまっていました
手術前ということもあって、昨年の父の日をしてあげられないまま
その後も何も出来なかったことが未だに心を沈ませています
今年はせめて義父の大好物の稲荷寿司を作ってお供えしようかと
起きてすぐに準備に取りかかりました
らぼっちが起きてきてから、仏壇にあげてもらいました
味の保証はないけど、お義父さん食べてくれたかな〜(*´ー`*)
子供たちかららぼっちに日頃の感謝を込めてプレゼント…
なんてことも、メールのひとつもなく寂しい父の日
だけど幸か不幸か、本人も父の日ということを全く知る由もなかったんです
だいたい母の日に何もなかったのに
父の日に何かあると、とっちんとしては(>_<)ですから(笑)
子供たちはそれぞれに自分の生活をしっかり築いてくれていたらそれでいいのです
我が家はそれで成り立っているんです
ただ、昨年この家に戻ってきたら孝行しようと思っていたのに
この時期に義父は入院してしまっていました
手術前ということもあって、昨年の父の日をしてあげられないまま
その後も何も出来なかったことが未だに心を沈ませています
今年はせめて義父の大好物の稲荷寿司を作ってお供えしようかと
起きてすぐに準備に取りかかりました
らぼっちが起きてきてから、仏壇にあげてもらいました
味の保証はないけど、お義父さん食べてくれたかな〜(*´ー`*)
石見銀山大森の街を夕方、後にして向かったのは温泉津温泉
おんせんつおんせんとは読みません、ゆのつおんせんと言います
あら、知ってました?失礼~m(__)m
発見されてから約1300年の歴史を持ち、湯治場として評判の由緒ある温泉
そして「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部として世界遺産に登録されています

外湯で有名な薬師湯の前にある「旅の宿 輝雲荘」さんにお泊り♪
外観を撮るのを忘れちゃったけど、食事はちゃんと収めましたよ~


さすが!海の近くなので魚が新鮮で美味しい~(*^^)v



他にもお料理はあったんだけど、食べるのに忙しくて・・・
え、飲むのに?そ、そうなんです(;´∀`)

次の日、その温泉津からほど近い海に立ち寄りました

ここは「琴ヶ浜」というところ

佇むらぼっち

ここに来た理由は・・

鳴き砂ではなく鳴り砂、そうだったっけ
学生時代に来たことがあるとっちんはその頃、しっかりと音を聞いているんです

音が鳴るのは砂同士の摩擦によるもので
ゴミが少ない、粒度が細かく均一といった多くの条件が揃わないと鳴らないんですって

おもむろに足踏みをするらぼっち
波の音で聞こえないと言い、かがんで音を確かめています

『壇の浦の源平の戦に敗れてこの地に流れ着いた平家の姫は、
村人に助けられたお礼にと毎日琴を奏でて人々の心を癒していましたが
ある日突然、姫はこの世を去ってしまいます。
村人たちは嘆き悲しみ姫を丁寧に葬ると、次の日から琴を奏でるように浜が鳴り始めました
それ以来この浜を琴ヶ浜と呼ぶようになりました』

そんなことは露ほども知らないらぼっちはどうしてもキュキュという音が聞きたいらしく
とうとう手に取って耳の近くでこすっています(笑)

聞こえたか聞こえなかったかは、らぼっち次第・・・ん?
それからは海岸線を出雲方面へ

そして北上します

同じ日本の海でも沖永良部や九州の海とは違いますね~

これからどこに行くの?と聞いたとっちんです(*_*;

おんせんつおんせんとは読みません、ゆのつおんせんと言います
あら、知ってました?失礼~m(__)m
発見されてから約1300年の歴史を持ち、湯治場として評判の由緒ある温泉
そして「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部として世界遺産に登録されています

外湯で有名な薬師湯の前にある「旅の宿 輝雲荘」さんにお泊り♪
外観を撮るのを忘れちゃったけど、食事はちゃんと収めましたよ~


さすが!海の近くなので魚が新鮮で美味しい~(*^^)v



他にもお料理はあったんだけど、食べるのに忙しくて・・・
え、飲むのに?そ、そうなんです(;´∀`)

次の日、その温泉津からほど近い海に立ち寄りました

ここは「琴ヶ浜」というところ

佇むらぼっち

ここに来た理由は・・

鳴き砂ではなく鳴り砂、そうだったっけ
学生時代に来たことがあるとっちんはその頃、しっかりと音を聞いているんです

音が鳴るのは砂同士の摩擦によるもので
ゴミが少ない、粒度が細かく均一といった多くの条件が揃わないと鳴らないんですって

おもむろに足踏みをするらぼっち
波の音で聞こえないと言い、かがんで音を確かめています

『壇の浦の源平の戦に敗れてこの地に流れ着いた平家の姫は、
村人に助けられたお礼にと毎日琴を奏でて人々の心を癒していましたが
ある日突然、姫はこの世を去ってしまいます。
村人たちは嘆き悲しみ姫を丁寧に葬ると、次の日から琴を奏でるように浜が鳴り始めました
それ以来この浜を琴ヶ浜と呼ぶようになりました』

そんなことは露ほども知らないらぼっちはどうしてもキュキュという音が聞きたいらしく
とうとう手に取って耳の近くでこすっています(笑)

聞こえたか聞こえなかったかは、らぼっち次第・・・ん?
それからは海岸線を出雲方面へ

そして北上します

同じ日本の海でも沖永良部や九州の海とは違いますね~

これからどこに行くの?と聞いたとっちんです(*_*;

<琴ヶ浜>
[アクセス] 地図はコチラ
やっと石見銀山での最終章になりました
とっちんがいちばん楽しみにしていた町並みを歩きました
大森の町並み地区は、江戸時代の武家屋敷や石見銀山で栄えた豪商・熊谷家住宅など
歴史的な建造物や文化財が当時の面影を残しているところです
そして特徴としては、大森銀山とも言われる銀鉱山と一体となった鉱山町
重要伝統的建造物保存地区に指定されています
さあ、歩こう!
と言ったその時に「これ食べたい」と、ひとり店に入って行くらぼっち

ごま豆腐片手に町歩き(笑)

銀山川沿い細長く伸びる町は下流側を政治の中心地・大森町として
上流側は20万とも言われるほどの坑夫たちの住まう町として機能したようです

うん、やっぱり風情があるわ~(#^^#)

住んでいる方々のおもてなしの心がうかがえます

さあ、この石段を登らないといけません

大森の町を貫く通り沿いの岩盤の上に建立されたのは観世音寺
江戸時代は石見銀山の大盛を祈願するお寺、鉱山で目を傷めた人の祈願所だったとか

なぜ登らなければならなかったか・・・
それは、この景色を見るためだったんです

パンフレットで見かける石州瓦の屋根が続いています
同じ石州瓦でもとっちんの田舎とは違って落ち着いた色だな~

郵便局見て!
看板じゃなくて暖簾ですよ、暖簾(*^^)v

銀行はこんな感じ
う~ん、入って行ける?

お、かわいい♪

大森代官所跡、現在は石見銀山資料館
ざっと見学しました(^-^;

そしてここでらぼっちは休憩、とっちんひとりで行ったところは・・・
大森の氏神様を祀る神社、城上神社、しろがみ?しろうえ?

永享6年(1434年)に大内氏によって仁摩町馬路の高山から大森町愛宕山に遷座され
天正5年(1577)に毛利氏により現在の位置に遷座されたようです

立派な神社ではありますが
目的は拝殿の格天井に描かれた龍の絵「鳴き龍」、ほほうかなりの大きさですぞ(◎_◎;)

この下で手を叩くと、リンリンという鳴き声のような音がするとか
そんなこと知らなかったも~ん(;´Д`)

天井絵が気になって・・・

いや~、いいもの見せていただきました
おや~ん、ここにも龍が・・

再びらぼっちと合流してきた道を戻ります

山業の他、酒造業、金融業など代官所の御用商人などを務めた熊谷家

入りたかったけど、時間がないということでスルー

広さといい、造りといい、後ろ髪を引かれながら後にしました

夕暮れ時の町並みもいいもんです

一度通ったのにまた新鮮

どこを見てもおもしろい

水路がまた情緒があります

最後は五百羅漢が安置されている羅漢寺
仏道を広めることと、鉱山労働従事者の供養のために作られたとか

正味1時間20分程度の町歩き、時間が足りなーーい!
お屋敷にも入ってないし、お寺の鏝絵も見てなーーい(T_T)

また行くことがあるのか~?
え~~~~~?(*_*;
とっちんがいちばん楽しみにしていた町並みを歩きました
大森の町並み地区は、江戸時代の武家屋敷や石見銀山で栄えた豪商・熊谷家住宅など
歴史的な建造物や文化財が当時の面影を残しているところです
そして特徴としては、大森銀山とも言われる銀鉱山と一体となった鉱山町
重要伝統的建造物保存地区に指定されています
さあ、歩こう!
と言ったその時に「これ食べたい」と、ひとり店に入って行くらぼっち

ごま豆腐片手に町歩き(笑)

銀山川沿い細長く伸びる町は下流側を政治の中心地・大森町として
上流側は20万とも言われるほどの坑夫たちの住まう町として機能したようです

うん、やっぱり風情があるわ~(#^^#)

住んでいる方々のおもてなしの心がうかがえます

さあ、この石段を登らないといけません

大森の町を貫く通り沿いの岩盤の上に建立されたのは観世音寺
江戸時代は石見銀山の大盛を祈願するお寺、鉱山で目を傷めた人の祈願所だったとか

なぜ登らなければならなかったか・・・
それは、この景色を見るためだったんです

パンフレットで見かける石州瓦の屋根が続いています
同じ石州瓦でもとっちんの田舎とは違って落ち着いた色だな~

郵便局見て!
看板じゃなくて暖簾ですよ、暖簾(*^^)v

銀行はこんな感じ
う~ん、入って行ける?

お、かわいい♪

大森代官所跡、現在は石見銀山資料館
ざっと見学しました(^-^;

そしてここでらぼっちは休憩、とっちんひとりで行ったところは・・・
大森の氏神様を祀る神社、城上神社、しろがみ?しろうえ?

永享6年(1434年)に大内氏によって仁摩町馬路の高山から大森町愛宕山に遷座され
天正5年(1577)に毛利氏により現在の位置に遷座されたようです

立派な神社ではありますが
目的は拝殿の格天井に描かれた龍の絵「鳴き龍」、ほほうかなりの大きさですぞ(◎_◎;)

この下で手を叩くと、リンリンという鳴き声のような音がするとか
そんなこと知らなかったも~ん(;´Д`)

天井絵が気になって・・・

いや~、いいもの見せていただきました
おや~ん、ここにも龍が・・

再びらぼっちと合流してきた道を戻ります

山業の他、酒造業、金融業など代官所の御用商人などを務めた熊谷家

入りたかったけど、時間がないということでスルー

広さといい、造りといい、後ろ髪を引かれながら後にしました

夕暮れ時の町並みもいいもんです

一度通ったのにまた新鮮

どこを見てもおもしろい

水路がまた情緒があります

最後は五百羅漢が安置されている羅漢寺
仏道を広めることと、鉱山労働従事者の供養のために作られたとか

正味1時間20分程度の町歩き、時間が足りなーーい!
お屋敷にも入ってないし、お寺の鏝絵も見てなーーい(T_T)

また行くことがあるのか~?
え~~~~~?(*_*;
<石見銀山資料館>
[アクセス] 地図はコチラ
今日は義伯母ちゃんの月一の病院の診察が終わってから
ちょいとドライブに連れ出しました
義母はかかりつけの病院、美容院、銀行、友達と会うとか1人で行きたいらしく
折にふれ出かける機会が多いので、気分転換もソコソコにできているはず
義伯母はとっちんが車で連れて行く病院の他はこれといって出かけることもなく
いつも家の周りの散歩で、四季の移り変わりを感じる程度
最近はいろいろあって少〜し落ち込み気味の様子だったので
「ちょっとぐるっとまわってみようか?」と誘うと「時間はいいと?」って
大丈夫だからと安心させて、前に義伯母が住んでいた辺りや街をドライブ
「こんなんなったんやね」とか「あ〜無くなっちょる」とか懐かしそうでした
そして、花好きの義伯母に今時の花を見せようとアジサイ公園に♪
遊歩道を歩くことができないので道路から眺めました
目もあまり良くないので遠目からはイマイチだったようだけど
近くの紫陽花を触りながらて「水を欲しがっちょるね、かわいそうに」と
今年のここの紫陽花は花も小さく色も鈍い感じ、葉も黄緑色
雨が降って潤いが欲しいところですが、この先どうなりますことやら…
ちょいとドライブに連れ出しました
義母はかかりつけの病院、美容院、銀行、友達と会うとか1人で行きたいらしく
折にふれ出かける機会が多いので、気分転換もソコソコにできているはず
義伯母はとっちんが車で連れて行く病院の他はこれといって出かけることもなく
いつも家の周りの散歩で、四季の移り変わりを感じる程度
最近はいろいろあって少〜し落ち込み気味の様子だったので
「ちょっとぐるっとまわってみようか?」と誘うと「時間はいいと?」って
大丈夫だからと安心させて、前に義伯母が住んでいた辺りや街をドライブ
「こんなんなったんやね」とか「あ〜無くなっちょる」とか懐かしそうでした
そして、花好きの義伯母に今時の花を見せようとアジサイ公園に♪
遊歩道を歩くことができないので道路から眺めました
目もあまり良くないので遠目からはイマイチだったようだけど
近くの紫陽花を触りながらて「水を欲しがっちょるね、かわいそうに」と
今年のここの紫陽花は花も小さく色も鈍い感じ、葉も黄緑色
雨が降って潤いが欲しいところですが、この先どうなりますことやら…
間が空いてしまいましたが、タイトルどおり石見銀山の続きです
石見銀山には600以上もの間歩(鉱山の掘り口)があると書きましたが
唯一、常時公開されている間歩があります
それが「龍源寺間歩」、ここは通り抜けできるんです

正徳5年の開発、江戸時代の開掘の長さは600mに及んでいたとか
そのうち一般に公開されているのは新坑道含んだ273m

大久保間歩についでの大坑道で良質の銀鉱石が多く掘り出されたんだそうです
脇の坑道もたくさん、当時のノミの跡がそのまま残っていたりもしました

閉山したのは昭和18年といわれていて、228年間も間歩の開発が行われました

坑道の奥では換気が悪く、粉じんを肺に吸入してしまうからか
30歳まで生きることが珍しく、30歳になると長寿のお祝いをしたと聞きました

ところどころに現在地が示されています

あ、頭に気を付けないと!それ以上に・・・・(笑)

旧坑道の最後にはこんな柱がありました
下唇を突き出して泣いているように見えます

ここからは新しく開削した栃細谷新抗(とちばたけしんこう)を通って出口に向かいます
自転車置き場に戻ってみると、あらま~かなりの人、きれいにチャリが並べられていました

それから真っすぐ戻るのは普通の人
熟年ふたりは「清水谷製錬所跡」に寄るのだーー(^O^)/

明治時代の石見銀山は一部の既存の間歩を利用して
地元の人たちによる小規模な採掘がかろうじて続いていたようです

明治19年には大阪の藤田組が、仙山(せんのやま)の福石鉱床の金銀含有率と量に着目
現在価格にして約20億円に上る巨額の設備投資をし近代的な製錬所を建設しました

酸やアルカリ溶液でいったん、鉱石から銀を溶かした後に
銀を取り出す収銀湿式製錬という最新式の技術が投入され、明治28年4月に操業開始

しかし鉱石の品質が予想以上に悪く不採算となり、わずか1年半で操業を停止しました
藤田組は、鉱業の主軸を仁摩町大国の永久製錬所での銅生産に切り替えたそうです

これが最新式のなんちゃら?どれどれ・・・

近くまで行きたいけど、ロープが張ってあって行けないし・・
う~~~む、よ~わからんな~(*´Д`)

斜面に八段の石垣、道がジグザグジグザグ

ここに製錬所があったのね~

ここだけ見ると、まるでお城(*'ω'*)

草だらけ・・・もう少し石垣が見えてるとよかったな~

「帰りは電動自転車の電源オフにしてもスピード出るよ」
レンタサイクルのおっちゃんの言う通り、快適に帰れました♪

石見銀山には600以上もの間歩(鉱山の掘り口)があると書きましたが
唯一、常時公開されている間歩があります
それが「龍源寺間歩」、ここは通り抜けできるんです

正徳5年の開発、江戸時代の開掘の長さは600mに及んでいたとか
そのうち一般に公開されているのは新坑道含んだ273m

大久保間歩についでの大坑道で良質の銀鉱石が多く掘り出されたんだそうです
脇の坑道もたくさん、当時のノミの跡がそのまま残っていたりもしました

閉山したのは昭和18年といわれていて、228年間も間歩の開発が行われました

坑道の奥では換気が悪く、粉じんを肺に吸入してしまうからか
30歳まで生きることが珍しく、30歳になると長寿のお祝いをしたと聞きました

ところどころに現在地が示されています

あ、頭に気を付けないと!それ以上に・・・・(笑)

旧坑道の最後にはこんな柱がありました
下唇を突き出して泣いているように見えます

ここからは新しく開削した栃細谷新抗(とちばたけしんこう)を通って出口に向かいます
自転車置き場に戻ってみると、あらま~かなりの人、きれいにチャリが並べられていました

それから真っすぐ戻るのは普通の人
熟年ふたりは「清水谷製錬所跡」に寄るのだーー(^O^)/

明治時代の石見銀山は一部の既存の間歩を利用して
地元の人たちによる小規模な採掘がかろうじて続いていたようです

明治19年には大阪の藤田組が、仙山(せんのやま)の福石鉱床の金銀含有率と量に着目
現在価格にして約20億円に上る巨額の設備投資をし近代的な製錬所を建設しました

酸やアルカリ溶液でいったん、鉱石から銀を溶かした後に
銀を取り出す収銀湿式製錬という最新式の技術が投入され、明治28年4月に操業開始

しかし鉱石の品質が予想以上に悪く不採算となり、わずか1年半で操業を停止しました
藤田組は、鉱業の主軸を仁摩町大国の永久製錬所での銅生産に切り替えたそうです

これが最新式のなんちゃら?どれどれ・・・

近くまで行きたいけど、ロープが張ってあって行けないし・・
う~~~む、よ~わからんな~(*´Д`)

斜面に八段の石垣、道がジグザグジグザグ

ここに製錬所があったのね~

ここだけ見ると、まるでお城(*'ω'*)

草だらけ・・・もう少し石垣が見えてるとよかったな~

「帰りは電動自転車の電源オフにしてもスピード出るよ」
レンタサイクルのおっちゃんの言う通り、快適に帰れました♪

<龍源寺間歩>
[アクセス] 地図はコチラ
昨年は残念ながら、雛が孵ることがなかった我が家のツバメちゃんたち
今年は山陰旅行から帰った次の日、5月23日に雛がいることがわかりました
台所の流しの前に立つとよく見えるので、みんなで一喜一憂
毎日観察して、会話の中心になり癒されておりました
食事時は毎日のように写真を撮っていたので
そこで観察日記なんぞ書いてみようかな、と思った次第です
わかるかな?
巣の中央部に産毛のようなもしゃもしゃが・・・

餌を運んでくるのもよく見える(*^^)v

5月24日、雛が見えた~(#^^#)

2羽確認できました

げっ、小さい雛にあんなに突っ込むもんなんですね~(◎_◎;)

5月26日になって4羽確認、親がいなくても顔を出すようになりました

5月28日、まだもしゃもしゃだけど大きくなってる~(*^▽^*)

食欲旺盛、親は交代でひっきりなしに虫を咥えてきています

5月29日、寝ている時以外は餌を待っている状態

5月30日、親は分け隔てなく餌を与えています

6月1日、父さんツバメと母さんツバメの餌やりがかぶったようです(笑)

たまには向かい側からじっと見てる親ツバメ

6月3日、ずいぶん大きく黒くなってきました

ただ、やっぱり4羽目の雛は小さいみたい

子ツバメは自分で尻尾を外に向け、糞をしているけど
たまに親ツバメが子ツバメの糞を処理してることもあるようですね

6月4日、雛が大きくなったので巣から落ちそうです

羽根を広げて巣立ちの練習かな?

あ、あ、落ちる落ちる~、練習とわかっていても心配してしまいます

母さんツバメは最初見た時からスリムでしたが、また一段と痩せて見える(^-^;

6月5日、向かい側にとまっている母さんツバメ

外界の様子を真剣な眼差しでうかがっています

6月6日、じっとしているかと思ったら

「にーちゃん、狭い!」「押すなよ」

「なんだよ、オレこっちがいいんだもん」とか、聞こえてきそう(笑)

あーーー、落っこちゃうよ(;゚Д゚)

6月7日、ただでさえ普通より狭い巣だろうに、大きくなったな~♪

代わる代わる羽ばたきの練習、巣立ちが近い様子

6月8日、あれ、母さんツバメがあんなところにいる

あら、今度はこっちに(´Д`)

餌も持たずに子ツバメに何かを訴えているような感じ(あくまでも推測ですが・・)

6月9日早朝、親ツバメが2羽?あれ、よーーーく見ると手前は子ツバメです

子ツバメは喉のあたりがまだ薄く赤くないし、嘴も黄色っぽい

お、2羽目が飛んだ!!(^O^)/


あとの2羽はどうするのかな?

最初の雛が飛び立って約1時間半、最後の雛になりました

お昼になって家に帰って見ると、巣はもぬけの殻になっていました
3日も育ちが違うのに、巣立ちはみんな一緒なんだ、ちびちゃんは大丈夫だろうか

巣立った子ツバメは2週間くらいはまだ親から餌を与えられます
ツバメの平均寿命は1年半、子ツバメが独り立ちできるのは約50%だそうです
寂しいけど、4羽がちゃんと旅ができることを願ってやみません
今年は山陰旅行から帰った次の日、5月23日に雛がいることがわかりました
台所の流しの前に立つとよく見えるので、みんなで一喜一憂
毎日観察して、会話の中心になり癒されておりました
食事時は毎日のように写真を撮っていたので
そこで観察日記なんぞ書いてみようかな、と思った次第です
わかるかな?
巣の中央部に産毛のようなもしゃもしゃが・・・

餌を運んでくるのもよく見える(*^^)v

5月24日、雛が見えた~(#^^#)

2羽確認できました

げっ、小さい雛にあんなに突っ込むもんなんですね~(◎_◎;)

5月26日になって4羽確認、親がいなくても顔を出すようになりました

5月28日、まだもしゃもしゃだけど大きくなってる~(*^▽^*)

食欲旺盛、親は交代でひっきりなしに虫を咥えてきています

5月29日、寝ている時以外は餌を待っている状態

5月30日、親は分け隔てなく餌を与えています

6月1日、父さんツバメと母さんツバメの餌やりがかぶったようです(笑)

たまには向かい側からじっと見てる親ツバメ

6月3日、ずいぶん大きく黒くなってきました

ただ、やっぱり4羽目の雛は小さいみたい

子ツバメは自分で尻尾を外に向け、糞をしているけど
たまに親ツバメが子ツバメの糞を処理してることもあるようですね

6月4日、雛が大きくなったので巣から落ちそうです

羽根を広げて巣立ちの練習かな?

あ、あ、落ちる落ちる~、練習とわかっていても心配してしまいます

母さんツバメは最初見た時からスリムでしたが、また一段と痩せて見える(^-^;

6月5日、向かい側にとまっている母さんツバメ

外界の様子を真剣な眼差しでうかがっています

6月6日、じっとしているかと思ったら

「にーちゃん、狭い!」「押すなよ」

「なんだよ、オレこっちがいいんだもん」とか、聞こえてきそう(笑)

あーーー、落っこちゃうよ(;゚Д゚)

6月7日、ただでさえ普通より狭い巣だろうに、大きくなったな~♪

代わる代わる羽ばたきの練習、巣立ちが近い様子

6月8日、あれ、母さんツバメがあんなところにいる

あら、今度はこっちに(´Д`)

餌も持たずに子ツバメに何かを訴えているような感じ(あくまでも推測ですが・・)

6月9日早朝、親ツバメが2羽?あれ、よーーーく見ると手前は子ツバメです

子ツバメは喉のあたりがまだ薄く赤くないし、嘴も黄色っぽい

お、2羽目が飛んだ!!(^O^)/


あとの2羽はどうするのかな?

最初の雛が飛び立って約1時間半、最後の雛になりました

お昼になって家に帰って見ると、巣はもぬけの殻になっていました
3日も育ちが違うのに、巣立ちはみんな一緒なんだ、ちびちゃんは大丈夫だろうか

巣立った子ツバメは2週間くらいはまだ親から餌を与えられます
ツバメの平均寿命は1年半、子ツバメが独り立ちできるのは約50%だそうです
寂しいけど、4羽がちゃんと旅ができることを願ってやみません
今日は博多座に行って参りました

実はらぼっちが会社の会長さんのご厚意でチケットを頂いたからなんです(^-^;

中村芝翫さん親子の大歌舞伎です

福岡市内は無案内なもので駐車場に入るのにもひと苦労

中村獅童さんが出演できなかったのは残念だったけど初歌舞伎、楽しめました♪

舞台の合間にお弁当~(*^^)v


自分たちではまず行かない歌舞伎、会長に感謝、感謝ですm(____)m


実はらぼっちが会社の会長さんのご厚意でチケットを頂いたからなんです(^-^;

中村芝翫さん親子の大歌舞伎です

福岡市内は無案内なもので駐車場に入るのにもひと苦労

中村獅童さんが出演できなかったのは残念だったけど初歌舞伎、楽しめました♪

舞台の合間にお弁当~(*^^)v


自分たちではまず行かない歌舞伎、会長に感謝、感謝ですm(____)m

<博多座>
[アクセス] 地図はコチラ
石見銀山で間歩を二つ見学した後は、お・ひ・るをとっくに過ぎていました
大森まで行ってご飯にしましょ

銀山川、川までこの名前(@_@)
町並みは重要伝統的建造物群保存地区だからか、自販機はこうなってました

ここで昼食にしました、「群言堂」さん

古民家がいろんな部屋に分かれていて、展示などのイベントが開催されていました

おやまあ、お弁当です

のりはスタンドで・・・

わかめおむすび、塩おむすび、塩レモンおむすびでした

とても雰囲気の良いお店でした、ご馳走様でした

それから電動のレンタサイクルでGO!

川沿いの道を山の方へと走ります、上りなんです(^-^;

わあ、水がきれい~~~(*'ω'*)
あ、トンボだ♪

ん、着いた?
へ、また間歩か~い!(*´Д`)

大森まで行ってご飯にしましょ

銀山川、川までこの名前(@_@)
町並みは重要伝統的建造物群保存地区だからか、自販機はこうなってました

ここで昼食にしました、「群言堂」さん

古民家がいろんな部屋に分かれていて、展示などのイベントが開催されていました

おやまあ、お弁当です

のりはスタンドで・・・

わかめおむすび、塩おむすび、塩レモンおむすびでした

とても雰囲気の良いお店でした、ご馳走様でした

それから電動のレンタサイクルでGO!

川沿いの道を山の方へと走ります、上りなんです(^-^;

わあ、水がきれい~~~(*'ω'*)
あ、トンボだ♪

ん、着いた?
へ、また間歩か~い!(*´Д`)

早くも梅雨の晴れ間?ですか、今日は良いお天気になりました
昼休みにちょこっとブログの下書きをしています
今日は大久保間歩ツアーの続きです
ヘルメット、長靴、懐中電灯を返して、大久保間歩から再び登ります

なんだろ、この石切りは・・・説明あったっけ?

そして、馬を繋いでいたという跡をガイドさんが説明
ひょえ~、ここまで馬に乗って来たの?(◎_◎;)

登る途中には人が入れなさそうな間歩がたっくさん!

それもそのはず、600を超える間歩が点在しているそうな(*_*;

大久保間歩の中が涼し過ぎたので、まあ外の暑いこと(;´・ω・:)

登ること15分、釜屋(かまや)間歩に着きました

慶長年間に備中出身の山師、安原伝兵衛が夢のお告げで発見したと言われる間歩
2003年には、高さ18mの岩盤に三段のテラスと階段という巨大な遺構が発見されたとか

作られた時期や目的などまだ謎が多いそうですが
土を盛って造った平坦な加工段には銀の製錬炉の跡が存在するなどが解明されているようです

減り始めていた石見銀の産銀量を飛躍的に増やしたという釜屋間歩
それに併せた「謎の岩盤遺構」、昔の人は凄いわ~(^O^)/

とっちんもそんな夢を見ないかな~

タネツケバナに似たこの花はハクサンハタザオ(白山旗竿)という花
鉱山や鉱脈のあるところに自生すると言われているらしい、う~ん見分けがつかない(^-^;

さ、後は下りるだけ・・
おお~、あれに見えるは三瓶山じゃございませんか、懐かしい~♪

これにて大久保間歩ツアーは終了で~す
お次は・・・・・?

昼休みにちょこっとブログの下書きをしています
今日は大久保間歩ツアーの続きです
ヘルメット、長靴、懐中電灯を返して、大久保間歩から再び登ります

なんだろ、この石切りは・・・説明あったっけ?

そして、馬を繋いでいたという跡をガイドさんが説明
ひょえ~、ここまで馬に乗って来たの?(◎_◎;)

登る途中には人が入れなさそうな間歩がたっくさん!

それもそのはず、600を超える間歩が点在しているそうな(*_*;

大久保間歩の中が涼し過ぎたので、まあ外の暑いこと(;´・ω・:)

登ること15分、釜屋(かまや)間歩に着きました

慶長年間に備中出身の山師、安原伝兵衛が夢のお告げで発見したと言われる間歩
2003年には、高さ18mの岩盤に三段のテラスと階段という巨大な遺構が発見されたとか

作られた時期や目的などまだ謎が多いそうですが
土を盛って造った平坦な加工段には銀の製錬炉の跡が存在するなどが解明されているようです

減り始めていた石見銀の産銀量を飛躍的に増やしたという釜屋間歩
それに併せた「謎の岩盤遺構」、昔の人は凄いわ~(^O^)/

とっちんもそんな夢を見ないかな~

タネツケバナに似たこの花はハクサンハタザオ(白山旗竿)という花
鉱山や鉱脈のあるところに自生すると言われているらしい、う~ん見分けがつかない(^-^;

さ、後は下りるだけ・・
おお~、あれに見えるは三瓶山じゃございませんか、懐かしい~♪

これにて大久保間歩ツアーは終了で~す
お次は・・・・・?

雨じゃ、雨じゃーーーーー!!! 待望の雨です
なんたって日照り続きで野菜が大きくならないんです
有り難いことに家の横をいつも涸れることなく山からの水が流れているので
それを引っ張ってきて毎日朝晩、義母が水やりを一生懸命やっているけど、なかなか・・・
昨日梅雨入りしたようで、ちょっと憂鬱な時季ではあるけれど
雨も降らないと夏の水にも困るというもの
近年多いゲリラ豪雨は御免こうむりたいですが
適度に降ってくれると嬉しいですね
さて3週間前の週末は昨年、娘の結婚式のときに二人からプレゼントされた旅行券を使い
二泊三日で山陰を旅してまいりました
いつものごとく、らぼっちの独断と偏見?で行き先や行程が決まりました
山陰方面と聞いてとっちんが出した案のうち、石見銀山だけが取り上げられた様子
何度かなにかを聞かれたけど何もわかるはずもなく・・・
と、ここで愚痴る(笑)
とっちんはその計画をじっくり見る暇もなかったので、ま、いいけど(ーー;)
そんなこんなで、19日の朝4時半に家を出発
なにせその日のうちに石見銀山を観終わるという予定です
九州自動車道、中国自動車道、浜田自動車道を経て
休憩を挿みながら「石見銀山世界遺産センター」に着いたのは9時半

そこで石見銀山の歴史や鉱山技術の説明を受けます
そして・・・

今年の4月から期間限定で始まっている要予約の「大久保間歩ツアー」に参加です
「石見銀山世界遺産センター」から約10分で到着

間歩(まぶ)とは坑道のこと、さあ、ここから山登りです
あれが石見銀山で最大のわんさか銀を産出した仙ノ山ですか、へ~(@_@)

まずは本谷口(ほんだにぐち)番所跡、江戸時代に利権を守るため
銀山周辺には柵が設置されていて、ここで輸送物資をあらためていたとか

この方が今回のツアーのガイドさん
あら、お顔がきれちゃってる、ごめんなさい

道は一部ウッドチップが敷いてあって歩きやすかったです
そうじゃないところは砂利で滑るみたい

この日は5月の半ばなのにとても暑かったんです
気付いてました?みんな竹の棒を持って歩いて、いえ登っています

登り始めて15分「金生坑」現る、大久保間歩からの搬出坑道として使われたと推測
ガイドさんからは採掘時の水を抜くためだとも聞いていたけど・・・

らぼっちも痛めた足を引きずりながら懸命に登っています
折り返しとはいえ、2時間30分もかかるツアーに自ら申し込んだので必死です(^-^;)

戦国時代から銀山争奪戦が繰り広げられた山
日本は最盛期に世界の銀の約3分の1を産出、その大部分を占めていたとか

歩き始めて20分、大久保間歩が見えてきました

ここでヘルメット、長靴、懐中電灯を借りて装備
カメラだけを持って、他の荷物は置いていきます

中は気温10度ということなので、上着を着こみます
準備万端、いざ入洞!

しまったーーー、スマホ置いてきちゃった
真っ暗なので、懐中電灯の明かりじゃシャッターが切れな~い(; ・`д・´)

でも、何枚か撮れてた・・・
ここは火山灰がかたまってできた石に銀を含んだ水がしみこみ、銀の鉱石ができたもの

高品質な銀鉱石「福石」の採掘場跡「福石場」の入り口
下からは霧?暗すぎて教室五つ分位の広さがある福石場の写真は撮れず(^-^;

大久保坑から入り突き当りのT字路を左、右カーブの先のぐちゃっとしたところが「福石場」です
7月からはもっと奥まで見れるようになるとか、今回は残念だったけどこれだけでも満足

大きさのわかる写真が撮れなかったので、説明板から拝借
こんな高さのある坑道だったんですよ

石見銀山は坑道がアリの巣のように広がる形で掘り広げた珍しい特殊な鉱山
1600万年くらい前の地層が銀鉱山として発見され、世界に知らしめしたんですね
世界遺産になったことは知っていたけど、こんなふうだったとは・・・
さあ、まだ登りますよ♪

なんたって日照り続きで野菜が大きくならないんです
有り難いことに家の横をいつも涸れることなく山からの水が流れているので
それを引っ張ってきて毎日朝晩、義母が水やりを一生懸命やっているけど、なかなか・・・
昨日梅雨入りしたようで、ちょっと憂鬱な時季ではあるけれど
雨も降らないと夏の水にも困るというもの
近年多いゲリラ豪雨は御免こうむりたいですが
適度に降ってくれると嬉しいですね
さて3週間前の週末は昨年、娘の結婚式のときに二人からプレゼントされた旅行券を使い
二泊三日で山陰を旅してまいりました
いつものごとく、らぼっちの独断と偏見?で行き先や行程が決まりました
山陰方面と聞いてとっちんが出した案のうち、石見銀山だけが取り上げられた様子
何度かなにかを聞かれたけど何もわかるはずもなく・・・
と、ここで愚痴る(笑)
とっちんはその計画をじっくり見る暇もなかったので、ま、いいけど(ーー;)
そんなこんなで、19日の朝4時半に家を出発
なにせその日のうちに石見銀山を観終わるという予定です
九州自動車道、中国自動車道、浜田自動車道を経て
休憩を挿みながら「石見銀山世界遺産センター」に着いたのは9時半

そこで石見銀山の歴史や鉱山技術の説明を受けます
そして・・・

今年の4月から期間限定で始まっている要予約の「大久保間歩ツアー」に参加です
「石見銀山世界遺産センター」から約10分で到着

間歩(まぶ)とは坑道のこと、さあ、ここから山登りです
あれが石見銀山で最大のわんさか銀を産出した仙ノ山ですか、へ~(@_@)

まずは本谷口(ほんだにぐち)番所跡、江戸時代に利権を守るため
銀山周辺には柵が設置されていて、ここで輸送物資をあらためていたとか

この方が今回のツアーのガイドさん
あら、お顔がきれちゃってる、ごめんなさい

道は一部ウッドチップが敷いてあって歩きやすかったです
そうじゃないところは砂利で滑るみたい

この日は5月の半ばなのにとても暑かったんです
気付いてました?みんな竹の棒を持って歩いて、いえ登っています

登り始めて15分「金生坑」現る、大久保間歩からの搬出坑道として使われたと推測
ガイドさんからは採掘時の水を抜くためだとも聞いていたけど・・・

らぼっちも痛めた足を引きずりながら懸命に登っています
折り返しとはいえ、2時間30分もかかるツアーに自ら申し込んだので必死です(^-^;)

戦国時代から銀山争奪戦が繰り広げられた山
日本は最盛期に世界の銀の約3分の1を産出、その大部分を占めていたとか

歩き始めて20分、大久保間歩が見えてきました

ここでヘルメット、長靴、懐中電灯を借りて装備
カメラだけを持って、他の荷物は置いていきます

中は気温10度ということなので、上着を着こみます
準備万端、いざ入洞!

しまったーーー、スマホ置いてきちゃった
真っ暗なので、懐中電灯の明かりじゃシャッターが切れな~い(; ・`д・´)

でも、何枚か撮れてた・・・
ここは火山灰がかたまってできた石に銀を含んだ水がしみこみ、銀の鉱石ができたもの

高品質な銀鉱石「福石」の採掘場跡「福石場」の入り口
下からは霧?暗すぎて教室五つ分位の広さがある福石場の写真は撮れず(^-^;

大久保坑から入り突き当りのT字路を左、右カーブの先のぐちゃっとしたところが「福石場」です
7月からはもっと奥まで見れるようになるとか、今回は残念だったけどこれだけでも満足

大きさのわかる写真が撮れなかったので、説明板から拝借
こんな高さのある坑道だったんですよ

石見銀山は坑道がアリの巣のように広がる形で掘り広げた珍しい特殊な鉱山
1600万年くらい前の地層が銀鉱山として発見され、世界に知らしめしたんですね
世界遺産になったことは知っていたけど、こんなふうだったとは・・・
さあ、まだ登りますよ♪

<石見銀山 仙ノ山>
[アクセス] 地図はコチラ
義父が大事にしていた黒松
今年もみどり摘みの時季がやってきました
こんな新芽を摘んでいくのですが
今年の作業はやけに楽チンです
昨秋、義父の従兄弟さんに思いきった剪定をしてもらったから?
いやいや、とっちんの腕が上がったんじゃ?(笑)
ま、そういうことにしておこう(^_−)−☆
さあて、お次は五葉松!
ちょっと脚立を使うくらい大きいのでヒマかかるだろうな〜(^^;;
今年もみどり摘みの時季がやってきました
こんな新芽を摘んでいくのですが
今年の作業はやけに楽チンです
昨秋、義父の従兄弟さんに思いきった剪定をしてもらったから?
いやいや、とっちんの腕が上がったんじゃ?(笑)
ま、そういうことにしておこう(^_−)−☆
さあて、お次は五葉松!
ちょっと脚立を使うくらい大きいのでヒマかかるだろうな〜(^^;;