今月の半ば過ぎ、確か昼前にピンポ~ンとチャイムの音
「誰だ、今ごろ」と思いつつインターホンを取ると「お届け物で~す」との声
玄関に出ると宅配便の若いにいちゃんが、荷物をふたつ持ち
「ひとつは夜の時間指定があるんですけど、いいですか?」と聞いてきた
いいですか?ってもう持ってきちゃったんでしょう
ダメって言ったら持って帰るつもり?
と、ふと思ったけど心優しい?とっちんは「いいよ~!」と言って受け取りました^^
誰から?と差出人を見るとふたつとも娘です
なんじゃ~?「母の日」もすっかり過ぎたころなのに・・・
あ、そうかそうか、忙しかったので遅ればせながらの「母の日」ってことか
メールもよこさなかったのに、あいつもやるじゃん♪
でも、なんでふたつもあるの?
あり?ふたつとも宛名はらぼっちになってる~(-_-;)
おまけに夜届くはずだったほうの荷物は要冷蔵だし
ちょっとかさばる箱ごと冷蔵庫に無理やり入れてらぼっちが帰ってくるのを待ちました
そして帰ってきたらぼっちが言いました
「よかったじゃん、母の日のプレゼントが来て」
「でも、らぼっち宛てでふたつもあるんだよ」
「はあ?なんだって?」と、らぼっちも首をかしげます
なんだかわかんないけどとりあえず、開けてみよう
あら~、なんと♪
日頃はビールと焼酎しか飲まないけど、優雅にワインでもいいね
あ、そうそうもうひとつ冷蔵庫のものはっと・・
おお~、ワインとチーズだよ
セットで送ってきたんだ^^
仕事中だろうからと娘にありがとうとメールすると
『初任給と母の日と父の日全部まとめたやつだから 笑』と返ってきた
あいつらしいと笑いながらも
「結構無理したんじゃないかね」とふたりで娘に感謝したのです
で、ちょっと寝かせておいて
ゆっくりじっくり味わって飲んだのが先週末でした
「かんぱ~い!」と言いながらグラスを重ねたら
『ボヨ~~ン』て音がした(>_<)
『カキーーン』みたいなきれいに響く音がするもんだと思ったから
あれ?っと何回か同じようにしてみたけど、やっぱり『ボヨ~~ン』
本格的なワイングラスってこんなもん?
今まで飲んでたオマケのグラスよりも大きくて持ちにくいし(笑)
ワインは初めて見るニュージーランドのもの
そしてチーズはスイス、フランス、オランダのナチュラルチーズ
なんでも大学の友達のところで食べたチーズが美味しかったらしい
ワインとか飲めないのにね^^;

・・・・・・・・
小さい時は活発に動きまわるので
長袖の袖口が擦り切れ、靴はすぐに破れてた
小学校じゃ友達からいじめられたこともあったっけ
それでもめげず、誰にも頼らず休むこともなく学校に行った
あまり目立つことを好まなかったのに
何を思ったのか、突然人の前に出たこともあった
成長するにつれ、何を考えているのかわからず
親にも意見したり、反対に黙り込んだりもした
そんな娘が中学校の時から進みたかった道を今、歩んでいます
仕事が忙しく帰りが遅くなることもあるのに、五月病にもならず
「楽しいよ、好きなことができるので幸せだよ」と言います
末っ子なので甘やかし過ぎたかな、と反省する親ですが
どうにか会社で使ってもらえているようです
そして親のことも考えてくれる余裕も^^
あ、もしかして
ケンカせずに仲良くしなさいという暗示が込められているのかも(笑)
「誰だ、今ごろ」と思いつつインターホンを取ると「お届け物で~す」との声
玄関に出ると宅配便の若いにいちゃんが、荷物をふたつ持ち
「ひとつは夜の時間指定があるんですけど、いいですか?」と聞いてきた
いいですか?ってもう持ってきちゃったんでしょう
ダメって言ったら持って帰るつもり?
と、ふと思ったけど心優しい?とっちんは「いいよ~!」と言って受け取りました^^
誰から?と差出人を見るとふたつとも娘です
なんじゃ~?「母の日」もすっかり過ぎたころなのに・・・
あ、そうかそうか、忙しかったので遅ればせながらの「母の日」ってことか
メールもよこさなかったのに、あいつもやるじゃん♪
でも、なんでふたつもあるの?
あり?ふたつとも宛名はらぼっちになってる~(-_-;)
おまけに夜届くはずだったほうの荷物は要冷蔵だし
ちょっとかさばる箱ごと冷蔵庫に無理やり入れてらぼっちが帰ってくるのを待ちました
そして帰ってきたらぼっちが言いました
「よかったじゃん、母の日のプレゼントが来て」
「でも、らぼっち宛てでふたつもあるんだよ」
「はあ?なんだって?」と、らぼっちも首をかしげます
なんだかわかんないけどとりあえず、開けてみよう

あら~、なんと♪

日頃はビールと焼酎しか飲まないけど、優雅にワインでもいいね
あ、そうそうもうひとつ冷蔵庫のものはっと・・
おお~、ワインとチーズだよ
セットで送ってきたんだ^^

仕事中だろうからと娘にありがとうとメールすると
『初任給と母の日と父の日全部まとめたやつだから 笑』と返ってきた
あいつらしいと笑いながらも
「結構無理したんじゃないかね」とふたりで娘に感謝したのです
で、ちょっと寝かせておいて
ゆっくりじっくり味わって飲んだのが先週末でした

「かんぱ~い!」と言いながらグラスを重ねたら
『ボヨ~~ン』て音がした(>_<)
『カキーーン』みたいなきれいに響く音がするもんだと思ったから
あれ?っと何回か同じようにしてみたけど、やっぱり『ボヨ~~ン』
本格的なワイングラスってこんなもん?
今まで飲んでたオマケのグラスよりも大きくて持ちにくいし(笑)
ワインは初めて見るニュージーランドのもの
そしてチーズはスイス、フランス、オランダのナチュラルチーズ
なんでも大学の友達のところで食べたチーズが美味しかったらしい
ワインとか飲めないのにね^^;

・・・・・・・・
小さい時は活発に動きまわるので
長袖の袖口が擦り切れ、靴はすぐに破れてた
小学校じゃ友達からいじめられたこともあったっけ
それでもめげず、誰にも頼らず休むこともなく学校に行った
あまり目立つことを好まなかったのに
何を思ったのか、突然人の前に出たこともあった
成長するにつれ、何を考えているのかわからず
親にも意見したり、反対に黙り込んだりもした
そんな娘が中学校の時から進みたかった道を今、歩んでいます
仕事が忙しく帰りが遅くなることもあるのに、五月病にもならず
「楽しいよ、好きなことができるので幸せだよ」と言います
末っ子なので甘やかし過ぎたかな、と反省する親ですが
どうにか会社で使ってもらえているようです
そして親のことも考えてくれる余裕も^^
あ、もしかして
ケンカせずに仲良くしなさいという暗示が込められているのかも(笑)
ジャイアンツの杉内、そう元ソフトバンクの杉内
杉内はソフトバンク命と決めていたのに心無い球団幹部の一言によって
今シーズンから、巨人を新天地としてがんばっています
そんな、杉内が大記録を打ち立てました、ノーヒットノーラン!!
しかも9回ツーアウトまでは一人のランナーも出さない完全試合ペースでした
惜しいかな、最後のバッターに四球を与えてしまいましたが見事な投球
これできつい巨人ファンからも認められることでしょう
あーっ、返す返すも惜しいピッチャーを失ったソフトバンク
右肩下がりの今シーズンの成績もやむを得ないか(>_<)
ラ・クイントに向かう前、河尻神宮に行ってきました
この木に会いにです^^
何かわかりますか?
河尻神宮というと、このヒイラギです
前にも来たことあるんですけどね、アップしてないみたい
なんてこったい(>_<)
この柊、すごいんですよ~☆
あ、日本一?だったんだ(笑)
老樹ということはわかっていましたが・・・よく読んでなかったのね^^;
でも、樹齢400年とか450年とか日本一のヒイラギと謳ってるところは結構あるんですよね
ここのヒイラギは樹齢何年なんだろう?
いや樹齢は何年でも、すごいことには間違いなし!
老樹でもあり妖樹でもあります
「ねえ~、この葉っぱとげとげしてないよ~」と言うらぼっち
「え~?ヒイラギは老木になると葉っぱが丸くなるって言ったことなかったっけ?」
「年を取って丸くなるって、ほら人間も言うじゃない」と、とっちんが言うと
「年を取っても丸くならないヤツはいっぱいいるし、丸くなりたくないっていうか・・・」
何をぶちぶち言ってんだか(-_-;)
らぼっちの人生論はどっかに置いといてください!
しかしこのヒイラギは老樹といえどたくましいんですよね
うねうねした幹からは、まだ若々しい枝も出しています
でも、ちょっと要支援状態なのかな
そう思いながら幹の根元を見ると
あ~、とげとげの葉っぱもある♪
これは次世代のヒイラギになるのでしょうかね
よく見れば、幹にくっついたような小さい枝にも少しはとげとげの葉がありました
とっちんが「花が咲いている時に来たら、いい香りするんだろうね」と言ったら
「え~?ヒイラギって花が咲くの?」と驚くらぼっち
「何言ってるの?キンモクセイに似た香りの花が咲くのよ、説明にも書いてあるじゃん」
「へえ~~~」
おいおい、説明はちゃんと読もうよ
それじゃなくても二人ともどこか抜けてんだからさ!!
河尻神宮のヒイラギの前でボケとツッコミを繰り返す二人のお話でした^^;
杉内はソフトバンク命と決めていたのに心無い球団幹部の一言によって
今シーズンから、巨人を新天地としてがんばっています
そんな、杉内が大記録を打ち立てました、ノーヒットノーラン!!
しかも9回ツーアウトまでは一人のランナーも出さない完全試合ペースでした
惜しいかな、最後のバッターに四球を与えてしまいましたが見事な投球
これできつい巨人ファンからも認められることでしょう
あーっ、返す返すも惜しいピッチャーを失ったソフトバンク
右肩下がりの今シーズンの成績もやむを得ないか(>_<)
ラ・クイントに向かう前、河尻神宮に行ってきました

この木に会いにです^^

何かわかりますか?
河尻神宮というと、このヒイラギです
前にも来たことあるんですけどね、アップしてないみたい
なんてこったい(>_<)
この柊、すごいんですよ~☆

あ、日本一?だったんだ(笑)
老樹ということはわかっていましたが・・・よく読んでなかったのね^^;
でも、樹齢400年とか450年とか日本一のヒイラギと謳ってるところは結構あるんですよね
ここのヒイラギは樹齢何年なんだろう?

いや樹齢は何年でも、すごいことには間違いなし!
老樹でもあり妖樹でもあります
「ねえ~、この葉っぱとげとげしてないよ~」と言うらぼっち
「え~?ヒイラギは老木になると葉っぱが丸くなるって言ったことなかったっけ?」

「年を取って丸くなるって、ほら人間も言うじゃない」と、とっちんが言うと
「年を取っても丸くならないヤツはいっぱいいるし、丸くなりたくないっていうか・・・」
何をぶちぶち言ってんだか(-_-;)
らぼっちの人生論はどっかに置いといてください!
しかしこのヒイラギは老樹といえどたくましいんですよね
うねうねした幹からは、まだ若々しい枝も出しています

でも、ちょっと要支援状態なのかな

そう思いながら幹の根元を見ると
あ~、とげとげの葉っぱもある♪

これは次世代のヒイラギになるのでしょうかね
よく見れば、幹にくっついたような小さい枝にも少しはとげとげの葉がありました
とっちんが「花が咲いている時に来たら、いい香りするんだろうね」と言ったら
「え~?ヒイラギって花が咲くの?」と驚くらぼっち
「何言ってるの?キンモクセイに似た香りの花が咲くのよ、説明にも書いてあるじゃん」
「へえ~~~」
おいおい、説明はちゃんと読もうよ
それじゃなくても二人ともどこか抜けてんだからさ!!

河尻神宮のヒイラギの前でボケとツッコミを繰り返す二人のお話でした^^;
<河尻神宮>
[アクセス]地図はコチラ
先々週の日曜日和水町で産業遺構を見せていただいた折
午後の集合時間に遅れてはいけないと
前もってお弁当を買っておいて食べることにしたのです
七城メロンドームで徳之島でお世話になった方に肥後グリーンメロンを送り
そのついでにお弁当を覗きこんでおりました
最近の道の駅は、野菜果物だけじゃなくいろんなものに力が入っています
お土産ものやスイーツもしかり、そしてお弁当もその一つかもしれません
安いし、いろんなおかずも入っていて、種類も豊富
迷って迷って結局、ふたりとも同じお弁当になっちゃった^^;
で、どこで食べようか、う~ん
この前の週は神社だったしな~(笑)
どうせなら公園がいいよね、木陰のある(^^)
けれどこんな時ってなぜか小さい公園すらないんですよね
この日の目的地に近付いて、とうとう通り過ぎちまったよ(笑)
そしてたどり着いたのが、こちら「江田船山古墳」
いろんな木が植わってたんだね^^
はいピクニックランチ、神社の次は古代のお墓です
我が家らしいっちゅうもんでしょ(笑)
一応公園だもんね~^^
ここには何度か来てるんだけど、お弁当を食べるのは初めて!
お、こんな子がいたんだ、気がつかなかった
この子はベストなんぞ着てるぞ^^;
さて、お弁当お弁当っと♪
ネーミングがいいでしょ、「愛す弁当」って^^
らぼっちの~☆
同じだけど とっちんの~☆
ありゃ?
卵が違うだけの同じものだと思ってたら
から揚げと魚、煮物、たくわんが同じであとは全部違っていました
ご飯だってきのこの炊き込みご飯と高菜飯だったし・・
う~ん道の駅のお弁当、侮れませんな(^_-)
おっと、おじいちゃんとおばあちゃんがお孫さん二人連れてピクニックランチしてる^^
いいなあ~、4人とも楽しそう♪
こちらは「虚空蔵塚(こくんぞうづか)古墳」
クスの緑が鮮やか~^^
帆立貝式の前方後円墳らしいけど、前方部は失われてしまったんだとか
子供たちが楽しそうに遊んでいたけど
とっちんは古墳の上で遊ばせる気にはちとならないな^^;
「これな~に?」と、らぼっち
「あんた、田舎者なのに柿の花も知らないの?」
勉強ばっかしてた・・・わけないし、いかに観察力がなかったかよね^^;
「じゃ、これはな~に?」と、再びらぼっち
「これは桜の実、ソメイヨシノの実だからさくらんぼとは違・・・・・う、へ?」
「にがーーーーーっ!!ぺっぺっぺ」
mamさ~ん、らぼっちが食べたのこれだったんですよ
桜の木になる実はどれでもさくらんぼと思っていたみたいです^^;
普通こんなの食べるかな?
やっぱ普通じゃない人間です(笑)
この後、まだちょっと時間があるからと「江田船山古墳」に向かうらぼっち
ここ清原(せいばる)古墳群の中でも最古・最大の古墳ですから、無理もないか
もちろんとっちんは遠目で見ていることにしました
あら?扉が開いた
どうも入れるようになってるらしい
あ、本当に入っちゃった
5世紀後半に築造された、墳長62mの前方後円墳で内部に横口式石棺があるとか
国の史跡にもなっていて、豊富に出土した副葬品の多くは国宝にも指定されています
ここにはありませんよ
東京国立博物館に所蔵されているみたいです
75文字の漢字が象嵌(ぞうがん)された銀錯銘大刀(ぎんさくめいたち)が有名らしい
小・中・高校の歴史教科書にも取り上げられているとあったけど
そんなのあったっけ?^^;
「夢のお告げ」で掘ったことが、出土品を発見することになったこの古墳
明治時代の話ですが、その方のおかげで今の江田船山古墳があるのですね
それにしても出てこないな~
待てど暮らせど出てこない、何かあったのかな
この古墳の被葬者の3人にとっつかまっちゃった?
どうしよう~(+o+)
とっちんも一緒に入ったほうがよかったのかと
意を決して扉に近づこうとしたら、やっと姿が見えた(>_<)
「なんかいろんなすごいものが展示してあったよ」興奮気味に声高に語るらぼっち
照明があっても暗いのでじっくり見てきたって!
出てこないからマジで心配したと話したら、大笑いされた (;¬_¬)
くやしかったので「そこでこけろ!」と念じたけど、何事もなく車に乗り込んだ
無駄な念力だったわ(>_<)
お弁当は美味しかったけど、ちっともおもしろくないとっちんでした
午後の集合時間に遅れてはいけないと
前もってお弁当を買っておいて食べることにしたのです
七城メロンドームで徳之島でお世話になった方に肥後グリーンメロンを送り
そのついでにお弁当を覗きこんでおりました
最近の道の駅は、野菜果物だけじゃなくいろんなものに力が入っています
お土産ものやスイーツもしかり、そしてお弁当もその一つかもしれません
安いし、いろんなおかずも入っていて、種類も豊富
迷って迷って結局、ふたりとも同じお弁当になっちゃった^^;
で、どこで食べようか、う~ん
この前の週は神社だったしな~(笑)
どうせなら公園がいいよね、木陰のある(^^)
けれどこんな時ってなぜか小さい公園すらないんですよね
この日の目的地に近付いて、とうとう通り過ぎちまったよ(笑)
そしてたどり着いたのが、こちら「江田船山古墳」
いろんな木が植わってたんだね^^

はいピクニックランチ、神社の次は古代のお墓です
我が家らしいっちゅうもんでしょ(笑)
一応公園だもんね~^^
ここには何度か来てるんだけど、お弁当を食べるのは初めて!
お、こんな子がいたんだ、気がつかなかった

この子はベストなんぞ着てるぞ^^;

さて、お弁当お弁当っと♪
ネーミングがいいでしょ、「愛す弁当」って^^
らぼっちの~☆

同じだけど とっちんの~☆

ありゃ?
卵が違うだけの同じものだと思ってたら
から揚げと魚、煮物、たくわんが同じであとは全部違っていました
ご飯だってきのこの炊き込みご飯と高菜飯だったし・・
う~ん道の駅のお弁当、侮れませんな(^_-)
おっと、おじいちゃんとおばあちゃんがお孫さん二人連れてピクニックランチしてる^^

いいなあ~、4人とも楽しそう♪
こちらは「虚空蔵塚(こくんぞうづか)古墳」
クスの緑が鮮やか~^^

帆立貝式の前方後円墳らしいけど、前方部は失われてしまったんだとか
子供たちが楽しそうに遊んでいたけど
とっちんは古墳の上で遊ばせる気にはちとならないな^^;

「これな~に?」と、らぼっち

「あんた、田舎者なのに柿の花も知らないの?」
勉強ばっかしてた・・・わけないし、いかに観察力がなかったかよね^^;
「じゃ、これはな~に?」と、再びらぼっち

「これは桜の実、ソメイヨシノの実だからさくらんぼとは違・・・・・う、へ?」
「にがーーーーーっ!!ぺっぺっぺ」
mamさ~ん、らぼっちが食べたのこれだったんですよ
桜の木になる実はどれでもさくらんぼと思っていたみたいです^^;
普通こんなの食べるかな?
やっぱ普通じゃない人間です(笑)
この後、まだちょっと時間があるからと「江田船山古墳」に向かうらぼっち
ここ清原(せいばる)古墳群の中でも最古・最大の古墳ですから、無理もないか

もちろんとっちんは遠目で見ていることにしました
あら?扉が開いた
どうも入れるようになってるらしい

あ、本当に入っちゃった
5世紀後半に築造された、墳長62mの前方後円墳で内部に横口式石棺があるとか
国の史跡にもなっていて、豊富に出土した副葬品の多くは国宝にも指定されています
ここにはありませんよ
東京国立博物館に所蔵されているみたいです
75文字の漢字が象嵌(ぞうがん)された銀錯銘大刀(ぎんさくめいたち)が有名らしい
小・中・高校の歴史教科書にも取り上げられているとあったけど
そんなのあったっけ?^^;
「夢のお告げ」で掘ったことが、出土品を発見することになったこの古墳
明治時代の話ですが、その方のおかげで今の江田船山古墳があるのですね

それにしても出てこないな~
待てど暮らせど出てこない、何かあったのかな
この古墳の被葬者の3人にとっつかまっちゃった?
どうしよう~(+o+)
とっちんも一緒に入ったほうがよかったのかと
意を決して扉に近づこうとしたら、やっと姿が見えた(>_<)

「なんかいろんなすごいものが展示してあったよ」興奮気味に声高に語るらぼっち
照明があっても暗いのでじっくり見てきたって!
出てこないからマジで心配したと話したら、大笑いされた (;¬_¬)
くやしかったので「そこでこけろ!」と念じたけど、何事もなく車に乗り込んだ
無駄な念力だったわ(>_<)
お弁当は美味しかったけど、ちっともおもしろくないとっちんでした

<江田船山古墳>
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先週、いやもう先々週の土曜日の話か・・・
その日は、鹿児島から★夢叶男★さんが熊本に戻ってこられるというので
どこか、ランチでもしながらお話しようとなりました
グルメでもない熟年がお店を探すことになったから、さあ大変(>_<)
市内でも南部のほうが都合がいいんじゃないかと
二人してあーでもないこーでもない、ここはイマイチあそこはどうだ(笑)
そして決めたのが、男性二人でされている「ラ・クイント」さんです
念のため予約をしとこうと電話した時、当日はフロアの方がお休みだとのことで
11時半からお願いしようとしたら、ちょっと無理のようで、12時半でOKが取れました
★夢叶男★さんを待たせてはいけないと早めにお店に着くはずが
何を間違ったか時間をロスしてしまい、5分前にやっと到着(>_<)
案の定、待たせてしまっていました、ごめんなさい~m(_ _)m
かなりの爽やかイケメンくん♪
どうもどうもと駐車場で慌ただしく自己紹介
裏の駐車場から見たお店
なんとなく公民館に見えてしまった(笑)
おや?うちらの他には車は一台しか停まってなかったぞ
でも満席だって!
こちらが入口です
一枚目の写真のところが入口と間違えたらしい★夢叶男★さん
無理もありません、メニュー板がなかったら勝手口みたいだもんね^^;
お店に入ると、シェフから時間をずらせたことへのお詫びを言われました
なんの、急ぐわけでもなかったので全然問題ないとその時は言ったんです
予約席に座ると、4人連れの先客がひと組いらっしゃいました
それでわかったのです
客に待たせないようひと組ずつ対応しようというおもてなしの気持ちで
時間のことを言われたり、満席と出されたりしたんだと♪
早速出てきたのが、ワイン♪・・・なんちゃって(笑)
お冷です、このボトルのまま冷蔵庫に入れて冷やしてありました
暑かったので、この冷たい水がおいしかった^^
しゃべりながらもメニューをしっかり見て決定!!
あ、メニューの写真、ないわ(>_<)
あ、店内の写真も、ないわ(>_<)
ま、いっか~(笑)
こちら3種の前菜と3種のメインから選べる方式?になってます
いろいろと話していると息子たちと同年代の★夢叶男★さん
人に対して温かく、何にでも前向きで素早い行動力には敬服します
ただ年を取っただけの熟年ふたりと違って
今、自分にできることは?どうしたら人に喜んでもらえるか?といつも考えているとか
すごいな~、えらいな~と感心していると
自家製のパンが出てきました
これがとても味わい深いパンで、オリーブオイルとよく合うんです
オリーブオイルに合わないパンって結構あると思うんですけど
こちらのはパンだけでも美味しいし、つけてもうまい♪
前菜はなぜか3人とも「自家製ベーコンのサラダ」(そういう名前だったと思う^^;)
かかっているのはバルサミコソース
肉は苦手のとっちんがらぼっちにもやらず自分の分はペロッと食べちゃった^^
そしてメインは3人ともバラバラで3種3様
話し合ってもないのに(笑)
まずは、らぼっちの「焼きリゾットとハンバーグ」(だったかな^^;)
焼きリゾットも変わっていて美味しかったけど
四角いハンバーグ?は味付けがちょうどよくてすっごく美味だったんです
肉が苦手の(枕詞か!)とっちんが、ほんのひと口もらって
次はこれを注文しようと決めたんですから(笑)
で、そのとっちんは「サーモンとほうれん草のパスタ」(たぶん^^;)
量が少なめかと思いきや、サーモンが大きくてお腹いっぱい^^
パスタはもっちりとしていて美味しかったんだけど
欲を言えば、もう少しペッパーが効いていてもよかったかな
★夢叶男★さんは「タンの煮込みとカネロニ」?
ちょっと絵づらとしてはグロイかな^^;
こちらは味の予想が全然つきません、「ちょっと頂戴!」と言うわけにもいかず^^;
次回、らぼっちにオーダーさせようっと(笑)
この時くらいにもうひと組のお客さんが来られました
デザートは「白いコーヒーアイス」
これって不思議ですよね~、しっかりコーヒーの味わいなんです
コーヒーは黒いものっていう固定概念があるからか、ギャップに戸惑います
飲み物はアイスコーヒーだったり、ホットコーヒーだったり
らぼっちだけは「ルビーグレープフルーツジュース」
頃合いよくシェフがコーヒーのおかわりを持ってきてくださったので
ありがたく頂戴したとっちんでした、嬉しかった~^^
食事が終わり、★夢叶男★さんからいいものを見せていただきました
彼が東日本の被災地の方たちに結婚式でのプロフィールビデオを無料で作っておられるのですが
ほんのちらっとだけ、らぼっちが手伝ったビデオを持ってきてくださったんです
熟年ふたりがしっかり映りこんでいますが、お気になさらずに^^;
★夢叶男★さんの優しさや人柄があふれ出ています
仕事も忙しくて大変なのに、大丈夫かと思うくらい献身的にされています
らぼっちのお手伝いなんて爪の先にもなってはいませんが
涙が溢れてきそうなくらい感動するものでした
まだまだ東日本大震災の被災者のために無料ビデオを作成したいそうですが
体力と時間の問題もあってなかなか受けられないそうです
らぼっちだけでは頼りないというのもありそうですね^m^
もし我こそはという方がおられたら、★夢叶男★さんか、熟年夫婦に
お知らせください♪
そんなこんなで長居をしてしまった3人
申し訳ないなと思いながら、会計を済ませてお店を出ると
カウンターにあったパンを3本持って出てこられたシェフ
「時間を変更していただいてありがとうございました、これをどうぞ!」
と差し出されるじゃないですか
「へ?そんなことでこんなにたくさんいただくわけには・・・」と遠慮するも
人が良く、腰も低いシェフは強引に私たちの手に載せてしまいました^^;
こんなにしてもらってもいいものだろうか・・
でも、でも、やったー!このパン美味しかったもん♪
シェフ、すみません、ご馳走様でしたm(__)m
とっても美味しかったです^^
たいへん心地の良い時間を過ごさせていただきました
こうして★夢叶男★さんと、行ってみたかった「ラ・クイント」さんで
初対面を成し遂げ、刺激を受けまくった熟年なのでした^^v
その日は、鹿児島から★夢叶男★さんが熊本に戻ってこられるというので
どこか、ランチでもしながらお話しようとなりました
グルメでもない熟年がお店を探すことになったから、さあ大変(>_<)
市内でも南部のほうが都合がいいんじゃないかと
二人してあーでもないこーでもない、ここはイマイチあそこはどうだ(笑)
そして決めたのが、男性二人でされている「ラ・クイント」さんです

念のため予約をしとこうと電話した時、当日はフロアの方がお休みだとのことで
11時半からお願いしようとしたら、ちょっと無理のようで、12時半でOKが取れました
★夢叶男★さんを待たせてはいけないと早めにお店に着くはずが
何を間違ったか時間をロスしてしまい、5分前にやっと到着(>_<)
案の定、待たせてしまっていました、ごめんなさい~m(_ _)m
かなりの爽やかイケメンくん♪
どうもどうもと駐車場で慌ただしく自己紹介
裏の駐車場から見たお店
なんとなく公民館に見えてしまった(笑)

おや?うちらの他には車は一台しか停まってなかったぞ
でも満席だって!

こちらが入口です

一枚目の写真のところが入口と間違えたらしい★夢叶男★さん
無理もありません、メニュー板がなかったら勝手口みたいだもんね^^;
お店に入ると、シェフから時間をずらせたことへのお詫びを言われました
なんの、急ぐわけでもなかったので全然問題ないとその時は言ったんです
予約席に座ると、4人連れの先客がひと組いらっしゃいました
それでわかったのです
客に待たせないようひと組ずつ対応しようというおもてなしの気持ちで
時間のことを言われたり、満席と出されたりしたんだと♪
早速出てきたのが、ワイン♪・・・なんちゃって(笑)

お冷です、このボトルのまま冷蔵庫に入れて冷やしてありました
暑かったので、この冷たい水がおいしかった^^
しゃべりながらもメニューをしっかり見て決定!!
あ、メニューの写真、ないわ(>_<)
あ、店内の写真も、ないわ(>_<)
ま、いっか~(笑)
こちら3種の前菜と3種のメインから選べる方式?になってます
いろいろと話していると息子たちと同年代の★夢叶男★さん
人に対して温かく、何にでも前向きで素早い行動力には敬服します
ただ年を取っただけの熟年ふたりと違って
今、自分にできることは?どうしたら人に喜んでもらえるか?といつも考えているとか
すごいな~、えらいな~と感心していると
自家製のパンが出てきました
これがとても味わい深いパンで、オリーブオイルとよく合うんです

オリーブオイルに合わないパンって結構あると思うんですけど
こちらのはパンだけでも美味しいし、つけてもうまい♪
前菜はなぜか3人とも「自家製ベーコンのサラダ」(そういう名前だったと思う^^;)

かかっているのはバルサミコソース
肉は苦手のとっちんがらぼっちにもやらず自分の分はペロッと食べちゃった^^
そしてメインは3人ともバラバラで3種3様
話し合ってもないのに(笑)
まずは、らぼっちの「焼きリゾットとハンバーグ」(だったかな^^;)

焼きリゾットも変わっていて美味しかったけど
四角いハンバーグ?は味付けがちょうどよくてすっごく美味だったんです
肉が苦手の(枕詞か!)とっちんが、ほんのひと口もらって
次はこれを注文しようと決めたんですから(笑)
で、そのとっちんは「サーモンとほうれん草のパスタ」(たぶん^^;)

量が少なめかと思いきや、サーモンが大きくてお腹いっぱい^^
パスタはもっちりとしていて美味しかったんだけど
欲を言えば、もう少しペッパーが効いていてもよかったかな
★夢叶男★さんは「タンの煮込みとカネロニ」?
ちょっと絵づらとしてはグロイかな^^;

こちらは味の予想が全然つきません、「ちょっと頂戴!」と言うわけにもいかず^^;
次回、らぼっちにオーダーさせようっと(笑)
この時くらいにもうひと組のお客さんが来られました
デザートは「白いコーヒーアイス」

これって不思議ですよね~、しっかりコーヒーの味わいなんです
コーヒーは黒いものっていう固定概念があるからか、ギャップに戸惑います
飲み物はアイスコーヒーだったり、ホットコーヒーだったり
らぼっちだけは「ルビーグレープフルーツジュース」

頃合いよくシェフがコーヒーのおかわりを持ってきてくださったので
ありがたく頂戴したとっちんでした、嬉しかった~^^
食事が終わり、★夢叶男★さんからいいものを見せていただきました
彼が東日本の被災地の方たちに結婚式でのプロフィールビデオを無料で作っておられるのですが
ほんのちらっとだけ、らぼっちが手伝ったビデオを持ってきてくださったんです
熟年ふたりがしっかり映りこんでいますが、お気になさらずに^^;

★夢叶男★さんの優しさや人柄があふれ出ています
仕事も忙しくて大変なのに、大丈夫かと思うくらい献身的にされています
らぼっちのお手伝いなんて爪の先にもなってはいませんが
涙が溢れてきそうなくらい感動するものでした
まだまだ東日本大震災の被災者のために無料ビデオを作成したいそうですが
体力と時間の問題もあってなかなか受けられないそうです
らぼっちだけでは頼りないというのもありそうですね^m^
もし我こそはという方がおられたら、★夢叶男★さんか、熟年夫婦に
お知らせください♪
そんなこんなで長居をしてしまった3人
申し訳ないなと思いながら、会計を済ませてお店を出ると
カウンターにあったパンを3本持って出てこられたシェフ
「時間を変更していただいてありがとうございました、これをどうぞ!」
と差し出されるじゃないですか

「へ?そんなことでこんなにたくさんいただくわけには・・・」と遠慮するも
人が良く、腰も低いシェフは強引に私たちの手に載せてしまいました^^;
こんなにしてもらってもいいものだろうか・・
でも、でも、やったー!このパン美味しかったもん♪
シェフ、すみません、ご馳走様でしたm(__)m
とっても美味しかったです^^
たいへん心地の良い時間を過ごさせていただきました
こうして★夢叶男★さんと、行ってみたかった「ラ・クイント」さんで
初対面を成し遂げ、刺激を受けまくった熟年なのでした^^v
<ラ・クイント>
[所在地]熊本県熊本市南区鳶町1-7-15
[TEL] 096-357-9768
[駐車場]前3台、裏5台
[アクセス]地図はコチラ
昨日はTKUでも生放送されていた「なでしこリーグ」
INAC神戸レオネッサVS岡山 湯郷Belleの観戦に行ってきました
入場券は1ヶ月も前から購入してて、ウッシッシ(^_-)
この日を楽しみにしていたのは言うまでもありません
問題はどうやってKKウィングに行くか
間違いなく1万人以上は来場するだろうし
高校総体とも重なって会場の駐車場は使えない
ならばシャトルバスってなりますが
なんと、完全予約制で1800円って、これ信じられます?
ここで熟年夫婦は考えた
人が歩くということを選択しないような場所に駐車場はないか
狙い目の白川沿いの町民グランドに早朝から行ってみると
あちゃーっ、進入禁止!
ということで、次に考えていた白川を渡った場所へ
県民総合運動公園にはちょっと遠くなるけど
こんなところに停める人はいないよね
どこに停めたかは、また後の記事で^m^
3km以上歩き、開場1時間前に到着
会場外の店も既にオープンしているではありませんか
おやつの黒糖ドーナツ棒や応援グッズを購入^^
開場待ちは50m以上の行列でしたが
折りたたみ椅子を抱えて歩いてきたので待つのはへっちゃら^^
ようやく、KKウィング入場!
いつもながらくまモンは見ているだけで面白い
いっぽうロアッソくんはただ歩くだけ、つまらん・・・
なんでくまモンが人気あるのか、ロアッソ関係者ももっと考えてほしい
早々と弁当を食べながら待っていると、おーっと練習開始だ!!
この対戦は錚々たる、なでしこ日本代表メンバーが揃い踏み
「INAC神戸」は澤、大野、川澄、近賀、海堀、高瀬
「湯郷Belle」は日本代表屋台骨の宮間
サッカーファンならずともたまりません^^
こちらは「湯郷Belle」だけど、みなショート
どれが宮間か分かります?
それにしても練習時間中、こちらの4人はずっと走ったり体操したり繰り返していました
そう審判団です
第4の審判員(タイムキーパー)も準備運動するんだねとは、とっちん談^^

さー、12時半キックオフ!!
観客は9200人! おーっ、澤も先発だ^^
INAC神戸は6割以上試合の流れを握っていましたが
シュートがことごとくゴールポストやキーパー福元の攻守に阻まれて無得点
澤、川澄の動きが光っていました
澤はフル出場し、一時期の体調不良を完全に脱したようですね
相手、宮間もさすがの運動量
湯郷Belleの守る、攻める全てのキーマンでした
いやーっ、熊本ロアッソの時は熟年二人して
なんでそうなるの、なんでそこなの、なんで、なんでと
ギャーギャー叫んでる熟年夫婦ですが
今日は無駄な動きがない、攻守の展開が速い
シュートが枠に飛ぶということで
試合中二人して、「面白いね」「ロアッソより強いかもね」
なんて、言いながら純粋にサッカーを楽しみました♪
結果は0-0の引き分けでしたが
入場料1500円はまったく惜しくない^^
日本代表キャプテン、宮間は頼もしいし
最後までファンに感謝の意を表していました
INAC神戸もサインボールを持ってきた

「おーい、こっちこっち」
「こっちに投げてー!」、と言えど競争倍率高過ぎ^^;
もう二ヶ月もするとオリンピック
なでしこメンバーも試合を重ねながら順調に仕上がっている様子
きっとロンドンの地から興奮と感動を伝えてくれますよ
中央の一番高いところに日の丸を、期待してるよ!!
最後に、「やっぱり近賀はかっこいい」と、とっちんおばさんが言ってました^m^
INAC神戸レオネッサVS岡山 湯郷Belleの観戦に行ってきました
入場券は1ヶ月も前から購入してて、ウッシッシ(^_-)
この日を楽しみにしていたのは言うまでもありません
問題はどうやってKKウィングに行くか
間違いなく1万人以上は来場するだろうし
高校総体とも重なって会場の駐車場は使えない
ならばシャトルバスってなりますが
なんと、完全予約制で1800円って、これ信じられます?
ここで熟年夫婦は考えた
人が歩くということを選択しないような場所に駐車場はないか
狙い目の白川沿いの町民グランドに早朝から行ってみると
あちゃーっ、進入禁止!
ということで、次に考えていた白川を渡った場所へ
県民総合運動公園にはちょっと遠くなるけど

こんなところに停める人はいないよね
どこに停めたかは、また後の記事で^m^

3km以上歩き、開場1時間前に到着
会場外の店も既にオープンしているではありませんか

おやつの黒糖ドーナツ棒や応援グッズを購入^^


開場待ちは50m以上の行列でしたが
折りたたみ椅子を抱えて歩いてきたので待つのはへっちゃら^^
ようやく、KKウィング入場!
いつもながらくまモンは見ているだけで面白い


いっぽうロアッソくんはただ歩くだけ、つまらん・・・
なんでくまモンが人気あるのか、ロアッソ関係者ももっと考えてほしい

早々と弁当を食べながら待っていると、おーっと練習開始だ!!

この対戦は錚々たる、なでしこ日本代表メンバーが揃い踏み
「INAC神戸」は澤、大野、川澄、近賀、海堀、高瀬
「湯郷Belle」は日本代表屋台骨の宮間
サッカーファンならずともたまりません^^
こちらは「湯郷Belle」だけど、みなショート
どれが宮間か分かります?

それにしても練習時間中、こちらの4人はずっと走ったり体操したり繰り返していました
そう審判団です
第4の審判員(タイムキーパー)も準備運動するんだねとは、とっちん談^^

さー、12時半キックオフ!!

観客は9200人! おーっ、澤も先発だ^^

INAC神戸は6割以上試合の流れを握っていましたが

シュートがことごとくゴールポストやキーパー福元の攻守に阻まれて無得点

澤、川澄の動きが光っていました
澤はフル出場し、一時期の体調不良を完全に脱したようですね

相手、宮間もさすがの運動量
湯郷Belleの守る、攻める全てのキーマンでした

いやーっ、熊本ロアッソの時は熟年二人して
なんでそうなるの、なんでそこなの、なんで、なんでと
ギャーギャー叫んでる熟年夫婦ですが
今日は無駄な動きがない、攻守の展開が速い
シュートが枠に飛ぶということで
試合中二人して、「面白いね」「ロアッソより強いかもね」
なんて、言いながら純粋にサッカーを楽しみました♪
結果は0-0の引き分けでしたが
入場料1500円はまったく惜しくない^^
日本代表キャプテン、宮間は頼もしいし
最後までファンに感謝の意を表していました

INAC神戸もサインボールを持ってきた

「おーい、こっちこっち」
「こっちに投げてー!」、と言えど競争倍率高過ぎ^^;

もう二ヶ月もするとオリンピック
なでしこメンバーも試合を重ねながら順調に仕上がっている様子
きっとロンドンの地から興奮と感動を伝えてくれますよ
中央の一番高いところに日の丸を、期待してるよ!!

最後に、「やっぱり近賀はかっこいい」と、とっちんおばさんが言ってました^m^
今月13日は、ある会からお誘いをいただき
たいへん貴重なところを特別に見学させていただく機会が持てたんです
元社員の方が説明をして下さいました
今回は10名と少し人数は少なかったのですが
その分、念入りに?見たり聞いたりすることができました^^
それは和水町にあります「城北製糸株式会社」の工場でした
この「城北製糸」は大正7年に「玉東製糸」として開業
大正時代には県でも繰糸釜数において県下でも上位のほうに位置する製糸会社でした
昭和に入ると城北製糸株式会社として操業するも
その後社名も紆余曲折を経て、昭和21年に再び城北製糸株式会社となります
昭和54年には熊本製糸(現在の大江にあるダイエー)と共同工場免許となるが
化学繊維の普及と絹製品の高価格により、国内生糸生産が減退
時代の流れに逆らえず、平成5年に操業停止になりました
当時の和水町の産業を支えた近代化遺産としてとても貴重なものだということです
こちらは大切な客をもてなす応接室、宿泊もできたようです
大きな倉庫が3棟あります
建て直されたのか、そんなに古いものではありませんでした
こちらは繭買い入れ場、大きな建物です
戸板を見ただけでもちょっと歴史を感じます
中に入れないだろうと節穴から一生懸命覗いてみました
うん、見える、見えるぞ♪
そしたら、なんと鍵が開いているじゃないですか@@
早く言ってくださいよ(笑)
許可を得て、早速みんなで突入!!
購繭出張予定表?
買い付けのために出張していたということでしょうか
量りも残されています
目盛りは見えるものの、どうやって量るのかは皆目見当もつきません(>_<)
これはエレベーター、今でも普通に動きそうです
二階もあるんですよ、保存は倉庫になるんでしょうが
買いとられた生繭を乾燥室に持ち込むまでの保管をしていたのかも
過去に寄宿舎があった場所で今は、桑が植えられていました
その横を通って案内されたのがこの建物でした
入ってびっくりです@@
眼鏡をかけたオッサンかと思いました(笑)
いえいえ、ここはボイラー室
大きなボイラーがどーんと目の前に現れた時には、皆さんから歓声が上がりました
眼鏡の直径でも1mはあろうかというくらいのデカさ
煉瓦と梁の構造がおもしろいですね^^
こちらランカッシャーボイラーといいます
蒸気機関によるポンプ駆動で繭を煮る行程を担っていたと思われます
右側には背の高いボイラーもありました
ややや?
こちらのお名前は・・・
お生まれは日本でございますか
なんとも親しみやすいお名前でやんすね^^
ここも当時のままの道具が残されていました
そして毎日、安全祈願をしていた神棚も
どこかまだ息づいているように見えるのはなぜでしょうね
外もそのまま、タイムスリップしたかのようでした
次は繰糸工場のほうへ
こちらは揚返工場、ここは糸を仕上げるところのようです
すぐにでも動かせるくらいきれいな機械でしたよ
そして製糸会社での中心部、最も重要なところ繰糸工場です
繭から1本の糸口を見つけ生糸が取り出されていたところです
長くて両方にこのような部品が付いたのが4機ありました
見ただけでは何をする機械なのか全然わかりません
機械だけでなく細かい道具なんかもそのまんまです
あ~あ、ネジは錆びちゃってる^^;
どこがどこに繋がっているんだろう
機械は少ない人数で任されていたらしいので、気が休まらなかったでしょうね
最後にご厚意で応接室の中を見せていただけることに
よかった~、もうちょっとで帰るところだった^^;
床の間は金粉の入った壁でした
さすがにお金のかけ方が違うな、でもすごいひび割れ、このままじゃちょっと・・・
廊下には1本の丸木の梁
贅を尽くした家には当たり前のように存在してますよね
でもあまり風を通してなさそうで、傷みもちょっと気になりました
少し手を加えてでも、残せるようになるといいのですが
製糸会社らしくカイコの餌になる桑の大きな木が植わっていました
ちょうど実のなるころ・・・あら、まだ赤かった^^;
黒くなったら甘く美味しくなるんだけどな~
ちょっと早かったか(笑)
たいへん貴重なところを特別に見学させていただく機会が持てたんです
元社員の方が説明をして下さいました
今回は10名と少し人数は少なかったのですが
その分、念入りに?見たり聞いたりすることができました^^
それは和水町にあります「城北製糸株式会社」の工場でした

この「城北製糸」は大正7年に「玉東製糸」として開業
大正時代には県でも繰糸釜数において県下でも上位のほうに位置する製糸会社でした
昭和に入ると城北製糸株式会社として操業するも
その後社名も紆余曲折を経て、昭和21年に再び城北製糸株式会社となります
昭和54年には熊本製糸(現在の大江にあるダイエー)と共同工場免許となるが
化学繊維の普及と絹製品の高価格により、国内生糸生産が減退
時代の流れに逆らえず、平成5年に操業停止になりました
当時の和水町の産業を支えた近代化遺産としてとても貴重なものだということです
こちらは大切な客をもてなす応接室、宿泊もできたようです

大きな倉庫が3棟あります
建て直されたのか、そんなに古いものではありませんでした

こちらは繭買い入れ場、大きな建物です
戸板を見ただけでもちょっと歴史を感じます

中に入れないだろうと節穴から一生懸命覗いてみました
うん、見える、見えるぞ♪

そしたら、なんと鍵が開いているじゃないですか@@
早く言ってくださいよ(笑)
許可を得て、早速みんなで突入!!

購繭出張予定表?
買い付けのために出張していたということでしょうか

量りも残されています
目盛りは見えるものの、どうやって量るのかは皆目見当もつきません(>_<)

これはエレベーター、今でも普通に動きそうです

二階もあるんですよ、保存は倉庫になるんでしょうが
買いとられた生繭を乾燥室に持ち込むまでの保管をしていたのかも

過去に寄宿舎があった場所で今は、桑が植えられていました

その横を通って案内されたのがこの建物でした

入ってびっくりです@@
眼鏡をかけたオッサンかと思いました(笑)

いえいえ、ここはボイラー室
大きなボイラーがどーんと目の前に現れた時には、皆さんから歓声が上がりました

眼鏡の直径でも1mはあろうかというくらいのデカさ
煉瓦と梁の構造がおもしろいですね^^

こちらランカッシャーボイラーといいます
蒸気機関によるポンプ駆動で繭を煮る行程を担っていたと思われます

右側には背の高いボイラーもありました

ややや?
こちらのお名前は・・・

お生まれは日本でございますか
なんとも親しみやすいお名前でやんすね^^
ここも当時のままの道具が残されていました


そして毎日、安全祈願をしていた神棚も

どこかまだ息づいているように見えるのはなぜでしょうね

外もそのまま、タイムスリップしたかのようでした

次は繰糸工場のほうへ

こちらは揚返工場、ここは糸を仕上げるところのようです
すぐにでも動かせるくらいきれいな機械でしたよ

そして製糸会社での中心部、最も重要なところ繰糸工場です

繭から1本の糸口を見つけ生糸が取り出されていたところです
長くて両方にこのような部品が付いたのが4機ありました

見ただけでは何をする機械なのか全然わかりません



機械だけでなく細かい道具なんかもそのまんまです
あ~あ、ネジは錆びちゃってる^^;

どこがどこに繋がっているんだろう
機械は少ない人数で任されていたらしいので、気が休まらなかったでしょうね

最後にご厚意で応接室の中を見せていただけることに
よかった~、もうちょっとで帰るところだった^^;

床の間は金粉の入った壁でした
さすがにお金のかけ方が違うな、でもすごいひび割れ、このままじゃちょっと・・・

廊下には1本の丸木の梁
贅を尽くした家には当たり前のように存在してますよね

でもあまり風を通してなさそうで、傷みもちょっと気になりました
少し手を加えてでも、残せるようになるといいのですが

製糸会社らしくカイコの餌になる桑の大きな木が植わっていました
ちょうど実のなるころ・・・あら、まだ赤かった^^;

黒くなったら甘く美味しくなるんだけどな~
ちょっと早かったか(笑)
<城北製紙工場>
[アクセス]地図はコチラ
「今日は何日だっけ?」と独り言のように聞くとっちん
しばらくして「えっと、今日はニジュウ・・・ロクニチ!」と答えるらぼっち
「答えるの遅い!それに今日は24日!!」
この二人、大丈夫かな(笑)
さてと、いつだったっけ「TKUの日」って・・・
もう10日以上前のことを今頃になってアップするのもね~^^;
と思ったけど、一応備忘録ということで載せちゃおう♪
5月12日は天気も良かったし、今年は歩いて行けるところでの開催なので
とりあえずぶら~っと出かけました(^_-)
この人たち、日本デビュー前の韓流グループだそうで
今はこんなふうにデビュー前にあちこち回るのね
歌もうまいし、日本語も上手、顔は・・・みんな同じに見える^^;
スリムクラブも来てた
ステージを降りての仕事も大変だ(-_-;)
らぼっちが後ろからちょっと写真を撮ろうとしたら「撮影禁止です!」とスタッフ
すぐに人間バリケードが張られました、警備が厳重だな~^^;
ステージの撮影も禁止だって!
へえ~、こういうところであるのにライブ会場と変わんないんだ(>_<)
そんなこと言ったって撮りたいじゃんと、らぼっち
望遠にして後ろから撮ってた
これはどなたでしょう?
わかるような、わからないような微妙なところですね(笑)
この日は、偶然ムスコっちに会えて嬉しかった~♪
最初はぐっすり寝てたんだけど、起きたらすごく活発でついて歩くのがた~いへん(笑)
久しぶりに会ったムスコっち、ずいぶんお兄ちゃんになってたな^^
いや~、楽しいひとときでした♪
この時季はバラがとってもきれいでした
色とりどりに咲くバラを見てると華やかな気分になります
え、名前?
わかりません(きっぱり!)
というか覚えられないので、最初から名前すら見ていません
バラ好きな人から怒られそうですが^^;
こんなにきれいに咲かせるのって難しいんでしょうね
こんな美しいバラには、若い人が似あう^^
あ、若すぎる?(笑)
ほんじゃ、動物園のほうに行ってみましょうか
ちょうどタッチ愛ランドでモルモットとのふれあい体験中でした
おっかなびっくりの小さい女の子、見てるこっちがほのぼの♪
こちらは飼育員さんが「ツバキ~」と呼ぶとやってきてお手をするヤギ
なんともお利口なヤギだこと^^
この日は特別だったの?
江津湖には屋形船も出ていました、人乗ってるよね^^;
あ、カバ、じゃなかった英太郎くん見っけ!仕事終わったんだ^^
本物のカバ君はこちら、珍しく水から上がってお昼ご飯たべてるよ@@
とっても仲良しのゾウさん
でも女の子同士なんですよ^^
仲良しと言えば、こちら!
日本ではここだけにいる金絲猴(キンシコウ)です
手前に来てくれてサービス満点
じっくり見たことがなかったけど、案外かわいい顔してるのね^^
そしていつも和ませてくれるカンガルーたち
この日はみんなお行儀よく寝ていて、らぼっちはいなかったな(笑)
最後は水から上がってポージング中のホッキョクグマくん
これもサービスなんだろうな^^
この後、「S1グランプリ」会場の庄口公園に行き参戦!

食べ過ぎるとお腹こわすので、二人で3個を厳選しました
んん~っと、昨年金賞の真ん中のソフトが2連覇?
よくわかりませんが、どこのソフトも美味しかったな♪
ドッヂボール大会も白熱していましたよ!
子供たちより親の方が熱かった、冷静さも必要だよね^^;
この日はちょっと見物のつもりが座りもせず、よく歩いた~!
疲れたことだけは二人ともよく覚えてるんだよな^^;
しばらくして「えっと、今日はニジュウ・・・ロクニチ!」と答えるらぼっち
「答えるの遅い!それに今日は24日!!」
この二人、大丈夫かな(笑)
さてと、いつだったっけ「TKUの日」って・・・
もう10日以上前のことを今頃になってアップするのもね~^^;
と思ったけど、一応備忘録ということで載せちゃおう♪
5月12日は天気も良かったし、今年は歩いて行けるところでの開催なので
とりあえずぶら~っと出かけました(^_-)
この人たち、日本デビュー前の韓流グループだそうで

今はこんなふうにデビュー前にあちこち回るのね
歌もうまいし、日本語も上手、顔は・・・みんな同じに見える^^;
スリムクラブも来てた
ステージを降りての仕事も大変だ(-_-;)

らぼっちが後ろからちょっと写真を撮ろうとしたら「撮影禁止です!」とスタッフ
すぐに人間バリケードが張られました、警備が厳重だな~^^;

ステージの撮影も禁止だって!
へえ~、こういうところであるのにライブ会場と変わんないんだ(>_<)
そんなこと言ったって撮りたいじゃんと、らぼっち
望遠にして後ろから撮ってた
これはどなたでしょう?
わかるような、わからないような微妙なところですね(笑)

この日は、偶然ムスコっちに会えて嬉しかった~♪
最初はぐっすり寝てたんだけど、起きたらすごく活発でついて歩くのがた~いへん(笑)

久しぶりに会ったムスコっち、ずいぶんお兄ちゃんになってたな^^
いや~、楽しいひとときでした♪
この時季はバラがとってもきれいでした

色とりどりに咲くバラを見てると華やかな気分になります

え、名前?
わかりません(きっぱり!)
というか覚えられないので、最初から名前すら見ていません
バラ好きな人から怒られそうですが^^;

こんなにきれいに咲かせるのって難しいんでしょうね

こんな美しいバラには、若い人が似あう^^

あ、若すぎる?(笑)

ほんじゃ、動物園のほうに行ってみましょうか
ちょうどタッチ愛ランドでモルモットとのふれあい体験中でした
おっかなびっくりの小さい女の子、見てるこっちがほのぼの♪

こちらは飼育員さんが「ツバキ~」と呼ぶとやってきてお手をするヤギ
なんともお利口なヤギだこと^^

この日は特別だったの?
江津湖には屋形船も出ていました、人乗ってるよね^^;

あ、カバ、じゃなかった英太郎くん見っけ!仕事終わったんだ^^

本物のカバ君はこちら、珍しく水から上がってお昼ご飯たべてるよ@@

とっても仲良しのゾウさん
でも女の子同士なんですよ^^

仲良しと言えば、こちら!
日本ではここだけにいる金絲猴(キンシコウ)です

手前に来てくれてサービス満点
じっくり見たことがなかったけど、案外かわいい顔してるのね^^
そしていつも和ませてくれるカンガルーたち
この日はみんなお行儀よく寝ていて、らぼっちはいなかったな(笑)

最後は水から上がってポージング中のホッキョクグマくん
これもサービスなんだろうな^^

この後、「S1グランプリ」会場の庄口公園に行き参戦!

食べ過ぎるとお腹こわすので、二人で3個を厳選しました

んん~っと、昨年金賞の真ん中のソフトが2連覇?
よくわかりませんが、どこのソフトも美味しかったな♪
ドッヂボール大会も白熱していましたよ!
子供たちより親の方が熱かった、冷静さも必要だよね^^;

この日はちょっと見物のつもりが座りもせず、よく歩いた~!
疲れたことだけは二人ともよく覚えてるんだよな^^;
要注意ですよ、皆さん!
気温があまり高くなくても、炎天下でなくても熱中症にはなるものです
少し塩分や糖分の入った飲み物をきちんと摂りながらお仕事しましょう
気分が悪くなってからでは遅すぎますから
体調管理には気をつけましょうね
さて、昨日はブログをお休みしたので
ゾクゾクの場所が気になってた方がおられるかも・・・
期待を大きくしてしまったかな、アップしづらいよ~(+o+)
オテラーな熟年が行ったところは当然、お寺でした
玉東町には他にも遺跡史跡がたくさんあり、案内板の地図でもヨリドリミドリだったのに
どうしてらぼっちが行きたがったのか、よくわからないのですが・・・
たぶん、「西安寺」という言葉の響きだけで興味を持ったんでしょう
目指していったはずなのに道に迷い、狭い道をウロウロしてやっとたどり着きました^^;
こんな歌碑に迎えられて少しばかり気をよくして隣を見ると
あら?鳥居?なんで?
お寺の跡じゃなかったっけ?
ま、いっかと進んで行くと隣接のお家から犬連れの方が出てこられました
散歩なのでしょう、「こんにちは」と挨拶してすぐに石段を登って後を追いました
ワンちゃんとの後姿を撮りたかったんです
ところが、すぐに追いかけたのに忽然と姿は消えていました
相当足が速かったんだろうと思ったのですが、ちょっと不思議な感じ (;¬_¬)
そして門まで戻ってきて、何枚か写真を撮りました
どれも光がイタズラしてまともな写真がないな^^;
鎌倉時代に建立された西安寺に関係して造られたものとされる「白山宮」です
この門の中には、木彫りの狛犬さん?
新しいように見えますが、鎌倉時代の名残りなのでしょうかね
勧請してから約800年
明治40年2月に旧山北村の村社に昇格したそうです
拝殿はこぢんまりしてます
子供の頃、こんな感じの神社があったよな^^
中には古そうな絵馬が並んでいます
ちっちゃいけど本殿もなかなかのものです
何がって?
そりゃこれですよ、このドスコイな方々です
絵本に出てくる雷様みたいなお顔をされています^^;
そしてこちらの力神さんの左手、左足がどう見ても無理な体制に見えるんですよね
見ているだけで手首が痛いよ~(>_<)
社殿の右側にはイチョウの木がそびえたっていました
結構な太さがあり、とても立派です^^
お、説明があるぞ
なんだ、樹齢とかはわかんないのね^^;
そして、その説明にある西安寺跡というのがこちら
あ゛ーーー、らぼっちの足が・・・・・短い!(笑)
異様に短く感じたので何度も写真を見てしまった
しかーし、らぼっちに言わせると
「ヒモがぶら下がっているところからが何かヘンだった、あそこが結界だった」
そうか、だったら足には気を付けないといけないってことだよね
ここは県の重要文化財になっているんです
西安寺は延応元年(1239年)に建てられたものだそうで
西明寺入道時頼がこちらの草堂に来た際に病気になり、本尊に祈願したところ治ったので
寺を建立したというエピソードがあるんだとか
板碑、14基もあったかな
数える気にもならなかった(;一_一)
ここはこれぐらいにしておこう、さて左側にも道が続いていたよな
ワンちゃんを連れた人が消えたほう・・・
五輪塔って聞くとあまり気がすすまないんですけど・・・
あ、こんなところにも木の葉猿が^^
遠目に見ただけでもちょっとね(>_<)
帰ろうか・・・・
なんだよせっかく来たんだし、とずかずか近寄るらぼっち
あんまり写真に撮りたくなかったんですけどね
こちらが五輪塔群です
って、ほら~(>_<)
逆光だからと角度を変えても、こんなのばかり
やっぱり、ここに足を踏み入れちゃいけないんだよ
と、後ずさりしてたら
「うぎゃー、誰かが足を押さえてるー、助けてー!」
驚かせてすみませんm(__)m
足元のタケノコに足をとられていました(笑)
いやいや、笑いごとではないのです
らぼっちが撮った写真も何枚かこんなになってました
鎌倉中期の五輪塔自体が珍しいみたいですが
ここはいけません、異様な空気に押しつぶされそうでした
長居は無用とさっさと帰ることにしたのですが
「なにか連れて帰ったらどうしよう」と、らぼっち
ぎゃー、やめてー!!
風水の本とか買ったほうがいいのかな・・・^^;
気温があまり高くなくても、炎天下でなくても熱中症にはなるものです
少し塩分や糖分の入った飲み物をきちんと摂りながらお仕事しましょう
気分が悪くなってからでは遅すぎますから
体調管理には気をつけましょうね
さて、昨日はブログをお休みしたので
ゾクゾクの場所が気になってた方がおられるかも・・・
期待を大きくしてしまったかな、アップしづらいよ~(+o+)
オテラーな熟年が行ったところは当然、お寺でした
玉東町には他にも遺跡史跡がたくさんあり、案内板の地図でもヨリドリミドリだったのに
どうしてらぼっちが行きたがったのか、よくわからないのですが・・・
たぶん、「西安寺」という言葉の響きだけで興味を持ったんでしょう
目指していったはずなのに道に迷い、狭い道をウロウロしてやっとたどり着きました^^;

こんな歌碑に迎えられて少しばかり気をよくして隣を見ると

あら?鳥居?なんで?
お寺の跡じゃなかったっけ?
ま、いっかと進んで行くと隣接のお家から犬連れの方が出てこられました
散歩なのでしょう、「こんにちは」と挨拶してすぐに石段を登って後を追いました

ワンちゃんとの後姿を撮りたかったんです
ところが、すぐに追いかけたのに忽然と姿は消えていました
相当足が速かったんだろうと思ったのですが、ちょっと不思議な感じ (;¬_¬)
そして門まで戻ってきて、何枚か写真を撮りました

どれも光がイタズラしてまともな写真がないな^^;
鎌倉時代に建立された西安寺に関係して造られたものとされる「白山宮」です

この門の中には、木彫りの狛犬さん?
新しいように見えますが、鎌倉時代の名残りなのでしょうかね

勧請してから約800年
明治40年2月に旧山北村の村社に昇格したそうです

拝殿はこぢんまりしてます
子供の頃、こんな感じの神社があったよな^^
中には古そうな絵馬が並んでいます

ちっちゃいけど本殿もなかなかのものです

何がって?
そりゃこれですよ、このドスコイな方々です

絵本に出てくる雷様みたいなお顔をされています^^;
そしてこちらの力神さんの左手、左足がどう見ても無理な体制に見えるんですよね
見ているだけで手首が痛いよ~(>_<)

社殿の右側にはイチョウの木がそびえたっていました
結構な太さがあり、とても立派です^^

お、説明があるぞ

なんだ、樹齢とかはわかんないのね^^;
そして、その説明にある西安寺跡というのがこちら

あ゛ーーー、らぼっちの足が・・・・・短い!(笑)
異様に短く感じたので何度も写真を見てしまった
しかーし、らぼっちに言わせると
「ヒモがぶら下がっているところからが何かヘンだった、あそこが結界だった」
そうか、だったら足には気を付けないといけないってことだよね
ここは県の重要文化財になっているんです

西安寺は延応元年(1239年)に建てられたものだそうで
西明寺入道時頼がこちらの草堂に来た際に病気になり、本尊に祈願したところ治ったので
寺を建立したというエピソードがあるんだとか

板碑、14基もあったかな
数える気にもならなかった(;一_一)

ここはこれぐらいにしておこう、さて左側にも道が続いていたよな
ワンちゃんを連れた人が消えたほう・・・

五輪塔って聞くとあまり気がすすまないんですけど・・・
あ、こんなところにも木の葉猿が^^

遠目に見ただけでもちょっとね(>_<)

帰ろうか・・・・
なんだよせっかく来たんだし、とずかずか近寄るらぼっち

あんまり写真に撮りたくなかったんですけどね
こちらが五輪塔群です

って、ほら~(>_<)
逆光だからと角度を変えても、こんなのばかり
やっぱり、ここに足を踏み入れちゃいけないんだよ
と、後ずさりしてたら
「うぎゃー、誰かが足を押さえてるー、助けてー!」

驚かせてすみませんm(__)m
足元のタケノコに足をとられていました(笑)
いやいや、笑いごとではないのです
らぼっちが撮った写真も何枚かこんなになってました

鎌倉中期の五輪塔自体が珍しいみたいですが
ここはいけません、異様な空気に押しつぶされそうでした
長居は無用とさっさと帰ることにしたのですが
「なにか連れて帰ったらどうしよう」と、らぼっち
ぎゃー、やめてー!!
風水の本とか買ったほうがいいのかな・・・^^;

<西安寺跡>
[アクセス]地図はコチラ
今日は残念でしたね~(>_<)
何がって、日食ですよ、日食!!
我が家も朝から何度東の空を見上げたでしょうか
だいぶ前から日食グラスも準備していたのに・・・
少しでも晴れそうなら、前の晩からカメラもセットするはずだったんです
でもほとんど望みのないことを天気予報で言ってたので、無駄なことはやめときました
ま、テレビでは日本各地の金環日食を見たのでよしとしましょう
あ、そうそう金環日食の時に動物が異常行動を起こすとか言っていましたが
我が家でもあったんですよ^^;
夜寝ていると、らぼっちが(ラボではありません^^;)
突然ガバーっと起き上がり、とっちんを攻撃してきたんです
両手両足でパンチやキックをしてたんだと思われます
急に手や足が飛んできたので、瞬間に起きて応戦しましたよ(笑)
ビックリしてそのあとなかなか寝つけなかったとっちんだったのに
高いびきでとっとと寝てしまったらぼっち
これはまさしく金環日食の際の異常行動に違いない!(*_*)
そしたら朝起きてらぼっちが言うには
「夢を見た!誰かから首を絞められたので戦ってた!」
・・・・・・・ただの夢かいっ!(>_<)
襲われたとっちんの身にもなってみなさい!
あ、夢で首を絞めてたのはとっちんじゃありませんって^^;
そこははっきりとらぼっちが言ってましたから(笑)
さて玉東町の南部をドライブしていた熟年ふたり
今までに通ったことのない道だったので、ちょっと新鮮^^
それにしても西南戦争に関する遺跡の本当に多いこと!
田原坂にも近いもんね、そう考えると当たり前かも
へえ~とは思うものの、そういうところに寄ることもせずに
目指したのは景色が良いであろうお山♪
途中、みかん畑が広がっておりました
着いたのは「半高山(はんこうやま)」
熊本市との境にあります
展望台に登るとほぼ360度見渡せます
こちらは熊本市の市街地方面、中央よりちょっと上の山が立田山です、たぶん^^
こちらはパークドーム方面
真ん中、上あたりに見える白いのがそうです
半高山は、三ノ岳681mのおよそ半分の高さの294mなので半高山と呼ばれているとか
おもしろい名前の付け方ですよね^^
こちらは木の葉方面、どこを見てもビニールハウスが多いです
この半高山にはかつて薩軍の防衛線があって
南側にある吉次峠と一体になった激戦地だったそうですね
そんなことはまったく関係ないとばかりに走りまくり、景色を堪能?しているつもりのラボ
こちらは天水、横島方面、つまり海のほうなんですが
霞んでいたので海が全然わかりませんね
ラボの目にこの景色はちゃんと見えているのだろうか^^;
ここにあった遺跡案内の地図でちらっと近辺のお勉強をしたらぼっち
行ってみたいところがあると言い出しました
まだ午後の2時過ぎだし、ほんなら行ってみようかと半高山を下り
来た道を引き返したのでした^^;
西南戦争の激戦地だったわりには、妙な気を感じなくてよかった~
と、思ったのはつかの間だったのです(>_<)
何がって、日食ですよ、日食!!
我が家も朝から何度東の空を見上げたでしょうか
だいぶ前から日食グラスも準備していたのに・・・

少しでも晴れそうなら、前の晩からカメラもセットするはずだったんです
でもほとんど望みのないことを天気予報で言ってたので、無駄なことはやめときました
ま、テレビでは日本各地の金環日食を見たのでよしとしましょう
あ、そうそう金環日食の時に動物が異常行動を起こすとか言っていましたが
我が家でもあったんですよ^^;
夜寝ていると、らぼっちが(ラボではありません^^;)
突然ガバーっと起き上がり、とっちんを攻撃してきたんです
両手両足でパンチやキックをしてたんだと思われます
急に手や足が飛んできたので、瞬間に起きて応戦しましたよ(笑)
ビックリしてそのあとなかなか寝つけなかったとっちんだったのに
高いびきでとっとと寝てしまったらぼっち
これはまさしく金環日食の際の異常行動に違いない!(*_*)
そしたら朝起きてらぼっちが言うには
「夢を見た!誰かから首を絞められたので戦ってた!」
・・・・・・・ただの夢かいっ!(>_<)
襲われたとっちんの身にもなってみなさい!
あ、夢で首を絞めてたのはとっちんじゃありませんって^^;
そこははっきりとらぼっちが言ってましたから(笑)
さて玉東町の南部をドライブしていた熟年ふたり
今までに通ったことのない道だったので、ちょっと新鮮^^
それにしても西南戦争に関する遺跡の本当に多いこと!
田原坂にも近いもんね、そう考えると当たり前かも
へえ~とは思うものの、そういうところに寄ることもせずに
目指したのは景色が良いであろうお山♪
途中、みかん畑が広がっておりました

着いたのは「半高山(はんこうやま)」
熊本市との境にあります

展望台に登るとほぼ360度見渡せます
こちらは熊本市の市街地方面、中央よりちょっと上の山が立田山です、たぶん^^

こちらはパークドーム方面
真ん中、上あたりに見える白いのがそうです

半高山は、三ノ岳681mのおよそ半分の高さの294mなので半高山と呼ばれているとか
おもしろい名前の付け方ですよね^^
こちらは木の葉方面、どこを見てもビニールハウスが多いです

この半高山にはかつて薩軍の防衛線があって
南側にある吉次峠と一体になった激戦地だったそうですね
そんなことはまったく関係ないとばかりに走りまくり、景色を堪能?しているつもりのラボ

こちらは天水、横島方面、つまり海のほうなんですが
霞んでいたので海が全然わかりませんね
ラボの目にこの景色はちゃんと見えているのだろうか^^;

ここにあった遺跡案内の地図でちらっと近辺のお勉強をしたらぼっち
行ってみたいところがあると言い出しました
まだ午後の2時過ぎだし、ほんなら行ってみようかと半高山を下り
来た道を引き返したのでした^^;
西南戦争の激戦地だったわりには、妙な気を感じなくてよかった~
と、思ったのはつかの間だったのです(>_<)

<半高山>
[アクセス]地図はコチラ
今日、ラボの散歩にいこうとしたらぼっち
「行ってきま~す」と玄関出ていって、すぐに帰ってきました
「すごい雨が降ってきた」だって^^;
その後雨が止んだのに、二度と外に出ることはありませんでした
なんだ、そのやる気の無さ(>_<)
気持ちも体もおもいっきり休日のらぼっちでした^^;
5月5日、泗水の道の駅で買ったお弁当といきなり大納言を持った熟年ふたりは
ラボを連れて、お弁当を食べれるところを考えていました
植木を西方面に向かっていたので、思い出したのが
くろさんや手のじのお二人が行かれていたところ、「山北八幡宮」でした^^
白くて新しい鳥居が目だっていてすぐにわかりました
平成20年の建立のようです
だからって、古い鳥居が撤去されているわけではありません
ちゃ~んとそばに飾って?ありましたよ^^
何か文字が書いてあったのでどうにか読み取ろうと試みましたが
結局わかりませんでした^^;
なんとなく右側のハウスの中を見たら、あ、美味しそう♪
ちょいとひとつ、なんてことはしませんよ
イチゴの蔓ってこんなに伸びるんですね、初めてみました
そして神社に上がる前にお昼ご飯~♪
こういうところでお弁当食べる人間て、他にはいないだろうな~^^;
腹ごしらえも済んだところで、いってみよ~!
わああ~、これは!!
皆さんおっしゃってたとおり、すごい楼門ですよ♪
ああ、それなのにそれなのに、写真撮ったのに
木の枝が邪魔だったり、光が入ってたりで楼門の表のきれいな写真が・・・ない(>_<)
これでご勘弁ですm(__)m
ここからはどうしても拝殿を臨みたくなりますよね^^
楼門の横もしっかりした見事な彫刻がありました
ふむふむ、ここから朝陽を拝むといいんですね♪
実はこんな張り紙がしてあったんです
ここがスピリチュアルポイントとか、パワースポットとか言われる所以でしょうか
でもそのありがた~いご来光が拝めることができるのは
4月3日から5日頃までの短い期間らしい^^;
ひと月も遅かったか
ま、いいや来年覚えていたら行ってみ・・・れたらいいのですが、どうなることやら(+o+)
じゃ、皆さんが敢えて載せていなかったであろうこの写真
これを拝んでおこう(サムネイルではありませんから、念のため^^)
さて、やっと拝殿ですね
いや、その前に狛犬さん^^
今までもわりと狛犬は見てきたほうだと思うのですが
玉と子狛の組み合わせは珍しいんじゃないかとちょっと調べてみたら・・・
なんと右が玉で左が子狛の組み合わせって結構あるそうなんです
熊本においては珍しいってことかな^^;
拝殿の中には古そうな絵馬がたっくさん^^
それもそのはず、こちらの神社は和銅2年(709年)に宇佐八幡宮から分祀されたようなので
かなりの歴史があるということですよね
おもしろい形の石灯籠に
玉東らしく木の葉猿も♪
苔むしていて最初は何なのかよくわからなかった^^;
もうひと組、こちらは屋根付きのお家に仲良く並んで・・・えっ?
わ~お、『ムンクの叫び』かと思っちゃった(笑)
この時、ゴゴゴーと列車の音がしてきました
「そうだ、新幹線が通っていたんだ」と、門の中に見える新幹線の姿を!
木、邪魔!!!
音だけがむなしく通過していきました(笑)
そううまくはいかないよね^^;
そして粟嶋神社のようなミニ鳥居発見!
二人してくぐろうかどうか話しているうちに、ラボがくぐっちゃった(笑)
ようし、これでラボも無病息災、健康開運、諸業繁栄だぁ~、お~♪
本殿も立派っすよ!
いたいた、お馴染みの力神さん^^
お腹はでっぷりメタボちゃんですが、腕や足は筋骨隆々ですぞ!
こちらも、と一瞬思ったけど、なんだ薄っぺらいじゃん(笑)
それから皆さんが見ていらした社殿裏の仁王さんのところへ行こうとしたら
らぼっち、すっかり忘れていたらしい、困ったもんだ^^;
元々楼門前の石段の下両脇にあったものが明治元年、ここに移されたんだって
そして、両足の間に頭を入れると風邪をひかないとの言い伝えがあるって
くろさんのところでも、県の観光情報サイトなごみ紀行でも書いてあります
寛政4年に建立された像高2.18mの仁王さん
丈夫な体を願って造られた像なので、風邪を引かないご利益があるというのも頷ける^^
でもなんで両足の間に頭を入れる?なんかおもしろい^^
撫で佛様のように悪いところを撫でてお願いしたりするのはよく見かけるけど・・
で、ここに頭って入るのか?
無理すればイケルかも^^;
でもこっちは、頭ぶつけちゃう感じ、無理でしょ!
熟年は試みたかって?
あ、いや~、バカは風邪引かないって言うでしょ、ぎゃははははは^^;
そんなこと言ってる場合じゃなかった
仁王さんの横にあった池のような沼のようなところをらぼっちが写真を撮ってたんです
この池の写真を見るとゾクゾクと寒気がするんです、なぜでしょう・・・
みなさんはしませんか?
そういえばこの日、もっとゾクゾクして近づけないところにも行ったんだった(>_<)
ここでお弁当を食べたのがいけなかったのかな・・・
「行ってきま~す」と玄関出ていって、すぐに帰ってきました
「すごい雨が降ってきた」だって^^;
その後雨が止んだのに、二度と外に出ることはありませんでした
なんだ、そのやる気の無さ(>_<)
気持ちも体もおもいっきり休日のらぼっちでした^^;
5月5日、泗水の道の駅で買ったお弁当といきなり大納言を持った熟年ふたりは
ラボを連れて、お弁当を食べれるところを考えていました
植木を西方面に向かっていたので、思い出したのが
くろさんや手のじのお二人が行かれていたところ、「山北八幡宮」でした^^

白くて新しい鳥居が目だっていてすぐにわかりました
平成20年の建立のようです

だからって、古い鳥居が撤去されているわけではありません
ちゃ~んとそばに飾って?ありましたよ^^

何か文字が書いてあったのでどうにか読み取ろうと試みましたが
結局わかりませんでした^^;
なんとなく右側のハウスの中を見たら、あ、美味しそう♪

ちょいとひとつ、なんてことはしませんよ
イチゴの蔓ってこんなに伸びるんですね、初めてみました

そして神社に上がる前にお昼ご飯~♪
こういうところでお弁当食べる人間て、他にはいないだろうな~^^;
腹ごしらえも済んだところで、いってみよ~!
わああ~、これは!!
皆さんおっしゃってたとおり、すごい楼門ですよ♪

ああ、それなのにそれなのに、写真撮ったのに
木の枝が邪魔だったり、光が入ってたりで楼門の表のきれいな写真が・・・ない(>_<)
これでご勘弁ですm(__)m

ここからはどうしても拝殿を臨みたくなりますよね^^

楼門の横もしっかりした見事な彫刻がありました

ふむふむ、ここから朝陽を拝むといいんですね♪

実はこんな張り紙がしてあったんです

ここがスピリチュアルポイントとか、パワースポットとか言われる所以でしょうか
でもそのありがた~いご来光が拝めることができるのは
4月3日から5日頃までの短い期間らしい^^;
ひと月も遅かったか
ま、いいや来年覚えていたら行ってみ・・・れたらいいのですが、どうなることやら(+o+)
じゃ、皆さんが敢えて載せていなかったであろうこの写真
これを拝んでおこう(サムネイルではありませんから、念のため^^)

さて、やっと拝殿ですね

いや、その前に狛犬さん^^

今までもわりと狛犬は見てきたほうだと思うのですが
玉と子狛の組み合わせは珍しいんじゃないかとちょっと調べてみたら・・・
なんと右が玉で左が子狛の組み合わせって結構あるそうなんです
熊本においては珍しいってことかな^^;
拝殿の中には古そうな絵馬がたっくさん^^

それもそのはず、こちらの神社は和銅2年(709年)に宇佐八幡宮から分祀されたようなので
かなりの歴史があるということですよね
おもしろい形の石灯籠に

玉東らしく木の葉猿も♪
苔むしていて最初は何なのかよくわからなかった^^;

もうひと組、こちらは屋根付きのお家に仲良く並んで・・・えっ?

わ~お、『ムンクの叫び』かと思っちゃった(笑)
この時、ゴゴゴーと列車の音がしてきました
「そうだ、新幹線が通っていたんだ」と、門の中に見える新幹線の姿を!

木、邪魔!!!
音だけがむなしく通過していきました(笑)
そううまくはいかないよね^^;
そして粟嶋神社のようなミニ鳥居発見!
二人してくぐろうかどうか話しているうちに、ラボがくぐっちゃった(笑)

ようし、これでラボも無病息災、健康開運、諸業繁栄だぁ~、お~♪
本殿も立派っすよ!

いたいた、お馴染みの力神さん^^
お腹はでっぷりメタボちゃんですが、腕や足は筋骨隆々ですぞ!

こちらも、と一瞬思ったけど、なんだ薄っぺらいじゃん(笑)

それから皆さんが見ていらした社殿裏の仁王さんのところへ行こうとしたら
らぼっち、すっかり忘れていたらしい、困ったもんだ^^;

元々楼門前の石段の下両脇にあったものが明治元年、ここに移されたんだって
そして、両足の間に頭を入れると風邪をひかないとの言い伝えがあるって
くろさんのところでも、県の観光情報サイトなごみ紀行でも書いてあります

寛政4年に建立された像高2.18mの仁王さん
丈夫な体を願って造られた像なので、風邪を引かないご利益があるというのも頷ける^^

でもなんで両足の間に頭を入れる?なんかおもしろい^^
撫で佛様のように悪いところを撫でてお願いしたりするのはよく見かけるけど・・
で、ここに頭って入るのか?

無理すればイケルかも^^;
でもこっちは、頭ぶつけちゃう感じ、無理でしょ!

熟年は試みたかって?
あ、いや~、バカは風邪引かないって言うでしょ、ぎゃははははは^^;
そんなこと言ってる場合じゃなかった
仁王さんの横にあった池のような沼のようなところをらぼっちが写真を撮ってたんです

この池の写真を見るとゾクゾクと寒気がするんです、なぜでしょう・・・
みなさんはしませんか?

そういえばこの日、もっとゾクゾクして近づけないところにも行ったんだった(>_<)
ここでお弁当を食べたのがいけなかったのかな・・・

<山北八幡宮>
[所在地]熊本県玉名郡玉東町白木1376
[アクセス]地図はコチラ
今日はブログ仲間の方とランチをしました
息子と同世代の方なんですが、しっかりした考えを持っています
すごいなぁ♪
でもこの話はもうちょっと先になります
だってまだ熟年のネタ上ではGWが終わってない(>_<)
今晩はとっちんがバドミントン総会でそのまま飲み会
明日はバドミントンの試合、明日何をしようかなぁ
ということで、今晩は短文で!!
って、理由になってないか^^
GWのことなので、もう忘れそうですが
映画HOMEを見て買い物中、とっちんが何食べたいというので
「餃子が食べたい」というと
「よし、なら今日は皮から作ろうか」ということになったんだったっけ、確か^^
とっちんの餃子は絶品だからね♪
こねこね、らぼっちも手伝いましたよ
しかし、丸く均一に広げるのはなかなか難しい(>_<)
何度かやっているとコツも分ってきて丸っぽいものもできてきました
次は具を入れて包み込みますよ
これは手馴れています
でも丸くないし、厚さも均一ではないので形にするのが一苦労^^
はい、出来上がりはこんな感じ
ぷっくらするくらい具材が入っているので手作り感いっぱい♪
焼き餃子の完成~でっす!(堺マチャアキ風に)
美味しそうでしょう♪
でもね、とっちんとしたことがゴマ油を入れ忘れたらしくて
ちょっと肉がパサついてた
まぁ、これも手作りだからこそということで^m^
もう、一丁!!
ブログ仲間の手のじ行くバイさんから、今から行きまーす
とのメールあり♪
なんと山口県角島のお土産を持ってきてくれました
うに蒲とえそ蒲、そしてさざえ釜めしの素(*^_^*)
蒲鉾はビールのしっかりお友達
磯の香りむんむんの釜めしはサザエがごろごろ入っていて旨かった^^v
お二人さん、いつもありがとうね♪
息子と同世代の方なんですが、しっかりした考えを持っています
すごいなぁ♪
でもこの話はもうちょっと先になります
だってまだ熟年のネタ上ではGWが終わってない(>_<)
今晩はとっちんがバドミントン総会でそのまま飲み会
明日はバドミントンの試合、明日何をしようかなぁ
ということで、今晩は短文で!!
って、理由になってないか^^
GWのことなので、もう忘れそうですが
映画HOMEを見て買い物中、とっちんが何食べたいというので
「餃子が食べたい」というと
「よし、なら今日は皮から作ろうか」ということになったんだったっけ、確か^^
とっちんの餃子は絶品だからね♪
こねこね、らぼっちも手伝いましたよ
しかし、丸く均一に広げるのはなかなか難しい(>_<)

何度かやっているとコツも分ってきて丸っぽいものもできてきました

次は具を入れて包み込みますよ
これは手馴れています
でも丸くないし、厚さも均一ではないので形にするのが一苦労^^
はい、出来上がりはこんな感じ
ぷっくらするくらい具材が入っているので手作り感いっぱい♪

焼き餃子の完成~でっす!(堺マチャアキ風に)

美味しそうでしょう♪
でもね、とっちんとしたことがゴマ油を入れ忘れたらしくて
ちょっと肉がパサついてた
まぁ、これも手作りだからこそということで^m^
もう、一丁!!
ブログ仲間の手のじ行くバイさんから、今から行きまーす
とのメールあり♪
なんと山口県角島のお土産を持ってきてくれました
うに蒲とえそ蒲、そしてさざえ釜めしの素(*^_^*)

蒲鉾はビールのしっかりお友達

磯の香りむんむんの釜めしはサザエがごろごろ入っていて旨かった^^v

お二人さん、いつもありがとうね♪
今晩は日本各地で両手で抱えるようにホーッと言いながら息をはいてる人が
たくさんいるんだろうな
キンスマでやってたロングブレスダイエット!
リバウンドもなく2ヶ月で17kgもやせたADも
はい、熟年二人も、ホーッとやってました^m^
さて今日ネタは、神社らー続きになるのでちょいと、別ねたで^^
まずはお昼用の弁当を買いに道の駅泗水に向かう途中
止まっているトラックを避けた途端、見えてきた風景
何々??
あれーっ、ハクサイが転げ落ちてるーっ!!
運転操作が荒かったのか、積み荷の縛り方が悪かったのか
あーぁ、お兄ちゃんたち、たいへんです
さて泗水は弁当が人気の道の駅、迷ったあげくのチョイスは後で♪
次に向かったのは、あかちんさんのところでも紹介されています
植木ICのそばにある「肥後ばってん堂」さん
こちらは東京銀座熊本館第2回いきなり団子選手権で
グランプリ金賞を獲得しました^^v
そのいきなり団子が「大納言いきなり」なんです♪
店の中に入ると、ご主人は不在で奥さんがお店番をしておりました
カメラをぶら下げたらぼっちが、珍しかったのか
「えー、取材か何か?」「どちらから?」「どうしてうちの店を?」
立て続けに質問してきます^m^
「東京銀座のいきなり選手権で優勝されたんでしょ」
なんて、知ったかぶりしたら、
奥さん、喜ぶ、喜ぶ♪
後で写真を見たら、全部外のPR看板に書いているじゃん
「あかちんさんとブログ交流してますから」
「まぁ、あかちんさんと」「主人がいたらよかったのに」と残念そう
「ブログで紹介しますから」と言うと
奥さん、さらに、喜ぶ、喜ぶ♪
この時とばかり、「写真を取らせてくれませんか」と言うと
奥さん、逃げる、逃げる^^;
ということで、店内の写真だけ
はて、ピンクの紙は何? とっちんに聞いとけよと言われた^^;
大納言いきなりの他に全品を一つずつ購入
会計を終えると、何を思ったか、奥さん
お茶缶を持っていってと渡そうとするので、丁重にお断りしました^^
この後、とある神社の境内の木陰にシートを敷いて、じんじゃーピクニック!!
まぁこんなピクニックはさすがに熟年夫婦くらいだろうな
泗水の弁当は、こちらが390円
こちらは350円、やっぱり、安いのが人気の秘密かな♪
そして、各種いきなり団子の皆さん^^
割ったところの写真を紹介しとかんとね
こちらが、「大納言いきなり」
芋は熊本県産の金時芋、あんは北海道産の小豆粒餡に大粒の大納言をトッピング♪
生地は良質の国産粉を使用、米粉を多く使用しています
薄皮なのにもっちりしていて、甘さもすっきり!
芋と餡が上手に合体しています、さすがグランプリ金賞のいきなりだ♪
こちらは、季節限定の「桜いきなり」
「豆乳たかな万十」
「豆乳いも万十」
「ばってん黒丸」
昼には食べられなくて、夜に食べたのもあるんですが
冷めても美味しかったな♪
らぼっち的には、中でも「ばってん黒丸」が好きかな
奥さん、割った面がきれいに撮れてなくて、ごめんなさい^^;
たくさんいるんだろうな
キンスマでやってたロングブレスダイエット!
リバウンドもなく2ヶ月で17kgもやせたADも
はい、熟年二人も、ホーッとやってました^m^
さて今日ネタは、神社らー続きになるのでちょいと、別ねたで^^
まずはお昼用の弁当を買いに道の駅泗水に向かう途中
止まっているトラックを避けた途端、見えてきた風景
何々??
あれーっ、ハクサイが転げ落ちてるーっ!!

運転操作が荒かったのか、積み荷の縛り方が悪かったのか
あーぁ、お兄ちゃんたち、たいへんです
さて泗水は弁当が人気の道の駅、迷ったあげくのチョイスは後で♪
次に向かったのは、あかちんさんのところでも紹介されています
植木ICのそばにある「肥後ばってん堂」さん

こちらは東京銀座熊本館第2回いきなり団子選手権で
グランプリ金賞を獲得しました^^v

そのいきなり団子が「大納言いきなり」なんです♪
店の中に入ると、ご主人は不在で奥さんがお店番をしておりました
カメラをぶら下げたらぼっちが、珍しかったのか
「えー、取材か何か?」「どちらから?」「どうしてうちの店を?」
立て続けに質問してきます^m^
「東京銀座のいきなり選手権で優勝されたんでしょ」
なんて、知ったかぶりしたら、
奥さん、喜ぶ、喜ぶ♪
後で写真を見たら、全部外のPR看板に書いているじゃん
「あかちんさんとブログ交流してますから」
「まぁ、あかちんさんと」「主人がいたらよかったのに」と残念そう
「ブログで紹介しますから」と言うと
奥さん、さらに、喜ぶ、喜ぶ♪

この時とばかり、「写真を取らせてくれませんか」と言うと
奥さん、逃げる、逃げる^^;
ということで、店内の写真だけ
はて、ピンクの紙は何? とっちんに聞いとけよと言われた^^;

大納言いきなりの他に全品を一つずつ購入

会計を終えると、何を思ったか、奥さん
お茶缶を持っていってと渡そうとするので、丁重にお断りしました^^
この後、とある神社の境内の木陰にシートを敷いて、じんじゃーピクニック!!
まぁこんなピクニックはさすがに熟年夫婦くらいだろうな
泗水の弁当は、こちらが390円

こちらは350円、やっぱり、安いのが人気の秘密かな♪

そして、各種いきなり団子の皆さん^^

割ったところの写真を紹介しとかんとね
こちらが、「大納言いきなり」

芋は熊本県産の金時芋、あんは北海道産の小豆粒餡に大粒の大納言をトッピング♪
生地は良質の国産粉を使用、米粉を多く使用しています
薄皮なのにもっちりしていて、甘さもすっきり!
芋と餡が上手に合体しています、さすがグランプリ金賞のいきなりだ♪
こちらは、季節限定の「桜いきなり」

「豆乳たかな万十」

「豆乳いも万十」

「ばってん黒丸」

昼には食べられなくて、夜に食べたのもあるんですが
冷めても美味しかったな♪
らぼっち的には、中でも「ばってん黒丸」が好きかな
奥さん、割った面がきれいに撮れてなくて、ごめんなさい^^;
<肥後ばってん堂>
[所在地]熊本市北区植木町味取334
[TEL]096-272-3108
[営業時間]08:30~18:30
[店休日]火曜日
[アクセス]地図はコチラ
今日は『高血圧の日』だったんですね
2005年に創設された「世界高血圧デー」に2007年5月17日、日本が参加して
高血圧の啓発活動を行っているということです
高血圧の理解を深め、自分の健康のために血圧を計ることは大事なことではあるけれど
しかし、なにも『高血圧の日』って名づけなくてもいいんじゃないかと・・・
『血圧測定の日』じゃいけなかったのかしら
え、それじゃ危機感がなくてダメ?そっか~(~_~;)
健康な生活を送るために、生活習慣の改善と日頃からの定期的な血圧測定が重要という
啓発キャンペーン「ウデをまくろう、ニッポン!」が日本各地で行われたとか
その一環として、熊本でも天草の富岡城にある勝海舟像や頼山陽像などの偉人像の腕に
カフ(血圧測定をする際に使用する腕帯)を巻いて
血圧チャレンジを呼びかけたという映像を見ました
なんだか笑ってしまいました
赤いタフが浮いていることにもですが、これで啓発できるのだろうか
太閤秀吉や龍馬、海舟達も驚きの出番だったことでしょう
あ、もしかしたら秀吉あたりは血圧高かったかもしれませんね
さて、かれこれ3週間近くも、熊本ネタから遠ざかっていたので
もう熟年に何があったのかをそろそろ忘れそうになってます^^;
撮った写真を見てもナニコレ?って(笑)
らぼっちときたら「そんなところ行ってない!」と言ったし・・(;一_一)
それはさておき、今日は5月5日に植木に用事があって出かけた際
通ったことのない道をドライブしていた時のお話です
なぜか合志の市役所方面経由で、うねうねと走っていた時
お~っと、鳥居を見っけ~^^
見ちゃったもんね、じゃいつものように寄らなくちゃ♪
こちらは「竹迫日吉神社」です
この日はコイツも一緒でした
ラボもジンジャラ~の一員にしてやろうか?(笑)
鳥居をくぐると狛犬たち
ここの狛犬、ちょっとユーモラスな顔立ちだと思いませんか
どんぐり眼やだんごっ鼻、あわわわ~って言ってそうな口、なんかかわいい♪
さっきから鳥居の後ろに見えていたのはこの楼門です
この竹迫日吉神社も何回か火災にあったといわれていますが
現存する楼門は、建築技術や彫刻などの様式から安土桃山から江戸時代の作りと推定されています
竹迫日吉神社は正治2年(1200年)、竹迫氏の先祖
中原摂津守師員(なかはらせっつのかみもろかず)によって創建されたと伝えられています
祭神は日吉大社東本宮祭司神でもある大山咋神(おおやまくいのかみ)や
国常立神(くにのとこたちのかみ)などで
配神は健磐龍命(たけいわたつのみこと)
天正13年(1585年)に島津氏によって竹迫城が落城し、合志氏が衰退すると廃れていき
現在の社殿は宝永年間(1704年~1711年)に再建されたものと伝えられています
部分的に新しく見えるのは、度重なる台風で甚大な被害を受けたので
修復されたためと思われます
拝殿の上にある彫刻は古いものなんでしょうね^^
拝殿の中には色が薄くなって、何が描かれているのかよくわからない絵馬が掲げてあります
これはなんと、竹迫下町出身で細川候のお抱え絵師にもなった吉岡蘇雪などが描いた
天保、嘉永、慶応の古い絵馬らしいですよ
天井絵もあるんですけどね
いろんなものがごちゃごちゃ(ごめんなさい^^;)あって見えなかったんです
お??
おお~~!!
拝殿に力神さんがいる~@@
こっちにも~^^
梁のところにも彫刻があって、力神さんも堂々として見える?^^
ちょっと小さめで、狛犬と同じようにイカツイ感じじゃなくお目々がどんぐり眼
にらめっこしたら負けちゃうかも(笑)
正直、本殿にはそんなに期待してなかったんです(またまた失礼m(__)m)
ところがどっこい、小さいながらも素晴らしい彫刻でした
後ろに回ってもそれは続いていました
社殿の裏には竹林が広がり、にょきにょきと伸びたタケノコに見下ろされました^^;
広い境内だな~^^
毎年例大祭には高千穂神楽が奉納されているんだそうです
イチョウの青葉も輝いていました
咲き始めたアヤメも神社を見守っているかのようでした^^
2005年に創設された「世界高血圧デー」に2007年5月17日、日本が参加して
高血圧の啓発活動を行っているということです
高血圧の理解を深め、自分の健康のために血圧を計ることは大事なことではあるけれど
しかし、なにも『高血圧の日』って名づけなくてもいいんじゃないかと・・・
『血圧測定の日』じゃいけなかったのかしら
え、それじゃ危機感がなくてダメ?そっか~(~_~;)
健康な生活を送るために、生活習慣の改善と日頃からの定期的な血圧測定が重要という
啓発キャンペーン「ウデをまくろう、ニッポン!」が日本各地で行われたとか
その一環として、熊本でも天草の富岡城にある勝海舟像や頼山陽像などの偉人像の腕に
カフ(血圧測定をする際に使用する腕帯)を巻いて
血圧チャレンジを呼びかけたという映像を見ました
なんだか笑ってしまいました
赤いタフが浮いていることにもですが、これで啓発できるのだろうか
太閤秀吉や龍馬、海舟達も驚きの出番だったことでしょう
あ、もしかしたら秀吉あたりは血圧高かったかもしれませんね
さて、かれこれ3週間近くも、熊本ネタから遠ざかっていたので
もう熟年に何があったのかをそろそろ忘れそうになってます^^;
撮った写真を見てもナニコレ?って(笑)
らぼっちときたら「そんなところ行ってない!」と言ったし・・(;一_一)
それはさておき、今日は5月5日に植木に用事があって出かけた際
通ったことのない道をドライブしていた時のお話です
なぜか合志の市役所方面経由で、うねうねと走っていた時
お~っと、鳥居を見っけ~^^

見ちゃったもんね、じゃいつものように寄らなくちゃ♪

こちらは「竹迫日吉神社」です

この日はコイツも一緒でした
ラボもジンジャラ~の一員にしてやろうか?(笑)

鳥居をくぐると狛犬たち
ここの狛犬、ちょっとユーモラスな顔立ちだと思いませんか
どんぐり眼やだんごっ鼻、あわわわ~って言ってそうな口、なんかかわいい♪

さっきから鳥居の後ろに見えていたのはこの楼門です

この竹迫日吉神社も何回か火災にあったといわれていますが
現存する楼門は、建築技術や彫刻などの様式から安土桃山から江戸時代の作りと推定されています


竹迫日吉神社は正治2年(1200年)、竹迫氏の先祖
中原摂津守師員(なかはらせっつのかみもろかず)によって創建されたと伝えられています

祭神は日吉大社東本宮祭司神でもある大山咋神(おおやまくいのかみ)や
国常立神(くにのとこたちのかみ)などで
配神は健磐龍命(たけいわたつのみこと)
天正13年(1585年)に島津氏によって竹迫城が落城し、合志氏が衰退すると廃れていき
現在の社殿は宝永年間(1704年~1711年)に再建されたものと伝えられています
部分的に新しく見えるのは、度重なる台風で甚大な被害を受けたので
修復されたためと思われます

拝殿の上にある彫刻は古いものなんでしょうね^^
拝殿の中には色が薄くなって、何が描かれているのかよくわからない絵馬が掲げてあります

これはなんと、竹迫下町出身で細川候のお抱え絵師にもなった吉岡蘇雪などが描いた
天保、嘉永、慶応の古い絵馬らしいですよ


天井絵もあるんですけどね
いろんなものがごちゃごちゃ(ごめんなさい^^;)あって見えなかったんです

お??

おお~~!!
拝殿に力神さんがいる~@@

こっちにも~^^
梁のところにも彫刻があって、力神さんも堂々として見える?^^

ちょっと小さめで、狛犬と同じようにイカツイ感じじゃなくお目々がどんぐり眼
にらめっこしたら負けちゃうかも(笑)

正直、本殿にはそんなに期待してなかったんです(またまた失礼m(__)m)
ところがどっこい、小さいながらも素晴らしい彫刻でした

後ろに回ってもそれは続いていました

社殿の裏には竹林が広がり、にょきにょきと伸びたタケノコに見下ろされました^^;

広い境内だな~^^

毎年例大祭には高千穂神楽が奉納されているんだそうです
イチョウの青葉も輝いていました

咲き始めたアヤメも神社を見守っているかのようでした^^

<竹迫日吉神社>
[所在地]熊本県合志市豊岡239
[アクセス]地図はコチラ
鎌倉散策もやっと・・・やっと最後の章に至りました
長かったですね~、しかもほとんどがオテラ~の記事で^^;
鎌倉の歴史を考えれば他に見ておきたいところもまだまだたっくさんあったんですけど
時間の関係上、断念せざるを得ませんでした
ということで、最後もやっぱりオテラ~で〆ることにしましょう
鎌倉といえば、やっぱり「大仏」さまですよね
最後にふさわしく、堂々としたお姿をご覧いただきましょうかね^^
鎌倉の大仏は「高徳院」(正しくは「大異山高徳院清浄泉寺」)のご本尊です
当然のことながら、通りは大仏を見に行く人、見終わった人で行列でした
長谷寺からの県道は車も多く、そのうえ歩道が狭くて追い抜くこともできず
どうしても遅い人と同じ歩調で歩かなくてはいけません(+o+)
やっと仁王門にたどり着きました
ん?んん~?? に・お・う・も・ん?
わーお、これ仁王門だったのかよ~~(>_<)
こりゃしまった、見てないぞ、仁王様は!
写真、写真・・・
へ?いない?よね・・仁王様
なんで?どうして?逃げた?
調べたら、昨年の秋に吽形像の頭部が破損、現在阿形像とともに修復作業を行っているんだとか
約2年間の予定でここに戻ってくるそうです
なんだ、いなかったのか
よかった、見逃したかと思っちゃった^^;
仁王様、元気になって帰ってきて欲しいな
おお~、見えてきた見えてきた♪
それにしても人が多いな~
みんな大仏さんとツーショットを撮りたいみたいで、なかなか人が動かない
青銅製の阿弥陀如来坐像
建立当時は金箔が施されていたそうですよ、キンキラ~☆キーンって(笑)
これ何だろう?何が入っているのかな?
誰も気に留めてなかったけど^^;
この鎌倉の大仏さん、作者も建立の理由も不明だそうです
「慶派」(運慶とそれに連なる仏師達)の作風と宋代中国の仏師達からの影響の両方を併せ持つ
鎌倉期らしい仏像といわれています
そして、死者の怨霊を鎮めるためとする説が有力なんだとか
台座を含む総高は13.35m、総重量121tだそうです
1243年(寛元元年)建立の初の大仏は木造であったが、台風により崩壊したため
新たに青銅製の大仏が1252年(建長4年)が造られ、大仏殿に安置されたようです
また明応年間に起きた大地震の際には、津波で高さ40mもの大仏殿が流されました
以後、露坐となり荒廃が進んでいた尊像は、江戸中期に
浅草の商人、野島新左衛門(泰祐)の喜捨を得た祐天・養国の手で復興をみたとのことです
面長は2.35m、眼長は1.00mあり、口幅は0.82m
耳長にいたっては1.90mもあるそうです^^

人々を照らす光を発せられるという白毫(びゃくごう)の下には
細く美しい眉に紺青色なる伏し目、高い鼻、ふっくらと穏やかに結ばれた口元
ずっと見てると懺悔でもしたくなるような気分になる^^;

『大仏像は9種類あるとされる阿弥陀仏の印相の中でも
最も格式が高い「上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)」を結んでいます』
と書いてあったのですが、何のことかよくわかりません(>_<)

でも、大仏様は猫背かも(笑)
ほら、ね!

あ、なに、この行列は?

何のために並んでいるのか、よくわからないまま行列の後ろにくっつく熟年^^:
よくよく聞いてみると、大仏様の胎内に入れるんですと!
並んだものの、時間がかかりそうということで
やめようか、それともせっかく来たんだし入ろうかとふたりでスッタモンダ
結局、中も見てみたい気持ちが勝り10分ほど並び待ちました、みんなも好きねえ(笑)
そうそう、別料金でひとり20円かかります
やっと順番がやってきました
げげげっ、せまっ(;一_一)

前のほうです
丸い穴のようなところが首だと思います、頑丈につなげられているようですね

角度をちょっと変えて撮ってみました
大きな格子模様からは、大仏像が約40回にも分けて鋳上げられた様子が窺えます
衣部分の流れるような凹凸もよく合わさっていますよ

こちらは背中側の窓の部分、この窓ははいつも開いているんだろうか
毎日開けたり閉めたりもた~いへん^^;

回廊内壁には長さ1.8m、幅0.9m、重量45kgにも及ぶ大きな藁草履がかけられていました

常陸太田市の松栄子供会によって、制作・奉納されたようです
「大仏様に万民を幸せにしていただきたい」と願いが込められています
あの~、こちらもお寺でしたよね
本堂とか建物の写真が1枚もないんですけど・・・どして?
オテラ~なのに、オテラ~失格じゃないか(>_<)
だってね、だって急いでたんですよ
大仏様とお別れしたのは4時半近く、次男と娘と新宿駅東口で6時半に待ち合わせしてたんです
鎌倉駅から新宿まで湘南新宿ラインで1時間くらいかかるし
大仏さんから駅までどのくらいかかる?

もう江ノ電に乗るのは嫌だし、表通りは人が多いので避けたい
そこで、裏道になる閑静な住宅地の間を通って行くことにしました
そしたら、結構遠回りだったのよね
30分くらいかかってしもうた~^^;

鎌倉駅では電車をちょっと待ったけど、しっかり座れました、よかった^^
余裕のよっちゃんで新宿駅に着いたまではよかったけど
湘南新宿ラインで降り立った新宿駅で東口方面の文字が見当たらないんです
南口しかない?そんなバカな・・・でもないんです
うろうろしてたら、なぜか小田急百貨店の中に入ってしまった
そして出口がない(>_<)
今度は小田急の中をうろうろ
もう新宿駅ってどうしてこんななの?
田舎者はとうとう小田急のお姉さんに聞きました「東口はどっちですか?」
一旦外に出て西口から東口に抜ける地下道を教えてもらいました
わ~ん、なんでこうなるの?
結構時間かかっちゃった
こうして東口に着いたのは6時25分、メールしたら二人とも駅に着いたばかりだって
アルタ前って言ったからすぐに来るよね

と、思ったのになかなか来ない
シビレを切らして電話してみたら、娘はアルタ前真ん中の木の下
次男はヨドバシカメラの前だって (;¬_¬)
こんなんじゃ会えるはずないよね
よかった、携帯がある時代で(笑)
こうして次男が予約してくれた店に行こうとしたんだけど
これがまた場所がはっきりしなくてうろうろ
やっと店に入って落ち着き、それぞれ近況報告して盛り上がりました
「二人ともちっとも変わらんね」
熟年二人のやり取りを聞いていた次男と娘が声をそろえて言うのでした(笑)
「私がご馳走するよ」と娘、初給料を貰ったのでちょっといいカッコしたかったみたい
財布をみたら、5000円しか入ってなかった(笑)
「どうせそんなことだろうと思った」と次男
そして、しっかり次男にご馳走してもらった3人なのでした^^

長かったですね~、しかもほとんどがオテラ~の記事で^^;
鎌倉の歴史を考えれば他に見ておきたいところもまだまだたっくさんあったんですけど
時間の関係上、断念せざるを得ませんでした
ということで、最後もやっぱりオテラ~で〆ることにしましょう
鎌倉といえば、やっぱり「大仏」さまですよね
最後にふさわしく、堂々としたお姿をご覧いただきましょうかね^^
鎌倉の大仏は「高徳院」(正しくは「大異山高徳院清浄泉寺」)のご本尊です
当然のことながら、通りは大仏を見に行く人、見終わった人で行列でした
長谷寺からの県道は車も多く、そのうえ歩道が狭くて追い抜くこともできず
どうしても遅い人と同じ歩調で歩かなくてはいけません(+o+)

やっと仁王門にたどり着きました
ん?んん~?? に・お・う・も・ん?

わーお、これ仁王門だったのかよ~~(>_<)
こりゃしまった、見てないぞ、仁王様は!
写真、写真・・・

へ?いない?よね・・仁王様
なんで?どうして?逃げた?
調べたら、昨年の秋に吽形像の頭部が破損、現在阿形像とともに修復作業を行っているんだとか
約2年間の予定でここに戻ってくるそうです
なんだ、いなかったのか
よかった、見逃したかと思っちゃった^^;
仁王様、元気になって帰ってきて欲しいな
おお~、見えてきた見えてきた♪

それにしても人が多いな~
みんな大仏さんとツーショットを撮りたいみたいで、なかなか人が動かない
青銅製の阿弥陀如来坐像
建立当時は金箔が施されていたそうですよ、キンキラ~☆キーンって(笑)

これ何だろう?何が入っているのかな?
誰も気に留めてなかったけど^^;

この鎌倉の大仏さん、作者も建立の理由も不明だそうです
「慶派」(運慶とそれに連なる仏師達)の作風と宋代中国の仏師達からの影響の両方を併せ持つ
鎌倉期らしい仏像といわれています
そして、死者の怨霊を鎮めるためとする説が有力なんだとか
台座を含む総高は13.35m、総重量121tだそうです

1243年(寛元元年)建立の初の大仏は木造であったが、台風により崩壊したため
新たに青銅製の大仏が1252年(建長4年)が造られ、大仏殿に安置されたようです
また明応年間に起きた大地震の際には、津波で高さ40mもの大仏殿が流されました
以後、露坐となり荒廃が進んでいた尊像は、江戸中期に
浅草の商人、野島新左衛門(泰祐)の喜捨を得た祐天・養国の手で復興をみたとのことです

面長は2.35m、眼長は1.00mあり、口幅は0.82m
耳長にいたっては1.90mもあるそうです^^

人々を照らす光を発せられるという白毫(びゃくごう)の下には
細く美しい眉に紺青色なる伏し目、高い鼻、ふっくらと穏やかに結ばれた口元
ずっと見てると懺悔でもしたくなるような気分になる^^;

『大仏像は9種類あるとされる阿弥陀仏の印相の中でも
最も格式が高い「上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)」を結んでいます』
と書いてあったのですが、何のことかよくわかりません(>_<)

でも、大仏様は猫背かも(笑)
ほら、ね!

あ、なに、この行列は?

何のために並んでいるのか、よくわからないまま行列の後ろにくっつく熟年^^:
よくよく聞いてみると、大仏様の胎内に入れるんですと!
並んだものの、時間がかかりそうということで
やめようか、それともせっかく来たんだし入ろうかとふたりでスッタモンダ
結局、中も見てみたい気持ちが勝り10分ほど並び待ちました、みんなも好きねえ(笑)
そうそう、別料金でひとり20円かかります
やっと順番がやってきました
げげげっ、せまっ(;一_一)

前のほうです
丸い穴のようなところが首だと思います、頑丈につなげられているようですね

角度をちょっと変えて撮ってみました
大きな格子模様からは、大仏像が約40回にも分けて鋳上げられた様子が窺えます
衣部分の流れるような凹凸もよく合わさっていますよ

こちらは背中側の窓の部分、この窓ははいつも開いているんだろうか
毎日開けたり閉めたりもた~いへん^^;

回廊内壁には長さ1.8m、幅0.9m、重量45kgにも及ぶ大きな藁草履がかけられていました

常陸太田市の松栄子供会によって、制作・奉納されたようです
「大仏様に万民を幸せにしていただきたい」と願いが込められています
あの~、こちらもお寺でしたよね
本堂とか建物の写真が1枚もないんですけど・・・どして?
オテラ~なのに、オテラ~失格じゃないか(>_<)
だってね、だって急いでたんですよ
大仏様とお別れしたのは4時半近く、次男と娘と新宿駅東口で6時半に待ち合わせしてたんです
鎌倉駅から新宿まで湘南新宿ラインで1時間くらいかかるし
大仏さんから駅までどのくらいかかる?

もう江ノ電に乗るのは嫌だし、表通りは人が多いので避けたい
そこで、裏道になる閑静な住宅地の間を通って行くことにしました
そしたら、結構遠回りだったのよね
30分くらいかかってしもうた~^^;

鎌倉駅では電車をちょっと待ったけど、しっかり座れました、よかった^^
余裕のよっちゃんで新宿駅に着いたまではよかったけど
湘南新宿ラインで降り立った新宿駅で東口方面の文字が見当たらないんです
南口しかない?そんなバカな・・・でもないんです
うろうろしてたら、なぜか小田急百貨店の中に入ってしまった
そして出口がない(>_<)
今度は小田急の中をうろうろ
もう新宿駅ってどうしてこんななの?
田舎者はとうとう小田急のお姉さんに聞きました「東口はどっちですか?」
一旦外に出て西口から東口に抜ける地下道を教えてもらいました
わ~ん、なんでこうなるの?
結構時間かかっちゃった
こうして東口に着いたのは6時25分、メールしたら二人とも駅に着いたばかりだって
アルタ前って言ったからすぐに来るよね

と、思ったのになかなか来ない
シビレを切らして電話してみたら、娘はアルタ前真ん中の木の下
次男はヨドバシカメラの前だって (;¬_¬)
こんなんじゃ会えるはずないよね
よかった、携帯がある時代で(笑)
こうして次男が予約してくれた店に行こうとしたんだけど
これがまた場所がはっきりしなくてうろうろ
やっと店に入って落ち着き、それぞれ近況報告して盛り上がりました
「二人ともちっとも変わらんね」
熟年二人のやり取りを聞いていた次男と娘が声をそろえて言うのでした(笑)
「私がご馳走するよ」と娘、初給料を貰ったのでちょっといいカッコしたかったみたい
財布をみたら、5000円しか入ってなかった(笑)
「どうせそんなことだろうと思った」と次男
そして、しっかり次男にご馳走してもらった3人なのでした^^

<高徳院 鎌倉大仏>
[所在地] 神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号
[拝観料] 200円
[アクセス]地図はコチラ
気仙沼に敏感に反応してしまう二人^^;
今日の熊日夕刊に気仙沼市大島のツバキ再生活動の記事が載ってました
「KDDI 気仙沼 椿Walk」なるものでサンドウィッチマンがPR大使♪
なんでもauの携帯やスマホからアプリを起動させて進むと
1kmごとに1円がKDDIから寄付させるというもの
あれっ、ドコモやソフトバンクもやればいいのにね
活動量計を買って、二人で今日の活動消費calを争っている熟年夫婦
ソフトバンクがこのような企画してくれたら、もっと頑張りがいがあるのにな、残念!
江ノ電を長谷駅で降り、北に200mくらい行くと
左手に「長谷観音(はせかんのん)」と呼ばれる「長谷寺(はせでら)」への道があらわれます
決して広くはない通りですが、古都らしい雑貨屋さんに
オルゴール堂
そして、こんな建物がありました
おもしろい意匠の建物だと思いません?
こちら昭和2年竣工の旅館で、高欄(こうらん)や持ち送り板、欄間窓(らんままど)など
興味深い独特な造りを醸し出しています
まだ営業しているみたいですよ^^
さて「長谷寺」の山門に着きました
正式には「海光山慈照院かいこうざんじしょういん)長谷寺」と号します
浄土宗系統の単立寺院ということで、奈良時代、天平8年(736年)の開創と伝えられています
受付を済ませ、新緑濃い庭を通って観音堂に登っていきます
木立の中、ここではみんな立ち止まります
良縁地蔵さんたちがおられたんですね~^^
にこやかなお顔に我が家の子供たちの良縁をじっくりとお願いしました
観音堂です、思ったよりも大きかった
入口から写真を撮ったものの、観音像は撮影禁止でした
ここの観音像についてはこんなお話があります
「養老5年(721年)に大和(奈良県)長谷寺の開山である徳道上人の本願に基づき、
一本の楠の巨大な霊木から二体の観音像を三日三晩にして造顕されたといいます。
そのうち一体は大和長谷寺の本尊となり、残る一体は有縁の地における衆生済度の誓願が込められ、
開眼供養を修した行基菩薩によって海中に投じられました。
その後、三浦半島の横須賀長井浜に打ち上げられたので
天平8年(736年)、藤原(中臣)鎌足の孫、房前(ふささき)が
徳道上人を開山として尊像は鎌倉へ遷座され、長谷寺開創の礎となりました。」
ふむふむ、これが鎌倉でも有数の古刹に数えられる所以なんですね
でも9.18mもあるといわれる十一面観音様は、そりゃま~とても見事なんですが
木造とは思えぬほどキンキラで細かく、ちょっと不思議な感じがしました^^;
こちらは観音堂に向かって右側にある阿弥陀堂
阿弥陀如来坐像は伝承によれば源頼朝公が自身の42歳厄災消徐を祈願して造立されたものだとか
なので、入口には「厄除阿弥陀如来」と書いてあります
珍しくお賽銭だけでなく、お線香を焚くらぼっち
何の厄除をお願いしているんだろうか、まさか般若(とっちん)の?^^;
ここは確か撮影禁止とは書いてなかったよね
らぼっちがいつのまにか撮ってたし阿弥陀如来坐像、こちらもキンピカでございます^^
こちらは左側にあります大黒堂
奥に宝仏殿があることさえ気づかず出てきてしまった、かなりの見落とし(笑)
そしてその左側には経蔵が見えます
中に入ってみると立派な造りの輪蔵が@@
回転式の書架を一回転させると、全ての経を読んだのと同じ功徳があるといわれています
でも、やたらは回せません
保護のため、回転させることができるのは観音様の縁日である18日に限られているそうです
中には一切経がぎっしりと詰め込まれています
よく見ると、輪蔵の柱には彫刻もしてありました
すんげ~細か~い、見ているだけでなんだか有難い気がしてくる~(笑)
外には子供もびっくりな仏足石がありました
そして大勢の人で賑わっていたのは鎌倉一の見晴台
えっと、確かここからは由比ヶ浜が見えるはず・・・んん~?
海は見えるけど浜が見えないじゃん(>_<)
じゃ、どうすんべ?
おっ、眺望散策路なる小道(坂道)発見!よーし行くかー!<(`^´)>
らぼっちに即、却下されました(泣)
後で良く考えたら、ここを登ったところが絶景だったのでしょうね、たぶん^m^
で、なぜか栄養補給(笑)
野菜のみで作られた寺まんじゅうと“大吉”だんご
いえ、鶴岡八幡宮で大凶を引いたからではありませんよ
たまたま、そうたまたま長谷寺のだんごがそういう名前だっただけ^^
こちらは鐘楼
ここの梵鐘は新たに鋳造されたものですが
鎌倉四大古鐘と言われる梵鐘は宝物館の中にあったんだって!
もお、これだからうっかり熟年は抜けてばっかりなんだよね^^;
すごい数のお地蔵様がおられる地蔵堂の前の庭、卍の形の池が珍しいです
おや、ここにもかわいいお地蔵様が♪
和み地蔵というそうです、ほんと気持ちが和みます
こちらの長谷寺も四季折々に花々が咲き乱れるようです
色鮮やかな牡丹にしおれかけた熟年の気持ちも高まり
白く清楚な大手毬に薄汚れた熟年の心が洗われたような気がしました♪
さ~鎌倉散策、最後の場所へ急ぐとしよ~^^
今日の熊日夕刊に気仙沼市大島のツバキ再生活動の記事が載ってました
「KDDI 気仙沼 椿Walk」なるものでサンドウィッチマンがPR大使♪
なんでもauの携帯やスマホからアプリを起動させて進むと
1kmごとに1円がKDDIから寄付させるというもの
あれっ、ドコモやソフトバンクもやればいいのにね
活動量計を買って、二人で今日の活動消費calを争っている熟年夫婦
ソフトバンクがこのような企画してくれたら、もっと頑張りがいがあるのにな、残念!
江ノ電を長谷駅で降り、北に200mくらい行くと
左手に「長谷観音(はせかんのん)」と呼ばれる「長谷寺(はせでら)」への道があらわれます

決して広くはない通りですが、古都らしい雑貨屋さんに

オルゴール堂

そして、こんな建物がありました
おもしろい意匠の建物だと思いません?

こちら昭和2年竣工の旅館で、高欄(こうらん)や持ち送り板、欄間窓(らんままど)など
興味深い独特な造りを醸し出しています
まだ営業しているみたいですよ^^
さて「長谷寺」の山門に着きました

正式には「海光山慈照院かいこうざんじしょういん)長谷寺」と号します
浄土宗系統の単立寺院ということで、奈良時代、天平8年(736年)の開創と伝えられています
受付を済ませ、新緑濃い庭を通って観音堂に登っていきます

木立の中、ここではみんな立ち止まります

良縁地蔵さんたちがおられたんですね~^^
にこやかなお顔に我が家の子供たちの良縁をじっくりとお願いしました

観音堂です、思ったよりも大きかった

入口から写真を撮ったものの、観音像は撮影禁止でした

ここの観音像についてはこんなお話があります
「養老5年(721年)に大和(奈良県)長谷寺の開山である徳道上人の本願に基づき、
一本の楠の巨大な霊木から二体の観音像を三日三晩にして造顕されたといいます。
そのうち一体は大和長谷寺の本尊となり、残る一体は有縁の地における衆生済度の誓願が込められ、
開眼供養を修した行基菩薩によって海中に投じられました。
その後、三浦半島の横須賀長井浜に打ち上げられたので
天平8年(736年)、藤原(中臣)鎌足の孫、房前(ふささき)が
徳道上人を開山として尊像は鎌倉へ遷座され、長谷寺開創の礎となりました。」
ふむふむ、これが鎌倉でも有数の古刹に数えられる所以なんですね
でも9.18mもあるといわれる十一面観音様は、そりゃま~とても見事なんですが
木造とは思えぬほどキンキラで細かく、ちょっと不思議な感じがしました^^;
こちらは観音堂に向かって右側にある阿弥陀堂

阿弥陀如来坐像は伝承によれば源頼朝公が自身の42歳厄災消徐を祈願して造立されたものだとか
なので、入口には「厄除阿弥陀如来」と書いてあります
珍しくお賽銭だけでなく、お線香を焚くらぼっち
何の厄除をお願いしているんだろうか、まさか般若(とっちん)の?^^;

ここは確か撮影禁止とは書いてなかったよね
らぼっちがいつのまにか撮ってたし阿弥陀如来坐像、こちらもキンピカでございます^^

こちらは左側にあります大黒堂
奥に宝仏殿があることさえ気づかず出てきてしまった、かなりの見落とし(笑)

そしてその左側には経蔵が見えます

中に入ってみると立派な造りの輪蔵が@@
回転式の書架を一回転させると、全ての経を読んだのと同じ功徳があるといわれています

でも、やたらは回せません
保護のため、回転させることができるのは観音様の縁日である18日に限られているそうです
中には一切経がぎっしりと詰め込まれています

よく見ると、輪蔵の柱には彫刻もしてありました
すんげ~細か~い、見ているだけでなんだか有難い気がしてくる~(笑)

外には子供もびっくりな仏足石がありました

そして大勢の人で賑わっていたのは鎌倉一の見晴台
えっと、確かここからは由比ヶ浜が見えるはず・・・んん~?

海は見えるけど浜が見えないじゃん(>_<)
じゃ、どうすんべ?
おっ、眺望散策路なる小道(坂道)発見!よーし行くかー!<(`^´)>
らぼっちに即、却下されました(泣)
後で良く考えたら、ここを登ったところが絶景だったのでしょうね、たぶん^m^
で、なぜか栄養補給(笑)
野菜のみで作られた寺まんじゅうと“大吉”だんご

いえ、鶴岡八幡宮で大凶を引いたからではありませんよ
たまたま、そうたまたま長谷寺のだんごがそういう名前だっただけ^^
こちらは鐘楼

ここの梵鐘は新たに鋳造されたものですが
鎌倉四大古鐘と言われる梵鐘は宝物館の中にあったんだって!
もお、これだからうっかり熟年は抜けてばっかりなんだよね^^;
すごい数のお地蔵様がおられる地蔵堂の前の庭、卍の形の池が珍しいです

おや、ここにもかわいいお地蔵様が♪
和み地蔵というそうです、ほんと気持ちが和みます

こちらの長谷寺も四季折々に花々が咲き乱れるようです

色鮮やかな牡丹にしおれかけた熟年の気持ちも高まり

白く清楚な大手毬に薄汚れた熟年の心が洗われたような気がしました♪

さ~鎌倉散策、最後の場所へ急ぐとしよ~^^
<長谷寺>
[所在地]神奈川県鎌倉市長谷3-11-2
[拝観料]300円
[アクセス]地図はコチラ
念願の生しらす丼を食べて上機嫌のふたりが向かったのは鎌倉駅
歩くんじゃなかったんか~いって?
いやいや、鎌倉に来たからには乗らなきゃいけないでしょ!
絶対に乗るべきだよね、江ノ電に♪♪
なんかここでも人多いな~
お、なんだかいい匂いがしてきたぞ、鎌倉コロッケ(*^_^*)
何も考えず、欲のままに手を出す熟年ふたり
生しらす丼を食べたばかりなのに、「デザート、デザート」と言いながら(笑)
そう、ここまでは、コロッケを買ったところまではよかったんです
しかーし、これが熟年に暗雲をもたらす始まりとなったのです^^;
並んで鎌倉コロッケとエビクリームコロッケの二つを購入したとっちん
その時、らぼっちは江ノ電を撮ろうと電車の到着を待っていたのです
すぐに食べるだろうと財布を小脇に、コロッケ二つを持ってらぼっちの所に行くと
「人がいっぱいだけん、先に並んどって!」
「はい、はい、わかりました、江ノ電ちゃんと撮ってよ!」
とっちんは言われるがまま、人が増えつつあるホームに行って並んでいました
コロッケはど~すんだよ、らぼっち早く来ないかな・・・
おお~、向かいのホームに電車がすべりこんできたー!
コロッケも食べずに電車を待っていたんだから、うまく正面から撮れてるだろうな
すぐにとっちんの待っているところに来るだろうと思っていたら
全然来ない!!
どこに行ったんだ?電車来ちまうぞ! (;¬_¬)
と、そこで携帯が鳴りました
「どこ~?俺、一番前~、乗るよ~」って、超お気楽ならぼっちの声
はあ~、こっちはコロッケ持って待っていたってのによ~
忘れてんだろうな、そんなことも・・・^^;
ま、GW中のこの人ごみだからか仕方がないか
と乗り込んだ電車はチョー満員!!通勤電車のように寿司詰め状態だったんです(>_<)
ニオイが立ち込めるので、持っていたコロッケの袋の口をしっかり握りしめるとっちん
暑いので、自分のまわりの隙間を一生懸命作っていたら
持っていたはずの切符が、ない!!@@
あれ?と探していると、らぼっちからメールが・・・「何両目?」
切符を無くしてアタフタしていたとっちん、コロッケが邪魔だ(>_<)
「知らん!切符落とした」とやっとの思いで返信して、探しまくりました
いつ落としたんだ?
ホームで携帯を出した時?
ホームで財布を入れた時?
電車に乗り込む時?
江ノ電が産声をあげたのは明治35年、レトロ浪漫満ち溢れた電車だったはず
山あり川あり、海あり、トンネルや路面ありの風景だったはず
鎌倉から江の島まで23分間
そんなのぜ~んぜんわからないまま、人の頭とか背中をただ見ていました(笑)
民家の屋根や生垣にはかなり近いのは雰囲気でわかったけど・・・
かくして江ノ島駅についたふたり
乗っていたのはこんなラッピング電車だったなんて、知らなかった^^;
あ~ん、つまんなーーい!
あの緑とクリーム色の電車じゃなかったのね(>_<)
ホームでやっと顔を合わせた熟年ふたり
「何で見えるところに並んでなかったの?」と、らぼっち
「何でちゃんと探さんかったんよ」と、とっちん
「切符は買ったんだから」と駅員さんに言って、交渉してみたらと主張する、らぼっち
「その切符はないんだから仕方ないじゃない」と言う、とっちん
結局、再び電車賃を払って、やっとこさ改札を出たとっちん
らぼっちとは険悪な空気に(ー_ー)
これも「大凶」のタタリか・・・
むんずと掴んでいたものを1個、らぼっちに差し出し
改札のところで冷たくなったコロッケを無言でバックバク食べる熟年ふたりなのでした
え?らぼっちが撮った江ノ電の写真?
あっは~、どうしよっかな~、見せよっかな~
じ・つ・は、ピンボケだったのですねー、ぎゃはは(笑)
そんなこんなであまり話もしないまま、二人は江の島に向かって歩きました
この通りは「すばな通り」というところ、やっぱり人が多い^^;
境川の鼻先という意味で「すばな」と呼ばれているらしい
江戸時代から江島神社詣での通り道として旅籠、観光土産店が立ち並んでいたんだとか
そこを歩くこと約5分、地下道をくぐると江の島が近くに見えてきました
湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島(りくけいとう)なんですって^^
陸繋島とは宮崎の青島や苓北の富岡のように
砂州によって大陸や大きな島と陸続きになった島のことだそうです
ほんと砂浜になってる~^^
橋の真ん中も砂浜~^^
こっち側も砂浜~^^
振り向くと、ホテルやマンショ~ンが林立してます
と、ここで「江の島まで行くの?」と不安げに聞いてくるらぼっち
「なに~?ここまで来たのに行くつもりないのか~い!」
もう餌切れしたんかい?
江の島まで地下道から500mくらいだと思うけど
200mの地点で断念した熟年なのです
ウインドサーフィンの帆がカラフルだな~^^
げっ、4月だというのに泳いでいる子供がいる@@
いくら暑いたって、まだ泳ぐには気が早いってもんでしょ
水際でこのくらいがちょうどいいよね~
よく見れば、沖にはヨットがい~っぱい♪
湘南の海にヨット、う~んリッチな香りぷんぷんの風景だ^^
二人とも山育ちの熟年、海を見るとちょっとばかりテンションが上がり
仲良く江ノ島駅に戻るのでした^^
が、こんなヤツもいるんだな
なにか狙っているんだろうけど、みなさんお気をつけあそばせ(~_~;)
らぼっちのやる気のなさで、滞在時間たった30分の江の島観光?が終~了~!!
何しに来たんだ?砂浜に降り立って遠目に景色を見ただけか(笑)
そして、帰りこそは!と待っていた電車はこんな色^^;
ことごとくハズレました、これも「大凶」のせい?
江の島よ、さよなら~
また来ることは・・・たぶんないだろな^^;
帰りもやっぱり座れず、そこそこ人が多い
立ったままカメラを向けるも景色は、なんのこっちゃ?というものばかり(笑)
停まった駅でこんなのだけ撮れました
はあ~、つまんない写真^^;
あ、あ、なんで?
なんでこんなところに球磨焼酎?
生しらす丼を食べたところといい、この椅子といい
鎌倉って熊本と縁があるのね^^
さて電車を降りたら、またまたオテラ~に、へ~んし~んだよ~ん♪

歩くんじゃなかったんか~いって?
いやいや、鎌倉に来たからには乗らなきゃいけないでしょ!
絶対に乗るべきだよね、江ノ電に♪♪

なんかここでも人多いな~
お、なんだかいい匂いがしてきたぞ、鎌倉コロッケ(*^_^*)

何も考えず、欲のままに手を出す熟年ふたり
生しらす丼を食べたばかりなのに、「デザート、デザート」と言いながら(笑)
そう、ここまでは、コロッケを買ったところまではよかったんです
しかーし、これが熟年に暗雲をもたらす始まりとなったのです^^;
並んで鎌倉コロッケとエビクリームコロッケの二つを購入したとっちん
その時、らぼっちは江ノ電を撮ろうと電車の到着を待っていたのです
すぐに食べるだろうと財布を小脇に、コロッケ二つを持ってらぼっちの所に行くと
「人がいっぱいだけん、先に並んどって!」
「はい、はい、わかりました、江ノ電ちゃんと撮ってよ!」
とっちんは言われるがまま、人が増えつつあるホームに行って並んでいました

コロッケはど~すんだよ、らぼっち早く来ないかな・・・
おお~、向かいのホームに電車がすべりこんできたー!

コロッケも食べずに電車を待っていたんだから、うまく正面から撮れてるだろうな
すぐにとっちんの待っているところに来るだろうと思っていたら
全然来ない!!
どこに行ったんだ?電車来ちまうぞ! (;¬_¬)
と、そこで携帯が鳴りました
「どこ~?俺、一番前~、乗るよ~」って、超お気楽ならぼっちの声
はあ~、こっちはコロッケ持って待っていたってのによ~
忘れてんだろうな、そんなことも・・・^^;
ま、GW中のこの人ごみだからか仕方がないか
と乗り込んだ電車はチョー満員!!通勤電車のように寿司詰め状態だったんです(>_<)
ニオイが立ち込めるので、持っていたコロッケの袋の口をしっかり握りしめるとっちん
暑いので、自分のまわりの隙間を一生懸命作っていたら
持っていたはずの切符が、ない!!@@
あれ?と探していると、らぼっちからメールが・・・「何両目?」
切符を無くしてアタフタしていたとっちん、コロッケが邪魔だ(>_<)
「知らん!切符落とした」とやっとの思いで返信して、探しまくりました
いつ落としたんだ?
ホームで携帯を出した時?
ホームで財布を入れた時?
電車に乗り込む時?
江ノ電が産声をあげたのは明治35年、レトロ浪漫満ち溢れた電車だったはず
山あり川あり、海あり、トンネルや路面ありの風景だったはず
鎌倉から江の島まで23分間
そんなのぜ~んぜんわからないまま、人の頭とか背中をただ見ていました(笑)
民家の屋根や生垣にはかなり近いのは雰囲気でわかったけど・・・
かくして江ノ島駅についたふたり
乗っていたのはこんなラッピング電車だったなんて、知らなかった^^;

あ~ん、つまんなーーい!
あの緑とクリーム色の電車じゃなかったのね(>_<)
ホームでやっと顔を合わせた熟年ふたり
「何で見えるところに並んでなかったの?」と、らぼっち
「何でちゃんと探さんかったんよ」と、とっちん
「切符は買ったんだから」と駅員さんに言って、交渉してみたらと主張する、らぼっち
「その切符はないんだから仕方ないじゃない」と言う、とっちん
結局、再び電車賃を払って、やっとこさ改札を出たとっちん
らぼっちとは険悪な空気に(ー_ー)
これも「大凶」のタタリか・・・
むんずと掴んでいたものを1個、らぼっちに差し出し
改札のところで冷たくなったコロッケを無言でバックバク食べる熟年ふたりなのでした
え?らぼっちが撮った江ノ電の写真?
あっは~、どうしよっかな~、見せよっかな~
じ・つ・は、ピンボケだったのですねー、ぎゃはは(笑)

そんなこんなであまり話もしないまま、二人は江の島に向かって歩きました
この通りは「すばな通り」というところ、やっぱり人が多い^^;

境川の鼻先という意味で「すばな」と呼ばれているらしい
江戸時代から江島神社詣での通り道として旅籠、観光土産店が立ち並んでいたんだとか
そこを歩くこと約5分、地下道をくぐると江の島が近くに見えてきました

湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島(りくけいとう)なんですって^^
陸繋島とは宮崎の青島や苓北の富岡のように
砂州によって大陸や大きな島と陸続きになった島のことだそうです
ほんと砂浜になってる~^^

橋の真ん中も砂浜~^^

こっち側も砂浜~^^

振り向くと、ホテルやマンショ~ンが林立してます

と、ここで「江の島まで行くの?」と不安げに聞いてくるらぼっち
「なに~?ここまで来たのに行くつもりないのか~い!」
もう餌切れしたんかい?
江の島まで地下道から500mくらいだと思うけど
200mの地点で断念した熟年なのです
ウインドサーフィンの帆がカラフルだな~^^
げっ、4月だというのに泳いでいる子供がいる@@

いくら暑いたって、まだ泳ぐには気が早いってもんでしょ
水際でこのくらいがちょうどいいよね~

よく見れば、沖にはヨットがい~っぱい♪
湘南の海にヨット、う~んリッチな香りぷんぷんの風景だ^^

二人とも山育ちの熟年、海を見るとちょっとばかりテンションが上がり
仲良く江ノ島駅に戻るのでした^^

が、こんなヤツもいるんだな
なにか狙っているんだろうけど、みなさんお気をつけあそばせ(~_~;)

らぼっちのやる気のなさで、滞在時間たった30分の江の島観光?が終~了~!!
何しに来たんだ?砂浜に降り立って遠目に景色を見ただけか(笑)
そして、帰りこそは!と待っていた電車はこんな色^^;
ことごとくハズレました、これも「大凶」のせい?

江の島よ、さよなら~
また来ることは・・・たぶんないだろな^^;

帰りもやっぱり座れず、そこそこ人が多い
立ったままカメラを向けるも景色は、なんのこっちゃ?というものばかり(笑)
停まった駅でこんなのだけ撮れました

はあ~、つまんない写真^^;
あ、あ、なんで?
なんでこんなところに球磨焼酎?

生しらす丼を食べたところといい、この椅子といい
鎌倉って熊本と縁があるのね^^
さて電車を降りたら、またまたオテラ~に、へ~んし~んだよ~ん♪
<江ノ島>
[アクセス]地図はコチラ
1週間前、今日はどこそこに寄ってから目的地へ行こうか
なんて話をしていたのに、そのどこそこという寄り道の場所を
二人して思い出せない??
そして、これは今朝の話
朝食の時に面白い会話を二人でしていて
あっ、それブログの頭に使えるね、なんて話をしていたのに
その話題が二人して思い出せない
おーいっ、大丈夫か、熟年夫婦???
おーいっ、大丈夫か、俺たちの脳???
そういえば夕方、とっちんに長男から珍しくメール
母の日だからとりあえずメールしてみたとのこと
社会人になって初めてのことじゃないかな、なんて
とっちんもなんだかんだ言いながら、満更でもない様子^m^
明日は雨か・・・やはり
さて、中年にとって脳が危険な話などはさておき、まだGWの話題かって
お叱りも聞こえてきそうですが
なんせ感動したものって紹介したいじゃないですか^m^
ということで、今日は鎌倉の街中でのランチのお話♪
途中、なんだか振り返させる建物があちらこちらに
ランチは鎌倉でどこの店に行こうかと、決めていた店
でも店の名前を思い出せない?? まだ脳の話が続くんかい^m^
場所はこの辺とうろ覚えしていたので
IPhoneとにらめっこしながら、ウロウロ
ところが、さすがのGW、人気店などは大行列!
なんとか見つけることができましたがこのお店も行列だった^^;
「海月」
なぜこのお店にしたかって?
それはこれ!
「生しらす丼」が食べられるんです^^
いつだったかな、Hobby'sのmaiちゃんの3年位前の記事だったでしょうか
宇和島で食べてた生しらす
こんな小さいうちに獲ったらいかん、なんて思いもありましたが
反対に、これは絶対に食べてみたいとも思ったんです♪
しらすの禁漁時期は1月~3月中旬なのでGWは大丈夫、調査済み
江の島で有名な生しらすですが、市内でも頂けると聞いて決めていたのです^^v
・・・外で待つこと30分
ようやく店内に入ることができました
このお店は外のメニュー看板もそうでした
メニューが色鉛筆かな?で手描きなんです
はて、「さくら丼」?
これ以外に写真では撮ってないけど、他にも「かまくら太平燕」なんてのもある
女性スタッフさんに尋ねると
オーナーさんが熊本出身ですよ、ですって^^;
二人とも、生しらす丼を注文すると、残り2~3個で売り切れとなりました
あぶね~~♪
さぁ、3年越しの思いが実る時がやってきました、じゃーん^m^
キラキラ輝いていて、小さな黒い眼と艶々感が新鮮さを際立たせています
淡白な味を邪魔しないように醤油を少~し垂らす
旨~い♪
はーっ、これが生しらす丼ですか
釜揚げしらすは少し甘く感じるということも後で知ったし
次に機会があれば、「生しらす&釜あげ ハーフ&ハーフ」も頂きたいものです

これは店内にあったかまくら(雪室)風の個室の壁、なんで鎌倉に?? 鎌倉だから??
さーて、お腹も満たされたし、またオテラーの復活か~^m^
なんて話をしていたのに、そのどこそこという寄り道の場所を
二人して思い出せない??
そして、これは今朝の話
朝食の時に面白い会話を二人でしていて
あっ、それブログの頭に使えるね、なんて話をしていたのに
その話題が二人して思い出せない
おーいっ、大丈夫か、熟年夫婦???
おーいっ、大丈夫か、俺たちの脳???
そういえば夕方、とっちんに長男から珍しくメール
母の日だからとりあえずメールしてみたとのこと
社会人になって初めてのことじゃないかな、なんて
とっちんもなんだかんだ言いながら、満更でもない様子^m^
明日は雨か・・・やはり
さて、中年にとって脳が危険な話などはさておき、まだGWの話題かって
お叱りも聞こえてきそうですが
なんせ感動したものって紹介したいじゃないですか^m^

ということで、今日は鎌倉の街中でのランチのお話♪

途中、なんだか振り返させる建物があちらこちらに

ランチは鎌倉でどこの店に行こうかと、決めていた店
でも店の名前を思い出せない?? まだ脳の話が続くんかい^m^

場所はこの辺とうろ覚えしていたので
IPhoneとにらめっこしながら、ウロウロ
ところが、さすがのGW、人気店などは大行列!
なんとか見つけることができましたがこのお店も行列だった^^;
「海月」

なぜこのお店にしたかって?
それはこれ!

「生しらす丼」が食べられるんです^^
いつだったかな、Hobby'sのmaiちゃんの3年位前の記事だったでしょうか
宇和島で食べてた生しらす
こんな小さいうちに獲ったらいかん、なんて思いもありましたが
反対に、これは絶対に食べてみたいとも思ったんです♪
しらすの禁漁時期は1月~3月中旬なのでGWは大丈夫、調査済み
江の島で有名な生しらすですが、市内でも頂けると聞いて決めていたのです^^v
・・・外で待つこと30分
ようやく店内に入ることができました

このお店は外のメニュー看板もそうでした
メニューが色鉛筆かな?で手描きなんです

はて、「さくら丼」?
これ以外に写真では撮ってないけど、他にも「かまくら太平燕」なんてのもある
女性スタッフさんに尋ねると
オーナーさんが熊本出身ですよ、ですって^^;

二人とも、生しらす丼を注文すると、残り2~3個で売り切れとなりました
あぶね~~♪
さぁ、3年越しの思いが実る時がやってきました、じゃーん^m^

キラキラ輝いていて、小さな黒い眼と艶々感が新鮮さを際立たせています

淡白な味を邪魔しないように醤油を少~し垂らす

旨~い♪
はーっ、これが生しらす丼ですか
釜揚げしらすは少し甘く感じるということも後で知ったし
次に機会があれば、「生しらす&釜あげ ハーフ&ハーフ」も頂きたいものです

これは店内にあったかまくら(雪室)風の個室の壁、なんで鎌倉に?? 鎌倉だから??
さーて、お腹も満たされたし、またオテラーの復活か~^m^
<海月>
[所在地] 神奈川県鎌倉市小町2-10-11 2F
[アクセス]地図はコチラ
今日はお出かけはしないでお家でま~ったりするつもりが
近所の動植物園で賑やかな催しをしていたので、ちらっと行ってきました
美味しいものでも食べようかと思い、食のブースの前にいたら
突然とっちんが誰かにに抱きつかれたんです、きゃ~チカン(>_<)
えへへ、なんちゃって、違いますよ、なんとユカマサのユカさんだったのです
ムスコっち連れてマサさんと3人で遊びに来てました♪
最初は寝てたムスコっち、いざ起きたらスタコラサッサと走りまくる(笑)
おお~、しばらく会わないうちにこんなに大きくなっちゃったんだ^^
いっぱいおしゃべりするムスコっちに癒されたひと時でした♡
さてまだまだ鎌倉でのお話
鎌倉の見どころとはいえ三日も続けてお寺のお話だと、いい加減飽きちゃいましたね
美味しいスイーツや雑貨、鎌倉彫なんかもありまして
たまにはこういうところのお話をば・・・
な~んてね、熟年がそんなお洒落なお店にいくわけがないしね~(笑)
ということで、今日はオテラーからジンジャラーに変身だよ~♪
え、たいして変わらないって?
まーまーそうおっしゃらずにお付き合いくださいな^^
鎌倉で神社といえば、言わずと知れた「鶴岡八幡宮」です
えっと~、確か二十数年前にちらっと来たことがあるはずなんですがね
これがちっとも覚えていない^^;
おまけに北鎌倉の方から下りてきたので、初鎌倉?みたいなもんです
なので、三方を山に囲まれた鎌倉への陸路の入口
鎌倉七口(かまくらななくち)なるものがあることを、今回初めて知りました
山を切り開いて通した道、切通しと言われる場所を通って鎌倉へと入っていたわけです
こちらは近くにそのひとつの巨福呂坂(こぶくろざか)が近くにある場所
巨福呂坂洞門と名づけられ新道(県道)になったようです
八幡宮に行く手前で、トイレ休憩を兼ねてお休み処でちょっと座ることに^^
もうすぐお昼になろうかという頃でした
ただ座ってるだけじゃおもしろくない、ってなわけで
こんなものが目の前に♪
熊本で言う酒まんじゅうみたいな感じ、有難い雰囲気ではあったけど
熊本の饅頭の方が美味しい気がしました
さて裏から「鶴岡八幡宮」に着いたわけですが
まあ、人の多いこと!!
人をかき分け前に進み、「本宮」の前にやってきました
康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として
出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです
ご祭神は応神天皇(おうじんてんのう)
比売神(ひめがみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)の三神
現在の御本殿は、文政11年(1828年)
江戸幕府11代将軍、徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で
若宮とともに国の重要文化財に指定されているということです
ボッケ~と見てたらみんなが並んでいました
初詣でもないのに並ぶなんて、さすが日本三大八幡宮の一社ですね^^
中は撮影禁止となっていたけど、撮っちゃったもんね
だってこれは中に入ってない時だったから(笑)
この上宮は高いところにあるんですよね、ほら^^
しばらくこの高いところから眺めていると、「舞殿」の所になにやら人だかりが!
なんだなんだ?と階段を急いで下りてみると、うわ~結婚式じゃないですか♪
なんというグッドタイミングなんでしょ、こんなの滅多にお目にかかれない!
と思ったら、ここでの結婚式、結構行われているようですね^^;
殿内着座後、雅楽の調べに合わせて始まりました
「舞殿」は、静御前が源義経を慕って舞を納めた「若宮回廊」の跡、神聖な場所です
熟年ふたりもお二人の背中に幸多かれと祈りました♡
それにしても人が多い^^;
と、ここでらぼっちがおみくじを発見
箱を振って番号のついた棒を出すアレです^^
お金を払って、早速しゃかしゃか・・・
出ました、三十九番です!
巫女さんに伝えるとおみくじが手渡されました、どれどれ・・・・
んん~っ?
ええ~っ?
はっい~っ?
んんぎゃーーーーーー!!
な、なんと「大凶」じゃないですかっ!!
んま~、珍しい!!
「大凶」って本当に入っているのね♪
「大吉」を引くのは珍しくないけど
「大凶」を引くのは滅多にないことでしょう、ね、ね?
急に小躍りして喜ぶ熟年ふたり
これって、なんかおかしいですかね?
らぼっちは喜びのあまり、財布に入れて持ち帰りました
今でも入っているようで「俺、ずっと持ってるつもり」ってニマニマしています(笑)
ハイテンションになったので、他の施設とかもたいして観ないまま
どんどん表のほうに進むふたりなのでした(笑)
こちらは「源平池」
右側の神社、旗を立て過ぎだろっ!って思ったら「旗上弁財天社」というところでした^^:
橋の向こうに本宮
通れないのにどうしてここにあるんだろう?^^;
鳥居からの風景も撮っとかなきゃね♪、ありゃ・・・(笑)
車も人も多いな~^^;
ここは 段葛(だんかずら)と言われるところ
1182年(養和2年)源頼朝が妻・政子の安産を祈願して造られた参道で
若宮大路の中心部となります
こうして「大凶」を引いた熟年ふたりは賑やかな鎌倉の街中に入っていくのでした^^
近所の動植物園で賑やかな催しをしていたので、ちらっと行ってきました
美味しいものでも食べようかと思い、食のブースの前にいたら
突然とっちんが誰かにに抱きつかれたんです、きゃ~チカン(>_<)
えへへ、なんちゃって、違いますよ、なんとユカマサのユカさんだったのです
ムスコっち連れてマサさんと3人で遊びに来てました♪
最初は寝てたムスコっち、いざ起きたらスタコラサッサと走りまくる(笑)
おお~、しばらく会わないうちにこんなに大きくなっちゃったんだ^^
いっぱいおしゃべりするムスコっちに癒されたひと時でした♡
さてまだまだ鎌倉でのお話
鎌倉の見どころとはいえ三日も続けてお寺のお話だと、いい加減飽きちゃいましたね
美味しいスイーツや雑貨、鎌倉彫なんかもありまして
たまにはこういうところのお話をば・・・
な~んてね、熟年がそんなお洒落なお店にいくわけがないしね~(笑)
ということで、今日はオテラーからジンジャラーに変身だよ~♪
え、たいして変わらないって?
まーまーそうおっしゃらずにお付き合いくださいな^^
鎌倉で神社といえば、言わずと知れた「鶴岡八幡宮」です
えっと~、確か二十数年前にちらっと来たことがあるはずなんですがね
これがちっとも覚えていない^^;
おまけに北鎌倉の方から下りてきたので、初鎌倉?みたいなもんです
なので、三方を山に囲まれた鎌倉への陸路の入口
鎌倉七口(かまくらななくち)なるものがあることを、今回初めて知りました
山を切り開いて通した道、切通しと言われる場所を通って鎌倉へと入っていたわけです
こちらは近くにそのひとつの巨福呂坂(こぶくろざか)が近くにある場所
巨福呂坂洞門と名づけられ新道(県道)になったようです

八幡宮に行く手前で、トイレ休憩を兼ねてお休み処でちょっと座ることに^^
もうすぐお昼になろうかという頃でした
ただ座ってるだけじゃおもしろくない、ってなわけで
こんなものが目の前に♪

熊本で言う酒まんじゅうみたいな感じ、有難い雰囲気ではあったけど
熊本の饅頭の方が美味しい気がしました
さて裏から「鶴岡八幡宮」に着いたわけですが
まあ、人の多いこと!!
人をかき分け前に進み、「本宮」の前にやってきました

康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として
出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです
ご祭神は応神天皇(おうじんてんのう)
比売神(ひめがみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)の三神
現在の御本殿は、文政11年(1828年)
江戸幕府11代将軍、徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で
若宮とともに国の重要文化財に指定されているということです
ボッケ~と見てたらみんなが並んでいました
初詣でもないのに並ぶなんて、さすが日本三大八幡宮の一社ですね^^

中は撮影禁止となっていたけど、撮っちゃったもんね
だってこれは中に入ってない時だったから(笑)
この上宮は高いところにあるんですよね、ほら^^

しばらくこの高いところから眺めていると、「舞殿」の所になにやら人だかりが!

なんだなんだ?と階段を急いで下りてみると、うわ~結婚式じゃないですか♪

なんというグッドタイミングなんでしょ、こんなの滅多にお目にかかれない!
と思ったら、ここでの結婚式、結構行われているようですね^^;

殿内着座後、雅楽の調べに合わせて始まりました
「舞殿」は、静御前が源義経を慕って舞を納めた「若宮回廊」の跡、神聖な場所です
熟年ふたりもお二人の背中に幸多かれと祈りました♡

それにしても人が多い^^;

と、ここでらぼっちがおみくじを発見
箱を振って番号のついた棒を出すアレです^^
お金を払って、早速しゃかしゃか・・・

出ました、三十九番です!

巫女さんに伝えるとおみくじが手渡されました、どれどれ・・・・

んん~っ?
ええ~っ?
はっい~っ?
んんぎゃーーーーーー!!
な、なんと「大凶」じゃないですかっ!!

んま~、珍しい!!
「大凶」って本当に入っているのね♪
「大吉」を引くのは珍しくないけど
「大凶」を引くのは滅多にないことでしょう、ね、ね?
急に小躍りして喜ぶ熟年ふたり
これって、なんかおかしいですかね?
らぼっちは喜びのあまり、財布に入れて持ち帰りました
今でも入っているようで「俺、ずっと持ってるつもり」ってニマニマしています(笑)
ハイテンションになったので、他の施設とかもたいして観ないまま
どんどん表のほうに進むふたりなのでした(笑)
こちらは「源平池」
右側の神社、旗を立て過ぎだろっ!って思ったら「旗上弁財天社」というところでした^^:

橋の向こうに本宮
通れないのにどうしてここにあるんだろう?^^;

鳥居からの風景も撮っとかなきゃね♪、ありゃ・・・(笑)

車も人も多いな~^^;
ここは 段葛(だんかずら)と言われるところ
1182年(養和2年)源頼朝が妻・政子の安産を祈願して造られた参道で
若宮大路の中心部となります

こうして「大凶」を引いた熟年ふたりは賑やかな鎌倉の街中に入っていくのでした^^
<鶴岡八幡宮>
[所在地]神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
[アクセス]地図はコチラ
さて本日は、オテラー第3弾とまいりましょう
まあ、飽きもせずとお思いでしょうが、お付き合いのほどをm(_ _)m
明月院を出て次のお寺に向かってボテボテと歩く北鎌倉路
気付くとなぜかこんな歌を口ずさんでいました
岡本正の「北鎌倉」、1975年の歌です♪
この歌を懐かしいというのは間違いなく50代以上だね
よかったらバックミュージックとして流しながらいかが ^m^
途中、スイーツ店やカフェから「おいで~」と美味しそうなニオイがしてきます
その誘いを振り切るかのように首をぶんぶん振って歩いていたら
道の向かいに、友野風呂?創業文政元年って書いてあるのを発見!
風呂桶や腰掛、たらいなどが店先に置いてあり、左にはキューピーさんまで@@
こちら風呂用小物専門のお店かと思ったら雑貨屋さんなんだって、おっもしろ~い♪
鎌倉五山第一位「臨済宗建長寺派の大本山「建長寺(けんちょうじ)」です
蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を開山として
鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建した日本最初の禅寺です
総門です、巨福門(こそくもん)ともいいます
天明3年(1783年)の建立された京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)の門を
昭和15年(1943年)に移築したものです
あは~、偶然だけど2枚の写真とも門の中に門が見えてるぞ^^
本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は明月院と同じく鎌倉幕府第5代執権、北条時頼
寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)といいます
境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されているんですって^^
ここでも牡丹の花がきれいに咲いておりました
黄色とか斑入りはちょっと珍しいかも♪
そして、こちらが三門、こりゃまたお見事!!
でも関東大震災で倒壊後、再建されたものなんですって
よく山門と書きますが
三解脱門の略で空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門のことです
ここ鎌倉では三門と書くほうがよさそうです
一昨日の円覚寺の門も三門と改めました
安永4年(1775年)に再建した重層門で高さは約30mあるそうですよ
ずっと見上げていると首が痛くなるくらい(笑)
上層には五百羅漢像などが安置されています
観ることはできませんけどね^^;
気になったのはこの礎石ならぬ、礎木?
これで大丈夫なのかな・・・(-_-;)

仏殿が見えてきましたよ
おっと、その前に巨樹がそそり立っているではないか^^
円覚寺にもあったビャクシンだ
鎌倉大震災や度重なる火災で当時の建物は焼失してしまいましたが
ここにある7本のビャクシンは生き残ったようです
中でもこの2本は大きかった、そりゃ760年も経つんだからね♪
へ?当時の建物が焼失してしまったんなら、現在の建物は何なの?って思いますよね
江戸時代に徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されたりしたんだとか
当時のものじゃないにしても国の重要文化財も多く、重厚な建物ばかりです
この仏殿は正保4年(1647年)に芝(東京)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を
建て替えに際し譲渡され、ここに移築されています
中に入って見上げると見事な彫刻が迎えてくれました
そして正面に目を移すと、本尊の地蔵菩薩坐像がどどど~~~んと@@
ひょえ~、立派、素晴らしい!!
室町時代の作で像高2.4mということですが、もっとずっと高いように感じました
地蔵菩薩坐像の両脇にも彫刻が施してあります、おもいっきりボケていますが^^;
そして天井は太い木を井桁状に組み、上に板を張った和様の格天井(ごうてんじょう)
薄れてはいますが、彫刻と同じく鳥の絵が描かれたキンピカの天井でした
地蔵菩薩坐像の後姿も観れました♪
それにしてもこんなに開け放って、光とか風とかにあてていいもんでしょうかね
観れなきゃ観れないで文句を言うくせに、こんなことが気になる熟年でした
その先には法堂(はっとう)が建っています、こちらも大きい^^
文化11年(1814年)に再建、関東最大級の木造建築だそうです
千手観音坐像が安置されているんですが、手前にある痩せ細った方はどなた?
天井画は小泉淳作筆の雲龍図
天井から襲ってきそうでした(笑)
そしてこちらは唐門、仏殿と同じく芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したものです
屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門で、中国とは関係ありません
関東大震災以来の大修理が昨年5月に終わったばかりだそうです
どおりで、おかしいくらいにキンキラキンキラなわけだ(笑)
方丈、竜王殿ともいいます
総門と同じく京都の般舟三昧院からの移築です
簡単に移築って書いたけど、こんな大きな建物なので
かなり手間がかかったんでしょうね
外廊下の一辺がずいぶん長いので、運動会ができるかも(笑)
廊下を曲がったら名勝史跡とされている庭園が広がりました
大覚禅師の作庭で、日本最古の禅庭園だそうです
座敷には何席もの椅子が置いてあって、ゆっくり座って観ることができます
たくさんの人が座っていましたが、熟年二人は急ぐので前をすすーっと^^;
靴を履く前のところに写経部屋があり、ちらっと覗いてみると
一人の女の子が無心に書いているところでした、えらい!
最後に国宝である梵鐘を観にいきました
建長7年(1255年)、鋳物師物部重光の制作
建長寺創建当時の数少ない遺品のひとつだそうです、梵鐘は燃えませんからね^^;
全国的に禅宗を広める元になった建長寺
さすが鎌倉五山第一位です、興味深いもの趣のあるものがたくさんありました
そうそう、「けんちん汁」の発祥がここ建長寺でもあるんですよ
漢字で書くと「建長汁」って書くんです、知ってました~?
まあ、飽きもせずとお思いでしょうが、お付き合いのほどをm(_ _)m
明月院を出て次のお寺に向かってボテボテと歩く北鎌倉路
気付くとなぜかこんな歌を口ずさんでいました
岡本正の「北鎌倉」、1975年の歌です♪
この歌を懐かしいというのは間違いなく50代以上だね
よかったらバックミュージックとして流しながらいかが ^m^
途中、スイーツ店やカフェから「おいで~」と美味しそうなニオイがしてきます
その誘いを振り切るかのように首をぶんぶん振って歩いていたら
道の向かいに、友野風呂?創業文政元年って書いてあるのを発見!

風呂桶や腰掛、たらいなどが店先に置いてあり、左にはキューピーさんまで@@
こちら風呂用小物専門のお店かと思ったら雑貨屋さんなんだって、おっもしろ~い♪
鎌倉五山第一位「臨済宗建長寺派の大本山「建長寺(けんちょうじ)」です

蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を開山として
鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建した日本最初の禅寺です
総門です、巨福門(こそくもん)ともいいます
天明3年(1783年)の建立された京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)の門を
昭和15年(1943年)に移築したものです

あは~、偶然だけど2枚の写真とも門の中に門が見えてるぞ^^
本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は明月院と同じく鎌倉幕府第5代執権、北条時頼
寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)といいます
境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されているんですって^^
ここでも牡丹の花がきれいに咲いておりました
黄色とか斑入りはちょっと珍しいかも♪

そして、こちらが三門、こりゃまたお見事!!
でも関東大震災で倒壊後、再建されたものなんですって

よく山門と書きますが
三解脱門の略で空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門のことです
ここ鎌倉では三門と書くほうがよさそうです
一昨日の円覚寺の門も三門と改めました
安永4年(1775年)に再建した重層門で高さは約30mあるそうですよ
ずっと見上げていると首が痛くなるくらい(笑)
上層には五百羅漢像などが安置されています
観ることはできませんけどね^^;

気になったのはこの礎石ならぬ、礎木?
これで大丈夫なのかな・・・(-_-;)

仏殿が見えてきましたよ

おっと、その前に巨樹がそそり立っているではないか^^
円覚寺にもあったビャクシンだ
鎌倉大震災や度重なる火災で当時の建物は焼失してしまいましたが
ここにある7本のビャクシンは生き残ったようです
中でもこの2本は大きかった、そりゃ760年も経つんだからね♪


へ?当時の建物が焼失してしまったんなら、現在の建物は何なの?って思いますよね
江戸時代に徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されたりしたんだとか
当時のものじゃないにしても国の重要文化財も多く、重厚な建物ばかりです
この仏殿は正保4年(1647年)に芝(東京)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を
建て替えに際し譲渡され、ここに移築されています

中に入って見上げると見事な彫刻が迎えてくれました

そして正面に目を移すと、本尊の地蔵菩薩坐像がどどど~~~んと@@

ひょえ~、立派、素晴らしい!!
室町時代の作で像高2.4mということですが、もっとずっと高いように感じました
地蔵菩薩坐像の両脇にも彫刻が施してあります、おもいっきりボケていますが^^;


そして天井は太い木を井桁状に組み、上に板を張った和様の格天井(ごうてんじょう)
薄れてはいますが、彫刻と同じく鳥の絵が描かれたキンピカの天井でした

地蔵菩薩坐像の後姿も観れました♪

それにしてもこんなに開け放って、光とか風とかにあてていいもんでしょうかね
観れなきゃ観れないで文句を言うくせに、こんなことが気になる熟年でした
その先には法堂(はっとう)が建っています、こちらも大きい^^

文化11年(1814年)に再建、関東最大級の木造建築だそうです
千手観音坐像が安置されているんですが、手前にある痩せ細った方はどなた?

天井画は小泉淳作筆の雲龍図

天井から襲ってきそうでした(笑)
そしてこちらは唐門、仏殿と同じく芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したものです
屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門で、中国とは関係ありません

関東大震災以来の大修理が昨年5月に終わったばかりだそうです
どおりで、おかしいくらいにキンキラキンキラなわけだ(笑)

方丈、竜王殿ともいいます
総門と同じく京都の般舟三昧院からの移築です

簡単に移築って書いたけど、こんな大きな建物なので
かなり手間がかかったんでしょうね

外廊下の一辺がずいぶん長いので、運動会ができるかも(笑)

廊下を曲がったら名勝史跡とされている庭園が広がりました
大覚禅師の作庭で、日本最古の禅庭園だそうです

座敷には何席もの椅子が置いてあって、ゆっくり座って観ることができます
たくさんの人が座っていましたが、熟年二人は急ぐので前をすすーっと^^;

靴を履く前のところに写経部屋があり、ちらっと覗いてみると
一人の女の子が無心に書いているところでした、えらい!

最後に国宝である梵鐘を観にいきました

建長7年(1255年)、鋳物師物部重光の制作
建長寺創建当時の数少ない遺品のひとつだそうです、梵鐘は燃えませんからね^^;

全国的に禅宗を広める元になった建長寺
さすが鎌倉五山第一位です、興味深いもの趣のあるものがたくさんありました
そうそう、「けんちん汁」の発祥がここ建長寺でもあるんですよ
漢字で書くと「建長汁」って書くんです、知ってました~?

<建長寺>
[所在地]神奈川県鎌倉市山ノ内8
[拝観料]300円
[アクセス]地図はコチラ
先日「HOME 愛しの座敷わらし」を観にいってきたんですよ
ふたりで映画館に行くのは久しぶり、いつ以来だろう・・半年ぶりか^^;
すごく良かったです、築200年の古民家が!(笑)
超デカイ茅葺き屋根の家、黒光りする広~い床、あちこちにある格子戸、タイル張りの台所
薪で焚くお風呂、温かい囲炉裏などなど、何処を見ても理想的なビジュアル♪
東北岩手の各地でロケが行われたようですよ
昨年4月、東日本大震災の深い傷も癒えぬ頃話があり、6月に約3週間かけて撮影された模様
遠野の風景がとても心にあたたかく癒されました^^
え?ストーリーの感想ですか?
『相棒』の右京さんとそのスタッフで創られた映画ですが、ガラリと違う役柄のホームドラマに
見終えて人に優しくありたいものだと、いつも不満たらたらの熟年は思ったのでした(*^_^*)
ま、座敷わらしがいることによってありえない展開ってのもありますが
観た人はそれぞれに考えたこと、いっぱいあるんじゃないでしょうかね
さて、今日は鎌倉「明月院」のお話です
「円覚寺」から300mくらいのところにあります
といっても、昔の馬道の入口から入口までのことで
奥の本堂まではもうちょっとあるんですよね~、ふ~^^;
でも、つい入ってみたくなるような路地や
雰囲気の良いおっされ~なカフェや
葉祥明さんの美術館があったりして
誘われそうになるのをぐっと堪え、「明月院」へと急ぎました
こちらは臨済宗建長寺派の寺院(建長寺は明日ご紹介します)
もともとは平治の乱で亡くなった首藤刑部大輔俊道の菩提供養として
永暦元年(1160年)俊道の子、山ノ内經俊によって創建された「明月庵」が起源
その後この地に、康元元年(1256年)北条時頼が建てた最明寺跡地に
子である北条時宗が禅興寺を再興させました
現在の「明月院」の本尊は聖観音、開基(創立者)は上杉憲方(のりかた)
開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)です
ややこしくて難しい歴史をつらつらと並べましたが
「紫陽花(あじさい)寺」といえば容易にわかりますよね^^
ってか、紫陽花の季節でもないのになんでここに寄ろうと思ったのか
自分たちでもよくわからない熟年ふたりだったのですが(笑)
そんなことはどうでもよくなるくらい緑が美しかった~♪
こちらが北条時頼の廟所
この左手に墓所もあったのですが
この辺りからちょっと空気が変わったので、先には行きませんでした(>_<)
手前には月の広場なるものがあって、あちこちでうさぎがかくれんぼしていました
これは桂橋、下には本堂奥の池から流れる川が通っています
新緑の中見下ろすと、まるで仙人にでもなったかのような気分
それにしても紫陽花のみならず、四季折々に花が見られるという「明月院」
木蓮がちょろっと残っているだけで、見事に何も咲いていません(笑)
これも日頃のオコナイのせいかとぶつぶつ・・・
すると「紫陽花寺」と言われる所以の場所に♪
花が咲いてないとイマイチ伝わるものがないか(-_-;)
緑、緑、どこを見ても緑ばっかり、目にはとてもいいんだけどね(笑)
こちらは中門、右側にその時季の花が飾ってあります
本堂が見えてきました
その前には枯山水庭園があります
桜の季節や紅葉の時季にはとても素晴らしいんでしょうね~、今はツツジがわずかに^^;
シャンデリアかと思った(笑)
わ~お♪ 丸窓の額縁だ~♡
邪魔だけん、どいて~!とも言えず(>_<)
お座敷に上がるにはお茶を頼まないといけないってことで
いつまでたっても思いっきり人がはいる図になったのでした
外人しゃ~ん、正座がお上手
それにとっても美人、なんだかこっちが絵になるわ~^^
一番奥には開山堂
密室守厳の木像が宗猷堂(そうゆうどう)に祀られ開山堂となりました
左側は「明月院やぐら」と呼ばれる、明月院のやぐら群で最大のもの
開基である憲方の墓であるとされています
なんだって?穴しか見えない?
だって~、ここにも近寄れなかったんですもん^^;
右には鎌倉十井のひとつ「瓶ノ井」があります
内部に水瓶のようなふくらみがあることから、この名がついているんだとか
現在も使われているようですよ
本堂の後ろには広い庭園があるそうですが
6月の花菖蒲と12月の紅葉の時季にしか入れないということです
あはは、花で有名なお寺で新緑しか見れなかったというお粗末なクダリでございました^^;
あ、そういえばシャガだけは咲いていたんだった
う~ん、かなり地味だ(笑)
ふたりで映画館に行くのは久しぶり、いつ以来だろう・・半年ぶりか^^;
すごく良かったです、築200年の古民家が!(笑)
超デカイ茅葺き屋根の家、黒光りする広~い床、あちこちにある格子戸、タイル張りの台所
薪で焚くお風呂、温かい囲炉裏などなど、何処を見ても理想的なビジュアル♪
東北岩手の各地でロケが行われたようですよ
昨年4月、東日本大震災の深い傷も癒えぬ頃話があり、6月に約3週間かけて撮影された模様
遠野の風景がとても心にあたたかく癒されました^^
え?ストーリーの感想ですか?
『相棒』の右京さんとそのスタッフで創られた映画ですが、ガラリと違う役柄のホームドラマに
見終えて人に優しくありたいものだと、いつも不満たらたらの熟年は思ったのでした(*^_^*)
ま、座敷わらしがいることによってありえない展開ってのもありますが
観た人はそれぞれに考えたこと、いっぱいあるんじゃないでしょうかね
さて、今日は鎌倉「明月院」のお話です
「円覚寺」から300mくらいのところにあります

といっても、昔の馬道の入口から入口までのことで
奥の本堂まではもうちょっとあるんですよね~、ふ~^^;
でも、つい入ってみたくなるような路地や

雰囲気の良いおっされ~なカフェや
葉祥明さんの美術館があったりして

誘われそうになるのをぐっと堪え、「明月院」へと急ぎました

こちらは臨済宗建長寺派の寺院(建長寺は明日ご紹介します)
もともとは平治の乱で亡くなった首藤刑部大輔俊道の菩提供養として
永暦元年(1160年)俊道の子、山ノ内經俊によって創建された「明月庵」が起源
その後この地に、康元元年(1256年)北条時頼が建てた最明寺跡地に
子である北条時宗が禅興寺を再興させました
現在の「明月院」の本尊は聖観音、開基(創立者)は上杉憲方(のりかた)
開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)です
ややこしくて難しい歴史をつらつらと並べましたが
「紫陽花(あじさい)寺」といえば容易にわかりますよね^^
ってか、紫陽花の季節でもないのになんでここに寄ろうと思ったのか
自分たちでもよくわからない熟年ふたりだったのですが(笑)
そんなことはどうでもよくなるくらい緑が美しかった~♪

こちらが北条時頼の廟所

この左手に墓所もあったのですが
この辺りからちょっと空気が変わったので、先には行きませんでした(>_<)
手前には月の広場なるものがあって、あちこちでうさぎがかくれんぼしていました


これは桂橋、下には本堂奥の池から流れる川が通っています

新緑の中見下ろすと、まるで仙人にでもなったかのような気分

それにしても紫陽花のみならず、四季折々に花が見られるという「明月院」
木蓮がちょろっと残っているだけで、見事に何も咲いていません(笑)
これも日頃のオコナイのせいかとぶつぶつ・・・
すると「紫陽花寺」と言われる所以の場所に♪

花が咲いてないとイマイチ伝わるものがないか(-_-;)
緑、緑、どこを見ても緑ばっかり、目にはとてもいいんだけどね(笑)
こちらは中門、右側にその時季の花が飾ってあります

本堂が見えてきました

その前には枯山水庭園があります
桜の季節や紅葉の時季にはとても素晴らしいんでしょうね~、今はツツジがわずかに^^;

シャンデリアかと思った(笑)

わ~お♪ 丸窓の額縁だ~♡

邪魔だけん、どいて~!とも言えず(>_<)
お座敷に上がるにはお茶を頼まないといけないってことで
いつまでたっても思いっきり人がはいる図になったのでした
外人しゃ~ん、正座がお上手
それにとっても美人、なんだかこっちが絵になるわ~^^

一番奥には開山堂
密室守厳の木像が宗猷堂(そうゆうどう)に祀られ開山堂となりました

左側は「明月院やぐら」と呼ばれる、明月院のやぐら群で最大のもの
開基である憲方の墓であるとされています

なんだって?穴しか見えない?
だって~、ここにも近寄れなかったんですもん^^;
右には鎌倉十井のひとつ「瓶ノ井」があります
内部に水瓶のようなふくらみがあることから、この名がついているんだとか
現在も使われているようですよ

本堂の後ろには広い庭園があるそうですが
6月の花菖蒲と12月の紅葉の時季にしか入れないということです

あはは、花で有名なお寺で新緑しか見れなかったというお粗末なクダリでございました^^;
あ、そういえばシャガだけは咲いていたんだった
う~ん、かなり地味だ(笑)

<明月院>
[所在地]鎌倉市山ノ内189 北鎌倉駅徒歩10分
[拝観料]300円
[アクセス]地図はコチラ
今日はアイスクリームの日だったんだって!
今日みたいに暑くなるころだからだよね!
と、勝手に思っていたら
明治2年(1869)の5月9日に日本で初めて横浜でアイスクリームが製造販売されたからだそうで
日本アイスクリーム協会が、昭和39年に5月9日を「アイスクリームの日」と決めました
そういえば昨年の猛暑、節電でアイスの売れ行きが良すぎて品薄になったところが
今年は増産の体制をとって備えているんだとか
暑さ対策に食べ過ぎてお腹壊したり、カロリーの摂り過ぎにならないよう気をつけながら
美味しく役に立ってもらいたいと思います
東北から夜遅く娘のアパートに戻ってきた熟年、「遅い!」と主に怒られちゃったけど^^;
次の日は休日じゃん、そのまま帰るのはもったいない(*^^)v
ということで、らぼっちの達ての希望を叶えてきました
翌朝8時にアパートを出て電車に乗り、降りたところは「北鎌倉駅」
GWということもあって、人多ーーーーいっ!!
駅員さんに言われるまま、混雑時に特別に設けられている出口から脱出
もうひとつの出口は大混雑で、しばらくはホームに留まらなければ出られない状態
鎌倉を歩くにあたって、北側に寄りたいところがたくさんあったので
北から攻めてみることにしたのです
大型連休に来たのは間違いだったか
みんな考えることは一緒なのね (;¬_¬)
しかーし、来てしまったものは仕方がない
歩き始めてすぐに入ったところは、こちら「円覚寺(えんがくじ)」です
1282年(弘安5年)、鎌倉時代後半北条時宗が禅を広めたいという願いと
元寇の戦没者追悼のため、中国より無学祖元禅師を招いて創建されました
臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられています
本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元
後で知ったのですが、熟年が歩いたのは馬道で、参道は線路が横切っており
この先の鎌倉街道のところにも門があったそうですよ
こちらは総門、案外ちっちゃいのね
ちょっと人が立ち止まると、すぐにつかえちゃって渋滞してしまう^^;
そのあとちょっと歩くと見えてきたのがこの三門
ぎょぎょ、さっきの門とはえらい違い
立派だ!!
天明3年(1783年)、大用国師誠拙和尚が再建
楼上には観世菩薩像、十六羅漢像などが安置されているとか
「円覚興聖禅寺」の額は伏見上皇の直筆だそうです
山門をくぐると仏殿が見えてきます
震災で倒壊しましたが、昭和39年に再建されました
本尊は「宝冠釈迦如来像」
300円の拝観料を払ったとはいえ、こちら写真撮影OKなんですよね、素晴らしい♪
ちょっぴり怖そうに見える、何も悪いことしてないよ~^^;
ああ~、天井には「白龍図」が!
参道の反対側には居士林、居士すなわち在家信者のための坐禅道場です
牛込から昭和3年に寄進移築されたもの、新緑と苔の緑がきれい
その隣には選仏場があります
元禄12年(1699年)建立の茅葺き屋根の坐禅道場、良い雰囲気^^
仏殿が再建されるまでは、この堂が仏殿を兼ねていたらしい
薬師如来立像(南北朝時代)が安置されていました、こちらは怖くない^^;
そしてこちらは国宝でもある舎利殿への門
わくわくしながら歩を進めていたのに、どこよ、どこにあるの?舎利殿
この門から入れないのかよ、300円払ったのに・・・(>_<)
正面の木の陰になっている建物がたぶんそうです
あらら、がっかりだぜぃ~(+_+)
だから説明もなし^^;
室町時代中期の建築と推定されているということだけ言っておこう(笑)
それからこちらは反対側の階段を登ったところにある如意庵の玄関?
本堂の表よりも目を引くものでした
すっごい襖絵だな、と思って横の座敷のほうを見てみると
な、な、なんじゃ~、まばゆいくらい煌びやかな屏風絵☆
ライトがビカビカ光らせてんじゃないかと思うくらい(笑)
本当ならもう少し近くで見たいところだけど、そういうわけにはいかないんだろうな^^;
そして開基廟、円覚寺の開基である、北条時宗公をおまつりしてあります
現在の開基廟は江戸時代1811年(文化8年)に改築されたものだそう
ここが一番奥まったところにある黄梅院
足利尊氏が夢窓疎石(円覚寺15世住持)の塔所として文和3年(1354年)に建立
ここはただでさえ狭くなっているのに、行き止まりでみんながUターンするもので大渋滞
さて熟年も回れ右して戻るとしましょう
あれれ?ここ見てなかったぞ^^;
大方丈の建物の脇には、はっきり描かれた板碑が何枚もありました
そして前にはビャクシン、鉛筆の匂いのする木
九州、熊本ではあまり名前を聞かないような・・熟年が知らないだけか?^^;
そしてその前には熟年二人だけが食いついた門があったのです
門扉にも 立派な彫刻があります
まるで飛び出す絵本のように立体感のあるものでした、うっとり♪
そしてちょうどいい時期だったみたいです
石楠花や牡丹が色を添えていました
この円覚寺にはもう一つ国宝があると知って、この坂を上っていきました
いつもならこのくらいの坂、なんてことはないんだけど(ウソです^^;)
なんせこの日は目的があり過ぎて急いでいたんです、きっつ~!
ふ~ふ~深呼吸をしながら見上げたのはこの鐘楼
「洪鐘」と書いて「おおがね」と読むんだそうです
北条貞時の寄進によるもので、正安3年(1301年)、鋳物師物部国光の制作
高さ2.6メートルを超えるっていうけど、あんまり大きく感じなかったな
玉名市にある蓮華院誕生寺 奥之院で世界一の大梵鐘を見てるからだろうか^^;
実を言うと手当たり次第って感じで寄った「円覚寺」でした
でも、さすが鎌倉♪
初っ端からとても良い雰囲気で“オテラー”を満喫できました
さあ、次行ってみよ~!
って、東慶寺には行かないよ
だって~、縁切り寺だもん
縁起でもないところはいくら古刹でも足は踏み入れないのだ^^
今日みたいに暑くなるころだからだよね!
と、勝手に思っていたら
明治2年(1869)の5月9日に日本で初めて横浜でアイスクリームが製造販売されたからだそうで
日本アイスクリーム協会が、昭和39年に5月9日を「アイスクリームの日」と決めました
そういえば昨年の猛暑、節電でアイスの売れ行きが良すぎて品薄になったところが
今年は増産の体制をとって備えているんだとか
暑さ対策に食べ過ぎてお腹壊したり、カロリーの摂り過ぎにならないよう気をつけながら
美味しく役に立ってもらいたいと思います
東北から夜遅く娘のアパートに戻ってきた熟年、「遅い!」と主に怒られちゃったけど^^;
次の日は休日じゃん、そのまま帰るのはもったいない(*^^)v
ということで、らぼっちの達ての希望を叶えてきました
翌朝8時にアパートを出て電車に乗り、降りたところは「北鎌倉駅」

GWということもあって、人多ーーーーいっ!!
駅員さんに言われるまま、混雑時に特別に設けられている出口から脱出
もうひとつの出口は大混雑で、しばらくはホームに留まらなければ出られない状態
鎌倉を歩くにあたって、北側に寄りたいところがたくさんあったので
北から攻めてみることにしたのです
大型連休に来たのは間違いだったか
みんな考えることは一緒なのね (;¬_¬)
しかーし、来てしまったものは仕方がない
歩き始めてすぐに入ったところは、こちら「円覚寺(えんがくじ)」です

1282年(弘安5年)、鎌倉時代後半北条時宗が禅を広めたいという願いと
元寇の戦没者追悼のため、中国より無学祖元禅師を招いて創建されました
臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられています
本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元
後で知ったのですが、熟年が歩いたのは馬道で、参道は線路が横切っており
この先の鎌倉街道のところにも門があったそうですよ

こちらは総門、案外ちっちゃいのね
ちょっと人が立ち止まると、すぐにつかえちゃって渋滞してしまう^^;

そのあとちょっと歩くと見えてきたのがこの三門

ぎょぎょ、さっきの門とはえらい違い
立派だ!!
天明3年(1783年)、大用国師誠拙和尚が再建
楼上には観世菩薩像、十六羅漢像などが安置されているとか
「円覚興聖禅寺」の額は伏見上皇の直筆だそうです

山門をくぐると仏殿が見えてきます
震災で倒壊しましたが、昭和39年に再建されました

本尊は「宝冠釈迦如来像」
300円の拝観料を払ったとはいえ、こちら写真撮影OKなんですよね、素晴らしい♪

ちょっぴり怖そうに見える、何も悪いことしてないよ~^^;
ああ~、天井には「白龍図」が!

参道の反対側には居士林、居士すなわち在家信者のための坐禅道場です
牛込から昭和3年に寄進移築されたもの、新緑と苔の緑がきれい

その隣には選仏場があります
元禄12年(1699年)建立の茅葺き屋根の坐禅道場、良い雰囲気^^

仏殿が再建されるまでは、この堂が仏殿を兼ねていたらしい
薬師如来立像(南北朝時代)が安置されていました、こちらは怖くない^^;

そしてこちらは国宝でもある舎利殿への門

わくわくしながら歩を進めていたのに、どこよ、どこにあるの?舎利殿
この門から入れないのかよ、300円払ったのに・・・(>_<)
正面の木の陰になっている建物がたぶんそうです
あらら、がっかりだぜぃ~(+_+)

だから説明もなし^^;
室町時代中期の建築と推定されているということだけ言っておこう(笑)
それからこちらは反対側の階段を登ったところにある如意庵の玄関?
本堂の表よりも目を引くものでした

すっごい襖絵だな、と思って横の座敷のほうを見てみると
な、な、なんじゃ~、まばゆいくらい煌びやかな屏風絵☆
ライトがビカビカ光らせてんじゃないかと思うくらい(笑)

本当ならもう少し近くで見たいところだけど、そういうわけにはいかないんだろうな^^;
そして開基廟、円覚寺の開基である、北条時宗公をおまつりしてあります
現在の開基廟は江戸時代1811年(文化8年)に改築されたものだそう

ここが一番奥まったところにある黄梅院
足利尊氏が夢窓疎石(円覚寺15世住持)の塔所として文和3年(1354年)に建立

ここはただでさえ狭くなっているのに、行き止まりでみんながUターンするもので大渋滞
さて熟年も回れ右して戻るとしましょう
あれれ?ここ見てなかったぞ^^;
大方丈の建物の脇には、はっきり描かれた板碑が何枚もありました

そして前にはビャクシン、鉛筆の匂いのする木
九州、熊本ではあまり名前を聞かないような・・熟年が知らないだけか?^^;

そしてその前には熟年二人だけが食いついた門があったのです

門扉にも 立派な彫刻があります
まるで飛び出す絵本のように立体感のあるものでした、うっとり♪

そしてちょうどいい時期だったみたいです
石楠花や牡丹が色を添えていました

この円覚寺にはもう一つ国宝があると知って、この坂を上っていきました

いつもならこのくらいの坂、なんてことはないんだけど(ウソです^^;)
なんせこの日は目的があり過ぎて急いでいたんです、きっつ~!
ふ~ふ~深呼吸をしながら見上げたのはこの鐘楼

「洪鐘」と書いて「おおがね」と読むんだそうです
北条貞時の寄進によるもので、正安3年(1301年)、鋳物師物部国光の制作
高さ2.6メートルを超えるっていうけど、あんまり大きく感じなかったな
玉名市にある蓮華院誕生寺 奥之院で世界一の大梵鐘を見てるからだろうか^^;

実を言うと手当たり次第って感じで寄った「円覚寺」でした
でも、さすが鎌倉♪
初っ端からとても良い雰囲気で“オテラー”を満喫できました
さあ、次行ってみよ~!
って、東慶寺には行かないよ
だって~、縁切り寺だもん
縁起でもないところはいくら古刹でも足は踏み入れないのだ^^

<円覚寺>
[所在地]鎌倉市山ノ内 北鎌倉駅徒歩1分
[拝観料]300円
[アクセス]地図はコチラ
ゴーストタウンと化した町は、今回のツアー参加者にいろんな事を訴えかけてきました
1年以上経っても、瓦礫が片付けられただけの風景をバスの中から見ながら
まだまだというか、本当に復興できるのだろうかという不安も感じられます
でも、ブーメラン(フカヒレ)も見たし、大島の方々も元気でした
日本全体で活気付けるべきだと思い直し、「気仙沼復興商店街」に向かったのです
バスの中でガイドさんが
「地元の商店街ですから、お土産ばかりがあるわけじゃありません
飲食店あり、薬屋さんあり、美容院あり、刃物屋さんあり、それから学習塾もあるんです
そのことを一考のうえ、お店に立ち寄ってみてください」と釘を刺されました
そうか、そうだよね
地域の人たちの生活のためにも商店街はなくてはならないもの
観光客が冷やかし半分でお店を見てまわるものじゃないのです
東日本各地でこのような復興商店街はたくさんできているようですが
地域の方の邪魔にならないよう、お金を落とさなくてなりません
前もってバスの中でもらった案内図、団地のようです

昨年12月24日にオープンした「復興商店街」
気仙沼市南町地区での商店街運営なので
正式には「気仙沼復興商店街 南町紫市場」となっています
南町紫市場の「紫」という名前は
商店街近くにある避難所となっていた「紫神社」にちなんで名づけられています
このロゴは、仮設商店街のある南町のローマ字頭文字「M」と「みなみ」を図案化し
復興に向けて手をつなぐ人たちを表しているんだそうです
裏にはお店の内容が書いてありました
営業時間や値段だったり、意気込みも載せてあります
バスに乗っている間にどこをまわるかを考えていました
なんたって、時間がない!1時間40分の滞在です^^;
ええ~っと、迷子になりそう(笑)
あお、あったあった!「特急寿司」さん
暖簾をくぐるとお昼時なので、待ち客が7、8人
時間がないけど、大丈夫なのかな?
と思いながら待つこと10分、あ、空いた!
カウンターに座ってオーダーすると
「ご飯が途切れたから、暖簾をしまって!」とお店の人
ふ~~、ぎりぎりセーフだった(-_-;)
注文したのは「にぎり上」と「海鮮丼」
どうですか、ネタがひとつもかぶってないでしょ?
バスツアーなのでビールも頼んで新鮮なお寿司に舌鼓、大満足です♪
あ~ん、思い出しただけでもヨダレが(笑)
こんなお味噌汁もついていました^^
具は甘海老の頭のみです(笑)
でもでも、これが良い出汁が出ていて美味しいのなんのって(#^.^#)
「どうして特急寿司っていうんですか?」らぼっちが若大将に聞きました
「うちは震災前はこの3軒隣で店をやってたんです
あそこにある電車で寿司を運んでいたんですよ」
そういうことだったんだ、プレハブで何かと不便なこともあるでしょうに
気持ちのいい応対に一見である熟年ふたりのほうがほっとさせて貰いました
ちなみに、こんなにリーズナブルなお値段だったんですよ
お腹が満たされたあとは、お隣にある「みなみまち青空市」さんへ
復興グッズも置いてあるということだったので寄ってみました
震災前や震災後のポストカードをはじめ、シールやストラップなどがたくさん
震災直後から空き地で露店としてスタートしていたお店でした
色鮮やかな千羽鶴に支援の大事さを改めて感じます
買った品の数々、決して忘れてはいけない、風化させてはいけない出来事です
復興商店街を1歩出ると、やはり気持ちが重くなります
信号が点いているのが不思議な感じ
頑丈そうに見える建物でも中は尋常じゃないことになっています
赤い丸印が書いてあったんですけど、何の印でしょうか?
こちらは全然手つかずなのか、それともゴミ溜めになっているかのようなビル
東京目黒のさんま祭りは有名、あのさんまはここ気仙沼産のものです
こういうちょっとしたものを見ても心が痛みます
市の花ヤマツツジが咲き乱れ、ウミネコやカツオに沸く気仙沼に早く戻って欲しいですね
このあと、お土産を買うためにあちこち3軒のお店に行き
最後はデザートにコロッケを(笑)
揚げたてあっつあつ出発時間も迫ってくる中、火傷しないように急いで食べました
そのコロッケのお店で偶然見かけたものがこの写真集
なぜ、コロッケ屋さんにこの写真集があるのかはよくわかりませんでしたが
結婚30年目の記録としても意味があると思い、即買い求めました
かくして1時間40分はあっという間に経ってしまい
こんなんでよかったのかと疑問を抱きながら、バスに乗り込みました
午後2時半バスは出発、とうとう気仙沼ともお別れです
すると商店街の方が出てきて手を振ってくれました
よくお土産物屋さんで見かける光景ですが
ここ気仙沼では意味合いの違うものに思えました
昨年6月、商店街の理事さんが阪神・淡路大震災で被害を受けた神戸市長田区の商店街を視察
震災から5カ月後に仮設大型店舗を開設した商店主の方から話を聞いたそうです
「仮設は仮設」「お金をかけない」「仮設店舗で資金をためる」と繰り返し言われたんだとか
また客足は必ず鈍るという体験談をもとに、月1回の集客イベントを計画
コンペで、人口を震災前の60、70%と想定しているような行政には頼らない
100%に戻したいと願っている商店街の人たちは
「気仙沼復興商店街」から「復興」の2文字が取れる日に向けて歩んでいるそうです
そしてバスが少し走ったところで、こんな動物からもお別れの挨拶が@@
鹿だと運転手さんが言ってたけど、らぼっちが「カモシカじゃん!」
こんな街中にどこからどうやってきたのでしょうかね
バスの前を横切り、民家に逃げ込もうとしたみたい
交通事故とかに遭わず、人にも捕まらず、ちゃんと山に帰れたかな・・
東北自動車道にのって一時間後、今回のボランティアツアーでお世話になった
添乗員の井上さんと森谷さんともここでお別れとなりました

仙台支社にお勤めですから、名残惜しいですが仕方ありません
何事にも一生懸命で、ボランティアの草取りも一緒に汗を流しました
若いお二人にいろんな話も聞かせてもらい、とても有意義なものになりました
本当にお世話になり、ありがとうございましたm(__)m
そして7時間半後には東京駅に到着、ツアーは終了となりました
「帰ったら知り合いの人にこんな状況だったよ、って伝えて貰えると嬉しい」
黒潮旅館の堺社長が、そう言っておられました
こういうツアーに参加したのも自己満足かもしれません
きれい事を並べた偽善者なのかもしれません
今回出来ることといったらこれしか考えられなかった熟年ふたりだったのです
(青年会議所のポスターに心打たれました)
1年以上経っても、瓦礫が片付けられただけの風景をバスの中から見ながら
まだまだというか、本当に復興できるのだろうかという不安も感じられます
でも、ブーメラン(フカヒレ)も見たし、大島の方々も元気でした
日本全体で活気付けるべきだと思い直し、「気仙沼復興商店街」に向かったのです
バスの中でガイドさんが
「地元の商店街ですから、お土産ばかりがあるわけじゃありません
飲食店あり、薬屋さんあり、美容院あり、刃物屋さんあり、それから学習塾もあるんです
そのことを一考のうえ、お店に立ち寄ってみてください」と釘を刺されました
そうか、そうだよね
地域の人たちの生活のためにも商店街はなくてはならないもの
観光客が冷やかし半分でお店を見てまわるものじゃないのです
東日本各地でこのような復興商店街はたくさんできているようですが
地域の方の邪魔にならないよう、お金を落とさなくてなりません
前もってバスの中でもらった案内図、団地のようです

昨年12月24日にオープンした「復興商店街」
気仙沼市南町地区での商店街運営なので
正式には「気仙沼復興商店街 南町紫市場」となっています
南町紫市場の「紫」という名前は
商店街近くにある避難所となっていた「紫神社」にちなんで名づけられています
このロゴは、仮設商店街のある南町のローマ字頭文字「M」と「みなみ」を図案化し
復興に向けて手をつなぐ人たちを表しているんだそうです

裏にはお店の内容が書いてありました
営業時間や値段だったり、意気込みも載せてあります

バスに乗っている間にどこをまわるかを考えていました
なんたって、時間がない!1時間40分の滞在です^^;

ええ~っと、迷子になりそう(笑)

あお、あったあった!「特急寿司」さん

暖簾をくぐるとお昼時なので、待ち客が7、8人
時間がないけど、大丈夫なのかな?
と思いながら待つこと10分、あ、空いた!

カウンターに座ってオーダーすると
「ご飯が途切れたから、暖簾をしまって!」とお店の人
ふ~~、ぎりぎりセーフだった(-_-;)
注文したのは「にぎり上」と「海鮮丼」


どうですか、ネタがひとつもかぶってないでしょ?
バスツアーなのでビールも頼んで新鮮なお寿司に舌鼓、大満足です♪
あ~ん、思い出しただけでもヨダレが(笑)
こんなお味噌汁もついていました^^

具は甘海老の頭のみです(笑)
でもでも、これが良い出汁が出ていて美味しいのなんのって(#^.^#)
「どうして特急寿司っていうんですか?」らぼっちが若大将に聞きました
「うちは震災前はこの3軒隣で店をやってたんです
あそこにある電車で寿司を運んでいたんですよ」

そういうことだったんだ、プレハブで何かと不便なこともあるでしょうに
気持ちのいい応対に一見である熟年ふたりのほうがほっとさせて貰いました
ちなみに、こんなにリーズナブルなお値段だったんですよ

お腹が満たされたあとは、お隣にある「みなみまち青空市」さんへ

復興グッズも置いてあるということだったので寄ってみました
震災前や震災後のポストカードをはじめ、シールやストラップなどがたくさん

震災直後から空き地で露店としてスタートしていたお店でした
色鮮やかな千羽鶴に支援の大事さを改めて感じます

買った品の数々、決して忘れてはいけない、風化させてはいけない出来事です

復興商店街を1歩出ると、やはり気持ちが重くなります
信号が点いているのが不思議な感じ

頑丈そうに見える建物でも中は尋常じゃないことになっています
赤い丸印が書いてあったんですけど、何の印でしょうか?

こちらは全然手つかずなのか、それともゴミ溜めになっているかのようなビル

東京目黒のさんま祭りは有名、あのさんまはここ気仙沼産のものです
こういうちょっとしたものを見ても心が痛みます

市の花ヤマツツジが咲き乱れ、ウミネコやカツオに沸く気仙沼に早く戻って欲しいですね

このあと、お土産を買うためにあちこち3軒のお店に行き

最後はデザートにコロッケを(笑)
揚げたてあっつあつ出発時間も迫ってくる中、火傷しないように急いで食べました

そのコロッケのお店で偶然見かけたものがこの写真集

なぜ、コロッケ屋さんにこの写真集があるのかはよくわかりませんでしたが
結婚30年目の記録としても意味があると思い、即買い求めました
かくして1時間40分はあっという間に経ってしまい
こんなんでよかったのかと疑問を抱きながら、バスに乗り込みました
午後2時半バスは出発、とうとう気仙沼ともお別れです
すると商店街の方が出てきて手を振ってくれました

よくお土産物屋さんで見かける光景ですが
ここ気仙沼では意味合いの違うものに思えました
昨年6月、商店街の理事さんが阪神・淡路大震災で被害を受けた神戸市長田区の商店街を視察
震災から5カ月後に仮設大型店舗を開設した商店主の方から話を聞いたそうです
「仮設は仮設」「お金をかけない」「仮設店舗で資金をためる」と繰り返し言われたんだとか
また客足は必ず鈍るという体験談をもとに、月1回の集客イベントを計画
コンペで、人口を震災前の60、70%と想定しているような行政には頼らない
100%に戻したいと願っている商店街の人たちは
「気仙沼復興商店街」から「復興」の2文字が取れる日に向けて歩んでいるそうです
そしてバスが少し走ったところで、こんな動物からもお別れの挨拶が@@
鹿だと運転手さんが言ってたけど、らぼっちが「カモシカじゃん!」

こんな街中にどこからどうやってきたのでしょうかね
バスの前を横切り、民家に逃げ込もうとしたみたい
交通事故とかに遭わず、人にも捕まらず、ちゃんと山に帰れたかな・・
東北自動車道にのって一時間後、今回のボランティアツアーでお世話になった
添乗員の井上さんと森谷さんともここでお別れとなりました

仙台支社にお勤めですから、名残惜しいですが仕方ありません
何事にも一生懸命で、ボランティアの草取りも一緒に汗を流しました
若いお二人にいろんな話も聞かせてもらい、とても有意義なものになりました
本当にお世話になり、ありがとうございましたm(__)m
そして7時間半後には東京駅に到着、ツアーは終了となりました

「帰ったら知り合いの人にこんな状況だったよ、って伝えて貰えると嬉しい」
黒潮旅館の堺社長が、そう言っておられました
こういうツアーに参加したのも自己満足かもしれません
きれい事を並べた偽善者なのかもしれません
今回出来ることといったらこれしか考えられなかった熟年ふたりだったのです

(青年会議所のポスターに心打たれました)
<気仙沼復興商店街>
[アクセス]地図はコチラ
昨日のつくば市の竜巻は凄かったですね
一夜明けた現場での中継を見てても、恐怖を感じてしまいました
気仙沼から帰ったばかりの熟年、津波ではなく竜巻によって
同じような光景を見るとは思いも寄りませんでした
他に落雷の犠牲になった人もいたとか
ここ最近の天候不良はどうしたことだろう
昨日は立夏でしたが、夏の気配どころかこんなことになろうとは
被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます
さて、昨日の続きです♪
フェリー海来(みらい)には、我々以外にも観光客が乗り込んできました
大島に訪れていた団体は、私達だけではなかったようです
島民の方達に見送られ、気仙沼のエースポートに向けて、いざ出港!
準備OKのものたちが他にもいました
フェリーを追いかけるようにウミネコ達が乱舞してくる
熊本島原間のフェリーのカモメと一緒で観光客がえさをやっているんだな
案の定、別の観光客がエビせんを出して掲げると、我先にと群がってくる
ウミネコって場所によっては天然記念物だよね
あまり良い事じゃないよ、なんて言いながら
写真を撮りまくっていたのはらぼっち^^;
そうこうしていると、黒く変色した山肌が見えてきた
そうだ、ウミネコなんて撮ってる場合じゃない
北は陸前高田市、南は南三陸町に挟まれた気仙沼市
三陸の各地が20mを越える津波に襲われる中、気仙沼市街地は10m程度の高さに留まりました
東側を御崎岬の半島と大島によって遮られ、直撃を受けなかったことが
大きかったのではないかと思います
しかし、それが被害を軽減したのかと聞かれれば
それは・・・違っていました
24年3月1現在、気仙沼市で亡くなった方1,032人、行方不明者324人
家屋の全壊 16,438棟
昨日は夕暮れであまりよく見えなかった海岸縁
明るくなって見えてきた風景は津波の爪痕がはっきりと分かります
ここまで来るとやはり海の色が茶色に変色しています
エースポートに入港した後、海岸線にバスを乗り入れてくれました
バスは右に左に大きくうねりながらゆっくりと進んで行きます
行けるところまで、ということでしたが
すぐに甚大な被害を目の当たりにさせられました
こちらは宮城県気仙沼合同庁舎、建物の左上に青い線が引かれているのが分かりますか
ここまで津波が上がったというラインです
津波避難ビルに指定されていたようですね
3階までは上がってこなかったのが分かります
ここからUターン!!
写真やTVで目にしてきたような光景が
今、目の前に広がっています
本来ならここから見えるはずもない山々がよく見渡せる・・・
バスは留まることはなかったので、車中で短く合掌しただけでした
・・・営みの感じられない風景が続きます
と、運転手さんが何か叫んでいます
「ブーメランかと思った」
残された建物の屋上に確かにブーメランのようなものがぶら下がっています
よくよく見ると、気仙沼ブランドのフカヒレだ^^
人の姿もカメラを2台ぶら下げた観光客?を一人見ただけ
このような光景が被害の大小はあれど青森県から茨城県まで続いているわけですから
復興って簡単に言いますが、莫大な予算と関係者の全開パワーが必要になりますね
途中フカヒレに気付いて良かったな^^
気仙沼人の復興に向けた元気とやる気を見て取ることができました^^
他の方達は何を感じたのかな
さて、お腹も空いてきたし、この後は元気100倍の復興商店街に向かいますよ、れっつらごー♪
一夜明けた現場での中継を見てても、恐怖を感じてしまいました
気仙沼から帰ったばかりの熟年、津波ではなく竜巻によって
同じような光景を見るとは思いも寄りませんでした
他に落雷の犠牲になった人もいたとか
ここ最近の天候不良はどうしたことだろう
昨日は立夏でしたが、夏の気配どころかこんなことになろうとは
被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます
さて、昨日の続きです♪
フェリー海来(みらい)には、我々以外にも観光客が乗り込んできました
大島に訪れていた団体は、私達だけではなかったようです

島民の方達に見送られ、気仙沼のエースポートに向けて、いざ出港!
準備OKのものたちが他にもいました

フェリーを追いかけるようにウミネコ達が乱舞してくる

熊本島原間のフェリーのカモメと一緒で観光客がえさをやっているんだな
案の定、別の観光客がエビせんを出して掲げると、我先にと群がってくる
ウミネコって場所によっては天然記念物だよね
あまり良い事じゃないよ、なんて言いながら
写真を撮りまくっていたのはらぼっち^^;

そうこうしていると、黒く変色した山肌が見えてきた
そうだ、ウミネコなんて撮ってる場合じゃない

北は陸前高田市、南は南三陸町に挟まれた気仙沼市
三陸の各地が20mを越える津波に襲われる中、気仙沼市街地は10m程度の高さに留まりました
東側を御崎岬の半島と大島によって遮られ、直撃を受けなかったことが
大きかったのではないかと思います
しかし、それが被害を軽減したのかと聞かれれば
それは・・・違っていました
24年3月1現在、気仙沼市で亡くなった方1,032人、行方不明者324人
家屋の全壊 16,438棟
昨日は夕暮れであまりよく見えなかった海岸縁
明るくなって見えてきた風景は津波の爪痕がはっきりと分かります

ここまで来るとやはり海の色が茶色に変色しています

エースポートに入港した後、海岸線にバスを乗り入れてくれました
バスは右に左に大きくうねりながらゆっくりと進んで行きます

行けるところまで、ということでしたが
すぐに甚大な被害を目の当たりにさせられました


こちらは宮城県気仙沼合同庁舎、建物の左上に青い線が引かれているのが分かりますか
ここまで津波が上がったというラインです

津波避難ビルに指定されていたようですね
3階までは上がってこなかったのが分かります

ここからUターン!!
写真やTVで目にしてきたような光景が
今、目の前に広がっています


本来ならここから見えるはずもない山々がよく見渡せる・・・

バスは留まることはなかったので、車中で短く合掌しただけでした

・・・営みの感じられない風景が続きます

と、運転手さんが何か叫んでいます
「ブーメランかと思った」

残された建物の屋上に確かにブーメランのようなものがぶら下がっています
よくよく見ると、気仙沼ブランドのフカヒレだ^^

人の姿もカメラを2台ぶら下げた観光客?を一人見ただけ

このような光景が被害の大小はあれど青森県から茨城県まで続いているわけですから
復興って簡単に言いますが、莫大な予算と関係者の全開パワーが必要になりますね
途中フカヒレに気付いて良かったな^^
気仙沼人の復興に向けた元気とやる気を見て取ることができました^^
他の方達は何を感じたのかな

さて、お腹も空いてきたし、この後は元気100倍の復興商店街に向かいますよ、れっつらごー♪
<宮城県気仙沼合同庁舎>
[アクセス]地図はコチラ
朝ごはんをしっかり食べた後、旅館「黒潮」さんのバスにて作業場まで移動
大島の南側から中心部に向けて(たぶん^^;)出発~♪
前にも書きましたが
今回の旅行の目的は、被災地でのボランティア活動と観光での経済支援です
前もってボランティア活動としての内容はワカメの乾燥作業と書いてありましたが
すでにその作業は終わってしまったとのこと
そこで考えられたのが、畑の草取り、です
は、なんで?と思われるでしょう?
大島では被災後、作物の半自給化の必要性の声に答えて
約800坪の休耕地を開墾、「みんなの畑プロジェクト」が始められています
自然災害で孤立してしまいがちな島では、野菜を作ることによって
島の外から食料が入ってこなくても生活していけるように、このプロジェクトが考えられました
「黒潮」の堺社長は、日本財団の支援で大島の震災の記録を残すという
「大島宝島委員会」の会長でもあり、こういったプロジェクトも運営されています
「島の大人だけでなく子供たちにも野菜作りを教えたい」
「化成肥料などを使わず、有機肥料で無農薬の野菜を作りたい」
堺社長は目を輝かせておっしゃいました^^
ボランティアにもいろんな仕方があると思います
被災地に入って現場を目の当たりにし、どれだけのことができるか不安でした
被災された方と直接会わなくても、ここで野菜を作ってくれる人がいるんだ
そんな気持ちで一生懸命に草取りをしました
大島の土はかなり水分が多く、根っこにいっぱい土が絡まりみんな悪戦苦闘です
でもその土には珍しいことに、砂粒のようなものが混ざっていてピカピカ光っていました
その輝きに気持ちも押され、みるみるうちにきれいな畑に変わっていきました
同じ頃らぼっちを含む男3人組は、近くの一人暮らしのおばあちゃんちへ^^
じゃんけんで負けたんだそうです(笑)
キウイの棚が倒れかけたので直して欲しいとのことでした
単管を引き抜きまた打ち込んで、竹竿を通して棚を持ち上げる作業だったようです
得意な人間なんていなかったと思いますが、どうにか形になってきた?^^;
こちらも悪戦苦闘の末、おばあちゃんの要望に応えることができました
すると、こちらではおばあちゃんからお茶や珈琲の差し入れがあったんですって!
「ありがとう、また来てくれや」と、しきりにお礼を言われたみたい
じゃんけんに負けて、かえって良い思い出ができたんだね(;¬_¬)
こうして約2時間、畑は見事?すぐに野菜が植えられる状態になりました
島のみんなのお役に少しは立てたかな^^
自給自足で野菜を食べる、何かあった時の強みですよね
このことは島ではなくても言えることです
この後、一旦旅館に戻り着替えてから、再度旅館のバスに乗り
島の一番高いところ、「亀山公園」に連れていってもらいました
その途中、家の基礎部分しかなくなった場所で片付けをしている人を見かけたり
瓦礫の山のそばを通ったりしました
島の瓦礫はこれでもずいぶん片付けられたんだとか
でも、まだたくさんの瓦礫が分別されていました
ここらへんは島のくびれ部分、ある程度高さもあるように感じましたが
前からも後ろからも津波が襲ったらしい
こうしてバスは亀山に登っていきます
途中でところどころ木々が黒いのに気付きました
気仙沼湾で起こった火災が大島の北側に近づき、飛び火してきたんだそうです
強い風にあおられこの亀山が点々と燃えていったようです
消防団員や自衛隊だけではなく、多くの島民が昼夜を問わず消火活動に奮闘したことで
民家への延焼もなく島が守られたということです
大地震、大津波の後の火事、どんなに大変な事態だったことでしょう
結束の力、生まれ育った島への想いが為せる力だったんだと思われます
そのような火事が起こったとは思えないように咲きほこる満開の椿と桜
通常なら満開の桜を鑑賞するところでしょうが
桜よりも眼下の悲惨な風景に目を奪われます
この亀山公園にはリフトでも来れるようになっていましたが
木々とともに焼けてしまったようです
焦た木々の間からは、無残な気仙沼の市街地が見えます
南気仙沼方面です
先日、スマホからもアップしましたね
これで震災前後の様子が分かりますか
あそこに例の重油タンクがあったんです
左(南)のほうに目を移しても、やはり同じような光景でした
こちらは北側、唐桑半島の付け根にあたるところ
見たところ被災は少ないかと思われますが、実際のところはよくわかりません
展望台でもいろんなお話を伺いました
質問も多く出されており、いつまでも話は尽きません
よく見たら、さっき見た瓦礫の山も見えていました
くびれの反対側は、あ、そうか浦の浜漁港だ
フェリーの発着場なのですが、やはり流されたものが多いようです
さて、フェリーの時間も迫っていたので急いで下りようとなりました
フェリー乗り場に下りてみると、やっぱり何もありません
左の山が「亀山公園」です
ここが漁港からのメインストリートだったはずです
プレハブが数軒建っていましたが、これからという感じでした
このかたは朝、熟年がいろいろお話をうかがった小松さんです
熟年がうかつにもカメラの充電器を部屋に忘れたところ
亀山から旅館までわざわざ往復して届けて下さったんです
本当にありがとうございましたm(_ _)m
自宅も流され、息子さんのためにと買って1ヶ月の船も沈んでしまったと話されていました
今も仮設住宅で生活しておられるということでした
つらいお話でしたが、ご本人はすごく前向きでいらっしゃいました
そして「平家の子孫なんだよ」とも、おっしゃってました^^
頑張ってください、なんてとても言えなかった熟年
「お世話になりました」と誠に味気ない挨拶になってしまった
身体に気をつけて無理はしないでくださいね、これも心の中でつぶやきました
こんな時、どんな言葉をかけたらいいのかわからず
「また来れたらいいなと思います」
これが精いっぱいでした
きっと、もう一度来るからね
その時は力強く復興した姿を見られることを祈ってます♪
大島の南側から中心部に向けて(たぶん^^;)出発~♪
前にも書きましたが
今回の旅行の目的は、被災地でのボランティア活動と観光での経済支援です
前もってボランティア活動としての内容はワカメの乾燥作業と書いてありましたが
すでにその作業は終わってしまったとのこと
そこで考えられたのが、畑の草取り、です
は、なんで?と思われるでしょう?
大島では被災後、作物の半自給化の必要性の声に答えて
約800坪の休耕地を開墾、「みんなの畑プロジェクト」が始められています

自然災害で孤立してしまいがちな島では、野菜を作ることによって
島の外から食料が入ってこなくても生活していけるように、このプロジェクトが考えられました
「黒潮」の堺社長は、日本財団の支援で大島の震災の記録を残すという
「大島宝島委員会」の会長でもあり、こういったプロジェクトも運営されています
「島の大人だけでなく子供たちにも野菜作りを教えたい」
「化成肥料などを使わず、有機肥料で無農薬の野菜を作りたい」
堺社長は目を輝かせておっしゃいました^^

ボランティアにもいろんな仕方があると思います
被災地に入って現場を目の当たりにし、どれだけのことができるか不安でした
被災された方と直接会わなくても、ここで野菜を作ってくれる人がいるんだ
そんな気持ちで一生懸命に草取りをしました

大島の土はかなり水分が多く、根っこにいっぱい土が絡まりみんな悪戦苦闘です
でもその土には珍しいことに、砂粒のようなものが混ざっていてピカピカ光っていました
その輝きに気持ちも押され、みるみるうちにきれいな畑に変わっていきました

同じ頃らぼっちを含む男3人組は、近くの一人暮らしのおばあちゃんちへ^^
じゃんけんで負けたんだそうです(笑)
キウイの棚が倒れかけたので直して欲しいとのことでした
単管を引き抜きまた打ち込んで、竹竿を通して棚を持ち上げる作業だったようです
得意な人間なんていなかったと思いますが、どうにか形になってきた?^^;

こちらも悪戦苦闘の末、おばあちゃんの要望に応えることができました

すると、こちらではおばあちゃんからお茶や珈琲の差し入れがあったんですって!
「ありがとう、また来てくれや」と、しきりにお礼を言われたみたい
じゃんけんに負けて、かえって良い思い出ができたんだね(;¬_¬)

こうして約2時間、畑は見事?すぐに野菜が植えられる状態になりました
島のみんなのお役に少しは立てたかな^^
自給自足で野菜を食べる、何かあった時の強みですよね
このことは島ではなくても言えることです
この後、一旦旅館に戻り着替えてから、再度旅館のバスに乗り
島の一番高いところ、「亀山公園」に連れていってもらいました
その途中、家の基礎部分しかなくなった場所で片付けをしている人を見かけたり

瓦礫の山のそばを通ったりしました

島の瓦礫はこれでもずいぶん片付けられたんだとか
でも、まだたくさんの瓦礫が分別されていました

ここらへんは島のくびれ部分、ある程度高さもあるように感じましたが
前からも後ろからも津波が襲ったらしい

こうしてバスは亀山に登っていきます
途中でところどころ木々が黒いのに気付きました

気仙沼湾で起こった火災が大島の北側に近づき、飛び火してきたんだそうです
強い風にあおられこの亀山が点々と燃えていったようです

消防団員や自衛隊だけではなく、多くの島民が昼夜を問わず消火活動に奮闘したことで
民家への延焼もなく島が守られたということです
大地震、大津波の後の火事、どんなに大変な事態だったことでしょう
結束の力、生まれ育った島への想いが為せる力だったんだと思われます

そのような火事が起こったとは思えないように咲きほこる満開の椿と桜

通常なら満開の桜を鑑賞するところでしょうが
桜よりも眼下の悲惨な風景に目を奪われます
この亀山公園にはリフトでも来れるようになっていましたが
木々とともに焼けてしまったようです

焦た木々の間からは、無残な気仙沼の市街地が見えます

南気仙沼方面です
先日、スマホからもアップしましたね

これで震災前後の様子が分かりますか
あそこに例の重油タンクがあったんです

左(南)のほうに目を移しても、やはり同じような光景でした

こちらは北側、唐桑半島の付け根にあたるところ
見たところ被災は少ないかと思われますが、実際のところはよくわかりません

展望台でもいろんなお話を伺いました
質問も多く出されており、いつまでも話は尽きません

よく見たら、さっき見た瓦礫の山も見えていました

くびれの反対側は、あ、そうか浦の浜漁港だ
フェリーの発着場なのですが、やはり流されたものが多いようです

さて、フェリーの時間も迫っていたので急いで下りようとなりました
フェリー乗り場に下りてみると、やっぱり何もありません
左の山が「亀山公園」です

ここが漁港からのメインストリートだったはずです
プレハブが数軒建っていましたが、これからという感じでした

このかたは朝、熟年がいろいろお話をうかがった小松さんです

熟年がうかつにもカメラの充電器を部屋に忘れたところ
亀山から旅館までわざわざ往復して届けて下さったんです
本当にありがとうございましたm(_ _)m
自宅も流され、息子さんのためにと買って1ヶ月の船も沈んでしまったと話されていました
今も仮設住宅で生活しておられるということでした
つらいお話でしたが、ご本人はすごく前向きでいらっしゃいました
そして「平家の子孫なんだよ」とも、おっしゃってました^^
頑張ってください、なんてとても言えなかった熟年
「お世話になりました」と誠に味気ない挨拶になってしまった
身体に気をつけて無理はしないでくださいね、これも心の中でつぶやきました
こんな時、どんな言葉をかけたらいいのかわからず
「また来れたらいいなと思います」
これが精いっぱいでした

きっと、もう一度来るからね
その時は力強く復興した姿を見られることを祈ってます♪
<大島亀山公園>
[アクセス]地図はコチラ
GWも残すところあと一日、早いもんです
今日は子供の日ということで、動植物園は大賑わいのようでした
動植物園の駐車場はもちろん、近くの公園や学校のグランドは車で溢れていました
春のこどもまつりやわくわく江津湖フェスタのイベントも開催中とのこと
天気が良くてよかった
ヤギの赤ちゃんも大人気だっただろうな~
お弁当持って、今日だけは子供につきあってあげたお父さんお母さんお疲れ様^^
我が家は近すぎて家族で行ったことってなかったんだ(笑)
早朝に娘のアパートを出発し7時間もバスに揺られたので、28日は早く休むことにしました
外が明るくなったのでそろそろ起きたほうがいいのかなと思い、携帯で時刻を確認
な、な、なんと 4時半!! じゃないか@@
熊本じゃこんな時間に起きることなんてまずないし、こんなに明るくないよ
東北と九州では時差もあるし
きっと脳や身体はいつもの6時だと思って目覚めたのだろうな(^_^メ)
それから寝るのももったいないし、朝食は7時半ということだったので
朝、それも早朝の散歩と相成りました^^
前の晩は暗くなってから着いたのでよくわかりませんでしたが
こちらがお世話になった「旅館黒潮」さんです
民宿のようなとても家庭的なところでした
大島でも一番南に位置する旅館です、たぶん^^;
まだ誰も起きてなさそうな頃、その「黒潮」さんの前の細い道を下って行きました
すると、すぐにいろいろな花が出迎えてくれたんです
熊本じゃもうとっくに終わっている花々^^
こちらの保育園の桜、見事でした
朝陽があたっていればもっとよかったのにね^^;
その隣には「長命寺」さん
こちらにお参りしておくと長生きできそうですね♪
東北のお寺ってどうなの?って近寄ってみると
わあ~、すごいすごい、すんばらしいじゃござんせんか♪
まさか、早朝散歩でオテラ~になるとはね(笑)
さらに下っていくと、県道に出ました
バス停がありますよ、ん?ミヤコーバスだって^^
九州でミヤコーって言ったら宮交(宮崎交通)だけど宮城交通でも同じだよね
う~ん、人口3000人余りの島でこの便数は多いのか少ないのか・・・
そこを真っ直ぐ下りていくと、津波の被害をもろに受けたであろう場所が!
ここは駒形漁港、朝早くから作業されています
地元の方に伺ったら、この漁港も2mくらい沈下したというお話
どおりで水面が岸壁と同じ高さなんだ
船が困ったような顔をしているように見えた
汗まで流して・・・^m^
暗くなる気持ちをたくさんの花が癒してくれます
朝露までが元気付けてくれるような^^
それにしてもこの大島、どこのお宅も花でいっぱい
花いっぱい運動でもしてるかのようです
さらに南に向かい、海端に近づいてみると
やっぱり崩れたところがどこかしこに
穏やかな海は見ていて落ち着くけど
ひとたび天変地異が起きると何もかものみこんでしまいます
気仙沼市の北隣、陸前高田市の椿島はウミネコの繁殖地
だからか、この大島もウミネコ多かったな~
気仙沼では震災から3ヶ月でワカメの養殖作業を再開、先月までに収穫されたとか
養殖施設は壊滅したのに、このバイタリティーには拍手ですね
それから県道を歩いていると、さすがに東北
道路の黄色い木箱のなかには、塩化カルシュムが置いてありました
もちろん凍結防止でしょう^^
こうやって歩いていると、たいていのお宅は瓦屋根が新しくなっています
どんなに新しい家もあの地震ではどうしようもなかったでしょう
こうして約1時間、ゆ~っくりと散歩して「黒潮」さんの入口まで戻ってきました
わあ~、ここもこんな状態のままなんだ
早く直さなくていいのかな?
と、二人で話しながら玄関を入ると、角火鉢には炭が熾こっていました
そんなに寒くはなかったけど、この炭火は心が温まりました
震災で結構目にしてきた河北新報がもう配達されていた、離島なのに、早っ!@@
我が家に新聞がくるのもこのくらいの時間だし^^;
おや、このコピーは?
昨晩、堺社長が話されたいた問題記事のようです
実はこの大島では今、
災害対策本部長による義援金の使途不明、救援物資の横流し、補助金の不正申請
そして市議による名古屋市から提供された公用車の私物化問題等で大騒動になっています
大島の住民が、多くの善意に申し訳ないとようやく声を上げ出したと言ってました
あの大きな混乱の中では、こういった話は気仙沼大島だけの話ではないかもしれません
しかし、復興という新たな一歩を踏み出すためには
大島住民の力で真実を明らかにして、適切に対処して欲しいです
このような裏話は、現地に行かなければ分からなかったでしょう
良い意味でいろいろと考えさせられる一件でした
大島の皆さん、いろんな意味で注目されてますよ♪
さあ、やっと朝ごはんの時間になりました
起きてから3時間、お腹へったーー^^;
さぁ、しっかり食べて、しっかり働くぞ~♪
今日は子供の日ということで、動植物園は大賑わいのようでした
動植物園の駐車場はもちろん、近くの公園や学校のグランドは車で溢れていました
春のこどもまつりやわくわく江津湖フェスタのイベントも開催中とのこと
天気が良くてよかった
ヤギの赤ちゃんも大人気だっただろうな~
お弁当持って、今日だけは子供につきあってあげたお父さんお母さんお疲れ様^^
我が家は近すぎて家族で行ったことってなかったんだ(笑)
早朝に娘のアパートを出発し7時間もバスに揺られたので、28日は早く休むことにしました
外が明るくなったのでそろそろ起きたほうがいいのかなと思い、携帯で時刻を確認
な、な、なんと 4時半!! じゃないか@@
熊本じゃこんな時間に起きることなんてまずないし、こんなに明るくないよ
東北と九州では時差もあるし
きっと脳や身体はいつもの6時だと思って目覚めたのだろうな(^_^メ)

それから寝るのももったいないし、朝食は7時半ということだったので
朝、それも早朝の散歩と相成りました^^
前の晩は暗くなってから着いたのでよくわかりませんでしたが
こちらがお世話になった「旅館黒潮」さんです

民宿のようなとても家庭的なところでした
大島でも一番南に位置する旅館です、たぶん^^;

まだ誰も起きてなさそうな頃、その「黒潮」さんの前の細い道を下って行きました
すると、すぐにいろいろな花が出迎えてくれたんです
熊本じゃもうとっくに終わっている花々^^

こちらの保育園の桜、見事でした
朝陽があたっていればもっとよかったのにね^^;

その隣には「長命寺」さん
こちらにお参りしておくと長生きできそうですね♪

東北のお寺ってどうなの?って近寄ってみると
わあ~、すごいすごい、すんばらしいじゃござんせんか♪

まさか、早朝散歩でオテラ~になるとはね(笑)
さらに下っていくと、県道に出ました
バス停がありますよ、ん?ミヤコーバスだって^^

九州でミヤコーって言ったら宮交(宮崎交通)だけど宮城交通でも同じだよね
う~ん、人口3000人余りの島でこの便数は多いのか少ないのか・・・

そこを真っ直ぐ下りていくと、津波の被害をもろに受けたであろう場所が!

ここは駒形漁港、朝早くから作業されています

地元の方に伺ったら、この漁港も2mくらい沈下したというお話
どおりで水面が岸壁と同じ高さなんだ

船が困ったような顔をしているように見えた
汗まで流して・・・^m^

暗くなる気持ちをたくさんの花が癒してくれます

朝露までが元気付けてくれるような^^

それにしてもこの大島、どこのお宅も花でいっぱい
花いっぱい運動でもしてるかのようです

さらに南に向かい、海端に近づいてみると
やっぱり崩れたところがどこかしこに

穏やかな海は見ていて落ち着くけど
ひとたび天変地異が起きると何もかものみこんでしまいます

気仙沼市の北隣、陸前高田市の椿島はウミネコの繁殖地
だからか、この大島もウミネコ多かったな~

気仙沼では震災から3ヶ月でワカメの養殖作業を再開、先月までに収穫されたとか
養殖施設は壊滅したのに、このバイタリティーには拍手ですね

それから県道を歩いていると、さすがに東北
道路の黄色い木箱のなかには、塩化カルシュムが置いてありました
もちろん凍結防止でしょう^^

こうやって歩いていると、たいていのお宅は瓦屋根が新しくなっています
どんなに新しい家もあの地震ではどうしようもなかったでしょう

こうして約1時間、ゆ~っくりと散歩して「黒潮」さんの入口まで戻ってきました
わあ~、ここもこんな状態のままなんだ

早く直さなくていいのかな?
と、二人で話しながら玄関を入ると、角火鉢には炭が熾こっていました

そんなに寒くはなかったけど、この炭火は心が温まりました
震災で結構目にしてきた河北新報がもう配達されていた、離島なのに、早っ!@@
我が家に新聞がくるのもこのくらいの時間だし^^;
おや、このコピーは?

昨晩、堺社長が話されたいた問題記事のようです
実はこの大島では今、
災害対策本部長による義援金の使途不明、救援物資の横流し、補助金の不正申請
そして市議による名古屋市から提供された公用車の私物化問題等で大騒動になっています
大島の住民が、多くの善意に申し訳ないとようやく声を上げ出したと言ってました
あの大きな混乱の中では、こういった話は気仙沼大島だけの話ではないかもしれません
しかし、復興という新たな一歩を踏み出すためには
大島住民の力で真実を明らかにして、適切に対処して欲しいです
このような裏話は、現地に行かなければ分からなかったでしょう
良い意味でいろいろと考えさせられる一件でした
大島の皆さん、いろんな意味で注目されてますよ♪
さあ、やっと朝ごはんの時間になりました
起きてから3時間、お腹へったーー^^;

さぁ、しっかり食べて、しっかり働くぞ~♪
GW後半、東北地方の天候は大荒れのようです
我々が先週訪れた気仙沼市街地では豪雨で町中が浸水した映像が流れています
この期間中に東北支援で行こうと思っていた方達、準備万端で待っていた方達
予定が多狂いになり、多くの人たちがこの天候を恨んでいることでしょう
でもあの大震災から立ち上がろうとしている東北
明日からきっと晴れ間ものぞいてくれるはず、そうあって欲しい!!
平泉の中尊寺を駆け足で見学した後に向かったのは気仙沼市
添乗員さんが突然、「皆さん」と声をあげ立ち上がりました
「私達は、これから気仙沼市に向かいます。皆さんに見てほしいDVDがあります。
宮城県内の地震から津波までの被災の映像です。もし見たくない方は
下を向いていても構いません。この事実を知った上で現地を見て欲しいのです。」
そうなんです、我々の今回のツアーの目的は被災地の現状を知り
短時間ではあるけど何かの役に立ちたい
そして出来るだけたくさんのお土産を買ったり、美味しいものを食べたりして
少しでも多くのお金を置いてくること^^v
この被災映像を車内で見ながら、その思いを強く再認識させられました
気仙沼市の津波の高さはこの鹿折地区辺りでは約10m、重油タンクが流されて火の海になり
市街地や山林が延焼したことは皆さんもご存知でしょうか
市内に入り海岸が近づいてくると、ある地点から景色が一変
瓦礫は片づけられていたので、当時の惨状は想像もできませんが
それでも目に飛び込んでくる光景は言葉を失うものばかり
大島にわたるエースポートという港の前で少し時間があったのでちょっと散策
遠めには気付かなくても、近くで見るとまだまだ被災当時のままで
残されているものが多数存在しています
森進一「港町ブルース」の碑も相当ダメージを受けています
これは男山という酒造本店だったところ
残っているのは3階部分のみ・・・
痛々しい中にも間違いなく復興も進んでいます
こちらは時間の都合で寄れませんでしたが
夕闇に赤提灯が目立ってた「復興屋台村気仙沼横丁」
大島に渡るフェリー「海来」、みらいと読むようですが
なんだか今考えると微妙な名前です
これに間に合わなかったら、タライに乗っていくはめになるところだったんだ^^
フェリーから臨むと、もうすぐ陽が沈みそう
ここで気付いたのが海の色、土気色なんです
後から聞いた話ですが、この港は閉鎖域の一番奥で
まだ海底に沈んでいるものも多いため、動物性プランクトンの発生で
このような色になっているのではないかということでした
大島までは約30分の航路
フェリーの甲板で心地よい風を感じながら、夕陽を眺めている限りでは
あの日あの時間、荒れ狂い、燃え盛った同じ海とは思えません
大島での宿泊は「旅館黒潮」
「漁師さん達が漁を自粛しているので、新鮮な魚はなかなか入手できませんが
牡蠣やワカメの出来がいいんです」とは、堺社長さん
夕食はさほど期待していなかったのですが、なかなかどうして大したもんでした^^
メインは気仙沼自慢のワカメのしゃぶしゃぶ♪
熱湯に2~3回通すと見事な緑色に変わります
皆さんこれには、うんうんと頷きながら食べてた^^
周りの席の方とも話をしましたが、ほとんどが関東の方々
熊本から来たというと、皆さん驚いていました^m^
参加された方達は、熟年夫婦と同じでこの休みの間に何かボランティアをしたい
東北を応援したいという気持ちが強く感じられました
そうこしていると、社長さんが何やら大きなものを抱えてきました
気仙沼はマグロやカツオの水揚げが多いところ
ということで、出てきたのはマグロの頭の丸焼き
ほほ肉などは、ぷりぷりとろとろのコラーゲンたっぷり♪

食事も終わるころ、社長さんから震災のお話を伺うことができました
社長の横でフードを被っているのはガイドさん^m^
「大島では150軒が流され、80件の仮設住宅が造られた。
この旅館は高台にあり、大きな被災は受けなかった。
大島で亡くなられた31人は、高台に逃げれば助かったのに
逃げることをしなかった。
残念ながら人は50年も経てば過去の恐怖を忘れてしまう。
津波の時は他人の事ではなく自分自身を守ることが大切。
海上火災は4日間で鎮火したことになっているが
実際は2週間くすぶった。
きれいに見える海岸も10cm掘ると、今でも油が浮いてくる。」
宮城県気仙沼市大島
東北では最も大きな離島ということで、伊達政宗に名づけられた大島
明日は朝早く起きて、島内散策でもしてみよう
ということで、4月28日の夜は静かに更けていくのでした♪
我々が先週訪れた気仙沼市街地では豪雨で町中が浸水した映像が流れています
この期間中に東北支援で行こうと思っていた方達、準備万端で待っていた方達
予定が多狂いになり、多くの人たちがこの天候を恨んでいることでしょう
でもあの大震災から立ち上がろうとしている東北
明日からきっと晴れ間ものぞいてくれるはず、そうあって欲しい!!
平泉の中尊寺を駆け足で見学した後に向かったのは気仙沼市
添乗員さんが突然、「皆さん」と声をあげ立ち上がりました
「私達は、これから気仙沼市に向かいます。皆さんに見てほしいDVDがあります。
宮城県内の地震から津波までの被災の映像です。もし見たくない方は
下を向いていても構いません。この事実を知った上で現地を見て欲しいのです。」

そうなんです、我々の今回のツアーの目的は被災地の現状を知り
短時間ではあるけど何かの役に立ちたい
そして出来るだけたくさんのお土産を買ったり、美味しいものを食べたりして
少しでも多くのお金を置いてくること^^v
この被災映像を車内で見ながら、その思いを強く再認識させられました
気仙沼市の津波の高さはこの鹿折地区辺りでは約10m、重油タンクが流されて火の海になり
市街地や山林が延焼したことは皆さんもご存知でしょうか

市内に入り海岸が近づいてくると、ある地点から景色が一変
瓦礫は片づけられていたので、当時の惨状は想像もできませんが
それでも目に飛び込んでくる光景は言葉を失うものばかり
大島にわたるエースポートという港の前で少し時間があったのでちょっと散策

遠めには気付かなくても、近くで見るとまだまだ被災当時のままで
残されているものが多数存在しています

森進一「港町ブルース」の碑も相当ダメージを受けています

これは男山という酒造本店だったところ

残っているのは3階部分のみ・・・

痛々しい中にも間違いなく復興も進んでいます

こちらは時間の都合で寄れませんでしたが
夕闇に赤提灯が目立ってた「復興屋台村気仙沼横丁」

大島に渡るフェリー「海来」、みらいと読むようですが
なんだか今考えると微妙な名前です
これに間に合わなかったら、タライに乗っていくはめになるところだったんだ^^

フェリーから臨むと、もうすぐ陽が沈みそう

ここで気付いたのが海の色、土気色なんです

後から聞いた話ですが、この港は閉鎖域の一番奥で
まだ海底に沈んでいるものも多いため、動物性プランクトンの発生で
このような色になっているのではないかということでした
大島までは約30分の航路

フェリーの甲板で心地よい風を感じながら、夕陽を眺めている限りでは
あの日あの時間、荒れ狂い、燃え盛った同じ海とは思えません

大島での宿泊は「旅館黒潮」
「漁師さん達が漁を自粛しているので、新鮮な魚はなかなか入手できませんが
牡蠣やワカメの出来がいいんです」とは、堺社長さん

夕食はさほど期待していなかったのですが、なかなかどうして大したもんでした^^

メインは気仙沼自慢のワカメのしゃぶしゃぶ♪

熱湯に2~3回通すと見事な緑色に変わります

皆さんこれには、うんうんと頷きながら食べてた^^

周りの席の方とも話をしましたが、ほとんどが関東の方々
熊本から来たというと、皆さん驚いていました^m^
参加された方達は、熟年夫婦と同じでこの休みの間に何かボランティアをしたい
東北を応援したいという気持ちが強く感じられました
そうこしていると、社長さんが何やら大きなものを抱えてきました
気仙沼はマグロやカツオの水揚げが多いところ

ということで、出てきたのはマグロの頭の丸焼き
ほほ肉などは、ぷりぷりとろとろのコラーゲンたっぷり♪

食事も終わるころ、社長さんから震災のお話を伺うことができました
社長の横でフードを被っているのはガイドさん^m^

「大島では150軒が流され、80件の仮設住宅が造られた。
この旅館は高台にあり、大きな被災は受けなかった。
大島で亡くなられた31人は、高台に逃げれば助かったのに
逃げることをしなかった。
残念ながら人は50年も経てば過去の恐怖を忘れてしまう。
津波の時は他人の事ではなく自分自身を守ることが大切。
海上火災は4日間で鎮火したことになっているが
実際は2週間くすぶった。
きれいに見える海岸も10cm掘ると、今でも油が浮いてくる。」
宮城県気仙沼市大島
東北では最も大きな離島ということで、伊達政宗に名づけられた大島
明日は朝早く起きて、島内散策でもしてみよう
ということで、4月28日の夜は静かに更けていくのでした♪
<旅館黒潮> ホームページ
[所在地]宮城県気仙沼市字駒形111
[TEL]0226-28-2125
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昨日アップしようとしたら記事が忽然と消えてしまいました
ショックのあまり、そのままPCの蓋をバタンと閉じてふて寝
気を取り直して今日、再度書き上げた記事の画面がどこかにいっちゃった(泣)
いったいどうなってんの!!
三回目の記事は・・・もうどうでもいい・・
いやいや、それじゃいか~ん!
二回目がよかっただけに(ほんとか?笑)
とっても手抜きになると思いますが、ご容赦をm(__)m
さて7時間バスに揺られて着いた先は、今回のツアーで唯一観光するところ
昨年、世界遺産になった平泉の「中尊寺」です

ショックのあまり、そのままPCの蓋をバタンと閉じてふて寝
気を取り直して今日、再度書き上げた記事の画面がどこかにいっちゃった(泣)
いったいどうなってんの!!
三回目の記事は・・・もうどうでもいい・・
いやいや、それじゃいか~ん!
二回目がよかっただけに(ほんとか?笑)
とっても手抜きになると思いますが、ご容赦をm(__)m
さて7時間バスに揺られて着いた先は、今回のツアーで唯一観光するところ
昨年、世界遺産になった平泉の「中尊寺」です

この地域一帯には、平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の寺院や遺跡群が多く残り、そのうち5件が「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の名で、2011年(平成23年)6月26日(現地時間:6月25日)にユネスコの世界遺産リストに登録された。
日本の世界遺産の中では12番目に登録された文化遺産であり、東北地方では初の世界文化遺産となった(wikipediaより)
ガイドさん曰く
「観光バスなので上まで行くことができるんですよ、皆さん
これが普通に車で来ると、下の駐車場で降りて坂を登らなくちゃいけません
皆さんはラッキーなんですよ、下りるだけでいいんですから」
さんざん恩着せがましく言われました
今回のツアーガイドさんはとてもユニークなベテランガイドさんなんです^^
『中尊寺は天台宗東北総本山。850年、慈覚大師円仁の開山。12世紀初め奥州藤原氏初代清衡公が前九年・後三年の合戦で亡くなった命を平等に供養し、仏国土を建設するため大伽藍を造営しました。
惜しくも14世紀に堂塔の多くは焼失しましたが、金色堂始め三千余点の国宝・重要文化財を伝える平安仏教美術の宝庫です。』(中尊寺パンフより)

バスを降りて満開の桜を見ながらしばし歩くと、拝観券を発行する「讃衡蔵」に到着

国宝の中尊寺経など、三千点を超える国宝や重要文化財が収蔵されているので
撮影禁止でも10分の見学時間は短すぎる~、実際遅れた人もいたし・・
それから中尊寺のガイドさんに連れられて歩きます

おお、よくポスターで見かけるのはこの景色ですよね
国宝の「金色堂」が納められています

『天治元年(1124年)の造立で、現存する唯一の創建遺構です。ご本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩、さらに六体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻いています。堂全体を金箔覆い、皆金色の極楽浄土を現世に表しています。
内陣は螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や精緻な彫金で荘厳され、平安仏教美術の最高峰をなしています。
中央の須弥壇の内に初代清衡公、向かって左の壇に二代基衡公、右の壇に三代秀衡公のご遺体と四代泰衡公の首級が納められています。』(中尊寺パンフより)
もちろん金色堂も撮影禁止ですが、そりゃま~豪華絢爛です
きらびやかさに、まばゆさにハレーションでも起こしそうな金色です
サングラスかけて見た方がよかったかも(笑)
それよりなにより、中にはミイラさんたちがいるんですよ
写真なんか撮って後で何かあったらどうしますか、ねえ(^_^メ)
ガラスケースにしっかり守られ、温度湿度を厳重に管理されているんですが
どうも覆屋がコンクリートなのがちょっとね、仕方なかったのかな^^;
金色堂を出て左に行くと、重要文化財の「経蔵」が見えてきます
おや、その前に松尾芭蕉の句碑がありました
「五月雨を 降残してや 光堂」
熟年はやはり句を詠む人間にはなれません
“きんきらきん”という言葉しか浮かんでこないもん^^;
「経蔵」の中にもひかり輝くお方がおいででした
おっと芭蕉さん、46歳で江戸から44日をかけてここにこられたんですって?
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
この句がここにあるわけじゃありませんが
藤原氏が栄華を極めた500年後、芭蕉は北上川を見ながらそう呼んだのでしょうか
そして「旧覆堂」こちらも重要文化財です
室町時代中頃から1963年まで約500年間、金色堂を守ってきた雄姿です
ちらっと覗く人はいても、中に入って見る人はわずか
熟年も寄っては小走りにツアーの人たちに追いつくことばかり^^;
中尊寺見学は正味1時間という短時間です
「釈迦堂」「西物見」「白山神社能舞台」も脇目も振らずスルーです
桜と金色堂のコラボもゆっくり堪能できず(>_<)
あ、あ、とつぶやきながらついていく熟年
「弁財天」「阿弥陀堂」「鐘楼」までもを通り過ぎ・・・
あ、でも、人が止まってる
やっぱり「鐘楼」くらいは見ましょうよね~^^
はあ~? みんなが食いついていたのはカタクリの花じゃった(笑)
ま、こんなところに咲いているのも珍しいけど^^;
反対側の土手にはショウジョウバカマも群生していて良い被写体に^^
「大日堂」も「不動堂」もスルー、「峯薬師堂」はとても良い雰囲気なのに~^^;
ついて歩くうちに「本堂」が見えてきましたよ♪
へ、ちょっとちょっと皆さんどこ見てんの~?
みんなが見てたものはミズバショウ、本当に東北は一気にいろんな花が咲くのよね~
って、今回のツアーって花めぐりじゃなかったよね(笑)
「本堂」って思った以上に大きいです
でも、彫刻らしきものはこれだけ!
お寺なので当たり前ですが、なんかとっても地味 (;¬_¬)
先に“きんきらきん”を見ちゃったからね、仕方ないか
どっしりとした山門です
裏からまわってきたのでどうもいかーん!
逆回転は体にも頭にも悪い(順応性がないっちゅうこと?笑)
そして「地蔵堂」、「薬師堂」も完全無視!
もうどうでもよくなっている^^;
ここは表参道「月見坂」
江戸時代に平泉を治めていた伊達藩により植樹された樹齢300年~400年の杉並木
ちゃんと表から登ってくると、ここいらで空気が変わるんだろうな~^^
そして中尊寺ガイドさんが立ち止まったのがここ「東物見」
北上川に東北本線、手前には満開の桜という絶景♪
うう、桜のところがもう少し明るければね・・・
この地に当時、平安京に次ぐ人口10万人の大都市平泉が栄えていたんですね
ガイドさんが結構長々と歴史的なことをくっちゃべっている間
とっちんはピラッと「弁慶堂」に寄ってました^^
え、たいしたことはなかったですけどね(笑)
こうして「月見坂」の登り口まで戻ってきました
ここでいつ誰が月を見てたのでしょうかね
でも後はこれを下るだけ
あーっ、あまりにも駆け足の見学に、後ろ髪を大いに引かれて痛かったよ^^;
ここを回れ右すると見えるのがこの風景^^
左の小高い山が弁慶の住んでいたとされる「高舘山」
右の桜の下にはお墓があると説明されました
お土産よりもお墓でしょ、ってことで歩き出す熟年ふたり
後は2、3人しか来なかったな
まあなんと立派なお墓、と思われたでしょ?
違うんですよ、実は本当のお墓は右側のこれ、これなんですよ!
186センチもあった大男の弁慶、お墓はずいぶんちっちゃかった
義経を守り弁慶の立往生とまで語り継がれた男は
今は松と桜に静かに守られていました
集合時間厳守でバスに乗ったみんな、ガイドさんから言われたのは
「皆さんの協力でタライを漕がずに済むようですよ」
なんのこっちゃ?と思われるでしょ
この意味は明日わかります^^
さ、この桜並木を抜けてバスは行く行く、バスは行く~♪
きらびやかさに、まばゆさにハレーションでも起こしそうな金色です
サングラスかけて見た方がよかったかも(笑)
それよりなにより、中にはミイラさんたちがいるんですよ
写真なんか撮って後で何かあったらどうしますか、ねえ(^_^メ)
ガラスケースにしっかり守られ、温度湿度を厳重に管理されているんですが
どうも覆屋がコンクリートなのがちょっとね、仕方なかったのかな^^;
金色堂を出て左に行くと、重要文化財の「経蔵」が見えてきます

おや、その前に松尾芭蕉の句碑がありました

「五月雨を 降残してや 光堂」
熟年はやはり句を詠む人間にはなれません
“きんきらきん”という言葉しか浮かんでこないもん^^;
「経蔵」の中にもひかり輝くお方がおいででした

おっと芭蕉さん、46歳で江戸から44日をかけてここにこられたんですって?

「夏草や 兵どもが 夢の跡」
この句がここにあるわけじゃありませんが
藤原氏が栄華を極めた500年後、芭蕉は北上川を見ながらそう呼んだのでしょうか
そして「旧覆堂」こちらも重要文化財です
室町時代中頃から1963年まで約500年間、金色堂を守ってきた雄姿です

ちらっと覗く人はいても、中に入って見る人はわずか
熟年も寄っては小走りにツアーの人たちに追いつくことばかり^^;

中尊寺見学は正味1時間という短時間です
「釈迦堂」「西物見」「白山神社能舞台」も脇目も振らずスルーです

桜と金色堂のコラボもゆっくり堪能できず(>_<)

あ、あ、とつぶやきながらついていく熟年
「弁財天」「阿弥陀堂」「鐘楼」までもを通り過ぎ・・・
あ、でも、人が止まってる
やっぱり「鐘楼」くらいは見ましょうよね~^^

はあ~? みんなが食いついていたのはカタクリの花じゃった(笑)
ま、こんなところに咲いているのも珍しいけど^^;

反対側の土手にはショウジョウバカマも群生していて良い被写体に^^

「大日堂」も「不動堂」もスルー、「峯薬師堂」はとても良い雰囲気なのに~^^;

ついて歩くうちに「本堂」が見えてきましたよ♪
へ、ちょっとちょっと皆さんどこ見てんの~?

みんなが見てたものはミズバショウ、本当に東北は一気にいろんな花が咲くのよね~
って、今回のツアーって花めぐりじゃなかったよね(笑)

「本堂」って思った以上に大きいです

でも、彫刻らしきものはこれだけ!

お寺なので当たり前ですが、なんかとっても地味 (;¬_¬)
先に“きんきらきん”を見ちゃったからね、仕方ないか
どっしりとした山門です

裏からまわってきたのでどうもいかーん!
逆回転は体にも頭にも悪い(順応性がないっちゅうこと?笑)
そして「地蔵堂」、「薬師堂」も完全無視!
もうどうでもよくなっている^^;
ここは表参道「月見坂」

江戸時代に平泉を治めていた伊達藩により植樹された樹齢300年~400年の杉並木
ちゃんと表から登ってくると、ここいらで空気が変わるんだろうな~^^
そして中尊寺ガイドさんが立ち止まったのがここ「東物見」
北上川に東北本線、手前には満開の桜という絶景♪
うう、桜のところがもう少し明るければね・・・
この地に当時、平安京に次ぐ人口10万人の大都市平泉が栄えていたんですね

ガイドさんが結構長々と歴史的なことをくっちゃべっている間
とっちんはピラッと「弁慶堂」に寄ってました^^

え、たいしたことはなかったですけどね(笑)
こうして「月見坂」の登り口まで戻ってきました
ここでいつ誰が月を見てたのでしょうかね
でも後はこれを下るだけ
あーっ、あまりにも駆け足の見学に、後ろ髪を大いに引かれて痛かったよ^^;

ここを回れ右すると見えるのがこの風景^^

左の小高い山が弁慶の住んでいたとされる「高舘山」
右の桜の下にはお墓があると説明されました
お土産よりもお墓でしょ、ってことで歩き出す熟年ふたり
後は2、3人しか来なかったな

まあなんと立派なお墓、と思われたでしょ?
違うんですよ、実は本当のお墓は右側のこれ、これなんですよ!

186センチもあった大男の弁慶、お墓はずいぶんちっちゃかった
義経を守り弁慶の立往生とまで語り継がれた男は
今は松と桜に静かに守られていました

集合時間厳守でバスに乗ったみんな、ガイドさんから言われたのは
「皆さんの協力でタライを漕がずに済むようですよ」
なんのこっちゃ?と思われるでしょ
この意味は明日わかります^^
さ、この桜並木を抜けてバスは行く行く、バスは行く~♪

<中尊寺>
[所在地]岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
[アクセス]地図はコチラ
スマホからちょいアップしてたので
熟年夫婦が何処に行っていたか、気付かれた方も多かったかな^^
熟年夫婦、結婚30周年が実は昨年だったのですが
記念旅行を1年延ばして今年、東北に行こうと決めていました
2013年3月31日まで東北を盛り上げようと東北観光博を開催中ですね
でも、ただ観光にだけ行くのではなく、何かしらボランティア的なものも
付いたツアーはないものかと探していたんです
ボランティア的というのは、長期は無理だし、本格的な体力勝負も難しいし
熟年夫婦でも出来そうなボランティア
いろいろと探すとあるもんですね、東京発ならば^^
「旅プラスワン」の【仙台の旅行会社だからこそできる復興支援企画】
~心をひとつに~バスで行く世界遺産観光&軽作業ボランティアツアー!
★道具はこちらで準備します、身体一つでご参加ください★
一泊二日ですが、熟年夫婦が探していた内容にドンピシャですよ
皆さんも心くすぐられませんか^^v
それともう一つタイミングが良かったのは
この春、娘が就職することができて、東京に拠点ができたということ
やはり東京の宿泊代を浮かせることができるというのは有難い
娘は迷惑だろうけど^m^
羽田空港の往復はもちろんソラシドエアー
天候が荒れていないことを祈りながら当日を迎えました
この日の天気はまっ晴れ、東海地方辺りから雲海に変わり始めたけど
雲の上に頭を出す富士山がくっきり、分かります?
東京駅集合は7時10分、参加者は29名
40~50代の女性が多かったです、男性はらぼっち入れて8人だったかな
この朝は霧が深くてスカイツリーの展望デッキすら見えない^^;
しかし、北関東に入ると天気はどんどん回復してブルースカイ♪
東北自動車道を一路北へ、ちょうど桜前線を追いかける形です
福島県に入ってくると、頂きに残雪を残した山々も見えてきました
東北でも代掻きの早い地方もあるんだね
熊本では観ることが出来なかった桃の花も満開♪
青空を背景とした雪山と満開の桜を入れて撮影したかったけど
高速バスからでは厳しいや、ほとんどが何撮ったの?状態^^;
GWの初日ということもあって、いたる所で事故や自然の渋滞発生
SAやPAもどこも一杯

東北で見る桜は初めてですが、どこで見ても満開の桜は美しい

今年の熊本の桜は枝先に花が付いていない木が多かったけど
東北の桜はぼこぼこ咲いてます、このボリューム感が嬉しいね♪

休憩の度にバスガイドさんが
ここの名物は○○ですよ、○○は美味しいですよ、なんていうものだから
素直なとっちんはすぐに買ってくる^^;


弁当もあるのに食べられんやろと言っても
味見してみたいじゃん、とペロリ!

さて、眺めながら、食べながら、笑いながら、寝ながら
していると初日の最初の目的地に到着です^^
到着時刻は14:30、約7時間の長い道程でした
安全運行をしてくれた東京バスさん、お疲れ様でした

今日はここまで♪
(KIKOさん、★夢叶男★さん、前記事にアップしてくれてありがとう^^
でもコメは受け付けないようにしていたつもりがなんで外れていたんだろう??
今日からの記事にまた入れてね♪)
熟年夫婦が何処に行っていたか、気付かれた方も多かったかな^^
熟年夫婦、結婚30周年が実は昨年だったのですが
記念旅行を1年延ばして今年、東北に行こうと決めていました
2013年3月31日まで東北を盛り上げようと東北観光博を開催中ですね
でも、ただ観光にだけ行くのではなく、何かしらボランティア的なものも
付いたツアーはないものかと探していたんです
ボランティア的というのは、長期は無理だし、本格的な体力勝負も難しいし
熟年夫婦でも出来そうなボランティア
いろいろと探すとあるもんですね、東京発ならば^^
「旅プラスワン」の【仙台の旅行会社だからこそできる復興支援企画】
~心をひとつに~バスで行く世界遺産観光&軽作業ボランティアツアー!
★道具はこちらで準備します、身体一つでご参加ください★
一泊二日ですが、熟年夫婦が探していた内容にドンピシャですよ
皆さんも心くすぐられませんか^^v
それともう一つタイミングが良かったのは
この春、娘が就職することができて、東京に拠点ができたということ
やはり東京の宿泊代を浮かせることができるというのは有難い
娘は迷惑だろうけど^m^
羽田空港の往復はもちろんソラシドエアー
天候が荒れていないことを祈りながら当日を迎えました
この日の天気はまっ晴れ、東海地方辺りから雲海に変わり始めたけど
雲の上に頭を出す富士山がくっきり、分かります?

東京駅集合は7時10分、参加者は29名
40~50代の女性が多かったです、男性はらぼっち入れて8人だったかな
この朝は霧が深くてスカイツリーの展望デッキすら見えない^^;

しかし、北関東に入ると天気はどんどん回復してブルースカイ♪
東北自動車道を一路北へ、ちょうど桜前線を追いかける形です

福島県に入ってくると、頂きに残雪を残した山々も見えてきました
東北でも代掻きの早い地方もあるんだね

熊本では観ることが出来なかった桃の花も満開♪

青空を背景とした雪山と満開の桜を入れて撮影したかったけど
高速バスからでは厳しいや、ほとんどが何撮ったの?状態^^;

GWの初日ということもあって、いたる所で事故や自然の渋滞発生
SAやPAもどこも一杯

東北で見る桜は初めてですが、どこで見ても満開の桜は美しい

今年の熊本の桜は枝先に花が付いていない木が多かったけど
東北の桜はぼこぼこ咲いてます、このボリューム感が嬉しいね♪

休憩の度にバスガイドさんが
ここの名物は○○ですよ、○○は美味しいですよ、なんていうものだから
素直なとっちんはすぐに買ってくる^^;


弁当もあるのに食べられんやろと言っても
味見してみたいじゃん、とペロリ!

さて、眺めながら、食べながら、笑いながら、寝ながら
していると初日の最初の目的地に到着です^^
到着時刻は14:30、約7時間の長い道程でした
安全運行をしてくれた東京バスさん、お疲れ様でした

今日はここまで♪
(KIKOさん、★夢叶男★さん、前記事にアップしてくれてありがとう^^
でもコメは受け付けないようにしていたつもりがなんで外れていたんだろう??
今日からの記事にまた入れてね♪)