今日の昼間は暑かったですね~^^;
でも、朝方は阿蘇や東京では雪、雪だったとか
春は一歩一歩近づいてきているのに、まだ雪は降るのか・・
そして今日は、4年に一回の2月29日!
地球は太陽の周りを365日と6時間で1周するのでうるう年があるわけだけど
今日という日を余分な一日だと思いました?
それともちょっと得をした気分で過ごしました?
明日は3月、“去る”といわれるくらいだから早いはず
「あ~あ、終わっちゃったよ」なんてことないように過ごしたいですね^^
さて、川尻を歩き始めたらすぐに
国指定史跡となった熊本藩川尻米蔵跡が気になり寄り道しました
日本で4か所にしか存在しない藩政時代の御蔵
そしたら、横の壁の色が変わっていたんです
修復されたのでしょうが、ちょっと白すぎやしませんかね?
その話をふたりでしてたら、にゃんこに「うるさいな」と言われてしまいました^^;
ここは川尻らしい風景でもあります
さすが川尻、お寺も多ければお地蔵さんも多い^^
はれ?右手前にあるこ、これも?
なんともかわいらしいじゃありませんか♪
こちらは西蓮寺から見えた瑞鷹の屋根瓦と煙突
このあたりを歩くとどんだけ敷地が広いのかがよくわかります
3月4日の『川尻の酒蔵まつり2012』は賑わうでしょうね^^
お昼、この日は寒かったので、結局「けんだま」さんへ
午後1時をまわっていたのにお店はほとんど満員
とっちんは「けんだま」、もやしがたっぷりで嬉しい^^
器の形はおっしゃれ~ですが、箸でよくつつかないと麺が上に出てきにくい^^;
半熟卵は中がかなり冷たかった、卵をスープの中でつぶして食べるのは嫌なので
せめてひと肌くらいに・・・
らぼっちは「塩ラーメン定食」ご飯と餃子がついています
叉焼が薄すぎるとこぼしていたらぼっちに
心優しいとっちんは一枚分けてあげました^^v

久しぶりの塩ラーメン、さっぱりで美味しかった~♪
お腹を満たした後は、再び町歩き開始です
川尻の古地図が観光案内所にあったんですけどね(↓大きくなります)
何処の敷地も長~~~い♪
どこでも昔の区画はそのまんまなのですね~
今ではこんなお家になってます^^
お店の軒下には古い格子窓が一部残ってたり
県道の歩道には肥後六花の絵柄をあしらった蓋がどこかしこにありました
これなら歩くのも楽しくなりますね^^
この後もお寺めぐりは続き、伝統工芸館ではこの方に会ってきました
らぼっちは、これがお菓子でできているとは知らず
触ってもみても「うっそー!」と信じてなかったんですよ^^;
そして歩き疲れたので、珈琲タイムはこちら「天明堂」さんですることに
お店の奥には木製の菓子型やお菓子作りの古い道具が展示してあります
そしてそのまだ奥にティールームがあるんです
えへへ、貸切状態ですよ^^
店内に流れる曲はここからかと思ったら違ってました^^;
そしたら、お店の方がかけてくださいました
ふたりだけにBGMが流れてゆきます
どこかで聴いたことがあるような古い映画音楽、感激~♪
居心地もよくて、しっかり和菓子も買い込んでしまった^^;
川尻、最後はおいしいもののお話で終わっちゃっいましたが
まだまだおもしろいところがありそうですよ
あ、そうだ、他にこんな絵地図もあったんですよ
こと細かく手書きで書き記してあります(↑大きくなります)
我が校区でもこんな絵地図ができたらいいな^^
いつもは気にもしてなかった場所が、へえ~~~って感じで
途端に見る目が変わったらおもしろいだろうな~♪
そんなふうに思わせてくれた川尻のまち歩き、寺めぐりでした
でも、朝方は阿蘇や東京では雪、雪だったとか
春は一歩一歩近づいてきているのに、まだ雪は降るのか・・
そして今日は、4年に一回の2月29日!
地球は太陽の周りを365日と6時間で1周するのでうるう年があるわけだけど
今日という日を余分な一日だと思いました?
それともちょっと得をした気分で過ごしました?
明日は3月、“去る”といわれるくらいだから早いはず
「あ~あ、終わっちゃったよ」なんてことないように過ごしたいですね^^
さて、川尻を歩き始めたらすぐに
国指定史跡となった熊本藩川尻米蔵跡が気になり寄り道しました
日本で4か所にしか存在しない藩政時代の御蔵

そしたら、横の壁の色が変わっていたんです
修復されたのでしょうが、ちょっと白すぎやしませんかね?

その話をふたりでしてたら、にゃんこに「うるさいな」と言われてしまいました^^;

ここは川尻らしい風景でもあります

さすが川尻、お寺も多ければお地蔵さんも多い^^

はれ?右手前にあるこ、これも?

なんともかわいらしいじゃありませんか♪
こちらは西蓮寺から見えた瑞鷹の屋根瓦と煙突
このあたりを歩くとどんだけ敷地が広いのかがよくわかります

3月4日の『川尻の酒蔵まつり2012』は賑わうでしょうね^^
お昼、この日は寒かったので、結局「けんだま」さんへ
午後1時をまわっていたのにお店はほとんど満員

とっちんは「けんだま」、もやしがたっぷりで嬉しい^^

器の形はおっしゃれ~ですが、箸でよくつつかないと麺が上に出てきにくい^^;
半熟卵は中がかなり冷たかった、卵をスープの中でつぶして食べるのは嫌なので
せめてひと肌くらいに・・・

らぼっちは「塩ラーメン定食」ご飯と餃子がついています

叉焼が薄すぎるとこぼしていたらぼっちに
心優しいとっちんは一枚分けてあげました^^v

久しぶりの塩ラーメン、さっぱりで美味しかった~♪
お腹を満たした後は、再び町歩き開始です
川尻の古地図が観光案内所にあったんですけどね(↓大きくなります)
何処の敷地も長~~~い♪

どこでも昔の区画はそのまんまなのですね~
今ではこんなお家になってます^^

お店の軒下には古い格子窓が一部残ってたり

県道の歩道には肥後六花の絵柄をあしらった蓋がどこかしこにありました
これなら歩くのも楽しくなりますね^^

この後もお寺めぐりは続き、伝統工芸館ではこの方に会ってきました

らぼっちは、これがお菓子でできているとは知らず
触ってもみても「うっそー!」と信じてなかったんですよ^^;
そして歩き疲れたので、珈琲タイムはこちら「天明堂」さんですることに

お店の奥には木製の菓子型やお菓子作りの古い道具が展示してあります


そしてそのまだ奥にティールームがあるんです

えへへ、貸切状態ですよ^^


店内に流れる曲はここからかと思ったら違ってました^^;

そしたら、お店の方がかけてくださいました
ふたりだけにBGMが流れてゆきます
どこかで聴いたことがあるような古い映画音楽、感激~♪

居心地もよくて、しっかり和菓子も買い込んでしまった^^;

川尻、最後はおいしいもののお話で終わっちゃっいましたが
まだまだおもしろいところがありそうですよ
あ、そうだ、他にこんな絵地図もあったんですよ

こと細かく手書きで書き記してあります(↑大きくなります)
我が校区でもこんな絵地図ができたらいいな^^
いつもは気にもしてなかった場所が、へえ~~~って感じで
途端に見る目が変わったらおもしろいだろうな~♪
そんなふうに思わせてくれた川尻のまち歩き、寺めぐりでした

<けんだま>
[アクセス]地図はコチラ
<天明堂>
[アクセス]地図はコチラ
“シマオクリ”になっていたらぼっち、帰宅いたしました
シマとは沖永良部、一応は鹿児島県ですね
南にある与論島を越せば沖縄~♪
なんと島なのにカルスト地形が残っているんだそうで
鍾乳洞も多く、国内2番目(現時点では)の規模を誇る鍾乳洞もあるんだとか
海もきれいなんだろうな~
とっちんも行ってみた~~~~い♪
そうそう、夕べ携帯が鳴ったので出てみると“FaceTime”を押してたみたいで
画面にしっかりらぼっちの顔が@@
らぼっちの声が聞こえた途端にラボが駆け寄ってきました
「ラボ、ラボ」と呼んでいるらぼっち
ラボは顔を傾げて不思議そうにじっ~と携帯に映った顔を見ていました^^
その後、携帯を舐めはじめたと思ったら今度は携帯の後ろに回ってぐるぐる
そこにらぼっちがいると思ったのでしょうか
ラボにはちょっと理解しがたい出来事なのでした
さ、昨日の続きでも書こうっと(笑)
「川尻にお宝あり!川尻寺めぐり!」というスタンプラリーイベント
最初は目ぼしいところを廻ろうとしていた熟年ふたり
そんなに時間もかからず廻れることがわかったので
せっかくなので全部制覇しようかとなったのでした
絵地図を頼りに^^↓(大きくなります)
昨日は加勢川の北側を横にずら~っと紹介しましたが
今日はもちょっと北にあるお寺から、後半戦の始まり始まり~♪
⑩『浄行寺』 承応元年(1652年)開基
坪井にも同じ浄行寺がありますね
北側には近いところに三軒の浄土真宗本願寺派のお寺が存在
こちらのお寺だけ県道の東にあります
車椅子用のスロープがあるのはここだけでした
彫刻もなかなか良かったし、屋根の上では獅子が逆立ちしていました^^
⑪『西教寺』 寛永4年(1627年)開基
塀の石が大きくてピンク色をしてるのを見てたのですが、馬門石だったようです
本堂の前には大きな石塔がありました、立派です
本堂の前に立った時、足元にラーメン丼の柄ような模様を見つけました、なぜ?
絵地図の裏側にそれぞれのお寺の説明が書いてあるのですが、それによると
こちらのお寺にはムクゲの木にヤマツバキが抱きついている珍木がある、とか
庭って書いてあったので、らぼっちなんかお墓の間を通ってみたり^^;
全然わからないので、洗濯物を干されていたおばあちゃまにうかがいました
そしたら、ずんずんと奥に案内されました
「ここですよ」と言われたのは、最新式の納骨堂の前です
あら、いや~ん♪(笑)
なんと、逆さまに抱きついているじゃないですか!
これは本当に珍しい、おまけにムクゲもヤマツバキもかなり大木です
いや~、これだけで記事になるくらいのインパクトありでした
ちょっともったいないかな^^;
⑫『遍照寺』 寛永2年(1625年)開基
熊本市街地から川尻に入ってくると最初のお寺です
山門には透かしの彫刻があり、青空だったらよかったのにと思いました
本堂よりお住まいのほうが立派ですね~^^;
さて、ここからは加勢川の南側、緑川との間にある杉島に車で向かいました
なんたって雨が本格的に降ってきたもので^^;
⑬『西楽寺』 寛永3年(1626年)創建
新町橋のすぐ袂にあります
本堂は鉄筋の新しいものでした
⑭『観音寺』 奈良時代 草創
こちらのお寺には山門がないなと思ったら
小西行長の迫害にあい廃墟となった後、数度再建がなされたにもかかわらず
台風等により損傷が著しく、平成12年に現在の観音寺が再建されたようです
ガラス越しに中が見えたのはここだけ
道元禅師が得法のため宋へ渡り、5年の修行を終え東シナ海で幾度もの嵐にあいながら
ようやく川尻に着いた地として「道元禅師帰朝上陸記念碑」があります
⑮『円通寺』 延元2年(1337年)開基
今月、旭志の円通寺にもお邪魔しているので期待大♪
おやおや?
地図の場所には鳥居がありました
ちょっと~、山門はおろか本堂のような建物もありませんよ
廃仏毀釈による何かがあったのかな?
天満宮とありますが、ここにスタンプが置いてあったので間違いはないでしょう
⑯『正行寺』 慶長10年(1605年)開基
雨がますます強くなってきました
彫刻はちょっと見応えがありました
山門に残っていた蝉のヌケガラ^^;
⑰『大慈禅寺』 弘安元年(1278年)開基
1720年に建造された山門、仁王さんもお出迎え~
こちらは有名ですよね、熟年も2度目の訪問^^
雨が降るのに傘のない熟年ふたりには、ここはとても広すぎる
それなのにスタンプ押したらよせばいいのに廻り始める・・・^^;
鐘楼や経堂も
そして奥の座禅堂にまで
大仏さんたち
⑱『鷲林寺』 暦応2年(1339年)開基
探しましたよー、ここ公民館かと思っちゃった
これがあったのでかろじて^^;
大慈禅寺の末寺の一つで川尻でも古い歴史のあるお寺です
さあこれで雨の中、全18寺をすべて廻りました♪
川尻観光案内所に戻っておじさんにスタンプを押した絵地図を見せると
あれ?手形じゃなかったっけ?
かわいい木彫りのお地蔵さんがふたり、かっわいい~♪
面倒なのでスタンプは一枚しか押してないのに、ふたりいただけました^^;
3月11日以降にこのお地蔵様を持ってくると川尻奉行手形がもらえるということでした
その川尻奉行手形は約30店舗の割引券のほかに
加勢川川下り無料乗車券、そして国の重文米蔵の無料鑑賞券として使えるそうです
5月末まで使用できます

お寺巡り・・は終わってしまいましたが
『きてみて川尻よか逸品スタンプラリー』は3月31日まで開催中
川尻の5店舗で買い物をしてスタンプを押せば
同じように奉行手形がもらえますよ~
明日はお寺じゃない川尻のいろいろをご紹介しま~す^^
シマとは沖永良部、一応は鹿児島県ですね
南にある与論島を越せば沖縄~♪
なんと島なのにカルスト地形が残っているんだそうで
鍾乳洞も多く、国内2番目(現時点では)の規模を誇る鍾乳洞もあるんだとか
海もきれいなんだろうな~
とっちんも行ってみた~~~~い♪
そうそう、夕べ携帯が鳴ったので出てみると“FaceTime”を押してたみたいで
画面にしっかりらぼっちの顔が@@
らぼっちの声が聞こえた途端にラボが駆け寄ってきました
「ラボ、ラボ」と呼んでいるらぼっち
ラボは顔を傾げて不思議そうにじっ~と携帯に映った顔を見ていました^^
その後、携帯を舐めはじめたと思ったら今度は携帯の後ろに回ってぐるぐる
そこにらぼっちがいると思ったのでしょうか
ラボにはちょっと理解しがたい出来事なのでした
さ、昨日の続きでも書こうっと(笑)
「川尻にお宝あり!川尻寺めぐり!」というスタンプラリーイベント
最初は目ぼしいところを廻ろうとしていた熟年ふたり
そんなに時間もかからず廻れることがわかったので
せっかくなので全部制覇しようかとなったのでした
絵地図を頼りに^^↓(大きくなります)

昨日は加勢川の北側を横にずら~っと紹介しましたが
今日はもちょっと北にあるお寺から、後半戦の始まり始まり~♪
⑩『浄行寺』 承応元年(1652年)開基

坪井にも同じ浄行寺がありますね
北側には近いところに三軒の浄土真宗本願寺派のお寺が存在
こちらのお寺だけ県道の東にあります

車椅子用のスロープがあるのはここだけでした
彫刻もなかなか良かったし、屋根の上では獅子が逆立ちしていました^^

⑪『西教寺』 寛永4年(1627年)開基

塀の石が大きくてピンク色をしてるのを見てたのですが、馬門石だったようです
本堂の前には大きな石塔がありました、立派です

本堂の前に立った時、足元にラーメン丼の柄ような模様を見つけました、なぜ?

絵地図の裏側にそれぞれのお寺の説明が書いてあるのですが、それによると
こちらのお寺にはムクゲの木にヤマツバキが抱きついている珍木がある、とか
庭って書いてあったので、らぼっちなんかお墓の間を通ってみたり^^;
全然わからないので、洗濯物を干されていたおばあちゃまにうかがいました
そしたら、ずんずんと奥に案内されました
「ここですよ」と言われたのは、最新式の納骨堂の前です
あら、いや~ん♪(笑)

なんと、逆さまに抱きついているじゃないですか!
これは本当に珍しい、おまけにムクゲもヤマツバキもかなり大木です
いや~、これだけで記事になるくらいのインパクトありでした
ちょっともったいないかな^^;
⑫『遍照寺』 寛永2年(1625年)開基

熊本市街地から川尻に入ってくると最初のお寺です
山門には透かしの彫刻があり、青空だったらよかったのにと思いました

本堂よりお住まいのほうが立派ですね~^^;

さて、ここからは加勢川の南側、緑川との間にある杉島に車で向かいました
なんたって雨が本格的に降ってきたもので^^;
⑬『西楽寺』 寛永3年(1626年)創建

新町橋のすぐ袂にあります
本堂は鉄筋の新しいものでした

⑭『観音寺』 奈良時代 草創

こちらのお寺には山門がないなと思ったら
小西行長の迫害にあい廃墟となった後、数度再建がなされたにもかかわらず
台風等により損傷が著しく、平成12年に現在の観音寺が再建されたようです
ガラス越しに中が見えたのはここだけ

道元禅師が得法のため宋へ渡り、5年の修行を終え東シナ海で幾度もの嵐にあいながら
ようやく川尻に着いた地として「道元禅師帰朝上陸記念碑」があります

⑮『円通寺』 延元2年(1337年)開基
今月、旭志の円通寺にもお邪魔しているので期待大♪
おやおや?

地図の場所には鳥居がありました
ちょっと~、山門はおろか本堂のような建物もありませんよ

廃仏毀釈による何かがあったのかな?
天満宮とありますが、ここにスタンプが置いてあったので間違いはないでしょう

⑯『正行寺』 慶長10年(1605年)開基

雨がますます強くなってきました

彫刻はちょっと見応えがありました

山門に残っていた蝉のヌケガラ^^;

⑰『大慈禅寺』 弘安元年(1278年)開基

1720年に建造された山門、仁王さんもお出迎え~
こちらは有名ですよね、熟年も2度目の訪問^^

雨が降るのに傘のない熟年ふたりには、ここはとても広すぎる
それなのにスタンプ押したらよせばいいのに廻り始める・・・^^;

鐘楼や経堂も

そして奥の座禅堂にまで

大仏さんたち

⑱『鷲林寺』 暦応2年(1339年)開基

探しましたよー、ここ公民館かと思っちゃった
これがあったのでかろじて^^;

大慈禅寺の末寺の一つで川尻でも古い歴史のあるお寺です

さあこれで雨の中、全18寺をすべて廻りました♪
川尻観光案内所に戻っておじさんにスタンプを押した絵地図を見せると

あれ?手形じゃなかったっけ?

かわいい木彫りのお地蔵さんがふたり、かっわいい~♪
面倒なのでスタンプは一枚しか押してないのに、ふたりいただけました^^;
3月11日以降にこのお地蔵様を持ってくると川尻奉行手形がもらえるということでした
その川尻奉行手形は約30店舗の割引券のほかに
加勢川川下り無料乗車券、そして国の重文米蔵の無料鑑賞券として使えるそうです
5月末まで使用できます

お寺巡り・・は終わってしまいましたが
『きてみて川尻よか逸品スタンプラリー』は3月31日まで開催中
川尻の5店舗で買い物をしてスタンプを押せば
同じように奉行手形がもらえますよ~
明日はお寺じゃない川尻のいろいろをご紹介しま~す^^
雨の土曜、曇りの日曜と続けざまに近場をぼてぼてとまち歩きをしていました
そのせいか、らぼっちは“シマオクリ”とっちんは“シアンナゲクビ”
あはは、違いますね
らぼっちは南の島へ出張です、でも明日には帰ってきます
とっちんはお金がなくて首がまわらな・・・じゃなくて
夕べから首痛で前後左右に傾けられないんです
後ろを向くのも全身で方向転換しなければならず、まるでロボット^^;
たいして脳みそも入ってないのに、なんて頭って重いんだろう(笑)
しっかり湿布を貼って寝たので、今日は少しマシになりました
でも、長く座ってはいられません
今日はちゃちゃっといきたいと思います^^
雨の予報だった土曜日、出かけるか出かけないか決まらず
朝からモタモタしていました
でも一向に降りそうにない雨に、「大丈夫じゃ?」と家を出ました
向かったのは、ただいま『川尻月間』開催中の川尻
25、26日の二日間「川尻にお宝あり!川尻寺めぐり!」というイベントがあったのです
川尻は江戸時代、町奉行の支配下で栄えたところですが
商人からの寄付金もあって、お寺が多いということです
2日間で川尻一帯の18カ所の寺を巡るスタンプラリー
全スタンプを押せば、約30店舗の割引券などが付いた「奉行手形」がもらえるというもの
オテラーとしては行ってみなければ、という思いと
何もお寺ばかりを見て歩かなくても、という思いが
入り混じりながら^^;
雨降ったら、全部まわれないだろうし
ちょこっと見て帰ろうかと二人で打ち合わせてました
観光案内所で地図を・・・えっと~、どこかいな?
そこらへんの人に教えてもらいました
ありゃ、目の前だった(笑)
ここで絵地図をいただきます
味のある地図ですよ、大きくしてみてね↓

では、スタート!!
①『泰養寺』 享禄2年(1529年)創建
西南の役の明治10年、薩軍はこの寺に本営を置いたんだとか
ご本尊は阿弥陀如来像です
彫刻が見事でした

②『明善寺』 天文7年(1538年)創建
立派な鐘楼門です
ここで同じように寺めぐりをする若そうなカップルと遭遇
熟年と二組、じっくり見ようとしていると
「今日は法要があってるので遠慮してください」
と住職さんから言われ、さっさと退散しました
③『常清寺』 寛永年間(1628年~)開基
見ての通り、工事中だったのでこの一枚で終わり^^;
こんなふうにしてスタンプを押していきま~す♪
④『法性寺』 天正7年(1579年)再興
ああ~、雨が降ってきました^^;
門には葵の紋?なぜ?
川尻で唯一の浄土宗のお寺
山門は古そうでしたが、本堂は近代的!
門のところにあった説明の閻魔堂はどれかわからず^^;
わかりにくいけど山門横の観音堂には鳳凰が舞っていました
⑤『西蓮寺』 慶長年間(1596年~)開基
こちらも立派な鐘楼門でした
雨もちょっと強くなり寒くなったけど、満開の白梅が迎えてくれました
⑥『浄慶寺』 天文15年(1546年)開基
お、先客がおひとり^^
考えてみたら、どこそこで熟年と同じ目的の方に会うかなと思っていたけど
あんまり遭遇してないな~、雨のせいかな?
⑦『本立寺』 延宝2年(1674年)再興
こちらは山門も本堂も新しいようです
しかーし、門の横のちょっと古そうなお堂にはたくさんおられましたよ^^
⑧『法宣寺』 慶長18年(1613年)開基
こちらは加藤清正の三回忌にあわせて開基されたとか
清正正室の清浄院の供養墓が境内にあるようです
⑨『延寿寺』 建久8年(1197年)開基
すごく広いところでいろんな花も咲いておりました
西南の役では一時大本営も置かれ、野戦病院のあったところだとか
西南役薩軍戦歿者墓碑や豪潮律師の法篋印塔などがあります
かくして9ヶ所をうろんころんして廻ったわけですが
お昼をはさんだもののかかった時間は1時間半くらい
それならいっそのこと全部廻ってしまおうかと相成りました
しか~し、アホというか間抜けにも
雨という予報にもかかわらず、傘を持って行ってなかった
川尻のコンビニに寄ったら改装のために商品が少なく
傘は手に入りませんでした^^;
こうなったら強行突破だーー!!(笑)
結構長くなっちゃったな^^;
そのせいか、らぼっちは“シマオクリ”とっちんは“シアンナゲクビ”
あはは、違いますね
らぼっちは南の島へ出張です、でも明日には帰ってきます
とっちんはお金がなくて首がまわらな・・・じゃなくて
夕べから首痛で前後左右に傾けられないんです
後ろを向くのも全身で方向転換しなければならず、まるでロボット^^;
たいして脳みそも入ってないのに、なんて頭って重いんだろう(笑)
しっかり湿布を貼って寝たので、今日は少しマシになりました
でも、長く座ってはいられません
今日はちゃちゃっといきたいと思います^^
雨の予報だった土曜日、出かけるか出かけないか決まらず
朝からモタモタしていました
でも一向に降りそうにない雨に、「大丈夫じゃ?」と家を出ました
向かったのは、ただいま『川尻月間』開催中の川尻

25、26日の二日間「川尻にお宝あり!川尻寺めぐり!」というイベントがあったのです
川尻は江戸時代、町奉行の支配下で栄えたところですが
商人からの寄付金もあって、お寺が多いということです
2日間で川尻一帯の18カ所の寺を巡るスタンプラリー
全スタンプを押せば、約30店舗の割引券などが付いた「奉行手形」がもらえるというもの
オテラーとしては行ってみなければ、という思いと
何もお寺ばかりを見て歩かなくても、という思いが
入り混じりながら^^;
雨降ったら、全部まわれないだろうし
ちょこっと見て帰ろうかと二人で打ち合わせてました
観光案内所で地図を・・・えっと~、どこかいな?
そこらへんの人に教えてもらいました
ありゃ、目の前だった(笑)

ここで絵地図をいただきます
味のある地図ですよ、大きくしてみてね↓

では、スタート!!
①『泰養寺』 享禄2年(1529年)創建

西南の役の明治10年、薩軍はこの寺に本営を置いたんだとか
ご本尊は阿弥陀如来像です

彫刻が見事でした

②『明善寺』 天文7年(1538年)創建

立派な鐘楼門です
ここで同じように寺めぐりをする若そうなカップルと遭遇
熟年と二組、じっくり見ようとしていると
「今日は法要があってるので遠慮してください」
と住職さんから言われ、さっさと退散しました

③『常清寺』 寛永年間(1628年~)開基

見ての通り、工事中だったのでこの一枚で終わり^^;
こんなふうにしてスタンプを押していきま~す♪

④『法性寺』 天正7年(1579年)再興

ああ~、雨が降ってきました^^;
門には葵の紋?なぜ?

川尻で唯一の浄土宗のお寺
山門は古そうでしたが、本堂は近代的!
門のところにあった説明の閻魔堂はどれかわからず^^;

わかりにくいけど山門横の観音堂には鳳凰が舞っていました

⑤『西蓮寺』 慶長年間(1596年~)開基

こちらも立派な鐘楼門でした
雨もちょっと強くなり寒くなったけど、満開の白梅が迎えてくれました

⑥『浄慶寺』 天文15年(1546年)開基

お、先客がおひとり^^
考えてみたら、どこそこで熟年と同じ目的の方に会うかなと思っていたけど
あんまり遭遇してないな~、雨のせいかな?

⑦『本立寺』 延宝2年(1674年)再興

こちらは山門も本堂も新しいようです

しかーし、門の横のちょっと古そうなお堂にはたくさんおられましたよ^^

⑧『法宣寺』 慶長18年(1613年)開基

こちらは加藤清正の三回忌にあわせて開基されたとか
清正正室の清浄院の供養墓が境内にあるようです

⑨『延寿寺』 建久8年(1197年)開基

すごく広いところでいろんな花も咲いておりました

西南の役では一時大本営も置かれ、野戦病院のあったところだとか
西南役薩軍戦歿者墓碑や豪潮律師の法篋印塔などがあります


かくして9ヶ所をうろんころんして廻ったわけですが
お昼をはさんだもののかかった時間は1時間半くらい
それならいっそのこと全部廻ってしまおうかと相成りました
しか~し、アホというか間抜けにも
雨という予報にもかかわらず、傘を持って行ってなかった
川尻のコンビニに寄ったら改装のために商品が少なく
傘は手に入りませんでした^^;
こうなったら強行突破だーー!!(笑)
結構長くなっちゃったな^^;
<川尻観光案内所>
[アクセス]地図はコチラ
先週の土日は、とある研修のためとっちんは島原へ
そう泊りがけで♪
その間らぼっちは、ひとり寂しくご飯を食べて好き勝手ができる
と思っていただろうところに
「明日友人の結婚式があるから、1泊で帰るわ」と金曜日の夜に長男からメールが!
ま、どうせ家でゆっくりすることはないだろう
けど、今度は空路帰ってくるというので迎えに行ったり送ったり
寒いだろうと布団にアンカや湯たんぽいれたり
そりゃまあ、母親のとっちんより至れり尽くせりしてやったみたい
ということで長男とは会えずじまいだったとっちんは
オーシャンアローに乗船してちゃ~んと研修してきました^^
18日の午後、超ハードな?研修をこなした後は“夜”の研修へ~♪
お~ほほほ、あくまでも研修です(笑)
島原の皆さん、とてもいい方ばかりで
昼間も夜も楽しゅうございました
ホテルに帰る時、島原城がライトアップされていました
あ、カメラ忘れていったのでiPhone 4Sでの撮影です^^;
ほのぼのした感じがよかですね~♪
島原城の近くのホテルだったので
お城側の部屋の人はもっときれいに見えたみたい
とっちんは反対側で、なんの変哲もない景色でした(><)
19日は朝から研修という観光(笑)
天気もまあまあでした
まずは仁田峠へ
正月3日に来た時は、妙見岳が少し白くなっていたのを
娘たちと4人で下から見上げただけだったな
前の日の土曜日は島原市内は吹雪いていたりしたので
どうも山は期待できそうな感じ^^
というのも雲がかかっていててっぺんは全然見えなかったんです
すると登っていく国道はところどころ凍ってたり
期待よりか不安のほうが強まっていきました^^;
そうして仁田自動車道路の入り口に来たとき
マイクロバスが急に止まりました
なんと『除雪中』の立て看板が置いてあり、通行止めとなっています
そして通行は10時からとのこと
「んん~」とじ~さま達は考えた(研修はほとんどが老齢の男性です^^;)
そして、時間潰しに雲仙温泉に地獄でも見に行こうということに
あれれ~?
雪が手摺の形に解けないで残っていたんです、それもくっきりと^^
おっもしろ~い♪
うろっと雲仙地獄をひと回りして、再び仁田自動車道路へ
10時も過ぎていたので今度はスムーズに通れました
途中の展望所では平成新山が見えていました
仁田峠の駐車場では誰も異を唱えることなく降りてロープウェイ乗り場へ
そしたら「本日は霧氷が見れます」との看板が立ててありました
みんな寒さを忘れ、テンションが上がっていきます
ロープウェイ乗り場では待たされてもちょっとご機嫌^^
粉雪が太陽の光に照らされ、ダイヤモンドダストさながらに光ってました
あっは~、iPhone 4Sじゃちょっと無理か^^;
でも、ロープウェイを降りてからは寒かったーーー(><)
妙見岳の頂上に行くのは、お年寄りには酷だったみたい
天気は悪くて暗かったけど
いろんな表情の霧氷は結構楽しめました♪
お年寄りがもう降りようというのでちゃっちゃっと降りていきました
島原市内に戻って、お昼は我が家にはお馴染み
姫松屋さんの具雑煮をいただきました
午後は災害記念館やみずなし本陣ふかえなどを見学して
二日間にわたる研修は終了となりました
地元熊本では市をあげて熊本城マラソンで盛り上がっているころ
とっちんはじ~さま達と島原をうろうろしていたというお話でした^^;
そう泊りがけで♪
その間らぼっちは、ひとり寂しくご飯を食べて好き勝手ができる
と思っていただろうところに
「明日友人の結婚式があるから、1泊で帰るわ」と金曜日の夜に長男からメールが!
ま、どうせ家でゆっくりすることはないだろう
けど、今度は空路帰ってくるというので迎えに行ったり送ったり
寒いだろうと布団にアンカや湯たんぽいれたり
そりゃまあ、母親のとっちんより至れり尽くせりしてやったみたい
ということで長男とは会えずじまいだったとっちんは
オーシャンアローに乗船してちゃ~んと研修してきました^^
18日の午後、超ハードな?研修をこなした後は“夜”の研修へ~♪
お~ほほほ、あくまでも研修です(笑)
島原の皆さん、とてもいい方ばかりで
昼間も夜も楽しゅうございました
ホテルに帰る時、島原城がライトアップされていました
あ、カメラ忘れていったのでiPhone 4Sでの撮影です^^;
ほのぼのした感じがよかですね~♪

島原城の近くのホテルだったので
お城側の部屋の人はもっときれいに見えたみたい
とっちんは反対側で、なんの変哲もない景色でした(><)
19日は朝から研修という観光(笑)
天気もまあまあでした
まずは仁田峠へ
正月3日に来た時は、妙見岳が少し白くなっていたのを
娘たちと4人で下から見上げただけだったな
前の日の土曜日は島原市内は吹雪いていたりしたので
どうも山は期待できそうな感じ^^
というのも雲がかかっていててっぺんは全然見えなかったんです
すると登っていく国道はところどころ凍ってたり
期待よりか不安のほうが強まっていきました^^;
そうして仁田自動車道路の入り口に来たとき
マイクロバスが急に止まりました
なんと『除雪中』の立て看板が置いてあり、通行止めとなっています
そして通行は10時からとのこと
「んん~」とじ~さま達は考えた(研修はほとんどが老齢の男性です^^;)
そして、時間潰しに雲仙温泉に地獄でも見に行こうということに
あれれ~?

雪が手摺の形に解けないで残っていたんです、それもくっきりと^^
おっもしろ~い♪
うろっと雲仙地獄をひと回りして、再び仁田自動車道路へ
10時も過ぎていたので今度はスムーズに通れました
途中の展望所では平成新山が見えていました

仁田峠の駐車場では誰も異を唱えることなく降りてロープウェイ乗り場へ
そしたら「本日は霧氷が見れます」との看板が立ててありました
みんな寒さを忘れ、テンションが上がっていきます
ロープウェイ乗り場では待たされてもちょっとご機嫌^^
粉雪が太陽の光に照らされ、ダイヤモンドダストさながらに光ってました

あっは~、iPhone 4Sじゃちょっと無理か^^;
でも、ロープウェイを降りてからは寒かったーーー(><)
妙見岳の頂上に行くのは、お年寄りには酷だったみたい

天気は悪くて暗かったけど
いろんな表情の霧氷は結構楽しめました♪


お年寄りがもう降りようというのでちゃっちゃっと降りていきました

島原市内に戻って、お昼は我が家にはお馴染み
姫松屋さんの具雑煮をいただきました

午後は災害記念館やみずなし本陣ふかえなどを見学して
二日間にわたる研修は終了となりました
地元熊本では市をあげて熊本城マラソンで盛り上がっているころ
とっちんはじ~さま達と島原をうろうろしていたというお話でした^^;
昨日は記事を書いてアップしようと思ったら不具合でオジャンに(><)
ショックで早々にくじけてしまいました
今日は大丈夫なんだろうな?
恐る恐るというか、びゃーっと書いたほうがいいのか・・・
と、こんなこと書いてるより早くしろって話ですよね^^;
さて、湯布院に行く前の日、ランチの場所をちらっと調べていたんです
姪っ子とは何度もランチしていますが
いつもなかなか決めきらないヤツなんです^^;
「何が食べたい?」と聞いても
「う~ん、イタリアンかな、いや和食でもいいな」どっちやねーん!
やっと入った店でも、あれにしようかこれにしようかと店員さんを待たせたり^^;
叔母のとっちんとはえらい違い(笑)
なので、洋食も和食もあるところがいいかな~
と考えた末、こちらに行くことに
「RESTAURANT&LIVE 田(でん)」さんです
昨年の3月にオープンしたようです
ご覧のように周囲がぜ~んぶ板壁に囲まれています
なので入り口がわからず、しばしボー然^^;
うろうろしてやっと見つけました
左側のすき間のようなところから入ります
そこには20cm四方くらいの小さな看板
「も~、これじゃわかんないよ」とかブツブツ言いながら重い扉を開けると
なぜかホテルのフロントのようなカウンターがあり(会計じゃない・・・)
そこから一人の男性がおもむろに立ち上がったのです
「いらっしゃいませ」の言葉に「へっ?」と一瞬たじろぎましたが
そんなことはおくびにも出さず「予約してないんですけど・・・」と言うと
「大丈夫ですよ、奥へどうぞ」と丁寧な対応に
とっちんと姪っ子は少々安堵、奥へ入っていきました^^
ところが入っていってまたまたびっくり
ウチら、場違いなんじゃないの?
後悔先に立たず・・・
この広い空間、ギャラリーにもなっているようです
なんだか“やっちまった感”がふつふつと溢れてきます(笑)
姪っ子が「一番奥にグランドピアノがあるよ、ドラムも!」と言ったので
そうか、ここはライブができるところだったんだと認識
遅いって!(笑)
優しげなお兄さんがメニューを持って来られたので
「店内とかお料理の写真を撮ってもよろしいでしょうか?」
いつになく丁寧な言葉で聞いちゃった^^;
最近、料理の写真を勝手に撮ることが取り沙汰されてますからね
ここはきちんと聞いておかなければ、笑顔でね♪
そしたら、メニューは撮り忘れてしまいました(笑)
よく見るとこちらの絵が変わってるんです
一部が盛り上がっていて幻想的かつ不思議な絵でした
調べてみると
世界初の新しい手法で描くガラスアート。
ガラス板の上にガラスパウダーをのせ、直感で造形し電気釜で焼成。
というものだそうです
だからか、絵の具では出せないような透き通った色合いでした
でも実際はとてもガラスに見えるもんではなかったな~^^
注文したのは、「コースランチ(ハンバーグ)」と「お昼の和定食」
「コースランチ」はハンバーグと他にもあったと思うんだけど失念^^;
普通のランチくらいのお値段ですよ^^
まずは、「コースランチ(ハンバーグ)」
サラダに姪っ子の好きなサーモンがのっていてラッキー♪
でも、スープは少し薄かった^^;
ネギの揚げたものがのっていてしっかり和風の味つけ、美味~♪
人参は・・・しっかりとっちんのお腹のなかへ^^;
こちらは「お昼の和定食」
お刺身に揚げ物といろいろ^^
いかの塩辛にくらげの中華和え、う~んビールが欲しい(笑)
この塩辛はしょっぱくなくて超美味しかった~♪
姪っ子と一個ずつ食べたこれ、中に魚のすり身のようなものが入っていた
これも美味しかったんだけど、何かはよくわかりませんでした^^;
メインの鰆の西京漬け、とっちんと同じく魚好きの姪っ子と仲良く半分こ^^
湯布院で採れる野菜で創作されているのでしょう
心地よいジャズの流れる中でゆっくりと味わいながらいただきました
そうそう、ここはホールから由布岳を見上げることができる絶好のロケーション!
の、はずなんですけど・・・
この雨じゃね~、残念^^;
でも、このランチで贅沢な時間を過ごせたので良しとしましょう
食べ物といえば、ここ賑わってましたね~
ここでも意味不明の言葉が飛び交っていて
まるでバーゲンセールのような争いの中、ゲットしたのでした(笑)
揚げたてが美味しいのはわかっていますが、お腹いっぱい^^;
らぼっちへのお土産と姪っ子に持たせるために4個購入
らぼっちには「金賞コロッケ」と「エビチリ」を
オーブンで温めて出したら「美味い!」と言ってました
気に入ったようです(笑)
それから黒糖揚げまんじゅうで有名らしいお店に立ち寄ったものの
既に売り切れ、もう夕方だったもんな~^^;
で、代わりにそこで買ったのは「ゆずいなり」
5個入りを姪っ子のと二つ買ったら、こちらも無くなりました
らぼっち「うちでもできるんじゃない?」^^;
雨の湯布院、ぶらぶら歩いて5時間くらいの滞在でしたが
姪っ子もまあ満足してくれたかな
帰るころになって青空が見えてきました
二人とも晴れ女を返上しなくちゃね^^
ショックで早々にくじけてしまいました
今日は大丈夫なんだろうな?
恐る恐るというか、びゃーっと書いたほうがいいのか・・・
と、こんなこと書いてるより早くしろって話ですよね^^;
さて、湯布院に行く前の日、ランチの場所をちらっと調べていたんです
姪っ子とは何度もランチしていますが
いつもなかなか決めきらないヤツなんです^^;
「何が食べたい?」と聞いても
「う~ん、イタリアンかな、いや和食でもいいな」どっちやねーん!
やっと入った店でも、あれにしようかこれにしようかと店員さんを待たせたり^^;
叔母のとっちんとはえらい違い(笑)
なので、洋食も和食もあるところがいいかな~
と考えた末、こちらに行くことに
「RESTAURANT&LIVE 田(でん)」さんです

昨年の3月にオープンしたようです
ご覧のように周囲がぜ~んぶ板壁に囲まれています
なので入り口がわからず、しばしボー然^^;
うろうろしてやっと見つけました

左側のすき間のようなところから入ります
そこには20cm四方くらいの小さな看板

「も~、これじゃわかんないよ」とかブツブツ言いながら重い扉を開けると
なぜかホテルのフロントのようなカウンターがあり(会計じゃない・・・)
そこから一人の男性がおもむろに立ち上がったのです
「いらっしゃいませ」の言葉に「へっ?」と一瞬たじろぎましたが
そんなことはおくびにも出さず「予約してないんですけど・・・」と言うと
「大丈夫ですよ、奥へどうぞ」と丁寧な対応に
とっちんと姪っ子は少々安堵、奥へ入っていきました^^
ところが入っていってまたまたびっくり
ウチら、場違いなんじゃないの?
後悔先に立たず・・・

この広い空間、ギャラリーにもなっているようです

なんだか“やっちまった感”がふつふつと溢れてきます(笑)
姪っ子が「一番奥にグランドピアノがあるよ、ドラムも!」と言ったので
そうか、ここはライブができるところだったんだと認識
遅いって!(笑)
優しげなお兄さんがメニューを持って来られたので
「店内とかお料理の写真を撮ってもよろしいでしょうか?」
いつになく丁寧な言葉で聞いちゃった^^;
最近、料理の写真を勝手に撮ることが取り沙汰されてますからね
ここはきちんと聞いておかなければ、笑顔でね♪
そしたら、メニューは撮り忘れてしまいました(笑)
よく見るとこちらの絵が変わってるんです
一部が盛り上がっていて幻想的かつ不思議な絵でした
調べてみると
世界初の新しい手法で描くガラスアート。
ガラス板の上にガラスパウダーをのせ、直感で造形し電気釜で焼成。
というものだそうです

だからか、絵の具では出せないような透き通った色合いでした
でも実際はとてもガラスに見えるもんではなかったな~^^
注文したのは、「コースランチ(ハンバーグ)」と「お昼の和定食」
「コースランチ」はハンバーグと他にもあったと思うんだけど失念^^;
普通のランチくらいのお値段ですよ^^
まずは、「コースランチ(ハンバーグ)」


サラダに姪っ子の好きなサーモンがのっていてラッキー♪
でも、スープは少し薄かった^^;

ネギの揚げたものがのっていてしっかり和風の味つけ、美味~♪
人参は・・・しっかりとっちんのお腹のなかへ^^;
こちらは「お昼の和定食」


お刺身に揚げ物といろいろ^^

いかの塩辛にくらげの中華和え、う~んビールが欲しい(笑)
この塩辛はしょっぱくなくて超美味しかった~♪
姪っ子と一個ずつ食べたこれ、中に魚のすり身のようなものが入っていた
これも美味しかったんだけど、何かはよくわかりませんでした^^;

メインの鰆の西京漬け、とっちんと同じく魚好きの姪っ子と仲良く半分こ^^

湯布院で採れる野菜で創作されているのでしょう
心地よいジャズの流れる中でゆっくりと味わいながらいただきました
そうそう、ここはホールから由布岳を見上げることができる絶好のロケーション!
の、はずなんですけど・・・

この雨じゃね~、残念^^;
でも、このランチで贅沢な時間を過ごせたので良しとしましょう

食べ物といえば、ここ賑わってましたね~

ここでも意味不明の言葉が飛び交っていて
まるでバーゲンセールのような争いの中、ゲットしたのでした(笑)
揚げたてが美味しいのはわかっていますが、お腹いっぱい^^;
らぼっちへのお土産と姪っ子に持たせるために4個購入
らぼっちには「金賞コロッケ」と「エビチリ」を

オーブンで温めて出したら「美味い!」と言ってました
気に入ったようです(笑)
それから黒糖揚げまんじゅうで有名らしいお店に立ち寄ったものの
既に売り切れ、もう夕方だったもんな~^^;
で、代わりにそこで買ったのは「ゆずいなり」
5個入りを姪っ子のと二つ買ったら、こちらも無くなりました

らぼっち「うちでもできるんじゃない?」^^;
雨の湯布院、ぶらぶら歩いて5時間くらいの滞在でしたが
姪っ子もまあ満足してくれたかな
帰るころになって青空が見えてきました
二人とも晴れ女を返上しなくちゃね^^

<RESTAURANT&LIVE 田>
[所在地]大分県由布市湯布院町川上2413-2
[利用可能時間]11:00~18:00(18:00~21:00は完全予約制です)
[休日]不定休
[駐車場]あり
[アクセス]地図はコチラ
テーマ:九州(福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島)・沖縄地方の各県の路線案内 - ジャンル:地域情報
今日はネコの日ですか・・・
ラボがおもしろくない日だったと言っております
いいじゃない、11月1日が犬の日だとちゃんと決めてあるらしいよ^^
あ、1月11日だっていいんじゃない?
え、終わったばかりだし何もなかったって?
あは~、ごめんね~ラボ(笑)
だからって、今日はラボネタではございませんよ
先週の火曜日、バレンタインデーの日は雨でしたね^^;
姪っ子が試験も終わったし、どこかに連れてってと言うので
よっしゃー、とばかり叔母ちゃんは張り切って行き先を考えました
雨だと予報でわかっていたけど、近場じゃイマイチ
ずっと学校とアパートの往復で、運動不足だし気分もふさぎがち
そんならば県外にびゃ~っと行こうか、雨の湯布院なんてどう?
姪っ子がたちまちノッテきたのは言うまでもありません
しか~し、当たり前だけどミルクロードは霧
姪っ子と一緒の時にさわやかな阿蘇の雄大な景色を見たことって・・ないな(笑)
トイレ休憩をしながら湯布院に着いたのはお昼頃「遠いね」「当たり前たい」
朝早く出ればいいのだけれど、若いもんは朝が苦手で^^;
さあ、傘をさしての街歩きです
姪っ子の好きそうなところ(よくわからんけど^^;)をとりあえず
まずは「由布院ステンドグラス美術館」へ
え~っと、ここは由布院?湯布院?^^;
ひとしきり外から煉瓦造りの建物を観察してました
当然ですが、ステンドグラスの良さって外からじゃ全くわかりません
でもコレを見た二人「あっ、高」と言った後、しばし黙る(笑)
ヨーロッパの1800年代からのアンティークステンドグラスを展示した日本で初めての
本格的なステンドグラス美術館と書いてあるし、隣の聖ロバート教会にも入れる
やっぱりここは雨の中、せっかく来たんだからと入館することに
らぼっちと一緒だったらたぶんスルーだな(笑)
ニールズハウスに入ってびっくり!
想像してたステンドグラスとは全然違っていました
凹凸があるように見えてとても綺麗なんですが、精巧に描かれた絵画が際立っていて
着色ガラスの部分が少ないといった印象でした
古いためか(決して体重のせいじゃないと・・・^^;)
ギシギシ軋む床を歩きつつ、シャンデリアや彫刻の素敵なテーブルにも見入りました
そして聖ロバート教会へ
こちらも煉瓦の様子から中も古めかしいと感じていましたが、然にあらず
新しそうに見えるし明るいんです、意外でした
こちらではステンドグラス体験もできるそうですよ^^
この後、姪っ子とはじんじゃら~にもなれないことだし
街をぶらぶら、雑貨屋さん巡り~♪
こんなディスプレーがしてあったり
こんなのが掲げてあったり
こんな傘立て、可愛いー欲しいー♪(売りもんじゃなかった^^;)
これもディスプレー?ガラスの森^^
これは有名?
姪っ子が笑いながら「二百十里って何キロ?」ってそこかい!!
足元の悪い中、金鱗湖へも
姪っ子が突然叫んだ
「おおおーーー!!」
湖底から温泉が湧き出している湖だからか、朝でもないのに湯気が!
雨がこういう幻想的な光景に合わせてくれたのかも、ラッキーじゃないですか♪
湯気たつ金鱗湖をじっと眺めながら写真を撮っていたら
わけのわからない言葉をしゃべる団体さんが近づいてきていたようで
目の前でちんぷんかんぷんな説明が始まりました
「おばちゃんすっかり混ざってたよ、違和感なく」と姪っ子(笑)
鯉も温泉が好きなのでしょうか^^
そして「湯布院夢美術館」の『山下清原画展』へ
山下清の純粋で素朴な世界にどっぷりと浸ってきました^^
中でも花火の貼り絵に姪っ子は釘付け
湯布院、雑貨もいいけど芸術もね♪
ラボがおもしろくない日だったと言っております
いいじゃない、11月1日が犬の日だとちゃんと決めてあるらしいよ^^
あ、1月11日だっていいんじゃない?
え、終わったばかりだし何もなかったって?
あは~、ごめんね~ラボ(笑)
だからって、今日はラボネタではございませんよ
先週の火曜日、バレンタインデーの日は雨でしたね^^;
姪っ子が試験も終わったし、どこかに連れてってと言うので
よっしゃー、とばかり叔母ちゃんは張り切って行き先を考えました
雨だと予報でわかっていたけど、近場じゃイマイチ
ずっと学校とアパートの往復で、運動不足だし気分もふさぎがち
そんならば県外にびゃ~っと行こうか、雨の湯布院なんてどう?
姪っ子がたちまちノッテきたのは言うまでもありません
しか~し、当たり前だけどミルクロードは霧
姪っ子と一緒の時にさわやかな阿蘇の雄大な景色を見たことって・・ないな(笑)
トイレ休憩をしながら湯布院に着いたのはお昼頃「遠いね」「当たり前たい」
朝早く出ればいいのだけれど、若いもんは朝が苦手で^^;
さあ、傘をさしての街歩きです
姪っ子の好きそうなところ(よくわからんけど^^;)をとりあえず
まずは「由布院ステンドグラス美術館」へ
え~っと、ここは由布院?湯布院?^^;

ひとしきり外から煉瓦造りの建物を観察してました

当然ですが、ステンドグラスの良さって外からじゃ全くわかりません
でもコレを見た二人「あっ、高」と言った後、しばし黙る(笑)

ヨーロッパの1800年代からのアンティークステンドグラスを展示した日本で初めての
本格的なステンドグラス美術館と書いてあるし、隣の聖ロバート教会にも入れる
やっぱりここは雨の中、せっかく来たんだからと入館することに
らぼっちと一緒だったらたぶんスルーだな(笑)
ニールズハウスに入ってびっくり!
想像してたステンドグラスとは全然違っていました
凹凸があるように見えてとても綺麗なんですが、精巧に描かれた絵画が際立っていて
着色ガラスの部分が少ないといった印象でした
古いためか(決して体重のせいじゃないと・・・^^;)
ギシギシ軋む床を歩きつつ、シャンデリアや彫刻の素敵なテーブルにも見入りました

そして聖ロバート教会へ
こちらも煉瓦の様子から中も古めかしいと感じていましたが、然にあらず
新しそうに見えるし明るいんです、意外でした

こちらではステンドグラス体験もできるそうですよ^^
この後、姪っ子とはじんじゃら~にもなれないことだし
街をぶらぶら、雑貨屋さん巡り~♪

こんなディスプレーがしてあったり

こんなのが掲げてあったり

こんな傘立て、可愛いー欲しいー♪(売りもんじゃなかった^^;)

これもディスプレー?ガラスの森^^

これは有名?

姪っ子が笑いながら「二百十里って何キロ?」ってそこかい!!
足元の悪い中、金鱗湖へも

姪っ子が突然叫んだ
「おおおーーー!!」

湖底から温泉が湧き出している湖だからか、朝でもないのに湯気が!
雨がこういう幻想的な光景に合わせてくれたのかも、ラッキーじゃないですか♪

湯気たつ金鱗湖をじっと眺めながら写真を撮っていたら
わけのわからない言葉をしゃべる団体さんが近づいてきていたようで
目の前でちんぷんかんぷんな説明が始まりました
「おばちゃんすっかり混ざってたよ、違和感なく」と姪っ子(笑)

鯉も温泉が好きなのでしょうか^^

そして「湯布院夢美術館」の『山下清原画展』へ

山下清の純粋で素朴な世界にどっぷりと浸ってきました^^
中でも花火の貼り絵に姪っ子は釘付け
湯布院、雑貨もいいけど芸術もね♪

<由布院ステンドグラス美術館>
[所在地]由布市湯布院町川上2461-3
[開館時間]9:00~18:00(入館は17:30まで)
[休観日]無休(但し挙式時は教会見学不可)
[料金]大人1000円、子供500円
[アクセス]地図はコチラ
<湯布院夢美術館>
[所在地]由布市湯布院町川上1479-1
[開館時間]9:00~17:00
[休観日]無休
[料金]大人600円、子供400円
[アクセス]地図はコチラ
テーマ:九州(福岡・佐賀・長崎・熊本・大分・宮崎・鹿児島)・沖縄地方の各県の路線案内 - ジャンル:地域情報
今年、梅の開花が遅れています
例年ならもう満開を迎えている頃のはず
やっぱり寒いんですね^^;
日照時間も少なくなっているとか
花々が咲き乱れる季節が早くやってこないかなと待ち遠しいです
な~んて暑くなればなったで、涼しくならないかと言うんだから
わがままな人間ですよね、やれやれ^^;
さて、菊池の歴史を勉強するにはここに行けばいいとわかりました
隈府(わいふ)1番地にあるから「わいふ一番館」
おや~ん、誰か立っていますね~^^
元治元年(1864年)、近藤勇が率いる新撰組が勤皇派を襲撃した『池田屋事件』で
唯一新選組の包囲網を突破し脱出した幕末勤皇の志士『高木元右衛門』の銅像
2010年11月に建立されたようです
肥後熊本藩士(肥後国菊池郡深川村の生まれ)で武芸に秀で笛の名手として
文久2年(1864年)に藩主弟の細川護美に随伴して入京し、親兵に加わったんだとか
へえ~、菊池にはこんな人もいたのか^^;
「わいふ一番館」は、「まちづくり寄合所」「まちかど資料館」の複合施設です
写真は手前にある「まちづくり寄合所」
1階には子供達の書き初め、2階には陶器が展示してありました
奥の建物が「まちかど資料館」
「まちづくり寄合所」の中で入館料ひとり200円を払います
ふむふむなまこ壁がいい雰囲気を醸し出していますね
菊池の地名の由来、歴史伝統、文化産業
菊池一族等に関する民俗学上貴重な資料を収集・保管・展示して
これらの資料を永く後世に伝えることを目的としています
古墳からの出土品、文学者の功績なども紹介されていました
「写真はダメですよね?」ダメモトで恐る恐るらぼっちが尋ねます
「どうぞ、撮っていいですよ」
♪マジっすか??
聞いてみるもんですよね~^^
おおよそこういった資料館は撮影禁止ですから、ちょっとビックリしました
学芸主任の川上勇蔵さんにじっくりお話を伺いながら
館内を案内していただきました、たった二人なのに^^;
これは前方後円墳の「木柑子(きこうじ)古墳」から出土した石製の蓋(きぬがさ)
日傘状の巨大な蓋は珍しいそうです
おや、この刀は?
何か名のある武将のもの?と思って見てみると
わかります?
迫間川の砂鉄のみで作ったそうですよ、小学校5年生が!
砂鉄でこんな立派な刀ができるなんて驚きですよね
ちゃんと名前も刻んであります^^
菊池の姓はここから広がり、今では岩手県遠野市に多く
年に一回、全国の菊池さんの集まりもあるんだとか
そんな話をしながら、今度は2階へ
こちらでは 「菊池文化歴史拓本展」の第3弾
『菊池市内の墓碑・史跡碑の拓本展』が開かれていました
ふ~ん、といった感じで見ていたのですが
ふと川上さんが「この史跡碑は普通の彫り方じゃないんですよ」って^^;
え、どういうこと?と目を近づけてやっとわかりました
筆の運びがわかるようにわざと境を設けた彫り方でした
彫った人は・・・・・忘れちゃった(笑)
「石碑に墨を塗っても反転文字になっちゃうでしょ、拓本は採るのが難しいんです」
と川上さんは言ってました
紙は厚みがちょうど中国製が良いらしい
墨が夏は乾いたり、冬は乾かなかったりでなかなかうまくいかない
墨に入れる油の濃さも変えるんだとか
拓本を採っている写真がありました
あれ~~!
川上さんご自身じゃございませんか!!
どおりで詳しいわけだ
素人で始めて4年になられるんだそうで、今やベテラン^^
自作の道具の説明とかもしていただきました
肥後石工のコーナーもありました
模型で仕組みを考えられるようになっています
そして徳富蘆花(とくとみろか)の妻、愛子夫人手書きの書が^^
ガラス越しに見ていたら
げげっ!!そのガラスを開けて手に取られました
そ、そんなことしていいんですか?
え、写真もOKですと?マジで~?
当然のことながら、達筆でございます
それから海外旅行の写真も!
大正8年ですよ、しかもエジプトへ海外旅行です
ほえ~時代の先取り、いえ最先端じゃ♪
こうして30分以上、熟年ふたりにつきっきりで説明してくださった川上さん
ありがとうございました、とても興味深いお話ばかりでした
そういえばと最後に
「先日、かなめとかめきちさんが菊池の歴史について学びたいとTVの取材で来てですね
案内しましよ、何でもサイコロで決めるんですが、草のうえで斜めに立ってですね・・・」
と楽しそうに話してくださいました^^
夜更かしされる方ならもうお分かりでしょうか
RKKの土曜深夜の「ひっとでた!」という番組
いまちょうど放送中で今週末が3回目^^
こうして建物を出る時には気のせいか、とても物知りになったような・・・
そんなわけはないけど、おもしろかったです
帰りにはご自分で掘って作られた拓本をいただきました
展示品では叶いませんでしたが
いただいた拓本の裏を見ることができました
う~~ん、素晴らしい!!
例年ならもう満開を迎えている頃のはず
やっぱり寒いんですね^^;
日照時間も少なくなっているとか
花々が咲き乱れる季節が早くやってこないかなと待ち遠しいです
な~んて暑くなればなったで、涼しくならないかと言うんだから
わがままな人間ですよね、やれやれ^^;
さて、菊池の歴史を勉強するにはここに行けばいいとわかりました

隈府(わいふ)1番地にあるから「わいふ一番館」
おや~ん、誰か立っていますね~^^

元治元年(1864年)、近藤勇が率いる新撰組が勤皇派を襲撃した『池田屋事件』で
唯一新選組の包囲網を突破し脱出した幕末勤皇の志士『高木元右衛門』の銅像
2010年11月に建立されたようです
肥後熊本藩士(肥後国菊池郡深川村の生まれ)で武芸に秀で笛の名手として
文久2年(1864年)に藩主弟の細川護美に随伴して入京し、親兵に加わったんだとか
へえ~、菊池にはこんな人もいたのか^^;
「わいふ一番館」は、「まちづくり寄合所」「まちかど資料館」の複合施設です
写真は手前にある「まちづくり寄合所」
1階には子供達の書き初め、2階には陶器が展示してありました
奥の建物が「まちかど資料館」
「まちづくり寄合所」の中で入館料ひとり200円を払います

ふむふむなまこ壁がいい雰囲気を醸し出していますね
菊池の地名の由来、歴史伝統、文化産業
菊池一族等に関する民俗学上貴重な資料を収集・保管・展示して
これらの資料を永く後世に伝えることを目的としています
古墳からの出土品、文学者の功績なども紹介されていました
「写真はダメですよね?」ダメモトで恐る恐るらぼっちが尋ねます
「どうぞ、撮っていいですよ」
♪マジっすか??
聞いてみるもんですよね~^^
おおよそこういった資料館は撮影禁止ですから、ちょっとビックリしました
学芸主任の川上勇蔵さんにじっくりお話を伺いながら
館内を案内していただきました、たった二人なのに^^;

これは前方後円墳の「木柑子(きこうじ)古墳」から出土した石製の蓋(きぬがさ)

日傘状の巨大な蓋は珍しいそうです
おや、この刀は?

何か名のある武将のもの?と思って見てみると

わかります?
迫間川の砂鉄のみで作ったそうですよ、小学校5年生が!
砂鉄でこんな立派な刀ができるなんて驚きですよね
ちゃんと名前も刻んであります^^

菊池の姓はここから広がり、今では岩手県遠野市に多く
年に一回、全国の菊池さんの集まりもあるんだとか
そんな話をしながら、今度は2階へ
こちらでは 「菊池文化歴史拓本展」の第3弾
『菊池市内の墓碑・史跡碑の拓本展』が開かれていました

ふ~ん、といった感じで見ていたのですが
ふと川上さんが「この史跡碑は普通の彫り方じゃないんですよ」って^^;

え、どういうこと?と目を近づけてやっとわかりました

筆の運びがわかるようにわざと境を設けた彫り方でした
彫った人は・・・・・忘れちゃった(笑)
「石碑に墨を塗っても反転文字になっちゃうでしょ、拓本は採るのが難しいんです」
と川上さんは言ってました
紙は厚みがちょうど中国製が良いらしい
墨が夏は乾いたり、冬は乾かなかったりでなかなかうまくいかない
墨に入れる油の濃さも変えるんだとか
拓本を採っている写真がありました

あれ~~!
川上さんご自身じゃございませんか!!
どおりで詳しいわけだ

素人で始めて4年になられるんだそうで、今やベテラン^^
自作の道具の説明とかもしていただきました

肥後石工のコーナーもありました
模型で仕組みを考えられるようになっています

そして徳富蘆花(とくとみろか)の妻、愛子夫人手書きの書が^^
ガラス越しに見ていたら
げげっ!!そのガラスを開けて手に取られました
そ、そんなことしていいんですか?
え、写真もOKですと?マジで~?

当然のことながら、達筆でございます
それから海外旅行の写真も!

大正8年ですよ、しかもエジプトへ海外旅行です
ほえ~時代の先取り、いえ最先端じゃ♪

こうして30分以上、熟年ふたりにつきっきりで説明してくださった川上さん
ありがとうございました、とても興味深いお話ばかりでした
そういえばと最後に
「先日、かなめとかめきちさんが菊池の歴史について学びたいとTVの取材で来てですね
案内しましよ、何でもサイコロで決めるんですが、草のうえで斜めに立ってですね・・・」
と楽しそうに話してくださいました^^
夜更かしされる方ならもうお分かりでしょうか
RKKの土曜深夜の「ひっとでた!」という番組
いまちょうど放送中で今週末が3回目^^
こうして建物を出る時には気のせいか、とても物知りになったような・・・
そんなわけはないけど、おもしろかったです
帰りにはご自分で掘って作られた拓本をいただきました

展示品では叶いませんでしたが
いただいた拓本の裏を見ることができました

う~~ん、素晴らしい!!
<わいふ一番館(まちかど資料館)>
[所在地]熊本県菊池市隈府1番地
[開館時間]午前9時~午後5時
[観覧料]一般 200円 小・中学生 100円
[休館日]毎週月曜日(但し、祝日の場合は翌日)
[アクセス]地図はコチラ
今日、光市母子殺害事件で最高裁は被告の上告を棄却しました
12年にも及ぶ裁判に一応の終止符が打たれようとしています
死刑が確実となり、突然実名や写真が公表されたことに驚きました
死刑適用基準を示した永山事件以降、死刑のあり方が取り沙汰されてきており
併せて少年法という“壁”が裁判を長引かせてきたといっていいでしょう
裁判官でもないし、法律というものを知っているわけではないけれど
裁判員制度が始まってもうすぐ3年
今後、裁判を公正な判断ができるよう人間性だけは磨いておきたいものです
さて昨日の続き♪
旭志をうろうろした後は、お昼ご飯を食べるために
菊池の市街地にやってきました
早くしないとランチが終わってしまう~、急げや急げ!!
あわてて駆けつけたのは「菊池れとろ館」です
時はジャスト午後2時、中にある「レトロ食堂」さんに飛び込むらぼっち
ああそれなのに、それなのにあえなく撃沈(><)
それじゃスイーツでもと隣の「甘味処さくらんぼ」さんを覗くも
残念ながら、やっぱり振られました(泣)
でも、入ってみてびっくり
なんじゃ、この空間はーっ!!!
ってなことで、お腹がすいたのも忘れた熟年
すぐさま探検隊に変身(笑)
この日は「菊池わいふのひなまつり」の初日
華やかな雛人形や吊るし飾りが展示してありました
雛人形もさることながら、この建物がまたすごい!
清酒蔵元の「菊の城」の空き店舗を活用して昨年3月にオープンしたようです
写真がありましたよ^^
変われば変わるもんですね~
でも中は昔の面影が残っているんだと思われます
入り口からは想像できないくらい広い空間は展示スペースや、交流スペース
そしてディセンターとしても利用され、老若男女が集える施設と生まれ変わったようです
とてもいい雰囲気でした^^
その後、きくち観光物産館のお弁当でお腹を満たし
向かいにある「菊池夢美術館」に入ってみることに
前にある足湯では、たくさんの人が温まっていましたよ
こんなちっちゃな子まで、オムツが濡れそうだけどじゃぶじゃぶ歩いていました♪
「菊池夢美術館」がメイン会場なんですね
会場内は撮影禁止と聞き、会場外から写真を撮るらぼっち^^;
年代物のお雛様やくまモンのお雛様が飾ってあり、多くの人が訪れていました
この後、思いがけず歴史の勉強をすることになったのですが
そのお話は後回しにすることにして
夕方、ちらっと隈府の街歩きをしたので写真で綴ってみましょう
ここは「上町皇大神宮」、お伊勢さんと呼ばれています
創業享和三年・・・ひょえ~200年以上もの歴史?
えっと~、ここは何のお店だったかな?^^;
こちらは徳富蘆花夫人、愛子さんのの生誕地
文学、語学、絵画など多方面にわたる才能を持った方ですよね
通り名はこんなふうに埋め込まれています
車で通ったら気付かなかったと思います
裏からみたら杉玉かと思った軒先の吊るしもの
くまモンでした^^
古さのせいか、こんな無惨な姿のお宅も
シャッターを閉めた店が多いのか、いろんなところで絵が描かれていました
菊池リバイバルと書いてあり、学校の美術部などが協力しているようでした
空き地もありました、こんな長ーーーい土地^^;
昔ながらの区画なんでしょうね
思わず指差されたほうを見ちゃったよ(笑)
何を指差していたんだろ、不思議^^;
菊池、隈府はおもしろかった~^^
時間の関係上ちょっとしか歩けなかったけど
機会があればもっと歩いてみたいと思いました
本当に歩いてみなければわからないことって多いですね
町歩きはやっぱり楽しい♪
12年にも及ぶ裁判に一応の終止符が打たれようとしています
死刑が確実となり、突然実名や写真が公表されたことに驚きました
死刑適用基準を示した永山事件以降、死刑のあり方が取り沙汰されてきており
併せて少年法という“壁”が裁判を長引かせてきたといっていいでしょう
裁判官でもないし、法律というものを知っているわけではないけれど
裁判員制度が始まってもうすぐ3年
今後、裁判を公正な判断ができるよう人間性だけは磨いておきたいものです
さて昨日の続き♪
旭志をうろうろした後は、お昼ご飯を食べるために
菊池の市街地にやってきました
早くしないとランチが終わってしまう~、急げや急げ!!
あわてて駆けつけたのは「菊池れとろ館」です

時はジャスト午後2時、中にある「レトロ食堂」さんに飛び込むらぼっち
ああそれなのに、それなのにあえなく撃沈(><)
それじゃスイーツでもと隣の「甘味処さくらんぼ」さんを覗くも
残念ながら、やっぱり振られました(泣)
でも、入ってみてびっくり
なんじゃ、この空間はーっ!!!

ってなことで、お腹がすいたのも忘れた熟年
すぐさま探検隊に変身(笑)
この日は「菊池わいふのひなまつり」の初日
華やかな雛人形や吊るし飾りが展示してありました



雛人形もさることながら、この建物がまたすごい!

清酒蔵元の「菊の城」の空き店舗を活用して昨年3月にオープンしたようです
写真がありましたよ^^

変われば変わるもんですね~
でも中は昔の面影が残っているんだと思われます
入り口からは想像できないくらい広い空間は展示スペースや、交流スペース
そしてディセンターとしても利用され、老若男女が集える施設と生まれ変わったようです

とてもいい雰囲気でした^^
その後、きくち観光物産館のお弁当でお腹を満たし
向かいにある「菊池夢美術館」に入ってみることに
前にある足湯では、たくさんの人が温まっていましたよ
こんなちっちゃな子まで、オムツが濡れそうだけどじゃぶじゃぶ歩いていました♪

「菊池夢美術館」がメイン会場なんですね

会場内は撮影禁止と聞き、会場外から写真を撮るらぼっち^^;

年代物のお雛様やくまモンのお雛様が飾ってあり、多くの人が訪れていました
この後、思いがけず歴史の勉強をすることになったのですが
そのお話は後回しにすることにして
夕方、ちらっと隈府の街歩きをしたので写真で綴ってみましょう
ここは「上町皇大神宮」、お伊勢さんと呼ばれています

創業享和三年・・・ひょえ~200年以上もの歴史?

えっと~、ここは何のお店だったかな?^^;

こちらは徳富蘆花夫人、愛子さんのの生誕地
文学、語学、絵画など多方面にわたる才能を持った方ですよね

通り名はこんなふうに埋め込まれています
車で通ったら気付かなかったと思います

裏からみたら杉玉かと思った軒先の吊るしもの
くまモンでした^^

古さのせいか、こんな無惨な姿のお宅も

シャッターを閉めた店が多いのか、いろんなところで絵が描かれていました
菊池リバイバルと書いてあり、学校の美術部などが協力しているようでした


空き地もありました、こんな長ーーーい土地^^;
昔ながらの区画なんでしょうね

思わず指差されたほうを見ちゃったよ(笑)

何を指差していたんだろ、不思議^^;
菊池、隈府はおもしろかった~^^
時間の関係上ちょっとしか歩けなかったけど
機会があればもっと歩いてみたいと思いました
本当に歩いてみなければわからないことって多いですね
町歩きはやっぱり楽しい♪

<菊池れとろ館>
[所在地]熊本県菊池市隈府104
[アクセス]地図はコチラ
今朝も冷え込みましたが
ランナー達の熱気が寒さを吹き飛ばしたのかも^^
「熊本城マラソン」の生中継を朝からやってましたね
知り合いがわかるかもとずっと見てましたよ^^;
初出場者が多いと聞いていたので、心配でしたが
なんとか無事に終了したようですね♪
幸山市長は来年も開催したいようなので
しっかり検証したうえで第2回につなげて欲しいですね
さて“土木遺産”の「姫井橋」の近くにあるのがこれ

手のじのお二人も行かれてました^^
神社ふうの屋根が付いた手作りっぽい看板がいいですね~♪
でも、川沿いのガードレールの外側に立っています
川を覗いてびっくりです
だって、川べりにある筒から湧水が勢いよく出ていたんです
すぐそばに人が渡れるだけの橋がかかっていたので
ちょっと遊んでみました、えへへ^^;
さて、階段を下りて湧水を近くで見てみましょう
と普通、階段があるので下りて近くまで行ってみますよね
ところが、二人とも全く下りようともせず
目は前にそびえたつムクノキにクギヅケでした(笑)
まずは説明板を^^
ほほう、幹周り5.5mに樹高26m、立派なムクノキです♪
根元からの湧水は『噴水になるほどであった』かぁ、すごかったんだね~^^
ある日突然ピタッと止まったなんて、どういうことなんでしょうか^^;
でも、ポンプで揚水してまで名水は残されるものなんですね
お、もしかしてこれが道路の下を通して川原に噴出させているパイプ?
その側溝にはこちらも手作りと思われる水車が回っていましたよ♪
ちらっとゴミが引っかかってますけど(笑)
さて、説明にもある神社に行ってみようと思ったものの
どこにあるのかわかりません
運よく、通りかかりのご婦人に尋ねてみました
「この道を入っていくとわかるよ、ちょっと荒れとるけど」
荒れてる?ちらっと不安がよぎったものの、お礼を言って歩き始めました
すると神社はすぐに見つかりました
「乙姫神社」です
乙姫に縁があるから「乙姫神社」なんですね~
鳥居の横にある木の標柱には何か書いてありました
でも、読めて意味がわかったのは
『裏が「なまず」でそれに二人がだきついている』
『「トッコさん」といって清水が湧いていた』
だけ^^;
何のこっちゃ??
「なまず」は多分、乙姫を助けたという鯰
でもなぜに二人?
そして、境内で湧いていた泉というのが「トッコさん」なのでしょう
よく見れば「乙姫神社」の“乙”のバランスが・・・^^;
石段の左上には大きなイチョウの木、樹高は30mもあるそうです
なかなか立派な乳(気根)を持ってますよ♪
が、なんかくっさーー!!
足元要注意!!
気をつけて、気をつけて歩きました
時期的にもう大丈夫だろうと思ったのに、かなりキッツーイ臭いです
恐るべし、銀杏・・・
拝殿はわりと新しいのかな?
絵馬を見ると歴史がありそうです
本殿は新しい白木に付け替えられたところもありました
ここでらぼっちが「お~~~い」とふぬけた感じでとっちんを呼びました(笑)
本殿の反対側からです
行ってみると、ニタニタしているらぼっちが待っていました
「見て見て!!」
「もしかしてへんなこと想像してたんでしょ?
これ鯰じゃん!乙姫様を助けたというな・ま・ず!」
「へっ???」
想像力はあっても、観察力がまったくないらぼっちでした(笑)
その横には道があり、その先にお堂が二つ見えています
行ってみようと思ったのはとっちんだけ

小さくて古そうでしたが、とても大事にされている感じを受けました
そういえば、鳥居の横にあった石のほうの標柱には
「乙姫神社の史跡群」って書いてあったな
もしかしてこのお堂なんかも入るのかしら?
その下の空き地みたいな所には石の置物?がたくさんあったんです
文字が刻んである石灯籠のようなものも三つ
説明がないので、皆目見当がつきません(><)
そしてこの空き地の一番奥にはやっぱり石造りの手水鉢があったんです
もしかしたら、これが「トッコさん」?
そんなわけないだろ、というらぼっちは
しっかり銀杏の芳しい臭いを靴の裏につけていましたとさ
くっさー^^;
ランナー達の熱気が寒さを吹き飛ばしたのかも^^
「熊本城マラソン」の生中継を朝からやってましたね
知り合いがわかるかもとずっと見てましたよ^^;
初出場者が多いと聞いていたので、心配でしたが
なんとか無事に終了したようですね♪
幸山市長は来年も開催したいようなので
しっかり検証したうえで第2回につなげて欲しいですね
さて“土木遺産”の「姫井橋」の近くにあるのがこれ

手のじのお二人も行かれてました^^
神社ふうの屋根が付いた手作りっぽい看板がいいですね~♪
でも、川沿いのガードレールの外側に立っています
川を覗いてびっくりです
だって、川べりにある筒から湧水が勢いよく出ていたんです

すぐそばに人が渡れるだけの橋がかかっていたので
ちょっと遊んでみました、えへへ^^;

さて、階段を下りて湧水を近くで見てみましょう
と普通、階段があるので下りて近くまで行ってみますよね
ところが、二人とも全く下りようともせず
目は前にそびえたつムクノキにクギヅケでした(笑)

まずは説明板を^^

ほほう、幹周り5.5mに樹高26m、立派なムクノキです♪
根元からの湧水は『噴水になるほどであった』かぁ、すごかったんだね~^^

ある日突然ピタッと止まったなんて、どういうことなんでしょうか^^;
でも、ポンプで揚水してまで名水は残されるものなんですね
お、もしかしてこれが道路の下を通して川原に噴出させているパイプ?

その側溝にはこちらも手作りと思われる水車が回っていましたよ♪
ちらっとゴミが引っかかってますけど(笑)

さて、説明にもある神社に行ってみようと思ったものの
どこにあるのかわかりません
運よく、通りかかりのご婦人に尋ねてみました
「この道を入っていくとわかるよ、ちょっと荒れとるけど」
荒れてる?ちらっと不安がよぎったものの、お礼を言って歩き始めました
すると神社はすぐに見つかりました
「乙姫神社」です

乙姫に縁があるから「乙姫神社」なんですね~
鳥居の横にある木の標柱には何か書いてありました
でも、読めて意味がわかったのは
『裏が「なまず」でそれに二人がだきついている』
『「トッコさん」といって清水が湧いていた』
だけ^^;
何のこっちゃ??
「なまず」は多分、乙姫を助けたという鯰
でもなぜに二人?
そして、境内で湧いていた泉というのが「トッコさん」なのでしょう

よく見れば「乙姫神社」の“乙”のバランスが・・・^^;
石段の左上には大きなイチョウの木、樹高は30mもあるそうです

なかなか立派な乳(気根)を持ってますよ♪

が、なんかくっさーー!!
足元要注意!!

気をつけて、気をつけて歩きました
時期的にもう大丈夫だろうと思ったのに、かなりキッツーイ臭いです
恐るべし、銀杏・・・

拝殿はわりと新しいのかな?
絵馬を見ると歴史がありそうです

本殿は新しい白木に付け替えられたところもありました

ここでらぼっちが「お~~~い」とふぬけた感じでとっちんを呼びました(笑)
本殿の反対側からです
行ってみると、ニタニタしているらぼっちが待っていました
「見て見て!!」

「もしかしてへんなこと想像してたんでしょ?
これ鯰じゃん!乙姫様を助けたというな・ま・ず!」

「へっ???」
想像力はあっても、観察力がまったくないらぼっちでした(笑)
その横には道があり、その先にお堂が二つ見えています

行ってみようと思ったのはとっちんだけ


小さくて古そうでしたが、とても大事にされている感じを受けました
そういえば、鳥居の横にあった石のほうの標柱には
「乙姫神社の史跡群」って書いてあったな
もしかしてこのお堂なんかも入るのかしら?
その下の空き地みたいな所には石の置物?がたくさんあったんです

文字が刻んである石灯籠のようなものも三つ

説明がないので、皆目見当がつきません(><)
そしてこの空き地の一番奥にはやっぱり石造りの手水鉢があったんです
もしかしたら、これが「トッコさん」?

そんなわけないだろ、というらぼっちは
しっかり銀杏の芳しい臭いを靴の裏につけていましたとさ
くっさー^^;
<乙姫湧水>
[アクセス]地図はコチラ
<乙姫神社>
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毎年恒例の第一生命のサラリーマン川柳コンクールが始まりましたね
入選作品を見るとクスっと笑顔になるものもたくさんありますが
サラリーマンの悲哀が感じられ、せつなくもなったり^^;
ことに今年は震災をテーマにしたものもあり、改めて考えさせられたり
『被災地に あきらめないを 教えられ』
『復興を 祈る気持ちで 電気消す』
TVからもらったものは苦笑いしました
『「おーい飯!」こだまでしょうか「おーい飯!」』
『妻が言う「承知しました」聞いてみたい』
そして、熟年には笑えない句も^^;
『立ち上がり 目的忘れ また座る』
さて、今年の№1にはどの句が選ばれるのでしょうか
そんなウイットのかけらもない熟年ふたりは菊池市旭志をうろうろ
「姫井橋」に立ち寄っていました
県道329号、菊池渓谷の帰りとかにピヤ~っと通るところにあります^^
知ってはいましたが、わざわざ車を降りて見るほどでは・・・
な~んて、失礼しました!!
とても貴重な素晴らしい橋だったんですよ♪
国の登録有形文化財だったんですね^^
それも驚いたことに、関門トンネル(在来線用)などと共に
「平成18年度 土木学会選奨土木遺産」に選定されていたんです
土木遺産?なんじゃ?
ピンとくるものがない、と思ったらこんな説明が!
国内で唯一?
わが国初のRC下路アーチ(メラン式)?
形式はよくわかりませんが、とにかく
アーチから5本づつ鉄筋入りのコンクリート柱が下がり、路面を吊っているんだとか
見れば見るほどよくわかりません^^;
元々木橋が架かっており、たび重なる洪水で流されていて
なんとか流されずになおかつ馬車が通る丈夫な橋を
と、いう強い要望でこの橋はできたようです
馬車が通る橋なので、通称「馬橋」と呼ばれていたんだとか^^
新橋に架け替える際に撤去される予定だったところ
地元の強い要望で保存されたようです
う~ん、よかったよかった♪
これは親柱?
大正十四年の文字がしっかり見えますね
親柱かどうか調べたら、そうかもしれないというものが^^
河川改修工事の折、親柱は4本とも川底へ
1本だけを偶然地元の人が川底から発見して、この場所に移設したという話です
ということは、残りの3本は未だに川底に埋もれているということなのかな^^;
「姫井橋」、貴重な財産
大事にしていきたいものです
でもこの構造、アーチ部に上りたくなるのがたまにきず^^;
入選作品を見るとクスっと笑顔になるものもたくさんありますが
サラリーマンの悲哀が感じられ、せつなくもなったり^^;
ことに今年は震災をテーマにしたものもあり、改めて考えさせられたり
『被災地に あきらめないを 教えられ』
『復興を 祈る気持ちで 電気消す』
TVからもらったものは苦笑いしました
『「おーい飯!」こだまでしょうか「おーい飯!」』
『妻が言う「承知しました」聞いてみたい』
そして、熟年には笑えない句も^^;
『立ち上がり 目的忘れ また座る』
さて、今年の№1にはどの句が選ばれるのでしょうか
そんなウイットのかけらもない熟年ふたりは菊池市旭志をうろうろ
「姫井橋」に立ち寄っていました

県道329号、菊池渓谷の帰りとかにピヤ~っと通るところにあります^^
知ってはいましたが、わざわざ車を降りて見るほどでは・・・
な~んて、失礼しました!!
とても貴重な素晴らしい橋だったんですよ♪

国の登録有形文化財だったんですね^^
それも驚いたことに、関門トンネル(在来線用)などと共に
「平成18年度 土木学会選奨土木遺産」に選定されていたんです
土木遺産?なんじゃ?
ピンとくるものがない、と思ったらこんな説明が!

国内で唯一?
わが国初のRC下路アーチ(メラン式)?

形式はよくわかりませんが、とにかく
アーチから5本づつ鉄筋入りのコンクリート柱が下がり、路面を吊っているんだとか
見れば見るほどよくわかりません^^;

元々木橋が架かっており、たび重なる洪水で流されていて
なんとか流されずになおかつ馬車が通る丈夫な橋を
と、いう強い要望でこの橋はできたようです
馬車が通る橋なので、通称「馬橋」と呼ばれていたんだとか^^
新橋に架け替える際に撤去される予定だったところ
地元の強い要望で保存されたようです
う~ん、よかったよかった♪
これは親柱?

大正十四年の文字がしっかり見えますね
親柱かどうか調べたら、そうかもしれないというものが^^
河川改修工事の折、親柱は4本とも川底へ
1本だけを偶然地元の人が川底から発見して、この場所に移設したという話です
ということは、残りの3本は未だに川底に埋もれているということなのかな^^;
「姫井橋」、貴重な財産
大事にしていきたいものです
でもこの構造、アーチ部に上りたくなるのがたまにきず^^;

<姫井橋>
[アクセス]地図はコチラ
今日から確定申告の受付が始まりましたね
普通に暮らしていたサラリーマンの家には必要ないことですが
申告しなければいけない人たちにはちょっと大変な時期かも
そして今日、巨額な損失隠しで粉飾決算をしたということで
光学機器大手のオリンパスの前会長ら旧経営陣や関係者が6人も逮捕されました
昨年、イギリス人社長の早期解任がきっかけで事件が明るみに出て
10年以上の長期に渡った“隠し”がバレちゃったらしい
いずれにせよ、嘘はいけませんやね!
数字を全うにしてなんぼでしょ
人生やり直しはきかないのですから^^;
寒い今晩もじんじゃらーはゆく~(笑)
やれやれな“らぼっち行方不明事件”から今度は二人仲良く車に乗ってGO!
すい~~っと車は走っていく、予定でしたが
「ちょっと止めてー!」と助手席で叫ぶとっちん
急ブレーキで止めたらぼっちが文句も言わずにいたのはこれを見たから^^
ほよよ、どっしりとした鳥居だこと^^
手前の狛犬、目も鼻も口もちょっとユーモラス
どっかのおっさんに似ているかも、ぶぷぷ♪
こちらは岩本地区にある「菅原神社」です
菅原神社ってどこそこにありますよね
ここもそんな感じで、すっと眺めるだけの神社かなと思っていたんです
すぐにまた狛犬、こちらはちょっと細マッチョ君
肩に異様なくらいの筋肉、そして顔は厳つい^^;
菅原道真の神社ですから、もちろん梅に牛さん
牛さんの古い台座には明治四十四年の文字があり
その上の台座には『風害により巨大杉は倒れ神殿破損、復旧に伴い新像を新奉』
と、書いてありました
こちらのの神社には結構大きなイチョウの木があるんですよ
“ワン”
“ツー”
“スリー”
と、3本も!
同時期に植えられたと思われます、同じような大きさでしたから^^
さあ、拝殿です
ぱっと見は普通^^;
でもよ~く見れば、ん?
んん?ギョロ目の龍が睨んでる~(笑)
瓦は新しいようですよ
鬼瓦にくっついている獅子は飛んでるし(笑)
彫刻はどうなんでしょう、新しいのかしらね?
ぎょ、ぎょえ~、宇宙人??
彫刻を解するのも難しいな^^;
今まで見てきた熊本の神社の中でも凝った造り、でも古くはなさそう
拝殿はそんなに大きくはありませんが
夏には120年以上の歴史がある岩本神楽連による神楽の奉納が行われるようです
天井を見上げると絵馬が掲げてありました
この絵馬も何年か前に修復されたとかで
結構な色合いを保っていました
本殿もこじんまり^^
でも、ちゃ~んと力神さんがいらっしゃいます
こちらはどこぞのじーさんのよう(笑)
これは拝殿と本殿の間の床下にあったモノ
大事に保存してあるようだけど、まさか船じゃないよね^^;
いや~、思いがけずいいものを見せていただきました♪
“飛び梅”じゃないだろうけど
境内の梅も少しほころんでいて、熟年の目尻も緩んでいました^^
あ、年のせいか(爆)
と、ここでらぼっちが「ここらへんにおもしろい橋があったはず」
てなことを突然言い出した
動物的勘?それともとっちんの知らない何かを見てたの?覚えてたの?
まあ、珍しい(笑)
で、すぐに見つかったのがこの橋!
合志川にかかる「第一岩本橋」です
って、何年か前の夏にとっちんは友達二人と
ここでたくさんの蛍が飛び交うのを見たんだよな・・・
暗かったし、蛍しか見てなかったし^^;
なんと親柱は昨日アップした「円通寺」の石門を模ってあるようです
そんなに古い橋ではありませんよ、たぶん^^
普通に暮らしていたサラリーマンの家には必要ないことですが
申告しなければいけない人たちにはちょっと大変な時期かも
そして今日、巨額な損失隠しで粉飾決算をしたということで
光学機器大手のオリンパスの前会長ら旧経営陣や関係者が6人も逮捕されました
昨年、イギリス人社長の早期解任がきっかけで事件が明るみに出て
10年以上の長期に渡った“隠し”がバレちゃったらしい
いずれにせよ、嘘はいけませんやね!
数字を全うにしてなんぼでしょ
人生やり直しはきかないのですから^^;
寒い今晩もじんじゃらーはゆく~(笑)
やれやれな“らぼっち行方不明事件”から今度は二人仲良く車に乗ってGO!
すい~~っと車は走っていく、予定でしたが
「ちょっと止めてー!」と助手席で叫ぶとっちん
急ブレーキで止めたらぼっちが文句も言わずにいたのはこれを見たから^^

ほよよ、どっしりとした鳥居だこと^^
手前の狛犬、目も鼻も口もちょっとユーモラス
どっかのおっさんに似ているかも、ぶぷぷ♪

こちらは岩本地区にある「菅原神社」です

菅原神社ってどこそこにありますよね
ここもそんな感じで、すっと眺めるだけの神社かなと思っていたんです
すぐにまた狛犬、こちらはちょっと細マッチョ君
肩に異様なくらいの筋肉、そして顔は厳つい^^;

菅原道真の神社ですから、もちろん梅に牛さん

牛さんの古い台座には明治四十四年の文字があり
その上の台座には『風害により巨大杉は倒れ神殿破損、復旧に伴い新像を新奉』
と、書いてありました
こちらのの神社には結構大きなイチョウの木があるんですよ
“ワン”

“ツー”

“スリー”

と、3本も!
同時期に植えられたと思われます、同じような大きさでしたから^^
さあ、拝殿です

ぱっと見は普通^^;
でもよ~く見れば、ん?

んん?ギョロ目の龍が睨んでる~(笑)

瓦は新しいようですよ

鬼瓦にくっついている獅子は飛んでるし(笑)

彫刻はどうなんでしょう、新しいのかしらね?
ぎょ、ぎょえ~、宇宙人??

彫刻を解するのも難しいな^^;
今まで見てきた熊本の神社の中でも凝った造り、でも古くはなさそう
拝殿はそんなに大きくはありませんが
夏には120年以上の歴史がある岩本神楽連による神楽の奉納が行われるようです

天井を見上げると絵馬が掲げてありました

この絵馬も何年か前に修復されたとかで
結構な色合いを保っていました


本殿もこじんまり^^

でも、ちゃ~んと力神さんがいらっしゃいます
こちらはどこぞのじーさんのよう(笑)

これは拝殿と本殿の間の床下にあったモノ
大事に保存してあるようだけど、まさか船じゃないよね^^;

いや~、思いがけずいいものを見せていただきました♪
“飛び梅”じゃないだろうけど
境内の梅も少しほころんでいて、熟年の目尻も緩んでいました^^
あ、年のせいか(爆)

と、ここでらぼっちが「ここらへんにおもしろい橋があったはず」
てなことを突然言い出した
動物的勘?それともとっちんの知らない何かを見てたの?覚えてたの?
まあ、珍しい(笑)
で、すぐに見つかったのがこの橋!

合志川にかかる「第一岩本橋」です
って、何年か前の夏にとっちんは友達二人と
ここでたくさんの蛍が飛び交うのを見たんだよな・・・
暗かったし、蛍しか見てなかったし^^;
なんと親柱は昨日アップした「円通寺」の石門を模ってあるようです

そんなに古い橋ではありませんよ、たぶん^^

<岩本菅原神社>
<第一岩本橋>
[アクセス]地図はコチラ
今度の日曜日、19日は「熊本城マラソン」ですね
早くもあと4日となりました
らぼっちの職場の人が参加されるのですが
ここにきて当日の朝をどうするかで悩んでいるとの話
今日の新聞では、シャトルバスの利用希望者が低調
自家用車利用の交通混雑が予想されることで
事務局は駐車場の開門を早めたり、市電の早朝便を増発したりの対応をしているとか
マラソン自体は朝9時スタートなのですが
なにしろ参加者は1万人近くいるし、熊日30kmロードも同時開催です
そんななか、職場の人は朝7時45分にスタート地点集合との連絡を受けたそうです
スタートは持ち時間毎にブロックごとに決められているようです
(受付も前日と前々日ということで困る~と言ってるらしい・・)
荷物預け所は熊本城奉行丸だし、準備を整えて1時間以上も電車通りにいると
マラソン走る前に、風邪を引いてしまうんじゃないかと心配しているんです
熊本市も初めてのことだから、マラソン開催地からの情報なり
マラソンの達人からもアドバイスを受けてはいるのでしょうが
条件も違うので、見守る側としてはくれぐれも事故がないよう祈るばかりです
さて菊池ぶらりドライブの続き♪
旭志の県道329号は結構通る道ではあるのですが、ブーンと通り過ぎていました
蛍を見るために車を置かせてもらったことも^^;
それなのに全く無視、いや全然気付かなかったんです
この石門に!!
やだやだ、どこ見て走ってるんだろうね、まったく(笑)
ここは旭志弁利にあります「円通寺」です
立派な石門、きれいに丸い円を描いています
これは170年くらい前(江戸時代)に造られたものとか
昭和63年に熊本県の重要文化財に指定、平成12年に復元修復されました
おや~ん、これは石臼ではござらぬか?
なんでこんなところに、リサイクル?んなわけないですよね^^;
何か意味があるのでしょうが、さっぱりわかりません
幅5.4m、高さ3.9m、輪石の周りに切石を積み上げ
寄せ棟作りの屋根を載せた唐風の石門となっています
う~ん美しい、修復されてよかったよかった♪
なんだか難しく書いてあるな・・・
円通寺は1070年、菊池氏初代の菊地則隆により創建されたが
菊池氏の衰退につれ荒廃し、わずかに観音堂が残るのみとなりました
江戸時代に竜田山泰勝寺二世の春山座元が再興し泰勝寺の末寺となるが再び荒廃
再興から約170年後に自忍和尚が寺内を修復し同寺を復興しました
この岩本地区では、地区をあげて保存保護に努められています
と、まあこんなところでしょう^^
地図もありましたが、たいして見ることもせず先に進みました
なんじゃ?と思うようなものがあちこちに^^;
夏には蓮の花が咲き乱れるであろう池もあります
鯉も気持ちよささそうに泳いでいました
と、悠長に見てる場合じゃなかった
この後、事件発生!!
円通寺がないんです^^;
そのうえ、前を行っていたらぼっちを見失ったとっちん
探しながらも道なき道を進んでしまったから、さあ大変(笑)
こんなところに出てしまったもんだから
あらら、コレは何?
いかんいかん、らぼっちはどこじゃ?
と、携帯にかけたけど、ああ電池切れたって言ってたっけ^^;
ま、いっかー、どこかでばったり会うだろうと
楽観的にとっちんがずんずん進んでいたちょうどその頃
らぼっちはというと・・・
石門の横を入って稲荷さんを見ていたようです
こんな道も通りながら
この道は写真を撮っただけなのか、歩いたのか?
本人曰く、歩いたようです^^;
とっちんはたくさんの石仏を見ながら、山際を進んでいました
かなり高いところの穴に入っているものもありました
そうして道を下っていくと広いところに出たのです
あれ~?もしかして「円通寺」ってここだったの~?
そうなんです、とっちんは円通寺八十八ヶ所の途中
17番あたりから逆に歩いていたんです
なんだ、そうだったのかと本堂を取り囲んでいる石仏などを見渡していました
本堂の中もガラス越しにちょっと失礼して^^;
やっぱり無理か・・・
お、本堂の両横にはやっぱり石臼がありました、う~む
おや~ん、山の壁面には文字が!
『大悲』と書いてあります、江戸時代後期に書かれたものだそうです
鮮明に見えるけど、もしかしてこれも修復されているのかな^^;
本堂を下りてみました
すぐ横には「馬頭観音堂」がありました
こちらは鍵がかかっていなかったので開ける事ができました
牛さんがいたんですが、なぜでしょうね^^
誰も登らないだろうと思えるくらい狭くて急な県道からの石段の横には
これも江戸時代のものかと思えるこんなものが建っていました
へええ、建物は観音堂しか残っていないけど
まわりには見ごたえのあるものがたくさんあるよね~
ひと通り見たので満足したとっちんが門のほうに歩いていくと
あら、どこかで見たようなおっさんがひとり、池のほとりのベンチに(笑)
「何してたの?」とっちんが聞くと
「円通寺は跡しかないと思って座ってた、おまえこそどこに行ってたの?」と宣う
「はあ~?今、本堂見てきたとこだよ」
「うっそー、こっちに本堂があったの?なんだよ~」
慌てて階段を駆け上がったらぼっちなのでした^^;
おっさんおっさん、ちゃんと地図は見ようね!(笑)
普通に石門から真っ直ぐの道を進めばよかったのに
なぜか二人とも迷わずに左の道を行っちゃったんだよね~^^;
だって、ほら左のほうが白くてきれいな道でしょ?(笑)
うっすら雪化粧した鞍岳も呆れていたことでしょう^^
早くもあと4日となりました
らぼっちの職場の人が参加されるのですが
ここにきて当日の朝をどうするかで悩んでいるとの話
今日の新聞では、シャトルバスの利用希望者が低調
自家用車利用の交通混雑が予想されることで
事務局は駐車場の開門を早めたり、市電の早朝便を増発したりの対応をしているとか
マラソン自体は朝9時スタートなのですが
なにしろ参加者は1万人近くいるし、熊日30kmロードも同時開催です
そんななか、職場の人は朝7時45分にスタート地点集合との連絡を受けたそうです
スタートは持ち時間毎にブロックごとに決められているようです
(受付も前日と前々日ということで困る~と言ってるらしい・・)
荷物預け所は熊本城奉行丸だし、準備を整えて1時間以上も電車通りにいると
マラソン走る前に、風邪を引いてしまうんじゃないかと心配しているんです
熊本市も初めてのことだから、マラソン開催地からの情報なり
マラソンの達人からもアドバイスを受けてはいるのでしょうが
条件も違うので、見守る側としてはくれぐれも事故がないよう祈るばかりです
さて菊池ぶらりドライブの続き♪
旭志の県道329号は結構通る道ではあるのですが、ブーンと通り過ぎていました
蛍を見るために車を置かせてもらったことも^^;
それなのに全く無視、いや全然気付かなかったんです
この石門に!!

やだやだ、どこ見て走ってるんだろうね、まったく(笑)
ここは旭志弁利にあります「円通寺」です

立派な石門、きれいに丸い円を描いています
これは170年くらい前(江戸時代)に造られたものとか
昭和63年に熊本県の重要文化財に指定、平成12年に復元修復されました
おや~ん、これは石臼ではござらぬか?

なんでこんなところに、リサイクル?んなわけないですよね^^;
何か意味があるのでしょうが、さっぱりわかりません
幅5.4m、高さ3.9m、輪石の周りに切石を積み上げ
寄せ棟作りの屋根を載せた唐風の石門となっています

う~ん美しい、修復されてよかったよかった♪

なんだか難しく書いてあるな・・・
円通寺は1070年、菊池氏初代の菊地則隆により創建されたが
菊池氏の衰退につれ荒廃し、わずかに観音堂が残るのみとなりました
江戸時代に竜田山泰勝寺二世の春山座元が再興し泰勝寺の末寺となるが再び荒廃
再興から約170年後に自忍和尚が寺内を修復し同寺を復興しました
この岩本地区では、地区をあげて保存保護に努められています
と、まあこんなところでしょう^^
地図もありましたが、たいして見ることもせず先に進みました

なんじゃ?と思うようなものがあちこちに^^;

夏には蓮の花が咲き乱れるであろう池もあります
鯉も気持ちよささそうに泳いでいました

と、悠長に見てる場合じゃなかった
この後、事件発生!!
円通寺がないんです^^;
そのうえ、前を行っていたらぼっちを見失ったとっちん
探しながらも道なき道を進んでしまったから、さあ大変(笑)
こんなところに出てしまったもんだから

あらら、コレは何?

いかんいかん、らぼっちはどこじゃ?
と、携帯にかけたけど、ああ電池切れたって言ってたっけ^^;
ま、いっかー、どこかでばったり会うだろうと
楽観的にとっちんがずんずん進んでいたちょうどその頃
らぼっちはというと・・・
石門の横を入って稲荷さんを見ていたようです

こんな道も通りながら

この道は写真を撮っただけなのか、歩いたのか?
本人曰く、歩いたようです^^;
とっちんはたくさんの石仏を見ながら、山際を進んでいました


かなり高いところの穴に入っているものもありました
そうして道を下っていくと広いところに出たのです

あれ~?もしかして「円通寺」ってここだったの~?

そうなんです、とっちんは円通寺八十八ヶ所の途中
17番あたりから逆に歩いていたんです

なんだ、そうだったのかと本堂を取り囲んでいる石仏などを見渡していました


本堂の中もガラス越しにちょっと失礼して^^;

やっぱり無理か・・・
お、本堂の両横にはやっぱり石臼がありました、う~む

おや~ん、山の壁面には文字が!

『大悲』と書いてあります、江戸時代後期に書かれたものだそうです
鮮明に見えるけど、もしかしてこれも修復されているのかな^^;
本堂を下りてみました

すぐ横には「馬頭観音堂」がありました

こちらは鍵がかかっていなかったので開ける事ができました

牛さんがいたんですが、なぜでしょうね^^

誰も登らないだろうと思えるくらい狭くて急な県道からの石段の横には
これも江戸時代のものかと思えるこんなものが建っていました

へええ、建物は観音堂しか残っていないけど
まわりには見ごたえのあるものがたくさんあるよね~
ひと通り見たので満足したとっちんが門のほうに歩いていくと
あら、どこかで見たようなおっさんがひとり、池のほとりのベンチに(笑)

「何してたの?」とっちんが聞くと
「円通寺は跡しかないと思って座ってた、おまえこそどこに行ってたの?」と宣う
「はあ~?今、本堂見てきたとこだよ」
「うっそー、こっちに本堂があったの?なんだよ~」
慌てて階段を駆け上がったらぼっちなのでした^^;
おっさんおっさん、ちゃんと地図は見ようね!(笑)

普通に石門から真っ直ぐの道を進めばよかったのに
なぜか二人とも迷わずに左の道を行っちゃったんだよね~^^;
だって、ほら左のほうが白くてきれいな道でしょ?(笑)
うっすら雪化粧した鞍岳も呆れていたことでしょう^^

<円通寺> [所在地]熊本県菊池市大字弁利
[アクセス]地図はコチラ
今日はバレンタインデーでしたね^^
今年は何もしないでおこうかな~、とも思ったけど
後で「今年は何もなかった」とグチられたら面倒なので^^;
チョコレートケーキを作ってみました

メタボには毒なのですが、今日ばかりは仕方ない(笑)
晩ご飯の後にもかかわらず、ペロッとたいらげてしまいました
とっちんの愛もあっという間に腹の中
そんなもんだよね~、儀式的なことだし^^;
さて、11日の土曜日は菊池方面をぶら~っとドライブしようと出かけました
朝、ゆっくりしてたのに何かないかと調べたものはざ~っと^^;
おまけにプリントアウトしたものをテーブルの上に置き忘れ
うろ覚えで行こうとしたのは「杉井川の湧水」
結局iPhone4Sで県のHPにアクセスして、地図を覗く
でも、どんなにぐるぐる回っても案内もなければ、道もない(><)
あまりにうろうろし過ぎて時間を浪費したもんで
次に行くか行かないかでとうとう、らぼっちと喧嘩になっちゃった^^;
結局、車では行けないんじゃないかということで
車を降り、歩いていってみることに
狭い道を入ってもまったくそれらしいものは見当たらない
そこで、らぼっちが通りがかりの家の庭で作業中の男性に聞いてみました
そうしたら、「近いんだけどね~」と言われながら
全然違う場所を教えられたんです
なんということでしょう!
前にもこういうことがあったので、信用できないかなとは思っていたけど
またしても裏切られました(><)
県の担当の方、「地域発ふるさとの自然と文化」の
地図情報はもう少し的確にお願いしますよ!
『当たらずといえども遠からじ』じゃ、行き着けませんから
そんなこんなで男性に教えられたところに
らぼっちは車で、とっちんは歩いて行ってみました
とっちんはすぐさまわかりました
だって杉木立が目の前に現れたので^^
らぼっちはというと、エアウェイブが最初だーっと行き過ぎ
バックで戻ってきて入りかけたんだけど、あまりに入り口が狭くて諦めました
やっぱこれじゃね~^^;
そしてどこの入り口にも案内板はありません
地元の人に聞きなさい、ってことね(笑)
ここがやっとのことでたどり着いた「杉井川の湧水」です^^
おっと、標柱には「杉井川の杉」って書いてあります
湧水じゃないんだ(><)
周囲は民家なんですが、なんか空気が違う
澄んでいるんですよ、気の持ちようかもしれませんが^^;
さすが湧水だけあって、ここいらの簡易水道になっているようです
だからか、こんなことが書いてあります
湧水を見守るお地蔵様(水神様?)もいらっしゃる♪
400年近く昔、この村で悪疫が流行し、その原因が近くの伊萩川の水だとされ
川の水が飲めなくなり、たいへん困っていました
その時大雨で洪水になり、上流の鶴の宮から一本の杉が流れ着きました
やがてその杉が根付き、根元からは澄んだ水が湧き出します
以来、雨が降っても濁らず、旱ばつ時にも枯れず
この湧水が多くの村人を救ってきたと言われています
今もこんこんと豊富な水が湧いていますよ^^
で、その杉というのが昭和38年に県の天然記念物に指定されていたんですが
今では台風や雷により根元の部分しか残っていません
それでも子孫は残っているみたいです
いえ、もしかしたら倒れた元の枝が根付いたのでしょうか
お役御免になった標柱、これには何が書いてあったのだろう
読もうとしたけど無理でした^^;
あまりにきれいに澄んでいたので、思わず飲んでみるらぼっち
{どう?」「うん、美味しい」
それだけ?もう少しわかりやすい表現はないのか!
熊本県では、綺麗な水のわき出るところや井戸のことを井川と呼ぶそうです
それがまた、こんなところに?っていう場所にあるんですよね^^;
人にとってなくてはならない水
古来から水があるところには人が寄ります
よそ者の熟年は熊本にこんなに湧水があることを知りませんでした
改めて豊かな自然、豊富な水に守られた熊本は幸せなところだと思っています^^
今年は何もしないでおこうかな~、とも思ったけど
後で「今年は何もなかった」とグチられたら面倒なので^^;
チョコレートケーキを作ってみました

メタボには毒なのですが、今日ばかりは仕方ない(笑)
晩ご飯の後にもかかわらず、ペロッとたいらげてしまいました
とっちんの愛もあっという間に腹の中
そんなもんだよね~、儀式的なことだし^^;
さて、11日の土曜日は菊池方面をぶら~っとドライブしようと出かけました
朝、ゆっくりしてたのに何かないかと調べたものはざ~っと^^;
おまけにプリントアウトしたものをテーブルの上に置き忘れ
うろ覚えで行こうとしたのは「杉井川の湧水」
結局iPhone4Sで県のHPにアクセスして、地図を覗く
でも、どんなにぐるぐる回っても案内もなければ、道もない(><)
あまりにうろうろし過ぎて時間を浪費したもんで
次に行くか行かないかでとうとう、らぼっちと喧嘩になっちゃった^^;
結局、車では行けないんじゃないかということで
車を降り、歩いていってみることに
狭い道を入ってもまったくそれらしいものは見当たらない
そこで、らぼっちが通りがかりの家の庭で作業中の男性に聞いてみました
そうしたら、「近いんだけどね~」と言われながら
全然違う場所を教えられたんです
なんということでしょう!
前にもこういうことがあったので、信用できないかなとは思っていたけど
またしても裏切られました(><)
県の担当の方、「地域発ふるさとの自然と文化」の
地図情報はもう少し的確にお願いしますよ!
『当たらずといえども遠からじ』じゃ、行き着けませんから
そんなこんなで男性に教えられたところに
らぼっちは車で、とっちんは歩いて行ってみました
とっちんはすぐさまわかりました
だって杉木立が目の前に現れたので^^

らぼっちはというと、エアウェイブが最初だーっと行き過ぎ
バックで戻ってきて入りかけたんだけど、あまりに入り口が狭くて諦めました
やっぱこれじゃね~^^;

そしてどこの入り口にも案内板はありません
地元の人に聞きなさい、ってことね(笑)
ここがやっとのことでたどり着いた「杉井川の湧水」です^^
おっと、標柱には「杉井川の杉」って書いてあります

湧水じゃないんだ(><)
周囲は民家なんですが、なんか空気が違う
澄んでいるんですよ、気の持ちようかもしれませんが^^;
さすが湧水だけあって、ここいらの簡易水道になっているようです

だからか、こんなことが書いてあります

湧水を見守るお地蔵様(水神様?)もいらっしゃる♪

400年近く昔、この村で悪疫が流行し、その原因が近くの伊萩川の水だとされ
川の水が飲めなくなり、たいへん困っていました
その時大雨で洪水になり、上流の鶴の宮から一本の杉が流れ着きました
やがてその杉が根付き、根元からは澄んだ水が湧き出します
以来、雨が降っても濁らず、旱ばつ時にも枯れず
この湧水が多くの村人を救ってきたと言われています

今もこんこんと豊富な水が湧いていますよ^^
で、その杉というのが昭和38年に県の天然記念物に指定されていたんですが
今では台風や雷により根元の部分しか残っていません

それでも子孫は残っているみたいです
いえ、もしかしたら倒れた元の枝が根付いたのでしょうか

お役御免になった標柱、これには何が書いてあったのだろう
読もうとしたけど無理でした^^;

あまりにきれいに澄んでいたので、思わず飲んでみるらぼっち

{どう?」「うん、美味しい」
それだけ?もう少しわかりやすい表現はないのか!
熊本県では、綺麗な水のわき出るところや井戸のことを井川と呼ぶそうです
それがまた、こんなところに?っていう場所にあるんですよね^^;
人にとってなくてはならない水
古来から水があるところには人が寄ります
よそ者の熟年は熊本にこんなに湧水があることを知りませんでした
改めて豊かな自然、豊富な水に守られた熊本は幸せなところだと思っています^^

<杉井川の湧水>
[所在地]熊本県菊池市旭志伊萩
[アクセス]地図はコチラ
先週の木曜日、野菜作りの仲間と4人で「JA植木まつり」に行ってきました
合志市の県農業公園カントリーパークで
1月21日(土)から2月20日(月)までの31日間、開催中です
前にくまもと春の植木市に出かけたことはあるものの
こちらの植木まつりは初めて^^
今年は「“夢ふくらむ”熊本の春とふるさとの恵みを」がテーマだそうで
県内11JAが参加して庭木や花、鉢物や各JA自慢の特産品が即売されています
平日だし、小雪の降る寒~い日だったので
人が少ないかなと思いきや、なんのなんの結構な人出でした
着いてすぐに同じ野菜作りをしているグループの人が出店している二つのブースへ♪
陣中見舞いをしようというわけです
最初はKさん、オバハン連中の母親とあまり変わらないお年頃^^
Kさんはまさしく植木を出品している人で、農業も大ベテラン
顔を見せるととても喜んでくれて
寒さを避けて待機できるテントの中に招きいれられました
先に農業高校の生徒が実習で来ていたのに
先生と一緒に追い出したような感じになってしまった^^;
「ごめんなさいね~」
入ってみるとびっくり!!
大きな丸ストーブの周りにテーブルが設えてあって
テントは温室のビニールが被されており隙間も塞がれて、まるで別世界♪
オバハン4人はあったかい席にどっかりと腰を下ろしたのでした(笑)
お茶を入れてもらい、手作りのお漬物やサラダ、お菓子をいただいて・・・
写真?ありません(笑)
だってあまりに居心地が良すぎて、カメラを持っていることさえ忘れていたんです
ブロガー失格ですね、あっはっは~^^;
お茶のお代わりを何杯目かしたころ
目の前のストーブの上にどーんと鍋が置かれました
なに?なに?と思ったものの、みんなそのことにはなぜか触れず
お漬物をバリバリ言わせながら、話に夢中^^
鍋には次から次に鶏肉や野菜が入れられていってます
テントの中をよく見ると、台所用品や調味料が我が家の台所より揃ってる~(笑)
そして、このテントには何軒かの出品者が当番制で詰めていらっしゃるよう
Kさんの他にも三人の方がおられたので
みんなのお昼ご飯を作ってるのだろうと4人は思っていた・・・
ところがKさん、手ぶらで陣中見舞いのオバハン4人に食べて行けと言う(笑)
「え~~っ?ごちそうになりに来たんじゃないんだから」と、お断りしたのに
「私が作ったものは食べれんとね」というKさんに負けて
喜んでいただくことにしたんですが、これがとっても美味しかった♪
材料をガバガバ入れて、秘密の?醤油をバッシャーと入れただけなのに
なんで美味しいんだろう、きっと何かの魔法があるに違いない(笑)
こうして2時間近くもお邪魔して、お腹いっぱいになった4人は
わけのわからない陣中見舞いを終え、次のFさんのブースへ
Fさんのところはお米はもちろん麦や大豆、ごまに里芋、辛いも、ジャガイモ等々
えーっと、とにかくいろんな穀類を作っている豪農さんです
なんでも20町を超える田畑があるとか
それだけでもたいへんなことなんですが
自分で加工品まで作って、各所で売っていらっしゃるんです
嫁に来て40年ということだから、やっぱり大ベテラン^^
ちょっと暇そうで、Kさんと同じように笑顔で出迎えてくれました
種になる芋や豆も売っているんですが
やっぱりオバハン4人は加工品の方に目がいきます
なんじゃかんじゃわいわいFさんと5人で盛り上がっていると
あららどこからか人が寄ってきて、いつのまにかテントは黒山の人だかり^^;
あっは~、サクラになるつもりはなかったのに
オバハンでも4人揃うと枯れ木も山の賑わい、Fさんの店に貢献できたようです(笑)
そんなことでお店は忙しくなり、商売の邪魔をしてはいけないので他を見学することに
で、つらつらと植木を眺めながらオバハンが寄るところはというと
もちろん、食べ物のブース!
ん?なんか間違ってます?(笑)
さっきKさんのところでしこたまご馳走になったのに
いろんなテントでというより行くとこ行くとこで試食しまくり^^;
それからこちらの温室へ
何も書いてなかったので、わからないまま扉を開けてみると
そこは春爛漫の世界でした
蘭や盆栽など、買い求めやすい値段で売ってありました
ここもざーっと見て、今度は(またしても?)うまいもの広場へ
ここでも試食の嵐(荒らしとも言う)
食べてはここがね~、飲んではもう少し安くならないの~?ってうるさいこと(笑)
ま、家計を預かる人間はたいへんなんです^^;
そして再びFさんのところへ
所狭しと並べられている商品の奥には、テーブルや椅子が置いてあります
そこにまたまた勧められるままどっしり腰を落ち着けたのです
さっきのごった返しとはうって変わって、また静寂な時間が流れていました
「あの時、あなたたちが来たからお客さんが来たとよ、ありがとうね」とFさん
いやいや、寝るヒマもないくらい働いているFさんの頑張りでしょう
お茶をいただきながら(また?)いろんな人生勉強ができました
奥には圧力鍋などが10個以上置いてあり驚きました
これだけの鍋が置ける台所って、どんだけ広い家なんだろうか^^;
4人は青大豆や玄米、エゴマなど体にいいものばかり入っている味噌や
藁づと入りの納豆、玄米餅、生姜餅などをお買い上げ~
これが全部、『自家製』なんだからすごいでしょ~♪
気がつけば10時半から4時間以上が経っていました
食べて、食べて、食べての植木まつり・・・
あり?ありり?
オバハン4人、植木も花も買ってないじゃん!!
買ったのはFさんのところのものと晩ご飯の買い出し
結局食べ物ばかり、何しに行ったんかい!
えへへ、陣中見舞いでご馳走になったお話でした、ちゃんちゃん♪
一番印象に残ったのがこのバラ、じゃなくて『椿』でした^^
「JA植木まつり」は2月20日の月曜日までの開催です

合志市の県農業公園カントリーパークで
1月21日(土)から2月20日(月)までの31日間、開催中です
前にくまもと春の植木市に出かけたことはあるものの
こちらの植木まつりは初めて^^
今年は「“夢ふくらむ”熊本の春とふるさとの恵みを」がテーマだそうで
県内11JAが参加して庭木や花、鉢物や各JA自慢の特産品が即売されています
平日だし、小雪の降る寒~い日だったので
人が少ないかなと思いきや、なんのなんの結構な人出でした

着いてすぐに同じ野菜作りをしているグループの人が出店している二つのブースへ♪
陣中見舞いをしようというわけです
最初はKさん、オバハン連中の母親とあまり変わらないお年頃^^
Kさんはまさしく植木を出品している人で、農業も大ベテラン
顔を見せるととても喜んでくれて
寒さを避けて待機できるテントの中に招きいれられました
先に農業高校の生徒が実習で来ていたのに
先生と一緒に追い出したような感じになってしまった^^;
「ごめんなさいね~」

入ってみるとびっくり!!
大きな丸ストーブの周りにテーブルが設えてあって
テントは温室のビニールが被されており隙間も塞がれて、まるで別世界♪
オバハン4人はあったかい席にどっかりと腰を下ろしたのでした(笑)
お茶を入れてもらい、手作りのお漬物やサラダ、お菓子をいただいて・・・
写真?ありません(笑)
だってあまりに居心地が良すぎて、カメラを持っていることさえ忘れていたんです
ブロガー失格ですね、あっはっは~^^;
お茶のお代わりを何杯目かしたころ
目の前のストーブの上にどーんと鍋が置かれました
なに?なに?と思ったものの、みんなそのことにはなぜか触れず
お漬物をバリバリ言わせながら、話に夢中^^
鍋には次から次に鶏肉や野菜が入れられていってます
テントの中をよく見ると、台所用品や調味料が我が家の台所より揃ってる~(笑)
そして、このテントには何軒かの出品者が当番制で詰めていらっしゃるよう
Kさんの他にも三人の方がおられたので
みんなのお昼ご飯を作ってるのだろうと4人は思っていた・・・

ところがKさん、手ぶらで陣中見舞いのオバハン4人に食べて行けと言う(笑)
「え~~っ?ごちそうになりに来たんじゃないんだから」と、お断りしたのに
「私が作ったものは食べれんとね」というKさんに負けて
喜んでいただくことにしたんですが、これがとっても美味しかった♪
材料をガバガバ入れて、秘密の?醤油をバッシャーと入れただけなのに
なんで美味しいんだろう、きっと何かの魔法があるに違いない(笑)
こうして2時間近くもお邪魔して、お腹いっぱいになった4人は
わけのわからない陣中見舞いを終え、次のFさんのブースへ
Fさんのところはお米はもちろん麦や大豆、ごまに里芋、辛いも、ジャガイモ等々
えーっと、とにかくいろんな穀類を作っている豪農さんです
なんでも20町を超える田畑があるとか
それだけでもたいへんなことなんですが
自分で加工品まで作って、各所で売っていらっしゃるんです
嫁に来て40年ということだから、やっぱり大ベテラン^^
ちょっと暇そうで、Kさんと同じように笑顔で出迎えてくれました
種になる芋や豆も売っているんですが
やっぱりオバハン4人は加工品の方に目がいきます
なんじゃかんじゃわいわいFさんと5人で盛り上がっていると
あららどこからか人が寄ってきて、いつのまにかテントは黒山の人だかり^^;

あっは~、サクラになるつもりはなかったのに
オバハンでも4人揃うと枯れ木も山の賑わい、Fさんの店に貢献できたようです(笑)
そんなことでお店は忙しくなり、商売の邪魔をしてはいけないので他を見学することに

で、つらつらと植木を眺めながらオバハンが寄るところはというと
もちろん、食べ物のブース!
ん?なんか間違ってます?(笑)
さっきKさんのところでしこたまご馳走になったのに
いろんなテントでというより行くとこ行くとこで試食しまくり^^;
それからこちらの温室へ

何も書いてなかったので、わからないまま扉を開けてみると
そこは春爛漫の世界でした

蘭や盆栽など、買い求めやすい値段で売ってありました

ここもざーっと見て、今度は(またしても?)うまいもの広場へ

ここでも試食の嵐(荒らしとも言う)
食べてはここがね~、飲んではもう少し安くならないの~?ってうるさいこと(笑)
ま、家計を預かる人間はたいへんなんです^^;
そして再びFさんのところへ
所狭しと並べられている商品の奥には、テーブルや椅子が置いてあります
そこにまたまた勧められるままどっしり腰を落ち着けたのです
さっきのごった返しとはうって変わって、また静寂な時間が流れていました
「あの時、あなたたちが来たからお客さんが来たとよ、ありがとうね」とFさん
いやいや、寝るヒマもないくらい働いているFさんの頑張りでしょう
お茶をいただきながら(また?)いろんな人生勉強ができました
奥には圧力鍋などが10個以上置いてあり驚きました
これだけの鍋が置ける台所って、どんだけ広い家なんだろうか^^;
4人は青大豆や玄米、エゴマなど体にいいものばかり入っている味噌や
藁づと入りの納豆、玄米餅、生姜餅などをお買い上げ~
これが全部、『自家製』なんだからすごいでしょ~♪
気がつけば10時半から4時間以上が経っていました
食べて、食べて、食べての植木まつり・・・
あり?ありり?
オバハン4人、植木も花も買ってないじゃん!!
買ったのはFさんのところのものと晩ご飯の買い出し
結局食べ物ばかり、何しに行ったんかい!
えへへ、陣中見舞いでご馳走になったお話でした、ちゃんちゃん♪

一番印象に残ったのがこのバラ、じゃなくて『椿』でした^^
「JA植木まつり」は2月20日の月曜日までの開催です
<JA植木まつり>
[所在地]熊本県合志市栄3802-4 熊本県農業公園(カントリーパーク)
[開催期間] 2012年1月21日(土)〜2月20日(月)
[開園時間] 午前9:00〜午後5:00
[アクセス]地図はコチラ
今日の記事頼んだね~と、とっちんは朝からバドミントンの試合
撮りためてた映画やWOWOWで錦織のデビスカップを見たり
家政婦のラボなんかしたり遊んでいたら

あっという間に夕方だ^^;
さて、伊佐巡り、最後のねたです
じんじゃらー熊本隊としては島津の神社荒らしじゃなかった
神社参りもしとかんとね^^
まずはこちら、国道447号線を東に走っていたとき
道沿いに大きな仁王様を助手席の方が発見、「あっ、停めてー!」

こちらは「西原八幡神社」

ここの仁王様は郡山八幡神社、白木神社と違って破壊されていません
全体的に鉄道28号のように、ごついからだろうか^^;
でも正直ほっとしますね

参道は落ち着いた佇まいだこと
おりょ、左に見えるは・・・

説明書きはなかったけど、たぶん御神木だったのでしょうね
そそり立つ杉を見たかったけど、残念!

由緒は影ができてよく読めませんね、抜粋すると

戦国の世、明応8年島津氏の支族で大口城主だった島津忠明の子
明久が鷹狩中に菱刈、相良の連合軍に殺された。
享禄3年7月大口城外の諏訪神社祭礼の時に参拝者にまぎれこんだ敵兵のため、
城は焼かれ、城主忠明も自殺して果てた。
後に島津貴久は天正7年、この父子の霊を大口西原に祭り西原八幡神社とした。
昔から武の神として境内は、郷士達の武芸鍛錬の場でもあった。
この由緒や仁王様を見ると、やはり廃仏毀釈令のときに
神社に姿を変えたのでしょう

おっと、本殿の屋根の一部が朱色ですよ
八幡神社系の証しでしょうか
さて、次に行ったのは周りを田に囲まれた中にある「箱崎神社」


ここでも狛犬ではなく仁王様

そしておじいちゃんが出迎えてくれました♪
おじいちゃんは道路に座りこんで日向ぼっこしてたんです
熊本から来たというと驚いていました^^

この神社は元寇で動員された地元の武士である丸山、赤池、淵上氏が
筥崎宮の八幡神を勧請して祀ったのが始まりとされています。
現在の本殿は室町時代初期の建立と推定されており
大正4年(1915年)11月に改築されています。
建築様式は三間社流見世棚造の桟瓦葺で琉球文化の影響が
強く見られる特異な建物です。
平成元年(1989年)に国重要文化財に指定されました。
(Wikipediaより)

よく考えたら、ここも八幡様がらみだね♪
本殿といいつつ、手前の建物がその重要文化財のようです

面白いのは歴史的建物のわりには開放されているんです
風を通した方が長持ちするということなのでしょうか
さすがに雨風が強い時は閉めるのでしょうけどね

この境内には他にも文化財がありました
こちらは「青面金剛庚申塔」
金剛というよりは不動明王に見えますが^^

そしてこちらが海老原源左衛門の作「龍形石燈篭」です
こんな石灯篭は初めて見ましたね

こちらは梵字が彫られた石板

さて、陽も傾いてきたのでそろそろ肥後に帰りますかね

あれっ、じいちゃんまだ座ってるし
「伊佐の温泉に入って行けば」と言われましたが
帰りの時間なのでと、精一杯の笑顔でお別れのあいさつ♪
写真・・・撮り忘れちゃったな、おじいちゃんの^^;
ゆったりとした薩摩弁、どうにかこうにか会話できました
これにて伊佐巡り、終了で~す^^v
撮りためてた映画やWOWOWで錦織のデビスカップを見たり
家政婦のラボなんかしたり遊んでいたら

あっという間に夕方だ^^;
さて、伊佐巡り、最後のねたです
じんじゃらー熊本隊としては島津の神社荒らしじゃなかった
神社参りもしとかんとね^^
まずはこちら、国道447号線を東に走っていたとき
道沿いに大きな仁王様を助手席の方が発見、「あっ、停めてー!」

こちらは「西原八幡神社」

ここの仁王様は郡山八幡神社、白木神社と違って破壊されていません
全体的に鉄道28号のように、ごついからだろうか^^;
でも正直ほっとしますね

参道は落ち着いた佇まいだこと
おりょ、左に見えるは・・・

説明書きはなかったけど、たぶん御神木だったのでしょうね
そそり立つ杉を見たかったけど、残念!

由緒は影ができてよく読めませんね、抜粋すると

戦国の世、明応8年島津氏の支族で大口城主だった島津忠明の子
明久が鷹狩中に菱刈、相良の連合軍に殺された。
享禄3年7月大口城外の諏訪神社祭礼の時に参拝者にまぎれこんだ敵兵のため、
城は焼かれ、城主忠明も自殺して果てた。
後に島津貴久は天正7年、この父子の霊を大口西原に祭り西原八幡神社とした。
昔から武の神として境内は、郷士達の武芸鍛錬の場でもあった。
この由緒や仁王様を見ると、やはり廃仏毀釈令のときに
神社に姿を変えたのでしょう

おっと、本殿の屋根の一部が朱色ですよ
八幡神社系の証しでしょうか
さて、次に行ったのは周りを田に囲まれた中にある「箱崎神社」


ここでも狛犬ではなく仁王様

そしておじいちゃんが出迎えてくれました♪
おじいちゃんは道路に座りこんで日向ぼっこしてたんです
熊本から来たというと驚いていました^^

この神社は元寇で動員された地元の武士である丸山、赤池、淵上氏が
筥崎宮の八幡神を勧請して祀ったのが始まりとされています。
現在の本殿は室町時代初期の建立と推定されており
大正4年(1915年)11月に改築されています。
建築様式は三間社流見世棚造の桟瓦葺で琉球文化の影響が
強く見られる特異な建物です。
平成元年(1989年)に国重要文化財に指定されました。
(Wikipediaより)

よく考えたら、ここも八幡様がらみだね♪
本殿といいつつ、手前の建物がその重要文化財のようです

面白いのは歴史的建物のわりには開放されているんです
風を通した方が長持ちするということなのでしょうか
さすがに雨風が強い時は閉めるのでしょうけどね

この境内には他にも文化財がありました
こちらは「青面金剛庚申塔」
金剛というよりは不動明王に見えますが^^

そしてこちらが海老原源左衛門の作「龍形石燈篭」です
こんな石灯篭は初めて見ましたね

こちらは梵字が彫られた石板

さて、陽も傾いてきたのでそろそろ肥後に帰りますかね

あれっ、じいちゃんまだ座ってるし
「伊佐の温泉に入って行けば」と言われましたが
帰りの時間なのでと、精一杯の笑顔でお別れのあいさつ♪
写真・・・撮り忘れちゃったな、おじいちゃんの^^;
ゆったりとした薩摩弁、どうにかこうにか会話できました
これにて伊佐巡り、終了で~す^^v
<西原八幡神社>
[アクセス]地図はコチラ
<箱崎神社>
[アクセス]地図はコチラ
昨日の続きです
曽木発電所から再び新曽木大橋を通って「曽木の滝」へ
ちらっと寄ってきました^^;
伊佐に来たらとりあえず寄っておかなくちゃね♪
昨日取り上げた曽木発電所の取水口がここにはあります
滝の水しぶきが!
例年に比べて水量が多いのかどうかはわかりません
前に来た時よりも多いかと聞かれれば、少ないような気もします
滝幅210m、落差は最大12mで国内最大級なんだそうです
上流には「曽木大橋」が見えています
昨日「新曽木大橋」を紹介しましたが、調べてわかったことがあります
Wikipediaによると「曽木大橋」は
もともと鶴田ダムの工事用道路として国が1962年(昭和37年)に建設したもので
その後、県に移管されて県道として利用されてきたんだとか
ところが1989年(平成元年)に日本の滝百選の選定の際
「上流の橋で景観が台無し」とされて選から漏れたんだそうです
それで1992年(平成4年)に当時の大口市から県に橋の移設希望が出されていたらしいです
ほほう、なるほどね、そういう経緯があったんだ
だけど平成百景24位には選出されているんですよ
24位ですよ、24位!
TDLよりも蔵王よりも上なんです(笑)
なんか変、と思うけど
この風景はもう見慣れちゃったもんね^^;
「曽木大橋」撤去しなければならないのかな・・・
展望所に行くと説明板がありました
それによるとこれは「観音淵」
結構な水量があるのに、岩盤に吸い込まれた水の行方がわかりません
どこからも出ているところがなかったのです、不思議~^^;
その右手には重なった石が4つ並んだ「強兵衛の力石」
力持ちで有名な強兵衛が並べた石だとか
豊臣秀吉が滝を見るのに座った石だとか言われているようです
ふ~ん、座りにくそうだけど(笑)
こちらは「柳原白蓮の歌碑」
炭鉱王伊藤伝右衛門の妻でありながら、孫文を支援した宮崎滔天の息子
宮崎隆介と愛し合った美女白蓮さんもこの地を訪れてたんですね^^
下流には「新曽木大橋」の斜めに張ったケーブルが見えます
この風景は許せるのかな?
ただの風景写真では飽きるのでちょっと遊んでみました
“そうめん流し”はこんな感じじゃ?
こちらは“泳ぐ人”、クロールですね^^
そしてこれは“叫ぶ人”ムンクほどではありませんが(笑)
こうやって岩を眺めるのもおもしろいかも
もう少し現地で発見しとけばよかった^^;
そうそう、これはどなたかのブログで名付けられていた“しゃれこうべ岩”
きゃ~、怖い~(><)
曽木発電所から再び新曽木大橋を通って「曽木の滝」へ
ちらっと寄ってきました^^;

伊佐に来たらとりあえず寄っておかなくちゃね♪
昨日取り上げた曽木発電所の取水口がここにはあります

滝の水しぶきが!

例年に比べて水量が多いのかどうかはわかりません
前に来た時よりも多いかと聞かれれば、少ないような気もします
滝幅210m、落差は最大12mで国内最大級なんだそうです

上流には「曽木大橋」が見えています
昨日「新曽木大橋」を紹介しましたが、調べてわかったことがあります

Wikipediaによると「曽木大橋」は
もともと鶴田ダムの工事用道路として国が1962年(昭和37年)に建設したもので
その後、県に移管されて県道として利用されてきたんだとか
ところが1989年(平成元年)に日本の滝百選の選定の際
「上流の橋で景観が台無し」とされて選から漏れたんだそうです
それで1992年(平成4年)に当時の大口市から県に橋の移設希望が出されていたらしいです

ほほう、なるほどね、そういう経緯があったんだ
だけど平成百景24位には選出されているんですよ
24位ですよ、24位!
TDLよりも蔵王よりも上なんです(笑)
なんか変、と思うけど
この風景はもう見慣れちゃったもんね^^;
「曽木大橋」撤去しなければならないのかな・・・
展望所に行くと説明板がありました
それによるとこれは「観音淵」

結構な水量があるのに、岩盤に吸い込まれた水の行方がわかりません
どこからも出ているところがなかったのです、不思議~^^;
その右手には重なった石が4つ並んだ「強兵衛の力石」

力持ちで有名な強兵衛が並べた石だとか
豊臣秀吉が滝を見るのに座った石だとか言われているようです
ふ~ん、座りにくそうだけど(笑)
こちらは「柳原白蓮の歌碑」
炭鉱王伊藤伝右衛門の妻でありながら、孫文を支援した宮崎滔天の息子
宮崎隆介と愛し合った美女白蓮さんもこの地を訪れてたんですね^^


下流には「新曽木大橋」の斜めに張ったケーブルが見えます
この風景は許せるのかな?

ただの風景写真では飽きるのでちょっと遊んでみました
“そうめん流し”はこんな感じじゃ?

こちらは“泳ぐ人”、クロールですね^^

そしてこれは“叫ぶ人”ムンクほどではありませんが(笑)

こうやって岩を眺めるのもおもしろいかも
もう少し現地で発見しとけばよかった^^;
そうそう、これはどなたかのブログで名付けられていた“しゃれこうべ岩”

きゃ~、怖い~(><)
<曽木の滝>
[アクセス]地図はコチラ
昨日今日と耳が痛くなるような寒さでも歩いている人の多いこと!
最近は熊本城マラソンを控えているせいか走っている人も多く見かけます
だんだんと盛り上がってきているようですが
初めてフルマラソンに挑戦するという人もいらっしゃるでしょう
入念に調整され準備も怠りないとは思います
でも決して無理のない走りをして欲しいですね
ま、長距離とか走る気力もない人間が言うことではないのでしょうけど
初めての試みですから、熊本市民としてはちょっと気になるのでございます^^;
はい、今日も伊佐市のお話ですよん^^
伊佐市といえば「曽木の滝」
川内川にあり“東洋のナイアガラ”とも言われています
その「曽木の滝」の下流300mくらいのところに「新曽木大橋」が完成していました
平成23年11月5日と書いてあったから、まだ3ヶ月のほやほや^^
全長204m、幅10.5m、主塔の高さは70mの斜張橋
滝をじっくり見ることができるように、歩道を3.5mもの幅にしてあるのかな?
それにしてはここからの滝の姿はイマイチ^^;
滝の上流に見える伊佐大橋はそのうち取り壊されることになるとか
橋と一体化した滝を見てきたので、お役御免になると寂しくなりそう
時代の流れや耐久性の問題で景観は変わっていくのは仕方ないですけど
で、その橋を通ってどこに行ったかというと
そのまた下流にある「曽木発電所」の遺構が見える展望所です
でも橋は開通しているのに、展望所方面の道路はしっかり工事中
公園の中の代替道路を通ったらすぐに展望所公園の駐車場に着きました
すごくきれいに整備してあったので、ちょっとびっくり^^;
2006年に国の登録有形文化財に指定されたからでしょうか
驚いたわりには公園の写真も遊歩道の写真もありません
二人してなにやってんだか(笑)
思った以上に歩いた先には、これまた立派な展望デッキが出現!
そして、対岸にその遺構は見えました
うっひょう~♪偶然とはいえ、こんなにむき出しだったなんてね
本当はこの時期、思いっきり水没しているはずなのですが
調べたら、ダム再開発工事のため水位が例年より20m程度低くなっていて
工事が終わる2015年末まで年間を通して遺構の全容を見ることができると
何かに書いてありました(笑)
ここは1909年(明治42年)に野口遵(したがう)が建造した旧曽木発電所の遺構
遵(したがう)なんて滅多にないお名前ですこと!
(曽木の滝公園にあった写真より)
調べたところ、この方は
日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた方だとか
旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもあります
す、すんごいですね~!!
当時、川内川の水を使った6360kwという国内最大級の水力発電所で
近くの鉱山に電力を供給するのはもとより
約20km離れた熊本県水俣市の日本窒素肥料にも送電し、日本の近代化に貢献しました
(現地説明板にあった写真より)
なぜか曽木の滝公園に曽木発電所のいろいろが説明してあります
昭和34年頃のマップはこちら、興味のある人はクリックして見てね♪
その発電所も1966年(昭和41年)、下流に鶴田ダム(同県さつま町)が完成し
その役割を終え、水没することになりました
以来、遺構が大雨に備え鶴田ダムが貯水量を減らす5~9月頃だけ
その神秘さに惹かれ訪れる人も多いのでしょう
いちばん高い所で三角屋根のところは17.6m
100年を越すレンガ造りの建物は想像よりもくすんでいました
「もうちょっと赤っぽいレンガを想像してたのに~」というと
「だいたい水の中に沈んでたんだから赤いわけないじゃんか」とらぼっち
そりゃそうだけどね、もう少し色が残ってて欲しかった
草が生えているのか、ゴミが引っかかっているのか
それでも、大きな岩や石が流れてはぶつかっただろうに
よくまあこんなにきれいな形で残っていたもんです
なんとなく教会のように見えるのは熟年だけでしょうかね^^;
ヘッドタンクから水圧管路跡?、建物の背景として生きています
川岸には石積みが見えます
国の登録有形文化財の指定に併せて補強工事がされているのですが
ここも補修されているのかな?
むき出しだといろいろなところが見えるのでいいのですが
夏場の草ぼーぼーの時期もまた、違う趣きがあるかも^^
(現地説明板の写真より)
「おいおい、おっさん!向こう岸に渡って近くまで行ってみる?」
「ん?いやいい、止めとく」
「なんだ、つまんない」
「鶴田ダムに行ってみようか」
「ちょっと遠そうなので止めよう」
結局、後の予定が詰まっていたので、次に行くことに
今考えたら、補強工事がされたことで裏側には鉄骨が組まれている模様
そういう状況の遺構を見なくてよかったと思うのです
対岸から臨む姿から思いを馳せるほうがロマンがあるというもの
な~んて、カッコつけちゃった♪(笑)
最近は熊本城マラソンを控えているせいか走っている人も多く見かけます
だんだんと盛り上がってきているようですが
初めてフルマラソンに挑戦するという人もいらっしゃるでしょう
入念に調整され準備も怠りないとは思います
でも決して無理のない走りをして欲しいですね
ま、長距離とか走る気力もない人間が言うことではないのでしょうけど
初めての試みですから、熊本市民としてはちょっと気になるのでございます^^;
はい、今日も伊佐市のお話ですよん^^
伊佐市といえば「曽木の滝」
川内川にあり“東洋のナイアガラ”とも言われています
その「曽木の滝」の下流300mくらいのところに「新曽木大橋」が完成していました

平成23年11月5日と書いてあったから、まだ3ヶ月のほやほや^^
全長204m、幅10.5m、主塔の高さは70mの斜張橋

滝をじっくり見ることができるように、歩道を3.5mもの幅にしてあるのかな?
それにしてはここからの滝の姿はイマイチ^^;

滝の上流に見える伊佐大橋はそのうち取り壊されることになるとか
橋と一体化した滝を見てきたので、お役御免になると寂しくなりそう
時代の流れや耐久性の問題で景観は変わっていくのは仕方ないですけど
で、その橋を通ってどこに行ったかというと
そのまた下流にある「曽木発電所」の遺構が見える展望所です
でも橋は開通しているのに、展望所方面の道路はしっかり工事中
公園の中の代替道路を通ったらすぐに展望所公園の駐車場に着きました
すごくきれいに整備してあったので、ちょっとびっくり^^;
2006年に国の登録有形文化財に指定されたからでしょうか
驚いたわりには公園の写真も遊歩道の写真もありません
二人してなにやってんだか(笑)
思った以上に歩いた先には、これまた立派な展望デッキが出現!
そして、対岸にその遺構は見えました
うっひょう~♪偶然とはいえ、こんなにむき出しだったなんてね

本当はこの時期、思いっきり水没しているはずなのですが
調べたら、ダム再開発工事のため水位が例年より20m程度低くなっていて
工事が終わる2015年末まで年間を通して遺構の全容を見ることができると
何かに書いてありました(笑)

ここは1909年(明治42年)に野口遵(したがう)が建造した旧曽木発電所の遺構
遵(したがう)なんて滅多にないお名前ですこと!

(曽木の滝公園にあった写真より)
調べたところ、この方は
日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた方だとか
旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもあります
す、すんごいですね~!!
当時、川内川の水を使った6360kwという国内最大級の水力発電所で
近くの鉱山に電力を供給するのはもとより
約20km離れた熊本県水俣市の日本窒素肥料にも送電し、日本の近代化に貢献しました

(現地説明板にあった写真より)
なぜか曽木の滝公園に曽木発電所のいろいろが説明してあります
昭和34年頃のマップはこちら、興味のある人はクリックして見てね♪

その発電所も1966年(昭和41年)、下流に鶴田ダム(同県さつま町)が完成し
その役割を終え、水没することになりました
以来、遺構が大雨に備え鶴田ダムが貯水量を減らす5~9月頃だけ
その神秘さに惹かれ訪れる人も多いのでしょう
いちばん高い所で三角屋根のところは17.6m
100年を越すレンガ造りの建物は想像よりもくすんでいました

「もうちょっと赤っぽいレンガを想像してたのに~」というと
「だいたい水の中に沈んでたんだから赤いわけないじゃんか」とらぼっち
そりゃそうだけどね、もう少し色が残ってて欲しかった
草が生えているのか、ゴミが引っかかっているのか

それでも、大きな岩や石が流れてはぶつかっただろうに
よくまあこんなにきれいな形で残っていたもんです

なんとなく教会のように見えるのは熟年だけでしょうかね^^;
ヘッドタンクから水圧管路跡?、建物の背景として生きています

川岸には石積みが見えます
国の登録有形文化財の指定に併せて補強工事がされているのですが
ここも補修されているのかな?

むき出しだといろいろなところが見えるのでいいのですが
夏場の草ぼーぼーの時期もまた、違う趣きがあるかも^^

(現地説明板の写真より)
「おいおい、おっさん!向こう岸に渡って近くまで行ってみる?」

「ん?いやいい、止めとく」
「なんだ、つまんない」
「鶴田ダムに行ってみようか」
「ちょっと遠そうなので止めよう」
結局、後の予定が詰まっていたので、次に行くことに
今考えたら、補強工事がされたことで裏側には鉄骨が組まれている模様
そういう状況の遺構を見なくてよかったと思うのです
対岸から臨む姿から思いを馳せるほうがロマンがあるというもの
な~んて、カッコつけちゃった♪(笑)

<曽木発電所遺構>
[所在地]伊佐市大口宮人
[アクセス]地図はコチラ
さて伊佐市をぶ~らぶらのお話
伊佐市街地を東に向かうと白木地区があります
そこに古~い神社があるということで行ってきました
「白木神社」とあります
鳥居は新しいですね
参道はゆったりとした坂道で、登りやすそうです
ん?何か話し声が聞こえる
下に車が何台かあったので、参拝の方が多いのかと思っていたんです
あり?
こ、これは、萱?
もしかして・・・♪
このトラックが目の前にあってちょっと窮屈そうな仁王さんたち^^;
“たち”って書いたのは、手前と奥に上半身のない方々がおられたから
う~ん、ここもちょっと痛ましいな
神社の前の山は高い木々が茂る森林だったと思われますが
一帯が伐採されたようで鬱蒼とした感じがなくなっていました
境内の木々はそのまんま^^
こちらが社殿
はい、茅葺きの屋根に魅せられてやってきたというわけです^^
むふ、かなり良さげな雰囲気でしょ♪
この建物は、応永15年(1408年)の足利時代に建立されたもので
鹿児島県内では数少ない中世仏教建築物の遺例なんだそうです
平家滅亡後、平宗盛の曽孫清祖が元享2年の白木観音を守って京都をのがれ
薩州山門院(今の出水郡)の港を経てここに到り、泉寺院(長福寺)を建立しました
そうなんです
ここは元々「白木山長福寺」と言う寺だったんです
現在神社の本殿となっているのは、その寺の観音堂でした
明治2年(1869年)に廃仏毀釈を逃れる為に白木神社と改称
中にあった寄木造の観音像(木像)を天草に避難させて難を逃れたんだとか
ひと目お会いしたいと思ったものの
社殿の中にある観音様の扉はしっかりと閉じられておりました
これも鹿児島県の指定文化財ですもんね
なので、説明の写真だけ^^;
いや~、昔はいろいろ観音像を守る工夫をしたんですね
今は安産祈願や縁結びの神様として信仰されているようです
ちゃんと見るとやっぱり観音堂ですよね^^
おお~、やっぱり♪
萱葺き屋根の葺き替え中でした
足場が組んであるけどこちら側の作業は終わっています
裏にまわってみましょう
おっと、こちらは真っ最中でした♪
ひょえ~、あんな高いところで黙々と作業中の仕事人
もちろん命綱がちゃんとついてます!
よくよく見ると仕事着の背中に何か書いてありますね
『きのこ』?
いやいやそれなら『茸』だろ!(笑)
『かや』?
いやいやそれだったら『萱』だろ!(笑)
すみません、遊びすぎましたm(__)m
萱を葺くの『ふく』ですよね!
萱葺き専門の方達なんでしょうかね
「何年ぶりに葺き替えされているんですか?」
下におられた方にらぼっちが聞いてみました
「いや~私達は請け負っただけでよくわかりません」
どのくらいで吹き替えされるんでしょうかね
降ろされた萱はどう見てもそんなにぼろぼろには見えなかったけど^^;
横にあった手水鉢には昼過ぎなのに、ぶあっ~つい氷が張ってました
朝、寒かったもんね~(><)
屋根の葺き替えがされていることで
仁王さんも喜んでいるように見えました、ほんと?(笑)
600年を超えて静かに佇む観音堂
見てるだけで何かを語ってくれているようでした
滅多にない萱の葺き替え作業にも立ち会えてよかった~♪
喜んでいるのは熟年夫婦だった^^;
伊佐市街地を東に向かうと白木地区があります
そこに古~い神社があるということで行ってきました

「白木神社」とあります
鳥居は新しいですね
参道はゆったりとした坂道で、登りやすそうです
ん?何か話し声が聞こえる
下に車が何台かあったので、参拝の方が多いのかと思っていたんです
あり?

こ、これは、萱?
もしかして・・・♪
このトラックが目の前にあってちょっと窮屈そうな仁王さんたち^^;

“たち”って書いたのは、手前と奥に上半身のない方々がおられたから
う~ん、ここもちょっと痛ましいな
神社の前の山は高い木々が茂る森林だったと思われますが
一帯が伐採されたようで鬱蒼とした感じがなくなっていました
境内の木々はそのまんま^^

こちらが社殿

はい、茅葺きの屋根に魅せられてやってきたというわけです^^
むふ、かなり良さげな雰囲気でしょ♪

この建物は、応永15年(1408年)の足利時代に建立されたもので
鹿児島県内では数少ない中世仏教建築物の遺例なんだそうです
平家滅亡後、平宗盛の曽孫清祖が元享2年の白木観音を守って京都をのがれ
薩州山門院(今の出水郡)の港を経てここに到り、泉寺院(長福寺)を建立しました

そうなんです
ここは元々「白木山長福寺」と言う寺だったんです
現在神社の本殿となっているのは、その寺の観音堂でした
明治2年(1869年)に廃仏毀釈を逃れる為に白木神社と改称
中にあった寄木造の観音像(木像)を天草に避難させて難を逃れたんだとか
ひと目お会いしたいと思ったものの
社殿の中にある観音様の扉はしっかりと閉じられておりました
これも鹿児島県の指定文化財ですもんね
なので、説明の写真だけ^^;

いや~、昔はいろいろ観音像を守る工夫をしたんですね
今は安産祈願や縁結びの神様として信仰されているようです
ちゃんと見るとやっぱり観音堂ですよね^^

おお~、やっぱり♪
萱葺き屋根の葺き替え中でした
足場が組んであるけどこちら側の作業は終わっています

裏にまわってみましょう

おっと、こちらは真っ最中でした♪

ひょえ~、あんな高いところで黙々と作業中の仕事人
もちろん命綱がちゃんとついてます!

よくよく見ると仕事着の背中に何か書いてありますね
『きのこ』?
いやいやそれなら『茸』だろ!(笑)
『かや』?
いやいやそれだったら『萱』だろ!(笑)
すみません、遊びすぎましたm(__)m

萱を葺くの『ふく』ですよね!
萱葺き専門の方達なんでしょうかね
「何年ぶりに葺き替えされているんですか?」
下におられた方にらぼっちが聞いてみました
「いや~私達は請け負っただけでよくわかりません」

どのくらいで吹き替えされるんでしょうかね
降ろされた萱はどう見てもそんなにぼろぼろには見えなかったけど^^;

横にあった手水鉢には昼過ぎなのに、ぶあっ~つい氷が張ってました
朝、寒かったもんね~(><)

屋根の葺き替えがされていることで
仁王さんも喜んでいるように見えました、ほんと?(笑)

600年を超えて静かに佇む観音堂
見てるだけで何かを語ってくれているようでした

滅多にない萱の葺き替え作業にも立ち会えてよかった~♪
喜んでいるのは熟年夫婦だった^^;
<白木神社>
[住所]伊佐市大口白木813
[アクセス]地図はコチラ
今日は針供養をする日
その昔、一日中針を持っていた時期があるとっちん
2月8日は豆腐に針をぶすっと刺していたなと遠い思い出がかすかに・・・
でもあの後、針や豆腐をどうしていたのかは思い出せません
儀式的にしてただけで、人まかせだったんだな~
だから上達どころか、だんだん遠ざかってしまった^^;
今は針に糸を通すのに少々(かなり?)苦労するようになっちゃた(笑)
さて、伊佐市の観光スポットを下調べしていたら
国の重要文化財に指定されている江戸中期の薩摩郷士の住宅があることを知りました
近くに行けばわかるだろうとおおよその地図しか持たなかったら
国の重要文化財なのに、案内も何もなくあっちでうろうろこっちでうろうろ^^;
なんだよ~、不親切じゃないか!と思ったけど
まだ御子孫が住まわれているので、それもしかたないかと納得
で、そのお宅とは「祁答院(けどういん)家住宅」
どうもこれじゃなかろうか・・・
この辺りには他に茅葺き屋根のお家はないし・・・
でも~、門は開けっ放しにもかかわらず表札は、ない!^^;
う~ん・・・
そこでiPhoneで調べてみたけど、やはり詳しい地図がわからない
あ、『見学には予約が必要』って書いてある(><)
これだけの家構えだと怖気づいて入っていく勇気も出ません(笑)
どうにか背伸びしてちらっと写真だけでも撮らせていただこう^^;
もしかしたら裏からは丸見えとかないよね、と言いつつ裏の方へ^^;
世の中そううまくはいきません、これがやっと(笑)
へ?あれ?なんかへん・・・
ちょっと待てよ、あれれ?
あ、あいちゃーーーっ!! 違ったーーーーー!!!
帰って来てから記事のためにいろいろと調べてたら
石垣が違う?
茅葺き屋根の形が違う?
おまけに地図も違う?
うぎゃーー、やってもうたー(><)
どおりで案内もなければ表札もないわけだ
皆さん、すみませんm(__)m
違うお宅を一生懸命見てました
それにしても紛らわしいよく似たお宅です
このような古めかしいお宅が他にもあるなんて思いも寄らなかったし^^;
でも伊佐市観光協会はもっとPRをしっかりして欲しいところですね
記事はここまで書いたし、伊佐市にはこんなお宅もあるということで
ま、いいか(笑)
では、気を取り直してお昼の話とまいりましょう
寒い季節なのであったかいものを食べようということになり
着いたところは「福島食堂」さんです^^
静かな住宅地にあり、店の前の駐車場には車がなかったので
入ってびっくり、結構なお客さんがいらっしゃいました
みんなどこから来たの?と不思議に思っていたら
裏に立派な駐車場がありました(笑)
たくさんの麺類のメニューに驚きです
ここはやっぱり看板の店名よりも大きい「ちゃんぽん」でしょう♪
それにお客さんのほとんどの方がちゃんぽんでしたから
少し待つとやってきました~^^
らぼっちの「トンカツちゃんぽん」です、ぐふふ♪
スープには少しとろみがあって、あんかけのような感じ
あっさりとんこつ味で胡椒がきいててなかなか美味しいじゃありませんか
スープに浸したら、トンカツのサクサク感はもちろんなくなりますが
これはこれで味がしみて、結構美味しい^^
麺の湯で方はちょうどよかったけど
あんかけのせいか、なかなかスムーズに箸で掴めません^^;
とっちんは「イカフライちゃんぽん」♪
う、ヒトデ型に盛り付けられてる^^;
でも、これも海鮮ちゃんぽんのようになって美味でしたよ
らぼっちが見つけた店内の額
どういう意味だかわかります?
答え合わせは、最後にしましょうね^^
メニューの裏には“”陽気な大将”のこんな言葉がありました
元気の出るメニューとして考えられたであろう○○ちゃんぽん
ユニークなお店でした
チーズちゃんぽんや売り切れだったほうれん草麺もちょっと食べてみたかったな^^
さて皆さん、額の文字の読み方は分かりましたか
『あきない ますます はんじょう』と読みます
「秋がない=商い」、「二升」で「升升=ますます」、「五合」で「半升=繁盛」となります
時々居酒屋さんとかで見かけます
日本人て粋だよね^^v
その昔、一日中針を持っていた時期があるとっちん
2月8日は豆腐に針をぶすっと刺していたなと遠い思い出がかすかに・・・
でもあの後、針や豆腐をどうしていたのかは思い出せません
儀式的にしてただけで、人まかせだったんだな~
だから上達どころか、だんだん遠ざかってしまった^^;
今は針に糸を通すのに少々(かなり?)苦労するようになっちゃた(笑)
さて、伊佐市の観光スポットを下調べしていたら
国の重要文化財に指定されている江戸中期の薩摩郷士の住宅があることを知りました
近くに行けばわかるだろうとおおよその地図しか持たなかったら
国の重要文化財なのに、案内も何もなくあっちでうろうろこっちでうろうろ^^;
なんだよ~、不親切じゃないか!と思ったけど
まだ御子孫が住まわれているので、それもしかたないかと納得
で、そのお宅とは「祁答院(けどういん)家住宅」
どうもこれじゃなかろうか・・・

この辺りには他に茅葺き屋根のお家はないし・・・
でも~、門は開けっ放しにもかかわらず表札は、ない!^^;

う~ん・・・
そこでiPhoneで調べてみたけど、やはり詳しい地図がわからない
あ、『見学には予約が必要』って書いてある(><)
これだけの家構えだと怖気づいて入っていく勇気も出ません(笑)
どうにか背伸びしてちらっと写真だけでも撮らせていただこう^^;

もしかしたら裏からは丸見えとかないよね、と言いつつ裏の方へ^^;
世の中そううまくはいきません、これがやっと(笑)

へ?あれ?なんかへん・・・
ちょっと待てよ、あれれ?
あ、あいちゃーーーっ!! 違ったーーーーー!!!
帰って来てから記事のためにいろいろと調べてたら
石垣が違う?
茅葺き屋根の形が違う?
おまけに地図も違う?
うぎゃーー、やってもうたー(><)
どおりで案内もなければ表札もないわけだ
皆さん、すみませんm(__)m
違うお宅を一生懸命見てました
それにしても
このような古めかしいお宅が他にもあるなんて思いも寄らなかったし^^;
でも伊佐市観光協会はもっとPRをしっかりして欲しいところですね
記事はここまで書いたし、伊佐市にはこんなお宅もあるということで
ま、いいか(笑)
では、気を取り直してお昼の話とまいりましょう
寒い季節なのであったかいものを食べようということになり
着いたところは「福島食堂」さんです^^

静かな住宅地にあり、店の前の駐車場には車がなかったので
入ってびっくり、結構なお客さんがいらっしゃいました
みんなどこから来たの?と不思議に思っていたら
裏に立派な駐車場がありました(笑)
たくさんの麺類のメニューに驚きです

ここはやっぱり看板の店名よりも大きい「ちゃんぽん」でしょう♪
それにお客さんのほとんどの方がちゃんぽんでしたから
少し待つとやってきました~^^

らぼっちの「トンカツちゃんぽん」です、ぐふふ♪
スープには少しとろみがあって、あんかけのような感じ
あっさりとんこつ味で胡椒がきいててなかなか美味しいじゃありませんか

スープに浸したら、トンカツのサクサク感はもちろんなくなりますが
これはこれで味がしみて、結構美味しい^^
麺の湯で方はちょうどよかったけど
あんかけのせいか、なかなかスムーズに箸で掴めません^^;

とっちんは「イカフライちゃんぽん」♪

う、ヒトデ型に盛り付けられてる^^;
でも、これも海鮮ちゃんぽんのようになって美味でしたよ
らぼっちが見つけた店内の額

どういう意味だかわかります?
答え合わせは、最後にしましょうね^^
メニューの裏には“”陽気な大将”のこんな言葉がありました

元気の出るメニューとして考えられたであろう○○ちゃんぽん
ユニークなお店でした
チーズちゃんぽんや売り切れだったほうれん草麺もちょっと食べてみたかったな^^
さて皆さん、額の文字の読み方は分かりましたか
『あきない ますます はんじょう』と読みます
「秋がない=商い」、「二升」で「升升=ますます」、「五合」で「半升=繁盛」となります
時々居酒屋さんとかで見かけます
日本人て粋だよね^^v
<福島食堂>
[所在地]鹿児島県伊佐市大口上町22-7
[TEL] 0995-22-0876
[アクセス]地図はコチラ
熊本から水俣、伊佐への道は10年くらい前はよく通っていました
らぼっちが鹿児島の南端へ単身赴任していた頃のお話^^
途中、満天の星を娘と見たことがあって
未だにその光景が忘れられません
きっと何かのご褒美だと思ったくらい♪
そんな思い出があるもののゆっくり散策などはしていない場所なんです
しばらく神社らーとしての使命を忘れておりましたが
TVを見ていて「よし」と思いたったのが伊佐市の神社だったのです
その神社は国道268号線をちょっと入ったところにありました
見えますかね?国指定文化財という文字^^
「郡山八幡神社」です
鳥居のところでは、と~っても短足の仁王さんが出迎えてくれました^^
ところどころ欠けたり修復されたりしています
顔は怖いけど、親近感を感じるな~♪
参道は静寂の中で、す~っと気持ちが落ち着くような場所でした
色鮮やかな社殿ですね
でも何年か前までは、拝殿は普通の色をしていたようですが
手水舎の横に説明がありました
ふむふむ・・・
この郡山八幡神社は、建久5年(1194年)に菱刈氏の氏祖である菱刈重妙が
神託により宇佐八幡宮より勧請したと伝えられています
現在の建物は京都・金閣寺より古い16世紀頃に建てられたものだそうです
今から500年近く前の建物が薩摩に残っていることはたいへん珍しく
昭和24年に国の重要文化財に指定されたということですよ
狛犬も補修がしてあります
左側の狛犬を見て「オペラ座の怪人」を思い出しちゃった、ぎゃは^^;
さあ、これが重要文化財の本殿です
最近塗り直されたのか、くらくらするくらいまばゆい朱です
桁行3間梁間3間の入母屋造平入杮葺という造りで
室町、桃山形式の手法に琉球様式の影響も見られる建築となっているようです
おや本殿前の箱におられるのはどなた?
おお~、近づいてみたら
なんじゃ~、この柱は!!!
こんな柱、初めて見ましたよ
創建の時のままだとしたら、すごい!
彫刻は繊細な感じのもので、何か謂われがあるのでしょうが
そこはよくわかりませんでした^^;
力神にしてはちょっと細めじゃないですかね~(笑)
おお、そうそう
本殿の頭貫(かしらぬき)※柱頭部を横につなぐ水平材
に打ち付けられていた木片が発見されたのが、昭和29年の本殿解体修理時
とても珍しいものだったらしい
本物はどこぞに隔離(保存」)されているだろうけど
写真かなにかが置いてありはしないかと探しました
あ、あった、あれだ~!
拝殿のお賽銭を入れる小さい窓からは見えたけど
仕方なく正面のガラス窓越しに撮ってみました
う~ん、微妙(><)
説明書きの後半に書いてありました
現代の言葉にすると
『工事の時、施主が大変けちだったので一度も焼酎を振る舞ってくれなかった
とてもがっかりした』
というもの
なんと恨みがましい(笑)
施工主の寺僧がケチだというのも情けない話ですが
焼酎のご馳走がないのに腹を立てて落書きを残した宮大工も相当なモンですね^^;
でもこれが、わが国における「焼酎」という文字の初見だというのだから
いたずらや皮肉も後世に役だつことも少なからずあるんですよね
室町時代永禄2年(1559年)当時
すでにこの地方では焼酎が飲まれていたことが裏付けられ
民俗資料としても従来の説を覆す重要な資料となったということです
行きは厳かに通った参道も、帰りはちょっと苦笑いになったのでした
ちょっと~あなたたち、あの落書きを見た~?
らぼっちが鹿児島の南端へ単身赴任していた頃のお話^^
途中、満天の星を娘と見たことがあって
未だにその光景が忘れられません
きっと何かのご褒美だと思ったくらい♪
そんな思い出があるもののゆっくり散策などはしていない場所なんです
しばらく神社らーとしての使命を忘れておりましたが
TVを見ていて「よし」と思いたったのが伊佐市の神社だったのです
その神社は国道268号線をちょっと入ったところにありました

見えますかね?国指定文化財という文字^^
「郡山八幡神社」です

鳥居のところでは、と~っても短足の仁王さんが出迎えてくれました^^
ところどころ欠けたり修復されたりしています
顔は怖いけど、親近感を感じるな~♪

参道は静寂の中で、す~っと気持ちが落ち着くような場所でした
色鮮やかな社殿ですね
でも何年か前までは、拝殿は普通の色をしていたようですが

手水舎の横に説明がありました

ふむふむ・・・
この郡山八幡神社は、建久5年(1194年)に菱刈氏の氏祖である菱刈重妙が
神託により宇佐八幡宮より勧請したと伝えられています
現在の建物は京都・金閣寺より古い16世紀頃に建てられたものだそうです
今から500年近く前の建物が薩摩に残っていることはたいへん珍しく
昭和24年に国の重要文化財に指定されたということですよ
狛犬も補修がしてあります
左側の狛犬を見て「オペラ座の怪人」を思い出しちゃった、ぎゃは^^;

さあ、これが重要文化財の本殿です

最近塗り直されたのか、くらくらするくらいまばゆい朱です
桁行3間梁間3間の入母屋造平入杮葺という造りで
室町、桃山形式の手法に琉球様式の影響も見られる建築となっているようです
おや本殿前の箱におられるのはどなた?

おお~、近づいてみたら
なんじゃ~、この柱は!!!

こんな柱、初めて見ましたよ
創建の時のままだとしたら、すごい!

彫刻は繊細な感じのもので、何か謂われがあるのでしょうが
そこはよくわかりませんでした^^;


力神にしてはちょっと細めじゃないですかね~(笑)

おお、そうそう
本殿の頭貫(かしらぬき)※柱頭部を横につなぐ水平材
に打ち付けられていた木片が発見されたのが、昭和29年の本殿解体修理時
とても珍しいものだったらしい
本物はどこぞに隔離(保存」)されているだろうけど
写真かなにかが置いてありはしないかと探しました
あ、あった、あれだ~!

拝殿のお賽銭を入れる小さい窓からは見えたけど
仕方なく正面のガラス窓越しに撮ってみました

う~ん、微妙(><)
説明書きの後半に書いてありました

現代の言葉にすると
『工事の時、施主が大変けちだったので一度も焼酎を振る舞ってくれなかった
とてもがっかりした』
というもの
なんと恨みがましい(笑)
施工主の寺僧がケチだというのも情けない話ですが
焼酎のご馳走がないのに腹を立てて落書きを残した宮大工も相当なモンですね^^;
でもこれが、わが国における「焼酎」という文字の初見だというのだから
いたずらや皮肉も後世に役だつことも少なからずあるんですよね
室町時代永禄2年(1559年)当時
すでにこの地方では焼酎が飲まれていたことが裏付けられ
民俗資料としても従来の説を覆す重要な資料となったということです

行きは厳かに通った参道も、帰りはちょっと苦笑いになったのでした

ちょっと~あなたたち、あの落書きを見た~?
<郡山八幡神社>
[所在地]鹿児島県伊佐市大口大田1549
[アクセス]地図はコチラ
最近はAKB48の人気に便乗してご当地アイドル流行りだそうで
青森県では「りんご娘」が観光PRにがんばっているようですね
夕食時とっちんと二人、「熊本でご当地アイドルといったら何だろうね」
という話になって
「馬刺し娘?」、そりゃあんまりだろう
「辛子れんこん娘?」、ん・・・それもいまいち
「いきなり団子娘?」、それ、語呂もよくていいじゃん
ということになりました・・・へへへ^^
さて皆さんは、熊本のご当地アイドルの名付け親になるとしたら
何と名付けますか♪
さて、先週末は県境を越え、北薩摩方面を目指しました
きっかけはTVで面白い神社の紹介を見たためです^^v
行き先はとっちんがいろいろ調べてくれて、おまかせ♪
まぁ、萌え~は二人とも共通しているので
らぼっちのテンションが下がることはないのだ
8時出発予定が寒さに負けて1時間遅れ
高速を降りたらJAあしきたファーマーズマーケットで休憩
野菜やおやつの他、100円の案内に惹かれぜんざいを購入
大きなお餅に甘いだけでなく塩気もあってお味もよし♪
とっちんナビで最初に向かったのは「十曽(じっそ)池公園」
堤の長さ100m・高さ20m・周囲4kmに及ぶ人造湖で
隣接して十曽池青少年旅行村があります
池の周辺には芝生広場や展望台、水草庭園等も整備され
釣りやバードウォッチングなどアウトドアライフを満喫できます
また周辺はヤマメの南限とされており、隠れた釣りファンも多いです
初夏にはホタルが戯れ、満天の星空と輝きを競います
(伊佐市観光地案内より抜粋)
堤防の階段をトントンと軽やかに上って湖面を見下ろした瞬間
バタバタッーという無数の羽音
すぐそこにいたカモが一斉に羽ばたいて200mくらい向こうに行ってしまった
とっちんが「あんたがどすどす上がってくるからたい」
その後も池沿いの道から狙うも鉄砲でも持っていると勘違いされたのか
すぐに飛び立ってしまう
とっちんが女の勘で近寄るも、野生の勘には適いません^^
池の奥は確かによく整備されています
でも人っ子一人いません、いたのはカモとサギだけ
こんな面白い木もありました
下の細い木が太い木をまさしく背負ってました
「背負ってる木」と勝手に名付けよう♪
さて、とっちんナビではこれより更に7kmも山を登った「エドヒガン桜」
昭和52年に奥十曽渓谷上流の岩矢谷で発見され、
高さ28メートル、目通り円周10.78メートル、樹齢およそ600年を越え
毎年3月下旬から4月上旬にかけて可憐な花を咲かせます
平成12年には「巨樹・巨木百選」に選定され、エドヒガン桜では
日本最大といわれています
山奥のひっそりとした所にありますが、車で登っていくと
突如山肌に桜色に染められたポイントが現れます
(伊佐市観光地案内より抜粋)
離合も難しいような山道を残り7kmも上って
固い蕾だけを見に行くことに、さすがにらぼっちが拒否^^;
ということで、この後は市内へGO!!
今日はとっても手抜きな記事?
まっ、伊佐道中の本格記事は後日ということで♪
青森県では「りんご娘」が観光PRにがんばっているようですね
夕食時とっちんと二人、「熊本でご当地アイドルといったら何だろうね」
という話になって
「馬刺し娘?」、そりゃあんまりだろう
「辛子れんこん娘?」、ん・・・それもいまいち
「いきなり団子娘?」、それ、語呂もよくていいじゃん
ということになりました・・・へへへ^^
さて皆さんは、熊本のご当地アイドルの名付け親になるとしたら
何と名付けますか♪
さて、先週末は県境を越え、北薩摩方面を目指しました
きっかけはTVで面白い神社の紹介を見たためです^^v
行き先はとっちんがいろいろ調べてくれて、おまかせ♪
まぁ、萌え~は二人とも共通しているので
らぼっちのテンションが下がることはないのだ
8時出発予定が寒さに負けて1時間遅れ
高速を降りたらJAあしきたファーマーズマーケットで休憩
野菜やおやつの他、100円の案内に惹かれぜんざいを購入
大きなお餅に甘いだけでなく塩気もあってお味もよし♪

とっちんナビで最初に向かったのは「十曽(じっそ)池公園」
堤の長さ100m・高さ20m・周囲4kmに及ぶ人造湖で
隣接して十曽池青少年旅行村があります
池の周辺には芝生広場や展望台、水草庭園等も整備され
釣りやバードウォッチングなどアウトドアライフを満喫できます
また周辺はヤマメの南限とされており、隠れた釣りファンも多いです
初夏にはホタルが戯れ、満天の星空と輝きを競います
(伊佐市観光地案内より抜粋)

堤防の階段をトントンと軽やかに上って湖面を見下ろした瞬間
バタバタッーという無数の羽音
すぐそこにいたカモが一斉に羽ばたいて200mくらい向こうに行ってしまった
とっちんが「あんたがどすどす上がってくるからたい」
その後も池沿いの道から狙うも鉄砲でも持っていると勘違いされたのか
すぐに飛び立ってしまう
とっちんが女の勘で近寄るも、野生の勘には適いません^^

池の奥は確かによく整備されています
でも人っ子一人いません、いたのはカモとサギだけ
こんな面白い木もありました

下の細い木が太い木をまさしく背負ってました
「背負ってる木」と勝手に名付けよう♪
さて、とっちんナビではこれより更に7kmも山を登った「エドヒガン桜」
昭和52年に奥十曽渓谷上流の岩矢谷で発見され、
高さ28メートル、目通り円周10.78メートル、樹齢およそ600年を越え
毎年3月下旬から4月上旬にかけて可憐な花を咲かせます
平成12年には「巨樹・巨木百選」に選定され、エドヒガン桜では
日本最大といわれています
山奥のひっそりとした所にありますが、車で登っていくと
突如山肌に桜色に染められたポイントが現れます
(伊佐市観光地案内より抜粋)
離合も難しいような山道を残り7kmも上って
固い蕾だけを見に行くことに、さすがにらぼっちが拒否^^;
ということで、この後は市内へGO!!
今日はとっても手抜きな記事?
まっ、伊佐道中の本格記事は後日ということで♪
<十曽池公園>
[アクセス]地図はコチラ
山鹿に出かけた一番の目的は「米米惣門(こめこめそうもん)ツアー」だったんです
ちょうど今週の熊日すぱいすに載っていましたね~^^
以前、普通にお邪魔したとき、どちらでも丁寧な説明をしてくださったのですが
12年も前にこのツアーが始まっていたとは知りませんでした
本当は前日までの申し込みなのですが
ダメモトで朝から電話してみると、OKの返事
無理やり14時の時間帯に割り込んだ形になりました^^;
豊前街道にあるこういう歴史ある建物は熟年ふたり大好きです♪
予定より早くついたので、車の中でTVを見ていたら
遠くからせかされてしまった^^;
割り込みなのにごめんなさいm(__)m
なぜ「米米惣門ツアー」というツアー名になったのか・・・
山鹿の豊前街道と菊池川交わる玄関口にあった番所「惣門」
その惣門地区の「米」に縁のある場所を巡って、見学体験しながら街歩きで
山鹿の歴史を知ろうというものだからそうです
参加料は一人500円、お土産付きで~す^^
この日、この時間のツアー参加者はもう一組のカップルでした
まずは「木屋本店」さんへ
こちらでは甘酒をいただきました
この頃何かと話題の麹、う~んいつもながら美味しい♪
写真はありません(笑)
山鹿のこのあたり、間口のわりに奥行きがすごいんです
お店の部分を過ぎたところから撮っても、ほらこのとおり^^
一番奥に住居があります
50m走ができますね、ここで(笑)
こちらは創業180年、八代目のご主人が説明してくださいました
持っておられるのは『米麹』です
この『麹』触ってみました
ふんわりだけど、軽くつぶすとさらっとして崩れます、不思議な感じ♪
この『麹』・・
もち米を炊いたのを混ぜると『甘酒』
米と麹を炊いてつくるのが『日本酒』
その日本酒の蒸気を精製したのが『焼酎』
酒からつくるのが酢
大豆と混ぜれば味噌
と教えていただきました
ほんと、日本の食の原点が見えるようです
そして出てきた1763年(宝暦13年)の町絵図
どの家も細長~い!
税金対策とはいえ、おもしろいですね
昔ながらの室豚(むろぶた)が積み重ねられていました
九代目の息子さんと、たぶん十代目となるボク
たのもしいな^^
次はお隣の「千代の園酒」さんです
こちらは創業115年!
社長さんは四代目になられるようです
大釜の前でツアー参加者の彼女、何を見ているのかな(笑)
ここには南九州の「田の神さあ(たのかんさあ)」が
おわかりでしょうか?
手にはすりこぎとじゃもじ、足はわらじとゲタ
ご飯の大切さとお米を加工する必要性
そしてそのお米をつくる水田では晴れも雨も大切だというもの
この笑顔、いいですね~^^
資料館のほうはざーっと説明がありました
前に聞いたお米の山田錦の話がなかったな~^^;
お店に戻るとすぐに、らぼっちが試飲コーナーを発見!
「飲んでいい?」と、とっちんに聞きもしないでさっさと飲み始めちゃった
「おいしい♪」あ、そうかいそうかい
え?まだ飲むんかい!
社長の顔がだんだん険しくなってるのがわかります?(笑)
さすがに試飲の域を超えたと思ったらぼっち
残り1本という限定品にも引かれ、買うてもうたーー^^;
無濾過生原酒、しかもオリ入りの純米吟醸「泰斗」
「舌にピリっとくる感じがたまらない」
あれれ?日本酒の味をそんなにご存知でしたっけ、らぼっちさんよ(笑)
炭酸ガスが残っていて開栓しなくても徐々に抜けていくそうです
いいご機嫌になったらぼっちにちと呆れ顔のとっちんは
ツアーでご一緒のカップルと次に向かいました
ここも前にお邪魔したことのある「せんべい工房」さん
えっと~、ツアーにはお隣の「荒木米穀店」が入ってるんですけど~
開いているのか閉まっているのか定かではありませんでした
ま、それはいいとして
早速みんなが、おせんべい焼きを体験しました
以前は丸い形に出来上がらなかったらぼっち
今回はうまくいったようで、見よこの満面の笑み!って、見れないか(笑)
自分で作ったものはあったかいうちに自分で食べて
次に向かったのは近くの「光専寺」さん
ここも「せんべい工房」のご主人に案内していただきました
この鐘楼門は400年前のもの、ずっと開けっ放しなんだそうです
熊本城を築かれたときの廃材で造られたもので
日輪寺の門とこの門だけが、400年の歴史を残しているというお話でした
熊本城は第二次世界大戦や西南戦争で焼かれちゃったもんね~(><)
ってか、このお寺が“お米”とどういう関係があるんですかね?
門の後は、本堂の説明があるのかと思ってましたが
なぜか本堂ではなく、納骨堂のほうを指差されます
で、ここでこんなものを出されました
江戸時代中期、米問屋の主人宗方利助がこの「光専寺」に経本を寄進するために
銀40kgを壷に入れ、味噌や藁で隠し京都まで自ら出向いたそうです
その時の領収書がこれだとか
あっはー、納骨堂じゃなくて経蔵だったんですね^^;
3000冊のお経本が収められた蔵
1周すると全てを読んだことになる、ってほんとかな^^
これで「米米惣門ツアー」は終了になりました
とくに最後は説明にもないおもしろいお話が聞けて
オテラーとしては興味深いものがありました
お土産はこちら、おせんべいにドライフリーズのおみそ汁など♪
飛び込みで参加させていただき、ありがとうございました
ぶらぶら戻ってきて「しびんちゃ館」なるところへ入ってみました
しびん?・・・
ここで言葉を切っちゃいけません(笑)
あまりいい響きじゃないな、と思ったら
『タナゴ』のことをこちらでは『しびんちゃ』と言うんですって^^;
ここは「菊池川流域情報交流会館」です
中には水槽にタナゴもいましたが、こんな情報もありました
バレンタイン特別企画
『菊池川の、ほぼ中心で愛を叫ぶ2012』
惣門に近いここで行われるようですよ^^
昨日から『山鹿灯籠浪漫・百華百彩』も始まりました
寒いけど山鹿はこの時期“熱い”かも♪
『かたわらには「火の番屋」が置かれて、明け六つ(午前6時)に門を明け、
暮六つ(午後6時)になると門を閉め、以後は通行を許さなかったそうです。
この門が"惣門"です。』

ちょうど今週の熊日すぱいすに載っていましたね~^^
以前、普通にお邪魔したとき、どちらでも丁寧な説明をしてくださったのですが
12年も前にこのツアーが始まっていたとは知りませんでした
本当は前日までの申し込みなのですが
ダメモトで朝から電話してみると、OKの返事
無理やり14時の時間帯に割り込んだ形になりました^^;
豊前街道にあるこういう歴史ある建物は熟年ふたり大好きです♪

予定より早くついたので、車の中でTVを見ていたら
遠くからせかされてしまった^^;
割り込みなのにごめんなさいm(__)m

なぜ「米米惣門ツアー」というツアー名になったのか・・・
山鹿の豊前街道と菊池川交わる玄関口にあった番所「惣門」
その惣門地区の「米」に縁のある場所を巡って、見学体験しながら街歩きで
山鹿の歴史を知ろうというものだからそうです
参加料は一人500円、お土産付きで~す^^
この日、この時間のツアー参加者はもう一組のカップルでした
まずは「木屋本店」さんへ

こちらでは甘酒をいただきました
この頃何かと話題の麹、う~んいつもながら美味しい♪
写真はありません(笑)
山鹿のこのあたり、間口のわりに奥行きがすごいんです
お店の部分を過ぎたところから撮っても、ほらこのとおり^^

一番奥に住居があります
50m走ができますね、ここで(笑)
こちらは創業180年、八代目のご主人が説明してくださいました
持っておられるのは『米麹』です

この『麹』触ってみました
ふんわりだけど、軽くつぶすとさらっとして崩れます、不思議な感じ♪
この『麹』・・
もち米を炊いたのを混ぜると『甘酒』
米と麹を炊いてつくるのが『日本酒』
その日本酒の蒸気を精製したのが『焼酎』
酒からつくるのが酢
大豆と混ぜれば味噌
と教えていただきました
ほんと、日本の食の原点が見えるようです
そして出てきた1763年(宝暦13年)の町絵図

どの家も細長~い!
税金対策とはいえ、おもしろいですね
昔ながらの室豚(むろぶた)が積み重ねられていました

九代目の息子さんと、たぶん十代目となるボク
たのもしいな^^

次はお隣の「千代の園酒」さんです

こちらは創業115年!
社長さんは四代目になられるようです

大釜の前でツアー参加者の彼女、何を見ているのかな(笑)

ここには南九州の「田の神さあ(たのかんさあ)」が

おわかりでしょうか?
手にはすりこぎとじゃもじ、足はわらじとゲタ
ご飯の大切さとお米を加工する必要性
そしてそのお米をつくる水田では晴れも雨も大切だというもの
この笑顔、いいですね~^^
資料館のほうはざーっと説明がありました
前に聞いたお米の山田錦の話がなかったな~^^;
お店に戻るとすぐに、らぼっちが試飲コーナーを発見!

「飲んでいい?」と、とっちんに聞きもしないでさっさと飲み始めちゃった

「おいしい♪」あ、そうかいそうかい

え?まだ飲むんかい!

社長の顔がだんだん険しくなってるのがわかります?(笑)
さすがに試飲の域を超えたと思ったらぼっち
残り1本という限定品にも引かれ、買うてもうたーー^^;
無濾過生原酒、しかもオリ入りの純米吟醸「泰斗」

「舌にピリっとくる感じがたまらない」
あれれ?日本酒の味をそんなにご存知でしたっけ、らぼっちさんよ(笑)
炭酸ガスが残っていて開栓しなくても徐々に抜けていくそうです
いいご機嫌になったらぼっちにちと呆れ顔のとっちんは
ツアーでご一緒のカップルと次に向かいました
ここも前にお邪魔したことのある「せんべい工房」さん

えっと~、ツアーにはお隣の「荒木米穀店」が入ってるんですけど~
開いているのか閉まっているのか定かではありませんでした
ま、それはいいとして
早速みんなが、おせんべい焼きを体験しました

以前は丸い形に出来上がらなかったらぼっち
今回はうまくいったようで、見よこの満面の笑み!って、見れないか(笑)
自分で作ったものはあったかいうちに自分で食べて
次に向かったのは近くの「光専寺」さん

ここも「せんべい工房」のご主人に案内していただきました
この鐘楼門は400年前のもの、ずっと開けっ放しなんだそうです
熊本城を築かれたときの廃材で造られたもので
日輪寺の門とこの門だけが、400年の歴史を残しているというお話でした
熊本城は第二次世界大戦や西南戦争で焼かれちゃったもんね~(><)
ってか、このお寺が“お米”とどういう関係があるんですかね?
門の後は、本堂の説明があるのかと思ってましたが
なぜか本堂ではなく、納骨堂のほうを指差されます

で、ここでこんなものを出されました

江戸時代中期、米問屋の主人宗方利助がこの「光専寺」に経本を寄進するために
銀40kgを壷に入れ、味噌や藁で隠し京都まで自ら出向いたそうです
その時の領収書がこれだとか
あっはー、納骨堂じゃなくて経蔵だったんですね^^;

3000冊のお経本が収められた蔵
1周すると全てを読んだことになる、ってほんとかな^^
これで「米米惣門ツアー」は終了になりました
とくに最後は説明にもないおもしろいお話が聞けて
オテラーとしては興味深いものがありました
お土産はこちら、おせんべいにドライフリーズのおみそ汁など♪
飛び込みで参加させていただき、ありがとうございました

ぶらぶら戻ってきて「しびんちゃ館」なるところへ入ってみました

しびん?・・・
ここで言葉を切っちゃいけません(笑)
あまりいい響きじゃないな、と思ったら
『タナゴ』のことをこちらでは『しびんちゃ』と言うんですって^^;
ここは「菊池川流域情報交流会館」です
中には水槽にタナゴもいましたが、こんな情報もありました
バレンタイン特別企画
『菊池川の、ほぼ中心で愛を叫ぶ2012』
惣門に近いここで行われるようですよ^^

昨日から『山鹿灯籠浪漫・百華百彩』も始まりました
寒いけど山鹿はこの時期“熱い”かも♪
『かたわらには「火の番屋」が置かれて、明け六つ(午前6時)に門を明け、
暮六つ(午後6時)になると門を閉め、以後は通行を許さなかったそうです。
この門が"惣門"です。』

<米米惣門ツアー>
酒蔵・味噌蔵・米蔵~光専寺 約200m(約1時間)
◆参加料 500円(お土産付き)
◆出発時間 9:30~、11:00~、13:00~、14:00~、15:00~
◆お休み 水曜日(木屋本店・千代の園酒造・せんべい工房はそれぞれ見学できます)
◆集合場所 千代の園酒造駐車場
◆主催 下町惣門会
◆お申込み 山鹿温泉観光協会 TEL 0968-43-2952
案内希望日の前日までに申込み
◆アクセス 地図はコチラ
「さ、さ、さぶぅー!」
今朝起きて、とっちんが最初に発した言葉です(笑)
なんと熊本地方、最低気温が-6.7℃だったって!
どおりでストーブとファンヒーターの二つを点けても寒かった~(><)
水道管の破裂とかはなかったけど、お湯が出なかったんです
もしかしてどこぞが凍ってたのかな?
お昼には何事もなかったようにちゃんと出るようになって
ありがたみを感じたところです、朝はチョ~ちべたかったけど^^;
さて、本日は『節分』でございました
最近は豆まきもほとんどせず、鰯の頭はあっても柊がないのでこれもせず
「立春の」前の邪気払いは、もっぱら「恵方巻」のみです^^
で、今年も作りました

あまり太くすると丸かぶりできないので
極力細めにと気をつけてはいるんですがね~

なんせ手がでデカイのと貧乏性がたたって・・・^^;
恵方巻商戦に踊らされているような気もするのですが
縁起がいいならと、“北北西”に向かって食べたのでした^^
ちょいと前置きが長くなってしまいましたが、昨日の続きです
和水町から山鹿に戻ってきたところ お昼になったので腹ごしらえ~♪
朝ちょいと調べたら、山鹿で海鮮丼のお店が!
二人とも速攻、食いつきましたとも^m^
海から遠い山鹿で海鮮丼?と少々眉唾物ではありましたが
行ってみなければわかりません
で、着いたところがこちら「栄太郎」さんで~す^^
ふむふむ、仕出し屋さんとかお寿司屋さんのような外観です
駐車場はどうにか一台分空いてました
店に入るとすぐに生簀(水槽?)があったんですね~
これはいけるかも、と思いました♪
店内はカウンター5人、座敷が4テーブルだったかな
ここでもテーブルがひとつだけ、熟年のために用意してあるかのごとく
空いていたのでした、ぶふふ^^
やっぱりお寿司屋さんのような感じで、落ち着いた雰囲気です
一応メニューを見たけど、二人ともすぐさま海鮮丼の「栄太郎丼」
ここは譲れません!!
メニューの写真は撮れませんでした
注文するとすぐに持っていかれてしまったので^^;
お客さんはいっぱいだったのですが
お店の方とお話されている様子では、ほとんどが常連さんのようでした
そしてほとんどの方が「栄太郎丼」♪
らぼっちが「TVに出てる人がこの『栄太郎』だったよね?」
「違~う!ありゃ『英太郎』じゃ!」
英太郎さん?はい、熊本のタレントさんです^^
そんな漫才をしているとやってきました
どーーーーん!
おや、小鉢とおみそ汁がついていますよ
海鮮丼はというと~
7種類のネタがのっていて、一切れ一切れが大きい♪
ご飯は寿司飯ではなくて、白ご飯です
そしてですね、このネタ、ご飯が巻けるんですよ、きゃ~☆
これを『恵方巻』とはいわないだろうけど(笑)
ね、すごいでしょ~♪
どれだけ大きいかわかっていただけたでしょうか^^
これでいくらだと思います?
にゃんと、735円なのでございます♪
しかも美味しい~♪♪
二人ともあっという間にお腹の中におさめたのでした
欲を言えば・・
あ、いえ、このお値段ですから、それを言っちゃ・・
んにゃ、このさいだから言ってしまえ
そうですか?じゃ・・ (誰と話してるんじゃ^^;)
小鉢の肉じゃがが温かければもっとよかったな~
それとわさびがもう少し効いていればよかったな~
でもでも、充分満足できましたよ^^
どうもご馳走様でした♪
肥後味趣乱 ☆おまけで4つ^^;
今朝起きて、とっちんが最初に発した言葉です(笑)
なんと熊本地方、最低気温が-6.7℃だったって!
どおりでストーブとファンヒーターの二つを点けても寒かった~(><)
水道管の破裂とかはなかったけど、お湯が出なかったんです
もしかしてどこぞが凍ってたのかな?
お昼には何事もなかったようにちゃんと出るようになって
ありがたみを感じたところです、朝はチョ~ちべたかったけど^^;
さて、本日は『節分』でございました
最近は豆まきもほとんどせず、鰯の頭はあっても柊がないのでこれもせず
「立春の」前の邪気払いは、もっぱら「恵方巻」のみです^^
で、今年も作りました

あまり太くすると丸かぶりできないので
極力細めにと気をつけてはいるんですがね~

なんせ手がでデカイのと貧乏性がたたって・・・^^;
恵方巻商戦に踊らされているような気もするのですが
縁起がいいならと、“北北西”に向かって食べたのでした^^
ちょいと前置きが長くなってしまいましたが、昨日の続きです
和水町から山鹿に戻ってきたところ お昼になったので腹ごしらえ~♪
朝ちょいと調べたら、山鹿で海鮮丼のお店が!
二人とも速攻、食いつきましたとも^m^
海から遠い山鹿で海鮮丼?と少々眉唾物ではありましたが
行ってみなければわかりません
で、着いたところがこちら「栄太郎」さんで~す^^

ふむふむ、仕出し屋さんとかお寿司屋さんのような外観です
駐車場はどうにか一台分空いてました
店に入るとすぐに生簀(水槽?)があったんですね~
これはいけるかも、と思いました♪
店内はカウンター5人、座敷が4テーブルだったかな
ここでもテーブルがひとつだけ、熟年のために用意してあるかのごとく
空いていたのでした、ぶふふ^^
やっぱりお寿司屋さんのような感じで、落ち着いた雰囲気です

一応メニューを見たけど、二人ともすぐさま海鮮丼の「栄太郎丼」
ここは譲れません!!
メニューの写真は撮れませんでした
注文するとすぐに持っていかれてしまったので^^;
お客さんはいっぱいだったのですが
お店の方とお話されている様子では、ほとんどが常連さんのようでした
そしてほとんどの方が「栄太郎丼」♪
らぼっちが「TVに出てる人がこの『栄太郎』だったよね?」
「違~う!ありゃ『英太郎』じゃ!」
英太郎さん?はい、熊本のタレントさんです^^
そんな漫才をしているとやってきました
どーーーーん!

おや、小鉢とおみそ汁がついていますよ
海鮮丼はというと~

7種類のネタがのっていて、一切れ一切れが大きい♪
ご飯は寿司飯ではなくて、白ご飯です

そしてですね、このネタ、ご飯が巻けるんですよ、きゃ~☆

これを『恵方巻』とはいわないだろうけど(笑)
ね、すごいでしょ~♪
どれだけ大きいかわかっていただけたでしょうか^^
これでいくらだと思います?
にゃんと、735円なのでございます♪
しかも美味しい~♪♪
二人ともあっという間にお腹の中におさめたのでした
欲を言えば・・
あ、いえ、このお値段ですから、それを言っちゃ・・
んにゃ、このさいだから言ってしまえ
そうですか?じゃ・・ (誰と話してるんじゃ^^;)
小鉢の肉じゃがが温かければもっとよかったな~
それとわさびがもう少し効いていればよかったな~
でもでも、充分満足できましたよ^^
どうもご馳走様でした♪
肥後味趣乱 ☆おまけで4つ^^;

<和食亭 栄太郎>
[所在地]熊本県山鹿市山鹿317(山鹿郵便局隣)
[TEL] 0968-43-8080
[営業時間]<ランチ>11:00~14:00
<夕方> 17:00~20:00(OS)
[定休日] 不定休
[アクセス]地図はコチラ
今朝、起きたら雪~!
積もるかな~と思ったら消えちゃった
福岡など九州北部ではかなり積もったとか
全国でも大雪のためいろんな事故が発生していて大混乱
3m越えの積雪のところがあったりと九州にいると想像もつかないことばかりです
まだまだ大雪の予報も出ているようですが
普通に生活するためにも早く暖かくなって欲しいと願っています
明日の朝は熊本でもこの冬一番の冷え込みになるとの予報
インフルエンザも警戒レベルに達したと言うし
体調管理には気をつけたいですね
さて1月最後の日曜日、見事に晴れ間が広がったので二人で久々にお出かけ~♪
あそこに行ってみようか、ここに行こうかと悩んだ末
最近ご無沙汰気味?の山鹿方面に決定^^
一番の目的は午後に予定してたので
午前中にちょこっと和水町まで足を伸ばしました
着いたのはこんなところ
え~?ただの山じゃないか
と思ったあなた、修行が足りませぬぞ!
これがなかなかのものなのですよ^^
国指定の史跡「田中城跡」でございます
え、字が小さくて読めない?
これをちゃんと読む人がいるのかな^^;
要するにですね
『その昔、肥後の国は国衆と言われる52人の豪族が
それぞれに領地・領民を支配する特殊な地域でした。
和水町の国衆が「和仁」氏であり、その居城が田中城です。
田中城は、戦国時代末期、肥後国衆の1人、和仁親実(わにちかざね)が居城。
天正15年(1587年)、菊池郡隈府城主の隈部親永(くまべちかなが)は
豊臣秀吉に肥後支配を任された佐々成政の検地に抵抗し、肥後国衆一揆が起こりました。
和仁親実は隈部親永に呼応し、兄弟(弟の親範と親宗)と
姉婿の辺春親行(へばるちかゆき)と共に田中城に立て籠もりました。
豊臣軍1万に対し、和仁軍はわずか1千余りの兵
36日間ものすさまじい戦いを繰り広げた後、
辺春氏の内通(裏切り)により、とうとう同年12月5日に落城しました。』
と、これが田中城の概要です
これは「辺春・和仁仕寄陣取図(へばる・わにしよりじんとりず)」
これによると田中城の西に主将小早川秀包軍、その南隣に安国寺恵瓊軍
南に立花宗茂および筑前・筑後衆、北に鍋島直茂および肥前衆が取り囲んでいます
1989年にこれが山口県文書館『毛利家文庫』で見つかったことによって
戦国期の歴史を知る上で貴重な遺構であるとして国の史跡に指定されたのです
どうしてこの「辺春・和仁仕寄陣取図」が山口県で発見されたかというと
毛利一族の小早川秀包が参戦した関係から、毛利家に伝わっていたということです
車でも登れるということでしたが、ここは歩いて登ってみることに^^
途中、あきらかに空堀と思えるところを通ります
とてもきれいに整備されていました
同じ国の史跡に指定された堅志田城とはえらい違いだ^^;
こちらは北側の「監視台跡?」と書いてあった出丸跡
確かに断崖の上にあり、見晴らしは良さそう
程なく主郭に到着、おやまあ想像以上に広いぞ^^
本丸跡に行ってみましょう
はあ~、ずいぶんときれいにしてありますよ
ここで『らぼっちを探せ!』(笑)
このなかにらぼっちがいます、探してみてね^^
そんなこたあどうでもいいか(笑)
でも、思わずそんなこともしたくなるくらいに広いんです
なんでもここだけで約1700㎡あるようですよ^^
そしてこのツゲの植え込みはただ植えてあるだけじゃない
当時の柱の位置にあり壁の広がりを表わしているということです
これで14棟の掘立柱建物跡がわかるようになっています
なるほど、考えられています^^
この石段も当時のものだろうか?
あり?とっちん・・・いつのまに?
こちらは南側の「監視台跡?」と書いてあった出丸跡
中世城の特徴として、田中城には石垣は築かれていません
この山の特徴をうまく活かして築かれた城なのでしょう
登ったほうとは反対側に下りてみることに^^
こちらには「弾正(だんじょう)屋敷跡」なるものが
和仁弾正親範、次男の屋敷だったのではないかと伝えられているとか
じゃ、他の二人の屋敷はいずこに?
ぐるっとまわってみていると、西側にこんなものが!
なんと磨崖仏じゃありませんか
下の四角い穴はよくわかりませんが、7人おられました^^
この磨崖仏は、室町末期のもので三昧耶形(さんまいやぎょう)といい
左から鉢、如意、憧幡、中央に閻魔大王、蓮華、宝珠、錫杖の順に並んでいます
田中城の安泰を祈念して作られたとの言い伝えもあるようです
こうしてぐるっと1周して車に戻り、小田川を渡り田中城の南側へ
この小田川、別名「血波川」と呼ばれているんだとか
戦いの際に流された血で真っ赤に染まった水が何日間も流れていたといわれることから
こう呼ばれているそうです、ぎゃ~(><)
そして田中城の南側に行くと
さっきまでの砂利の駐車場とは違い、立派な駐車場がありました
なあんだ、こっちが本来の入り口だったのね~(笑)
和仁勘解由親実(わにかげゆちかざね)・人鬼親宗(じんきちかむね)
弾正親範(だんじょうちかのり)の和仁三兄弟の石像がありました
うう、怖い^^;
戦国期の歴史を物語る貴重な遺構「田中城跡」
なかなかおもしろいところでした
2月12日にはここで「戦国肥後国衆まつり」が行われるようですよ

積もるかな~と思ったら消えちゃった
福岡など九州北部ではかなり積もったとか
全国でも大雪のためいろんな事故が発生していて大混乱
3m越えの積雪のところがあったりと九州にいると想像もつかないことばかりです
まだまだ大雪の予報も出ているようですが
普通に生活するためにも早く暖かくなって欲しいと願っています
明日の朝は熊本でもこの冬一番の冷え込みになるとの予報
インフルエンザも警戒レベルに達したと言うし
体調管理には気をつけたいですね
さて1月最後の日曜日、見事に晴れ間が広がったので二人で久々にお出かけ~♪
あそこに行ってみようか、ここに行こうかと悩んだ末
最近ご無沙汰気味?の山鹿方面に決定^^
一番の目的は午後に予定してたので
午前中にちょこっと和水町まで足を伸ばしました
着いたのはこんなところ

え~?ただの山じゃないか
と思ったあなた、修行が足りませぬぞ!
これがなかなかのものなのですよ^^
国指定の史跡「田中城跡」でございます

え、字が小さくて読めない?
これをちゃんと読む人がいるのかな^^;
要するにですね
『その昔、肥後の国は国衆と言われる52人の豪族が
それぞれに領地・領民を支配する特殊な地域でした。
和水町の国衆が「和仁」氏であり、その居城が田中城です。
田中城は、戦国時代末期、肥後国衆の1人、和仁親実(わにちかざね)が居城。
天正15年(1587年)、菊池郡隈府城主の隈部親永(くまべちかなが)は
豊臣秀吉に肥後支配を任された佐々成政の検地に抵抗し、肥後国衆一揆が起こりました。
和仁親実は隈部親永に呼応し、兄弟(弟の親範と親宗)と
姉婿の辺春親行(へばるちかゆき)と共に田中城に立て籠もりました。
豊臣軍1万に対し、和仁軍はわずか1千余りの兵
36日間ものすさまじい戦いを繰り広げた後、
辺春氏の内通(裏切り)により、とうとう同年12月5日に落城しました。』
と、これが田中城の概要です
これは「辺春・和仁仕寄陣取図(へばる・わにしよりじんとりず)」

これによると田中城の西に主将小早川秀包軍、その南隣に安国寺恵瓊軍
南に立花宗茂および筑前・筑後衆、北に鍋島直茂および肥前衆が取り囲んでいます
1989年にこれが山口県文書館『毛利家文庫』で見つかったことによって
戦国期の歴史を知る上で貴重な遺構であるとして国の史跡に指定されたのです
どうしてこの「辺春・和仁仕寄陣取図」が山口県で発見されたかというと
毛利一族の小早川秀包が参戦した関係から、毛利家に伝わっていたということです
車でも登れるということでしたが、ここは歩いて登ってみることに^^

途中、あきらかに空堀と思えるところを通ります

とてもきれいに整備されていました
同じ国の史跡に指定された堅志田城とはえらい違いだ^^;
こちらは北側の「監視台跡?」と書いてあった出丸跡

確かに断崖の上にあり、見晴らしは良さそう
程なく主郭に到着、おやまあ想像以上に広いぞ^^

本丸跡に行ってみましょう

はあ~、ずいぶんときれいにしてありますよ
ここで『らぼっちを探せ!』(笑)
このなかにらぼっちがいます、探してみてね^^

そんなこたあどうでもいいか(笑)
でも、思わずそんなこともしたくなるくらいに広いんです
なんでもここだけで約1700㎡あるようですよ^^

そしてこのツゲの植え込みはただ植えてあるだけじゃない
当時の柱の位置にあり壁の広がりを表わしているということです
これで14棟の掘立柱建物跡がわかるようになっています
なるほど、考えられています^^
この石段も当時のものだろうか?

あり?とっちん・・・いつのまに?

こちらは南側の「監視台跡?」と書いてあった出丸跡
中世城の特徴として、田中城には石垣は築かれていません
この山の特徴をうまく活かして築かれた城なのでしょう
登ったほうとは反対側に下りてみることに^^
こちらには「弾正(だんじょう)屋敷跡」なるものが

和仁弾正親範、次男の屋敷だったのではないかと伝えられているとか
じゃ、他の二人の屋敷はいずこに?

ぐるっとまわってみていると、西側にこんなものが!

なんと磨崖仏じゃありませんか
下の四角い穴はよくわかりませんが、7人おられました^^

この磨崖仏は、室町末期のもので三昧耶形(さんまいやぎょう)といい
左から鉢、如意、憧幡、中央に閻魔大王、蓮華、宝珠、錫杖の順に並んでいます

田中城の安泰を祈念して作られたとの言い伝えもあるようです
こうしてぐるっと1周して車に戻り、小田川を渡り田中城の南側へ
この小田川、別名「血波川」と呼ばれているんだとか
戦いの際に流された血で真っ赤に染まった水が何日間も流れていたといわれることから
こう呼ばれているそうです、ぎゃ~(><)
そして田中城の南側に行くと
さっきまでの砂利の駐車場とは違い、立派な駐車場がありました
なあんだ、こっちが本来の入り口だったのね~(笑)
和仁勘解由親実(わにかげゆちかざね)・人鬼親宗(じんきちかむね)
弾正親範(だんじょうちかのり)の和仁三兄弟の石像がありました
うう、怖い^^;

戦国期の歴史を物語る貴重な遺構「田中城跡」
なかなかおもしろいところでした
2月12日にはここで「戦国肥後国衆まつり」が行われるようですよ

<田中城跡>
[アクセス]地図はコチラ