熟年夫婦もGWに突入しました
ということで、今日は朝4時頃には家を出発しました♪
さて向かったのは・・・休日千円のうちにちょっと遠出しましょう
でも大混雑だろうなぁ^^;
さて、先週土曜日の話がまだまだ!
スイーツをお買い上げした後は帰宅するのかなと思ったら
「何言ってんの!」と怒られました^^;
この日は相当に調べ上げてたようで、熟年マニアックブログならではのネタが続きます^^
山鹿市の一本松公園の西隣に蒲生という地区があります
そこにとっちんを惹きつける何かがあったようです^^
着いたのはこんな小さなお堂の前、「岩隣寺」です

まずは大きな仁王像が迎えてくれますが、なんだか痛々しいぞ
この仁王像は、もともと隣の菅原神社前にあったものだそうです

こういった片田舎にも「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の歴史があったのでしょうか
廃仏毀釈とは明治新政府が1868年に発した神仏分離令によって
引き起こされた仏教施設の破壊運動のことです
とっちんを惹きつけたのはこのレリーフ観音だったようです^^
レリーフ観音のご本尊は、凝灰岩の板碑に彫られていました
うーん、遠目に見る限り観音様より、仁王様に似ているような
優しく微笑んでいるのは見て取れます^^
このお寺のすぐ横には「蒲生の菅原神社」があります
神額には天満宮とだけ書かれています
こちらにもいろいろと面白いものがありましたよ
狛犬さんですが、見た瞬間思わず二人で笑ってしまいました

とっちんが「細マッチョだ」と叫んでいました(笑 )
今まで見た中で腰のくびれは一番ではないかな
石灯篭一つをとっても時の流れが感じられます
一滴の力、凄いですね
神社自体は小さいのに、楼門は立派です
門をくぐる時は見上げーる^^
門の中を除いてみると、これまた何でしょう
卵形の石が二つ並んでいます
たぶんですが、これは「鎮懐石」といって
神功皇后が応神天皇を懐胎しながら新羅へ向かって兵を出された時に
卵形の美石2個を求めて肌身に抱き鎮懐として出産の延期を祈られた
願は叶って、帰国後宇美にて応神天皇を御安産された
そこで世人は卵形の美石を鎮懐石と称してその奇魂を崇拝するようになった
でも肌身に抱くには大きすぎる気がするんですが^^
これは、小さいながらも臥竜梅ですね♪
拝殿もこじんまりしていますが
彫刻はそれなりに見ごたえありましたよ
そりゃあ、大分には到底、適いませんけど^^
こちらの御神木が真っ直ぐと伸びて美しかった
樹肌がノミで削られたような黒い紋様で覆われていました
岩隣寺はたぶん、あの不動岩の隣という意味なんでしょうね
でも遠い隣だなぁ^^
ということで、今日は朝4時頃には家を出発しました♪
さて向かったのは・・・休日千円のうちにちょっと遠出しましょう
でも大混雑だろうなぁ^^;
さて、先週土曜日の話がまだまだ!
スイーツをお買い上げした後は帰宅するのかなと思ったら
「何言ってんの!」と怒られました^^;
この日は相当に調べ上げてたようで、熟年マニアックブログならではのネタが続きます^^
山鹿市の一本松公園の西隣に蒲生という地区があります
そこにとっちんを惹きつける何かがあったようです^^
着いたのはこんな小さなお堂の前、「岩隣寺」です

まずは大きな仁王像が迎えてくれますが、なんだか痛々しいぞ
この仁王像は、もともと隣の菅原神社前にあったものだそうです


こういった片田舎にも「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の歴史があったのでしょうか
廃仏毀釈とは明治新政府が1868年に発した神仏分離令によって
引き起こされた仏教施設の破壊運動のことです
とっちんを惹きつけたのはこのレリーフ観音だったようです^^

レリーフ観音のご本尊は、凝灰岩の板碑に彫られていました

うーん、遠目に見る限り観音様より、仁王様に似ているような
優しく微笑んでいるのは見て取れます^^
このお寺のすぐ横には「蒲生の菅原神社」があります
神額には天満宮とだけ書かれています

こちらにもいろいろと面白いものがありましたよ
狛犬さんですが、見た瞬間思わず二人で笑ってしまいました


とっちんが「細マッチョだ」と叫んでいました(笑 )
今まで見た中で腰のくびれは一番ではないかな
石灯篭一つをとっても時の流れが感じられます
一滴の力、凄いですね

神社自体は小さいのに、楼門は立派です

門をくぐる時は見上げーる^^

門の中を除いてみると、これまた何でしょう
卵形の石が二つ並んでいます

たぶんですが、これは「鎮懐石」といって
神功皇后が応神天皇を懐胎しながら新羅へ向かって兵を出された時に
卵形の美石2個を求めて肌身に抱き鎮懐として出産の延期を祈られた
願は叶って、帰国後宇美にて応神天皇を御安産された
そこで世人は卵形の美石を鎮懐石と称してその奇魂を崇拝するようになった
でも肌身に抱くには大きすぎる気がするんですが^^
これは、小さいながらも臥竜梅ですね♪

拝殿もこじんまりしていますが

彫刻はそれなりに見ごたえありましたよ

そりゃあ、大分には到底、適いませんけど^^

こちらの御神木が真っ直ぐと伸びて美しかった
樹肌がノミで削られたような黒い紋様で覆われていました

岩隣寺はたぶん、あの不動岩の隣という意味なんでしょうね
でも遠い隣だなぁ^^

<岩隣寺、菅原神社>
[所在地]熊本県山鹿市蒲生1610
[アクセス]地図はコチラ
今日、とっちんはあるグループでのワラビ狩りに行ってきました
ハルリンドウが咲き乱れている急斜面を降ります

斜面を過ぎるとまるで養殖されているかのようにワラビがたっくさん!
たいした苦労もせずに小一時間で山のように採れました、重かった^^;

え、こんなところで?ってな感じのところでしたが
時期や温度でごろっと採れる場所が変わるそうで
地元の方が下見し、教えてくださったところに間違いはありませんでした
5キロ近くの収穫に大満足でした^^

さて昨日の続きです
相良寺から南に下り、鹿本町来民にやってきました^^
来民といえば柿のしぶを引いた渋うちわで有名ですが
今回は商店街の中ほどにある「ゆーくんち」に寄ってきました♪
「こんにちはー!!」
返事はありません、お留守でしょうか?
え、誰んちかって?^^
えへへ、「ゆーくんち」はこちらですよ!
返事がないのも当たり前、閉まっていましたから^^;
実は昭和12年から昭和46年までの34年間、来民郵便局として業務を行っていた建物なんです
郵便局だから「ゆーくんち」という名付けられたんだと思うんですが
親近感のわく名前がいいですよね^^
なかなかレトロな建物で、ちょっと昔の校舎を思い出しました
現在、館内はギャラリーになっていて展示会などが開催されているようです
建物の前には懐かしい井戸や赤い丸ポストがあります
この井戸は現役と何かに書いてあったけど、残念ながら壊れていました^^;
丸ポストは未だ現役、平日は2回の収集があります
平成11年には県の近代化遺産に指定されています
今後も地域の交流に活用されていくことでしょう
あ~、中に入ってみたかったな~
すぐ前の道路にあったマンホール、山鹿鹿本らしい絵柄ににっこりです^^
さて、それから西に向かいスイーツを手に入れることにしました
鹿校通りにある「パティスリーNONAKA」さんです
そんなに大きくはありませんが、美味しそうなケーキや焼き菓子がたくさんありましたよー♪
目移りしそうです
でもでも、熟年のお目当てはいつものようにこちら
もちろんプレーンをチョイスしました
他には「不動岩チョコシュー」と「とろーりプリン」を購入♪
「不動岩チョコシュー」って名前にちょっとウケル、むふふ^^
名前のように上のチョコのあたりは少し歯ごたえがあってなかなか美味しいです
絶品だったのは「とろーりプリン」
とろとろ具合といい甘さといい、言うことなし!
熟年家のNO1『うふ』プリンと争うくらいの絶品でした
そして「ののじロール」
あ、逆だった(笑)
でも逆にしても“の”の字には見えないくらいクリームがたっぷりこん♪
ひとくち食べて「ん?甘くない・・」
ふたくち食べて「やっぱり甘くない・・」
甘くない、甘くないで止まらな~い(笑)
これっていいんじゃない!
甘すぎるロールケーキが多い中、この甘さかなり抑えめなクリームは熟年にはもってこいです^^
スポンジの方がやや甘な感じ
ただ、スポンジが少し硬めなのが惜しいな^^;
でもプリンは3本の指に入るものでした
「ご馳走様でしたーー!」
ハルリンドウが咲き乱れている急斜面を降ります

斜面を過ぎるとまるで養殖されているかのようにワラビがたっくさん!
たいした苦労もせずに小一時間で山のように採れました、重かった^^;

え、こんなところで?ってな感じのところでしたが
時期や温度でごろっと採れる場所が変わるそうで
地元の方が下見し、教えてくださったところに間違いはありませんでした
5キロ近くの収穫に大満足でした^^

さて昨日の続きです
相良寺から南に下り、鹿本町来民にやってきました^^
来民といえば柿のしぶを引いた渋うちわで有名ですが
今回は商店街の中ほどにある「ゆーくんち」に寄ってきました♪
「こんにちはー!!」

返事はありません、お留守でしょうか?
え、誰んちかって?^^
えへへ、「ゆーくんち」はこちらですよ!

返事がないのも当たり前、閉まっていましたから^^;
実は昭和12年から昭和46年までの34年間、来民郵便局として業務を行っていた建物なんです

郵便局だから「ゆーくんち」という名付けられたんだと思うんですが
親近感のわく名前がいいですよね^^

なかなかレトロな建物で、ちょっと昔の校舎を思い出しました

現在、館内はギャラリーになっていて展示会などが開催されているようです

建物の前には懐かしい井戸や赤い丸ポストがあります


この井戸は現役と何かに書いてあったけど、残念ながら壊れていました^^;
丸ポストは未だ現役、平日は2回の収集があります
平成11年には県の近代化遺産に指定されています
今後も地域の交流に活用されていくことでしょう
あ~、中に入ってみたかったな~

すぐ前の道路にあったマンホール、山鹿鹿本らしい絵柄ににっこりです^^

さて、それから西に向かいスイーツを手に入れることにしました
鹿校通りにある「パティスリーNONAKA」さんです

そんなに大きくはありませんが、美味しそうなケーキや焼き菓子がたくさんありましたよー♪



目移りしそうです
でもでも、熟年のお目当てはいつものようにこちら

もちろんプレーンをチョイスしました
他には「不動岩チョコシュー」と「とろーりプリン」を購入♪

「不動岩チョコシュー」って名前にちょっとウケル、むふふ^^
名前のように上のチョコのあたりは少し歯ごたえがあってなかなか美味しいです
絶品だったのは「とろーりプリン」
とろとろ具合といい甘さといい、言うことなし!
熟年家のNO1『うふ』プリンと争うくらいの絶品でした
そして「ののじロール」

あ、逆だった(笑)
でも逆にしても“の”の字には見えないくらいクリームがたっぷりこん♪
ひとくち食べて「ん?甘くない・・」
ふたくち食べて「やっぱり甘くない・・」
甘くない、甘くないで止まらな~い(笑)
これっていいんじゃない!
甘すぎるロールケーキが多い中、この甘さかなり抑えめなクリームは熟年にはもってこいです^^
スポンジの方がやや甘な感じ
ただ、スポンジが少し硬めなのが惜しいな^^;
でもプリンは3本の指に入るものでした
「ご馳走様でしたーー!」
<ゆーくんち>
[所在地]熊本県山鹿市鹿本町来民1633-1
[アクセス]地図はコチラ
<パティスリーNONAKA>
[所在地]熊本県山鹿市鹿校通り2丁目9-17
[TEL] 0968-44-8355
[営業時間 ]10:00~20:00
[定休日] 不定休
[アクセス]地図はコチラ
またまた、石橋なんですがよかったらお付き合い下さいませ♪
この日、三つ目の石橋です^^
国道3号線から県道18号線に入り鹿北から菊花方面に向かいました
途中、冷や水湧水の小川内水汲み場を通ったので少し休憩して水をいただくことに
冷たくて美味しかった~^^
集落の水道水としても利用されていると書いてありました
横にある花壇にはいろいろな花が植えられていて手入れもよくされていました
地域の方々が大事にされているのがわかり、すごく気持ちがよかったです
そこから少し行くと見えてくるのが「田中橋(たんなかばし)」です
安政5年(1858年)に架橋され、鹿北地区で最古の石橋だそうです
通称、化巖矼(けごんこう)とか車橋(くるまばし)と呼ばれています
石工は藤左衛門、藤兵衛、長さは14.3m、幅は3.25m
石碑がありました
説明にある「「藤からむ巌(いわお)と化せよ車橋」の句を見つけましたよ♪
この時季、藤の花に彩られているだろうとかなり期待して訪れたのですが
葉っぱがしょぼしょぼ、見事に裏切られてしまいました^^;
いやいや、ちょっと待てよ!石工の名前をよく見て!
藤左衛門さんと藤兵衛さんじゃありませんか♪
もしかして「藤」ってこの二人のことなんじゃないですかね?
いやいやWコロンの“ねずっち”みたくなぞかけみたいですが
あながち間違ってはいないかもです^^v
いつまで現役だったかはわかりませんが
舗装もされず、昔からの姿をとどめている橋、素晴らしいですね^^
そして「何かあるかもしれない」と言って、脇道へと入っていこうとするらぼっち
ん?何か反応したか??
ほ~~、ありましたよ^^
そばの標柱には市指定文化財、樹齢400年「本多久のムク」と書いてありました
台風で上部が折れてしまったようですが
他の木や蔦と絡み合って、とりあえずは元気のようです
この後「お、あそこに神社が!大きな木が何本か見えるよ!」ととっちんが言うも
とっととUターンして県道に戻るらぼっちでした(笑)
神社は多久神社、残念ながららぼっちの琴線には触れなかったようです^^;
そしてびゅーんと鹿本に行くつもりだったのですが
この日はなぜか、予定通りにはいかない日
急遽、ちょっと相良寺(あいらじ)に行ってみようかとなりました
実はご本尊の丈六座身(じょうろくざしん)の十一面千手観音を拝見したかったのです
なんせ木彫座像千手観音としては国内最大級の大きさだということですから^^
下の広い駐車場に車を止め、お土産屋さんを横目に見ながら歩きました
なんだ、ここにも駐車場があったのか
そう思いながらそばにあった説明を読んでみると
な、なに~、邪馬台国~? 卑弥呼~?ここもか・・・
邪馬台国には諸説あるようですからね^^;
参道の桜はすっかり青々とした葉っぱになっていました
ここ相良寺は天台宗総本山比叡山延暦寺の末寺で
宗祖伝教大師最澄上人が約1200年前(平安時代)に開かれたお寺だということです
境内には近くの「アイラトビカズラ」が分植されているんですね
ありゃ~ん、開いてなーい(泣)
観音さまが見れない
ガラス越しに見たいと思っても、中にはたくさんの人がいらっしゃるし
横には受付の女性の方々もおいでになるし、覗けなかった^^;
仕方がないので仁王さんをじっくり拝見

仁王さんの前にはそれぞれどなたかいらっしゃいました、誰?

ひときわ赤くて目に付く鐘楼がありました
ニヤッ♪
もちろん、つきましたとも!!
「いくよーー、せーのー、1、2、3!」「はい??・・・・・」
あっちゃーー、熟年夫婦の息の合わないこと(笑)
なに?1、2、3って・・・
普通、“せーのー”の次はつくと思うでしょ^^;
そして珍しい黄色いだるまを見ていると
良く似た人が・・・ん?本人さんたち?
あらーーー、ユカマサのユカちゃんとマサくんじゃあ~りませんか(笑)
も~、びっくりでした
日輪寺からまわってきたとのことで、順路も一緒でした@@
そこで、ここは安産や子授けに関してはかなり有名なお寺だということを聞きました
どおりで子供連れのご家族が多いわけだと、納得しました^^
息子っち君に会いたかったけど、車でネンネしてるとのことで
少し話をしてお別れし、熟年も相良寺を後にしました
この日、三つ目の石橋です^^
国道3号線から県道18号線に入り鹿北から菊花方面に向かいました
途中、冷や水湧水の小川内水汲み場を通ったので少し休憩して水をいただくことに

冷たくて美味しかった~^^
集落の水道水としても利用されていると書いてありました
横にある花壇にはいろいろな花が植えられていて手入れもよくされていました
地域の方々が大事にされているのがわかり、すごく気持ちがよかったです
そこから少し行くと見えてくるのが「田中橋(たんなかばし)」です

安政5年(1858年)に架橋され、鹿北地区で最古の石橋だそうです

通称、化巖矼(けごんこう)とか車橋(くるまばし)と呼ばれています
石工は藤左衛門、藤兵衛、長さは14.3m、幅は3.25m
石碑がありました
説明にある「「藤からむ巌(いわお)と化せよ車橋」の句を見つけましたよ♪

この時季、藤の花に彩られているだろうとかなり期待して訪れたのですが
葉っぱがしょぼしょぼ、見事に裏切られてしまいました^^;

いやいや、ちょっと待てよ!石工の名前をよく見て!
藤左衛門さんと藤兵衛さんじゃありませんか♪
もしかして「藤」ってこの二人のことなんじゃないですかね?
いやいやWコロンの“ねずっち”みたくなぞかけみたいですが
あながち間違ってはいないかもです^^v

いつまで現役だったかはわかりませんが
舗装もされず、昔からの姿をとどめている橋、素晴らしいですね^^

そして「何かあるかもしれない」と言って、脇道へと入っていこうとするらぼっち
ん?何か反応したか??
ほ~~、ありましたよ^^

そばの標柱には市指定文化財、樹齢400年「本多久のムク」と書いてありました
台風で上部が折れてしまったようですが
他の木や蔦と絡み合って、とりあえずは元気のようです
この後「お、あそこに神社が!大きな木が何本か見えるよ!」ととっちんが言うも
とっととUターンして県道に戻るらぼっちでした(笑)
神社は多久神社、残念ながららぼっちの琴線には触れなかったようです^^;
そしてびゅーんと鹿本に行くつもりだったのですが
この日はなぜか、予定通りにはいかない日
急遽、ちょっと相良寺(あいらじ)に行ってみようかとなりました
実はご本尊の丈六座身(じょうろくざしん)の十一面千手観音を拝見したかったのです
なんせ木彫座像千手観音としては国内最大級の大きさだということですから^^
下の広い駐車場に車を止め、お土産屋さんを横目に見ながら歩きました

なんだ、ここにも駐車場があったのか
そう思いながらそばにあった説明を読んでみると

な、なに~、邪馬台国~? 卑弥呼~?ここもか・・・
邪馬台国には諸説あるようですからね^^;

参道の桜はすっかり青々とした葉っぱになっていました
ここ相良寺は天台宗総本山比叡山延暦寺の末寺で
宗祖伝教大師最澄上人が約1200年前(平安時代)に開かれたお寺だということです
境内には近くの「アイラトビカズラ」が分植されているんですね

ありゃ~ん、開いてなーい(泣)
観音さまが見れない

ガラス越しに見たいと思っても、中にはたくさんの人がいらっしゃるし
横には受付の女性の方々もおいでになるし、覗けなかった^^;

仕方がないので仁王さんをじっくり拝見


仁王さんの前にはそれぞれどなたかいらっしゃいました、誰?


ひときわ赤くて目に付く鐘楼がありました

ニヤッ♪

もちろん、つきましたとも!!
「いくよーー、せーのー、1、2、3!」「はい??・・・・・」

あっちゃーー、熟年夫婦の息の合わないこと(笑)
なに?1、2、3って・・・
普通、“せーのー”の次はつくと思うでしょ^^;
そして珍しい黄色いだるまを見ていると

良く似た人が・・・ん?本人さんたち?
あらーーー、ユカマサのユカちゃんとマサくんじゃあ~りませんか(笑)
も~、びっくりでした
日輪寺からまわってきたとのことで、順路も一緒でした@@
そこで、ここは安産や子授けに関してはかなり有名なお寺だということを聞きました
どおりで子供連れのご家族が多いわけだと、納得しました^^
息子っち君に会いたかったけど、車でネンネしてるとのことで
少し話をしてお別れし、熟年も相良寺を後にしました

<田中橋(たんなかばし)>
[所在地]熊本県山鹿市鹿北町多久
[アクセス]地図はコチラ
<相良寺(あいらじ)>
[所在地]熊本県山鹿市菊鹿町相良370
[アクセス]地図はコチラ
サマータイム制の導入やATMの利用時間短縮、自販機の輪番停止などなど
企業もいろいろ試行錯誤しているようです
24時間営業のコンビニやファストフード店も節電対策を考慮中の様子
でも、年間を通してみると消費が多いのは各家庭の電力らしい
今年も我が家はゴーヤカーテンを作りますよ♪
前はゴーヤより葉っぱが茂ってカーテンとしての効能はたいしたもんだったので
今年はちゃんと実も葉もつけさせようと意気込んでいます
で、節電で思うんですけどね
テレビ放映を午前1時から午前5時まで休止するとか、どうですかね?
テレビショッピングで消費を拡大し景気回復につなげるのも一理あるかもしれません
でも需要と供給がかみ合わないとなると、各家庭に節電を呼びかけるだけでは無理でしょう
これからより良い日本にするために、今からでもできることをコツコツと
ひとりひとりが実践していこうじゃないですか、ねっ!
さて昨日は石橋で締めくくっておりましたが
今日も引き続き、石橋のお話^^
山鹿にはあの橋本勘五郎さんの石橋もあるんですよね
そりゃ肥後の石工ですから、あっても不思議じゃありません^^
明治14年に立て続けに築橋されたものが3つあったんです
なぜかこちらでは勘五郎というより、前の名前の丈八で通っています
熟年は国道3号線沿いにその橋があることを知らなかったので
日輪寺を出てを鹿北町のほうへ向かうことにしました
おっかしいな~、何度か通っているのに全然気付きませんでした^^;
最初に目指したのは「丸山橋」
広見小学校近くにあるはずなのに、残念ながら見つからず早々に引き揚げました
熟年にしては珍しいことでしょ^^
載っている橋の写真がイマイチ見たいという衝動に駆られなかったからなんです
気分を新たにもう少し北へ進みます
鹿北町岩野の交差点を過ぎ、500mくらい行くと左側に現れました^^
「高井川橋(たかいがわばし)」です

遠くから見ていかにも、って感じがします

旧国道3号建設に伴って明治政府の要請で架けられたものです
橋本丈八は勘五郎となる前の名前です
うんうん、こんなのも“らしい”遊び心ですよね^^

明治十四年とはっきり書いてありました

らしいといえば、こんな丸い欄干や装飾石もそうですよね
草でよく見えませんけど^^;

国道としての役目は終えましたが、今でも現役、堂々とした雄姿を見せています
下から覗いてみたいと思い、下りれるところを探すも
どう頑張っても下りれそうになく、諦めることとなりました

こちら側の親柱はちょっとさびしい限り

傾きかけているし、手前にはゴミステーションがあります
何か書いてあるようだけど・・・よくわかりませんでした
願わくば、近代的な柵は取り外してもらいたいものですが
小学校も近いし危いので致し方ありませんね^^;

さてここから八女方面に500mくらい行くとあるのが「弁天橋」です

別名を「園木橋(そのぎばし)」と言います
弁天は地区名、どうしてこの別名がついているのでしょうね
こちらも旧国道3号の開通に伴い架橋されたものだということです
現在は湯気のたっているJAの缶詰工場に行くための道路のような感じです
とりあえず下りなければ全く橋の写真が撮れないので
ずるずる滑りながら道もないところを下りてみました

長さが10.5m、幅は5.0mだということです
う~ん草がびっしりでよくわからな~い^^;

この時期にしては水量が多くて身動き取れず
陽の光の加減もあって、写真も少なくいい感想も書けません(笑)

「高井川橋」がとても立派だったし、扱いもちょっと違うようで
らぼっちなんか簡単に橋上を一往復しただけだったし(下りる気配さえなかった^^;)

本当に同じ明治十四年に掛けられたのかな
なんだか微妙~な感じでここを後にしました
さ~て、勘五郎の“橋”は終わりにして次の“橋”に行ってみよ~か♪
<高井川橋>
[アクセス]地図はコチラ
<弁天橋>
[アクセス]地図はコチラ
今日は25度を越える夏日でしたね
暑かった~、我が家はまだ窓が開いています^^
今から猛暑が怖くなります、今年はどうだろ・・・
さて今日は「日輪寺(にちりんじ)」のお話です
今日も今日とて、長くなりますのでご覚悟を(笑)
山鹿を紹介する「山鹿探訪ナビ」にはこう紹介されています
『日輪寺は、平安時代に天台宗の寺として開山され、鎌倉時代に曹洞宗に改められました。
菊池武時、加藤清正、細川忠利ら歴代の領主より手厚く庇護された名刹です。
昭和44年、日輪寺裏山でつつじ育苗園を造成中
古墳時代前期の竜王山古墳が発見され話題を呼びました。
長い歴史を持つ寺であるため、境内には多くの史跡があります。』
あっれ~?天台宗から曹洞宗に改宗?
高森の含蔵寺と同じだ、結構そういうこと多かったんですね^^;
「鐘楼門」です
丸い窓がいい感じ^^
梯子があったのでちょっと登って中を拝見!
室町時代に菊池家12代、菊池武時が迎え
日輪寺を最興した天菴懐義(てんあんえぎ)が1358年に勧進鋳造したものだとか
高さ115cm、直径79cmあり山鹿市の指定文化財に指定されています
こちらはラカン槙の木
菊池家12代、菊池武時が手植えしたとされていることで樹齢は680年くらいになる?
幹周りが2.4m、樹高が約25mあります
こんな大きな槙の木は見たことないかも^^
そのラカン槙の前に「観音堂」があります
閉まっていたので、肉眼でもよく見えません
どうしても十一面観音様が見たくてカメラをガラスに貼り付けて撮ってみました
よかった~、どうにか写ってた^^
その横には「赤穂浪士遺髪搭」があります
なぜここに遺髪搭があるかはこちら↓をクリックしてください(すっごい手抜き^^;)
そしてそのまた横に「蛍塚」といわれる芭蕉の句碑があります
芭蕉がここに来たわけではないのですね
そしてまたまたその横に菊池武時公息女「了心素覚尼」のお墓
えらくまた騒々しいところにありますね
これじゃゆっくり眠れないんじゃないかな^^;
ここでやっと案内図がありました(大きくして見てね)
本堂に着きました
おっさん、入っちゃってるじゃん(笑)
本堂の右側にあったお地蔵様たち
なぜかみんな笑っていらっしゃる、こちらも自然と笑みがこぼれます^^
こちらは水子地蔵尊
横に入り口があります
ここで大佛拝観料250円払って、登りましょうかね
ありゃ~ん、案内人ならぬ案内猫ちゃんがいましたよ♪
で、そこの橋までの10mを案内してもらって
ん?これは案内とは言わない?ま、いいじゃないですか(笑)
小高いところに見える建物では精進料理がいただけるそうです
予約制ですけどね^^
弘法大使像のところで脇道にそれ、少し登ったところには「大石内蔵助」の像がありました
細川藩邸が預かった十七士の中にはこの大石内蔵助良雄がいたのですね~
毎年2月4日の義士命日には、ここ日輪寺の遺髪搭前で「義士まつり」が行われるということです
こちらは菊池武時公のお墓
ご息女と違って誰も来ないようなすごーく静かなところにありました
金毘羅堂の鳥居、もみじの若葉がそれはそれはきれいでした
その奥には「石体観音三十三基」なる石仏がありました
こちらも市の指定文化財となっています
三十三体もあったかな?数えてないけど^^;
さ、本来の道に戻りますよ
やっぱり、紅葉シーズンもよさげです^^
石段を登りきると、どーんと立って?おられました
この方が「おびんずるさま」でございます
「おびんずるさま」とは釈迦如来のお弟子様、十六羅漢のひとりで
衆生の無病息災、病気平癒などを願う半臥(はんが)撫で佛様(びんずる尊者)のことです
正面から見ると定かではありませんが
横から坂を登って行くと半臥の状態がよくわかります、ね!
ここで「左手に載っているのは○ンチ?」などと不届きなことを言うらぼっち
「んじゃなかったら、スライム♪」
こんなヤツはほっときましょう!
さあ、おびんずるさまのわき腹から入っていきますよ~^^
写真を撮る了解をいただきました
中ではご本尊様を前に、撫で佛様が横になっておられます
作法を教えていただきながらお参りします
暑かった~、我が家はまだ窓が開いています^^
今から猛暑が怖くなります、今年はどうだろ・・・
さて今日は「日輪寺(にちりんじ)」のお話です
今日も今日とて、長くなりますのでご覚悟を(笑)

山鹿を紹介する「山鹿探訪ナビ」にはこう紹介されています
『日輪寺は、平安時代に天台宗の寺として開山され、鎌倉時代に曹洞宗に改められました。
菊池武時、加藤清正、細川忠利ら歴代の領主より手厚く庇護された名刹です。
昭和44年、日輪寺裏山でつつじ育苗園を造成中
古墳時代前期の竜王山古墳が発見され話題を呼びました。
長い歴史を持つ寺であるため、境内には多くの史跡があります。』
あっれ~?天台宗から曹洞宗に改宗?
高森の含蔵寺と同じだ、結構そういうこと多かったんですね^^;
「鐘楼門」です

丸い窓がいい感じ^^
梯子があったのでちょっと登って中を拝見!

室町時代に菊池家12代、菊池武時が迎え
日輪寺を最興した天菴懐義(てんあんえぎ)が1358年に勧進鋳造したものだとか
高さ115cm、直径79cmあり山鹿市の指定文化財に指定されています
こちらはラカン槙の木

菊池家12代、菊池武時が手植えしたとされていることで樹齢は680年くらいになる?

幹周りが2.4m、樹高が約25mあります
こんな大きな槙の木は見たことないかも^^
そのラカン槙の前に「観音堂」があります

閉まっていたので、肉眼でもよく見えません
どうしても十一面観音様が見たくてカメラをガラスに貼り付けて撮ってみました
よかった~、どうにか写ってた^^

その横には「赤穂浪士遺髪搭」があります

なぜここに遺髪搭があるかはこちら↓をクリックしてください(すっごい手抜き^^;)

そしてそのまた横に「蛍塚」といわれる芭蕉の句碑があります
芭蕉がここに来たわけではないのですね

そしてまたまたその横に菊池武時公息女「了心素覚尼」のお墓

えらくまた騒々しいところにありますね
これじゃゆっくり眠れないんじゃないかな^^;
ここでやっと案内図がありました(大きくして見てね)

本堂に着きました

おっさん、入っちゃってるじゃん(笑)
本堂の右側にあったお地蔵様たち
なぜかみんな笑っていらっしゃる、こちらも自然と笑みがこぼれます^^

こちらは水子地蔵尊

横に入り口があります

ここで大佛拝観料250円払って、登りましょうかね
ありゃ~ん、案内人ならぬ案内猫ちゃんがいましたよ♪


で、そこの橋までの10mを案内してもらって
ん?これは案内とは言わない?ま、いいじゃないですか(笑)

小高いところに見える建物では精進料理がいただけるそうです
予約制ですけどね^^
弘法大使像のところで脇道にそれ、少し登ったところには「大石内蔵助」の像がありました

細川藩邸が預かった十七士の中にはこの大石内蔵助良雄がいたのですね~
毎年2月4日の義士命日には、ここ日輪寺の遺髪搭前で「義士まつり」が行われるということです
こちらは菊池武時公のお墓
ご息女と違って誰も来ないようなすごーく静かなところにありました

金毘羅堂の鳥居、もみじの若葉がそれはそれはきれいでした

その奥には「石体観音三十三基」なる石仏がありました
こちらも市の指定文化財となっています

三十三体もあったかな?数えてないけど^^;
さ、本来の道に戻りますよ
やっぱり、紅葉シーズンもよさげです^^

石段を登りきると、どーんと立って?おられました
この方が「おびんずるさま」でございます

「おびんずるさま」とは釈迦如来のお弟子様、十六羅漢のひとりで
衆生の無病息災、病気平癒などを願う半臥(はんが)撫で佛様(びんずる尊者)のことです

正面から見ると定かではありませんが
横から坂を登って行くと半臥の状態がよくわかります、ね!

ここで「左手に載っているのは○ンチ?」などと不届きなことを言うらぼっち
「んじゃなかったら、スライム♪」
こんなヤツはほっときましょう!
さあ、おびんずるさまのわき腹から入っていきますよ~^^

写真を撮る了解をいただきました
中ではご本尊様を前に、撫で佛様が横になっておられます

作法を教えていただきながらお参りします
自身の体の悪いところを触ってお願いしてください、とのことで撫でまくるらぼっち
最後はご丁寧に頭まで、そうそうそこが一番大事^^

ここを管理のご婦人に伺いました
「おびんずるさまは何で出来ていますか」
「グラスファイバーで出来ています」
「何を持っておられるのですか」
「あれは蓮の実ですよ」
と教えてくださいました
「ああ、そうですか」と納得とも落胆ともとれない表情のらぼっち
何を期待していたんだ?
ありがとうございました、と出たところで
「あ、何も触ってないし、お願いもしてない!」カメラマンに徹したとっちんなのでした^^;
いいや、おびんずるさまの後頭部にお願いしとこ!(笑)

最後はは駐車場から見えていた石橋にGO!
県指定重要文化財の「湯町橋」です
豊後街道が吉田川を渡る山鹿口に架かっていたものを昭和49年に移設したものです

文化11年(1814年)石工・仁平の一門といわれる地元、鍋田の石工・吉兵衛らによって築かれました
楔石の銘文にそのことが記されています

熟年ふたり当然のことながら、裏から見てみますと
こんなところが・・・

石の合わせ方もさることながら、いろんな大きさの傷の跡
道具も数種類あって削ったんだろうな~
県下でも2番目に古く、山鹿の石橋の中でも大きいものだとか
かの篤姫が通ったとかいう話もあった、ほんとかな?

いやいや日輪寺って見どころ満載でした♪
貴重な体験もしたし、つつじも綺麗だったし大満足しました

<日輪寺>
[所在地]熊本県山鹿市杉1607
[アクセス]地図はコチラ
一昨日の土曜日、山鹿にある「日輪寺公園」のつつじが
週末に満開という予想だったので、雨が上がった朝から出かけてきました
公園には200本余りの桜があるということですが
こちらにはつつじの頃に是非来てみたいと思っていたところです
35000株のつつじが咲き誇るらしいですもんね~^^
9時半過ぎに着いたので、駐車場もまだガラ~ンとしていました
「つつじ祭り」開催中なので駐車料金を300円払います
わあ、山の斜面いっぱいにつつじが楽しめるようですね
んん~?^^;
あ~っら~、まだ咲いてないのが多い?
手前のほうは“ひらどつつじ”、まだちょっと早いようです^^;
カーブを二つ曲がったあたりからぽつんぽつんと咲いていました
おや!これはおにぎり太郎さんのところで見たウコンザクラ(鬱金桜)じゃないかいな^^
1本だけ、枝ぶりが少し寂しい感じで咲いていました
もう少し上に行くとやっと満開のつつじをきれいに見えるところになりました
これで桜が満開だったら言うことなしなんですけどね~、贅沢か^^;
八重桜はまだ咲いていて、大きめの花びらが散っているのも風情がありました
ここの風景もいいですね^^
こんなのが立っていました
古くはありませんが、ここが古墳なので置いてあるようです
あそこが頂上みたいですね
おっさんがえっちらおっちら登っています^^;
近道なんか無理せずに当たり前の道を行けばよかったのに、ふうふうでした(笑)
へえ~、県北で最も古い古墳ですって?
どれどれ?
・・・・これだけ、でした^^;
ほかにこういうのがありましたが、詳しいことはわかりません
頂上から見た風景です
やっぱり桜の時期もよかったんだろうな~^^
下りる途中で見上げた写真も撮ってみました
これは薄日が射して輝いていたつつじ、とってもきれいだったんですよ~♪
仲良く語られていたお二人、いい雰囲気でした^^
あ、ラボ!!
間違っちゃった(笑)
向こう側にもつつじが見えたので行ってみることに、墓地なんですけど^^;
さすがにお墓の間を通れないので横のほうから古墳のほうを見たところです
むふふ、右のほうに何か見えますよね
そのお話は明日しますから^^
昨日までちょうちんによるライトアップもされたようです
ちょうちんか~、どんな感じなんでしょうね
さて花よりだんご、ここでお昼ご飯のお話を^^
たぶんここでお昼になるだろうと思っていたので、朝、JA鹿本ファーマーズマーケット夢大地館に寄りました
そこで購入したのが山鹿温泉プラザ内にある「喜久家」さんのこちら
「うなぎめし」と
「旬の箱寿司アラカルト」です
ふたつとも360円、うなぎは六切れも入っていました、お買い得な感じ^^
これじゃ足らないかと思ってデザートも購入したのにもかかわらず
境内でこんなお弁当を売っておられたので、“つい”買ってしまいました
「精進弁当」500円ですよ、500円!
なかなか手が込んでいましたし、美味しかったです
で、デザート!(まだ食べるんかいって^^;)
えへへ、美味しかった~、満足満足♪
さ、明日は日輪寺散策ですよ~^^
(日輪寺つつじ祭り、ライトアップは昨日24日で終わっています)
週末に満開という予想だったので、雨が上がった朝から出かけてきました
公園には200本余りの桜があるということですが
こちらにはつつじの頃に是非来てみたいと思っていたところです
35000株のつつじが咲き誇るらしいですもんね~^^
9時半過ぎに着いたので、駐車場もまだガラ~ンとしていました
「つつじ祭り」開催中なので駐車料金を300円払います
わあ、山の斜面いっぱいにつつじが楽しめるようですね

んん~?^^;
あ~っら~、まだ咲いてないのが多い?

手前のほうは“ひらどつつじ”、まだちょっと早いようです^^;
カーブを二つ曲がったあたりからぽつんぽつんと咲いていました

おや!これはおにぎり太郎さんのところで見たウコンザクラ(鬱金桜)じゃないかいな^^
1本だけ、枝ぶりが少し寂しい感じで咲いていました

もう少し上に行くとやっと満開のつつじをきれいに見えるところになりました

これで桜が満開だったら言うことなしなんですけどね~、贅沢か^^;

八重桜はまだ咲いていて、大きめの花びらが散っているのも風情がありました

ここの風景もいいですね^^

こんなのが立っていました
古くはありませんが、ここが古墳なので置いてあるようです

あそこが頂上みたいですね

おっさんがえっちらおっちら登っています^^;

近道なんか無理せずに当たり前の道を行けばよかったのに、ふうふうでした(笑)

へえ~、県北で最も古い古墳ですって?

どれどれ?

・・・・これだけ、でした^^;
ほかにこういうのがありましたが、詳しいことはわかりません

頂上から見た風景です

やっぱり桜の時期もよかったんだろうな~^^
下りる途中で見上げた写真も撮ってみました

これは薄日が射して輝いていたつつじ、とってもきれいだったんですよ~♪

仲良く語られていたお二人、いい雰囲気でした^^

あ、ラボ!!

間違っちゃった(笑)
向こう側にもつつじが見えたので行ってみることに、墓地なんですけど^^;

さすがにお墓の間を通れないので横のほうから古墳のほうを見たところです

むふふ、右のほうに何か見えますよね
そのお話は明日しますから^^
昨日までちょうちんによるライトアップもされたようです
ちょうちんか~、どんな感じなんでしょうね
さて花よりだんご、ここでお昼ご飯のお話を^^
たぶんここでお昼になるだろうと思っていたので、朝、JA鹿本ファーマーズマーケット夢大地館に寄りました
そこで購入したのが山鹿温泉プラザ内にある「喜久家」さんのこちら
「うなぎめし」と

「旬の箱寿司アラカルト」です

ふたつとも360円、うなぎは六切れも入っていました、お買い得な感じ^^
これじゃ足らないかと思ってデザートも購入したのにもかかわらず
境内でこんなお弁当を売っておられたので、“つい”買ってしまいました

「精進弁当」500円ですよ、500円!
なかなか手が込んでいましたし、美味しかったです
で、デザート!(まだ食べるんかいって^^;)






えへへ、美味しかった~、満足満足♪
さ、明日は日輪寺散策ですよ~^^
(日輪寺つつじ祭り、ライトアップは昨日24日で終わっています)
<日輪寺>
[所在地]熊本県山鹿市杉1607
[アクセス]地図はコチラ
さて、今日も先週土曜日の探し物のお話です
昨年の阿蘇まるごと検定の勉強をしていた時に
公式テキストブック阿蘇の達人で、とても気になるものを見つけたんです
で、訪れた場所は、阿蘇山頂~!
まずは探し物が見つかりますようにとお参り♪
「阿蘇山西巌殿寺奥之院」です
縁結びでも有名なお寺で、熊本県にある二つの恋人の聖地の一つに認定されています♪
(もう一つは水俣にあるコチラ^^)
拝殿の入口に色とりどりの紐がぶら下がっていますね

これは五縁結びといって、赤、紫、黄、緑、白の5つの色にそれぞれ御利益があり
紐は本尊とつながって、直接仏様と縁結びができます
さて、らぼっちが手に取ったのは・・・
やはり紫の身体健全、病気平癒かい^^
どの色も縁の紐がつながり大きな塊になっています
相当な重さだな、こりゃ~^^
お参りしましょうか、でもこの十一面観音様への御真言は
目を閉じたら3回も唱えられないんですけど(笑)
残念ながら遠すぎて、十一面観音様とご対面することはできませんでした
その横には足手荒神堂もあります
なに、”足手荒神の前の黒い鏡石に触れて自分の病気や怪我の部分に触れると治る”ですと
はいよ、撫で撫でした後、腰、膝、肩、首、頭と全身さわりまくりましたよ^^
皆さんはこの横に更に「阿蘇山上神社」があるのはご存知ですか
熟年はここには初めてお邪魔します
木々がないのでさすがにちょっと殺風景です
ロープウェイはこの真横を上っていくんですよ^^
さて、ここで一つ目の探し物、「写経ヶ橋」です
公式テキストブックには
”阿蘇を開いた最栄読師(さいえいとくし)が1石1字の写経をして埋めたと言われており
邪な心の持ち主はもだえ苦しみ渡ることができない”と書かれています
そりゃー、熟年二人には邪心があるか確認しないとね^^
あれっ、由緒書きには「左京ヶ橋」となっていますね??
橋の前面の岩が大蛇に見えるですと?
早速、神社裏からの登山道を登っていきますが、橋がどこかよくわかりません
途中、避難トンネルのような場所があったんですが
老朽化により鉄筋が露出し腐っています
こりゃ登りすぎたね、と引き返していると、ちょうどロープウェイが上ってくるところでした
で、二人でたぶんここが蛇腹だよねと撮影したのが、この岩??
間違っていたら、ごめんなさいよ^^
結局、橋は神社の裏を出てからすぐの所にあったようです
まぁ、いつのまにか渡ることができたということは邪心はなかったということで^^
駐車場に下りてくると、おっと珍しいものが停まっています
「そらめぐりん」です
やっぱ天井がなく、広がる大空や阿蘇五岳などが眺められそうです
この日は青空ではなく残念でした
そして二つ目の探し物、本命の「古坊中の坂碑」です
阿蘇山上は、かつて火山信仰による山岳仏教の一大霊場でした
十四~十六世紀には、西巌殿を本堂として
僧侶の坊舎が三十七、山伏の庵が五十一も建ち並んでいました
常時300~400人の修行僧がいたと伝えられています
僧侶の居住する坊舎、参詣者の宿坊などの集まりを坊中といいます
残念ながら、16世紀後半の大友氏と島津氏の戦乱で焼失してしまいました
またもや大友氏か、いくつの寺や国宝を焼いたり壊したりしたのでしょうね、この方は!
その後、山頂の「古坊中」に対して、加藤清正によって再興されたのが
現在の阿蘇駅周辺の「麓坊中」です
(以前の記事はコチラをご覧なっせ^^)
さーて、でもこの広い草原でどうやって見つけろって言うの?
頼りは公式テキストブックに掲載されている写真のみ
背景の方向や大きさから推定するしかありません
山頂はミヤマキリシマのシーズンに合わせて草刈りがされていました
観光客を呼ぶというのはたいへんですねぇ
このおっさんはもうあきらめたか^^;
遊びたくもなるんですよね^^;
あっ、この枝は落ちてたものですから
そうして、ミヤマキリシマを!痛めないように歩き回ること1時間以上
とっちんが「あれっ!」と指差す方に何やら黒い物が
やったー、あったどー!
あ~、嬉しいよ♪
写真も何もなければ、絶対に見つけるのは不可能です
では正面から拝見させてもらいましょう^^
この正円の中に刻まれた梵字の意味はよくわかりませんが
熟年二人はうっとりと見とれてしまいました^^
梵字の源流は古代インドのブラーフミ文字が発祥で、その後仏教の文字観と結びつき
平安時代に空海、最澄が伝来させた仏教(密教)とともに日本に伝わりました
梵字の一文字が神仏を表しています
そこでこの梵字を調べてみました
この文字は「ウーン」と読み、守尊は「愛染明王」
愛染明王はインドではラ-ガといい、赤色とか愛情を意味する言葉です
恋愛を守り、叶えてくれる仏様で、身体が赤色に塗られているとか
この石碑に赤い模様があるのはそんな理由もあるのでしょうか
うーん、梵字、奥深いね♪
ちなみに、らぼっちは戌年だから
守護尊は「阿弥陀如来」で、守護梵字は「キリーク」
覚えとかんといかんね^^v
実は板碑はもう一つあるんですが、そちらは見つけることができませんでした
それは次回のお楽しみということにしときましょう^^
ところで、探索の途中でこんな跡をいたるところで見つけたんです
イノシシが遊んだヌタ場とは違いますよね
たぶん、ミヤマキリシマの盗掘跡ではないでしょうか
金峰山の仏像の破壊といい、阿蘇の貴重な植物の盗掘といい
人として許されない行為が横行するのは悲しすぎます
今回の板碑の場所は秘密にしておきます♪
もし、興味がある方は写真を元に探してみてください
見つけた時の嬉しさは、半端ないですから^^v
昨年の阿蘇まるごと検定の勉強をしていた時に
公式テキストブック阿蘇の達人で、とても気になるものを見つけたんです
で、訪れた場所は、阿蘇山頂~!

まずは探し物が見つかりますようにとお参り♪
「阿蘇山西巌殿寺奥之院」です

縁結びでも有名なお寺で、熊本県にある二つの恋人の聖地の一つに認定されています♪
(もう一つは水俣にあるコチラ^^)

拝殿の入口に色とりどりの紐がぶら下がっていますね

これは五縁結びといって、赤、紫、黄、緑、白の5つの色にそれぞれ御利益があり
紐は本尊とつながって、直接仏様と縁結びができます

さて、らぼっちが手に取ったのは・・・
やはり紫の身体健全、病気平癒かい^^
どの色も縁の紐がつながり大きな塊になっています
相当な重さだな、こりゃ~^^

お参りしましょうか、でもこの十一面観音様への御真言は
目を閉じたら3回も唱えられないんですけど(笑)
残念ながら遠すぎて、十一面観音様とご対面することはできませんでした

その横には足手荒神堂もあります

なに、”足手荒神の前の黒い鏡石に触れて自分の病気や怪我の部分に触れると治る”ですと
はいよ、撫で撫でした後、腰、膝、肩、首、頭と全身さわりまくりましたよ^^
皆さんはこの横に更に「阿蘇山上神社」があるのはご存知ですか
熟年はここには初めてお邪魔します

木々がないのでさすがにちょっと殺風景です
ロープウェイはこの真横を上っていくんですよ^^


さて、ここで一つ目の探し物、「写経ヶ橋」です
公式テキストブックには
”阿蘇を開いた最栄読師(さいえいとくし)が1石1字の写経をして埋めたと言われており
邪な心の持ち主はもだえ苦しみ渡ることができない”と書かれています
そりゃー、熟年二人には邪心があるか確認しないとね^^

あれっ、由緒書きには「左京ヶ橋」となっていますね??
橋の前面の岩が大蛇に見えるですと?
早速、神社裏からの登山道を登っていきますが、橋がどこかよくわかりません

途中、避難トンネルのような場所があったんですが
老朽化により鉄筋が露出し腐っています

こりゃ登りすぎたね、と引き返していると、ちょうどロープウェイが上ってくるところでした

で、二人でたぶんここが蛇腹だよねと撮影したのが、この岩??
間違っていたら、ごめんなさいよ^^
結局、橋は神社の裏を出てからすぐの所にあったようです
まぁ、いつのまにか渡ることができたということは邪心はなかったということで^^

駐車場に下りてくると、おっと珍しいものが停まっています
「そらめぐりん」です

やっぱ天井がなく、広がる大空や阿蘇五岳などが眺められそうです
この日は青空ではなく残念でした
そして二つ目の探し物、本命の「古坊中の坂碑」です
阿蘇山上は、かつて火山信仰による山岳仏教の一大霊場でした
十四~十六世紀には、西巌殿を本堂として
僧侶の坊舎が三十七、山伏の庵が五十一も建ち並んでいました
常時300~400人の修行僧がいたと伝えられています
僧侶の居住する坊舎、参詣者の宿坊などの集まりを坊中といいます
残念ながら、16世紀後半の大友氏と島津氏の戦乱で焼失してしまいました
またもや大友氏か、いくつの寺や国宝を焼いたり壊したりしたのでしょうね、この方は!
その後、山頂の「古坊中」に対して、加藤清正によって再興されたのが
現在の阿蘇駅周辺の「麓坊中」です
(以前の記事はコチラをご覧なっせ^^)
さーて、でもこの広い草原でどうやって見つけろって言うの?
頼りは公式テキストブックに掲載されている写真のみ
背景の方向や大きさから推定するしかありません

山頂はミヤマキリシマのシーズンに合わせて草刈りがされていました
観光客を呼ぶというのはたいへんですねぇ

このおっさんはもうあきらめたか^^;

遊びたくもなるんですよね^^;
あっ、この枝は落ちてたものですから

そうして、ミヤマキリシマを!痛めないように歩き回ること1時間以上
とっちんが「あれっ!」と指差す方に何やら黒い物が

やったー、あったどー!

あ~、嬉しいよ♪
写真も何もなければ、絶対に見つけるのは不可能です
では正面から拝見させてもらいましょう^^

この正円の中に刻まれた梵字の意味はよくわかりませんが
熟年二人はうっとりと見とれてしまいました^^

梵字の源流は古代インドのブラーフミ文字が発祥で、その後仏教の文字観と結びつき
平安時代に空海、最澄が伝来させた仏教(密教)とともに日本に伝わりました
梵字の一文字が神仏を表しています
そこでこの梵字を調べてみました
この文字は「ウーン」と読み、守尊は「愛染明王」
愛染明王はインドではラ-ガといい、赤色とか愛情を意味する言葉です
恋愛を守り、叶えてくれる仏様で、身体が赤色に塗られているとか
この石碑に赤い模様があるのはそんな理由もあるのでしょうか
うーん、梵字、奥深いね♪
ちなみに、らぼっちは戌年だから
守護尊は「阿弥陀如来」で、守護梵字は「キリーク」
覚えとかんといかんね^^v
実は板碑はもう一つあるんですが、そちらは見つけることができませんでした
それは次回のお楽しみということにしときましょう^^
ところで、探索の途中でこんな跡をいたるところで見つけたんです

イノシシが遊んだヌタ場とは違いますよね
たぶん、ミヤマキリシマの盗掘跡ではないでしょうか
金峰山の仏像の破壊といい、阿蘇の貴重な植物の盗掘といい
人として許されない行為が横行するのは悲しすぎます
今回の板碑の場所は秘密にしておきます♪
もし、興味がある方は写真を元に探してみてください
見つけた時の嬉しさは、半端ないですから^^v
夕べ遅くに長男からメールがありました
『GWは帰れない、歯抜けが酷いし仕事も忙しい』
ありゃま~、虫歯がひどくなったんだわ、こりゃたいへんだと
『そんなに虫歯が酷いの?どんだけ歯を抜くの?』と聞いたところ
『ちがうちがう、まとまった休みが微妙にないでしょ(笑)』
と返ってきました^^;
長男の言葉も足らないのだけど、受け取るほうもなんたる勘違い^^;
夜中にもかかわらず、二人して大笑いしてしまいました
代わりに今日次男からメールがあり、珍しくこの時期に帰ってくるとのこと
今から何を食べさせようかなんて考えている熟年なのです(笑)
さて先週、波野赤仁田の枝垂れ桜を見に行く前に寄ったところがあります
高森町にある「含蔵寺(がんぞうじ)」です
すぐ左の建物では弓を引いていらっしゃる方々がおられ、的に当たる音が響いていました
へえ~、宗派が変わることってあるんですね^^;
高森氏の菩提寺ってことで行ってみようとなったんですけど・・・
そしてその十一面観音様が見たかったというのもここに来た理由でした
おや、どちらから参ればよろしいのでしょうか?
ここはまっすぐに行きますよね^^
山門は比較的新しいようです
あら♪
どこからともなく現れたこのワンコ、福城寺を思いだすな~^^
でもここから先は付き合ってはくれませんでした
愛想尽かされたのかな^^;
そんなに広くはありませんが、良さげなところじゃないですか^^
おおーー、これですね、樹齢800年のモクセイは!
写真におさまりきれません^^;
花も咲いてないこの時期、もちろん匂いが漂うわけもないのですが
この大木でいっせいに咲いたらすごい匂いなんでしょうね~^^
代わりにすぐ近くにシャクナゲが咲いておりました
こちらは鐘楼門・・・ですよね
門のわりには通るところが狭い気もしますが(笑)
さて、上のほうに行ってみましょうか
石段の横にはずらーっとお地蔵様が並んでおられます
地蔵は、戦時中に身代わり本尊として厚く信仰されたということですよ
途中には2本の杉の巨樹がありました
石仏には「天保十一年」の文字が見えるものもあります
こちらが観音堂です
鍵がかかっていなかったので開けさせていただきお参りしました
目の前には静かに十一面観音様がおられました
台座から光背まで含めて約1mあるということです
熊本県のHPによると
「伝承によれば、含蔵寺はもともと十一面観音・不動尊・毘沙門天の観音三尊を奉じた
天台宗の寺院で享禄年間(1528~32年)に高森氏により建立されたといわれています。
高森惟直のころ、文渓和尚を招き禅宗(曹洞宗)に改めているようです。
天正14年(1586年)、島津氏との戦いで高森氏は高森城落城とともに滅び
含蔵寺も廃寺同然となりますが、細川氏の時代となった寛文6年(1666年)
高森氏旧臣で高森手永惣庄屋・武田忠左衛門が武田家の菩提寺として新たに堂宇(建物群)を建立し
本尊を釈迦如来に変え、観音三尊を現在の観音堂に安置したとされています。」
と書いてあるのですが、この仏像は十一面観音
じゃ、釈迦如来はいずこに?
『観音堂内部には「折り上げ格子天井」とよばれるふくらんだ天井があり
格子の区画には動物や植物が描かれています。』と何かに書いてありましたが
ふくらんでいるとはその時、全然思えませんでした^^;
観音堂の右手には大きなイチョウの木があり
左手には城主・高森伊予守惟直のお墓がありました
「高森殿の杉」の下で自刃したお方です
ここから先にはちょっと行く勇気がありませんでした
約1万坪あるといわれる境内には古木や梅林、いろんな草花が生い茂っているとのこと
四季折々に花々がいろんな彩りを見せてくれているのでしょうね
境内にあった珍しい色のツツジで今日はおしまいです^^
『GWは帰れない、歯抜けが酷いし仕事も忙しい』
ありゃま~、虫歯がひどくなったんだわ、こりゃたいへんだと
『そんなに虫歯が酷いの?どんだけ歯を抜くの?』と聞いたところ
『ちがうちがう、まとまった休みが微妙にないでしょ(笑)』
と返ってきました^^;
長男の言葉も足らないのだけど、受け取るほうもなんたる勘違い^^;
夜中にもかかわらず、二人して大笑いしてしまいました
代わりに今日次男からメールがあり、珍しくこの時期に帰ってくるとのこと
今から何を食べさせようかなんて考えている熟年なのです(笑)
さて先週、波野赤仁田の枝垂れ桜を見に行く前に寄ったところがあります
高森町にある「含蔵寺(がんぞうじ)」です

すぐ左の建物では弓を引いていらっしゃる方々がおられ、的に当たる音が響いていました

へえ~、宗派が変わることってあるんですね^^;
高森氏の菩提寺ってことで行ってみようとなったんですけど・・・
そしてその十一面観音様が見たかったというのもここに来た理由でした
おや、どちらから参ればよろしいのでしょうか?

ここはまっすぐに行きますよね^^
山門は比較的新しいようです

あら♪

どこからともなく現れたこのワンコ、福城寺を思いだすな~^^

でもここから先は付き合ってはくれませんでした
愛想尽かされたのかな^^;

そんなに広くはありませんが、良さげなところじゃないですか^^

おおーー、これですね、樹齢800年のモクセイは!

写真におさまりきれません^^;

花も咲いてないこの時期、もちろん匂いが漂うわけもないのですが
この大木でいっせいに咲いたらすごい匂いなんでしょうね~^^
代わりにすぐ近くにシャクナゲが咲いておりました

こちらは鐘楼門・・・ですよね
門のわりには通るところが狭い気もしますが(笑)

さて、上のほうに行ってみましょうか

石段の横にはずらーっとお地蔵様が並んでおられます
地蔵は、戦時中に身代わり本尊として厚く信仰されたということですよ

途中には2本の杉の巨樹がありました

石仏には「天保十一年」の文字が見えるものもあります

こちらが観音堂です

鍵がかかっていなかったので開けさせていただきお参りしました
目の前には静かに十一面観音様がおられました

台座から光背まで含めて約1mあるということです
熊本県のHPによると
「伝承によれば、含蔵寺はもともと十一面観音・不動尊・毘沙門天の観音三尊を奉じた
天台宗の寺院で享禄年間(1528~32年)に高森氏により建立されたといわれています。
高森惟直のころ、文渓和尚を招き禅宗(曹洞宗)に改めているようです。
天正14年(1586年)、島津氏との戦いで高森氏は高森城落城とともに滅び
含蔵寺も廃寺同然となりますが、細川氏の時代となった寛文6年(1666年)
高森氏旧臣で高森手永惣庄屋・武田忠左衛門が武田家の菩提寺として新たに堂宇(建物群)を建立し
本尊を釈迦如来に変え、観音三尊を現在の観音堂に安置したとされています。」
と書いてあるのですが、この仏像は十一面観音
じゃ、釈迦如来はいずこに?
『観音堂内部には「折り上げ格子天井」とよばれるふくらんだ天井があり
格子の区画には動物や植物が描かれています。』と何かに書いてありましたが
ふくらんでいるとはその時、全然思えませんでした^^;

観音堂の右手には大きなイチョウの木があり

左手には城主・高森伊予守惟直のお墓がありました
「高森殿の杉」の下で自刃したお方です

ここから先にはちょっと行く勇気がありませんでした
約1万坪あるといわれる境内には古木や梅林、いろんな草花が生い茂っているとのこと
四季折々に花々がいろんな彩りを見せてくれているのでしょうね
境内にあった珍しい色のツツジで今日はおしまいです^^

<含蔵寺>
[所在地]熊本県阿蘇郡高森町高森1809
[アクセス]地図はコチラ
今日の夕刊を見て驚きました
金峰山神社の大きな石像2体の手足が壊されたという記事がありました
無惨なそのお姿には怒りと悲しみが見てとれた方も多いのではないでしょうか
世の中、神をも恐れぬ大バカ者で、不届き者がいるんですね
もう、信じられません
早く捕まってほしいと強く願う「ゆるゆる仙隊神社らー」の熟年夫婦なのでした(>_<)
さて今日は、4月9日高森でのお話です
裏山にある豊年桜を見に行った際、前にも訪れた「高森阿蘇神社」にちょこっとだけお参り
社殿の横にそびえる夫婦杉もちゃんと見上げて元気をもらっていると
駐車場の掃除をしておられた氏子さんと思われるおじさんが近づいてこられました
挨拶の後、「あすけぇ書いてあるもんば見なはったな?」と言われます
あそこってどこ?何が書いてあるって?
ちんぷんかんぷんの熟年ふたりにおじさんは「ほぅあそこったい!」
指差された先はさっきお参りしたとんと横の壁
A4より少々大きいかなってくらいの紙が張ってありました(ちょっとわかりにくい^^;)
うんうん、南郷桧も夫婦杉も見ています、エドヒガン桜も見てきたところです^^
はいはい抜かりはありませんよ・・・
はぁ~~?スズメ蜂の巣??
「どこにですか?」と聞くと、ご親切にもまたまた夫婦杉まで戻って教えてくださいました
なんとまあ、見事なデッカイ蜂の巣、直径40cm以上あるでしょうか
「酒蔵の杉玉みたいだ!」と言ったらぼっちの言葉に思わず頷きました
今はもう蜂もいないということでしたが
まん丸できれいな模様もはっきりとわかるものは初めてみました
そしてカッコ書きの中の文章にふたりして目を見張りました
『鎌倉時代の阿弥陀如来坐像?』
すぐさま「見たい、行きたい」となり、おじさんにちょっと伺うと
それはそれは詳しく教えてくださいました
駐車場でもいろいろお話を伺い、お礼を言って車に乗り込もうとすると
またひとしきりの説明がありました
また、お礼を言って車に乗ると、土手の白い花を指して
「これ知っとるな?」と聞かれたので、再び降りて「知りません」と答えると
“アズマイチゲ”という花でこうして保護しておかないと採られるとのお話でした
はい、とりません!ハートマークがかわいい~♪
本当に話しやすく親切なおじさんでした、有り難かったです
地元を一生懸命愛していらっしゃるんだろうな~^^
と、ここで阿弥陀如来坐像を見る前にちょっとばかり来た道を戻り
まだ見ていなかった「御矢石」を探すことにしました
すると200mも行かないところにあったんですよ
なんだここだったのか、この鳥居はなんだろうかと思ってたんです
う~ん、なんて書いてあるのかい?
『高森阿蘇神社南方にあり、阿蘇神話によると阿蘇大明神が居を定めんと矢を放たれ
その矢があたった大石で矢尻の跡があり、雨降っても水たまらずと伝えられている
この地を御矢村といい、高森阿蘇神社を別名矢村社という。』
と書いてありました
その大石ってこれ?これしかないのでこれでしょう(笑)
そして矢尻の跡ってぇーのがこれじゃなかんべ?
大きくも思えますが、こんなもん?って感じもします
葉っぱゴミがたまっています、本当に水はたまらないんでしょうかね^^;
お地蔵さんもおられました
さ、次は阿弥陀如来様ですよ
神社を通り越して1.2km、「桜が咲いとる」とおじさんが言ってたっけ・・・
すごく慎重に標柱を探していたんですが、はい見事に素通りしてました^^;
2km以上は走っていたでしょう、もーどこ見てんだか(笑)
入り口の標柱がこれです
この道を下ると、いかにもっていう雰囲気の場所があります
近くに車が3台くらい停めれるところがあると聞いていたので、そこに停めて歩きます
おお~、ここに鎮座されているんですねー^^
いやその前にちょっとあたりを見てみましょう
ん?甲斐有雄さんって?はいはい裏に説明がありましたよ
旅人の安全を願い、私財を投げうって1800基余りの道しるべを建てた郷土の偉人だそうです
人々の幸福を願っていたるところに石仏を彫り安置したんだとか
あ、じゃあさっきの御矢石のところのお地蔵さんもそうだったのでしょうね
じゃ、阿弥陀如来様にお会いしましょう^^
ほえ~~~~、巨大じゃ~~~~@@
誰でも入っていいということだったので、靴を脱いで失礼します^^
あ、ラボはダメよ!!おとなしくそこにいなさい!!
まずは説明書きを^^
ほほう、小国満願寺からこのあたりは北条氏が支配していたんですね~
確かこの阿弥陀如来坐像は今は残ってない無量寺にあったものだと
おじさんが言われていたような気がします^^;
ではお待たせしました、阿弥陀如来坐像でーす
大きさはえ~っと3mいくつかあると言われていたような・・・
説明書きがあるだろうと思っていたので、適当に覚えていました
両脇にはいろいろな仏像が置かれていました
あ、ラボ、もう少し待ってなさい!!
ガラス越しなので反射してうまく写真が撮れません
頑張って何枚も撮って、これが一番のお顔でした
自分達の顔の十倍くらいの大きさはあったでしょうか
とても心が落ち着く優しいお顔でした
阿弥陀如来様にこんな場所でお目にかかれるなんて思ってもみませんでした^^
金峰山神社の大きな石像2体の手足が壊されたという記事がありました
無惨なそのお姿には怒りと悲しみが見てとれた方も多いのではないでしょうか
世の中、神をも恐れぬ大バカ者で、不届き者がいるんですね
もう、信じられません
早く捕まってほしいと強く願う「ゆるゆる仙隊神社らー」の熟年夫婦なのでした(>_<)
さて今日は、4月9日高森でのお話です
裏山にある豊年桜を見に行った際、前にも訪れた「高森阿蘇神社」にちょこっとだけお参り

社殿の横にそびえる夫婦杉もちゃんと見上げて元気をもらっていると
駐車場の掃除をしておられた氏子さんと思われるおじさんが近づいてこられました

挨拶の後、「あすけぇ書いてあるもんば見なはったな?」と言われます
あそこってどこ?何が書いてあるって?
ちんぷんかんぷんの熟年ふたりにおじさんは「ほぅあそこったい!」
指差された先はさっきお参りしたとんと横の壁
A4より少々大きいかなってくらいの紙が張ってありました(ちょっとわかりにくい^^;)

うんうん、南郷桧も夫婦杉も見ています、エドヒガン桜も見てきたところです^^
はいはい抜かりはありませんよ・・・
はぁ~~?スズメ蜂の巣??
「どこにですか?」と聞くと、ご親切にもまたまた夫婦杉まで戻って教えてくださいました

なんとまあ、見事なデッカイ蜂の巣、直径40cm以上あるでしょうか
「酒蔵の杉玉みたいだ!」と言ったらぼっちの言葉に思わず頷きました
今はもう蜂もいないということでしたが
まん丸できれいな模様もはっきりとわかるものは初めてみました
そしてカッコ書きの中の文章にふたりして目を見張りました
『鎌倉時代の阿弥陀如来坐像?』
すぐさま「見たい、行きたい」となり、おじさんにちょっと伺うと
それはそれは詳しく教えてくださいました
駐車場でもいろいろお話を伺い、お礼を言って車に乗り込もうとすると
またひとしきりの説明がありました
また、お礼を言って車に乗ると、土手の白い花を指して
「これ知っとるな?」と聞かれたので、再び降りて「知りません」と答えると
“アズマイチゲ”という花でこうして保護しておかないと採られるとのお話でした


はい、とりません!ハートマークがかわいい~♪
本当に話しやすく親切なおじさんでした、有り難かったです
地元を一生懸命愛していらっしゃるんだろうな~^^
と、ここで阿弥陀如来坐像を見る前にちょっとばかり来た道を戻り
まだ見ていなかった「御矢石」を探すことにしました
すると200mも行かないところにあったんですよ
なんだここだったのか、この鳥居はなんだろうかと思ってたんです

う~ん、なんて書いてあるのかい?

『高森阿蘇神社南方にあり、阿蘇神話によると阿蘇大明神が居を定めんと矢を放たれ
その矢があたった大石で矢尻の跡があり、雨降っても水たまらずと伝えられている
この地を御矢村といい、高森阿蘇神社を別名矢村社という。』
と書いてありました
その大石ってこれ?これしかないのでこれでしょう(笑)

そして矢尻の跡ってぇーのがこれじゃなかんべ?

大きくも思えますが、こんなもん?って感じもします
葉っぱゴミがたまっています、本当に水はたまらないんでしょうかね^^;
お地蔵さんもおられました

さ、次は阿弥陀如来様ですよ
神社を通り越して1.2km、「桜が咲いとる」とおじさんが言ってたっけ・・・
すごく慎重に標柱を探していたんですが、はい見事に素通りしてました^^;
2km以上は走っていたでしょう、もーどこ見てんだか(笑)
入り口の標柱がこれです

この道を下ると、いかにもっていう雰囲気の場所があります

近くに車が3台くらい停めれるところがあると聞いていたので、そこに停めて歩きます

おお~、ここに鎮座されているんですねー^^

いやその前にちょっとあたりを見てみましょう

ん?甲斐有雄さんって?はいはい裏に説明がありましたよ
旅人の安全を願い、私財を投げうって1800基余りの道しるべを建てた郷土の偉人だそうです
人々の幸福を願っていたるところに石仏を彫り安置したんだとか


あ、じゃあさっきの御矢石のところのお地蔵さんもそうだったのでしょうね
じゃ、阿弥陀如来様にお会いしましょう^^
ほえ~~~~、巨大じゃ~~~~@@

誰でも入っていいということだったので、靴を脱いで失礼します^^
あ、ラボはダメよ!!おとなしくそこにいなさい!!

まずは説明書きを^^

ほほう、小国満願寺からこのあたりは北条氏が支配していたんですね~
確かこの阿弥陀如来坐像は今は残ってない無量寺にあったものだと
おじさんが言われていたような気がします^^;
ではお待たせしました、阿弥陀如来坐像でーす

大きさはえ~っと3mいくつかあると言われていたような・・・
説明書きがあるだろうと思っていたので、適当に覚えていました

両脇にはいろいろな仏像が置かれていました


あ、ラボ、もう少し待ってなさい!!

ガラス越しなので反射してうまく写真が撮れません
頑張って何枚も撮って、これが一番のお顔でした

自分達の顔の十倍くらいの大きさはあったでしょうか
とても心が落ち着く優しいお顔でした
阿弥陀如来様にこんな場所でお目にかかれるなんて思ってもみませんでした^^

<御矢石>
[アクセス]地図はコチラ
<阿弥陀坐像>
[アクセス]地図はコチラ
先々週の土曜日は桜を追っかけて阿蘇あたりをうろちょろしておりました
桜は空振りが多く、気持ちも沈みがちだったのですが
他の木から元気をいただいてきたんですよ^^
産山の桜は全くの固い蕾、本当に咲くのかと心配になるくらいでした
そこで波野方面に下り、県道41号線に入って1kmくらいのところで
巨樹に会うことが出来たのです
ここは結構通っていた道なのにどうしてか今までは素通り^^;
ぼっけ~と車を走らせていたらおもしろいものを見逃しているんですね
その巨樹とは「庚申塔の榧(こうしんとうのかや)」
ん、親子でしょうか?
本当に県道のすぐそばです
庚申塔とは、庚申信仰を具体的に表現したもので
悪鬼や病魔を払い除くため村の入り口に立てられるものですよね
庚申信仰の本尊は、仏家では帝釈天および青面金剛を祭り
神道では、見ざる、言わざる、聞かざるの三猿を彫ったり猿田彦を祭ることが多いそうです
阿蘇地方には「猿田彦大神」多いですよね^^
でも、どうして歯の神様なのか、よくわかりません^^;
推定樹齢300年、樹高13m、幹囲3.8mの榧です
近寄ってみるととても不思議な気分になる木なんですよ
蔓が巻き付いて榧と共に生長し、妖艶な雰囲気を作り上げています
天女の羽衣のようにも見えるし、不動明王の炎のようにも見えませんか?
葉っぱはこれから一段と青々となっていくんでしょうね
ここでうろうろと榧の木を見ていたら、県道下の畑で作業されていたおじさんから
「おーい」と呼ばれ、何かおっしゃっているようでしたが、よく聞き取れません
誰かと勘違いされているようだとらぼっちが言うので、さっさと退散することにしました^^;
それから向かったのは阿蘇市役所波野支所近くの楢木野地区
前方に見えてきましたよ^^
もうおわかりでしょう、そうイチョウの木です
んが、この木はイチョウとは呼ばれていません
んんん~、長い^^;
要するに、乳の出ない母親が神様(白ひげのおじいさん)の木の実を持つことで乳が出るようになり
その実からこの木が育ったという伝説があるということなんですね
樹高29m、幹囲5.4m、推定樹齢は200年だそうです
おやおや、見えますね~、イチョウ特有の乳状下垂が^^
気根ともいわれるこのコブは力強い生命力の証しとも言えるとか
もっと近づいてみましょうかね
気根がぶら下がっているのはこの枝1本なのですが、とても立派ですよ♪
なかなかこんな気根は見られないんじゃないでしょうか
でも~、乳の木だからってわけじゃないんでしょうけど、雌株なんですね
秋にお邪魔するのはちょっと考えてしまいます^^;
山際にはこんな恥ずかしがりやのお地蔵さんや
三面地蔵さん?(ちょっと違うか)がおられます^^
そしてすごいモノ発見!
こちらもイチョウの木なのですが、杉に食われちゃっています
実はこの日、地区の方々がお揃いのジャンパーで鯉のぼりを揚げていらっしゃいました
「ASO田園空間博物館」の阿蘇市をさるこうのイベントがあるとのことで
お客様を迎える準備をされておられたのです
作業が終わり、いつものように声をかけに近づくらぼっち(笑)
鯉のぼりを揚げるにあたってご苦労されたことなどを聞いてました^^
よく見てみると『元気ならぎの』『がんばれ日本』のことばがゆれていました
乳の木に肖って地区の子供達、日本の子供達が元気に育つ環境が整うといいですね
それからこの楢木野地区から西に向かい、農道に出たところで
聞き覚えのあるモノの看板が立っていました
見たらやっぱ行くしかないでしょ^^
ご存知の方も多いでしょう、「阿蘇望橋(あそぼうばし)」です
「屋根付き木造ラチストラス橋」として1999年に完成しました
橋長が41.6mあり、屋根付きとしては日本最長なのかもしれません
木造車道トラス橋としては2003年にできた宮崎県西米良村のかりこぼうず大橋が
140mあるそうで日本最長らしいです
上弦・斜材・床板にはスギやヒノキの集成材を使用しているとか
その集成材の劣化を防ぐために屋根が付いているという話です
屋根付きの「阿蘇望橋」、曲線といい色といい見事な調和を見せてくれます^^
ラボを連れていたので歩かせてみました
車が少ないので道路の真ん中をと思ったのですが、止めました(笑)
20cm位の高さでも超ビビリ、尻尾はだら~んとうなだれています(笑)
横から見たほうが木だとよくわかります
下弦材等には鋼材が使ってあります、強度が必要とされるためでしょうね
ここから根子岳が見えるはずなのに見えませんでした
阿蘇望にならなかった阿蘇望橋でした、チャンチャン♪
桜は空振りが多く、気持ちも沈みがちだったのですが
他の木から元気をいただいてきたんですよ^^
産山の桜は全くの固い蕾、本当に咲くのかと心配になるくらいでした
そこで波野方面に下り、県道41号線に入って1kmくらいのところで
巨樹に会うことが出来たのです
ここは結構通っていた道なのにどうしてか今までは素通り^^;
ぼっけ~と車を走らせていたらおもしろいものを見逃しているんですね
その巨樹とは「庚申塔の榧(こうしんとうのかや)」

ん、親子でしょうか?
本当に県道のすぐそばです

庚申塔とは、庚申信仰を具体的に表現したもので
悪鬼や病魔を払い除くため村の入り口に立てられるものですよね
庚申信仰の本尊は、仏家では帝釈天および青面金剛を祭り
神道では、見ざる、言わざる、聞かざるの三猿を彫ったり猿田彦を祭ることが多いそうです
阿蘇地方には「猿田彦大神」多いですよね^^

でも、どうして歯の神様なのか、よくわかりません^^;

推定樹齢300年、樹高13m、幹囲3.8mの榧です
近寄ってみるととても不思議な気分になる木なんですよ

蔓が巻き付いて榧と共に生長し、妖艶な雰囲気を作り上げています
天女の羽衣のようにも見えるし、不動明王の炎のようにも見えませんか?
葉っぱはこれから一段と青々となっていくんでしょうね

ここでうろうろと榧の木を見ていたら、県道下の畑で作業されていたおじさんから
「おーい」と呼ばれ、何かおっしゃっているようでしたが、よく聞き取れません
誰かと勘違いされているようだとらぼっちが言うので、さっさと退散することにしました^^;
それから向かったのは阿蘇市役所波野支所近くの楢木野地区
前方に見えてきましたよ^^

もうおわかりでしょう、そうイチョウの木です
んが、この木はイチョウとは呼ばれていません

んんん~、長い^^;
要するに、乳の出ない母親が神様(白ひげのおじいさん)の木の実を持つことで乳が出るようになり
その実からこの木が育ったという伝説があるということなんですね
樹高29m、幹囲5.4m、推定樹齢は200年だそうです

おやおや、見えますね~、イチョウ特有の乳状下垂が^^
気根ともいわれるこのコブは力強い生命力の証しとも言えるとか
もっと近づいてみましょうかね

気根がぶら下がっているのはこの枝1本なのですが、とても立派ですよ♪
なかなかこんな気根は見られないんじゃないでしょうか
でも~、乳の木だからってわけじゃないんでしょうけど、雌株なんですね
秋にお邪魔するのはちょっと考えてしまいます^^;
山際にはこんな恥ずかしがりやのお地蔵さんや
三面地蔵さん?(ちょっと違うか)がおられます^^


そしてすごいモノ発見!
こちらもイチョウの木なのですが、杉に食われちゃっています

実はこの日、地区の方々がお揃いのジャンパーで鯉のぼりを揚げていらっしゃいました
「ASO田園空間博物館」の阿蘇市をさるこうのイベントがあるとのことで
お客様を迎える準備をされておられたのです

作業が終わり、いつものように声をかけに近づくらぼっち(笑)
鯉のぼりを揚げるにあたってご苦労されたことなどを聞いてました^^
よく見てみると『元気ならぎの』『がんばれ日本』のことばがゆれていました


乳の木に肖って地区の子供達、日本の子供達が元気に育つ環境が整うといいですね

それからこの楢木野地区から西に向かい、農道に出たところで
聞き覚えのあるモノの看板が立っていました
見たらやっぱ行くしかないでしょ^^

ご存知の方も多いでしょう、「阿蘇望橋(あそぼうばし)」です

「屋根付き木造ラチストラス橋」として1999年に完成しました
橋長が41.6mあり、屋根付きとしては日本最長なのかもしれません
木造車道トラス橋としては2003年にできた宮崎県西米良村のかりこぼうず大橋が
140mあるそうで日本最長らしいです
上弦・斜材・床板にはスギやヒノキの集成材を使用しているとか
その集成材の劣化を防ぐために屋根が付いているという話です
屋根付きの「阿蘇望橋」、曲線といい色といい見事な調和を見せてくれます^^

ラボを連れていたので歩かせてみました
車が少ないので道路の真ん中をと思ったのですが、止めました(笑)

20cm位の高さでも超ビビリ、尻尾はだら~んとうなだれています(笑)

横から見たほうが木だとよくわかります

下弦材等には鋼材が使ってあります、強度が必要とされるためでしょうね

ここから根子岳が見えるはずなのに見えませんでした

阿蘇望にならなかった阿蘇望橋でした、チャンチャン♪
<庚申搭の榧>
[アクセス]地図はコチラ
<乳の木>
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<阿蘇望橋>
[アクセス]地図はコチラ
昨日アップの清水滝に行った際
明神池名水公園にある群塚神社(むれつかじんじゃ)に寄ってきました
いえね、こちらではちょこっと駐車場を利用させていただいたわけですよ
過去何度か明神そばを食べたり、水源を見たりしていたのに
神社があることに気付いてなかったという・・・超オトボケ熟年ふたり(笑)
まさしく鎮守の森ですよ^^
群塚の名称からこの地は古墳時代の遺跡ではないかと伝えられているとか
しかーし鳥居をくぐる前から左側の道をどんどん歩いていってしまうらぼっち^^;
おいおい、神社に行くんじゃなかったの~?
竹林に魅せられてどんどん進んでいったらぼっちはとりあえずほっといて(笑)
とっちんは鳥居をくぐりました
狛犬は鳥居と同じように結構新しく、木々に囲まれているので苔が張り付いています
社殿のほうに行こうとしたら、左手に道があり今度は木の鳥居が見えました
なんじゃ?と思いながらくぐると大きな石が!
この時はこれが何なのかさっぱりわかりませんでしたが
この石なんと、「誕生石」というものだったんですね^^
天正時代、子供がなかった吉田城の城主がこの水源で身を清め、
この「誕生石」に願いを掛けると、子宝に恵まれたと伝えられているらしいです
ここで道でもない横っちょから、らぼっちが上がってきました
「なに?この石」とぼそっと言って通り過ぎたので
とっちんは「ごしんせき(ご神石)」と答えていたのですが(笑)
ここまで来て「あ、こっちは裏だった」と気付く二人^^;
そして社殿の表にまわればいいものをご神木の杉に近づくんですよね~
太い幹は一番上のところで急に無くなっているように見えるんですよね、うーん
するとこんな説明板がありました
正真正銘、鎮守の森でした^^
何の木かよくわかりませんが、こんな木に
こんな木、こちらはカヤの木でしょうか
どちらも素直によく伸びた木です^^
でも説明の杉はわかるけど、イチョウは?・・・見当たりません
ま、いいかとやっと拝殿にたどり着きます(遅いっちゅうねん^^;)
創建時期は、不明らしいですが
祭神は水波能女命(ミズハノメノミコト)國常立尊(クニトコタチミコト)國狭土尊(クニサヅチノミコト)
へ~、健磐龍命(タケイワタツノミコト)じゃないんだ
お参りした後、中を拝見^^
あれ?大きな絵馬と・・・
仁王さんの絵馬じゃないですか^^
そんなに大きくはないのに結構迫力ありますよ
こちらが表側の鳥居、こちらも比較的新しいです
本来はこっちから来なきゃいけなかったのね^^;
こちらの狛犬さんにもご挨拶
ところで先ほどの名残りのイチョウは、とあちこち探すらぼっち
まだ上でうろうろしていたとっちんが見つけました、「あったよーー!」
そばにいるのに「どこに?」と言って全然気付かないらぼっち(笑)
「ほらそこに、すぐそこにあるでしょ!」何回か叫んでやっと気付いてくれました
かなりの大きさではありますが、このイチョウ、元気なんでしょうかね
どうも最近見ている巨樹は中が焦げてることが多いな~
落雷によるものなのか気になる二人でした
境内の明神池横には土俵もありました
立派な屋根もついています
おや、一番南側に本来の鳥居がありました
『元禄 13年11月吉日建立』と記銘されていたようです
そこまで見ていなかったな^^;
古墳と言われればそうかもしれないと思われる鎮守の森
どうして今まで訪れなかったのか、不思議でなりません
神聖な領域に足を踏み入れ、心が洗われたような気分になりました
昔は3つあったといわれる明神池、今は誕生水とも言われ飲むと安産に効果があるとか
毎分約2トンもの水が湧き出る水面をじっと見てると力も湧いてくるように思えます
ここにはこうやって阿蘇の自然水がず-っと湧いてきてるんだ、途切れることなく!
たゆみない水の流れ・・
自分もガンバロウ!
明神池名水公園にある群塚神社(むれつかじんじゃ)に寄ってきました
いえね、こちらではちょこっと駐車場を利用させていただいたわけですよ
過去何度か明神そばを食べたり、水源を見たりしていたのに
神社があることに気付いてなかったという・・・超オトボケ熟年ふたり(笑)

まさしく鎮守の森ですよ^^
群塚の名称からこの地は古墳時代の遺跡ではないかと伝えられているとか
しかーし鳥居をくぐる前から左側の道をどんどん歩いていってしまうらぼっち^^;
おいおい、神社に行くんじゃなかったの~?

竹林に魅せられてどんどん進んでいったらぼっちはとりあえずほっといて(笑)
とっちんは鳥居をくぐりました
狛犬は鳥居と同じように結構新しく、木々に囲まれているので苔が張り付いています


社殿のほうに行こうとしたら、左手に道があり今度は木の鳥居が見えました

なんじゃ?と思いながらくぐると大きな石が!

この時はこれが何なのかさっぱりわかりませんでしたが
この石なんと、「誕生石」というものだったんですね^^
天正時代、子供がなかった吉田城の城主がこの水源で身を清め、
この「誕生石」に願いを掛けると、子宝に恵まれたと伝えられているらしいです
ここで道でもない横っちょから、らぼっちが上がってきました
「なに?この石」とぼそっと言って通り過ぎたので
とっちんは「ごしんせき(ご神石)」と答えていたのですが(笑)

ここまで来て「あ、こっちは裏だった」と気付く二人^^;
そして社殿の表にまわればいいものをご神木の杉に近づくんですよね~

太い幹は一番上のところで急に無くなっているように見えるんですよね、うーん
するとこんな説明板がありました

正真正銘、鎮守の森でした^^
何の木かよくわかりませんが、こんな木に

こんな木、こちらはカヤの木でしょうか

どちらも素直によく伸びた木です^^
でも説明の杉はわかるけど、イチョウは?・・・見当たりません
ま、いいかとやっと拝殿にたどり着きます(遅いっちゅうねん^^;)
創建時期は、不明らしいですが
祭神は水波能女命(ミズハノメノミコト)國常立尊(クニトコタチミコト)國狭土尊(クニサヅチノミコト)
へ~、健磐龍命(タケイワタツノミコト)じゃないんだ

お参りした後、中を拝見^^

あれ?大きな絵馬と・・・

仁王さんの絵馬じゃないですか^^


そんなに大きくはないのに結構迫力ありますよ
こちらが表側の鳥居、こちらも比較的新しいです

本来はこっちから来なきゃいけなかったのね^^;
こちらの狛犬さんにもご挨拶


ところで先ほどの名残りのイチョウは、とあちこち探すらぼっち
まだ上でうろうろしていたとっちんが見つけました、「あったよーー!」

そばにいるのに「どこに?」と言って全然気付かないらぼっち(笑)
「ほらそこに、すぐそこにあるでしょ!」何回か叫んでやっと気付いてくれました

かなりの大きさではありますが、このイチョウ、元気なんでしょうかね

どうも最近見ている巨樹は中が焦げてることが多いな~
落雷によるものなのか気になる二人でした
境内の明神池横には土俵もありました
立派な屋根もついています

おや、一番南側に本来の鳥居がありました

『元禄 13年11月吉日建立』と記銘されていたようです
そこまで見ていなかったな^^;
古墳と言われればそうかもしれないと思われる鎮守の森
どうして今まで訪れなかったのか、不思議でなりません
神聖な領域に足を踏み入れ、心が洗われたような気分になりました

昔は3つあったといわれる明神池、今は誕生水とも言われ飲むと安産に効果があるとか
毎分約2トンもの水が湧き出る水面をじっと見てると力も湧いてくるように思えます
ここにはこうやって阿蘇の自然水がず-っと湧いてきてるんだ、途切れることなく!
たゆみない水の流れ・・
自分もガンバロウ!

<群塚神社>
[所在地]熊本県阿蘇郡南阿蘇村吉田
[アクセス]地図はコチラ
今日は阿蘇で雪が降ったとか、熊本市内もさぶかったーー!
春本番だと思っていたのに、冬に逆戻りしたような気温
明日は穀雨だというのに雨もたいして降らず乾ききっているし
植物も生長しづらいっちゅうもんでしょ^^;
熟年は雨が降ろうが降るまいが、贅肉が成長してるような・・(笑)
人間の心にも潤いが欲しいところだな^^
さて、またまた先月末のお話です
南阿蘇にはなんとも奇妙な建物と空間があるとの情報をある筋から入手し
ワクワクドキドキで行って参りました^^
白川水源に向かう地方道の途中にこんなものがあるのを
皆さんはご存知でしたか
その昔、新しい道路ができる前までは
この門をくぐってたんだろう的な門があります
「祖霊門」だそうです
ぱっと見、和風様式よりは中国建築様式に近い感じですか
そうそう、童話の中の竜宮城の入口っていう表現が一番近いかな
左右に小さな不動明王のような像がありますが
ひょえー、誰かを踏んづけていませんか
不思議なのは、ネット情報ではいつ誰が
このようなものを建てたか分からないらしいのです
この全体から受ける印象をじっくり覚えておいてくださいね♪
この門をくぐって、「清水滝遊歩道」なる案内板を目印に
北へ向かうこと、車で10分
次に見えてきたのが、ほれ第1門と似たような雰囲気をぷんぷん醸しているでしょ^^
二つの門、「赤鬼青鬼の門」といわれているようです
この2番目の門の周辺には
何が入ってるかわからない宝仏殿らしきものがあったり
観音様、そして不動明王などたくさんの仏像が祀られています
さてどちらの門が、地獄か、天国かって
それは皆さんで行かれてみてくださいな^^
どちらかの門をくぐり、清水滝の看板を頼りにさらに進むと
野焼きした高原に出て、さらに牧場の中の
離合もできないような狭い道を進んでいきます
滝に来たのにこんな高いところを走ってていいのという
不安が強くよぎりますが、その不安を振り払いながら
さらに進むと、意外と広い駐車場があります
ここから、下る訳ね、はいはい滝だから当然ね
でもこの階段、ちょっと怖いんですけど^^;
そこから50m位の坂を下ると見えてきましたよ
似つかわしくない白い物体が
あれっ、誰か先客がいるようですね
なにやら白装束の男性が滝に打たれていたのを慌てて切り上げたように見えました

これ象ですよね♪
神社寺院の彫刻でもよく使われているので、宗教関係の施設でしょうか
先ほどの男性は慌てて着替えると帰っていかれました
そんなに慌てなくてもと思ったのですが^^;
で、二人きりになってこの空間をぐるっと見回してみましたが
見れば見るほど不思議な空間です
大きな白い象の前には赤鬼が入口で門番をしています
そのパンツは虎の顔入り^^
象の後ろの屋根にはガマがひかえています^^
そして前に広がる壁にはびっしりと緑のコケが張り付き
仏像や白い龍が見えます
その白い龍から水が流れ落ちています
先ほどの男性はここで打たれていたようです
全体的に滝といわれるほどの水量は感じられません
しかし、洪水でえぐられた穴がだんだんと後退して
この景観を生み出しているのでしょう
正面の壁の上にはなにやら洞窟が見えます
とっちんは近づきたくないというので
らぼっちが入り口からとりあえず一枚
白い観音様が祀られているのを確認しただけで
急いで下りましたとも
でも蝋燭が灯されていたので
毎日どなたかが参られているのでしょう
それにしても、摩訶不思議な空間でした
これはナニコレ珍百景には紹介されたのかな
投稿されたら認定されるのは間違いないだろうに
いやーっ、おもしろ過ぎです^^
南阿蘇♪
春本番だと思っていたのに、冬に逆戻りしたような気温
明日は穀雨だというのに雨もたいして降らず乾ききっているし
植物も生長しづらいっちゅうもんでしょ^^;
熟年は雨が降ろうが降るまいが、贅肉が成長してるような・・(笑)
人間の心にも潤いが欲しいところだな^^
さて、またまた先月末のお話です
南阿蘇にはなんとも奇妙な建物と空間があるとの情報をある筋から入手し
ワクワクドキドキで行って参りました^^
白川水源に向かう地方道の途中にこんなものがあるのを
皆さんはご存知でしたか

その昔、新しい道路ができる前までは
この門をくぐってたんだろう的な門があります
「祖霊門」だそうです

ぱっと見、和風様式よりは中国建築様式に近い感じですか
そうそう、童話の中の竜宮城の入口っていう表現が一番近いかな

左右に小さな不動明王のような像がありますが
ひょえー、誰かを踏んづけていませんか
不思議なのは、ネット情報ではいつ誰が
このようなものを建てたか分からないらしいのです
この全体から受ける印象をじっくり覚えておいてくださいね♪
この門をくぐって、「清水滝遊歩道」なる案内板を目印に
北へ向かうこと、車で10分

次に見えてきたのが、ほれ第1門と似たような雰囲気をぷんぷん醸しているでしょ^^
二つの門、「赤鬼青鬼の門」といわれているようです



この2番目の門の周辺には
何が入ってるかわからない宝仏殿らしきものがあったり

観音様、そして不動明王などたくさんの仏像が祀られています

さてどちらの門が、地獄か、天国かって
それは皆さんで行かれてみてくださいな^^


どちらかの門をくぐり、清水滝の看板を頼りにさらに進むと
野焼きした高原に出て、さらに牧場の中の
離合もできないような狭い道を進んでいきます

滝に来たのにこんな高いところを走ってていいのという
不安が強くよぎりますが、その不安を振り払いながら
さらに進むと、意外と広い駐車場があります

ここから、下る訳ね、はいはい滝だから当然ね
でもこの階段、ちょっと怖いんですけど^^;

そこから50m位の坂を下ると見えてきましたよ
似つかわしくない白い物体が
あれっ、誰か先客がいるようですね
なにやら白装束の男性が滝に打たれていたのを慌てて切り上げたように見えました

これ象ですよね♪
神社寺院の彫刻でもよく使われているので、宗教関係の施設でしょうか

先ほどの男性は慌てて着替えると帰っていかれました
そんなに慌てなくてもと思ったのですが^^;
で、二人きりになってこの空間をぐるっと見回してみましたが
見れば見るほど不思議な空間です
大きな白い象の前には赤鬼が入口で門番をしています
そのパンツは虎の顔入り^^

象の後ろの屋根にはガマがひかえています^^

そして前に広がる壁にはびっしりと緑のコケが張り付き
仏像や白い龍が見えます

その白い龍から水が流れ落ちています
先ほどの男性はここで打たれていたようです

全体的に滝といわれるほどの水量は感じられません
しかし、洪水でえぐられた穴がだんだんと後退して
この景観を生み出しているのでしょう

正面の壁の上にはなにやら洞窟が見えます
とっちんは近づきたくないというので
らぼっちが入り口からとりあえず一枚

白い観音様が祀られているのを確認しただけで
急いで下りましたとも
でも蝋燭が灯されていたので
毎日どなたかが参られているのでしょう
それにしても、摩訶不思議な空間でした
これはナニコレ珍百景には紹介されたのかな
投稿されたら認定されるのは間違いないだろうに
いやーっ、おもしろ過ぎです^^
南阿蘇♪
<祖霊門>
[アクセス]地図はコチラ
<赤鬼青鬼の門>
[アクセス]地図はコチラ
<清水滝>
[アクセス]地図はコチラ
先月は4週目に2回、美里町に行っていましたが
そのついでに松橋まで行き、探し物をしていました
急に思いついたうえにうろ覚えだったので、21日には探し物はとうとう見当たらず
「松橋神社」に行ってみようということになりました
結構横を通っているのにお邪魔するのは初めてです^^
鳥居をくぐると、いえくぐる前からどーんと目に入ってくるのがこちら
御神木の楠です、結構な大きさですよ♪
樹齢700年~800年と書いてあります
調べてみたら、樹高20m、目通り幹囲6.9mあるそうです
すごいじゃないですか、ここにこんな立派な楠があるなんて知らなかった^^;
本殿に行く手前の右手には枝垂れ桜がありました
(3月21日の時点での桜です)
拝殿はかなりシンプルです^^
狛犬は堂々と立っていましたよ
お目々は大きいのに目立たなくて、鼻と歯はインパクトあるなぁ^^

拝殿は新しそうです
ご由緒が書かれてなかったので調べてみました
創建は永承4年(1049)後冷泉天皇の御代に、勧請
下田家の祖下田伊予守惟勝が霊夢によって紀州熊野の三神を奉斎したと伝えられる
昭和55年に創建930年祭、平成11年に創建950年祭が盛大に斎行された
そうです^^;
ということは、あと38年後には1000年祭が行われるということだ
こりゃ、スゴイ節目になりそうですね^^
見上げると本殿には美しい彫刻が施してありました
でも、天気が悪いのと鳥除けの網でちょっと見づらいです
裏にはイチイガシと思われる木がありました
幹には握りこぶしのようなコブが(笑)
松橋のほぼ中心部にある「松橋神社」
夏祭りや秋祭りが行われるようで、この境内も地域の方達でにぎわうのでしょうね^^
さてこの日は探し物は見つからず、あえなく撃沈して帰ったのですが
5日後の26日に再び美里町から松橋に下っていったわけです
今度は一応、神社の名前も調べて行ったつもりでした、ふふん^^
で、着いたところが案の定、違っていたという(笑)
おっかしいなー、何を調べていたんだろう・・・
えーっと、天満宮です^^
何天満宮かって?わかりません(笑)
だって、どこにも天満宮としか書いてなかったんですよ
ほら天満宮お使いの牛さんもいます
五重の石塔があったりもします^^
拝殿をちょっと失礼して開けさせていただきました(らぼっちが!)
狛犬さんがいないと思ったらあんなところに^^

ここにもまた社殿の横に、それはそれは見事な楠が立っておりました
説明もありましたが、これは???
うーん、えーっと
「天満宮の大楠(クスノキ)
ふるさと熊本の樹木
昭和五七年・・・
当宮は、悪病除けの為貞享元年(1684年)創建された。
この木はそれ以前から当地にあったと言○○るが○を地上に現○○
その為か社は昭和○○年北側に移されて○○
昭和五八年二月 熊本市」
こんなもんかな^^;
ところがですよ
未だに探し物は見つからないのに、狭い道を挟んだ竹やぶから
とんだ掘り出し物がこちらを見ていました(笑)
「空手の稽古中ですか?どうしてここに?」(笑)
たーだ黙って立っておられます、説明も何もありません
後姿にはきっと憂いが・・・と思いながら後ろにまわってみました
ところが、なぜか運動会でズタ袋に入って飛び跳ねている様子を思い出してしまった(笑)
手の位置がそういうふうになってるんですもん^^;
名前も知らない天満宮ですが、ここすごくいい雰囲気です
広いし、子供の遊び場にもってこいな感じがします
あ、ゆったりといい気分に浸ってる場合じゃない、本命を探さなきゃ!
ナビで近くを調べると500mくらい離れたところにもう一つ神社がありました
あ、ここも八幡宮としか書いてない^^;
ここなのかな?
赤い布で隠れた祠の中には、恥かしそうな恵比寿様、たぶん^^
あー、ここだここだ
やっと目指す八幡宮に着いたようです
昭和48年に鎮座1000年祭を行ったということはー
おー、それからもう38年も経ったんですね^^
そして戦前までは神楽や神興行列が催された、という過去形になっていますね
今では催しは行われていないのでしょうか?
お参りした後、横にある探し物を入念に見ることに!
ずっと探していたモノとはコレなんです^^
いかがですか?この狛犬さん、普通とは違っておとぼけ表情でしょ♪
妙につるんとした体にはっきりとした巻き毛がユニークです
あっ、ラボ!!
どうしてこんなところに??
あ、違った(笑)
短足胴長のところといい、姿勢といいそっくりでした^^
それにこのブリけつ!
思わず親近感がわき、「よしよーし!」
こちらの本殿にも彫刻はありそうでしたが、囲いがしてあって見えませんでした
あ、そういえば屋根を見るとこんな紋が印してありました
お寺に使われる紋だと思っていた卍が、逆になってここにありました
そういえば山口県萩の松陰神社もこの右卍が斜めになってたっけ・・・
その時ははっきりとわからなかったけど
神社でこの右卍を使うところってあるんですね
それにしても探し物が見つかってよかったー^^
そのついでに松橋まで行き、探し物をしていました
急に思いついたうえにうろ覚えだったので、21日には探し物はとうとう見当たらず
「松橋神社」に行ってみようということになりました

結構横を通っているのにお邪魔するのは初めてです^^
鳥居をくぐると、いえくぐる前からどーんと目に入ってくるのがこちら

御神木の楠です、結構な大きさですよ♪

樹齢700年~800年と書いてあります
調べてみたら、樹高20m、目通り幹囲6.9mあるそうです
すごいじゃないですか、ここにこんな立派な楠があるなんて知らなかった^^;
本殿に行く手前の右手には枝垂れ桜がありました

(3月21日の時点での桜です)
拝殿はかなりシンプルです^^

狛犬は堂々と立っていましたよ
お目々は大きいのに目立たなくて、鼻と歯はインパクトあるなぁ^^



拝殿は新しそうです
ご由緒が書かれてなかったので調べてみました
創建は永承4年(1049)後冷泉天皇の御代に、勧請
下田家の祖下田伊予守惟勝が霊夢によって紀州熊野の三神を奉斎したと伝えられる
昭和55年に創建930年祭、平成11年に創建950年祭が盛大に斎行された
そうです^^;
ということは、あと38年後には1000年祭が行われるということだ
こりゃ、スゴイ節目になりそうですね^^
見上げると本殿には美しい彫刻が施してありました
でも、天気が悪いのと鳥除けの網でちょっと見づらいです


裏にはイチイガシと思われる木がありました

幹には握りこぶしのようなコブが(笑)

松橋のほぼ中心部にある「松橋神社」
夏祭りや秋祭りが行われるようで、この境内も地域の方達でにぎわうのでしょうね^^

さてこの日は探し物は見つからず、あえなく撃沈して帰ったのですが
5日後の26日に再び美里町から松橋に下っていったわけです
今度は一応、神社の名前も調べて行ったつもりでした、ふふん^^
で、着いたところが案の定、違っていたという(笑)
おっかしいなー、何を調べていたんだろう・・・

えーっと、天満宮です^^
何天満宮かって?わかりません(笑)
だって、どこにも天満宮としか書いてなかったんですよ
ほら天満宮お使いの牛さんもいます

五重の石塔があったりもします^^

拝殿をちょっと失礼して開けさせていただきました(らぼっちが!)

狛犬さんがいないと思ったらあんなところに^^


ここにもまた社殿の横に、それはそれは見事な楠が立っておりました

説明もありましたが、これは???

うーん、えーっと
「天満宮の大楠(クスノキ)
ふるさと熊本の樹木
昭和五七年・・・
当宮は、悪病除けの為貞享元年(1684年)創建された。
この木はそれ以前から当地にあったと言○○るが○を地上に現○○
その為か社は昭和○○年北側に移されて○○
昭和五八年二月 熊本市」
こんなもんかな^^;
ところがですよ
未だに探し物は見つからないのに、狭い道を挟んだ竹やぶから
とんだ掘り出し物がこちらを見ていました(笑)

「空手の稽古中ですか?どうしてここに?」(笑)
たーだ黙って立っておられます、説明も何もありません
後姿にはきっと憂いが・・・と思いながら後ろにまわってみました

ところが、なぜか運動会でズタ袋に入って飛び跳ねている様子を思い出してしまった(笑)
手の位置がそういうふうになってるんですもん^^;
名前も知らない天満宮ですが、ここすごくいい雰囲気です
広いし、子供の遊び場にもってこいな感じがします

あ、ゆったりといい気分に浸ってる場合じゃない、本命を探さなきゃ!
ナビで近くを調べると500mくらい離れたところにもう一つ神社がありました

あ、ここも八幡宮としか書いてない^^;

ここなのかな?
赤い布で隠れた祠の中には、恥かしそうな恵比寿様、たぶん^^

あー、ここだここだ
やっと目指す八幡宮に着いたようです

昭和48年に鎮座1000年祭を行ったということはー
おー、それからもう38年も経ったんですね^^
そして戦前までは神楽や神興行列が催された、という過去形になっていますね
今では催しは行われていないのでしょうか?

お参りした後、横にある探し物を入念に見ることに!
ずっと探していたモノとはコレなんです^^

いかがですか?この狛犬さん、普通とは違っておとぼけ表情でしょ♪
妙につるんとした体にはっきりとした巻き毛がユニークです

あっ、ラボ!!

どうしてこんなところに??

あ、違った(笑)
短足胴長のところといい、姿勢といいそっくりでした^^
それにこのブリけつ!

思わず親近感がわき、「よしよーし!」

こちらの本殿にも彫刻はありそうでしたが、囲いがしてあって見えませんでした
あ、そういえば屋根を見るとこんな紋が印してありました

お寺に使われる紋だと思っていた卍が、逆になってここにありました
そういえば山口県萩の松陰神社もこの右卍が斜めになってたっけ・・・
その時ははっきりとわからなかったけど
神社でこの右卍を使うところってあるんですね
それにしても探し物が見つかってよかったー^^

<高良八幡宮>
[所在地]熊本県宇城市不知火町高良
[アクセス]地図はコチラ
昨日の土曜日は天気がよさそうとまたまた阿蘇へ出かけたんですよ
ところがどっこい霞がひどくて視界不良
空港近くまできても俵山すら見えやしない^^;
とはいえ、この日の予定は阿蘇山頂での探し物!
”さがしものは何ですか~♪”と鼻歌まじり始まったものの
それはそれは苦労の半日となりました
その記事の方はとっちんに譲るとして
このタイミングでしか紹介できない桜ネタをば^m^
またかい、とお思いの方が大多数でしょうが
(自分たちもようやるわいと思ってます^^)
熊日新聞の写真を見るとね、行こうかとなる訳ですよ♪
阿蘇山頂から降りて、途中の山部家の大桜にも寄ろうか
ということで高森から波野方面へ向かいました
山部家の大桜の前まで来ると
何やらマスクした誰ぞにそっくりな人が歩いてくるぞ!
あれ~っ!、あれあれ~!!
車の窓を開けその背に向かって、「えへへ」と笑うと
ぶったまげて振り返ったその表情が期待を裏切りません^^
誰一人他に通らないのに、あまりのジャストなタイミングに4人で大笑いです
誰もいないということは、山部家の大桜は4月16日でもまだ蕾状態
どれだけ遅いんやって!
ということで、奇遇にも波野で合流したお二人を誘って向かったのは
「赤仁田の枝垂れ桜」
赤仁田地区の民家のお庭にありますが、この時期だけは公開されています
手前300m位のところには臨時駐車場もあります
民家の周りには2~3台位しか停められません(しかも路駐)のでご注意を!
推定樹齢120年 幹回り2.4m 高さ約20mの立派な枝垂れ桜
それは高く大きく枝を広げているのが遠めにもわかります

火気厳禁という看板が撮影にはちょっと気になりますが^^;
で、偶然にもご一緒した二人というのはご想像どおり、この方達♪
なんとまあ、よく似た思考回路をしているんでしょう^^
それにしても、どの角度から見ても
白くて浅い御椀をひっくり返したような見事な枝ぶりです
空が白いので薄ピンクの花が目立たないのが本当に残念
でも古民家や蔵の黒いバックとよくマッチしてます
ぐるっと、回り込んでみましょうかね
玄関前ではご主人と思わしき方がお知り合いと話されていたので
自慢話を聞けなかったのがちょっと残念!
小ぶりの枝が低いところまで垂れてくれているので至近距離の撮影可♪
大木に似合わず、可憐で小さな花びら♪
青空が欲しい~
けど贅沢な望みですよね

やーっ、ちょっと波野まで来ることを迷いもしてたんですが来てよかったな
ひょっとこ二人も大満足な様子^^
でもこの後ろの丸太椅子なんですがどう見ても花見用?バーベキュー用?
そしてその横の穴には使用済みの炭が・・
あれっ、火気厳禁ではなかったっけ?
まあ、家主の特権ですよね^^
ミツマタの花も負けじと満開でしたが、いかんせん相手が悪うござった^^
さて、今シーズンの桜はこれでおしまい^^
と思いきや、国道に向かう帰り道で途中2度も停まっちゃいました
だって、これを見せられればねー♪
今度こそ、本当に見納め、撮り納めにしましょうかね
来週、山部家の大桜に来る予定は今のところなしです(爆)
空港近くまできても俵山すら見えやしない^^;
とはいえ、この日の予定は阿蘇山頂での探し物!
”さがしものは何ですか~♪”と鼻歌まじり始まったものの
それはそれは苦労の半日となりました
その記事の方はとっちんに譲るとして
このタイミングでしか紹介できない桜ネタをば^m^
またかい、とお思いの方が大多数でしょうが
(自分たちもようやるわいと思ってます^^)
熊日新聞の写真を見るとね、行こうかとなる訳ですよ♪
阿蘇山頂から降りて、途中の山部家の大桜にも寄ろうか
ということで高森から波野方面へ向かいました
山部家の大桜の前まで来ると
何やらマスクした誰ぞにそっくりな人が歩いてくるぞ!
あれ~っ!、あれあれ~!!
車の窓を開けその背に向かって、「えへへ」と笑うと
ぶったまげて振り返ったその表情が期待を裏切りません^^
誰一人他に通らないのに、あまりのジャストなタイミングに4人で大笑いです
誰もいないということは、山部家の大桜は4月16日でもまだ蕾状態
どれだけ遅いんやって!
ということで、奇遇にも波野で合流したお二人を誘って向かったのは
「赤仁田の枝垂れ桜」
赤仁田地区の民家のお庭にありますが、この時期だけは公開されています
手前300m位のところには臨時駐車場もあります
民家の周りには2~3台位しか停められません(しかも路駐)のでご注意を!
推定樹齢120年 幹回り2.4m 高さ約20mの立派な枝垂れ桜
それは高く大きく枝を広げているのが遠めにもわかります

火気厳禁という看板が撮影にはちょっと気になりますが^^;
で、偶然にもご一緒した二人というのはご想像どおり、この方達♪
なんとまあ、よく似た思考回路をしているんでしょう^^

それにしても、どの角度から見ても
白くて浅い御椀をひっくり返したような見事な枝ぶりです

空が白いので薄ピンクの花が目立たないのが本当に残念
でも古民家や蔵の黒いバックとよくマッチしてます
ぐるっと、回り込んでみましょうかね

玄関前ではご主人と思わしき方がお知り合いと話されていたので
自慢話を聞けなかったのがちょっと残念!

小ぶりの枝が低いところまで垂れてくれているので至近距離の撮影可♪
大木に似合わず、可憐で小さな花びら♪

青空が欲しい~
けど贅沢な望みですよね

やーっ、ちょっと波野まで来ることを迷いもしてたんですが来てよかったな

ひょっとこ二人も大満足な様子^^

でもこの後ろの丸太椅子なんですがどう見ても花見用?バーベキュー用?
そしてその横の穴には使用済みの炭が・・
あれっ、火気厳禁ではなかったっけ?
まあ、家主の特権ですよね^^
ミツマタの花も負けじと満開でしたが、いかんせん相手が悪うござった^^

さて、今シーズンの桜はこれでおしまい^^
と思いきや、国道に向かう帰り道で途中2度も停まっちゃいました
だって、これを見せられればねー♪


今度こそ、本当に見納め、撮り納めにしましょうかね
来週、山部家の大桜に来る予定は今のところなしです(爆)
<赤仁田の枝垂れ桜>
今日の記事は熊本大学で工作機械を見学した次の日にアップの予定でしたが
FC2の障害発生で順番が大狂いしちゃいました、約1ヶ月前のネタです♪
ネタよりお金が貯まってくれたら嬉しいんですけどね^^;
さて、熊大工学部研究資料館を見学したあとは県道を渡って北地区に行きました
熊本大学の「正門」、通称「赤門」です
主要部には石材を用いた煉瓦造の立派な門です
昭和44年に国の重要文化財に指定されています
姪っ子が入学する前とかに何回か見ていましたが
改めて見るとよか雰囲気だったんですね~^^
この門を入ると左右にゆっくりとカーブした道が続いています
そこは通称サインカーブと言うそうです(サインコサインのサインだとか^^)
そして奥に歩いていくと正面に見えてきます^^
思った以上に大きくて立派☆
正面に立つとなんだか厳かな気分になります
こちらも同じく昭和44年に国重要文化財に指定されています
靴を脱いで上がると静かな落ち着いた空気に包まれました
廊下もアーチになっています
正面で“棟札”と言うんでしょうか、それを見ながらの説明がありました
話を聞きながら、熟年は階段の造りや建物が気になって仕方ありません
明治政府は国家の柱石となる人材の養成を目的に
明治19年勅令により全国を五学校区に分け、それぞれに高等中学校を設立することにしました
第一区は東京、第二区は仙台、第三区は京都、第四区が金沢と早いうちに決定
第五区(九州)の場所選定だけが難航したようですが
地理的にも歴史的にも条件を満たしているということで
明治20年、結局熊本に決まったということです
明治27年9月の高等学校令により、第五高等中学校は第五高等学校と改称されています
映画の中で見るような階段ですよね♪
丸く磨り減った角や手摺、デザイン性のある天井
見るものがどれもこれも興味深いものとして目に飛び込んできます

教師として五高に赴いた嘉納治五郎、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、夏目漱石の資料や
卒業生の池田勇人、佐藤栄作、他いろんな方々の資料が置いてありました
もちろん撮影は禁止でしたので、天井部分だけどうぞ^^
ちょっと変わった造りでしょ?
2階の廊下は少し明るく
階段踊り場も厳壮な感じだと思ったのですが
降りて行くと、中央の階段よりも暗くてちょっとした気味悪ささえ感じました
1階に降りた部屋で自然と椅子に座っていた皆さん
講義でも始まるのかと思っちゃった^^
この教室ではドラマ「坂の上の雲」で
真之役の本木雅弘さん、子規役の香川照之さん、漱石役の小澤征悦さん達の
授業のシーンが撮影されました
それにしてもこの机、良く考えられているんですよ
さて、この机の円形にへこんだところには何が置かれていたのでしょうか?
誰ですか?カップホルダーと思ったのは・・・
実は、熟年ふたりともそう思ってしまいました(笑)
この机の円形にへこんだところにはインク瓶を置いていたのだそうです
ということは中央前のくぼんだところはペンでしょう
ふふ~~ん、落とさないための工夫だったんですね♪
蓋を開けるとこんな感じ、この角度を使ったら書きやすかったとか(笑)
あ、結露が
いえいえこの結露は外のもの
ということはこの建物の中はよっぽど寒いってこと? ですよね(>_<)
皆さんとはここでお別れしまして
熟年二人、五高記念館のすぐ横にあるもうひとつの重要文化財「化学実験場」に寄ってみました
なかなか全体が撮れずまわってみました
やっぱりこのアングルじゃないよな、と駐車場の方にまわると
今度は停めてある車が邪魔、近寄って撮ってみました
2枚の写真で雰囲気を察してください^^;
そしてこちらは裏手にポツンと置き去りにされたような建物
化学実験場の倉庫でした
小さいけど重要な役割を果たしていたんでしょうね
姪っ子とうろうろしたときはここまで来るなんてことなかったな
今は彼女もほとんど九品寺のキャンパスだし
誘っていただかなければ、これほどまでの文化財を目の当たりにすることはなかったでしょう
貴重な体験でした、ほんとうにありがとうございましたm(__)m
FC2の障害発生で順番が大狂いしちゃいました、約1ヶ月前のネタです♪
ネタよりお金が貯まってくれたら嬉しいんですけどね^^;
さて、熊大工学部研究資料館を見学したあとは県道を渡って北地区に行きました
熊本大学の「正門」、通称「赤門」です

主要部には石材を用いた煉瓦造の立派な門です
昭和44年に国の重要文化財に指定されています

姪っ子が入学する前とかに何回か見ていましたが
改めて見るとよか雰囲気だったんですね~^^
この門を入ると左右にゆっくりとカーブした道が続いています
そこは通称サインカーブと言うそうです(サインコサインのサインだとか^^)
そして奥に歩いていくと正面に見えてきます^^

思った以上に大きくて立派☆

正面に立つとなんだか厳かな気分になります

こちらも同じく昭和44年に国重要文化財に指定されています

靴を脱いで上がると静かな落ち着いた空気に包まれました
廊下もアーチになっています

正面で“棟札”と言うんでしょうか、それを見ながらの説明がありました
話を聞きながら、熟年は階段の造りや建物が気になって仕方ありません

明治政府は国家の柱石となる人材の養成を目的に
明治19年勅令により全国を五学校区に分け、それぞれに高等中学校を設立することにしました
第一区は東京、第二区は仙台、第三区は京都、第四区が金沢と早いうちに決定
第五区(九州)の場所選定だけが難航したようですが
地理的にも歴史的にも条件を満たしているということで
明治20年、結局熊本に決まったということです
明治27年9月の高等学校令により、第五高等中学校は第五高等学校と改称されています
映画の中で見るような階段ですよね♪

丸く磨り減った角や手摺、デザイン性のある天井
見るものがどれもこれも興味深いものとして目に飛び込んできます


教師として五高に赴いた嘉納治五郎、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、夏目漱石の資料や
卒業生の池田勇人、佐藤栄作、他いろんな方々の資料が置いてありました
もちろん撮影は禁止でしたので、天井部分だけどうぞ^^
ちょっと変わった造りでしょ?

2階の廊下は少し明るく

階段踊り場も厳壮な感じだと思ったのですが

降りて行くと、中央の階段よりも暗くてちょっとした気味悪ささえ感じました

1階に降りた部屋で自然と椅子に座っていた皆さん
講義でも始まるのかと思っちゃった^^
この教室ではドラマ「坂の上の雲」で
真之役の本木雅弘さん、子規役の香川照之さん、漱石役の小澤征悦さん達の
授業のシーンが撮影されました

それにしてもこの机、良く考えられているんですよ
さて、この机の円形にへこんだところには何が置かれていたのでしょうか?

誰ですか?カップホルダーと思ったのは・・・
実は、熟年ふたりともそう思ってしまいました(笑)
この机の円形にへこんだところにはインク瓶を置いていたのだそうです
ということは中央前のくぼんだところはペンでしょう
ふふ~~ん、落とさないための工夫だったんですね♪
蓋を開けるとこんな感じ、この角度を使ったら書きやすかったとか(笑)

あ、結露が

いえいえこの結露は外のもの
ということはこの建物の中はよっぽど寒いってこと? ですよね(>_<)
皆さんとはここでお別れしまして
熟年二人、五高記念館のすぐ横にあるもうひとつの重要文化財「化学実験場」に寄ってみました

なかなか全体が撮れずまわってみました

やっぱりこのアングルじゃないよな、と駐車場の方にまわると
今度は停めてある車が邪魔、近寄って撮ってみました

2枚の写真で雰囲気を察してください^^;
そしてこちらは裏手にポツンと置き去りにされたような建物
化学実験場の倉庫でした

小さいけど重要な役割を果たしていたんでしょうね
姪っ子とうろうろしたときはここまで来るなんてことなかったな
今は彼女もほとんど九品寺のキャンパスだし
誘っていただかなければ、これほどまでの文化財を目の当たりにすることはなかったでしょう
貴重な体験でした、ほんとうにありがとうございましたm(__)m

<五高記念館>
[所在地] 熊本市黒髪2ー40ー1
[開館時間] 午前10時~午後4時 (但し、入館は午後3時30分迄)
[休館日] 毎週火曜日 年末年始 その他
※3月~11月の祝日は開館します。
※12月~2月の祝日は土日と重なった場合のみ開館します。
※熊本大学の行事の都合上、臨時に開館または休館する場合があります
[入館料] 無料
[駐車場] 専用駐車場なし(公共交通機関をご利用ください)
[アクセス] 地図はコチラ
今年になってから、あるグループに参加させていただき野菜作りをしているとっちん
久々の雨にほっと胸をなでおろしているところです
ここのところ、週に2回ほどはちょっと離れたところにある畑に通っています
一昨日も行ってきました
マルチを張っていて、ところどころ芽が出ていないのがジャガイモ^^;
その向こうにはスイカとカボチャが植えてあります
どららも3月4日に植え付けました
スイカもカボチャも、もう花が咲いているんですよ~♪
自然交配には頼れないということなので、ぼちぼち人工で受粉させないといけないようです
聞けばこれがかなり難しいので、講習を受けての作業になるんだとか
実家は農家だったけど、そんなまどろっこしいことしてなかったような・・・
また来週から忙しくなりそうだわ~
さて、今日は国東いたれりつくせりツアーの最終回、美味しいもので〆ますよ♪
KIKOさんが連れていってくださったのは杵築にあります「魚市魚座」さんです
住吉浜リゾートパークの近くです
入り口にはおサカナさんがぶら下がっております
鯛かと思ってたけど、今見たら下唇が出てるからクエ?
中に入ると1階はお土産売り場になっていました
売り場の中をするすると抜けて行くと階段があり、2階に上がります
1階の奥には水槽(いけす?)があっていろんな魚が泳いでいたので
T&Tはすかさず寄って行き、遊んでしまいました
3人はさっさと上がっちゃって(よっぽどお腹すいてたんだ・・^^)
気がつくといなくなってた、ちょっとの間迷子になっちゃったよ~(笑)
心配もしないでメニューを睨んでいた3人(あたりまえか)
T&T何事もなかったような顔をして座り、同じようにメニューを睨みます
この他に単品もたくさんありました
う~ん、迷うな~、えっと~、えっと~、う~ん・・・
あ、先にドンザビエルっちゅう黒ビールがきました
男ふたりであっという間に飲んじゃった
女性陣3人は「海鮮丼」を注文
わ、ご飯が見えないっす♪
6種類くらいの新鮮な刺身に、生きた車海老もノッてます、ぜいたく~^^
ハサミが一緒についてきました
車海老の殻を切ってくださいとのこと、へえ~@@
メニューに『飛びはね注意!』って書いてありますよね^^
当然、期待するでしょう♪
早く飛びはねないかな~と待っていたけど
KIKOさんのエビちゃんが跳ねただけ、しかもちょっと地味めに^^;
わさびを溶いたお醤油をかけるととっちんの車海老がちょびっとだけぴくっと!
かわいそうだけど、「いっただっきまーす!」
エビちゃんはハサミを入れるのは気の毒だったので、手でひん剥きました(こっちが残酷?)
ぴく、ぴくとかすかに最後の反応をしていたエビちゃん
そしたら指の皮に殻がささりました、バチがあたったんかな
当然ですが、美味しい~♪、こりゃうんま~い♪
甘くてプリプリでとっても美味しかったですよー☆
テルルさんは「あつめし りゅうきゅう御膳」を注文されました
“あつめし”と“りゅうきゅう”って同じもんじゃないの?
調べたら大分で一般的に呼ばれているのは“りゅうきゅう”で
佐伯市の一部では“あつめし”といわれる、海の男のまかない料理ということでした
豪快な料理なんですね~^^
で、らぼっちは「魚市御膳、たこめし」にしました
デッカイ魚の唐揚げがあったので「何の魚ですか?」って聞いたのに、忘れてしまいました(笑)
テルルさんのところにもあって怖そうな顔をしていましたが
こっちのは憎めない顔してましたよ^^
ところで“たこめし”、「ちょっとお時間かかります~」と言われてはいたんですが
いつまで経っても来ない!!
「たこめし、まだですか?」そこらへんを歩いていたお姉さんに聞きました
「あ、はい、ちょっとお待ちください」との返事
・・・・・・待ったけど来ない^^;
「たこめし、まだなんですかね?」後ろのカウンターにいたお兄さんに聞きました
「あ、ちょっとお待ちください」と同じような返事
・・・・・・また待ったけど来ない^^;
お刺身も魚の唐揚げもなくなりかけ、シビレを切らしたらぼっち
またしてもさっきのお兄さんに「まだ来ないの?」と催促
・・・・・・しかーし、来ない^^;
とうとうmamさんまでもがちょっと年配のおねーさん(オバチャンでしょ^^)に聞いてくれました
「たこめし、まだですかね?」
慌ててそのおねーさんが持って来ました~(そんな感じに思えました)
忘れられていたのかな?
「ごめんなさいね、お待たせしてー、おかずもなくなっちゃったね、お詫びにコレを食べて」
と、二つ目の冷奴も一緒にテーブルに置いていってくれました
おかずはなくなったてたけど、たこめしはほどよい味付けがしてあり
それだけでも美味しかったですよ
最初からあのおねーさんに言えばよかった^^;
待ちくたびれたけど、おねーさんの気持ちが嬉しくて
最後は気持ちよく、そしてとても美味しく夕飯をいただくことができました
ご馳走様でした~♪
満足して車に乗り込み、朝合流した別府国際観光港まで戻りました
KIKOさん車の手配から、ツアコン、お昼ご飯までたいへんお世話になりましたm(__)m
本当にきめ細かいお心遣いをしていただき、今でも感謝しております
熊本ゆるゆるジンジャラー、またの名を熊本ボンクラ隊を
これからもよろしくお願いしまーす
次は4人で熊本をご案内しますからね~♪
あ、収拾がつかなくなるかも、と思ったでしょ^^;
う~ん、確かにそれは否めませんね(笑)
KIKOさんとお別れした後は、カロちゃんに乗ってひたすら熊本へ
mamさん、長時間の運転お疲れ様でした
運転してたのに、真後ろにいたらぼっちが大口を開けて寝てたの、よく気がつきましたね^^
ひとりで疲れたみたいに気兼ねもせず爆睡するなんて、ホント失礼なヤツだ!
ごめんなさいね~m(__)m
お二人からはお土産をたくさんいただいたんですよ~
mamさんからは珍しい極細の素麺や季節のコーヒーにクッキー
クッキーは次の日すぐになくなり、コーヒーは香りがよかったですよ^^
素麺はすごかったです
あっというまに湯で上がり、あっというまにつるっとお腹の中に入っていきました
KIKOさんからは大分の名産品がいっぱ~い
関さば最中、お餅が入ってて美味しかったけど、鮎に見えてしかたなかったです(笑)
大分の椎茸やかぼす大好き、何にしても間違いないですね
まぜごはんはまだ食べていませんが、インパクトあるカレーやからし椎茸美味しかった~♪
おもしろいものも多いですよね^^
いやーそれにしても、朝も早くから日が変わろとする時間までよく遊んだもんだ
ロッククライミングもしたし、ちと勉強にもなりました^^
大分、奥が深い(山も深い^^)
これからも足しげく通いたいと強く思った熟年ふたりなのでした~^^
国東いたれりつくせりツアー♪ お・わ・り
久々の雨にほっと胸をなでおろしているところです
ここのところ、週に2回ほどはちょっと離れたところにある畑に通っています
一昨日も行ってきました

マルチを張っていて、ところどころ芽が出ていないのがジャガイモ^^;
その向こうにはスイカとカボチャが植えてあります
どららも3月4日に植え付けました
スイカもカボチャも、もう花が咲いているんですよ~♪
自然交配には頼れないということなので、ぼちぼち人工で受粉させないといけないようです
聞けばこれがかなり難しいので、講習を受けての作業になるんだとか
実家は農家だったけど、そんなまどろっこしいことしてなかったような・・・
また来週から忙しくなりそうだわ~

さて、今日は国東いたれりつくせりツアーの最終回、美味しいもので〆ますよ♪
KIKOさんが連れていってくださったのは杵築にあります「魚市魚座」さんです

住吉浜リゾートパークの近くです
入り口にはおサカナさんがぶら下がっております

鯛かと思ってたけど、今見たら下唇が出てるからクエ?
中に入ると1階はお土産売り場になっていました
売り場の中をするすると抜けて行くと階段があり、2階に上がります
1階の奥には水槽(いけす?)があっていろんな魚が泳いでいたので
T&Tはすかさず寄って行き、遊んでしまいました
3人はさっさと上がっちゃって(よっぽどお腹すいてたんだ・・^^)
気がつくといなくなってた、ちょっとの間迷子になっちゃったよ~(笑)
心配もしないでメニューを睨んでいた3人(あたりまえか)
T&T何事もなかったような顔をして座り、同じようにメニューを睨みます



この他に単品もたくさんありました
う~ん、迷うな~、えっと~、えっと~、う~ん・・・

あ、先にドンザビエルっちゅう黒ビールがきました
男ふたりであっという間に飲んじゃった
女性陣3人は「海鮮丼」を注文

わ、ご飯が見えないっす♪
6種類くらいの新鮮な刺身に、生きた車海老もノッてます、ぜいたく~^^
ハサミが一緒についてきました
車海老の殻を切ってくださいとのこと、へえ~@@
メニューに『飛びはね注意!』って書いてありますよね^^
当然、期待するでしょう♪
早く飛びはねないかな~と待っていたけど
KIKOさんのエビちゃんが跳ねただけ、しかもちょっと地味めに^^;
わさびを溶いたお醤油をかけるととっちんの車海老がちょびっとだけぴくっと!
かわいそうだけど、「いっただっきまーす!」

エビちゃんはハサミを入れるのは気の毒だったので、手でひん剥きました(こっちが残酷?)
ぴく、ぴくとかすかに最後の反応をしていたエビちゃん
そしたら指の皮に殻がささりました、バチがあたったんかな
当然ですが、美味しい~♪、こりゃうんま~い♪
甘くてプリプリでとっても美味しかったですよー☆
テルルさんは「あつめし りゅうきゅう御膳」を注文されました
“あつめし”と“りゅうきゅう”って同じもんじゃないの?
調べたら大分で一般的に呼ばれているのは“りゅうきゅう”で
佐伯市の一部では“あつめし”といわれる、海の男のまかない料理ということでした
豪快な料理なんですね~^^
で、らぼっちは「魚市御膳、たこめし」にしました

デッカイ魚の唐揚げがあったので「何の魚ですか?」って聞いたのに、忘れてしまいました(笑)
テルルさんのところにもあって怖そうな顔をしていましたが
こっちのは憎めない顔してましたよ^^

ところで“たこめし”、「ちょっとお時間かかります~」と言われてはいたんですが
いつまで経っても来ない!!
「たこめし、まだですか?」そこらへんを歩いていたお姉さんに聞きました
「あ、はい、ちょっとお待ちください」との返事
・・・・・・待ったけど来ない^^;
「たこめし、まだなんですかね?」後ろのカウンターにいたお兄さんに聞きました
「あ、ちょっとお待ちください」と同じような返事
・・・・・・また待ったけど来ない^^;
お刺身も魚の唐揚げもなくなりかけ、シビレを切らしたらぼっち
またしてもさっきのお兄さんに「まだ来ないの?」と催促
・・・・・・しかーし、来ない^^;
とうとうmamさんまでもがちょっと年配のおねーさん(オバチャンでしょ^^)に聞いてくれました
「たこめし、まだですかね?」
慌ててそのおねーさんが持って来ました~(そんな感じに思えました)
忘れられていたのかな?

「ごめんなさいね、お待たせしてー、おかずもなくなっちゃったね、お詫びにコレを食べて」
と、二つ目の冷奴も一緒にテーブルに置いていってくれました
おかずはなくなったてたけど、たこめしはほどよい味付けがしてあり
それだけでも美味しかったですよ
最初からあのおねーさんに言えばよかった^^;
待ちくたびれたけど、おねーさんの気持ちが嬉しくて
最後は気持ちよく、そしてとても美味しく夕飯をいただくことができました
ご馳走様でした~♪
満足して車に乗り込み、朝合流した別府国際観光港まで戻りました
KIKOさん車の手配から、ツアコン、お昼ご飯までたいへんお世話になりましたm(__)m
本当にきめ細かいお心遣いをしていただき、今でも感謝しております
熊本ゆるゆるジンジャラー、またの名を熊本ボンクラ隊を
これからもよろしくお願いしまーす
次は4人で熊本をご案内しますからね~♪
あ、収拾がつかなくなるかも、と思ったでしょ^^;
う~ん、確かにそれは否めませんね(笑)
KIKOさんとお別れした後は、カロちゃんに乗ってひたすら熊本へ
mamさん、長時間の運転お疲れ様でした
運転してたのに、真後ろにいたらぼっちが大口を開けて寝てたの、よく気がつきましたね^^
ひとりで疲れたみたいに気兼ねもせず爆睡するなんて、ホント失礼なヤツだ!
ごめんなさいね~m(__)m
お二人からはお土産をたくさんいただいたんですよ~
mamさんからは珍しい極細の素麺や季節のコーヒーにクッキー

クッキーは次の日すぐになくなり、コーヒーは香りがよかったですよ^^
素麺はすごかったです
あっというまに湯で上がり、あっというまにつるっとお腹の中に入っていきました
KIKOさんからは大分の名産品がいっぱ~い

関さば最中、お餅が入ってて美味しかったけど、鮎に見えてしかたなかったです(笑)
大分の椎茸やかぼす大好き、何にしても間違いないですね
まぜごはんはまだ食べていませんが、インパクトあるカレーやからし椎茸美味しかった~♪
おもしろいものも多いですよね^^
いやーそれにしても、朝も早くから日が変わろとする時間までよく遊んだもんだ
ロッククライミングもしたし、ちと勉強にもなりました^^
大分、奥が深い(山も深い^^)
これからも足しげく通いたいと強く思った熟年ふたりなのでした~^^
国東いたれりつくせりツアー♪ お・わ・り
<魚市魚座>
[所在地] 大分県杵築市大字守江4775-9
[TEL] 0978-63-9100
[営業時間] 売店 10:00〜20:00
お食事処 11:00〜22:00(ラストオーダー21:00)
[アクセス] 地図はコチラ
今日から大阪に春本番を告げる造幣局の「桜の通り抜け」が始まりました
128種類ある桜の中で選ばれた今年の花は「妹背」
ちらっとだけ見ましたが、八重咲きの可憐なピンク色の桜でした
今まではこの話題を気にもしていませんでしたが
2月に大阪に行った時にわかったのです
この造幣局が長男のマンションと目と鼻の先にあることが!
そうだそうだ、あの辺りはたっくさんの桜の木があったっけ^^
今頃、長男もあの桜の下を歩いてい・・・・・るわけないか~
熊本市内の桜もそろそろ終わりだな
さて、国東の続きです^^
夕方も5時半近くになると青空もなくなり風景も寂しく感じるようになりました
でも、KIKOさんと手のじご夫婦、熟年夫婦にはそんなの関係ありません
車の中は相変わらず子供の遠足のように賑やかです^^
ツアコンKIKOさんによるとその時「開運ロードとみくじ」なる道を走っているとのこと
海運で栄えた富来(とみく)港から文殊仙寺までの10kmを10×千=当選とかけて
「富来路(とみくじ)」として富を呼び込もうというものらしい
個人的には「富が来る」というより「福が来る」ほうがいいような・・・
あ、いえいえそんなこと言ったらバチが当たる(笑)
むむ?そういえば確かその道沿いにはなんだかおもしろい神社があったはず
ちょっと前にTVで見たぞ、と思ったとっちん
その何かは全然思い出せなかったんだけど(笑)
そして開運ロードの途中にあるその神社に寄ることになりました
「富来神社(とみくじんじゃ)」またの名を「八坂社」というようです
神額は「牛頭宮」かな?牛頭天王が勧請されているからのようです
“宝くじ運アップ”には多大なご利益があるといわれています
次の鳥居には「八坂神社」の文字^^
神門に近づいて思い出しました
こちらにはそれはそれは見事な彫刻があるということを♪
十二支方位盤にはそれぞれの動物が浮き彫りされています
入ってきた方から見上げるとこんな感じ^^
拝殿側から見たらまたちょっと雰囲気が違います
神門の彫刻は天井だけじゃありません
そこかしこに立派なものが施してあるんです
中でも圧巻はこの両扉♪
いかがですか、とっても見事な彫刻でしょ?
完成には10年を要したそうです、うーんわかるような気がします
それなのに・・・この扉の釘隠しに思わず反応してしまったT&T^^;
あっちとこっちでそれぞれ撮り合いっこ(笑)
128種類ある桜の中で選ばれた今年の花は「妹背」
ちらっとだけ見ましたが、八重咲きの可憐なピンク色の桜でした
今まではこの話題を気にもしていませんでしたが
2月に大阪に行った時にわかったのです
この造幣局が長男のマンションと目と鼻の先にあることが!
そうだそうだ、あの辺りはたっくさんの桜の木があったっけ^^
今頃、長男もあの桜の下を歩いてい・・・・・るわけないか~
熊本市内の桜もそろそろ終わりだな
さて、国東の続きです^^
夕方も5時半近くになると青空もなくなり風景も寂しく感じるようになりました
でも、KIKOさんと手のじご夫婦、熟年夫婦にはそんなの関係ありません
車の中は相変わらず子供の遠足のように賑やかです^^
ツアコンKIKOさんによるとその時「開運ロードとみくじ」なる道を走っているとのこと
海運で栄えた富来(とみく)港から文殊仙寺までの10kmを10×千=当選とかけて
「富来路(とみくじ)」として富を呼び込もうというものらしい
個人的には「富が来る」というより「福が来る」ほうがいいような・・・
あ、いえいえそんなこと言ったらバチが当たる(笑)
むむ?そういえば確かその道沿いにはなんだかおもしろい神社があったはず
ちょっと前にTVで見たぞ、と思ったとっちん
その何かは全然思い出せなかったんだけど(笑)
そして開運ロードの途中にあるその神社に寄ることになりました
「富来神社(とみくじんじゃ)」またの名を「八坂社」というようです

神額は「牛頭宮」かな?牛頭天王が勧請されているからのようです

“宝くじ運アップ”には多大なご利益があるといわれています
次の鳥居には「八坂神社」の文字^^

神門に近づいて思い出しました
こちらにはそれはそれは見事な彫刻があるということを♪
十二支方位盤にはそれぞれの動物が浮き彫りされています
入ってきた方から見上げるとこんな感じ^^

拝殿側から見たらまたちょっと雰囲気が違います

神門の彫刻は天井だけじゃありません
そこかしこに立派なものが施してあるんです

中でも圧巻はこの両扉♪


いかがですか、とっても見事な彫刻でしょ?
完成には10年を要したそうです、うーんわかるような気がします
それなのに・・・この扉の釘隠しに思わず反応してしまったT&T^^;
あっちとこっちでそれぞれ撮り合いっこ(笑)
遊びすぎました、ごめんなさいm(__)m
さて拝殿へと向かいましょう
その前に狛犬さんにご挨拶です


ユーモラスな顔に、見た途端にむふっと笑ってしまいました^^
拝殿には靴を脱いで上がらせていただきましたよ
大きな注連縄じゃーー!!あ、らぼっちの靴が片方落ちた
これじゃきっとご利益はないな^^;

広い拝殿にはさすが宝くじに関してのものが多かったですね
宝くじも買わなきゃ当たらないって!(我が家はここ何年も買ってないし。。)

こちらにある神額は珍しかったです

宝くじが当たるお願いじゃなく、いつものお願いと東日本の復興を祈りました
さて外に出ると1本の木が目に入ってきました

クスの木ですが、この木はちょっと特別のようです


“雄”と“メス”がくるようです(笑)
フクロウが見れると良い事がありそうですね^^
拝殿の右側を歩いていくと、御神木の樫の木がどーんと立っていました

すごく立派に見えたのですが、後ろにまわるとびっくり
張りぼてのように表面だけでこの元気、パワーを感じます!

神殿の方に向くと入り口があります

これが三匹の子供を抱いた雄の唐獅子、子孫繁栄、家内安全、海上安全を祈願します

順路に沿って歩くとすぐに小さいお社があります

小さいといっても侮るなかれ、込み入った彫刻がなされていました

おや?あの二つの石はなんでしょか?狛犬のようにも見えますが・・
もちろん神殿の後ろを回り込んだ反対側にもお社はありました

ありゃこちらには石はないのですね

ね、素晴らしい彫刻でしょう^^
しかし、あくまでもこちらは横にあるお社のものなんですから
おっと忘れていました、、雌の「運玉唐獅子」のこと(笑)

らぼっちが運玉に触れて、財宝祈願、開運祈願
さっき靴が落ちちゃったからな、たぶん無理だろうなー、えへへ^^;
そして神殿がこちらになります!

どこを見てもため息が出るくらいすごい彫刻です

うーんっと、暗いのでうまく撮れていませんが
橋の上や下に数匹の唐獅子が配された秀逸の作ってこれですかね?

天女の彫刻もあったようですが、よくわかりませんでした^^;
いやー、大分の神社やお寺の彫刻は立派なものが多いと以前から認識はしておったのですが
ここ富来神社の彫刻は群を抜いているようにさえ感じられました
ほんと素晴らしかったです
みんな少なからず「運」をいただいて帰ってきたと思っていました
ところがですよ、何かにこんなことが書いてありました
『ここにはあたるための作法というのが存在し
10項目もの作法をクリアしないとご利益がないみたいです。』
ちょいとお待ちよおめーさん、するってぇーとなにかい?
何の作法も知らなかったゆるゆる仙隊ジンジャラー5人組にご利益はないってことかい?
あー、あの狭い道の奥の駐車場に入ったら10の作法が書いてあったようです
ま、 富には恵まれないかもしれませんが
友には恵まれているのでヨシとしましょう♪

<富来神社>
[所在地]大分県国東市国東町富来854-2
[アクセス]地図はコチラ
「文殊仙寺」を後にしたのが既に午後5時前
ツアコンKIKOさんの予定ではもう1ヶ所「泉福寺」に行く予定になっていたようですが
到底無理だろうということで宿題となりました
今さらですが、ちょっとここで国東の六郷満山をおさらい^^
この国東半島には、中央の両子山から放射状に伸びる谷に沿い
武蔵(むさし)来縄(くなわ)国東(くにさき)田染(たしぶ)安岐(あき)伊美(いみ)
という六郷と言われる地域となっていました
そして、神仏習合の独特な山岳仏教文化が形成されていた国東半島の寺院群は
学問をするため本山(もとやま)
修行をするための中山(なかやま)
布教をするための末山(すえやま)
の3つの群に分けられ合わせて満山と呼ばれていました
こうして国東半島の寺院を総称して六郷満山と呼ぶようになったということなんです
ということで現在は国東六郷満山霊場として33ヶ所の寺院が挙げられています
今回訪れた「天念寺」は第九番、「岩戸寺」は第二十六番
そして「文殊仙寺」は第二十五番となっていたのですが
他に通りすがりにも寄ってみたかったところがたくさんありました
みんな見てまわるとなるとどのくらいかかるのだろうかと車の中でも話題に
一週間泊り込みだとまわり切れるかも
んにゃ、それでも無理じゃないかとか、わいわい賑やかなこと^^
どのお寺にも独特な雰囲気やら珍しいものがあったりするんですよねー♪
以前から大分の神社寺院は彫刻が素晴らしいとは思っていましたが
どうもそれだけではないということがよくわかりました
今度はいつ行こうかと計画中の熟年夫婦であります(笑)
さて、泉福寺をあきらめた一行は
文殊仙寺から富来に繋がる「富来路(とみくじ)ロード」を走っていました
車中から見えるものにいちいち反応する手のじご夫婦と熟年夫婦の熊本ぼんくら隊(笑)
その度に「寄って行く?」と毎回気遣うKIKOさん^^;
「そんなに構わなくていいんですよ、ただ騒々しいだけなので・・・」とスルーしていたのです
ところが、KIKOさんの敏感な何かが反応したのでしょう
「あれは?」という言葉と同時にハンドルを切ったのでした
おおー、すんばらしいじゃないですか♪
道路から100mくらい離れていたのに、KIKOさんの感性はお見事!
枝垂れ桜なのにピンピンのちょっと反抗期な枝もあったりして、まさにこの5人組にぴったり(笑)
こちらのお寺は「泉慶寺」
実は、山門のちょいと左側にも立派な桜があったのです、多分ソメイヨシノが!
しかし、このオテラー5人組はそちらの桜には見向きもせず、この枝垂れ桜に夢中でした^^
さぞかしうるさかったんでしょうね
境内をお掃除中の半袖Tシャツのご住職が山門越しにいぶかしげに見ておられ
それから顔を出されたのです
こりゃいかんと「すみませーん、枝垂れ桜を見せていただいてまーす」と挨拶すると
「中にも立派な松があるんですよ、どうぞ見ていってください」とおっしゃいます
なんですとー、松がぁーー?
そりゃ、見せていただきやしょう^^
どれどれと門をくぐります、むふっ
ほほう「鶴寿の松」というのですね
樹齢は305年、さすがに幹が太い!
ぐにゃーんと曲がって(曲げられて?)います
長さは33mあるそうです
松の端から端まで走ったら息切れしそうです(笑)
ここが中心部ですから、凄さはわかっていただけます?
庭もきれいに砂紋が引いてありました
奥に小さく見える方がご住職さん^^
竹灯篭もあったので「今日はこれから何かあるのですか」と尋ねると
「今日は同窓会があるんですよ、ここで」とおっしゃいます
同窓会ですか・・・?
オテラー5人組、ちょっと首をかしげながらお礼を述べて山門を出ました^^;
枝垂れ桜の前で記念撮影をしたあと、菜の花を前にもう一枚♪
いつものようにテルルさんにセッティングしてもらいましたよ^^
菜の花いっぱい咲いているように見えるでしょ?
実はー、むふふなんです(笑)
土手があったりちょっと距離も離れていたので大丈夫かな、と心配しましたが
無事に記念撮影を終えることができました^^
ところが、みんながホッとしたところで「ありゃーーー!」という声
KIKOさんが花びら花粉まみれとなっていました(笑)

そんなに花びらつけなくても充分、華が咲いてますからー^^v
何をしても笑いが絶えません^^
さ、富来路ロードをくだりましょうかね
続きは明日♪
まだ終わらないのかよーって言わないでね^_-

ツアコンKIKOさんの予定ではもう1ヶ所「泉福寺」に行く予定になっていたようですが
到底無理だろうということで宿題となりました
今さらですが、ちょっとここで国東の六郷満山をおさらい^^
この国東半島には、中央の両子山から放射状に伸びる谷に沿い
武蔵(むさし)来縄(くなわ)国東(くにさき)田染(たしぶ)安岐(あき)伊美(いみ)
という六郷と言われる地域となっていました
そして、神仏習合の独特な山岳仏教文化が形成されていた国東半島の寺院群は
学問をするため本山(もとやま)
修行をするための中山(なかやま)
布教をするための末山(すえやま)
の3つの群に分けられ合わせて満山と呼ばれていました
こうして国東半島の寺院を総称して六郷満山と呼ぶようになったということなんです
ということで現在は国東六郷満山霊場として33ヶ所の寺院が挙げられています
今回訪れた「天念寺」は第九番、「岩戸寺」は第二十六番
そして「文殊仙寺」は第二十五番となっていたのですが
他に通りすがりにも寄ってみたかったところがたくさんありました
みんな見てまわるとなるとどのくらいかかるのだろうかと車の中でも話題に
一週間泊り込みだとまわり切れるかも
んにゃ、それでも無理じゃないかとか、わいわい賑やかなこと^^
どのお寺にも独特な雰囲気やら珍しいものがあったりするんですよねー♪
以前から大分の神社寺院は彫刻が素晴らしいとは思っていましたが
どうもそれだけではないということがよくわかりました
今度はいつ行こうかと計画中の熟年夫婦であります(笑)
さて、泉福寺をあきらめた一行は
文殊仙寺から富来に繋がる「富来路(とみくじ)ロード」を走っていました
車中から見えるものにいちいち反応する手のじご夫婦と熟年夫婦の熊本ぼんくら隊(笑)
その度に「寄って行く?」と毎回気遣うKIKOさん^^;
「そんなに構わなくていいんですよ、ただ騒々しいだけなので・・・」とスルーしていたのです
ところが、KIKOさんの敏感な何かが反応したのでしょう
「あれは?」という言葉と同時にハンドルを切ったのでした

おおー、すんばらしいじゃないですか♪

道路から100mくらい離れていたのに、KIKOさんの感性はお見事!
枝垂れ桜なのにピンピンのちょっと反抗期な枝もあったりして、まさにこの5人組にぴったり(笑)

こちらのお寺は「泉慶寺」

実は、山門のちょいと左側にも立派な桜があったのです、多分ソメイヨシノが!
しかし、このオテラー5人組はそちらの桜には見向きもせず、この枝垂れ桜に夢中でした^^

さぞかしうるさかったんでしょうね
境内をお掃除中の半袖Tシャツのご住職が山門越しにいぶかしげに見ておられ
それから顔を出されたのです
こりゃいかんと「すみませーん、枝垂れ桜を見せていただいてまーす」と挨拶すると
「中にも立派な松があるんですよ、どうぞ見ていってください」とおっしゃいます
なんですとー、松がぁーー?
そりゃ、見せていただきやしょう^^
どれどれと門をくぐります、むふっ

ほほう「鶴寿の松」というのですね

樹齢は305年、さすがに幹が太い!
ぐにゃーんと曲がって(曲げられて?)います

長さは33mあるそうです

松の端から端まで走ったら息切れしそうです(笑)
ここが中心部ですから、凄さはわかっていただけます?

庭もきれいに砂紋が引いてありました
奥に小さく見える方がご住職さん^^

竹灯篭もあったので「今日はこれから何かあるのですか」と尋ねると
「今日は同窓会があるんですよ、ここで」とおっしゃいます
同窓会ですか・・・?
オテラー5人組、ちょっと首をかしげながらお礼を述べて山門を出ました^^;
枝垂れ桜の前で記念撮影をしたあと、菜の花を前にもう一枚♪
いつものようにテルルさんにセッティングしてもらいましたよ^^

菜の花いっぱい咲いているように見えるでしょ?
実はー、むふふなんです(笑)
土手があったりちょっと距離も離れていたので大丈夫かな、と心配しましたが
無事に記念撮影を終えることができました^^
ところが、みんながホッとしたところで「ありゃーーー!」という声
KIKOさんが花びら花粉まみれとなっていました(笑)

そんなに花びらつけなくても充分、華が咲いてますからー^^v
何をしても笑いが絶えません^^
さ、富来路ロードをくだりましょうかね
続きは明日♪
まだ終わらないのかよーって言わないでね^_-

<泉慶寺>
[所在地] 大分県国東市国東町富来1896-2
[アクセス] 地図はコチラ
今日はまた国東ツアーの続きです
実はですね、今回の国東ツアーはこれがために挙行されたというモノだったのです
このパンフの雰囲気といい、12年に1度だけの「御本尊御開帳」といい
“オテラー”でなくとも、行かなきゃ!という気持ちになるでしょう
ということで、KIKOさんの案内で手のじご夫婦と共にやってきました?「文殊仙寺(もんじゅせんじ)」^^
駐車場には午後3時過ぎに到着、案外車が少ないんじゃないの?
正面には仏具岩と言われる奇岩がそびえていました
さて、648年に役の行者により開山された「文殊仙寺」とは・・・
日本三文殊のひとつであり、「三人寄れば文殊の知恵」発祥の寺として有名だったんだ
「文殊仙寺」のHPには
「三大文殊として当山、豊後の文殊は日本三文殊霊場三番札所となっており
一番は奈良県桜井市の安倍の文殊院、二番は京都府宮津市天橋立の切戸の文殊となっております。
ただし、東日本では三番札所が山形県亀岡市の亀岡文殊、近畿・四国地方では高知県高知市の竹林寺
と変わり各地域により文殊信仰が親しまれていた証であります。」
と書いてありました
所変われば、ってことですかね^^;
さあ三人ならぬ五人ですが、寄れば文殊の知恵となりますかどうか(笑)
石段を登って行くと見えてきました、仁王様^^
こちらは御開帳のポスターにも使われている阿形の仁王様
風格があります^^

こちらは吽形の仁王様、もしかして頭部にあったはずの衣が欠けている?

そうそう、ここにあった石灯籠も珍しかったんです
狛犬?の顔が四方に向かって睨んでおりました^^;
さあ、着いてから15分も経ってしまった、登らなきゃね^^
あらら、途中からテルルさんは列を離脱「どこ行くの??」(笑)

狭い道の向こうには橋のようなものがあったと興奮気味に帰ってこられました^^
わ?お、ここもお城のような石垣ですよ
反ってるし、苔むしててすんばらしい!!
お、山門を見上げる美女がひとり、mamさんだった♪
やっぱり何かをくぐるときは上を見上げる、これ常識となってきました
だ?れ?こんなところにお金を置いたの^^;
やっと本殿(奥の院)が見えてきました
「あそこ、すごいよ」の声に見上げる、なになに?
一旦登った石段を下りて真下から見てみました
なんじゃーこりゃー♪
立派な龍じゃありませんか、かすかに色もついている
ドラゴンボールも持ってるし、ってシェンロンか(笑)
5人ともその素晴らしさに彫刻を見つめたまま、「すごい!」と一言
再び石段を登ったらこんな狛犬つきの石灯籠が迎えてくれました

横にはどうやって載せたのか、崩れそうな石が
見ているだけで落ちてきそうじゃー^^;
本殿より左側には十六羅漢
なぜか数えるらぼっち、「1、2、3、・・・ん?14体しかいな?い」
まさかと、とっちん、「1、2、3・・・16、17、あれ?あれれ?」
ここでこんなことしちゃいけないんじゃないかと疑問に思うのはやめました^^;
その奥には、役の行者さまがおられました
1本歯の下駄で修行した役の行者さまにちなんで足をさすると丈夫になるという
mamさんの記事を見て「俺もさすっておけばよかった」と後悔しきり
さあ、このあとはいよいよ本殿に上がり文殊菩薩を拝顔させていただくことになるのですが
ここからはカメラを出すのを遠慮しましたので、拙い文面にてご想像ください^^
KIKOさんは前に娘さんと来られてお願いされたということで外で待たれることになりました
まずは500円を納め、護摩木にお願い事を書きます
7?8人ずつのグループごとにお祓いをしていただきます
この時大きな教本のようなもので両肩をたたかれるのですが、結構痛かった?^^;
お祓いの後、横から本堂の奥に入っていきます
本殿の後ろは岩山、その通路の中ほどに文殊菩薩様はおられました
高さ約30cm、とても小さく感じました
思った以上に色黒で(?)暗い中でははっきりとお顔が見えません
近寄れるだけ近づいてみましたが、やっぱり目鼻立ちさえよくわかりませんでした
あ、よくよく調べたら菩薩像は金属製で約60cmの木製唐獅子像に乗っていたんだ
それもよくわからなかった、眼鏡かけてよく見ればよかった^^;
雰囲気だけは脳裏に焼き付けました、これだけでも違うでしょ
いろいろと説明を受けて、その時はなるほどと思ったのにあまり覚えていない
らぼっちがなぜ12年に一回の御開帳かと聞いたのだけは覚えています
文殊仙寺の場合、戦前は33年に1度だけ開帳していたようですが
文殊菩薩様が卯(う)年生まれの人の守護仏とされることから
戦後になって卯年ごとに開帳するようになったということです
ちなみに、守護仏とは
千手観世音菩薩 → 子年(ねずみ) 虚空蔵菩薩 → 丑・寅年(うし・とら)
文殊菩薩 → 卯年(うさぎ) 普賢菩薩 → 辰・巳年(たつ・へび)
勢至菩薩 → 午年(うま) 大日如来 → 未・申年(ひつじ・さる)
不動明王 → 酉年(とり) 阿弥陀如来 → 戌・亥年(いぬ・い)
ご焼香してお参りした後は、そのまた奥にすすみます
岩窟から湧出している智恵が授かるとされる「智恵の水」をいただきました
う?ん、子供の頃に裏山の沢で飲んだ水の味に似ていました
これで少しはボケ封じができるかな?、え、違うって?
こうして最後にお願い事を書いた護摩木を受付に渡します
この護摩木は11月25日から27日までの3日間、大護摩供にて祈願していただけるそうです
KIKOさん、お待たせしちゃってごめんなさ?い
拝観も済み合流した5人は、客殿?(宿坊?)で行われていた「寺宝展」へ
本当は聖徳太子殿に入りたくて招かれるままに上がりこんだのですが
「そこはダメ!」と言われました^^;
もちろん撮影禁止でしたが
展示してあった曼荼羅(まんだら)や鬼会面、13世紀の「金剛界」「胎蔵界」の「両界曼荼羅」
それに江戸時代の「釈迦涅槃(しゃかねはん)図」など素晴らしいものを見せていただきました
それからついにここに到達、鐘楼門です^^

テルルさんを差し置いて、タッタカらぼっちが登って鐘を撞いてしまいました^^;
>
ご???ん!!!「ちょっと?、強く突きすぎでしょー!」
そして一番ノリノリのテルルさん、にこやかに、ご???ん♪
この後、みんなも撞いて撞いてつきまくる(下からだと顔も何もわからない^^;)
もちろんとっちんも^^
実はですね、今回の国東ツアーはこれがために挙行されたというモノだったのです

このパンフの雰囲気といい、12年に1度だけの「御本尊御開帳」といい
“オテラー”でなくとも、行かなきゃ!という気持ちになるでしょう
ということで、KIKOさんの案内で手のじご夫婦と共にやってきました?「文殊仙寺(もんじゅせんじ)」^^
駐車場には午後3時過ぎに到着、案外車が少ないんじゃないの?
正面には仏具岩と言われる奇岩がそびえていました

さて、648年に役の行者により開山された「文殊仙寺」とは・・・

日本三文殊のひとつであり、「三人寄れば文殊の知恵」発祥の寺として有名だったんだ
「文殊仙寺」のHPには
「三大文殊として当山、豊後の文殊は日本三文殊霊場三番札所となっており
一番は奈良県桜井市の安倍の文殊院、二番は京都府宮津市天橋立の切戸の文殊となっております。
ただし、東日本では三番札所が山形県亀岡市の亀岡文殊、近畿・四国地方では高知県高知市の竹林寺
と変わり各地域により文殊信仰が親しまれていた証であります。」
と書いてありました
所変われば、ってことですかね^^;

さあ三人ならぬ五人ですが、寄れば文殊の知恵となりますかどうか(笑)
石段を登って行くと見えてきました、仁王様^^

こちらは御開帳のポスターにも使われている阿形の仁王様
風格があります^^


こちらは吽形の仁王様、もしかして頭部にあったはずの衣が欠けている?


そうそう、ここにあった石灯籠も珍しかったんです
狛犬?の顔が四方に向かって睨んでおりました^^;

さあ、着いてから15分も経ってしまった、登らなきゃね^^

あらら、途中からテルルさんは列を離脱「どこ行くの??」(笑)


狭い道の向こうには橋のようなものがあったと興奮気味に帰ってこられました^^

わ?お、ここもお城のような石垣ですよ
反ってるし、苔むしててすんばらしい!!

お、山門を見上げる美女がひとり、mamさんだった♪

やっぱり何かをくぐるときは上を見上げる、これ常識となってきました
だ?れ?こんなところにお金を置いたの^^;

やっと本殿(奥の院)が見えてきました

「あそこ、すごいよ」の声に見上げる、なになに?

一旦登った石段を下りて真下から見てみました
なんじゃーこりゃー♪
立派な龍じゃありませんか、かすかに色もついている
ドラゴンボールも持ってるし、ってシェンロンか(笑)

5人ともその素晴らしさに彫刻を見つめたまま、「すごい!」と一言
再び石段を登ったらこんな狛犬つきの石灯籠が迎えてくれました


横にはどうやって載せたのか、崩れそうな石が
見ているだけで落ちてきそうじゃー^^;

本殿より左側には十六羅漢

なぜか数えるらぼっち、「1、2、3、・・・ん?14体しかいな?い」
まさかと、とっちん、「1、2、3・・・16、17、あれ?あれれ?」
ここでこんなことしちゃいけないんじゃないかと疑問に思うのはやめました^^;
その奥には、役の行者さまがおられました

1本歯の下駄で修行した役の行者さまにちなんで足をさすると丈夫になるという
mamさんの記事を見て「俺もさすっておけばよかった」と後悔しきり
さあ、このあとはいよいよ本殿に上がり文殊菩薩を拝顔させていただくことになるのですが
ここからはカメラを出すのを遠慮しましたので、拙い文面にてご想像ください^^
KIKOさんは前に娘さんと来られてお願いされたということで外で待たれることになりました
まずは500円を納め、護摩木にお願い事を書きます
7?8人ずつのグループごとにお祓いをしていただきます
この時大きな教本のようなもので両肩をたたかれるのですが、結構痛かった?^^;
お祓いの後、横から本堂の奥に入っていきます
本殿の後ろは岩山、その通路の中ほどに文殊菩薩様はおられました
高さ約30cm、とても小さく感じました
思った以上に色黒で(?)暗い中でははっきりとお顔が見えません
近寄れるだけ近づいてみましたが、やっぱり目鼻立ちさえよくわかりませんでした
あ、よくよく調べたら菩薩像は金属製で約60cmの木製唐獅子像に乗っていたんだ
それもよくわからなかった、眼鏡かけてよく見ればよかった^^;
雰囲気だけは脳裏に焼き付けました、これだけでも違うでしょ
いろいろと説明を受けて、その時はなるほどと思ったのにあまり覚えていない
らぼっちがなぜ12年に一回の御開帳かと聞いたのだけは覚えています
文殊仙寺の場合、戦前は33年に1度だけ開帳していたようですが
文殊菩薩様が卯(う)年生まれの人の守護仏とされることから
戦後になって卯年ごとに開帳するようになったということです
ちなみに、守護仏とは
千手観世音菩薩 → 子年(ねずみ) 虚空蔵菩薩 → 丑・寅年(うし・とら)
文殊菩薩 → 卯年(うさぎ) 普賢菩薩 → 辰・巳年(たつ・へび)
勢至菩薩 → 午年(うま) 大日如来 → 未・申年(ひつじ・さる)
不動明王 → 酉年(とり) 阿弥陀如来 → 戌・亥年(いぬ・い)
ご焼香してお参りした後は、そのまた奥にすすみます
岩窟から湧出している智恵が授かるとされる「智恵の水」をいただきました
う?ん、子供の頃に裏山の沢で飲んだ水の味に似ていました
これで少しはボケ封じができるかな?、え、違うって?
こうして最後にお願い事を書いた護摩木を受付に渡します
この護摩木は11月25日から27日までの3日間、大護摩供にて祈願していただけるそうです
KIKOさん、お待たせしちゃってごめんなさ?い
拝観も済み合流した5人は、客殿?(宿坊?)で行われていた「寺宝展」へ
本当は聖徳太子殿に入りたくて招かれるままに上がりこんだのですが
「そこはダメ!」と言われました^^;
もちろん撮影禁止でしたが
展示してあった曼荼羅(まんだら)や鬼会面、13世紀の「金剛界」「胎蔵界」の「両界曼荼羅」
それに江戸時代の「釈迦涅槃(しゃかねはん)図」など素晴らしいものを見せていただきました
それからついにここに到達、鐘楼門です^^

テルルさんを差し置いて、タッタカらぼっちが登って鐘を撞いてしまいました^^;

>
ご???ん!!!「ちょっと?、強く突きすぎでしょー!」
そして一番ノリノリのテルルさん、にこやかに、ご???ん♪

この後、みんなも撞いて撞いてつきまくる(下からだと顔も何もわからない^^;)
もちろんとっちんも^^

軽く撞いたつもりなのに、らぼっちよりもはるかに大きい音がしました(笑)
こういう撞き方の時は加減がわからない、要注意です
文殊菩薩様、文殊仙寺の関係者の皆様ごめんなさいm(__)m
鐘楼門をくぐったところには日本一大きいとされる高さ約9mの宝篋印塔がありました
またもしつこく豊胸って変換されるし^^

晴れた日には愛媛県や山口県が見え、瀬戸内海を行き来する船まで見えるんだとか
そうとは知らない5人組、景色を見ることもしなかった^^;
なぜかというと、その下に樹齢約1,000年と言われる大欅があったからなんです

御神木とされるこの大欅、大きさといいパワーといいすごかったです!

こちらの美女は何を思って佇んでいらっしゃる?

このあとはちょっと散策、ここは本当に奇岩が多いな?


「あ゛っ!!!」
そろそろ帰ろうかとした時、テルルさんにとんだ災難が降りかかり棒立ち、固まっちゃいました


いえテルルさんは何もしてないんですけどね、一瞬みんな凍りついてしまったのです
起こったことは内緒!
冷静になったところで下山することにしました

「三人寄れば文殊の知恵」智恵の水もいただいたのに
やっぱり5人じゃダメみたい
「五人寄ればかしましい」
だけでした(爆)
<文殊仙寺>
[所在地]大分県国東市国東町大恩寺2432
[アクセス]地図はコチラ
午後2時46分、全国に黙祷のサイレンが鳴り響きました
東日本大震災から1ヶ月
1分間という短い時間ですが全国民が弔意と共に復興の願いを祈ったことでしょう
TVからは再びあの日の映像が流れてきます
未だに1万4000人以上が行方不明のまま
今日、AERAの増刊号「東日本大震災」を購入しました
目に留まった1枚の写真
瓦礫の上を飛び回るたくさんのカモメ、見出しは
「啼き騒ぐ鳥山の下にヒトの死臭あり。」
今日の午後5時過ぎに、またしても6弱の強い余震
被災地では地震と津波の恐怖がいまも続いています・・・
避難された方々の安らぐ日はいつになったら訪れるのでしょうか
阪神大震災での被災者の話です
『被災地の悲しみをわかろうとしても無理、復興なんて言葉を軽く口には出せない
表向きには復興しているように見えても、震災から何年か立って生活が困難になる
頑張るのは被災者ではない人達
自粛より消費して経済を活性化させ、被災地での仕事ができる環境作りが大切』
いろんな考えもあると思いますが、体験者の言葉には重みがあります
きれいごとじゃなく、どうしたら力になれるかを日々考えていくことが大切ですね
政治ではにっぽん国の一大事だというのに、どうしてとりあえずの協力ができないのだろう
今は、緊急政策、特別立法、暫定措置など
考えられる限りの政策を与野党が協力して打ち出すべきではないでしょうか
野党の自民党も国民からしっかり見られていることを理解できていない!
今回の災害対応で国民は更に政治不信がつのっています
義援金も被害の全容が分からないので配分方法が決まっていないという
とりあえず2~3割だけでも生き残った方達に均等配分すればいいではないですか
あるいは震災前の市町村の人口で割り振ってもいいではないですか
今は市町村や被災者に一刻でも早く義援金を届けることが
募金した方々の意思なんですから
東北地方は雨、明日は真っ青な晴れ間が広がっているといいな・・・
東日本大震災から1ヶ月
1分間という短い時間ですが全国民が弔意と共に復興の願いを祈ったことでしょう
TVからは再びあの日の映像が流れてきます
未だに1万4000人以上が行方不明のまま
今日、AERAの増刊号「東日本大震災」を購入しました
目に留まった1枚の写真
瓦礫の上を飛び回るたくさんのカモメ、見出しは
「啼き騒ぐ鳥山の下にヒトの死臭あり。」
今日の午後5時過ぎに、またしても6弱の強い余震
被災地では地震と津波の恐怖がいまも続いています・・・
避難された方々の安らぐ日はいつになったら訪れるのでしょうか
阪神大震災での被災者の話です
『被災地の悲しみをわかろうとしても無理、復興なんて言葉を軽く口には出せない
表向きには復興しているように見えても、震災から何年か立って生活が困難になる
頑張るのは被災者ではない人達
自粛より消費して経済を活性化させ、被災地での仕事ができる環境作りが大切』
いろんな考えもあると思いますが、体験者の言葉には重みがあります
きれいごとじゃなく、どうしたら力になれるかを日々考えていくことが大切ですね
政治ではにっぽん国の一大事だというのに、どうしてとりあえずの協力ができないのだろう
今は、緊急政策、特別立法、暫定措置など
考えられる限りの政策を与野党が協力して打ち出すべきではないでしょうか
野党の自民党も国民からしっかり見られていることを理解できていない!
今回の災害対応で国民は更に政治不信がつのっています
義援金も被害の全容が分からないので配分方法が決まっていないという
とりあえず2~3割だけでも生き残った方達に均等配分すればいいではないですか
あるいは震災前の市町村の人口で割り振ってもいいではないですか
今は市町村や被災者に一刻でも早く義援金を届けることが
募金した方々の意思なんですから
東北地方は雨、明日は真っ青な晴れ間が広がっているといいな・・・
いやー、今日はじんわり汗をかくくらい暖かかったですね♪
その陽気に誘われて、またかいと、思われるでしょうがまたまた
阿蘇に出かけてまいりました^^v
でも今日は熟年だけではなく
いつもの手のじご夫婦の他に、ユカマサさんご夫婦、そしてmaiさんの
ブロガー仲間達と花見の宴を開催しました^^v
それぞれ一品持ち寄ろうねということですが
とっちんは昨晩から下準備に大忙し!
もちろん、らぼっちも出来ることを手伝いましたよ
だってこういう朝は、いつも時間あせあせ、気持ちあせあせで
口論になっちゃうんですよね♪
どこも似てませんか?ねっ、テルルさん^^;
今日は時間どおりに家を出ることができました
maiさんと手のじ二人を拾って、いざ出発!
ミルクロードから回り込んで下った道は「天空の道」
この時季ばかりは背景よりもキスミレが綺麗でした♪
花見の場所は手のじ夫婦が数ある中からセレクトしたまる秘スポット
あまり教えたくないんですが、ルートを辿ると分かっちゃうかな
到着したのはこちら、場所の名前は秘密にしとこう^^
桜の影を探してセッティング
さあ般若1号、2号が昨晩からがんばったお弁当のお披露目です
とっちんも、mamさんも腕を振るった豪華手料理が並びます
ユカさんもずんだ餅、maiちゃんも手作りプリンを持ってきてくれました

はい、ほれほれ早く食べよう♪
皆で乾杯しながら撮影^^
(あっ、これ運転手はアルコールゼロ飲料ですからね^^)
ボリュームがあったみたいですが結構売れてました
やはり、大自然に囲まれて、桜に囲まれて、気心知れた楽しい仲間に囲まれて
話もはずむし、食欲もはずむ♪
女性陣、ありがとうね
どれもこれもとっても美味しかったです♪
テルルさんは飲んだら少し静かになるということを始めて知りました
飲んでアレ以上饒舌になったら、さぞうるさかろうて、良くできたもんですm(_ _)m
ムスコっちも大きくなってました、でも重くもなってたね^^;
らぼっちやmamさんが抱っこするのに苦労するなか
maiちゃん、なんか様になってるんではないかい♪
桜に囲まれたこんな場所だったんですよ、周りには誰もいません♪
秘密にしたいのが分かるでしょ
もうちょっと、登ってみましょうか
眼下の桜と阿蘇五岳の涅槃像も素晴らしいコンビでしょ♪
高い高いのムスコっちと阿蘇五岳のコラボ^^
それから向かったのが昨日も訪れた「観音桜」
今日も夕方だったので光があたっていなかったのがちょっと残念
宴会で長居しすぎたね^^;
今日知ったんですが昨日の土曜日は夜9時までライトアップされてたそうです
昨日は案内も説明もされてなかったよなぁ
観音桜に向かう道を更に登っていくと出来たばかりの公園に出ます
阿蘇五岳を目の前に、そして南阿蘇谷を見下ろすように180度の絶景スポット!
観音桜はここから見ても、目立ちますね♪

美味しくて、楽しくて、幸せな一日でした♪
こんな幸せな時間を抱けることに感謝、感謝!

その陽気に誘われて、またかいと、思われるでしょうがまたまた
阿蘇に出かけてまいりました^^v
でも今日は熟年だけではなく
いつもの手のじご夫婦の他に、ユカマサさんご夫婦、そしてmaiさんの
ブロガー仲間達と花見の宴を開催しました^^v
それぞれ一品持ち寄ろうねということですが
とっちんは昨晩から下準備に大忙し!
もちろん、らぼっちも出来ることを手伝いましたよ
だってこういう朝は、いつも時間あせあせ、気持ちあせあせで
口論になっちゃうんですよね♪
どこも似てませんか?ねっ、テルルさん^^;
今日は時間どおりに家を出ることができました
maiさんと手のじ二人を拾って、いざ出発!
ミルクロードから回り込んで下った道は「天空の道」
この時季ばかりは背景よりもキスミレが綺麗でした♪

花見の場所は手のじ夫婦が数ある中からセレクトしたまる秘スポット
あまり教えたくないんですが、ルートを辿ると分かっちゃうかな
到着したのはこちら、場所の名前は秘密にしとこう^^

桜の影を探してセッティング
さあ般若1号、2号が昨晩からがんばったお弁当のお披露目です
とっちんも、mamさんも腕を振るった豪華手料理が並びます
ユカさんもずんだ餅、maiちゃんも手作りプリンを持ってきてくれました


はい、ほれほれ早く食べよう♪
皆で乾杯しながら撮影^^
(あっ、これ運転手はアルコールゼロ飲料ですからね^^)

ボリュームがあったみたいですが結構売れてました
やはり、大自然に囲まれて、桜に囲まれて、気心知れた楽しい仲間に囲まれて
話もはずむし、食欲もはずむ♪

女性陣、ありがとうね
どれもこれもとっても美味しかったです♪
テルルさんは飲んだら少し静かになるということを始めて知りました
飲んでアレ以上饒舌になったら、さぞうるさかろうて、良くできたもんですm(_ _)m
ムスコっちも大きくなってました、でも重くもなってたね^^;
らぼっちやmamさんが抱っこするのに苦労するなか
maiちゃん、なんか様になってるんではないかい♪

桜に囲まれたこんな場所だったんですよ、周りには誰もいません♪
秘密にしたいのが分かるでしょ

もうちょっと、登ってみましょうか

眼下の桜と阿蘇五岳の涅槃像も素晴らしいコンビでしょ♪

高い高いのムスコっちと阿蘇五岳のコラボ^^

それから向かったのが昨日も訪れた「観音桜」
今日も夕方だったので光があたっていなかったのがちょっと残念
宴会で長居しすぎたね^^;
今日知ったんですが昨日の土曜日は夜9時までライトアップされてたそうです
昨日は案内も説明もされてなかったよなぁ

観音桜に向かう道を更に登っていくと出来たばかりの公園に出ます
阿蘇五岳を目の前に、そして南阿蘇谷を見下ろすように180度の絶景スポット!
観音桜はここから見ても、目立ちますね♪

美味しくて、楽しくて、幸せな一日でした♪
こんな幸せな時間を抱けることに感謝、感謝!

熊本市内の桜は葉桜が目立ち始めましたね
首を長ーくして待ってた桜前線でしたがあっという間に駆け抜けちゃいそう
ならばと今日は桜前線を追っかけてきました
久しぶりにラボを連れて阿蘇方面へとお出かけです
ということで「国東いたれりつくせりツアー」をちょい中断させてくださいね♪
文豪とっちんが明日?の準備に忙しいので見習いのらぼっちが担当です
写真をたくさん並べて、ちゃちゃいと仕上げますので、あしからず^^
今朝はもしかして雲海が見えるかもよと7時半くらいに出発♪
(そりゃ遅かろう、ですよね)
まずは大津の「清正公道の桜並木」です、見事でしょ♪
今朝のミルクロードは霧が深かったよ
カルデラの底から霧が湧き上がってきて五岳も見えません
最初に向かったのは産山村の「高木医院の桜」、枝見♪
おーい、桜前線をどこかで追い越してきたみたい、戻ろう
ということで、次は波野村の「山部家の大桜」

ここもまだ一輪も咲いていない
大桜は時期を合わせるのが難しいですね
ならばもっと戻らねばと立ち寄ったのが「月廻り公園」
満開です、ラボも満足げ^^
次は流れ的に、看板の思惑どおりに吸い寄せられたのがこちら
おーっ、なんだか賑やかしいし、見ごろではないでしょうか
わかるかなー、わからねーだろうなあ^^
わからない人はこれで分かりますかね、「高森の千本桜」です

ここでは高森のパン屋さん「はなしのぶ」の出店でパン、万十、揚げなどを購入



やはりね、ランチは桜を見上げながらに限る、ねっラボ♪
おい、だから鼻の上になんか付けてるって^^
ここで感心したことを一つ
この桜祭りは車1台ずつ整備費理協力金として100円をとるんですが
高森温泉館や月廻り温泉の100円割引券と交換してくれるんです
感心はその裏面、どうですか
政治家は見習いなさい!
これを見せられれば喜んで来年も再来年も協力したくなります^^
次は地域の方以外ではほとんど知る人はいないのではないでしょうか
高森阿蘇神社の裏山の入口にこのような手作り看板があります
そう、樹齢400年とも言われる「豊年桜」です
ところが、この登りが結構きつい
このジグザグを4、5回折れて登ったところにありました
ところが何やら先客がたくさんおられますね
「こんにちは」 「こんにちは」
「どちらからですか」 「熊本市内です」
はれっ、TVカメラではないかい?
なんとRKKのTVクルーではないですか
しきりと一眼で桜を見上げて撮る方と目が合いました
なんと、かめきちさんではありませんか
昨年の日向往還ウォーキング以来ですね^^
あちらは覚えていませんよね、当然!
おいおい、らぼっちがインタビューにつかまっちゃったよ
やはり大根だった、「こりゃカットだな」
とは、般若のとっちん談^^
豊年桜は400年という歴史を幹全体を包む苔が物語っていました
桜の横には国旗が毎日はためいているそうです
その昔は御社はこの山上にあったそうです
豊年桜はその頃からの御神木かもしれませんね♪
遠めに見たらこんな感じです、山の中腹の桜と国旗、分かりますか^^;
興味ある方はいかがですか^^
そして、最後に登場されし御桜様は一番見たかった
「観音桜」です
2週間前に来たときはまだまだ固い蕾でしたが
今日の観音桜はどや顔で南阿蘇谷を見下ろしていました
下の公園にも満開の桜並木がありましたが何本そろえても
この一本桜には勝てません
どうですか、どの角度から眺めても絵になります
山側でずっと眺めていたご婦人と話しましたが
感動されて、熟年が帰るときもまだ立ち尽くしていました
日本の春を彩る花は数あれど、なぜに心を惹きつけられるのでしょう
下では散った桜の花びらを見て
この時とばかり負けじと蒲公英が咲き誇っていました♪
でもね、今日は桜だけではなくて、感嘆の声を二人であげたものがあったんです
そちらはまた追ってね^^
本当に盛りだくさんの一日となりました
明日はまた阿蘇に繰り出すんですよ
賑やかになるだろうな、楽しみ♪
首を長ーくして待ってた桜前線でしたがあっという間に駆け抜けちゃいそう
ならばと今日は桜前線を追っかけてきました
久しぶりにラボを連れて阿蘇方面へとお出かけです
ということで「国東いたれりつくせりツアー」をちょい中断させてくださいね♪
文豪とっちんが明日?の準備に忙しいので見習いのらぼっちが担当です
写真をたくさん並べて、ちゃちゃいと仕上げますので、あしからず^^
今朝はもしかして雲海が見えるかもよと7時半くらいに出発♪
(そりゃ遅かろう、ですよね)
まずは大津の「清正公道の桜並木」です、見事でしょ♪

今朝のミルクロードは霧が深かったよ
カルデラの底から霧が湧き上がってきて五岳も見えません

最初に向かったのは産山村の「高木医院の桜」、枝見♪
おーい、桜前線をどこかで追い越してきたみたい、戻ろう

ということで、次は波野村の「山部家の大桜」

ここもまだ一輪も咲いていない
大桜は時期を合わせるのが難しいですね

ならばもっと戻らねばと立ち寄ったのが「月廻り公園」

満開です、ラボも満足げ^^

次は流れ的に、看板の思惑どおりに吸い寄せられたのがこちら
おーっ、なんだか賑やかしいし、見ごろではないでしょうか

わかるかなー、わからねーだろうなあ^^
わからない人はこれで分かりますかね、「高森の千本桜」です

ここでは高森のパン屋さん「はなしのぶ」の出店でパン、万十、揚げなどを購入






やはりね、ランチは桜を見上げながらに限る、ねっラボ♪

おい、だから鼻の上になんか付けてるって^^
ここで感心したことを一つ
この桜祭りは車1台ずつ整備費理協力金として100円をとるんですが
高森温泉館や月廻り温泉の100円割引券と交換してくれるんです
感心はその裏面、どうですか

政治家は見習いなさい!
これを見せられれば喜んで来年も再来年も協力したくなります^^
次は地域の方以外ではほとんど知る人はいないのではないでしょうか
高森阿蘇神社の裏山の入口にこのような手作り看板があります

そう、樹齢400年とも言われる「豊年桜」です
ところが、この登りが結構きつい
このジグザグを4、5回折れて登ったところにありました

ところが何やら先客がたくさんおられますね
「こんにちは」 「こんにちは」
「どちらからですか」 「熊本市内です」
はれっ、TVカメラではないかい?
なんとRKKのTVクルーではないですか
しきりと一眼で桜を見上げて撮る方と目が合いました
なんと、かめきちさんではありませんか
昨年の日向往還ウォーキング以来ですね^^
あちらは覚えていませんよね、当然!

おいおい、らぼっちがインタビューにつかまっちゃったよ
やはり大根だった、「こりゃカットだな」
とは、般若のとっちん談^^
豊年桜は400年という歴史を幹全体を包む苔が物語っていました

桜の横には国旗が毎日はためいているそうです
その昔は御社はこの山上にあったそうです
豊年桜はその頃からの御神木かもしれませんね♪

遠めに見たらこんな感じです、山の中腹の桜と国旗、分かりますか^^;
興味ある方はいかがですか^^

そして、最後に登場されし御桜様は一番見たかった
「観音桜」です
2週間前に来たときはまだまだ固い蕾でしたが
今日の観音桜はどや顔で南阿蘇谷を見下ろしていました
下の公園にも満開の桜並木がありましたが何本そろえても
この一本桜には勝てません

どうですか、どの角度から眺めても絵になります


山側でずっと眺めていたご婦人と話しましたが
感動されて、熟年が帰るときもまだ立ち尽くしていました
日本の春を彩る花は数あれど、なぜに心を惹きつけられるのでしょう

下では散った桜の花びらを見て
この時とばかり負けじと蒲公英が咲き誇っていました♪

でもね、今日は桜だけではなくて、感嘆の声を二人であげたものがあったんです
そちらはまた追ってね^^
本当に盛りだくさんの一日となりました
明日はまた阿蘇に繰り出すんですよ
賑やかになるだろうな、楽しみ♪
夕べの東北地方の地震にはびっくりしました!
震度6強の速報を見て驚きのあまり心臓がバクバクしました
大きな余震は10%という予想にちょっとずつ不安が遠のいていたところでした
地震の前にTVが避難所におられる宮古市田老町のおばあちゃんを取材していました
93歳になるそのおばあちゃんは昭和8年の昭和三陸地震も体験
その時にも家は壊れ、今回の震災でも家を失ったとのこと
そんな状況なのにシルバーカーを押しながらも達者なおばあちゃんが力強く言ってました
「若いもんが町を建て直してくれると信じている
それを見届けるためにも自分は100まで生きる
ねじり鉢巻で
がんばっぺぇーす!」
生き生きとした表情でそう語っていたおばあちゃんに二人して拍手したばっかりでした
今朝起きてニュースを見るとやはり各地でけが人が続出、亡くなった人もおられました
復興に向けて動き出していたのに、なんで?どうして?とやりきれません
これ以上東北地方の人たちを苦しめないでほしい
地震に関しては祈ることしかできません
早く鎮まって人々が安住できることを強く強く願っています
さて国東のいたれりつくせりツアーの続きです
昨日の「旧千燈寺跡」でのひとコマを書き忘れていたのでちょっと紹介
趣きのある道を歩いていた時「この道は日田往還?」との手のじご夫婦のテルルさんの疑問に
すかさずKIKOさんが一言、「イヨカンじゃないの?^^」
4人ともKIKOさんのコピーライターばりの才能に「おお??!!」と喝采
以前から気がついてはいましたが
きめ細かい心配りのあるツアコンさんは多才でありました
ところが同じくなるほどーと感心していたらぼっち、ボンクラな頭を露呈することに^^;
イヨカンは柑橘の“伊予柑”にかけて、そのルーツである伊予に
この国東からも繋がっているという意味合いでの“伊予還”
でもらぼっちの頭の中には“伊予柑”しか浮かんでいなかったらしい
それでもやんやの拍手を送った鈍い頭の持ち主はしきりと頭を掻いていたのでした^^;
前置きが長くなりましたが、そんな敏腕ツアコンKIKOさんに次案内してしてもらったのが
「岩戸寺」です

実はなんの予習もしていなかったところでした^^;
んが、初っ端からスリスリしたくなるような光景に出くわすこととなりました
きゃ?、なんて素敵な仁王様方♪
な、なんとこちらの阿形像には文明10年(1478年)の銘があるそうで(どこにあったのけ?)
在銘の丸彫り仁王像としては日本最古のものだとか、す、すごい!!
じゃ、左の吽形像は同じ時期のものじゃないのかな・・・
「岩戸寺」は六郷満山の末山本寺のひとつ
養老2年(718年)にやはり仁聞菩薩によって開かれたと伝えられる古刹です
本堂の中はこんな感じ、欄間が凝っています
上がらせていただき、お参りすると目に入ったのは2体のお地蔵様^^
これを見たらぼっち、悪いところと言いつつ早速頭をなでなで(笑)
やっぱりね、と思いつつとっちんも同じく頭をなで、首や肩もなでておきました^^;
テルルさんはというと、こちらに興味津々です
おもむろにお地蔵さまを抱えました
震度6強の速報を見て驚きのあまり心臓がバクバクしました
大きな余震は10%という予想にちょっとずつ不安が遠のいていたところでした
地震の前にTVが避難所におられる宮古市田老町のおばあちゃんを取材していました
93歳になるそのおばあちゃんは昭和8年の昭和三陸地震も体験
その時にも家は壊れ、今回の震災でも家を失ったとのこと
そんな状況なのにシルバーカーを押しながらも達者なおばあちゃんが力強く言ってました
「若いもんが町を建て直してくれると信じている
それを見届けるためにも自分は100まで生きる
ねじり鉢巻で
がんばっぺぇーす!」
生き生きとした表情でそう語っていたおばあちゃんに二人して拍手したばっかりでした
今朝起きてニュースを見るとやはり各地でけが人が続出、亡くなった人もおられました
復興に向けて動き出していたのに、なんで?どうして?とやりきれません
これ以上東北地方の人たちを苦しめないでほしい
地震に関しては祈ることしかできません
早く鎮まって人々が安住できることを強く強く願っています
さて国東のいたれりつくせりツアーの続きです
昨日の「旧千燈寺跡」でのひとコマを書き忘れていたのでちょっと紹介
趣きのある道を歩いていた時「この道は日田往還?」との手のじご夫婦のテルルさんの疑問に
すかさずKIKOさんが一言、「イヨカンじゃないの?^^」
4人ともKIKOさんのコピーライターばりの才能に「おお??!!」と喝采
以前から気がついてはいましたが
きめ細かい心配りのあるツアコンさんは多才でありました
ところが同じくなるほどーと感心していたらぼっち、ボンクラな頭を露呈することに^^;
イヨカンは柑橘の“伊予柑”にかけて、そのルーツである伊予に
この国東からも繋がっているという意味合いでの“伊予還”
でもらぼっちの頭の中には“伊予柑”しか浮かんでいなかったらしい
それでもやんやの拍手を送った鈍い頭の持ち主はしきりと頭を掻いていたのでした^^;
前置きが長くなりましたが、そんな敏腕ツアコンKIKOさんに次案内してしてもらったのが
「岩戸寺」です


実はなんの予習もしていなかったところでした^^;
んが、初っ端からスリスリしたくなるような光景に出くわすこととなりました

きゃ?、なんて素敵な仁王様方♪
な、なんとこちらの阿形像には文明10年(1478年)の銘があるそうで(どこにあったのけ?)
在銘の丸彫り仁王像としては日本最古のものだとか、す、すごい!!

じゃ、左の吽形像は同じ時期のものじゃないのかな・・・

「岩戸寺」は六郷満山の末山本寺のひとつ
養老2年(718年)にやはり仁聞菩薩によって開かれたと伝えられる古刹です

本堂の中はこんな感じ、欄間が凝っています

上がらせていただき、お参りすると目に入ったのは2体のお地蔵様^^

これを見たらぼっち、悪いところと言いつつ早速頭をなでなで(笑)

やっぱりね、と思いつつとっちんも同じく頭をなで、首や肩もなでておきました^^;
テルルさんはというと、こちらに興味津々です

おもむろにお地蔵さまを抱えました
は。。。最後の顔でご想像くださいませ^^
お参りの後、入り口のところにお守りがあるのをmamさんに教えてもらいました
「苦逃幸来鬼(くにさきおに)」・・う?ん、KIKOさんといい勝負かも!

なになに足腰のお守りとな、だったららぼっちに買ってあげないと^^

菱の実ってこんなんだったんだ、ぱっと見鬼かと思っちゃった^^;
mamさんの記事を見て慌てて居間から玄関に掛け直していたらぼっちです(笑)
こちらは本当に鬼の面のお守り、家や身を守り災いを払う・・・お守りです

みんな「苦逃幸来鬼」のお守りを購入、疲れてたんだ、うふ^^
そんなこんなで10分もわいわい賑やかな一行、仏様もびっくりされたことでしょう
外に出るとありましたよ、ありました例のもの(笑)

テルルさんに浄財の箱が置いてあると言ったところ、あっさりとスルーされました
さて、こちらにはまだまだ素晴らしいものがあるとのKIKOさんの言葉に
足取りも軽く山」の方に向かいます

おや、桜もきれいに咲いているというのにまだ枝垂梅はつぼみです
梅の向こうにはサンシュユが満開♪

あー、色が出てない、きれいだったのに?

ここの石段も雰囲気いいんじゃないですか^^
あ、六地蔵さん?

あ、説明板見っけ!!

ほうほう、国宝の国東塔ですか
弘安6年(1283年)の銘があり国東半島にある約150基の国東塔の中で最古・最優のもの?
ひゃーーすごいじゃないですか!
で、どこにあるの?
うろうろ探す、探す、さがす・・建物の中じゃ、んなばかな^^;
高さ3.3mもあるんだからわからないはずないよね、とそこらにいた紳士と話しながら・・・

あ、これ「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」のたいまつ・・・じゃなくて^^;
天念寺のところでも触れましたが、いや、これもすごいもんなんですよ
なんてたって国東で三寺しか行われておらず
国の重要無形民俗文化財に指定されている火祭りなんですから^^
それはいいとして
国宝、裏山のほうまで探しまくりましたが、とうとう見つかりませんでした
それもそのはず、ここにあったというお話だったのです

よくよく調べてみると国の重要文化財としての指定のようです
堂々と“国宝”と書かれていますが、昔は結構曖昧だったのですね^^;
それにしても実物が何の説明もないまま忽然となくなっているとは・・
周囲には工事用の杭が打ってあったり、資材が置いてあったり
なんらかの不具合が生じたのでしょうが、説明が欲しかったです
ちょっとがっかり・・
その国東塔があったはずの場所から少し登上った反対側に茅葺き屋根の建物がありました
こちらが岩戸寺の講堂

成仏寺と一年交代で行なっている「修正鬼会」の舞台になるところです
岩戸寺の鬼は講堂を出ると「鬼はよ?、来世(らいしょ)はよ?」と
叫びながら地区の家々をまわり、ご馳走や酒を振舞われるのだそうですよ
1,000年以上続いた行事だそうですよ、すごい歴史ですね!
周りが暗くて写りが悪いですが、こちらはご本尊じゃないよね^^

茅葺き屋根の造りはこんなになっていました

そしてその場所から上に行くと、六所権現宮がありました

拝殿、造りは質素に見えますが、ちゃんと彫刻が施してあります
が、しかーしお参りしようにもお賽銭箱や鈴は拝殿の中央にあります

んじゃ、靴を脱いで上がるしかないか
そんでもって奥の本殿と思しき造りのものは裸電球が邪魔でよく見えない
腹ばいで見るしかないな(笑)

細かい彫刻に思わず息をのんでしまいました
そしてお隣の建物の中にご本尊の薬師如来坐像が祀ってありました

高さ95.5cmの平安後期作のカヤの一木造りの薬師如来像なんですよね
心が洗われるようだわ?
両脇には康平寺の二十八部衆のように帰依したと思える十部衆を従えていました
そのわりにはちょっと新しいようですが^^;


その薬師堂の右手には、ちっちゃなちっちゃな石仏さん、ちょっと気になりました

子安観音や他にも岩をくり貫いていろんなものがありました


おっと、ここはホゲト岩じゃないよね^^;

いや?ここはいろんなものが見れましたね?
肝心なものはなかったけど・・

ま、長い人生こんなこともあるさ^^
オテラー5人衆はめげもせず次の場所へ向かうのでありました

そうそう駐車場のところに写真があったんですよ

ふ?ん、こんなふうに建っていたのね?^^
今日も国東いたれりつくせりツアーの続きです
予定どおり、修行の山登りを終えた国東オテラ?5人組
mamさんご希望の目的地へ向かうべくさっそうと車に乗り込み、いざ出発・・・したものの
わずか500mくらい走ったところで「ちょっと待ったーーー!」
らぼっちが『真玉』と出ていた標識に反応してしまったから、さあ大変
ツアコンのKIKOさんは不安になりながら後ろをも気遣い困惑気味
後ろのオチャラケ3人はわいわいと違う話なんかしちゃって全く他人事、おまかせ状態
止まったり走ったり、それから同じところを行ったり来たり
挙句の果てに細い道を入って、出て来たところはさっきの道(笑)
「ちょっと?、どうなってんの??しっかりしてよ?」なんてやさしい言葉なんてかけません
「もーなにやってんの!ほら今の道行けばいいだけじゃん!」
角を隠しながら般若2号(別名とっちん)は叫ぶのでした^^;
そんなこんなしながらどうにか着いたところは
「旧千燈寺跡」の入り口です
ここに来るまでも「あ、仁王さんだ」「あ、ここにも」ってキョロキョロ、ぎゃーぎゃー^^;
寄り道はしません、だって「全国の仁王像の8割は国東半島にある」と
KIKOさんの言葉に一同「へ????っ!!」
じゃ、珍しくないってこと?
だからこういうデザインになるのね^^
わかりますか?真ん中の仁王さん
この立て札を見ればトレッキングも頑張れるってもんです(え、オテラーだけ?)
さっきの石門(鳥居?)ですが、結構低いんですよ?
慶應4年(1868年)建造のものらしいのです
ひとしきり背比べをした後、坂を上ります
なんかいい感じ♪
階段を上ったところにあったのは
「西行戻し」とはなんぞや?
むむ、小僧恐るべしと思いながら何気なく見た項に
な、なんと他でも“西行戻し”の地があるではないか@@
西行さんて案外すごすご引き下がるお方だったのね^^;
いろんなところが欠けてしまっている「宝篋印塔」
余談ですが、この「ほうきょういんとう」変換するとどうしても「豊胸・・」になるんですね
むむむ、なぜか意地になって何度も変換キー押しちゃったT_T
屋根の下にいらっしゃるのは?・・・・・小僧さんだったりして?(笑)
このあたりは斜面のあちらこちらに石仏があるんです
話しかけられそうな気がします^^;

山道をしばらく行くと、ありゃ舗装された道路と交差
オテラー5人、誰もここまで車で来ればよかったなんて思ってないよね
mamさんをストーカー中のテルルさん^^
鳥居が見え、ここから石畳も始まっていてよさげな雰囲気^^
なんて見事な石畳、一気にみんなのテンションが上がります♪
この石畳をちょこっと歩くと左手に「西の坊跡」
大きな石碑が二つ建っていて、かなりの広さがあります
「旧千燈寺」は「西の高野山」と呼ばれ、六郷満山の中山本寺であり中核となる大寺院でした
←クリックしてみて?
仁聞(仁聞菩薩)が、718年に六郷満山の中で最初に創建した寺院であると伝えられ
そして、仁聞の入寂の地とも言われているそうです
千燈寺という寺号は、仁聞がこの寺の近くにある五辻岩屋で修行をしていると
東北海の龍王がその徳に感じて千の燈を献じたことから名付けられたとか
こうやって歩くと感慨深いものがありますね?
すると思わずみんなが「おお?これはお城じゃん!」と言った場所にたどり着きます
見事な石垣でしょ!!
ここでもひとしきり、あーじゃこーじゃと騒ぎまくり階段を上ります
なんじゃこりゃーーー!
写真では見ていたのですが、これほどまでとは@@
一見の価値ありですよ、本当に!
仁王様ラブ♪
こんなにたのもしいのに、横から見ると倒れそう?
みんなで「よく建ってるね?」とか「大丈夫なの??」とか不思議がる^^
でも天正年間に例の人によって焼き討ちに遭い、立派な伽藍は焼失
文禄年間に再建されたものの往時の繁栄を取り戻すことはなかったそうです
こちらは護摩堂跡、見事に階段と礎石らしきものだけ
それでも公孫樹の木はすくすくと伸びていました
みんなそれぞれに納得いくまで見てまわりましたよ?
石畳はまだまだ続いております
少し上のほうには講堂跡
ここにはどんな建物があったんでしょうね?^^
さあ、もちょっと上に行ってみましょうかね
あれ?お三人さん行かないの??
この先にとんでもないものがあるかもよ?、って言ってもノッテはこなかった^^;
ワル乗り?のとっちんにかわいそうだからと付き合ってくれたのはmamさん
も?ぅ、やさしいんだから?、ホントごめんなさ?いm(__)m
見れるかもしれないと思ったのは奥の院のご本尊「千手観世音菩薩」
石畳を登って行くと分かれ道
右は千基を超える五輪塔への道、そちらには全く行く気なし^^;
で、左の奥の院への道をすすみます
いや?、とてもいい雰囲気の杉木立の中をmamさんと歩きました
みんなこの風情を楽しめなくて残念だったね
石段は少し疲れましたが、奥の院到着?^^
んん?もしかしてーーー、開いてないんじゃ??
残念、奥の扉はしっかりと閉ざされていました
いいもん、いいもん、なにか見つけてやる?
お、これは?
なんと仁門サマ、ここで入寂されたらしい
うう、あまり居心地は良くないです
気を取り直して再び本堂を覗くと、固く閉ざされた扉の両側にたっくさんの石仏
少し青ざめながら岩肌を見ると、ひょえ?、こ、これは・・・
急いでその場を離れました^^;
おや、またしても石段?
ガタガタの石段に足を取られながら上がった先の岩場には「六所権現岩屋」
すごく近寄りがたいものを感じ、遠くから一回だけパチリとして走って下りていきました
良かった?、mamさんにいてもらって、一人じゃ帰れなかったかも^^;
居残り3人組は、下で駄弁ったりうろうろしたりしたそうで・・・
収穫あったような顔をして合流したつもりだったのになんかバレバレ?^^;
こういうところはひとりで来るもんじゃないな(笑)
あ、でも紅葉の季節はひときわ素晴らしいようですよ
「旧千燈寺」さすがmamさん、とても冴えた勘をお持ちで^^
みんな大満足で下りていきました?
下界に降り立ったオテラー5人、気がつけばすでに午後1時半
お腹が減ったとばかり、車中でKIKOさんお手製のお弁当を広げさせていただきました
当のKIKOさんは運転手に勤しむということで片手におにぎり状態
ひょっとこ般若の4人はとても有り難くいただきました
鶏飯、かぼちゃ、スペアリブほんとうに美味しかった?♪
ラボにお土産のスペアリブの骨、喜んでいました^^
ささ、お次はこういったものがあるところですよ?♪
予定どおり、修行の山登りを終えた国東オテラ?5人組
mamさんご希望の目的地へ向かうべくさっそうと車に乗り込み、いざ出発・・・したものの
わずか500mくらい走ったところで「ちょっと待ったーーー!」
らぼっちが『真玉』と出ていた標識に反応してしまったから、さあ大変

ツアコンのKIKOさんは不安になりながら後ろをも気遣い困惑気味
後ろのオチャラケ3人はわいわいと違う話なんかしちゃって全く他人事、おまかせ状態
止まったり走ったり、それから同じところを行ったり来たり
挙句の果てに細い道を入って、出て来たところはさっきの道(笑)
「ちょっと?、どうなってんの??しっかりしてよ?」なんてやさしい言葉なんてかけません
「もーなにやってんの!ほら今の道行けばいいだけじゃん!」
角を隠しながら般若2号(別名とっちん)は叫ぶのでした^^;
そんなこんなしながらどうにか着いたところは
「旧千燈寺跡」の入り口です

ここに来るまでも「あ、仁王さんだ」「あ、ここにも」ってキョロキョロ、ぎゃーぎゃー^^;
寄り道はしません、だって「全国の仁王像の8割は国東半島にある」と
KIKOさんの言葉に一同「へ????っ!!」
じゃ、珍しくないってこと?
だからこういうデザインになるのね^^

わかりますか?真ん中の仁王さん
この立て札を見ればトレッキングも頑張れるってもんです(え、オテラーだけ?)
さっきの石門(鳥居?)ですが、結構低いんですよ?
慶應4年(1868年)建造のものらしいのです

ひとしきり背比べをした後、坂を上ります

なんかいい感じ♪
階段を上ったところにあったのは

「西行戻し」とはなんぞや?

むむ、小僧恐るべしと思いながら何気なく見た項に
な、なんと他でも“西行戻し”の地があるではないか@@
西行さんて案外すごすご引き下がるお方だったのね^^;
いろんなところが欠けてしまっている「宝篋印塔」
余談ですが、この「ほうきょういんとう」変換するとどうしても「豊胸・・」になるんですね
むむむ、なぜか意地になって何度も変換キー押しちゃったT_T
屋根の下にいらっしゃるのは?・・・・・小僧さんだったりして?(笑)


このあたりは斜面のあちらこちらに石仏があるんです
話しかけられそうな気がします^^;


山道をしばらく行くと、ありゃ舗装された道路と交差
オテラー5人、誰もここまで車で来ればよかったなんて思ってないよね
mamさんをストーカー中のテルルさん^^

鳥居が見え、ここから石畳も始まっていてよさげな雰囲気^^

なんて見事な石畳、一気にみんなのテンションが上がります♪

この石畳をちょこっと歩くと左手に「西の坊跡」
大きな石碑が二つ建っていて、かなりの広さがあります

「旧千燈寺」は「西の高野山」と呼ばれ、六郷満山の中山本寺であり中核となる大寺院でした

仁聞(仁聞菩薩)が、718年に六郷満山の中で最初に創建した寺院であると伝えられ
そして、仁聞の入寂の地とも言われているそうです
千燈寺という寺号は、仁聞がこの寺の近くにある五辻岩屋で修行をしていると
東北海の龍王がその徳に感じて千の燈を献じたことから名付けられたとか

こうやって歩くと感慨深いものがありますね?
すると思わずみんなが「おお?これはお城じゃん!」と言った場所にたどり着きます

見事な石垣でしょ!!
ここでもひとしきり、あーじゃこーじゃと騒ぎまくり階段を上ります
なんじゃこりゃーーー!

写真では見ていたのですが、これほどまでとは@@
一見の価値ありですよ、本当に!
仁王様ラブ♪


こんなにたのもしいのに、横から見ると倒れそう?


みんなで「よく建ってるね?」とか「大丈夫なの??」とか不思議がる^^
でも天正年間に例の人によって焼き討ちに遭い、立派な伽藍は焼失
文禄年間に再建されたものの往時の繁栄を取り戻すことはなかったそうです
こちらは護摩堂跡、見事に階段と礎石らしきものだけ

それでも公孫樹の木はすくすくと伸びていました

みんなそれぞれに納得いくまで見てまわりましたよ?

石畳はまだまだ続いております

少し上のほうには講堂跡
ここにはどんな建物があったんでしょうね?^^

さあ、もちょっと上に行ってみましょうかね
あれ?お三人さん行かないの??

この先にとんでもないものがあるかもよ?、って言ってもノッテはこなかった^^;
ワル乗り?のとっちんにかわいそうだからと付き合ってくれたのはmamさん
も?ぅ、やさしいんだから?、ホントごめんなさ?いm(__)m
見れるかもしれないと思ったのは奥の院のご本尊「千手観世音菩薩」
石畳を登って行くと分かれ道
右は千基を超える五輪塔への道、そちらには全く行く気なし^^;

で、左の奥の院への道をすすみます

いや?、とてもいい雰囲気の杉木立の中をmamさんと歩きました
みんなこの風情を楽しめなくて残念だったね
石段は少し疲れましたが、奥の院到着?^^

んん?もしかしてーーー、開いてないんじゃ??
残念、奥の扉はしっかりと閉ざされていました
いいもん、いいもん、なにか見つけてやる?
お、これは?

なんと仁門サマ、ここで入寂されたらしい

うう、あまり居心地は良くないです
気を取り直して再び本堂を覗くと、固く閉ざされた扉の両側にたっくさんの石仏
少し青ざめながら岩肌を見ると、ひょえ?、こ、これは・・・

急いでその場を離れました^^;
おや、またしても石段?

ガタガタの石段に足を取られながら上がった先の岩場には「六所権現岩屋」

すごく近寄りがたいものを感じ、遠くから一回だけパチリとして走って下りていきました
良かった?、mamさんにいてもらって、一人じゃ帰れなかったかも^^;

居残り3人組は、下で駄弁ったりうろうろしたりしたそうで・・・
収穫あったような顔をして合流したつもりだったのになんかバレバレ?^^;
こういうところはひとりで来るもんじゃないな(笑)
あ、でも紅葉の季節はひときわ素晴らしいようですよ
「旧千燈寺」さすがmamさん、とても冴えた勘をお持ちで^^
みんな大満足で下りていきました?

下界に降り立ったオテラー5人、気がつけばすでに午後1時半
お腹が減ったとばかり、車中でKIKOさんお手製のお弁当を広げさせていただきました


当のKIKOさんは運転手に勤しむということで片手におにぎり状態
ひょっとこ般若の4人はとても有り難くいただきました
鶏飯、かぼちゃ、スペアリブほんとうに美味しかった?♪

ラボにお土産のスペアリブの骨、喜んでいました^^
ささ、お次はこういったものがあるところですよ?♪

皆さん、本日は“スリリングなドキュメンタリー”をお届けしたいと思います
あくまでもとっちん目線ですから、そのへんはあしからずご了承くださいませ^^;
では、始まり始まり?!!
さて「天念寺」をくまなく見た後、とうとう問題の場所・・・
テルルさんたっての希望であの山のてっぺんへ
本当に行くのか?・・・行く、よね^^;
なんとここでツアコンのKIKOさん 、車からおもむろに全員分の軍手を出して
「いろんな人のブログとか見てたら、これをつけてないとムリじゃないかと・・・」
「わ?、軍手まで用意してある?」と、ツアコンさんの準備の良さにみんな一斉に感嘆の声
「ん?ちょっと待てよ、それって・・・・?」
軍手 → 手が汚れる → 何かを掴む → 体を支える → 危険
頭が瞬時にいろんなことを考えてしまった
なんかとっちんを除く4人は登り口を探して行く気マンマンです^^;
「ここじゃない?」の言葉の方を見ると柵があり1箇所だけ開いている
(なんだよ、誰か閉めてくれててもよかったのに、なんで“いらっしゃ?い”してんの・・)
雨も降らず滑る心配なし、ニョロの出る心配もなし
(いいも?ん、とっちんは一番後ろから、腹をくくります)
ヤブに入ってすぐに獣道のようなところを登っていきます
ハアハアゼイゼイ、本当にこの道でいいんだよね?と思った頃にこの案内板
お山巡りって^^;
そんな楽そうな言葉じゃ語れないでしょ
ほぼ四つん這いにならないと滑って登れない、誰かロープ付けて?
滑りながらも急坂を登ったところにあった石仏様たち
その前には食べごろにはもうちょいのタラの芽^^
この後にちょっとした分かれ道
人間、やっぱり迷ったときは楽そうな道を選ぶもんです(笑)
またしても分かれ道、やっぱり歩きやすい方へ
そしたら、こげな道(岩場)になってしまったではないの!
え?、うそでしょ、黙っていないでうそだと言ってーーー!
ひょっとこ二人が偵察隊で登ってみたところ
結局、この先は何がどうあっても行けないとの判断により岩場から撤収?
よかった?、遭難しなくて^^;
『熊本からの一行、無明橋に行く途中遭難!』なんていう見出しが頭をよぎった(笑)
さっきの分かれ道まで戻って反対方向へ
少しばかり平坦に感じる道を進んで行くと、断崖にぶち当たります^^;
んが、女性陣はするする登っていってます
mamさんなんかカメラの三脚を背負って、たくましい武士のようだ^^
それに比べ男性陣はなぜか四苦八苦^^;
この岩場にもたくさんの石仏、そして祠
よそ様の過去のブログ(2年前くらい)を拝見すると、このあたりは鉄階段があった様子
それが今ではあっっちこっちゃ鎖だらけに・・・
階段、錆びちゃったのかな^^;
上がって降りたところにあったこの看板、かなりでかかったんですけど?
危険なのは、このロッククライミングじゃないの??

KIKOさんを写そうとするとあっという間に岩に隠れてしまう
テルルさんはちゃ?んとカメラに収まってくれます^^
って、ここでも道が分かれている?
そしてここに登ってくるような道も発見!どこからの道?
先発隊長らぼっちが自分の行きたい方に行ったので様子をうかがう
なんかワーワー言ってるけど、よく聞き取れない・・・
最初はダメだとか言ってたけど、結局「大丈夫だ?」って叫んだ
ここでテルルさん、道がとても険しいと感じmamさんから三脚を引き取り肩に!
「わお、さすが!かっちょいい?」KIKOさんととっちんが感心していると
「これじゃ三脚が落ちちゃうよ」とKIKOさんに突っ込まれたテルルさん
袋の入り口が下になってて、慌てて掛け直しておりました
よし、OK!さあ、行こう!
げっ、結構な高さになってるし?
左は断崖、もちろん鎖をひん握って左なんか見向きもせずひたすら登ります
やれやれ、やっと視界が開けてきた、でもたっか?い^^;
ここはどこ?わたしはだれ?的なことをクラっとしながら考えていると
どこからか声がする、振り返ったそこには
「アホ、アホ、何やってんのー?」とっちんが声にならない声を絞り出していると
「写真撮って???!」今思い出しても腰がうずうずする?;;
あ、次はmamさんだ!
おお、すごい!四つん這いだけどちゃんと渡ってる?
次の瞬間です
気持ちわかる?、でもあんなところで走ったら余計に危ない^^;
先っちょの石灯籠まで行きましたが、これ以上は無理です、キッパリ!
誰ですか、まだ先があるって思ったのは・・・ムリですって!
「無明橋」に行くにはもう一難関あります
今日の運動量はたいしたもんだろうな?
いつもは使わない弱小筋肉がビックリしてるかも、なんて思いながら登る
着いたと思ったら、またバカちんがあんなことしてーー!
なにが楽しいんだろう
高さに関する感覚が大マヒしてるんだろうな?
「無明橋」は長さ約5.7m、幅は約1.2m、厚さは38cmの単一石造アーチ形式
こんな大きな石をどうやって運んだんだ?
とっちんも意を決して、もちろん四つん這いで渡りました
1.2mの幅って、案外下は見えないもんだ
っていうか、実は石橋の真ん中しか見てなかったんだな?^^;
なんでここを立って渡れるのか、気が知れない(笑)
「らぼっちが早く自分を取り戻しますように・・・」う、ち、ちが??う!!
「早く住みやすい日本になりますように!」
そしてこの無明橋のたもと、みんなで記念撮影
そうそう調べてみました「無明」を・・
「邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知。最も根本的な煩悩」とありました
煩悩にさえも気付かない無知ならぼっち、そのままやんか・・・(笑)
登ってきたほうとは反対側に「無道寺」が見えるじゃありませんか
そういえば、そっち側から登るほうが楽と書いてあったような
そんなことはないだろう、思いっきり遠いし^^;
そんな遠くの景色をちょっと余裕の出た勢いで眺めていたら
「もー、ほんっとにバカじゃないのー、それ以上やめてーー、下がりなさいってば!!」
あ゛ーー、人の肝を冷やして何がおもしろいのかしら
煩悩だらけのらぼっち、この先無事でいられるのだろうか
帰り道、もう一方の道を発見し、3人で寄り道^^
ちょ、ちょっとこの尾根かなり、かなり狭くないですか?
足がすくんで進めないとっちんを尻目に
テルルさんとKIKOさん両方断崖絶壁の上にある岩場に立ってなにやらしてる
よかった、よかったよ、選んだ道は間違ってなかった
でかしたぞ、らぼっち、バカって3回も言ってごめんよ?^^;
帰り道、するするとスマートに下りて来るテルルさんを撮ろうと構えてたところ
最後のところでうっかり足をすべらせちゃった
かなりびっくり顔のテルルさん、鼻の穴が全開でした
そうそう今回のツアーでは特集が組めるほどテルルさんのベストショットが満載
でも、顔出しできないのよね?、残念^^;
お尻の下に何か敷いていたら、滑り台のように早く下りれそう
んなわけないけど、そりゃ用心して下りましたよ、帰りは早かった^^
そうそう帰り道に再びタラの芽を見る
「なんか行きよりも開いてない?」「ん、少し大きくなったみたい」
なんて言ってましたが
→→
ふふ、気のせいでした(笑)
下りてから見上げる無明橋は感慨深いものがありました
わいわい賑やかゆるゆるオテラ?5人組、修行が出来たってことでしょうか?^^
そう思ったのもつかのま、修行から帰ったひょっとこ達にKIKOさんからご褒美が!
お風呂上りの牛乳じゃあるまいし、打ち合わせなしに二人して腰に手を当てて飲んでる^^;
ひょっとこの写真が最後じゃちょっとサマにならないので
身濯神社の前にあったハナニラで本日のドキュメンタリーはおしまい?
次はmamさんご希望の場所、とても風情のあるところですよ?^^
あくまでもとっちん目線ですから、そのへんはあしからずご了承くださいませ^^;
では、始まり始まり?!!
さて「天念寺」をくまなく見た後、とうとう問題の場所・・・
テルルさんたっての希望であの山のてっぺんへ

本当に行くのか?・・・行く、よね^^;
なんとここでツアコンのKIKOさん 、車からおもむろに全員分の軍手を出して
「いろんな人のブログとか見てたら、これをつけてないとムリじゃないかと・・・」
「わ?、軍手まで用意してある?」と、ツアコンさんの準備の良さにみんな一斉に感嘆の声
「ん?ちょっと待てよ、それって・・・・?」
軍手 → 手が汚れる → 何かを掴む → 体を支える → 危険
頭が瞬時にいろんなことを考えてしまった
なんかとっちんを除く4人は登り口を探して行く気マンマンです^^;

「ここじゃない?」の言葉の方を見ると柵があり1箇所だけ開いている
(なんだよ、誰か閉めてくれててもよかったのに、なんで“いらっしゃ?い”してんの・・)
雨も降らず滑る心配なし、ニョロの出る心配もなし
(いいも?ん、とっちんは一番後ろから、腹をくくります)

ヤブに入ってすぐに獣道のようなところを登っていきます

ハアハアゼイゼイ、本当にこの道でいいんだよね?と思った頃にこの案内板

お山巡りって^^;
そんな楽そうな言葉じゃ語れないでしょ
ほぼ四つん這いにならないと滑って登れない、誰かロープ付けて?

滑りながらも急坂を登ったところにあった石仏様たち

その前には食べごろにはもうちょいのタラの芽^^

この後にちょっとした分かれ道
人間、やっぱり迷ったときは楽そうな道を選ぶもんです(笑)
またしても分かれ道、やっぱり歩きやすい方へ
そしたら、こげな道(岩場)になってしまったではないの!

え?、うそでしょ、黙っていないでうそだと言ってーーー!

ひょっとこ二人が偵察隊で登ってみたところ
結局、この先は何がどうあっても行けないとの判断により岩場から撤収?

よかった?、遭難しなくて^^;
『熊本からの一行、無明橋に行く途中遭難!』なんていう見出しが頭をよぎった(笑)
さっきの分かれ道まで戻って反対方向へ
少しばかり平坦に感じる道を進んで行くと、断崖にぶち当たります^^;
んが、女性陣はするする登っていってます
mamさんなんかカメラの三脚を背負って、たくましい武士のようだ^^

それに比べ男性陣はなぜか四苦八苦^^;

この岩場にもたくさんの石仏、そして祠

よそ様の過去のブログ(2年前くらい)を拝見すると、このあたりは鉄階段があった様子
それが今ではあっっちこっちゃ鎖だらけに・・・
階段、錆びちゃったのかな^^;
上がって降りたところにあったこの看板、かなりでかかったんですけど?
危険なのは、このロッククライミングじゃないの??


KIKOさんを写そうとするとあっという間に岩に隠れてしまう
テルルさんはちゃ?んとカメラに収まってくれます^^
って、ここでも道が分かれている?
そしてここに登ってくるような道も発見!どこからの道?
先発隊長らぼっちが自分の行きたい方に行ったので様子をうかがう

なんかワーワー言ってるけど、よく聞き取れない・・・
最初はダメだとか言ってたけど、結局「大丈夫だ?」って叫んだ
ここでテルルさん、道がとても険しいと感じmamさんから三脚を引き取り肩に!
「わお、さすが!かっちょいい?」KIKOさんととっちんが感心していると
「これじゃ三脚が落ちちゃうよ」とKIKOさんに突っ込まれたテルルさん
袋の入り口が下になってて、慌てて掛け直しておりました

よし、OK!さあ、行こう!

げっ、結構な高さになってるし?
左は断崖、もちろん鎖をひん握って左なんか見向きもせずひたすら登ります

やれやれ、やっと視界が開けてきた、でもたっか?い^^;
ここはどこ?わたしはだれ?的なことをクラっとしながら考えていると
どこからか声がする、振り返ったそこには

「アホ、アホ、何やってんのー?」とっちんが声にならない声を絞り出していると
「写真撮って???!」今思い出しても腰がうずうずする?;;
あ、次はmamさんだ!

おお、すごい!四つん這いだけどちゃんと渡ってる?
次の瞬間です

気持ちわかる?、でもあんなところで走ったら余計に危ない^^;
先っちょの石灯籠まで行きましたが、これ以上は無理です、キッパリ!

誰ですか、まだ先があるって思ったのは・・・ムリですって!
「無明橋」に行くにはもう一難関あります

今日の運動量はたいしたもんだろうな?
いつもは使わない弱小筋肉がビックリしてるかも、なんて思いながら登る
着いたと思ったら、またバカちんがあんなことしてーー!

なにが楽しいんだろう
高さに関する感覚が大マヒしてるんだろうな?
「無明橋」は長さ約5.7m、幅は約1.2m、厚さは38cmの単一石造アーチ形式
こんな大きな石をどうやって運んだんだ?
とっちんも意を決して、もちろん四つん這いで渡りました
1.2mの幅って、案外下は見えないもんだ
っていうか、実は石橋の真ん中しか見てなかったんだな?^^;
なんでここを立って渡れるのか、気が知れない(笑)
「らぼっちが早く自分を取り戻しますように・・・」う、ち、ちが??う!!

「早く住みやすい日本になりますように!」
そしてこの無明橋のたもと、みんなで記念撮影
そうそう調べてみました「無明」を・・
「邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知。最も根本的な煩悩」とありました
煩悩にさえも気付かない無知ならぼっち、そのままやんか・・・(笑)
登ってきたほうとは反対側に「無道寺」が見えるじゃありませんか

そういえば、そっち側から登るほうが楽と書いてあったような
そんなことはないだろう、思いっきり遠いし^^;
そんな遠くの景色をちょっと余裕の出た勢いで眺めていたら

「もー、ほんっとにバカじゃないのー、それ以上やめてーー、下がりなさいってば!!」
あ゛ーー、人の肝を冷やして何がおもしろいのかしら
煩悩だらけのらぼっち、この先無事でいられるのだろうか
帰り道、もう一方の道を発見し、3人で寄り道^^
ちょ、ちょっとこの尾根かなり、かなり狭くないですか?

足がすくんで進めないとっちんを尻目に
テルルさんとKIKOさん両方断崖絶壁の上にある岩場に立ってなにやらしてる
よかった、よかったよ、選んだ道は間違ってなかった
でかしたぞ、らぼっち、バカって3回も言ってごめんよ?^^;
帰り道、するするとスマートに下りて来るテルルさんを撮ろうと構えてたところ
最後のところでうっかり足をすべらせちゃった

かなりびっくり顔のテルルさん、鼻の穴が全開でした
そうそう今回のツアーでは特集が組めるほどテルルさんのベストショットが満載
でも、顔出しできないのよね?、残念^^;
お尻の下に何か敷いていたら、滑り台のように早く下りれそう
んなわけないけど、そりゃ用心して下りましたよ、帰りは早かった^^

そうそう帰り道に再びタラの芽を見る
「なんか行きよりも開いてない?」「ん、少し大きくなったみたい」
なんて言ってましたが


ふふ、気のせいでした(笑)
下りてから見上げる無明橋は感慨深いものがありました
わいわい賑やかゆるゆるオテラ?5人組、修行が出来たってことでしょうか?^^

そう思ったのもつかのま、修行から帰ったひょっとこ達にKIKOさんからご褒美が!

お風呂上りの牛乳じゃあるまいし、打ち合わせなしに二人して腰に手を当てて飲んでる^^;
ひょっとこの写真が最後じゃちょっとサマにならないので
身濯神社の前にあったハナニラで本日のドキュメンタリーはおしまい?

次はmamさんご希望の場所、とても風情のあるところですよ?^^
<無明橋>
[所在地]大分県豊後高田市黒土
[アクセス]地図はコチラ いや?、参った参った^^;
2日の土曜日、大分に修行に出て(単にお寺巡り)帰ってブログを立ち上げようとしたところ
我がFC2ブログのサーバーになんらかのトラブルがあり
気がつくと復旧に3日もかかっていました
FC2すべてのサーバーではなかったらしいのですが、こちらではどうすることもできませんでした
この間にも訪問して下さった方々、もしかしたら心配して下さった皆様
ありがとうございましたm(__)m
そして3月25日以降に入れてくださったコメントと
トラックバックがすべて消えてしまっています
申し訳ありません<(__)>
でも過去記事が残っただけまだ良いほうでした
今日からまた元気に再開します、よろしくです♪
(自衛隊通りの昨日の桜)
さあ、大分に修行と書きましたが
今回「ゆるゆる仙隊神社ラ?」大分支部長のKIKOさんにツアコンとなっていただいて
熊本からこのブログで毎度お馴染み手のじご夫婦と一緒に出かけてきました^^
ああでもよかった?、今日記事書くことができて^^
あんまり遅くなると、いろんな楽しかった事を書き忘れちゃうもんね(笑)
朝5時半頃に出発ということで4時半前には起きました
いつもより1時間半以上早起きです
アラームより先に目が覚めて思わず「子供か!」と自分で叫んでみた^^;
まだ真っ暗な中、この日は手のじ家のカロちゃん号で出発でーす!
外の暗さと違って真昼間のような賑やかさの車内、4人のテンションはいつもながらです(笑)
野焼きが終わり黒っぽい山肌を見ながら薄暗いミルクロードを走っていたら
ん?ん?なんじゃ??
誰もいないスカイライン展望所に車を入れると・・・
なんと雲海が出ているじゃありませんか
阿蘇五岳の涅槃像も綺麗に見えて、ちょっと感動?♪
三文どころじゃない得をした気分、早起きって本当にいいもんですね?(どっかで聞いたような・・)
とっちんは何時でもいいんですけどね、らぼっちは暗いのと寒いのがイヤみたいです^^;
こんな風景も見れたのに?**
大観峰の上に見える朝日を見ながら、日本が元気になれるよう祈りました
そしていい一日になりますように、と^^
朝も早いので車も少なく、超すいすいでやまなみハイウェイを走り別府入り?
笑っているうち、予定時刻の30分も前に待ち合わせ場所に着いてしまった(笑)
挨拶の後「今日はとても忙しいツアーだから」とおっしゃるKIKOさんの言葉に
慌ててそそくさと熊本4人組が車に乗り込み、しゅっぱ?つ♪
無理やりツアコンにさせられたのに、かなりいろいろ調べてもらったみたいで
車内にはいろいろとパンフがあったり、お話も詳しい^^
最初に目指すはテルルさん希望の「天念寺」
朝の体力のあるうちに午前中に攻めようというお話
ところが「ここまでは知ってるけど、後はどうにかなるでしょ」とKIKOさん
え?、助手席には方向音痴のらぼっちが陣取ってるけど・・・
ナビがあるのに使わず、後ろのオチャラケ3人組みはあてにならない、大丈夫かな??
案の定、途中でKIKOさんがヘルプ!
よっしゃとばかりにらぼっちが地図を片手に「あーだからこうでしょ」
と、わけのわからない解説の後、やっちゃった^^;
Uターンです、今日はどんだけ繰り返すことやら^^;
後ろで文句は言うけど、全然他人事の般若2号ならぬ鬼のとっちん
冷?たい言葉で発破をかけてあげました(笑)
道は繋がってるというけど国東は六郷満山、中央の両子山から放射線状には道が多いけど
谷が深いためか横にはあまり繋がっていません
でも、どうにか着いたようです^^
「天念寺」本堂です
天台宗の寺院で山号は長岩屋山(ながいわやさん)
養老2年(718年)に仁聞(にんもん)菩薩によって聞基されたと伝えられる古刹だとか
ええ??これが本堂?公民館じゃないよね?^^;と、わいわい言いながらしばしウロウロ
いえいえ間違いありませんでした
多くの文化財ってこれですか
ほほ?う、本当にすごいですね

本堂には5体の木彫仏があります・・・と何を見ても書いてあるじゃん
あ、チョンボ!5体あるという木彫仏のうち4体しか写真がありません
「木造不動明王立像」は左の格子の中におられたようです^^;
「木造釈迦如来坐像」の両隣には「木造日光・月光菩薩立像」
え?っと、釈迦如来の脇侍は「文殊菩薩」と「普賢菩薩」じゃありませんでしたかね
その右側に「木造吉祥天立像」
なんだか涙が流れているように見えるんだけど^^;
パッと見は公民館でも中には堂々たる木彫仏の数々
さすがは十二院坊のあった六郷中山本寺のひとつです
「国宝堂跡」と言われるところに上る
先にあったのはこのお堂
説明の“6体の平安仏”はどうなったんだろう・・
横には「身濯神社(みそそぎじんじゃ)」

こちらはおもしろい梁の拝殿だったんですよ?
なのでいつもは正面を撮るのですが、横から撮ってみました
奥には岩に食い込んだ社殿、表と違ってずいぶんと派手?☆
横の岩場には十六羅漢、ここはちょっとぞわっとしてしまった
何か悪いことしたのかな^^;
そしてそのまた横にあるのが「講堂」です
今年3月に補修されたばかりで、きれいになっていました

あれれ?こちらにおられるのは「薬師如来坐像」
一番最初に見た文化財の案内には「聖観世音菩薩立像」とも書いてあったぞ?
見えなかっただけかな、ま、いいか^^;
鬼会の行事は旧正月七日の夜に六郷満山寺院から集まった役僧たちの読経に始まり
長さ4mあまりの大たいまつに点火され勇壮な鬼の法舞が行われる行事
国指定重要無形民俗文化財に指定されているそうです
仁聞が、国家安穏・五穀豊穣・無病息災等の諸願をかけて大法要を行った修正鬼会
以前は六郷満山六十五ヶ寺で実施されていましたが
現在は天念寺と国東町の岩戸寺と成仏寺の3ヶ所だけになっているとか
これがその大たいまつ、作るのも持つのも大変そう^^;
そのまた横にには「磨崖役行者像」薄肉彫りってよくわからないけど・・
左にある庚申塔も気になるなあ?^^
それから前の長岩屋川に架かっている橋を渡ります
KIKOさんじゃないけど、テルルさんはどこでしょう?なんてね^^
こちらは「川中不動」
水害防除の願いをこめて造られたと言われているようです
高さ3.23メートルの不動明王の脇侍には制咤迦童子(せいたかどうじ)と矜羯羅童子(こんがらどうじ)
強面のお不動さんはさておき、二童子はかわいい?♪
見ごたえがあり過ぎて、ここだけですでに30分経過
なんだかみんな急いでいます?
なんたってここに行かなくちゃならないから!
とっちんはあまり気が進まないんだけど・・・ね^^;
そのお話はあ・し・た?♪
2日の土曜日、大分に修行に出て(単にお寺巡り)帰ってブログを立ち上げようとしたところ
我がFC2ブログのサーバーになんらかのトラブルがあり
気がつくと復旧に3日もかかっていました
FC2すべてのサーバーではなかったらしいのですが、こちらではどうすることもできませんでした
この間にも訪問して下さった方々、もしかしたら心配して下さった皆様
ありがとうございましたm(__)m
そして3月25日以降に入れてくださったコメントと
トラックバックがすべて消えてしまっています
申し訳ありません<(__)>
でも過去記事が残っただけまだ良いほうでした
今日からまた元気に再開します、よろしくです♪

(自衛隊通りの昨日の桜)
さあ、大分に修行と書きましたが
今回「ゆるゆる仙隊神社ラ?」大分支部長のKIKOさんにツアコンとなっていただいて
熊本からこのブログで毎度お馴染み手のじご夫婦と一緒に出かけてきました^^
ああでもよかった?、今日記事書くことができて^^
あんまり遅くなると、いろんな楽しかった事を書き忘れちゃうもんね(笑)
朝5時半頃に出発ということで4時半前には起きました
いつもより1時間半以上早起きです
アラームより先に目が覚めて思わず「子供か!」と自分で叫んでみた^^;
まだ真っ暗な中、この日は手のじ家のカロちゃん号で出発でーす!
外の暗さと違って真昼間のような賑やかさの車内、4人のテンションはいつもながらです(笑)
野焼きが終わり黒っぽい山肌を見ながら薄暗いミルクロードを走っていたら
ん?ん?なんじゃ??
誰もいないスカイライン展望所に車を入れると・・・

なんと雲海が出ているじゃありませんか
阿蘇五岳の涅槃像も綺麗に見えて、ちょっと感動?♪
三文どころじゃない得をした気分、早起きって本当にいいもんですね?(どっかで聞いたような・・)
とっちんは何時でもいいんですけどね、らぼっちは暗いのと寒いのがイヤみたいです^^;
こんな風景も見れたのに?**

大観峰の上に見える朝日を見ながら、日本が元気になれるよう祈りました

そしていい一日になりますように、と^^
朝も早いので車も少なく、超すいすいでやまなみハイウェイを走り別府入り?
笑っているうち、予定時刻の30分も前に待ち合わせ場所に着いてしまった(笑)
挨拶の後「今日はとても忙しいツアーだから」とおっしゃるKIKOさんの言葉に
慌ててそそくさと熊本4人組が車に乗り込み、しゅっぱ?つ♪
無理やりツアコンにさせられたのに、かなりいろいろ調べてもらったみたいで
車内にはいろいろとパンフがあったり、お話も詳しい^^
最初に目指すはテルルさん希望の「天念寺」
朝の体力のあるうちに午前中に攻めようというお話
ところが「ここまでは知ってるけど、後はどうにかなるでしょ」とKIKOさん
え?、助手席には方向音痴のらぼっちが陣取ってるけど・・・
ナビがあるのに使わず、後ろのオチャラケ3人組みはあてにならない、大丈夫かな??
案の定、途中でKIKOさんがヘルプ!
よっしゃとばかりにらぼっちが地図を片手に「あーだからこうでしょ」
と、わけのわからない解説の後、やっちゃった^^;
Uターンです、今日はどんだけ繰り返すことやら^^;
後ろで文句は言うけど、全然他人事の般若2号ならぬ鬼のとっちん
冷?たい言葉で発破をかけてあげました(笑)
道は繋がってるというけど国東は六郷満山、中央の両子山から放射線状には道が多いけど
谷が深いためか横にはあまり繋がっていません
でも、どうにか着いたようです^^
「天念寺」本堂です

天台宗の寺院で山号は長岩屋山(ながいわやさん)
養老2年(718年)に仁聞(にんもん)菩薩によって聞基されたと伝えられる古刹だとか
ええ??これが本堂?公民館じゃないよね?^^;と、わいわい言いながらしばしウロウロ
いえいえ間違いありませんでした

多くの文化財ってこれですか
ほほ?う、本当にすごいですね


本堂には5体の木彫仏があります・・・と何を見ても書いてあるじゃん

あ、チョンボ!5体あるという木彫仏のうち4体しか写真がありません
「木造不動明王立像」は左の格子の中におられたようです^^;
「木造釈迦如来坐像」の両隣には「木造日光・月光菩薩立像」
え?っと、釈迦如来の脇侍は「文殊菩薩」と「普賢菩薩」じゃありませんでしたかね

その右側に「木造吉祥天立像」
なんだか涙が流れているように見えるんだけど^^;

パッと見は公民館でも中には堂々たる木彫仏の数々
さすがは十二院坊のあった六郷中山本寺のひとつです
「国宝堂跡」と言われるところに上る

先にあったのはこのお堂

説明の“6体の平安仏”はどうなったんだろう・・
横には「身濯神社(みそそぎじんじゃ)」


こちらはおもしろい梁の拝殿だったんですよ?
なのでいつもは正面を撮るのですが、横から撮ってみました

奥には岩に食い込んだ社殿、表と違ってずいぶんと派手?☆

横の岩場には十六羅漢、ここはちょっとぞわっとしてしまった
何か悪いことしたのかな^^;

そしてそのまた横にあるのが「講堂」です

今年3月に補修されたばかりで、きれいになっていました


あれれ?こちらにおられるのは「薬師如来坐像」
一番最初に見た文化財の案内には「聖観世音菩薩立像」とも書いてあったぞ?
見えなかっただけかな、ま、いいか^^;

鬼会の行事は旧正月七日の夜に六郷満山寺院から集まった役僧たちの読経に始まり
長さ4mあまりの大たいまつに点火され勇壮な鬼の法舞が行われる行事
国指定重要無形民俗文化財に指定されているそうです
仁聞が、国家安穏・五穀豊穣・無病息災等の諸願をかけて大法要を行った修正鬼会
以前は六郷満山六十五ヶ寺で実施されていましたが
現在は天念寺と国東町の岩戸寺と成仏寺の3ヶ所だけになっているとか
これがその大たいまつ、作るのも持つのも大変そう^^;

そのまた横にには「磨崖役行者像」薄肉彫りってよくわからないけど・・
左にある庚申塔も気になるなあ?^^

それから前の長岩屋川に架かっている橋を渡ります
KIKOさんじゃないけど、テルルさんはどこでしょう?なんてね^^

こちらは「川中不動」
水害防除の願いをこめて造られたと言われているようです
高さ3.23メートルの不動明王の脇侍には制咤迦童子(せいたかどうじ)と矜羯羅童子(こんがらどうじ)
強面のお不動さんはさておき、二童子はかわいい?♪

見ごたえがあり過ぎて、ここだけですでに30分経過
なんだかみんな急いでいます?

なんたってここに行かなくちゃならないから!

とっちんはあまり気が進まないんだけど・・・ね^^;
そのお話はあ・し・た?♪
<天念寺>
[所在地]大分県豊後高田市行園
[アクセス]地図はコチラ
先日ある方のお誘いで普段は公開されていないところに潜入して行って参りました
あいにくの雨模様でしたが、外ではないので大丈夫でした
錚々たる方々のなかになんだか不釣合いな熟年夫婦が混ざっておりました
そのうえ女性はとっちんただ一人^^;
大丈夫なの・・・か?・・という不安を抱えたまま見学会が始まりました
場所はなんと熊本大学工学部の研究資料館であります
基礎知識など何も持たないまま行ったのでさらに驚きの連続でした
建物ごと国の重要文化財になっているとは・・・
日本の工業技術の黎明期に造られこのような形態で現存するものは全国でも例をみないようですよ
この赤煉瓦造りの建物だけでも興奮してきます^^
オランダ積みのアーチ部分から下には白い木枠の窓、とても明治41年竣工とは思えません
屋根の上部は明かり取りの窓でしょうか
いつもは閉じられている入り口が開いてます
「どうぞ?」と快く招かれているようでなんだか嬉しかったな^^
さすがに貴重な歴史的資産です
説明よりも注意事項の文字がデカイ(笑)
わくわくしながら中に入ります、もちろん新参者ですから最後尾で^^
これからの写真は許可をいただいて掲載しております
うっわーー!これはすごい@@
ちょっとだけする油臭さがまた気持ちを震わせてくれます^^
中央部分は高さ11mもの吹き抜けになって両側に太い列柱が並んでいます
鉄骨とかがなければ、なんだか教会のような雰囲気です
床はなんと木煉瓦、油が滲みているようで黒光りしていました
歩くたびにちょっとだけガタガタなるのが雰囲気を増していました
そして、こちらも黒光りした機械群が動態保存されています
かつてはボイラーによる動力システムでしたが、後にモーターに取り替えられたということです
こちらはメインシャフト、何本ものベルトが掛けられています
実は、こういう機械には全くと言っていいほど無頓着な熟年ふたり
何が何だかよくわからないままに詳しい説明を聞いていたので
11基もある工作機械の写真も全部は撮れていません^^;
埃を被っていた?機械は平成8年から3年をかけて動態化修復されました
その中でわかるものだけご紹介します
<立削盤> 昭和6年、足立製作所製造
<15尺旋盤>の一部^^; 明治39年、(米)セリッグソン・ネルタール社製造
<実習用旋盤> 昭和10年?14年、旧熊本高等工業学校製作
<マーグ歯車研削盤> 昭和5年、(米)マーグ社製造
<曲がり歯傘歯車歯切盤> 大正15年、(米)グリーソン社製造
<平削盤> 明治39年、(米)アメリカンツールワーク社製造
機械の説明は省きます、詳しいことはコチラをご覧ください
この平削盤はらぼっちがいたく興味を示していました
2本のベルトで回転方向を切り替えているんです
動画も撮ったのでよろしければ、どうぞ♪
これらの機械たちがモーターからメインシャフトに作動し
ベルトを通じて、一斉に動き出したときはもう鳥肌モンでした
無気力な黒い大きな物体が突如として息を吹きかえし
定期的な音を響かせ始めたのですから♪
しばらく動かした後はモーターを止め、自由に見学させていただくことに^^
それからは熟年お得意のマニアックな世界にどっぷりと浸かったのでした(笑)



どこの何の部品かって?
さぁ?、わかりません(笑)
1階反対側にある測量機器を見ながら
上にあるクレーンを見上げて「2階部分には行ったらダメなのかなあ?」
と思っていたら、おや皆さんぞろぞろ上がっていかれてるじゃありませんか
「やったー!」
靴を脱ぎスリッパに履き替えて上がります
思ったとおりここからは迫力がありますよ
向かいの窓、並んだアーチがいい雰囲気を醸し出しています
外国にでもいるかのような錯覚に陥ります^^
天井走行クレーンを上から見たところです
動いて欲しいと思ったけど、動かしたら(触ったら)いけません!
窓からは、雨の中咲き始めた桜が濡れしょぼっていました
いや?、機械自体はよくわかりませんでしたが
その素晴らしさは感覚的に感じとることができました、大満足♪
ありがとうございましたm(__)m

尚、こちらの研究資料館は学園祭、学部行事などの機会に
不定期に開館されるということです
あいにくの雨模様でしたが、外ではないので大丈夫でした
錚々たる方々のなかになんだか不釣合いな熟年夫婦が混ざっておりました
そのうえ女性はとっちんただ一人^^;
大丈夫なの・・・か?・・という不安を抱えたまま見学会が始まりました
場所はなんと熊本大学工学部の研究資料館であります
基礎知識など何も持たないまま行ったのでさらに驚きの連続でした

建物ごと国の重要文化財になっているとは・・・
日本の工業技術の黎明期に造られこのような形態で現存するものは全国でも例をみないようですよ

この赤煉瓦造りの建物だけでも興奮してきます^^
オランダ積みのアーチ部分から下には白い木枠の窓、とても明治41年竣工とは思えません

屋根の上部は明かり取りの窓でしょうか
いつもは閉じられている入り口が開いてます
「どうぞ?」と快く招かれているようでなんだか嬉しかったな^^

さすがに貴重な歴史的資産です
説明よりも注意事項の文字がデカイ(笑)

わくわくしながら中に入ります、もちろん新参者ですから最後尾で^^
これからの写真は許可をいただいて掲載しております
うっわーー!これはすごい@@
ちょっとだけする油臭さがまた気持ちを震わせてくれます^^

中央部分は高さ11mもの吹き抜けになって両側に太い列柱が並んでいます
鉄骨とかがなければ、なんだか教会のような雰囲気です
床はなんと木煉瓦、油が滲みているようで黒光りしていました
歩くたびにちょっとだけガタガタなるのが雰囲気を増していました

そして、こちらも黒光りした機械群が動態保存されています

かつてはボイラーによる動力システムでしたが、後にモーターに取り替えられたということです
こちらはメインシャフト、何本ものベルトが掛けられています

実は、こういう機械には全くと言っていいほど無頓着な熟年ふたり
何が何だかよくわからないままに詳しい説明を聞いていたので
11基もある工作機械の写真も全部は撮れていません^^;
埃を被っていた?機械は平成8年から3年をかけて動態化修復されました
その中でわかるものだけご紹介します
<立削盤> 昭和6年、足立製作所製造

<15尺旋盤>の一部^^; 明治39年、(米)セリッグソン・ネルタール社製造

<実習用旋盤> 昭和10年?14年、旧熊本高等工業学校製作

<マーグ歯車研削盤> 昭和5年、(米)マーグ社製造

<曲がり歯傘歯車歯切盤> 大正15年、(米)グリーソン社製造

<平削盤> 明治39年、(米)アメリカンツールワーク社製造

機械の説明は省きます、詳しいことはコチラをご覧ください
この平削盤はらぼっちがいたく興味を示していました
2本のベルトで回転方向を切り替えているんです
動画も撮ったのでよろしければ、どうぞ♪
これらの機械たちがモーターからメインシャフトに作動し
ベルトを通じて、一斉に動き出したときはもう鳥肌モンでした
無気力な黒い大きな物体が突如として息を吹きかえし
定期的な音を響かせ始めたのですから♪
しばらく動かした後はモーターを止め、自由に見学させていただくことに^^
それからは熟年お得意のマニアックな世界にどっぷりと浸かったのでした(笑)






どこの何の部品かって?
さぁ?、わかりません(笑)
1階反対側にある測量機器を見ながら


上にあるクレーンを見上げて「2階部分には行ったらダメなのかなあ?」

と思っていたら、おや皆さんぞろぞろ上がっていかれてるじゃありませんか
「やったー!」
靴を脱ぎスリッパに履き替えて上がります

思ったとおりここからは迫力がありますよ

向かいの窓、並んだアーチがいい雰囲気を醸し出しています
外国にでもいるかのような錯覚に陥ります^^

天井走行クレーンを上から見たところです

動いて欲しいと思ったけど、動かしたら(触ったら)いけません!
窓からは、雨の中咲き始めた桜が濡れしょぼっていました

いや?、機械自体はよくわかりませんでしたが
その素晴らしさは感覚的に感じとることができました、大満足♪
ありがとうございましたm(__)m

尚、こちらの研究資料館は学園祭、学部行事などの機会に
不定期に開館されるということです
<熊本大学工学部研究資料館(旧機械実験工場)>
[所在地]熊本市黒髪2-39-1
[アクセス]地図はコチラ