今日で2月も終わりですね?、ついこの前、年が明けたばかりなのに^^;
また3月は駆け足のように過ぎ去っていくんだろうな
あ?、年を取るのが早い
時間よ止まってーー!(切実)
さて本日は熊本市の富合にある「木原不動尊」で春季大祭があるということで
とっちん一人行って参りました、平日ですからね、仕方ありません^^
昨年訪れた際には、この春季大祭にまったく興味はなかったのですが
土曜日の新聞記事を見たら、なんとなく行ってみてもいいかなと思ったのです
「千葉県の成田不動尊「」東京都の目黒不動尊」と共に日本三大不動と称される「木原不動尊」
雨だから人出も少ないんじゃないかな?
午前と午後の2回、火渡りや湯立てが行われるというので
雨が残る午前に行くことにしました
ん??人、少ないかも^^
仁王さんにもご挨拶!
なんだなんだ思ったより多いじゃん^^;
本堂にお参りを・・・
人が多すぎるでしょう@@
写真を撮る状況も雰囲気もまったくなくごった返す本堂
ご開帳されたご本尊の『木像一躯立像厨子入』の不動明王、拝むことさえできませんでした(泣)
そうこうしていると10時がせまってきたので本堂前に陣取ることにしました
おや若い人たちも護摩木に書いています
鐘楼には鐘をつくための行列が出来ていました
時間になると祈願や供養の護摩木が投じられていきます
とっちんが立っている横には雨の中、カメラマンがずらり^^
ここが一番のアングルなのでしょう、ギリギリのところまでせり出しています
ほら貝の音と共に祈祷が始まりました
燃やされていた大きな木が出され、渡れるように長くなっていきます
ひえ??、まさかこんな火の中は渡らないよね・・
10分くらい経つとだんだんと火が落ち着いてきました
手前にある竹の棒で道をつくり、塩で清めます
まずはここにおられる修行僧、修験者の方々が素足で火渡りをされます
“心頭滅却すれば火もまた涼し”なんですかね、とっちんには絶対無理です!
動画で撮ってみました
それから偉い方々が来られました
この方々と先ほどの修行僧、修験者の方々が渡り終えられると一般の火渡りが始まります
もちろんみんな素足です
数珠を持ってゆっくりと1歩ずつ歩く信心深い人あり
まっしぐらに駆け抜ける人あり、と見ているといろんな人がおられました
皆さん足の裏は煤で真っ黒、「家内安全」「商売繁盛」「交通安全」きっと大丈夫^^
子供は安全のためか、修行僧の方に抱かれて火渡りです
テレビカメラも子供だとこんなに近くまで寄っています
固まっていたアマチュアカメラマン達もいっせいにシャッターを切っていました^^
おお、「湯立て」の準備も整ったようです
ぐらぐら煮えたぎっている湯に笹の葉をつけて
参詣者にかけていきます
とっちんの隣にいたオバちゃんが「こっちにも来て?!」なんて言うもんだから
来た来た来たーーーーーぁ!!
シャーー、あれ?冷たいじゃん、もっと熱いかと思ってた^^;
でもしっかりかけてもらったので、今年は「無病息災」でいけるでしょう
よかった?、カメラしまうのが間に合って(笑)
ひとまず湯立てが終わったと思ったら今度は釜茹で?
こちらも動画でどうぞ
終わってから、ふと思いました
“釜茹で”の儀式はどうして女の方ばかりなんでしょうね
火渡り、湯立ての儀式がひととおり終わると使われた笹の葉が配られます
とっちんももちろん頂きました^^
初めてこういうお祭りを見ましたが、身が引き締まる思いでした
でも火渡りはやっぱり遠慮しときたいです^^;
また3月は駆け足のように過ぎ去っていくんだろうな
あ?、年を取るのが早い
時間よ止まってーー!(切実)
さて本日は熊本市の富合にある「木原不動尊」で春季大祭があるということで
とっちん一人行って参りました、平日ですからね、仕方ありません^^
昨年訪れた際には、この春季大祭にまったく興味はなかったのですが
土曜日の新聞記事を見たら、なんとなく行ってみてもいいかなと思ったのです
「千葉県の成田不動尊「」東京都の目黒不動尊」と共に日本三大不動と称される「木原不動尊」
雨だから人出も少ないんじゃないかな?
午前と午後の2回、火渡りや湯立てが行われるというので
雨が残る午前に行くことにしました

ん??人、少ないかも^^

仁王さんにもご挨拶!


なんだなんだ思ったより多いじゃん^^;

本堂にお参りを・・・

人が多すぎるでしょう@@

写真を撮る状況も雰囲気もまったくなくごった返す本堂
ご開帳されたご本尊の『木像一躯立像厨子入』の不動明王、拝むことさえできませんでした(泣)
そうこうしていると10時がせまってきたので本堂前に陣取ることにしました
おや若い人たちも護摩木に書いています

鐘楼には鐘をつくための行列が出来ていました

時間になると祈願や供養の護摩木が投じられていきます


とっちんが立っている横には雨の中、カメラマンがずらり^^
ここが一番のアングルなのでしょう、ギリギリのところまでせり出しています

ほら貝の音と共に祈祷が始まりました

燃やされていた大きな木が出され、渡れるように長くなっていきます

ひえ??、まさかこんな火の中は渡らないよね・・

10分くらい経つとだんだんと火が落ち着いてきました
手前にある竹の棒で道をつくり、塩で清めます

まずはここにおられる修行僧、修験者の方々が素足で火渡りをされます
“心頭滅却すれば火もまた涼し”なんですかね、とっちんには絶対無理です!
動画で撮ってみました
それから偉い方々が来られました

この方々と先ほどの修行僧、修験者の方々が渡り終えられると一般の火渡りが始まります
もちろんみんな素足です

数珠を持ってゆっくりと1歩ずつ歩く信心深い人あり
まっしぐらに駆け抜ける人あり、と見ているといろんな人がおられました
皆さん足の裏は煤で真っ黒、「家内安全」「商売繁盛」「交通安全」きっと大丈夫^^

子供は安全のためか、修行僧の方に抱かれて火渡りです

テレビカメラも子供だとこんなに近くまで寄っています
固まっていたアマチュアカメラマン達もいっせいにシャッターを切っていました^^
おお、「湯立て」の準備も整ったようです

ぐらぐら煮えたぎっている湯に笹の葉をつけて

参詣者にかけていきます

とっちんの隣にいたオバちゃんが「こっちにも来て?!」なんて言うもんだから
来た来た来たーーーーーぁ!!

シャーー、あれ?冷たいじゃん、もっと熱いかと思ってた^^;
でもしっかりかけてもらったので、今年は「無病息災」でいけるでしょう
よかった?、カメラしまうのが間に合って(笑)
ひとまず湯立てが終わったと思ったら今度は釜茹で?

こちらも動画でどうぞ
終わってから、ふと思いました
“釜茹で”の儀式はどうして女の方ばかりなんでしょうね
火渡り、湯立ての儀式がひととおり終わると使われた笹の葉が配られます
とっちんももちろん頂きました^^

初めてこういうお祭りを見ましたが、身が引き締まる思いでした
でも火渡りはやっぱり遠慮しときたいです^^;

[所在地]熊本県熊本市富合町木原2040
[アクセス]地図はコチラ
この週末は暖かかったですね、急に4月の陽気ではあーりませんか
さぞかし、今日あたり梅も満開だったことでしょう^^
今日の記事にも、その梅があっぷされていますが
取材は大阪に行った前の週の2月5日です
決して、今週ではないので、ご承知おきくださいね^^
熟年夫婦が倉岳の国道266号線を走らせたのは巨樹情報に誘われたから
めざすは下島のすぐ手前の半島にある「下浦天満宮の大楠」です
それは集落道の下り坂を緩やかに右にカーブするところにありました
運転席から見えるそのダイナミックな姿からだけで、これだとすぐにわかります
大楠は鳥居を覆うように大きな枝をいくつも伸ばし、樹勢はまだまだ衰えていないようです
根元の幹周りが約8.5m、樹高も20m以上ある巨樹です
昔、船を造るために一度切り倒されたという悲しい民話「大楠の精」が残されています
民話からするとこれは二代目で樹齢は約300年くらいでしょうか
こちらは拝殿なのか、舞台なのか良く分かりませんでしたが
境内は綺麗に掃除されていました
地域の皆さんが大切にお護りしていることがわかる小さな天満様でした
さらに本渡方面へ足を伸ばします
向かったのは熊本でも有名な梅の木があるから、「延慶寺の兜梅」です^^
すぐ横には保育園が併設されています
平日だったらさぞかし賑やかな声が響いていることでしょう^^
門を見上げると、ぷぷぷ^m^
鬼瓦かな? 瓦の模様が顔に見える
こちらが延慶寺、木々で全体は見えにくい^^;
近寄ると目に付いたのがガラスに描かれた綺麗な文様♪
こういうのって、何か意味があるんでしょうけどね
まあ、ゆるゆるですからそれ以上は突っ込まないでくださいね^^
兜梅は寺の裏側にあるようで、こちらの左側から回り込みます
この格子戸をくぐると結構大きな庭があります
そして、こちらが兜梅♪
高さ約3m、樹齢約500年の白梅の老木、形容から臥龍梅(がりゅうばい)とも呼ばれています
八代市の松井神社にある臥龍梅よりは大きいような気がしました
天正17年(1589)の天草合戦のとき、天草五人衆の一人、天草種元は、小西行長・加藤清正の連合軍に攻め込まれ、本戸城は正に落城寸前となっていました。そこで、城の中の女性達が男に変装し騎馬武者を結成し連合軍に反撃を始めました。ところが、一隊を率いていた木山弾正の妻、お京の方の兜がこの梅の木にひっかかり脱げてしまい女性であることが敵に知られてしまいました。このため連合軍は勢いづき、騎馬隊は全滅しました。お京の方は、息絶える寸前に、敗北の無念を「永代、花は咲けども実はならせないぞ」と、この梅に恨みを残したと言われています。そういうことで、この梅は「兜梅」と呼ばれるようになり、現在でも、その恨みの通り、花は咲いても実はならない梅の木なのです。(県HP抜粋)
何度も言いますが、これは2月5日の状況ですからね
蕾も固そうで、一輪も咲いていませんでした^^;
でも花が咲いてないと木の全容はよくわかるでしょう^^
梅の木の下にはびっしりとコケが埋まってます
適度な水分を保つ役目を果たしているのでしょうね
きっと昨日、今日あたりは多くの観光客で賑わったことでしょうね
ちょっと、残念♪
さぞかし、今日あたり梅も満開だったことでしょう^^
今日の記事にも、その梅があっぷされていますが
取材は大阪に行った前の週の2月5日です
決して、今週ではないので、ご承知おきくださいね^^
熟年夫婦が倉岳の国道266号線を走らせたのは巨樹情報に誘われたから
めざすは下島のすぐ手前の半島にある「下浦天満宮の大楠」です
それは集落道の下り坂を緩やかに右にカーブするところにありました
運転席から見えるそのダイナミックな姿からだけで、これだとすぐにわかります

大楠は鳥居を覆うように大きな枝をいくつも伸ばし、樹勢はまだまだ衰えていないようです



根元の幹周りが約8.5m、樹高も20m以上ある巨樹です
昔、船を造るために一度切り倒されたという悲しい民話「大楠の精」が残されています
民話からするとこれは二代目で樹齢は約300年くらいでしょうか




こちらは拝殿なのか、舞台なのか良く分かりませんでしたが
境内は綺麗に掃除されていました
地域の皆さんが大切にお護りしていることがわかる小さな天満様でした

さらに本渡方面へ足を伸ばします
向かったのは熊本でも有名な梅の木があるから、「延慶寺の兜梅」です^^

すぐ横には保育園が併設されています
平日だったらさぞかし賑やかな声が響いていることでしょう^^

門を見上げると、ぷぷぷ^m^
鬼瓦かな? 瓦の模様が顔に見える

こちらが延慶寺、木々で全体は見えにくい^^;

近寄ると目に付いたのがガラスに描かれた綺麗な文様♪
こういうのって、何か意味があるんでしょうけどね
まあ、ゆるゆるですからそれ以上は突っ込まないでくださいね^^

兜梅は寺の裏側にあるようで、こちらの左側から回り込みます

この格子戸をくぐると結構大きな庭があります

そして、こちらが兜梅♪
高さ約3m、樹齢約500年の白梅の老木、形容から臥龍梅(がりゅうばい)とも呼ばれています
八代市の松井神社にある臥龍梅よりは大きいような気がしました

天正17年(1589)の天草合戦のとき、天草五人衆の一人、天草種元は、小西行長・加藤清正の連合軍に攻め込まれ、本戸城は正に落城寸前となっていました。そこで、城の中の女性達が男に変装し騎馬武者を結成し連合軍に反撃を始めました。ところが、一隊を率いていた木山弾正の妻、お京の方の兜がこの梅の木にひっかかり脱げてしまい女性であることが敵に知られてしまいました。このため連合軍は勢いづき、騎馬隊は全滅しました。お京の方は、息絶える寸前に、敗北の無念を「永代、花は咲けども実はならせないぞ」と、この梅に恨みを残したと言われています。そういうことで、この梅は「兜梅」と呼ばれるようになり、現在でも、その恨みの通り、花は咲いても実はならない梅の木なのです。(県HP抜粋)

何度も言いますが、これは2月5日の状況ですからね
蕾も固そうで、一輪も咲いていませんでした^^;

でも花が咲いてないと木の全容はよくわかるでしょう^^

梅の木の下にはびっしりとコケが埋まってます
適度な水分を保つ役目を果たしているのでしょうね

きっと昨日、今日あたりは多くの観光客で賑わったことでしょうね
ちょっと、残念♪
<下浦船場天満宮の大楠>
[所在地]天草市下浦町船場2946
[アクセス]地図はコチラ
<延慶寺の兜梅>
[所在地]天草市浜崎町9-32
[アクセス]地図はコチラ
熟年夫婦の家はただいま地響きがしております
震度2くらいはあるかも、隣の家がただいま取り壊し中
最初は吠えまくっていたラボも、もう慣れた様子でぐっすり!
今晩はとっちんが研修泊でらぼっちとラボでで留守番なり♪
お互いの顔を見ない夜もたまには良いでしょう^^
大えびす様を見上げたあと、国道266号線を本渡方面に向かっていると
ゆるゆるじんじゃらーの目が見開き、鼻がひくひく感じたとさ♪
二人とも「今、仁王さんがいたよね、戻ろう」
ということで、立ち寄ったのは「円性寺」です
こちらが、お声をかけてくれた参道入り口にある仁王様
なぜか対ではなくこの像ひとつだけでした、天草市指定文化財です
看板は22年作成の真新しい看板ですね
これも新幹線開通による効果かな、ならばよいことだ^^
対面には力士像ではなくもうひとつの指定文化財、常夜燈
下の礎石の方がなんだか歴史を感じる^^;
そして目に止まったのは狛犬くんたち、なんともユーモラスな格好でしょう
ちんちんと逆立ちとはね^^
高いので、良く見えないのが残念!
さぁ、上りましょうかね
階段の下から見上げると、ん?何だかでかいものが^^
おーっ、りっぱな山門がお出迎え♪
楼門、山門萌えの熟年夫婦はしばらくこの周りをうろうろ♪
階段を登りきったところの石垣です
イナバウワーのような反りは熊本城に負けていないかも^^
門をくぐる場合は見上げ?る、はいはい
目線を下に?、はいはい
礎石に寸分の狂いもなく見事にのせられた柱かな^^
くぐったら、振り返?る、はいはい
天草・島原の乱のとき、幕府連合軍の砲術隊長として参戦した鈴木重成は
乱後も島原に留まり、その見識と手腕がかわれ初代代官となります
鈴木重成は実兄の正三和尚とともに、仏教への帰依によって島民の心を安定させようと
19寺3社の寺や神社を創建・再建します
特に東向寺(天草市・旧本渡市)、国照寺(苓北町)、崇円寺(天草市河浦町)
円性寺(天草市栖本町)は、「天草四ヶ本寺」と呼ばれ、宗教政策の中心寺となりました
円性寺は、江戸末期まで、天草島民のキリシタン信者の改宗の取締りや
戸籍調査などを行ったお寺で、別名「改宗行政寺」とも呼ばれていたようです
実はこちら本堂の天井には四季折々の草花など415枚もの板絵がはめ込まれていて
素晴らしいとのこと、しまったね^^;
でも周りの見事な彫刻はちゃんと見てきましたよ
ん?牙が一本折れてるみたい
境内には他にも五重の石塔などいろいろとありましたよ
天草は教会の他にも19寺3社巡りっていうのもありかな♪
はいはい、お次は熟年夫婦にははずせないシリーズでっせ?^^
さて何か酒のつまみでも作って、手のじ夫婦から頂いた竜馬焼酎をちびちびいこうかね
これ製造は長崎なのに大好きな芋焼酎なんです♪

他にもいろいろ、いつもありがとう♪

震度2くらいはあるかも、隣の家がただいま取り壊し中
最初は吠えまくっていたラボも、もう慣れた様子でぐっすり!
今晩はとっちんが研修泊でらぼっちとラボでで留守番なり♪
お互いの顔を見ない夜もたまには良いでしょう^^
大えびす様を見上げたあと、国道266号線を本渡方面に向かっていると
ゆるゆるじんじゃらーの目が見開き、鼻がひくひく感じたとさ♪
二人とも「今、仁王さんがいたよね、戻ろう」
ということで、立ち寄ったのは「円性寺」です
こちらが、お声をかけてくれた参道入り口にある仁王様
なぜか対ではなくこの像ひとつだけでした、天草市指定文化財です

看板は22年作成の真新しい看板ですね
これも新幹線開通による効果かな、ならばよいことだ^^

対面には力士像ではなくもうひとつの指定文化財、常夜燈
下の礎石の方がなんだか歴史を感じる^^;


そして目に止まったのは狛犬くんたち、なんともユーモラスな格好でしょう
ちんちんと逆立ちとはね^^
高いので、良く見えないのが残念!


さぁ、上りましょうかね

階段の下から見上げると、ん?何だかでかいものが^^

おーっ、りっぱな山門がお出迎え♪

楼門、山門萌えの熟年夫婦はしばらくこの周りをうろうろ♪

階段を登りきったところの石垣です
イナバウワーのような反りは熊本城に負けていないかも^^

門をくぐる場合は見上げ?る、はいはい

目線を下に?、はいはい
礎石に寸分の狂いもなく見事にのせられた柱かな^^

くぐったら、振り返?る、はいはい

天草・島原の乱のとき、幕府連合軍の砲術隊長として参戦した鈴木重成は
乱後も島原に留まり、その見識と手腕がかわれ初代代官となります
鈴木重成は実兄の正三和尚とともに、仏教への帰依によって島民の心を安定させようと
19寺3社の寺や神社を創建・再建します
特に東向寺(天草市・旧本渡市)、国照寺(苓北町)、崇円寺(天草市河浦町)
円性寺(天草市栖本町)は、「天草四ヶ本寺」と呼ばれ、宗教政策の中心寺となりました

円性寺は、江戸末期まで、天草島民のキリシタン信者の改宗の取締りや
戸籍調査などを行ったお寺で、別名「改宗行政寺」とも呼ばれていたようです

実はこちら本堂の天井には四季折々の草花など415枚もの板絵がはめ込まれていて
素晴らしいとのこと、しまったね^^;
でも周りの見事な彫刻はちゃんと見てきましたよ
ん?牙が一本折れてるみたい


境内には他にも五重の石塔などいろいろとありましたよ
天草は教会の他にも19寺3社巡りっていうのもありかな♪
はいはい、お次は熟年夫婦にははずせないシリーズでっせ?^^
さて何か酒のつまみでも作って、手のじ夫婦から頂いた竜馬焼酎をちびちびいこうかね
これ製造は長崎なのに大好きな芋焼酎なんです♪

他にもいろいろ、いつもありがとう♪

<円性寺(えんしょうじ)>
[所在地]熊本県天草市栖本町湯舟原
[アクセス]地図はコチラ
棚底地区に行く前に寄り道したところがあったのでちょこっとご紹介?♪
今時季はあまり見ることはない棚田です、た・な・だ^^
こちらは通称「大作山の千枚田」と言われるようです
農林水産省の棚田百選に天草から唯一選ばれている場所なんだとか
実は、例のスタンプラリーのクイズがミューイ天文台にあるというので
その途中で出あった光景なのです
こんなに霞んでいなければもっときれいな棚田が見れたはずなのに
熟年のようにボーっとした空気だったのでちょっと残念^^;
で?も?、おもしろいものが見れました
このベンチならぬソファーに一瞬ギョッとしましたが、その後いろいろ考えました
その一 棚田見学者のためにゆっくり見れるよう置いてある
その二 近所のじーちゃんがばーちゃんと一緒に見て楽しむために置いてある(家あったっけ?)
その三 粗大ゴミの捨て場に困って置いてある
さあ?、このうちどれが正解でしょう?
違ーーーう、クイズじゃなーーーい!! (笑)
この後ミューイ天文台に行ってハート岩の写真を撮って^^(ん、そうじゃないだろう?)
むふふ、ま、いいじゃないですか(笑)
そして下りてきました
棚底地区でかくれんぼしたり山登りしたりしたのは先に書いたとおりです
ジャンジャカジャ?ン!
さてここでクイズです(またかい^^;)
これは何でしょう??
石で出来ていますよ^^
そしてこんな広場にあります
ベンチ、可愛いでしょう♪
それに下の台座にはこんなものも付いています
正解は、ジャーン!ヒラメさんが披露
ジャジャーン!!裏はカレイさんです
あ、ただの石じゃなかった、台湾産の大理石ですって!
え?実物を早く見せろって?
はい、お待たせしました?^^
「倉岳の大えびす像」でーす♪
大きな鯛を抱えたとてもふくよかなえびす様です
平成2年に重量320トンの総大理石で造られ、台座を含めると高さ10mとなり日本一の大きさだとか
近くで見ようとすると高くてお顔が見えなくなるんですよ^^
ガーーーン!
前出の「宝船」とかまったく触ってないし?
いつものことですが、こういう由緒書きはよく読んでから行動しましょう^^;
海がキラキラ輝いていました
この風景を見れただけでもえびす様のような笑顔になり、ふくよかな気分に浸れました
うん、よかったよかった^^
今時季はあまり見ることはない棚田です、た・な・だ^^

こちらは通称「大作山の千枚田」と言われるようです
農林水産省の棚田百選に天草から唯一選ばれている場所なんだとか

実は、例のスタンプラリーのクイズがミューイ天文台にあるというので
その途中で出あった光景なのです
こんなに霞んでいなければもっときれいな棚田が見れたはずなのに
熟年のようにボーっとした空気だったのでちょっと残念^^;
で?も?、おもしろいものが見れました

このベンチならぬソファーに一瞬ギョッとしましたが、その後いろいろ考えました
その一 棚田見学者のためにゆっくり見れるよう置いてある
その二 近所のじーちゃんがばーちゃんと一緒に見て楽しむために置いてある(家あったっけ?)
その三 粗大ゴミの捨て場に困って置いてある
さあ?、このうちどれが正解でしょう?
違ーーーう、クイズじゃなーーーい!! (笑)
この後ミューイ天文台に行ってハート岩の写真を撮って^^(ん、そうじゃないだろう?)

むふふ、ま、いいじゃないですか(笑)
そして下りてきました
棚底地区でかくれんぼしたり山登りしたりしたのは先に書いたとおりです
ジャンジャカジャ?ン!
さてここでクイズです(またかい^^;)
これは何でしょう??

石で出来ていますよ^^
そしてこんな広場にあります

ベンチ、可愛いでしょう♪
それに下の台座にはこんなものも付いています



正解は、ジャーン!ヒラメさんが披露

ジャジャーン!!裏はカレイさんです

あ、ただの石じゃなかった、台湾産の大理石ですって!
え?実物を早く見せろって?
はい、お待たせしました?^^
「倉岳の大えびす像」でーす♪

大きな鯛を抱えたとてもふくよかなえびす様です
平成2年に重量320トンの総大理石で造られ、台座を含めると高さ10mとなり日本一の大きさだとか

近くで見ようとすると高くてお顔が見えなくなるんですよ^^

ガーーーン!
前出の「宝船」とかまったく触ってないし?
いつものことですが、こういう由緒書きはよく読んでから行動しましょう^^;

海がキラキラ輝いていました
この風景を見れただけでもえびす様のような笑顔になり、ふくよかな気分に浸れました
うん、よかったよかった^^
<倉岳大えびす像>
[所在地]熊本県天草市倉岳町宮田1284-6
[アクセス]地図はコチラ
ここんところ熟年夫婦の隣家は解体工事の真っ最中です
10mくらいしか離れていないところで重機が家をバリバリと壊していると
日中、地響きや轟音と共に下から突き上げるような振動を感じ、まるで地震のようです
地震といえば、ニュージーランドの地震は日本人留学生にも悲劇をもたらしてしまいました
日本と同じく地震大国のニュージーランド
日本からも国際緊急援助隊が現地入り、救助活動が始まっています
すでに救助の限界となる3日を過ぎようとしていますが
余震で新たな被害を出すことなく希望を捨てず一人でも多くの命が救われることを願うばかりです
さて、昨日の続きです
棚底の町で予想だにしなかったかくれんぼをしてしまい
まさしく般若とひょっとこになった熟年ふたりですが
お互いとんがった角を隠し、突き出た口を戻し、目指すは山!の方・・・^^;
案内板に従って行くとな?んにもなさそうに見えるところに
国指定の史跡ですよ、国指定の!
でもでも、前に行った「堅志田城跡」のようなこともあるしな?
『棚底城は16世紀に隆盛期を迎えたと思われる県内最大級の海城で
本丸にあたる主郭を中心に合計8つの郭(くるわ)から成っており
中世において地方に高い築城技術があった多くの証拠を残していることが分かりました』
ということを知り、来てみたというわけです
入口に近づいてみると
はあ?、ここって私有地なんですね
それにしてもマムシ??イノシシ??
この季節だからマムシはいないだろうけど
イノシシに出合ったらどうすんべ、らぼっちを盾にしてズラかろうかな^^
あ、また“般若”が甦った(笑)
上り口には新しい説明板があって地図が書いてありました
「結構な距離があるんじゃないの??」“ひょっとこ”らしく口をひん曲げて
最後まで登りたくないようなことをらぼっちが言いました
ここまで来たんなら全貌を見なきゃ意味ないでしょ、ねっ!
ささ、レッツゴー!
イメージ映像ではありません
でもちょっとヤラセっぽいですか?
はい、しっかりヤラセました(笑)
実際はロープを掴まなくても登れるのですが、かなりの勾配はあります
こりゃ帰りの方が滑りそうで怖いかも^^;
地図にあった端っこの『棚底集落の石垣風景がよく見れます』の場所に着きました
ほえ?これでも一番よく見える位置から写真を撮ったつもりです
霞んでいたこともありますが、木も邪魔でよく見えなーい^^;
先に行くとひと際大きなブルーシートが見えました
何なのでしょうか?
ちょっと失礼して
思ったとおり崩れかけた石垣が覆われていたんですよね?(じゃ、はぐるなよ!)
上まで行くのはやめようかと言ってたらぼっちがどんどん先に進んでいってる^^
やたらブルーシートが目立ちますな?
最初見たように城跡は調査はされましたが『未整備』なので、いたしかたありません
ここでやっと真ん中あたりです
らぼっちが真剣に見ていたのはこちら
あは?、素晴らしい説明が書いてあるのに写真が小さくてさっぱりわかりませんね?
じゃ大きくしろよって?
わっかりましたーー!
他にも説明板が何箇所か置いてありこんなことも書いてありました
城跡は東西に伸びる尾根線上に約340mにわたって築かれ
標高約90mの?郭から東へ?郭まで曲輪を連ねた構造で
随所に堀切や竪掘を施すなど天草地域の山城としては重厚な縄張りを有しています。
平成14年?15年度の発掘調査で
???郭までの全曲輪で岩盤を掘り込んだ柱穴が数多く発見され
豊かな城内生活を物語る大量の輸入陶磁器等の遺物が出土しました。
城主が暮らしたと想定される?郭では、300基を超えるおびただしい数の柱穴が集中しており
大規模な城主居館が幾度も建て替えられたと考えられます。
この?郭にを守るために周囲には三重にめぐる横堀を岩盤を削って設けてあり
多大な労力を費やして厳重な城づくりを行っています。
多重横堀は上津浦氏の領域と考えられる城郭に多く見られ
相良氏からの技術供与の産物である可能性も指摘されており、注目されています。
ふ?ん、そうなんだ
戦国時代の紆余曲折を経てこの山があるんですね?、この何でもないような山が
そして、なんと驚くことに
発掘調査では、約2000点の遺物が出土し
特に青磁や染付など中国産輸入陶磁器片がその半数以上の約1100点を数えます。
また15世紀前半頃のベトナム産染付片など希少な陶磁器も出土しています。
中国産天目茶碗片、茶入片、茶壷片や地元産の石材を使った石製風炉、茶臼など
茶の湯道具も出土しており、戦国城郭での豊かな生活を物語っています。
今では中国やベトナムからの輸入品は当たり前ですが
この時代はきっと豪華な贅沢品として使われていたんでしょうね、すごいわ?!
お、やっと「城主居館跡(?郭)」に着いたんでしょうか
ここには段差がかなりあるのでまわり込んで登らなくてはなりません
この辺でらぼっちは疲れがピークのようです^^;
ここに厳重な“要塞”に守られた贅沢極まりない城主がいたんですね?
あ?ん、ですがゴミだかビニールシートだかわからないくらい見栄えはよくない!
おまけに『眺望抜群!!!』と「!」が三つもくっ付いていたのに
竹がとてもすくすく伸びてて、まるで見えまっしぇ?ん T_T
ここにも説明がされていましたよ、なになに?
へえ?、ここは舞台だったんだ、南北5m、東西10.7mあったようですよ
と、ここでこれを読んで舞台だったであろうところに下りていったらぼっち
踊っていました(笑)
手や足をあげたりおろしたり、妙な踊り
カメラマンと気が合わず、シャッターを切ったのは手を下ろした時ばっかり
打ち合わせしないとヤラセも出来ないじゃん^^;
調査は完了したのか、今後はどうなるのか定かではありませんが
国指定の史跡はこれでいいのでしょうか
歴史的にも貴重な城跡であるはずですよね
こういうところって当然、建造物は残っていません
かといって新たに復元されたり、整備され過ぎることも好まれません
この場所に立って遥かいにしえの時代に思いを馳せてみるのが一番なのでしょうか
想像力の乏しい熟年ふたりは限界を感じ、早々に下山することになったのでした?
10mくらいしか離れていないところで重機が家をバリバリと壊していると
日中、地響きや轟音と共に下から突き上げるような振動を感じ、まるで地震のようです
地震といえば、ニュージーランドの地震は日本人留学生にも悲劇をもたらしてしまいました
日本と同じく地震大国のニュージーランド
日本からも国際緊急援助隊が現地入り、救助活動が始まっています
すでに救助の限界となる3日を過ぎようとしていますが
余震で新たな被害を出すことなく希望を捨てず一人でも多くの命が救われることを願うばかりです
さて、昨日の続きです
棚底の町で予想だにしなかったかくれんぼをしてしまい
まさしく般若とひょっとこになった熟年ふたりですが
お互いとんがった角を隠し、突き出た口を戻し、目指すは山!の方・・・^^;
案内板に従って行くとな?んにもなさそうに見えるところに

国指定の史跡ですよ、国指定の!
でもでも、前に行った「堅志田城跡」のようなこともあるしな?
『棚底城は16世紀に隆盛期を迎えたと思われる県内最大級の海城で
本丸にあたる主郭を中心に合計8つの郭(くるわ)から成っており
中世において地方に高い築城技術があった多くの証拠を残していることが分かりました』
ということを知り、来てみたというわけです
入口に近づいてみると

はあ?、ここって私有地なんですね
それにしてもマムシ??イノシシ??
この季節だからマムシはいないだろうけど
イノシシに出合ったらどうすんべ、らぼっちを盾にしてズラかろうかな^^
あ、また“般若”が甦った(笑)
上り口には新しい説明板があって地図が書いてありました

「結構な距離があるんじゃないの??」“ひょっとこ”らしく口をひん曲げて
最後まで登りたくないようなことをらぼっちが言いました
ここまで来たんなら全貌を見なきゃ意味ないでしょ、ねっ!
ささ、レッツゴー!

イメージ映像ではありません
でもちょっとヤラセっぽいですか?
はい、しっかりヤラセました(笑)
実際はロープを掴まなくても登れるのですが、かなりの勾配はあります

こりゃ帰りの方が滑りそうで怖いかも^^;
地図にあった端っこの『棚底集落の石垣風景がよく見れます』の場所に着きました

ほえ?これでも一番よく見える位置から写真を撮ったつもりです
霞んでいたこともありますが、木も邪魔でよく見えなーい^^;

先に行くとひと際大きなブルーシートが見えました
何なのでしょうか?

ちょっと失礼して

思ったとおり崩れかけた石垣が覆われていたんですよね?(じゃ、はぐるなよ!)

上まで行くのはやめようかと言ってたらぼっちがどんどん先に進んでいってる^^
やたらブルーシートが目立ちますな?
最初見たように城跡は調査はされましたが『未整備』なので、いたしかたありません
ここでやっと真ん中あたりです
らぼっちが真剣に見ていたのはこちら

あは?、素晴らしい説明が書いてあるのに写真が小さくてさっぱりわかりませんね?
じゃ大きくしろよって?
わっかりましたーー!

他にも説明板が何箇所か置いてありこんなことも書いてありました
城跡は東西に伸びる尾根線上に約340mにわたって築かれ
標高約90mの?郭から東へ?郭まで曲輪を連ねた構造で
随所に堀切や竪掘を施すなど天草地域の山城としては重厚な縄張りを有しています。
平成14年?15年度の発掘調査で
???郭までの全曲輪で岩盤を掘り込んだ柱穴が数多く発見され
豊かな城内生活を物語る大量の輸入陶磁器等の遺物が出土しました。
城主が暮らしたと想定される?郭では、300基を超えるおびただしい数の柱穴が集中しており
大規模な城主居館が幾度も建て替えられたと考えられます。
この?郭にを守るために周囲には三重にめぐる横堀を岩盤を削って設けてあり
多大な労力を費やして厳重な城づくりを行っています。
多重横堀は上津浦氏の領域と考えられる城郭に多く見られ
相良氏からの技術供与の産物である可能性も指摘されており、注目されています。
ふ?ん、そうなんだ
戦国時代の紆余曲折を経てこの山があるんですね?、この何でもないような山が

そして、なんと驚くことに
発掘調査では、約2000点の遺物が出土し
特に青磁や染付など中国産輸入陶磁器片がその半数以上の約1100点を数えます。
また15世紀前半頃のベトナム産染付片など希少な陶磁器も出土しています。
中国産天目茶碗片、茶入片、茶壷片や地元産の石材を使った石製風炉、茶臼など
茶の湯道具も出土しており、戦国城郭での豊かな生活を物語っています。
今では中国やベトナムからの輸入品は当たり前ですが
この時代はきっと豪華な贅沢品として使われていたんでしょうね、すごいわ?!
お、やっと「城主居館跡(?郭)」に着いたんでしょうか

ここには段差がかなりあるのでまわり込んで登らなくてはなりません
この辺でらぼっちは疲れがピークのようです^^;
ここに厳重な“要塞”に守られた贅沢極まりない城主がいたんですね?
あ?ん、ですがゴミだかビニールシートだかわからないくらい見栄えはよくない!

おまけに『眺望抜群!!!』と「!」が三つもくっ付いていたのに
竹がとてもすくすく伸びてて、まるで見えまっしぇ?ん T_T

ここにも説明がされていましたよ、なになに?


へえ?、ここは舞台だったんだ、南北5m、東西10.7mあったようですよ
と、ここでこれを読んで舞台だったであろうところに下りていったらぼっち

踊っていました(笑)
手や足をあげたりおろしたり、妙な踊り
カメラマンと気が合わず、シャッターを切ったのは手を下ろした時ばっかり
打ち合わせしないとヤラセも出来ないじゃん^^;
調査は完了したのか、今後はどうなるのか定かではありませんが
国指定の史跡はこれでいいのでしょうか
歴史的にも貴重な城跡であるはずですよね
こういうところって当然、建造物は残っていません
かといって新たに復元されたり、整備され過ぎることも好まれません
この場所に立って遥かいにしえの時代に思いを馳せてみるのが一番なのでしょうか
想像力の乏しい熟年ふたりは限界を感じ、早々に下山することになったのでした?

<棚底城跡>
[所在地]熊本県天草市倉岳町棚底
[アクセス]地図はコチラ
今日はちょっと前?の話になります^^;
2月がそろそろ終わろうかとしているのに、2月の最初の土曜日のことです
天草市の倉岳町棚底地区に見事な石垣群があるということで行ってまいりました
しかし倉岳町までってやっぱ遠い?
そして行けばどうにかなるだろうと、どこにどんな石垣があるのか全然わからないまま
棚底地区に着いたには着いたんですが、ど?すればいいんだろう状態
国道沿いにはないだろうとちょっとそれたところに発見したのはこちら

うひょ?、軒と石垣との近さに驚きました
神様も祀ってあるんですね、生活と共にといった感じでしょうか
なんせ冬場の倉岳からの強烈な北風対策として築かれた防風石垣です
築造年代は定かではないそうですが
石垣の石を見ると新しいようで古い・・いったいどっち?
うろうろして倉岳小学校付近ではこんな大きな石垣を見つけました

崩れないよう結構な厚みもあるし、所々段違いにもなっています

なんか城の石垣のようにも見えます
この石を積み終わるのにはかなりの月日がかかっているんじゃないでしょうかね
それよりもこのたっくさんの石、どこから持ってきたんじゃ?
お、田んぼの畦道にお地蔵様・・・じゃないな^^;

人も民家も田んぼも畑も見守られているんだろうな
今度は少し海の方に下ってみました

わ?お、こちらの石垣はもっと厚みがあります
お次は厚みといい高さといい長さといい、素晴らしい石垣が続いておりました

おいおいおっさん何してんの?
まさか石垣の1個を抜いてんじゃないだろうね?だめだよ!
ほんとこの高さのものがよく崩れないでいますよね
積み方に何か秘策でもあるのでしょうか^^
真ん中あたりにはこんな祠がありました
ここにおられたのは不動明王さん・・・かな?

海まで下るとここにも“海の神様”大きな貝が印象的でした

そしてこの後、熟年に最大の危機が訪れたのです
道は車一台が通るくらいの狭さ
とっちんは車を降り、カメラだけを持って歩くことにしました
しばらくして、らぼっちが後ろから車で追いかけると形をとることにしたのです

追いかけてきたエアウェイブに乗ろうとすると、運悪く前方に一台の車が見えました
そこには離合できるくらいの道幅があったようです
らぼっちはとっちんを乗せるヒマがないと判断し、スピードをあげて通過
とっちんを残して先に行ってしまいました
すぐにUターンして帰ってくるだろうと思ったとっちん
その先にあった道から見えるものに興味がわき、横道にそれたんです
いえ、その道はちゃんと見えていたのですぐにわかるだろうと思ったんですよ
それでもエアウェイブが帰ってこなかったので
どうしたのかと思って戻って先を覗いても車の姿はなし^^;
げっ、携帯も車に置いたまんまだし、どうしよう・・・
もしかしたら、らぼっちは広い道路の方に上っているかもしれない
そしてとっちんを探しに来てくれるだろう、そうに違いない
よし、こうなったらさっき気になったものを見ておこう!(ん、なにか?)

あ?、「いぼの神」様だった?(笑)
本当は最初、ポンプ小屋かと思ったんですよね
まさか神様がおられたとは@@

なんといろんなお顔のたくさんの神様がおられたんですよ

特にいちばん奥の神様、マネキンかと思っちゃった^^;
“いぼ”はないので一礼だけしてその道を上がっていきました、とぼとぼ
それにしてもらぼっちはどこに行ったの??
なんで迎えに来てくれないの??
とぼとぼ逆切れ状態で棚底の繁華街?を通っていると
買い物帰りのおじさんが「こんにちは^^」、「あっ、こんにちは^^」
まるで知り合いのように挨拶してこられました
そこらへんにいらっしゃったおばさんもにこにこ「こんにちは?」
郵便配達のお兄さんも笑顔で「こんにちは?」
あら、とっちんはここの出身だったっけ?(笑)
とにかく棚底の皆さん、見ず知らずの人間にもバリアがありませんでした
あ、そうそう忘れてた、らぼっちはどこじゃーー!
広い道路を歩いてみてももどこにもいない
もー、なんで探しに来てくれないのーーと思いつつ
知らない道を行き、そして下っていたら開けたところに出てきました
どうやら御所浦に行く船着場のようです(フェリーじゃありません、たぶん)
なんかここは新しいな、と思って先を見るとなんと見慣れたエアウェイブがおるじゃないですか
「なんしよったと!」二人で言い合うこの言葉
「探しよった!」またしても二人同じことを
らぼっちはうろうろすると余計にわからなくなるからと
あまり動かず広いところで待機していた模様
だけどよかった?、無事に会えて^^
これが繁華街だったらまず無理だったでしょうね

この珍しい風景、かくれんぼしに来たわけじゃないんだけどな?
お互い、だろうだろうで行動したらいけませんね

教訓!!
ここ棚底地区は車でまわらず、最初からゆっくり歩くべし^^
<棚底石垣>
[所在地]熊本県天草市倉岳町棚底
[アクセス]地図はコチラ
2月がそろそろ終わろうかとしているのに、2月の最初の土曜日のことです
天草市の倉岳町棚底地区に見事な石垣群があるということで行ってまいりました
しかし倉岳町までってやっぱ遠い?
そして行けばどうにかなるだろうと、どこにどんな石垣があるのか全然わからないまま
棚底地区に着いたには着いたんですが、ど?すればいいんだろう状態
国道沿いにはないだろうとちょっとそれたところに発見したのはこちら

うひょ?、軒と石垣との近さに驚きました
神様も祀ってあるんですね、生活と共にといった感じでしょうか
なんせ冬場の倉岳からの強烈な北風対策として築かれた防風石垣です
築造年代は定かではないそうですが
石垣の石を見ると新しいようで古い・・いったいどっち?
うろうろして倉岳小学校付近ではこんな大きな石垣を見つけました

崩れないよう結構な厚みもあるし、所々段違いにもなっています

なんか城の石垣のようにも見えます
この石を積み終わるのにはかなりの月日がかかっているんじゃないでしょうかね
それよりもこのたっくさんの石、どこから持ってきたんじゃ?
お、田んぼの畦道にお地蔵様・・・じゃないな^^;

人も民家も田んぼも畑も見守られているんだろうな
今度は少し海の方に下ってみました

わ?お、こちらの石垣はもっと厚みがあります
お次は厚みといい高さといい長さといい、素晴らしい石垣が続いておりました

おいおいおっさん何してんの?
まさか石垣の1個を抜いてんじゃないだろうね?だめだよ!
ほんとこの高さのものがよく崩れないでいますよね
積み方に何か秘策でもあるのでしょうか^^
真ん中あたりにはこんな祠がありました
ここにおられたのは不動明王さん・・・かな?


海まで下るとここにも“海の神様”大きな貝が印象的でした

そしてこの後、熟年に最大の危機が訪れたのです
道は車一台が通るくらいの狭さ
とっちんは車を降り、カメラだけを持って歩くことにしました
しばらくして、らぼっちが後ろから車で追いかけると形をとることにしたのです

追いかけてきたエアウェイブに乗ろうとすると、運悪く前方に一台の車が見えました
そこには離合できるくらいの道幅があったようです
らぼっちはとっちんを乗せるヒマがないと判断し、スピードをあげて通過
とっちんを残して先に行ってしまいました
すぐにUターンして帰ってくるだろうと思ったとっちん
その先にあった道から見えるものに興味がわき、横道にそれたんです
いえ、その道はちゃんと見えていたのですぐにわかるだろうと思ったんですよ
それでもエアウェイブが帰ってこなかったので
どうしたのかと思って戻って先を覗いても車の姿はなし^^;
げっ、携帯も車に置いたまんまだし、どうしよう・・・
もしかしたら、らぼっちは広い道路の方に上っているかもしれない
そしてとっちんを探しに来てくれるだろう、そうに違いない
よし、こうなったらさっき気になったものを見ておこう!(ん、なにか?)

あ?、「いぼの神」様だった?(笑)
本当は最初、ポンプ小屋かと思ったんですよね
まさか神様がおられたとは@@

なんといろんなお顔のたくさんの神様がおられたんですよ

特にいちばん奥の神様、マネキンかと思っちゃった^^;
“いぼ”はないので一礼だけしてその道を上がっていきました、とぼとぼ
それにしてもらぼっちはどこに行ったの??
なんで迎えに来てくれないの??
とぼとぼ逆切れ状態で棚底の繁華街?を通っていると
買い物帰りのおじさんが「こんにちは^^」、「あっ、こんにちは^^」
まるで知り合いのように挨拶してこられました
そこらへんにいらっしゃったおばさんもにこにこ「こんにちは?」
郵便配達のお兄さんも笑顔で「こんにちは?」
あら、とっちんはここの出身だったっけ?(笑)
とにかく棚底の皆さん、見ず知らずの人間にもバリアがありませんでした
あ、そうそう忘れてた、らぼっちはどこじゃーー!
広い道路を歩いてみてももどこにもいない
もー、なんで探しに来てくれないのーーと思いつつ
知らない道を行き、そして下っていたら開けたところに出てきました
どうやら御所浦に行く船着場のようです(フェリーじゃありません、たぶん)
なんかここは新しいな、と思って先を見るとなんと見慣れたエアウェイブがおるじゃないですか
「なんしよったと!」二人で言い合うこの言葉
「探しよった!」またしても二人同じことを
らぼっちはうろうろすると余計にわからなくなるからと
あまり動かず広いところで待機していた模様
だけどよかった?、無事に会えて^^
これが繁華街だったらまず無理だったでしょうね

この珍しい風景、かくれんぼしに来たわけじゃないんだけどな?
お互い、だろうだろうで行動したらいけませんね

教訓!!
ここ棚底地区は車でまわらず、最初からゆっくり歩くべし^^
<棚底石垣>
[所在地]熊本県天草市倉岳町棚底
[アクセス]地図はコチラ
土曜日は「百梅園」から“ぐるっと熊本クイズラリー”のために
「優峰園フルーツランド」さんを訪れました
問題を確認してから昼食は別のところを予定していたのですが
みかんや商品を見てるうちに、食事ができることがわかりました
もう午後の1時になろうかという時間だったので
これ幸いとばかりこちらでいただくことにしました
う?ん、だ?れもいないな?、ちょっと不安に^^;
と、ここで壁に貼ってある言葉を見て二人ともぷぷっと吹きだしてしまいました
もういっちょ!
これはここの女将さんがいろんなところからピックアップしたものを書き出されたそうです
とても笑顔の素晴らしい肝っ玉かあさんのような女将さんでした
メニュー拝見^^
決まり!「オムライス」と「赤鶏鉄板焼定食」♪
こちらの「オムライス」は放し飼いの鶏の地卵を使っておられるんですよ
デミグラスソースだと50円お高くなります
白身と黄身がまだはっきりわかるくらいの混ぜ方でとろっとろです^^
これが卵のしっかりした味がして美味しかったんですよ!
デミグラスソースも卵の風味が残るよう考えてあるようでした
そして「赤鶏鉄板焼定食」がきました
この赤鶏がめちゃくちゃ柔らかくてジューシーなんです
こんな美味しい鶏肉も久々でした
おまけにタマネギがすごくいい食感で甘かった?♪
そして「だご汁」も頼んじゃいました^^
しょうゆ味ですごくシンプルな味
手作りの柚子ごしょうがついています
これをのっけて・・・
うまいんでないかい、これ絶品(笑)
柚子の風味がとてもいい、そしてこのピリピリ感♪
だごはでかくて、椎茸醤油だしはやさしいお味、いや?満足満足!!
んん??
なぜかもうひとつのメニューが目に入ってしまった^^;
で、地卵プリン+湧水コーヒーです(笑)
プリンには梨だけを煮詰めて作ったシロップがかけられておりました
これがとても美味、濃厚な卵の風味が生かされるやさしい味なんですが、決して邪魔をしていません
梨と言われなければわからない不思議なシロップでした
テーブルには最初からみかんが置いてありました
「どうぞ!」と勧められましたが、お腹いっぱいなので二人で1個いただきました^^
帰りには「柚子ごしょう」と「地卵プリン」を買ったのは言うまでもありませんね、にゃは^^
どうもご馳走様でした?♪
肥後味趣乱 ☆ 4つ半
「優峰園フルーツランド」さんを訪れました
問題を確認してから昼食は別のところを予定していたのですが
みかんや商品を見てるうちに、食事ができることがわかりました

もう午後の1時になろうかという時間だったので
これ幸いとばかりこちらでいただくことにしました

う?ん、だ?れもいないな?、ちょっと不安に^^;
と、ここで壁に貼ってある言葉を見て二人ともぷぷっと吹きだしてしまいました


もういっちょ!

これはここの女将さんがいろんなところからピックアップしたものを書き出されたそうです
とても笑顔の素晴らしい肝っ玉かあさんのような女将さんでした
メニュー拝見^^


決まり!「オムライス」と「赤鶏鉄板焼定食」♪
こちらの「オムライス」は放し飼いの鶏の地卵を使っておられるんですよ

デミグラスソースだと50円お高くなります
白身と黄身がまだはっきりわかるくらいの混ぜ方でとろっとろです^^

これが卵のしっかりした味がして美味しかったんですよ!
デミグラスソースも卵の風味が残るよう考えてあるようでした
そして「赤鶏鉄板焼定食」がきました

この赤鶏がめちゃくちゃ柔らかくてジューシーなんです
こんな美味しい鶏肉も久々でした
おまけにタマネギがすごくいい食感で甘かった?♪

そして「だご汁」も頼んじゃいました^^

しょうゆ味ですごくシンプルな味
手作りの柚子ごしょうがついています

これをのっけて・・・

うまいんでないかい、これ絶品(笑)
柚子の風味がとてもいい、そしてこのピリピリ感♪
だごはでかくて、椎茸醤油だしはやさしいお味、いや?満足満足!!
んん??

なぜかもうひとつのメニューが目に入ってしまった^^;
で、地卵プリン+湧水コーヒーです(笑)

プリンには梨だけを煮詰めて作ったシロップがかけられておりました
これがとても美味、濃厚な卵の風味が生かされるやさしい味なんですが、決して邪魔をしていません
梨と言われなければわからない不思議なシロップでした
テーブルには最初からみかんが置いてありました
「どうぞ!」と勧められましたが、お腹いっぱいなので二人で1個いただきました^^

帰りには「柚子ごしょう」と「地卵プリン」を買ったのは言うまでもありませんね、にゃは^^
どうもご馳走様でした?♪
肥後味趣乱 ☆ 4つ半
<優峰園フルーツランド農園茶屋>
[所在地]熊本県熊本市河内町岳1144
[営業時間]11:00?18:00
[アクセス]地図はコチラ
今日はすっごく天気良かったですね?♪
とっちんはとある畑にじゃがいもの植え付けに行ってきました
堆肥と肥料を撒いた後、鍬で畝を作るのですが、これがかなりの重労働
おまけに暖かいを通り越してとっても暑い一日だったので、昨日のバドの試合よりハードでした
こうして無事にじゃがいもが植え付けられました
来週はすいかとかぼちゃの苗を植える予定らしいです
来週も晴れるといいな♪
さて、今年は梅の開花が遅れているようですが
一昨日の土曜日、そうと知りつつも梅園めぐりをしてきました^^
まず向かったのは「谷尾崎梅林公園」
うんうん、結構咲いてるじゃないの?♪
と思いながら眺めていると、近所のオバちゃんらしきお方が
「今年は十日ばっか遅か、毎日見に来よるばってん」とおっしゃいます
「そうなんですね?」と返事しましたが
実際は「これでも?」と思ったのですよ、ここの時点では^^;
ここの梅の木には名前札が下げてあります
とてもわかりやすくてよかったです
これは『紅鶯宿』
梅の品種なんて今まで気にもとめてなかったけど、なるほどというものが多いですね^^
名前は良いけど、思うようには咲かない梅なんだよな?^^;
こちらもしばらくかかりそうです
ここですごく残念なことにすご横を産廃の埋め立てかなんかが行われていたんですよね
う?ん、もっと他のところがなかったのかな?×_×
公園の中に近づくにつれ、おやまあ、ほんと寂しい景色となってきましたよ
お地蔵様?もちょっと寂しそう^^;
左のお方はどなた?不動明王さま?
目が!
公園の中心部にやってきましたけど・・・
ここまで咲いてないとは思わなかった^^;
あんまりだーー!(笑)
いい感じだったのは公園入口付近の何本かだけでした
後は咲いているのを見つけるのが難しい
こちらは『青軸』
そして『藤牡丹』
ここで梅の花を諦めて山の方にあるこんなところへ行ってみました
「座禅石」とはこんな石でした
武蔵がねぇ?^^
山手から見たらこの「青軸」1本だけが目だっていました^^
さてあまり見どころもないので帰ろうとしたところこんな方がおられました
一心不乱に向き合っているのは水仙
う?ん、梅林公園の水仙もこれからか??
らぼっちにいたっては「苔、苔、苔がいい感じ!」
鶏じゃあるまいし、コケコケうるさい^^;
梅の花には時期尚早でしたが、梅が枝餅はグッドタイミング♪
やっぱり花よりだんご(餅ですが、何か?)ですよね?、くろさん
さて続いての梅園は、この公園より少々北の方角に位置する「百梅園」というところです
ここはどんなかな?^^
う、やっぱちょっと早いか・・・
いえいえ、谷尾崎より木の本数は少ないですが、結構咲いていましたよ
ここは熊本市の梅園を調べていて偶然見つけたんです
百余株?そんなにはなかったな^^;
でも「兼坂塾跡」はちゃ?んとありました
ここは梅の種類は書いてありませんが、いろいろあるようでした
梅にまつわるたっくさんのお話がタイルに書いてあるんですよ^^
そして、この梅園の一番高いところに立つと絶景が見れました
いかがざんしょ、まだちと早いかな
こんな句は才能のない熟年には詠めませんが、ほっこりとするものを感じます
おおー、ここはほぼ満開、素晴らしい!
しかーし、この木はなぜか梅園の外(笑)
一段と目を引く大きな木だったんですけどね^^:
そして最後はある民家の庭先に立つしだれ梅です
やっぱりここも早かったか、残念^^;
とっちんはとある畑にじゃがいもの植え付けに行ってきました
堆肥と肥料を撒いた後、鍬で畝を作るのですが、これがかなりの重労働
おまけに暖かいを通り越してとっても暑い一日だったので、昨日のバドの試合よりハードでした
こうして無事にじゃがいもが植え付けられました
来週はすいかとかぼちゃの苗を植える予定らしいです
来週も晴れるといいな♪
さて、今年は梅の開花が遅れているようですが
一昨日の土曜日、そうと知りつつも梅園めぐりをしてきました^^
まず向かったのは「谷尾崎梅林公園」

うんうん、結構咲いてるじゃないの?♪
と思いながら眺めていると、近所のオバちゃんらしきお方が
「今年は十日ばっか遅か、毎日見に来よるばってん」とおっしゃいます
「そうなんですね?」と返事しましたが
実際は「これでも?」と思ったのですよ、ここの時点では^^;
ここの梅の木には名前札が下げてあります
とてもわかりやすくてよかったです
これは『紅鶯宿』

梅の品種なんて今まで気にもとめてなかったけど、なるほどというものが多いですね^^




名前は良いけど、思うようには咲かない梅なんだよな?^^;
こちらもしばらくかかりそうです

ここですごく残念なことにすご横を産廃の埋め立てかなんかが行われていたんですよね
う?ん、もっと他のところがなかったのかな?×_×
公園の中に近づくにつれ、おやまあ、ほんと寂しい景色となってきましたよ
お地蔵様?もちょっと寂しそう^^;

左のお方はどなた?不動明王さま?
目が!

公園の中心部にやってきましたけど・・・

ここまで咲いてないとは思わなかった^^;
あんまりだーー!(笑)
いい感じだったのは公園入口付近の何本かだけでした
後は咲いているのを見つけるのが難しい
こちらは『青軸』

そして『藤牡丹』

ここで梅の花を諦めて山の方にあるこんなところへ行ってみました

「座禅石」とはこんな石でした

武蔵がねぇ?^^


山手から見たらこの「青軸」1本だけが目だっていました^^

さてあまり見どころもないので帰ろうとしたところこんな方がおられました

一心不乱に向き合っているのは水仙
う?ん、梅林公園の水仙もこれからか??

らぼっちにいたっては「苔、苔、苔がいい感じ!」
鶏じゃあるまいし、コケコケうるさい^^;

梅の花には時期尚早でしたが、梅が枝餅はグッドタイミング♪
やっぱり花よりだんご(餅ですが、何か?)ですよね?、くろさん

さて続いての梅園は、この公園より少々北の方角に位置する「百梅園」というところです

ここはどんなかな?^^

う、やっぱちょっと早いか・・・
いえいえ、谷尾崎より木の本数は少ないですが、結構咲いていましたよ

ここは熊本市の梅園を調べていて偶然見つけたんです

百余株?そんなにはなかったな^^;
でも「兼坂塾跡」はちゃ?んとありました

ここは梅の種類は書いてありませんが、いろいろあるようでした

梅にまつわるたっくさんのお話がタイルに書いてあるんですよ^^

そして、この梅園の一番高いところに立つと絶景が見れました
いかがざんしょ、まだちと早いかな

こんな句は才能のない熟年には詠めませんが、ほっこりとするものを感じます

おおー、ここはほぼ満開、素晴らしい!

しかーし、この木はなぜか梅園の外(笑)
一段と目を引く大きな木だったんですけどね^^:
そして最後はある民家の庭先に立つしだれ梅です
やっぱりここも早かったか、残念^^;

<谷尾崎梅林公園>
[所在地]熊本県熊本市谷尾崎字東谷院平1545-2
[アクセス]地図はコチラ
<百梅園>
[所在地]熊本県熊本市島崎4丁目10
[アクセス]地図はコチラ
今朝、起きてとっちんへの第一声!
「俺さ、小沢一郎の酒席に呼ばれて、酒飲んだ、気さくないい親父だった」
数年ぶりに夢を見たらぼっちだったのですが、決して民主党支持でも小沢ファンでもない
むしろ、TVで顔も見たくない嫌いなお方なはずなのに、なぜ???
人間の脳って面白い^^
さて、大阪旅行もようやく三日目の最終日、記事も最後です
どーんと写真もたくさんありますので、なにとぞお付き合いくださいね^^
朝8時過ぎにホテルを出て、心斎橋筋商店街を南にぶーらぶら♪
えびす橋ではグリコを前にやはり騒いでいましたよ
若者達のポーズはちょっと違うぞ、さすがにらぼっちもこれにはついていけず苦笑い♪
明るいうちに再度道頓堀に来たのはくいだおれ太郎を見たかったため
旧店舗の近くで「中座くいだおれビル」にいると聞いてきましたが
朝早かったため、まだ就寝中だったのか、表に出てはいませんでした、残念♪
でもこの通りは飽きさせませんね
見上げたら思わず笑ってしまうような造り物がいっぱい、さすが大阪♪

でも、一番驚いたのがこれ!
上ばかり見て歩いてたら足元に突然出現!
だれかがうずくまっているのかと後ろに思わず飛びのいてしまったぞ
さらにぶらぶらと南に向いて歩いていると、おーっ、これが有名な法善寺ですか
さすが、ゆるゆるじんじゃらーでしょう^^
♪包丁?い?っぽ?ん、晒にま?い?て?♪(わかります?^^)
法善寺(ほうぜんじ)は、大阪市中央区にある浄土宗の寺院。山号は天龍山。本尊は阿弥陀如来。
そのほか水掛不動(西向不動尊)や金毘羅堂などがあり、特に水掛不動さんは有名である。
この寺は千日念仏を行ったことから俗に千日寺と呼ばれた。(Wikipediaより)
朝から地元の方がお参りされていたので、お邪魔しないようにちょい待ち♪
手水はこの手動ポンプから汲み上げます^^
こちらが水掛不動様です
おーっ、顔も体も全身苔まみれです
皆さんのお願いをまさしく一身に受けておられるのですね
熟年もしっかりお願いしてまいりましたよ
さて、それから向かったのは「5upよしもと」
若手よしもと芸人を短時間で安く見られると聞いてやってきたのですが
ん?、時間になっても開場せず(時間を間違っていただけ^^;)
とっちんのノリもイマイチだったのであきらめました
ということで、振り返ると、どどーん「なんばグランド花月」
まだ9時半前なのに、もう団体客が行列を作ってました
その前の派手なお店では元気な声が
吉本芸人さんのキャラクターの人形焼カステラです
焼きたての試食をいただいて美味しかったので、お土産とともに購入♪
ここまで来たら、ここにも寄らないとですね、「黒門市場」です
黒門市場は、明治の大火で焼失した近くの圓明寺の山門が
黒塗りであったことに由来するそうです
約180の店舗があり、鮮魚店が6割を占めているそうです
だから、アーケードの中には、これ♪
他にもたくさんぶら下がってます
それにしても、自宅の食卓では絶対見ないような高級鮮魚がいっぱい^^
団体観光客のおばちゃんも大挙して歩いていましたが
ここはやはり見るだけのようでした^^
さーて、それじゃ長男の彼女に会いに行こうかね
その前にお腹がすいたので桜ノ宮公園で一休み
一番右が帝国ホテルのようです(たぶん^^)
小腹がすいたので、さっき買った自分達用の人形焼を食べるとしましょうか
足の裏を使う上手なサッカー少年達をボーっと眺めながらしばしの一服♪
この人形達、きゃわいいでしょう
かわいそうだけど頭から一口でかぶりつきます^^
では今度こそ長男のマンションへ、電話で確認しながら向かいます
そして出迎えてくれた彼女♪
ん?ちょっと毛深くないですか ん?ちょっと足の裏がへん・・・
ちょっと恥ずかしがり屋の彼女はチーズといいます
チンチラとスコティッシュ・フォールドのミックスです
小さい頃は真っ白な毛でかわいかったのに、でかくなったら茶色が入ってきたみたい
ん?、ちょっと嫌がられているような^^
ここで、なんと長男が衝撃発言(その1)!
『こいつ、実は雄だったんよ』
「はいーっ、何ということだー?」笑うしかない・・・
「まぁ、これを機に真の彼女を見つけてくれや」
彼女、もとい彼はそんな人間どもの与太話には我関せず♪
ジャンプしまくっていました^^
ならば飛行機の時間も気になるし、そろそろ帰らなきゃ!
「あっ、飛行機代32,000円ちょうだいよ」
長男の衝撃発言(その2)!
『実はカードの再発行中でさ、いま金がおろせなくて休み明けの出張代がないのよ、3万貸して!』
「はいーっ!!お前なぁ、良く出来た長男でとおっとるんやぞ」
『ごめん、盆に帰った時に返すから』
仕方ないね、もらえるはずのお金が、更に出て行くとはまったくの予想外でした(+o+)
まぁ、熟年二人の息子やけんね、こんなところか
というオチで〆ることになった大阪珍道中
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました^^v
<PS>
紹介した大阪周遊パス(2000円)ですが、通常ならかかったはずのお金を計算すると
地下鉄代で2300円、施設入場料が3400円、計5700円でした
むふっ、得したとまとめる予定が最後に大枚が出て行くとは(爆)
「俺さ、小沢一郎の酒席に呼ばれて、酒飲んだ、気さくないい親父だった」
数年ぶりに夢を見たらぼっちだったのですが、決して民主党支持でも小沢ファンでもない
むしろ、TVで顔も見たくない嫌いなお方なはずなのに、なぜ???
人間の脳って面白い^^
さて、大阪旅行もようやく三日目の最終日、記事も最後です
どーんと写真もたくさんありますので、なにとぞお付き合いくださいね^^
朝8時過ぎにホテルを出て、心斎橋筋商店街を南にぶーらぶら♪
えびす橋ではグリコを前にやはり騒いでいましたよ
若者達のポーズはちょっと違うぞ、さすがにらぼっちもこれにはついていけず苦笑い♪

明るいうちに再度道頓堀に来たのはくいだおれ太郎を見たかったため
旧店舗の近くで「中座くいだおれビル」にいると聞いてきましたが
朝早かったため、まだ就寝中だったのか、表に出てはいませんでした、残念♪

でもこの通りは飽きさせませんね
見上げたら思わず笑ってしまうような造り物がいっぱい、さすが大阪♪




でも、一番驚いたのがこれ!

上ばかり見て歩いてたら足元に突然出現!
だれかがうずくまっているのかと後ろに思わず飛びのいてしまったぞ
さらにぶらぶらと南に向いて歩いていると、おーっ、これが有名な法善寺ですか
さすが、ゆるゆるじんじゃらーでしょう^^
♪包丁?い?っぽ?ん、晒にま?い?て?♪(わかります?^^)

法善寺(ほうぜんじ)は、大阪市中央区にある浄土宗の寺院。山号は天龍山。本尊は阿弥陀如来。
そのほか水掛不動(西向不動尊)や金毘羅堂などがあり、特に水掛不動さんは有名である。
この寺は千日念仏を行ったことから俗に千日寺と呼ばれた。(Wikipediaより)

朝から地元の方がお参りされていたので、お邪魔しないようにちょい待ち♪
手水はこの手動ポンプから汲み上げます^^

こちらが水掛不動様です

おーっ、顔も体も全身苔まみれです

皆さんのお願いをまさしく一身に受けておられるのですね
熟年もしっかりお願いしてまいりましたよ
さて、それから向かったのは「5upよしもと」
若手よしもと芸人を短時間で安く見られると聞いてやってきたのですが
ん?、時間になっても開場せず(時間を間違っていただけ^^;)
とっちんのノリもイマイチだったのであきらめました
ということで、振り返ると、どどーん「なんばグランド花月」
まだ9時半前なのに、もう団体客が行列を作ってました

その前の派手なお店では元気な声が

吉本芸人さんのキャラクターの人形焼カステラです
焼きたての試食をいただいて美味しかったので、お土産とともに購入♪
ここまで来たら、ここにも寄らないとですね、「黒門市場」です

黒門市場は、明治の大火で焼失した近くの圓明寺の山門が
黒塗りであったことに由来するそうです
約180の店舗があり、鮮魚店が6割を占めているそうです
だから、アーケードの中には、これ♪

他にもたくさんぶら下がってます






それにしても、自宅の食卓では絶対見ないような高級鮮魚がいっぱい^^

団体観光客のおばちゃんも大挙して歩いていましたが
ここはやはり見るだけのようでした^^

さーて、それじゃ長男の彼女に会いに行こうかね
その前にお腹がすいたので桜ノ宮公園で一休み
一番右が帝国ホテルのようです(たぶん^^)

小腹がすいたので、さっき買った自分達用の人形焼を食べるとしましょうか
足の裏を使う上手なサッカー少年達をボーっと眺めながらしばしの一服♪
この人形達、きゃわいいでしょう
かわいそうだけど頭から一口でかぶりつきます^^


では今度こそ長男のマンションへ、電話で確認しながら向かいます
そして出迎えてくれた彼女♪
ん?ちょっと毛深くないですか ん?ちょっと足の裏がへん・・・


ちょっと恥ずかしがり屋の彼女はチーズといいます
チンチラとスコティッシュ・フォールドのミックスです

小さい頃は真っ白な毛でかわいかったのに、でかくなったら茶色が入ってきたみたい
ん?、ちょっと嫌がられているような^^

ここで、なんと長男が衝撃発言(その1)!
『こいつ、実は雄だったんよ』
「はいーっ、何ということだー?」笑うしかない・・・
「まぁ、これを機に真の彼女を見つけてくれや」
彼女、もとい彼はそんな人間どもの与太話には我関せず♪
ジャンプしまくっていました^^

ならば飛行機の時間も気になるし、そろそろ帰らなきゃ!
「あっ、飛行機代32,000円ちょうだいよ」
長男の衝撃発言(その2)!
『実はカードの再発行中でさ、いま金がおろせなくて休み明けの出張代がないのよ、3万貸して!』
「はいーっ!!お前なぁ、良く出来た長男でとおっとるんやぞ」
『ごめん、盆に帰った時に返すから』
仕方ないね、もらえるはずのお金が、更に出て行くとはまったくの予想外でした(+o+)
まぁ、熟年二人の息子やけんね、こんなところか
というオチで〆ることになった大阪珍道中
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました^^v
<PS>
紹介した大阪周遊パス(2000円)ですが、通常ならかかったはずのお金を計算すると
地下鉄代で2300円、施設入場料が3400円、計5700円でした
むふっ、得したとまとめる予定が最後に大枚が出て行くとは(爆)
<黒門市場> HP
[アクセス]地図はコチラ
さあ、二日目の夜になりました^^
梅田から再び心斎橋の方に南下、一旦ホテルにチェックインしてから
長男を待つ間、夜の道頓堀を見に行くことにしました
うっわーー、人、人、すっごい人です
でも観光客が多いような気がする・・^^;

そして、ここに来たらこのポーズをしなければならないんですよ(笑)

えびす橋からじゃなく、川べりの正面から堂々のポージング♪
でもここは人が少なくて超穴場だったんですよ、なんでみんな下りて来ないんだろう・・
人目を気にすることもなく無事に記念撮影をし、達成感いっぱいのらぼっち
せっかく来たのだからと気分↑↑でこのあたりをうろうろ^^

下通りアーケードよりも狭いけど、無茶苦茶人が多い!
う?、迷子になりそうだ^^;

人込みに酔いそうになったので、ちょっと早いけど長男と待ち合わせした「大丸」へ

“あこがれ”の御堂筋は、こんなもん?って感じだったけど
そこはやっぱり都会で、50m走が出来るくらいの道路幅がありました
大丸ではまた待ちぼうけを食わされ、するはずじゃなかった人間観察会を勝手に開催
若い子の超ミニにド派手メイク、きれいなマダム達が交わすバリバリの大阪弁
なんかちょっと揉めてる気配の年配夫婦、時間潰しにはもってこい?
長男が来た時にはなんとなく残念な気持ちになるくらいおもしろかった?^^
それから長男に連れられて行ったところが「黄金の鱗」(きんのうろこ)さんです

そしてまたしても店員さんを呼んでつらつらと頼んでいく長男
「あんさん、学生時代よりはるかに食べる量が減ってまんな?」
「ちゃうねん、今は量より質を考えて食べとんのやって!」
「そうか??、ちゃ?んと食べとるか心配しとんのやで?」な?んてね(笑)

長男も大阪に住んで5年目、『住めば都』と言いますが
時々大阪弁も話すし、結構馴染んでいるようです
早く結婚してくれないかな?・・・
食べながらも思いっきり肥後弁を使って話していましたが
隣席のご婦人グループがタバコを吸いながら大きな声でくっちゃべっていたので
ものの見事にかき消されてしまいました、大阪弁恐るべし^^;
「撮ってあげるよ」と言う長男にカメラを渡すと
なぜかニヤニヤしながら1枚だけ撮ってくれました

やっぱコンデジは誰が撮っても一緒なんだね(笑)
そしてやっぱり最後にデザート、なんか定番になっちゃったみたい^^;
店を出たところで長男とは別れました
「明日マンションに行くからねー!」

酔いを醒ましつつぶらぶら繁華街を歩きました
また違った雰囲気の大阪です
電気の消えたビルに映りこむビルを探したり

足元で踊っている文字の発光元を探したり

いろいろとおもしろい大阪の夜を見ながらホテルにたどり着いたのでした^^

<黄金の鱗(きんのうろこ) 心斎橋店>
[所在地]大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-4-29 フェリチタ心斎橋6F
[アクセス]地図はコチラ
通天閣から次は北に向かい、梅田です^^
長男はここでちょっと用事があるということで別行動になりました
そして熟年ふたりで向かったのは梅田スカイビル♪
ところがこちらはすっとはいけないところで右往左往して人に聞くはめに
結局、JR大阪駅の北側をぼてぼて歩き、長い地下道をとぼとぼ歩いて行くのだと判明^^;
結構長?い地下道、ここでもチャリは押して歩かないといけないのに
おっちゃんやおばちゃん、それに若い子達もびゃんびゃん乗って追い抜いて行きます
広いように見えるけど、たくさんの人が歩いていてとても危ない
マナーは守らなきゃ、事故が起こってからでは遅いですよ!
そして地下道から地上に出ると見えてくるのがこのビル
そりゃ、熊本では見られない超高層ビルではありますが
高いっちゅうだけで何の変哲もないビルですよね
でもまわり込むと・・・・
ひょえ?、なんじゃこの造りは@@
梅田スカイビルってこうなっていたのか^^
まず“173”と書いてある表示に従ってエスカレーターで3階へ
そして回廊を通って反対側にあるエレベーターで一気に39階まで上がります
またしてもスケルトンのエレベーター
とっちんは「こんなところばっかり!」と目を瞑って張り付いています(笑)
この39階で700円の入場料金を払うのですが
いつものように周遊パスでらくらく通過^^
次は長い長?いエスカレーター、すでに空中庭園となっています
ここでもとっちんはきゃーきゃー言いながら中腰で両ベルトをわしづかみ(笑)
まわりの景色がとてもよく見えるんですよね?♪
さあ、屋上回廊「ルミ・スカイ・ウォーク」に着きました
地上40階の屋上、360度の大パノラマです
1993年にこの梅田スカイビルが建てられたのですが
「ルミ・スカイ・ウォーク」は2007年に誕生、空中庭園をさらにグレードアップさせたようです
ここが173mあるということで下に“173”の表示があったんですね
通天閣より80mも高いんだ^^
お、ここが「ルミ・デッキ」か
一番のデートスポットが雪のためか閉鎖されていました
でもなんで足跡があるんだろう?
フェンスにゴミのように(失礼)付いているのがカップル達が掛けた「Heart Lock」
「誓いのフェンス」と言うそうです
ここで鍵をかけることは思い出のひとつとして残せますが
大事なのはお互いを思いやる心じゃないでしょうか^^
ここから見ると本当に高いと実感できます
寒いので40階に下りてくると目に入ったのがこちら
そっかそっかと言いながら年甲斐もなく記念撮影、にひひ^^;
梅田もここ最近で変わったということですよ
しかしどこを見てもカップルが多いな?
ここも
ここも
ま、高いところでは気分が盛り上がるってことでしょう
カップルに都合の良いエリアがいろんな場所に設けてあります
熟年も負けじとコーヒータイム♪
ゆ?っくりじ?っくり眺望を堪能しつつ話しながらコーヒーを飲んだつもりが
10分も経たずにさっさと撤収する羽目に・・・
いいね?、若者は^^
ただ座っているだけで景色もコーヒーも関係ないんだよね^^
しっかり青春しろよ?!(古いか^^;)
そろそろこの空中庭園も青・緑・紫の蓄光石で描かれた天の川やオーロラが出現して
星空の散歩道となり、夜の幻想的な顔をかもし出す時間になったようです
しかーし、そんなこととは露ほども知らない熟年は夕日をちょろっと眺めて
また長?いエスカレーターを下りていくのでした(笑)
それにしても、なんとも奇抜なビルを造ったもんだ
今や、大阪を代表する人気スポット「空中庭園」
一度、この連結超高層ビルを体感してみるのもいいかもしれませんよ^^
長男はここでちょっと用事があるということで別行動になりました
そして熟年ふたりで向かったのは梅田スカイビル♪
ところがこちらはすっとはいけないところで右往左往して人に聞くはめに
結局、JR大阪駅の北側をぼてぼて歩き、長い地下道をとぼとぼ歩いて行くのだと判明^^;

結構長?い地下道、ここでもチャリは押して歩かないといけないのに
おっちゃんやおばちゃん、それに若い子達もびゃんびゃん乗って追い抜いて行きます
広いように見えるけど、たくさんの人が歩いていてとても危ない
マナーは守らなきゃ、事故が起こってからでは遅いですよ!
そして地下道から地上に出ると見えてくるのがこのビル

そりゃ、熊本では見られない超高層ビルではありますが
高いっちゅうだけで何の変哲もないビルですよね
でもまわり込むと・・・・

ひょえ?、なんじゃこの造りは@@
梅田スカイビルってこうなっていたのか^^
まず“173”と書いてある表示に従ってエスカレーターで3階へ
そして回廊を通って反対側にあるエレベーターで一気に39階まで上がります
またしてもスケルトンのエレベーター
とっちんは「こんなところばっかり!」と目を瞑って張り付いています(笑)

この39階で700円の入場料金を払うのですが
いつものように周遊パスでらくらく通過^^
次は長い長?いエスカレーター、すでに空中庭園となっています

ここでもとっちんはきゃーきゃー言いながら中腰で両ベルトをわしづかみ(笑)
まわりの景色がとてもよく見えるんですよね?♪
さあ、屋上回廊「ルミ・スカイ・ウォーク」に着きました
地上40階の屋上、360度の大パノラマです

1993年にこの梅田スカイビルが建てられたのですが
「ルミ・スカイ・ウォーク」は2007年に誕生、空中庭園をさらにグレードアップさせたようです

ここが173mあるということで下に“173”の表示があったんですね
通天閣より80mも高いんだ^^
お、ここが「ルミ・デッキ」か
一番のデートスポットが雪のためか閉鎖されていました
でもなんで足跡があるんだろう?


フェンスにゴミのように(失礼)付いているのがカップル達が掛けた「Heart Lock」
「誓いのフェンス」と言うそうです
ここで鍵をかけることは思い出のひとつとして残せますが
大事なのはお互いを思いやる心じゃないでしょうか^^

ここから見ると本当に高いと実感できます

寒いので40階に下りてくると目に入ったのがこちら
そっかそっかと言いながら年甲斐もなく記念撮影、にひひ^^;

梅田もここ最近で変わったということですよ

しかしどこを見てもカップルが多いな?
ここも

ここも

ま、高いところでは気分が盛り上がるってことでしょう
カップルに都合の良いエリアがいろんな場所に設けてあります
熟年も負けじとコーヒータイム♪

ゆ?っくりじ?っくり眺望を堪能しつつ話しながらコーヒーを飲んだつもりが
10分も経たずにさっさと撤収する羽目に・・・
いいね?、若者は^^
ただ座っているだけで景色もコーヒーも関係ないんだよね^^
しっかり青春しろよ?!(古いか^^;)

そろそろこの空中庭園も青・緑・紫の蓄光石で描かれた天の川やオーロラが出現して
星空の散歩道となり、夜の幻想的な顔をかもし出す時間になったようです
しかーし、そんなこととは露ほども知らない熟年は夕日をちょろっと眺めて
また長?いエスカレーターを下りていくのでした(笑)

それにしても、なんとも奇抜なビルを造ったもんだ

今や、大阪を代表する人気スポット「空中庭園」
一度、この連結超高層ビルを体感してみるのもいいかもしれませんよ^^

<空中庭園展望台(梅田スカイビル)>
[所在地]大阪市北区大淀中1-1-88
[営業時間]10:00?22:30(最終入場22:00) ※季節により変更があります
[入場料金]大人700円 中学生500円
小学生300円 幼児(3歳以上)100円
[アクセス]地図はコチラ
「四天王寺」見どころ満載の場所なのに、“見逃し甚大”で不完全燃焼^^;
次回の宿題にしたくとも今度いつ行けるかもわかりません
心を残しながら次の目的地には歩いて向かいました
おや、雪のため高速道路は通行止めですね
新世界への北側入口、春日通になるのかな
へ、もう串カツの店があるぞ^^
なんかこの時パトカーの音がいたるところから聞こえてきて物騒だなと思ったんです
パトカーにきょろきょろしてると目の前に“大阪のシンボル”が見えてきましたよ?♪
なんかこの辺からわくわくって感じになってきました
通天閣のCMも地デジ対応ですね、我が家のテレビも日立プラズマだ^^
すぐさま通天閣に登りたかったんですが、腹ごしらえをしなければ!
この近辺の店は大行列が出来ていたり、呼び込みがうるさかったり^^;
長男にまかせて南側にやってきました
看板が仰々しいですね(笑)
で、入ったのがこちら「鶴亀屋」さんです
結構広い店なんですよ、おひとり様でもじゅうぶんOK^^
そしてどのテーブルにもビールや酒のグラスがのってます、昼間からまあ・・・^^;
メニューは串カツメニューと普通メニュー
メニューを広げて悩みまくりなかなか決まらない熟年を見ていた長男
店員さんを呼んで超テキトーにさささっと頼んじゃった、おまけにビールも!
おいおいお前さんたちもかい(笑)
で、すぐに出てきたのが「どて焼き」
で、
うんうんそうだった、大阪名物にはこれもあったなと思い出しました
牛スジが味噌で甘辛く煮込んであります、コレ美味しい♪
焼きそば?麺がかくれるほどかつお節がてんこ盛り^^
そんなに薄味でもありません
これがかの有名な串カツのキャベツとソース^^
もちろん心得ておりますよ♪
そして、これは嬉しい^^
むふふ、早く来ないかな?と思っていたらどどーんとテーブルに置かれました
四角い容器の対角線に斜めにして浸け込み、くるくると串をまわすと大体ソースがいき渡ります
このソースがなんとも言えず、うんま?い!ヤバイ!マジで美味しい?!
たっぷり浸けても全然塩辛くないのです、かといって甘過ぎず、不思議♪
油っこくもないし、ソースの旨味でイケルどんどんイケル(笑)
キャベツもとても美味しくいただけますよ、何回かおかわりしました
おっと、調子に乗って食べていたらこの後まだまだ食べたのに
串カツの写真はこの2枚だけでした、ぎゃはは不覚^^;
串カツ食べてんのに「ライスコロッケ」なんかも注文してるし
争うようにして食べる男達、もちろんとっちんも^^
出た!「とんぺい焼き」
と、ここで衝撃の事実が発覚♪
へっ?なに?
これが「とんぺい焼き」??
肉うすっ!!肉すくなっ!!
長男に言わせるとこれが普通なんですと
じゃ、じゃ、夕べのあれは何だったんでしょうかね?
さて最後はなぜか甘いもので〆ております
プリンと黒ゴマミルクなんちゃらです^^;
食べ終わりお腹いっぱいの3人、なのにまだメニューを見てる男二人(笑)
なんで同じカッコしてるんだか・・・^^;
さあ、通天閣に登るゾーーー!!
んぎゃ?、すんごい行列、40分待ちとか書いてあるし^^;
仕方ないね、三連休なんだから・・・
10分くらい待っていると、サービスなのか紙パックの水を配り始めました
寒いし喉も渇いてなかったので断りましたけど
ありゃこんな企画もあってるんですね
こういうのって大阪らしい気もしますよね
さて下のエレベーターでロビーとなる2階に上がりました
2階といってもずいぶんな高さです、とっちんはクラクラしましたから^^;
ここでチケット売り場、展望料金600円のところもちろん周遊券で無料です
すると展望台になる5階に上がるエレベーターが50分待ちという表示
なんだってーー@@
これからまだ50分も待たないとダメなの??
最初の待ちが15分くらいだったのでやったーと思っていたのに?(泣)
チケット売り場から進まない列に並びながら外を眺めます
進まないので同じ景色ばかり、飽きる・・・
10分経過、やっと違う景色になりました(南側から西側の面に移動)
またまた10分経過で北側の窓に動きました
ずっと行列を作っている串カツ屋さんと通天閣の行列が一体化しそうです^^;
おお?、おおきなビリケンさんのぬいぐるみがありました
あまりに大き過ぎて天井につかえていますよ^^
2階に上がって30分、これでやっと東側に戻り1周したと思ったのもつかの間
なんとなんと今度は中の方で迂回しておりました^^;
その迂回は20分以上、腰の悪いらぼっちさんは二人列にいるからとベンチで休憩
じーちゃんばーちゃんばかりの中にひとり大の男が座っておったとさ(笑)
ここ出身の「ET-KING」のサインがエレベーターの壁に堂々としてありました
わーい、やっと展望台に行ける^^
やっぱちょっとした高さはありますね
エレベーターはガラス張り、とっちんは真ん中でほっと安心^^;
エレベーターを下りると東側に「天王寺動物園」が見下ろせます
そのせいかこちらは緑が多いですね
91mの高さ、「大都会の空中オアシス」との評判です
初代は大正生まれ、現在の二代目「通天閣」は昭和31年に再建されたようですね^^
幸運の神様「ビリケン」さんです
合格祈願・縁結びなどあらゆる願いを聞いてくれる、なんでもござれの福の神だとか
でも、なんで足の裏ばかりが触られるんでしょうかね^^
早速らぼっちがなでなでしておりました、やっぱり足の裏かい^^;
願い事は何かな??
展望台には15分の滞在、1時間以上待った割には短かったかな
とりあえずは通天閣というものを満喫できたので、最後はコレを飲んでっと^^
帰りの降り口は階段を下りた4階からです
このフロアでは昨年出来た「スカイウォーク」という空中散歩が呼び物となっています
なにを好き好んで75mの高さのところをお金払って1周歩かなきゃいけないのさ!
「絶対しないからね!」と叫ぼうとしたら『本日中止』でした、あ?、よかった?^^;
下に降りても長い行列はちっとも短くなっていませんでした
「通天閣」登ってもそこまで感激はしませんが、高さといい形といい
“なにわの象徴”ですもん、やっぱりみんなに愛される場所なんでしょうね^^
次回の宿題にしたくとも今度いつ行けるかもわかりません
心を残しながら次の目的地には歩いて向かいました
おや、雪のため高速道路は通行止めですね

新世界への北側入口、春日通になるのかな
へ、もう串カツの店があるぞ^^

なんかこの時パトカーの音がいたるところから聞こえてきて物騒だなと思ったんです
パトカーにきょろきょろしてると目の前に“大阪のシンボル”が見えてきましたよ?♪

なんかこの辺からわくわくって感じになってきました
通天閣のCMも地デジ対応ですね、我が家のテレビも日立プラズマだ^^

すぐさま通天閣に登りたかったんですが、腹ごしらえをしなければ!
この近辺の店は大行列が出来ていたり、呼び込みがうるさかったり^^;
長男にまかせて南側にやってきました

看板が仰々しいですね(笑)
で、入ったのがこちら「鶴亀屋」さんです

結構広い店なんですよ、おひとり様でもじゅうぶんOK^^
そしてどのテーブルにもビールや酒のグラスがのってます、昼間からまあ・・・^^;

メニューは串カツメニューと普通メニュー


メニューを広げて悩みまくりなかなか決まらない熟年を見ていた長男
店員さんを呼んで超テキトーにさささっと頼んじゃった、おまけにビールも!
おいおいお前さんたちもかい(笑)
で、すぐに出てきたのが「どて焼き」
で、

うんうんそうだった、大阪名物にはこれもあったなと思い出しました
牛スジが味噌で甘辛く煮込んであります、コレ美味しい♪
焼きそば?麺がかくれるほどかつお節がてんこ盛り^^
そんなに薄味でもありません

これがかの有名な串カツのキャベツとソース^^

もちろん心得ておりますよ♪

そして、これは嬉しい^^

むふふ、早く来ないかな?と思っていたらどどーんとテーブルに置かれました

四角い容器の対角線に斜めにして浸け込み、くるくると串をまわすと大体ソースがいき渡ります

このソースがなんとも言えず、うんま?い!ヤバイ!マジで美味しい?!
たっぷり浸けても全然塩辛くないのです、かといって甘過ぎず、不思議♪
油っこくもないし、ソースの旨味でイケルどんどんイケル(笑)
キャベツもとても美味しくいただけますよ、何回かおかわりしました
おっと、調子に乗って食べていたらこの後まだまだ食べたのに
串カツの写真はこの2枚だけでした、ぎゃはは不覚^^;
串カツ食べてんのに「ライスコロッケ」なんかも注文してるし

争うようにして食べる男達、もちろんとっちんも^^

出た!「とんぺい焼き」
と、ここで衝撃の事実が発覚♪

へっ?なに?
これが「とんぺい焼き」??
肉うすっ!!肉すくなっ!!

長男に言わせるとこれが普通なんですと
じゃ、じゃ、夕べのあれは何だったんでしょうかね?
さて最後はなぜか甘いもので〆ております
プリンと黒ゴマミルクなんちゃらです^^;


食べ終わりお腹いっぱいの3人、なのにまだメニューを見てる男二人(笑)
なんで同じカッコしてるんだか・・・^^;

さあ、通天閣に登るゾーーー!!

んぎゃ?、すんごい行列、40分待ちとか書いてあるし^^;
仕方ないね、三連休なんだから・・・
10分くらい待っていると、サービスなのか紙パックの水を配り始めました
寒いし喉も渇いてなかったので断りましたけど
ありゃこんな企画もあってるんですね
こういうのって大阪らしい気もしますよね

さて下のエレベーターでロビーとなる2階に上がりました
2階といってもずいぶんな高さです、とっちんはクラクラしましたから^^;
ここでチケット売り場、展望料金600円のところもちろん周遊券で無料です
すると展望台になる5階に上がるエレベーターが50分待ちという表示
なんだってーー@@
これからまだ50分も待たないとダメなの??
最初の待ちが15分くらいだったのでやったーと思っていたのに?(泣)
チケット売り場から進まない列に並びながら外を眺めます

進まないので同じ景色ばかり、飽きる・・・
10分経過、やっと違う景色になりました(南側から西側の面に移動)

またまた10分経過で北側の窓に動きました
ずっと行列を作っている串カツ屋さんと通天閣の行列が一体化しそうです^^;

おお?、おおきなビリケンさんのぬいぐるみがありました
あまりに大き過ぎて天井につかえていますよ^^

2階に上がって30分、これでやっと東側に戻り1周したと思ったのもつかの間
なんとなんと今度は中の方で迂回しておりました^^;
その迂回は20分以上、腰の悪いらぼっちさんは二人列にいるからとベンチで休憩
じーちゃんばーちゃんばかりの中にひとり大の男が座っておったとさ(笑)
ここ出身の「ET-KING」のサインがエレベーターの壁に堂々としてありました

わーい、やっと展望台に行ける^^
やっぱちょっとした高さはありますね
エレベーターはガラス張り、とっちんは真ん中でほっと安心^^;
エレベーターを下りると東側に「天王寺動物園」が見下ろせます
そのせいかこちらは緑が多いですね

91mの高さ、「大都会の空中オアシス」との評判です
初代は大正生まれ、現在の二代目「通天閣」は昭和31年に再建されたようですね^^
幸運の神様「ビリケン」さんです

合格祈願・縁結びなどあらゆる願いを聞いてくれる、なんでもござれの福の神だとか
でも、なんで足の裏ばかりが触られるんでしょうかね^^

早速らぼっちがなでなでしておりました、やっぱり足の裏かい^^;
願い事は何かな??

展望台には15分の滞在、1時間以上待った割には短かったかな
とりあえずは通天閣というものを満喫できたので、最後はコレを飲んでっと^^

帰りの降り口は階段を下りた4階からです
このフロアでは昨年出来た「スカイウォーク」という空中散歩が呼び物となっています
なにを好き好んで75mの高さのところをお金払って1周歩かなきゃいけないのさ!
「絶対しないからね!」と叫ぼうとしたら『本日中止』でした、あ?、よかった?^^;
下に降りても長い行列はちっとも短くなっていませんでした
「通天閣」登ってもそこまで感激はしませんが、高さといい形といい
“なにわの象徴”ですもん、やっぱりみんなに愛される場所なんでしょうね^^

<通天閣>
[所在地]大阪府大阪市浪速区恵美須東1丁目18-6
[営業時間]9:00?21:00 (年中無休)入場は20時30分まで
[展望料金] 大人:600円 大学生: 500円
中高生:400円 小人:300円 (ロビーまでは全館無料)
[アクセス]地図はコチラ
今日は少し南に下りまして、「四天王寺」に行ったお話です
地下鉄の駅に近い「中ノ門」から入っってしまったので
きちんとした順路にはなっておらず、こんがらがりながらの記事になることは必至ですので
いつも読んで下さっている方々にはじめに謝っておきます、すんまっせ?んm(__)m
な?んか「四天王寺」にしては小さい門だと思った^^;
入ってすぐ左に見えたものが「無縁塔」、お墓のマンション?ですかね
とっちんは近寄り難かったんですが、とっちんよりももっと何かを感じやすい長男が
遠目ながらも写真を撮っていたのでちょっとびっくり!
そこで負けじと頑張って撮ったのですよ
何もなかったですよ、何も・・・
歩を進めると左手に「大黒天」と書いた大きな提灯
本尊は一体の像に大黒天、毘沙門天、弁才天の顔を持つ”三面大黒天”だったようです
二人してたったかたったか行っちゃうので見れなかった?(泣)
屋根にいた鳩を撮るのが精一杯
なんでやねん!鳩撮るくらいならご本尊を撮ってこいってね^^;
こちらは「英霊堂」
わーーん、またまた二人ともスルーしてる?(泣)
「ここはちょっと・・・」、と言う長男はさておき
らぼっちはすたこらさっさと姿が見えない^^;
明治39年に建立、大釣鐘堂と呼ばれ、当時は世界一大きいとされた梵鐘が釣られていたとか
その大梵鐘は第二次世界大戦に供出され、その縁により戦歿英霊を奉祀する「英霊堂」と改名
ここにも比叡山西塔黒谷よりの阿弥陀如来立像がたたずんでおられたもよう
ひと目でもお姿を拝見したかった^^;
お次は「六時堂」
境内中央にある雄大なお堂で、昼夜6回諸礼讃をするところから六時礼讃堂と呼ばれます
おい、おっさん少しは建物を見たら?
もう次に行く場所と時間が気になるようです、落ち着かないな?^^;
そしてその前にあるのが「石舞台」
ぎゃは、こちらは裏側、亀がいる池の上に架かっている石橋に組まれた舞台です
毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる聖霊会舞楽大法要の際に舞台上で舞楽が舞われます
こちらは「太鼓楼」名前のごとく太鼓があるんですかね、どこからも見えませんが^^
そして「北鐘楼」正式には「黄鐘楼」だそうです
ず?っと先祖供養のための鐘の音が絶えません
このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くと言われるようですが、物悲しい感じでした
さていよいよ「中心伽藍」に足を踏み入れましょう
ここは300円の有料ですが、もちろん周遊パスで入りましたよ
入って真っ直ぐ進みたいところですが、左手に行ってみましょうかね
おお井戸の前に見事な龍
と思いながら歩きかけると
人が井戸の中をしきりに覗いて写真を撮っています
なになに?
天井にあった絵が映りこんでいるのでした
天井の絵・・・撮り忘れました^^;
らぼっちはこの絵も見逃しているんですよ(笑)
この後講堂に入り十一面観世音菩薩、丈六阿彌陀如来を有り難く拝顔しました
残念ながら撮影禁止でございました
長い回廊に無邪気な子供の笑い声が響いていました、平和でなによりです
「五重塔」の前の「金堂」には聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りしてあり
四方を四天王が守護しています(あ、それで四天王寺っていうのか^^)
ずっと見ていたかったのですが、次から次に信者さんが参詣されるので
よそ者はさっさと退くことにいたしました
さて、現在の五重塔は1959年(昭和34年)建立の八代目なんだそうです
なんだ、熟年と同年代じゃありませんか^^
聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と
自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、「六道利救の塔」といいます
なんでも階段があって登れるそうですが
信者でもない3人はおそれ多くて覗いてみることもできませんでした
さて駆け足で「中心伽藍」をまわるらぼっちに
「あれも見てないこれも・・・」と訴えるも、全く聞こえない様子
今度はそこを出て南側にまわり込みました
あ?、よかった?、見逃したと思った仁王門はこちらから見れたんだ
「中門」というのが本当のよう
こちらの仁王さんは身長5.3m、顔の長さ70cmあるそうです
足の親指の幅だけでも13cmあるんだそうですよ、ほんとかな、見えなかったけど^^;
大きさでは奈良の東大寺の仁王さんに次いで2番目ということです
毛ばたきか何かでほこりを掃ってあげたかった・・・
げっ、「南大門」近くまで行ったのに見てない^^;
こちらは形のかわいい「南鐘堂」正式名称は、「鯨鐘楼」
いくつも鐘があるんだな、こちらからは鐘の音は聞こえませんでした
聖徳太子をお祀りしているお堂で、 正式には「聖霊院(しょうりょういん)」
前殿には十六歳像・太子二歳像・四天王が祀られており
奥殿には1月22日のみ公開の秘仏、太子四十九歳像が祀られています
ぼてぼて歩いていると、こんな門がありました
はあ??なんですと、猫の門?太子の猫様が通られるご門でございますか
驚いたことに、ちょうどどこぞの猫様が前をお通りになりましたんですよ
「あ、あ?・・」と言ってる隙にお姿を見失いました^^;
この後、宝物館にて国宝、重文を拝観して出ました
当然、奥にある「本坊」に向かうものと思っていたとっちんが「行くでしょ?」と聞くと
「たいしたことないだろうから、行かない!」とUターン
ガガーーーーン、T_T
重要文化財の「通用門「五智光院」徳川秀忠の建立の「湯屋方丈」
それに雪景色でそれは見事だっただろう「本坊庭園」すべて見てな?い(泣泣泣)
さっさと出ようとするらぼっちに続いて急ぎ足で続く長男ととっちん
本来入ればよかった「西大門」にきました
戦後再建されてからは極楽に通ずる門の意味から極楽門と呼ばれるようになりました
この門にはあまり他にはない「転法輪」という手で回すコマ様のものが4基ついています
手で回すことにより「仏の法を教えて下さい」と挨拶代わりにしたのが起源だそうです
これをらぼっちと長男は必要以上にまわすまわす(笑)
そんなんだったらもう少しゆっくり見ればよかったのに^^;
そして最後に「石の鳥居」、日本三鳥居の一つなんですって^^
もとは木造だったようですが、1294年に現在の石造となりました
寺に鳥居っておかしくない?と思いませんか
元来鳥居は聖地結界の四門として古来インドより建てられたもので
神社に限ったものではないとのこと、ふふ?んそうなんですね^^
扁額の文字は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあります
これは『 お釈迦さんが説法を説く所であり、 ここが極楽の東門の中心である』の意味らしいです
この額の形も珍しいですよね
箕の形でチリトリのように全ての願いをすくいとって漏らさない阿彌陀如来の本願を現しています
おお、なるほど^^
本当は逆にまわるとうまくまとまったのかもしれません
わかりづらいと思う方は最後のほうから上に向かって読んでください(笑)
あ、もっとわからないって?ん、そうですよね^^;
今日も長くなってしまいました
お付き合いくださってありがとうございましたm(__)m
地下鉄の駅に近い「中ノ門」から入っってしまったので
きちんとした順路にはなっておらず、こんがらがりながらの記事になることは必至ですので
いつも読んで下さっている方々にはじめに謝っておきます、すんまっせ?んm(__)m

な?んか「四天王寺」にしては小さい門だと思った^^;
入ってすぐ左に見えたものが「無縁塔」、お墓のマンション?ですかね

とっちんは近寄り難かったんですが、とっちんよりももっと何かを感じやすい長男が
遠目ながらも写真を撮っていたのでちょっとびっくり!
そこで負けじと頑張って撮ったのですよ
何もなかったですよ、何も・・・
歩を進めると左手に「大黒天」と書いた大きな提灯

本尊は一体の像に大黒天、毘沙門天、弁才天の顔を持つ”三面大黒天”だったようです
二人してたったかたったか行っちゃうので見れなかった?(泣)

屋根にいた鳩を撮るのが精一杯
なんでやねん!鳩撮るくらいならご本尊を撮ってこいってね^^;
こちらは「英霊堂」
わーーん、またまた二人ともスルーしてる?(泣)

「ここはちょっと・・・」、と言う長男はさておき
らぼっちはすたこらさっさと姿が見えない^^;
明治39年に建立、大釣鐘堂と呼ばれ、当時は世界一大きいとされた梵鐘が釣られていたとか
その大梵鐘は第二次世界大戦に供出され、その縁により戦歿英霊を奉祀する「英霊堂」と改名
ここにも比叡山西塔黒谷よりの阿弥陀如来立像がたたずんでおられたもよう
ひと目でもお姿を拝見したかった^^;
お次は「六時堂」
境内中央にある雄大なお堂で、昼夜6回諸礼讃をするところから六時礼讃堂と呼ばれます

おい、おっさん少しは建物を見たら?
もう次に行く場所と時間が気になるようです、落ち着かないな?^^;
そしてその前にあるのが「石舞台」

ぎゃは、こちらは裏側、亀がいる池の上に架かっている石橋に組まれた舞台です
毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる聖霊会舞楽大法要の際に舞台上で舞楽が舞われます
こちらは「太鼓楼」名前のごとく太鼓があるんですかね、どこからも見えませんが^^

そして「北鐘楼」正式には「黄鐘楼」だそうです

ず?っと先祖供養のための鐘の音が絶えません
このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くと言われるようですが、物悲しい感じでした
さていよいよ「中心伽藍」に足を踏み入れましょう

ここは300円の有料ですが、もちろん周遊パスで入りましたよ
入って真っ直ぐ進みたいところですが、左手に行ってみましょうかね
おお井戸の前に見事な龍

と思いながら歩きかけると
人が井戸の中をしきりに覗いて写真を撮っています

なになに?

天井にあった絵が映りこんでいるのでした
天井の絵・・・撮り忘れました^^;
らぼっちはこの絵も見逃しているんですよ(笑)

この後講堂に入り十一面観世音菩薩、丈六阿彌陀如来を有り難く拝顔しました
残念ながら撮影禁止でございました
長い回廊に無邪気な子供の笑い声が響いていました、平和でなによりです

「五重塔」の前の「金堂」には聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りしてあり
四方を四天王が守護しています(あ、それで四天王寺っていうのか^^)
ずっと見ていたかったのですが、次から次に信者さんが参詣されるので
よそ者はさっさと退くことにいたしました
さて、現在の五重塔は1959年(昭和34年)建立の八代目なんだそうです
なんだ、熟年と同年代じゃありませんか^^

聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と
自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、「六道利救の塔」といいます
なんでも階段があって登れるそうですが
信者でもない3人はおそれ多くて覗いてみることもできませんでした
さて駆け足で「中心伽藍」をまわるらぼっちに
「あれも見てないこれも・・・」と訴えるも、全く聞こえない様子
今度はそこを出て南側にまわり込みました
あ?、よかった?、見逃したと思った仁王門はこちらから見れたんだ

「中門」というのが本当のよう
こちらの仁王さんは身長5.3m、顔の長さ70cmあるそうです

足の親指の幅だけでも13cmあるんだそうですよ、ほんとかな、見えなかったけど^^;
大きさでは奈良の東大寺の仁王さんに次いで2番目ということです

毛ばたきか何かでほこりを掃ってあげたかった・・・
げっ、「南大門」近くまで行ったのに見てない^^;
こちらは形のかわいい「南鐘堂」正式名称は、「鯨鐘楼」
いくつも鐘があるんだな、こちらからは鐘の音は聞こえませんでした

聖徳太子をお祀りしているお堂で、 正式には「聖霊院(しょうりょういん)」

前殿には十六歳像・太子二歳像・四天王が祀られており
奥殿には1月22日のみ公開の秘仏、太子四十九歳像が祀られています
ぼてぼて歩いていると、こんな門がありました

はあ??なんですと、猫の門?太子の猫様が通られるご門でございますか
驚いたことに、ちょうどどこぞの猫様が前をお通りになりましたんですよ
「あ、あ?・・」と言ってる隙にお姿を見失いました^^;
この後、宝物館にて国宝、重文を拝観して出ました
当然、奥にある「本坊」に向かうものと思っていたとっちんが「行くでしょ?」と聞くと
「たいしたことないだろうから、行かない!」とUターン
ガガーーーーン、T_T
重要文化財の「通用門「五智光院」徳川秀忠の建立の「湯屋方丈」
それに雪景色でそれは見事だっただろう「本坊庭園」すべて見てな?い(泣泣泣)
さっさと出ようとするらぼっちに続いて急ぎ足で続く長男ととっちん
本来入ればよかった「西大門」にきました

戦後再建されてからは極楽に通ずる門の意味から極楽門と呼ばれるようになりました

この門にはあまり他にはない「転法輪」という手で回すコマ様のものが4基ついています
手で回すことにより「仏の法を教えて下さい」と挨拶代わりにしたのが起源だそうです
これをらぼっちと長男は必要以上にまわすまわす(笑)
そんなんだったらもう少しゆっくり見ればよかったのに^^;
そして最後に「石の鳥居」、日本三鳥居の一つなんですって^^

もとは木造だったようですが、1294年に現在の石造となりました
寺に鳥居っておかしくない?と思いませんか
元来鳥居は聖地結界の四門として古来インドより建てられたもので
神社に限ったものではないとのこと、ふふ?んそうなんですね^^

扁額の文字は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあります
これは『 お釈迦さんが説法を説く所であり、 ここが極楽の東門の中心である』の意味らしいです
この額の形も珍しいですよね
箕の形でチリトリのように全ての願いをすくいとって漏らさない阿彌陀如来の本願を現しています
おお、なるほど^^
本当は逆にまわるとうまくまとまったのかもしれません
わかりづらいと思う方は最後のほうから上に向かって読んでください(笑)
あ、もっとわからないって?ん、そうですよね^^;
今日も長くなってしまいました
お付き合いくださってありがとうございましたm(__)m

<四天王寺>
[所在地]大阪市天王寺区四天王寺1丁目11番18号
[アクセス]地図はコチラ
大阪城を出てからは大阪城ホールの横を通り、第二寝屋川のほとりに着きました
ここから水上バスなるものに乗り込むようです
四季折々の風情ある大阪城や中ノ島周辺を約60分で周遊するクルージング
通常は大人1,700円ですが、周遊パスを使えば無料になるんですよ^^v
とはいえ、吹雪いているのでどうなることやら・・
あ?、やっぱり!
せっかく天井も透明になっているのに雪が積もってる?^^;
ま、こんな天気だからたいして変わらないか
係員の方がデッキブラシで雪を掻いてくれましたが、ほんの気持ち程度でした(笑)
さ?て出発で?す♪
OBPのビル群、右はホテルニューオオタニ大阪、左はIMP、真ん中にツイン21のMIDタワー
ほうほう、結構見えるもんですね
しばらく行くと寝屋川と合流
橋が結構多くて、写真も下から撮ったりしたんですよ?
でもアクアライナーのスピードが思ったより速いのでほとんどピンボケ^^;
お、いつのまにか中ノ島公園でした
アナウンスはあるんですけどね、聞いてない・・・
公園内にある「ばらぞの橋」です、だぶん^^;
えっと?、この興味深い格好した橋は?、きっと「難波橋」(なにわばし)^^
天神橋、天満橋と共に「なにわの三大橋」と呼ばれ、大坂の八百八橋を代表する長大橋です
そして見えてきた中之島公園にある「大阪市中央公会堂」
1918年(大正7年)に竣工、赤レンガの壁に青銅のドーム屋根がきれい?、ってよく見えないけど
隣には「大阪市役所」なんとでかいこと!
中之島公園の剣先噴水です
この噴水は2月14日から3月いっぱいは工事のために放水されないようです
よかった?、ぎりぎり間に合ったって感じ^^
さて乗船30分を過ぎる頃、デモンストレーションを行うとのアナウンス
何が起こるのか?
んんん?
何が違うかというと天井が30?40cmくらい下がってきたのです
それがどーしたですって?特に何もありませんでしたけど^^;
こんなのも運航されていました
グルメ・ミュージック船「ひまわり」、見るからにレベルが・・・
帝国ホテルの料理を味わいながらの水上散歩が出来るということです
クラシックでもかかっているのかな?こちらとはグレードが段違いです(笑)
こちらはOAPのビル群、帝国ホテルにOAPタワーなどが見えます
桜宮橋をくぐると「造幣局」桜の通り抜けで有名ですよね
でも桜には程遠く雪の花が咲いておりました
こちらは「日本経済新聞大阪本社」
そして大阪城に近い場所にはこんな遺構が残っていました
よく見ると石垣の真ん中あたりに穴があります
何やら説明がされていましたが、またしても聞いてない、何やってんだか^^;
こうして60分のクルージングは終わりました
桜の季節、晴れた日は最高でしょうね^^
ま、時季をはずすのがお手の物の我が家はこんなもんでしょ(笑)
水上バスの乗船所から近いところに長男の勤める会社があるというので
ここは親心、ちらっと見てみることにしました
この通りを歩き
濡れないようにこんなところも通り
そしてこんな通路も
外にはクリスタルタワーが見えました
いや?、やっぱ都会だわ?♪
ここから水上バスなるものに乗り込むようです
四季折々の風情ある大阪城や中ノ島周辺を約60分で周遊するクルージング
通常は大人1,700円ですが、周遊パスを使えば無料になるんですよ^^v
とはいえ、吹雪いているのでどうなることやら・・
あ?、やっぱり!
せっかく天井も透明になっているのに雪が積もってる?^^;

ま、こんな天気だからたいして変わらないか
係員の方がデッキブラシで雪を掻いてくれましたが、ほんの気持ち程度でした(笑)
さ?て出発で?す♪

OBPのビル群、右はホテルニューオオタニ大阪、左はIMP、真ん中にツイン21のMIDタワー
ほうほう、結構見えるもんですね
しばらく行くと寝屋川と合流
橋が結構多くて、写真も下から撮ったりしたんですよ?
でもアクアライナーのスピードが思ったより速いのでほとんどピンボケ^^;

お、いつのまにか中ノ島公園でした
アナウンスはあるんですけどね、聞いてない・・・

公園内にある「ばらぞの橋」です、だぶん^^;

えっと?、この興味深い格好した橋は?、きっと「難波橋」(なにわばし)^^
天神橋、天満橋と共に「なにわの三大橋」と呼ばれ、大坂の八百八橋を代表する長大橋です

そして見えてきた中之島公園にある「大阪市中央公会堂」
1918年(大正7年)に竣工、赤レンガの壁に青銅のドーム屋根がきれい?、ってよく見えないけど

隣には「大阪市役所」なんとでかいこと!

中之島公園の剣先噴水です

この噴水は2月14日から3月いっぱいは工事のために放水されないようです
よかった?、ぎりぎり間に合ったって感じ^^
さて乗船30分を過ぎる頃、デモンストレーションを行うとのアナウンス
何が起こるのか?

んんん?

何が違うかというと天井が30?40cmくらい下がってきたのです
それがどーしたですって?特に何もありませんでしたけど^^;
こんなのも運航されていました
グルメ・ミュージック船「ひまわり」、見るからにレベルが・・・

帝国ホテルの料理を味わいながらの水上散歩が出来るということです
クラシックでもかかっているのかな?こちらとはグレードが段違いです(笑)
こちらはOAPのビル群、帝国ホテルにOAPタワーなどが見えます

桜宮橋をくぐると「造幣局」桜の通り抜けで有名ですよね
でも桜には程遠く雪の花が咲いておりました

こちらは「日本経済新聞大阪本社」

そして大阪城に近い場所にはこんな遺構が残っていました

よく見ると石垣の真ん中あたりに穴があります
何やら説明がされていましたが、またしても聞いてない、何やってんだか^^;
こうして60分のクルージングは終わりました
桜の季節、晴れた日は最高でしょうね^^
ま、時季をはずすのがお手の物の我が家はこんなもんでしょ(笑)
水上バスの乗船所から近いところに長男の勤める会社があるというので
ここは親心、ちらっと見てみることにしました
この通りを歩き

濡れないようにこんなところも通り

そしてこんな通路も

外にはクリスタルタワーが見えました

いや?、やっぱ都会だわ?♪
大阪初日のホテルで「明日の朝は7時出発だから、6時起きね!」とらぼっちに言われました
「え?、なんでそんなに早くから出歩かなきゃいかんの?」と、うだうだのとっちん
答えることもなくすぐにイビキをかいて寝てしまったらぼっちを睨みました
今回の大阪旅行はすべてらぼっちにおまかせでノータッチのとっちん
どこに行くのかをちらっと聞いた程度で頭にまったく浮かんでこない大阪の街^^;
よろよろと6時起床の熟年は夜のうちにコンビニで調達した朝食をかっこんで7時過ぎにチェックアウト
ありゃーーー、やっぱ降ってるよ、雪^^;
よっぽど日頃の行いが悪いんだろうな・・・・
こんな時に限ってと天を見上げてうらめし顔をしたものの
でも、こんな日も滅多にないだろう、雨よりマシだし
雪の大阪を楽しまなくちゃと歩きながらプラス思考に♪
早速一枚2,000円の『大阪周遊パス』を活用です^^v
このパスはJRを除く電車バスに一日乗り放題のうえ
周遊ガイドについているクーポンとの併用で26の施設に無料で入れるんですよ
今回はほとんどが地下鉄移動だったので切符を買う手間も省け
同じような所を行ったり来たりしても全然無駄とは思えませんでした
この日は交通費だけでも2,000円以上は使っただろうな^^
さて朝早くからどこに向かったかというと、大阪といえばここだろという
「大阪城」でございま?す、南外堀から六番櫓を見たところです
総延長2kmの屏風折れの石垣、徳川幕府によって築きなおされたもの
大名の家紋や石の産地などをほりこんだ刻印石があるとのことですが、この天気じゃ?ね^^;
長男との待ち合わせは天守閣前9時なので、その前に大手門から入っていこうとしたのですが
その前に大手門前芝生広場にある売店と一緒になっているトイレに向かいました
ところがそのトイレはゲートが閉じられていたのです@@
おっちゃんがひとり外にいたので何かを待っているのだろうと思っていました
円形のその建物を1周してあきらめ、大手門の方に歩いていると「ガガーー!」と音がしました
見るとそのおっちゃんがゲートを開けているじゃないですか!
待っているのは時間だったのかと時計を見ると8時10分
ちょっとー、開けてくれたっていいじゃん、それも中途半端な・・・
「その時間に開けるようになってんだよ」優しいんだか怒ってんだかわからないらぼっちの言葉
もちろんそこのトイレは使いませんでした(笑)
大手門に続く道はこんな冬景色♪ 左にかろうじて見えるは「千貫櫓」です
これもまたよしときょろきょろしながら歩くのは我々ふたりだけ^^
朝早いからか雪だからか人少なーーい!
大手門は高麗門形式の黒金門、黒塗総鉄板張(くろぬりそうてついたばり)だそうです
頑丈そのもの^^
そしてその大手門をくぐるとあるのが大手口内枡形の巨石、大手見付石(鏡石)です
面積は畳29畳分、うひょ?でっかいぞ?♪
でも城内4番目の大きさなんです
やはり徳川時代に再築していて、石自体は小豆島のものと推定されているとか
石垣は諸大名が将軍の命令で分担、争うようにして築きましたが
なんと、この箇所は肥後熊本藩の加藤忠広が築いたものでありました^^
NHKでやっていた多聞櫓の礎石、しかと見ましたぞ!^^
そしてやっと多聞櫓をくぐります、しかしすんげー大きさだなあ
ここだけに残る多聞櫓、かつては城内を取り囲んでいたんですけどね
渡櫓や続櫓、中を見てみたいもんです
この後はトイレを済ませ脇目もふらず「桜門」の方へ
相変わらず吹雪いていますが、急激に人が増えてきた!
門の両脇の巨石は雨が降ると右に龍、左に虎の姿が現れるという「龍虎石」(りゅうこいし)
むむむ、これが?それとも雨じゃなきゃ見えないのか?
戦後、台風の被害を受けて倒壊、昭和44年に復元されています
そしてこれが大阪城内第一の巨石「蛸石」です
面積は畳36畳分、備前産の花崗岩が使われ、備前岡山藩主池田忠雄によって築かれたもの
やっぱり石の左側の模様が蛸に見えることからついた名前です
桜門の枡形を抜けるとようやく天守閣が見えてきました
でもまだまだ遠ーいな^^;
雪なので西の丸庭園にも行かず時間を持て余し、天守閣前の本丸御殿跡をうろうろ
朝早くから集まっていたたくさんの人達は大半が韓国の団体客でした
突然、子供のようにとっちんに雪投げをしてくるらぼっち
全然通じない言葉を交わしていた韓国の女性に笑われていました^^;
今年は大阪城復興80周年だそうです
鉄筋8階建て、近代的な城です(笑)
激しい雪で写りが悪いな^^;
ん?ちょっと待てよ、大阪城ってこんなに“きんきらきん”だったっけ?
なにを隠そう、とっちんはン十年前に修学旅行で大阪城公園のこの場所に立っていました
その時はもっと地味だったような気がする・・えへっ、帰ってからアルバムをめくってみました
やっぱり!
いつからこんな派手な城になったんだ?(え、別にいいんですけど^^)ちょっと浦島太郎気分に
いえ違います、それだけ時が流れたということですね、はいすみません(笑)
今じゃエレベーターもあるし
こちらは「残念石」
小豆島で割られたものの用材石として日の目を見ず残っている石のことを言います
右側の大きなものは筑前黒田長政のところで見つかったもの
左隣には我が肥後の細川忠興の手になるものがあったのに写真はなし^^;
小豆島と大阪の青年会議所が共に手をとり小豆島から運び据えたもの
「残念石」を表に出そうという両者の気持ちが素晴らしいじゃないですか、ね^^
おやおや9時になったのに門も開かないし、長男も来ない^^;
肥後時間はここでも通じるのか・・・
おお5分すぎて長男登場、それと同時に開門です
長男分の周遊パスも利用してスムーズに入ります、普通は天守閣には600円必要ですけど^^
こちらは小天守台にある「金明水」
井筒は1個の石をくり貫いたもので、この建物を「金明水井戸屋形」と言います
秀吉が毒気を抜くために黄金を沈めたという伝説がありますが
井戸は徳川幕府の大阪城再築の際に掘られたことが判明、伝説は伝説でしかないということでしょうか
“きんきらきん”の正体?
原寸大でしょうか、やっぱり派手だ^^
試着コーナーもありました
ちょっとは興味あったんですよ?
でも、あまりに突拍子もない兜の形に尻込みしてしまいました
よかった?、らぼっちが試着してみるって言わなくて(笑)
あ、加藤清正の兜もあったんだ?、それは不覚じゃった!
3階4階は撮影禁止、5階では大阪夏の陣の再現されていました
しまった、真田幸村の隊の方から撮ればよかった、あっち側は人が多かったんだよな?
それに小さすぎて幸村の人形を探すのにも苦労しました
8階になる展望台に出てみました、さ、さっぶ??!!
「かなり吹雪いておるの?、これじゃ良い景色なぞ見えぬわい」(←誰?)
「おぬし、くせものか!」「なんでやねん!!」
そういえば昔も大阪弁てあったのかな?
近くのOBPのビルもよく見えな?い、大阪城ホールがかろうじてか^^;
誰じゃ雪の大阪城も粋なものかも、なんてほざいたのは!
あまりに降り過ぎて見えやしない、雨男ならぬ雪男? あはっ、それは違うか^^
下りて向かったのは北側、青屋門方面
どこを見ても大きな石垣、雪で滑らないよう用心して坂を下ります
工事中の極楽橋と大阪城です
なんか行くところ工事中って多いよな?、なんで?
この地にあった大坂本願寺に由来するらしい極楽橋、渡り心地はイマイチ^^;
昭和35年に復元された「青屋門」を通って向かうは水の上?♪
痩せた長男と並ぶとかなり太めに見えるらぼっち
本人は「ダウンを着てるせいだ」と言ってますが、それはどうだか^^;
「え?、なんでそんなに早くから出歩かなきゃいかんの?」と、うだうだのとっちん
答えることもなくすぐにイビキをかいて寝てしまったらぼっちを睨みました
今回の大阪旅行はすべてらぼっちにおまかせでノータッチのとっちん
どこに行くのかをちらっと聞いた程度で頭にまったく浮かんでこない大阪の街^^;
よろよろと6時起床の熟年は夜のうちにコンビニで調達した朝食をかっこんで7時過ぎにチェックアウト
ありゃーーー、やっぱ降ってるよ、雪^^;

よっぽど日頃の行いが悪いんだろうな・・・・
こんな時に限ってと天を見上げてうらめし顔をしたものの
でも、こんな日も滅多にないだろう、雨よりマシだし
雪の大阪を楽しまなくちゃと歩きながらプラス思考に♪
早速一枚2,000円の『大阪周遊パス』を活用です^^v
このパスはJRを除く電車バスに一日乗り放題のうえ
周遊ガイドについているクーポンとの併用で26の施設に無料で入れるんですよ
今回はほとんどが地下鉄移動だったので切符を買う手間も省け
同じような所を行ったり来たりしても全然無駄とは思えませんでした
この日は交通費だけでも2,000円以上は使っただろうな^^
さて朝早くからどこに向かったかというと、大阪といえばここだろという
「大阪城」でございま?す、南外堀から六番櫓を見たところです

総延長2kmの屏風折れの石垣、徳川幕府によって築きなおされたもの
大名の家紋や石の産地などをほりこんだ刻印石があるとのことですが、この天気じゃ?ね^^;
長男との待ち合わせは天守閣前9時なので、その前に大手門から入っていこうとしたのですが
その前に大手門前芝生広場にある売店と一緒になっているトイレに向かいました
ところがそのトイレはゲートが閉じられていたのです@@
おっちゃんがひとり外にいたので何かを待っているのだろうと思っていました
円形のその建物を1周してあきらめ、大手門の方に歩いていると「ガガーー!」と音がしました
見るとそのおっちゃんがゲートを開けているじゃないですか!
待っているのは時間だったのかと時計を見ると8時10分
ちょっとー、開けてくれたっていいじゃん、それも中途半端な・・・
「その時間に開けるようになってんだよ」優しいんだか怒ってんだかわからないらぼっちの言葉
もちろんそこのトイレは使いませんでした(笑)
大手門に続く道はこんな冬景色♪ 左にかろうじて見えるは「千貫櫓」です

これもまたよしときょろきょろしながら歩くのは我々ふたりだけ^^
朝早いからか雪だからか人少なーーい!

大手門は高麗門形式の黒金門、黒塗総鉄板張(くろぬりそうてついたばり)だそうです
頑丈そのもの^^
そしてその大手門をくぐるとあるのが大手口内枡形の巨石、大手見付石(鏡石)です

面積は畳29畳分、うひょ?でっかいぞ?♪
でも城内4番目の大きさなんです
やはり徳川時代に再築していて、石自体は小豆島のものと推定されているとか
石垣は諸大名が将軍の命令で分担、争うようにして築きましたが
なんと、この箇所は肥後熊本藩の加藤忠広が築いたものでありました^^

NHKでやっていた多聞櫓の礎石、しかと見ましたぞ!^^
そしてやっと多聞櫓をくぐります、しかしすんげー大きさだなあ

ここだけに残る多聞櫓、かつては城内を取り囲んでいたんですけどね
渡櫓や続櫓、中を見てみたいもんです

この後はトイレを済ませ脇目もふらず「桜門」の方へ
相変わらず吹雪いていますが、急激に人が増えてきた!

門の両脇の巨石は雨が降ると右に龍、左に虎の姿が現れるという「龍虎石」(りゅうこいし)
むむむ、これが?それとも雨じゃなきゃ見えないのか?
戦後、台風の被害を受けて倒壊、昭和44年に復元されています

そしてこれが大阪城内第一の巨石「蛸石」です

面積は畳36畳分、備前産の花崗岩が使われ、備前岡山藩主池田忠雄によって築かれたもの
やっぱり石の左側の模様が蛸に見えることからついた名前です
桜門の枡形を抜けるとようやく天守閣が見えてきました

でもまだまだ遠ーいな^^;
雪なので西の丸庭園にも行かず時間を持て余し、天守閣前の本丸御殿跡をうろうろ

朝早くから集まっていたたくさんの人達は大半が韓国の団体客でした
突然、子供のようにとっちんに雪投げをしてくるらぼっち
全然通じない言葉を交わしていた韓国の女性に笑われていました^^;
今年は大阪城復興80周年だそうです
鉄筋8階建て、近代的な城です(笑)

激しい雪で写りが悪いな^^;
ん?ちょっと待てよ、大阪城ってこんなに“きんきらきん”だったっけ?
なにを隠そう、とっちんはン十年前に修学旅行で大阪城公園のこの場所に立っていました
その時はもっと地味だったような気がする・・えへっ、帰ってからアルバムをめくってみました
やっぱり!
いつからこんな派手な城になったんだ?(え、別にいいんですけど^^)ちょっと浦島太郎気分に
いえ違います、それだけ時が流れたということですね、はいすみません(笑)
今じゃエレベーターもあるし

こちらは「残念石」

小豆島で割られたものの用材石として日の目を見ず残っている石のことを言います
右側の大きなものは筑前黒田長政のところで見つかったもの
左隣には我が肥後の細川忠興の手になるものがあったのに写真はなし^^;
小豆島と大阪の青年会議所が共に手をとり小豆島から運び据えたもの
「残念石」を表に出そうという両者の気持ちが素晴らしいじゃないですか、ね^^
おやおや9時になったのに門も開かないし、長男も来ない^^;
肥後時間はここでも通じるのか・・・
おお5分すぎて長男登場、それと同時に開門です
長男分の周遊パスも利用してスムーズに入ります、普通は天守閣には600円必要ですけど^^

こちらは小天守台にある「金明水」

井筒は1個の石をくり貫いたもので、この建物を「金明水井戸屋形」と言います
秀吉が毒気を抜くために黄金を沈めたという伝説がありますが
井戸は徳川幕府の大阪城再築の際に掘られたことが判明、伝説は伝説でしかないということでしょうか
“きんきらきん”の正体?
原寸大でしょうか、やっぱり派手だ^^

試着コーナーもありました
ちょっとは興味あったんですよ?

でも、あまりに突拍子もない兜の形に尻込みしてしまいました
よかった?、らぼっちが試着してみるって言わなくて(笑)
あ、加藤清正の兜もあったんだ?、それは不覚じゃった!
3階4階は撮影禁止、5階では大阪夏の陣の再現されていました

しまった、真田幸村の隊の方から撮ればよかった、あっち側は人が多かったんだよな?
それに小さすぎて幸村の人形を探すのにも苦労しました
8階になる展望台に出てみました、さ、さっぶ??!!

「かなり吹雪いておるの?、これじゃ良い景色なぞ見えぬわい」(←誰?)
「おぬし、くせものか!」「なんでやねん!!」
そういえば昔も大阪弁てあったのかな?

近くのOBPのビルもよく見えな?い、大阪城ホールがかろうじてか^^;

誰じゃ雪の大阪城も粋なものかも、なんてほざいたのは!
あまりに降り過ぎて見えやしない、雨男ならぬ雪男? あはっ、それは違うか^^
下りて向かったのは北側、青屋門方面
どこを見ても大きな石垣、雪で滑らないよう用心して坂を下ります

工事中の極楽橋と大阪城です

なんか行くところ工事中って多いよな?、なんで?
この地にあった大坂本願寺に由来するらしい極楽橋、渡り心地はイマイチ^^;

昭和35年に復元された「青屋門」を通って向かうは水の上?♪
痩せた長男と並ぶとかなり太めに見えるらぼっち
本人は「ダウンを着てるせいだ」と言ってますが、それはどうだか^^;

<大阪城天守閣>
[所在地]大阪市中央区大阪城1?1
[開館時間]9:00?17:00(最終入館は16:30まで)
[休館日]年末年始(12月28日から翌年1月1日)
[利用料金]大人 600円 中学生以下 無料
[アクセス]地図はコチラ
大阪に着いた早々、長?い商店街を歩き天満宮を見たら日が暮れてしまいました^^;
ま、仕方ないやね、梅田をうろうろしてたのが3時半頃だもん
も?地下にもぐったら(地下街ですけど^^)北も南もわからん、そしてあっちこっち歩く歩く
いえ、決して迷ったわけじゃなく、乗り換えのために歩かなきゃいけないんです
どうしてこんなに便利悪いのかな?
駅の構内で出口を確認して出ているのに、いざ地上に出るとここはどこ?
そんなことが今回の初めての大阪、多かったです(笑)
さて、暗くなったので早速ホテルにチェックインして出直すことにしました
さすがに都会高いビルはもちろんたっくさんありますが
ホテルの近くのこの「シティータワー大阪」は見上げるとクラクラしました
見上げすぎて、思わず後ろにぶっ倒れそうになりました(笑)
いなかもんはこれだからね?、都会の人はビルを見上げることなんかしないし^^;
ホテルは部屋自体は少し狭かったですが
新しくて、ダブルの広さは充分だし、枕が3種類もあったのにはびっくり!
これで二人して5,400円ですから上等でしょう^^
「さて近くにいいお店がないかな?」とぶらぶら歩くもなかなか見つからない
「どうせなら大阪らしい店がいいよね」見つからないのに余計選択肢を狭めるふたり^^;
寒い中15分くらいうろうろして見つけたのがこちら
「おかん」 いいね?思いっきり大阪弁やないの^^
それでは「食い倒れその3」の始まりです
「こんばんは?!」先客もいなかったので熟年二人はカウンターの真ん中に座ることに
んんん?店の名前にそぐわない若いおねーちゃんのイラストが書いてありますよ
ありゃ??ん!(びっくりその一)
およそ「おかん」とは、かけ離れたイラストそっくりの左側の女性が“若女将”さんでした♪
まずは二人とも“生”を頼んでメニューや黒板を見ると
「えええーーーっ!!」 (びっくりその二)
どうして?なんで?
大阪に来たのに馬刺しなんて?(泣)
おまけに↑の若女将さんの後ろの「おすすめのお酒」で気づいた方はすごい^^
九州の芋焼酎がずら?り!
よく見たら焼酎のキープはそういうのばかりだった^^;
何か九州や熊本となにか縁でもあるのかと尋ねると「単にダンナの趣味です」あ、そう^^
熊本から来たと言うとびっくりされましたけどね
このお店はそのダンナとダンナのお母さん( 本物の“おかん”だ^^)が開いたんだそうで
昼間のランチはダンナとその“おかん”がされているとのこと
ま、仕方ないやね、梅田をうろうろしてたのが3時半頃だもん
も?地下にもぐったら(地下街ですけど^^)北も南もわからん、そしてあっちこっち歩く歩く
いえ、決して迷ったわけじゃなく、乗り換えのために歩かなきゃいけないんです
どうしてこんなに便利悪いのかな?
駅の構内で出口を確認して出ているのに、いざ地上に出るとここはどこ?
そんなことが今回の初めての大阪、多かったです(笑)
さて、暗くなったので早速ホテルにチェックインして出直すことにしました
さすがに都会高いビルはもちろんたっくさんありますが
ホテルの近くのこの「シティータワー大阪」は見上げるとクラクラしました

見上げすぎて、思わず後ろにぶっ倒れそうになりました(笑)
いなかもんはこれだからね?、都会の人はビルを見上げることなんかしないし^^;
ホテルは部屋自体は少し狭かったですが
新しくて、ダブルの広さは充分だし、枕が3種類もあったのにはびっくり!
これで二人して5,400円ですから上等でしょう^^
「さて近くにいいお店がないかな?」とぶらぶら歩くもなかなか見つからない
「どうせなら大阪らしい店がいいよね」見つからないのに余計選択肢を狭めるふたり^^;
寒い中15分くらいうろうろして見つけたのがこちら

「おかん」 いいね?思いっきり大阪弁やないの^^
それでは「食い倒れその3」の始まりです
「こんばんは?!」先客もいなかったので熟年二人はカウンターの真ん中に座ることに

んんん?店の名前にそぐわない若いおねーちゃんのイラストが書いてありますよ

ありゃ??ん!(びっくりその一)
およそ「おかん」とは、かけ離れたイラストそっくりの左側の女性が“若女将”さんでした♪
まずは二人とも“生”を頼んでメニューや黒板を見ると
「えええーーーっ!!」 (びっくりその二)

どうして?なんで?
大阪に来たのに馬刺しなんて?(泣)
おまけに↑の若女将さんの後ろの「おすすめのお酒」で気づいた方はすごい^^

九州の芋焼酎がずら?り!
よく見たら焼酎のキープはそういうのばかりだった^^;
何か九州や熊本となにか縁でもあるのかと尋ねると「単にダンナの趣味です」あ、そう^^
熊本から来たと言うとびっくりされましたけどね
このお店はそのダンナとダンナのお母さん( 本物の“おかん”だ^^)が開いたんだそうで
昼間のランチはダンナとその“おかん”がされているとのこと
夕方食べた粉もんがきいてすぐにお腹いっぱいになってしまった^^
〆に「名物!!かすうどん」を注文したのです↑
牛のホルモン(小腸)を脂が抜けるまでじっくり素揚げした油かすがのっています
肉の旨みが凝縮されているこの『かす』は思いのほか美味しかった^^
満足、満足と気分良く余韻に浸っていると(びっくりその三)
「サービスでーす!」

テーブルに置かれたこれは何でしょう?
卵焼き? ブッブー!
オムレツ? ブッブー!
正解は・・・

これも大阪名物! 「とんぺい焼き」 でした!
開けてびっくり玉手箱、とんかつ用の豚肉ちゃんが卵に包まれていたんです
柔らかくてとってもジューシー?でうんま?い♪
お腹いっぱいだったけどきっちりと美味しくいただきました
飛び込みのいちげんの客にこんな太っ腹なサービスなんて
大阪の人はケチだと言うけど、そんなこと全然ありませんね
認識を改めなければいけません^^;
そしてここでインプットされた「とんぺい焼き」、次の日衝撃の事実が!!!(笑)
寒い寒い大阪の夜、心も懐もほんわかあったまる「おかん」でのひとときでした♪

帰りのコンビニで見かけた肉まん

ネーミングにつられてつい買いそうになりましたが
別腹にもなりそうになくあきらめました^^;
さ?て明日はこの『大阪周遊パス』を使ってまわるぞ?☆
でも大雪予報が出てるんですよねぇ、大丈夫かな^^;

今日の夕方4時半頃、無事に大阪から戻ってきました
熊本空港で雪が舞っているのにはびっくり!
今回の大阪ツアーは最初から最後まで雪がおつきあいしてくれました^^
それではまず、初日をずずーいと行きましょうか
天草エアラインはカナダ・ボンバルディア社製の双発プロペラ機です
あまりに小さいので最初は到着しているのに気づかなかった^^
胴体には可愛いイルカの絵が描かれています
車輪が出ない事故を何度か起こしているのでちょっと不安もありましたが無事に到着^^
プロペラによる揺れを少し感じ音は少しうるさいですが、行きも帰りも快適な空の旅でした
それよりも機内はキャビンアテンダントが一人なんですが笑顔が絶えることはありません
その優しい笑顔に少々の不安なんか吹き飛ばしてもらえます
紙パックのお茶やみかんジュース、果実のポンカン、飴玉とたっくさんのサービスあり
大阪行きなら大手航空会社より絶対いいですよ、時間さえ合えばですけど^^v
いかん、本題に入らねば^^
さて、最初の観光は「天神橋筋商店街」
日本一長い全長2.6kmの商店街で「大阪天満宮」まで続いています
(日本一長いという看板はこちら以外にもあるようですね)
さーて、天六(天神橋筋六丁目)あたりから歩きますよ♪
この商店街、長いのは長いんですが結構狭い^^;
はいここで、大阪に来ての有り得ない第一印象!
この狭い通路をびゃんびゃん自転車が走るんですよ、しかもチャリンチャリン鳴らして
何度もひやっとしました、アリエナーイ!
ここでまず、「食い倒れその1」
途中で軽?く粉ものを、「わなか」のたこせん!
でも、これって食べづらいっす
この組み合わせが必要だったのかなぁ^^;
さて、歩き再開!とっちんはたこせん食べたら
もう大阪のおばちゃんとして、しっかり溶け込んでますよ^^
ほう、アーケードの天井に鳥居が、天神様が近いのかな
何種類かの色に変わり、最後に赤になりました
そして天満宮の大きな提灯、天神様はこの先ですね
天満宮に向かう前に通りの角にあった「お好み焼き たから」さんで、「食い倒れその2」
たこ焼きは、あえてソースとマヨネーズを断って
しょうゆダシの素の味をいただき^^
大阪本場のたこ焼きって、外はカリッ、中はトロットロというかすごくゆるいんですね
お好み焼きは、豚イカを注文、やはりこのビジュアルでしよう
キャベツもいっぱい入って肉厚、でもふんわり!
火傷するくらい熱いけど進む進む、もちろんコテでいただきました^^
さあ、お腹も満たされたところで
暗くなる前に天神様にお参りに行かなくっちゃ^^
大阪天満宮は学問の神様菅原道真を祀る古社
地元では「天満の天神さん」として親しまれています
901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。
903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる
。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。
そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。(Wikipediaより)
一番大きな南門です
門をくぐるときはお辞儀の後、見上げて入る
天井には鮮やかな十二支方位盤がありました
そして大きな注連縄と横には鳳凰かな?見事な彫刻
手水舎では水がないので、あれっと思うと
なんと自動で水がでてくるではないですか、進んどる?
でも何に反応していたかは分からず^^
拝殿では夕方にもかかわらず、お参りされる方が絶えません
ただ境内は梅祭りの準備で臨時テントがた?くさん♪
登龍門前にもテントが張られてほとんど見えません
観光としてはタイミング悪かったかな^^;
記事も歩きもちょっと急ぎ足の一日目でした
熊本空港で雪が舞っているのにはびっくり!
今回の大阪ツアーは最初から最後まで雪がおつきあいしてくれました^^
それではまず、初日をずずーいと行きましょうか
天草エアラインはカナダ・ボンバルディア社製の双発プロペラ機です

あまりに小さいので最初は到着しているのに気づかなかった^^
胴体には可愛いイルカの絵が描かれています

車輪が出ない事故を何度か起こしているのでちょっと不安もありましたが無事に到着^^
プロペラによる揺れを少し感じ音は少しうるさいですが、行きも帰りも快適な空の旅でした
それよりも機内はキャビンアテンダントが一人なんですが笑顔が絶えることはありません
その優しい笑顔に少々の不安なんか吹き飛ばしてもらえます
紙パックのお茶やみかんジュース、果実のポンカン、飴玉とたっくさんのサービスあり
大阪行きなら大手航空会社より絶対いいですよ、時間さえ合えばですけど^^v
いかん、本題に入らねば^^
さて、最初の観光は「天神橋筋商店街」
日本一長い全長2.6kmの商店街で「大阪天満宮」まで続いています
(日本一長いという看板はこちら以外にもあるようですね)
さーて、天六(天神橋筋六丁目)あたりから歩きますよ♪
この商店街、長いのは長いんですが結構狭い^^;

はいここで、大阪に来ての有り得ない第一印象!
この狭い通路をびゃんびゃん自転車が走るんですよ、しかもチャリンチャリン鳴らして
何度もひやっとしました、アリエナーイ!

ここでまず、「食い倒れその1」
途中で軽?く粉ものを、「わなか」のたこせん!

でも、これって食べづらいっす
この組み合わせが必要だったのかなぁ^^;


さて、歩き再開!とっちんはたこせん食べたら
もう大阪のおばちゃんとして、しっかり溶け込んでますよ^^

ほう、アーケードの天井に鳥居が、天神様が近いのかな

何種類かの色に変わり、最後に赤になりました

そして天満宮の大きな提灯、天神様はこの先ですね

天満宮に向かう前に通りの角にあった「お好み焼き たから」さんで、「食い倒れその2」

たこ焼きは、あえてソースとマヨネーズを断って
しょうゆダシの素の味をいただき^^
大阪本場のたこ焼きって、外はカリッ、中はトロットロというかすごくゆるいんですね

お好み焼きは、豚イカを注文、やはりこのビジュアルでしよう

キャベツもいっぱい入って肉厚、でもふんわり!
火傷するくらい熱いけど進む進む、もちろんコテでいただきました^^

さあ、お腹も満たされたところで
暗くなる前に天神様にお参りに行かなくっちゃ^^
大阪天満宮は学問の神様菅原道真を祀る古社
地元では「天満の天神さん」として親しまれています
901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。
903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる
。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。
そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。(Wikipediaより)
一番大きな南門です

門をくぐるときはお辞儀の後、見上げて入る
天井には鮮やかな十二支方位盤がありました

そして大きな注連縄と横には鳳凰かな?見事な彫刻

手水舎では水がないので、あれっと思うと
なんと自動で水がでてくるではないですか、進んどる?
でも何に反応していたかは分からず^^

拝殿では夕方にもかかわらず、お参りされる方が絶えません
ただ境内は梅祭りの準備で臨時テントがた?くさん♪

登龍門前にもテントが張られてほとんど見えません
観光としてはタイミング悪かったかな^^;


記事も歩きもちょっと急ぎ足の一日目でした

<大阪天満宮>
[所在地]大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
[アクセス]地図はコチラ
年度末の忙しい時期ではありますが、今日一日休みを頂き
今から大阪へ飛びます^^
実は以前から大阪に住む長男が「交通費を出すから遊びに来んね」
と言ってくれてたんです
その話をとっちんにばっかりにするもんだから
らぼっちは「なんや、父さんは行ったらいかんとか」と聞くと
「仕方ないな、いいよ^^」との返事!
誰のお陰で大きくなった!とは言わず
「ありがとうな?」と返しときました^^
でも飛行機代二人分となると高いよね、と思案していたんですが
思い出しました、この方の記事!
神戸便は廃止となりましたが、大阪伊丹空港便が新設されているではありませんか
そうです、天草エアラインはすごく安いんです
一週間以上前に予約すると
土日関係なく片道8,000円、二人で往復32,000円ですから♪
まあ、これなら息子の懐にもあまり影響しないかな
だって、「安っ!」と言ってくれましたから^^
1泊ではあんまりなので2泊してきまーす
二人とも大阪は初めてなので、マニアックなところは外して(って、知らないだろ)
有名な観光所を巡ってきます
で困るのはこのお方、ペットホテルで初のお泊りです
とっちんは「私は置いてかれるラボの顔見きらん、無理だけん連れてって」だと
不安そうな表情でしたが、お店の方に撫でられていたのでちょっと安心
でも離れるときの寂しそうな表情と鳴き声に後ろ髪を引かれる
少しの辛抱だからね、と言い聞かせて預けてきました
うーん、ちょっと切ない
ということで、明日の記事はお休みします♪
ところで大阪地方は雪の予報なんですよね
熟年夫婦、日頃の行いがよほど悪いんだろうな^^;
ほんじゃ、皆様行ってきま?す^^/
今から大阪へ飛びます^^
実は以前から大阪に住む長男が「交通費を出すから遊びに来んね」
と言ってくれてたんです
その話をとっちんにばっかりにするもんだから
らぼっちは「なんや、父さんは行ったらいかんとか」と聞くと
「仕方ないな、いいよ^^」との返事!
誰のお陰で大きくなった!とは言わず
「ありがとうな?」と返しときました^^
でも飛行機代二人分となると高いよね、と思案していたんですが
思い出しました、この方の記事!
神戸便は廃止となりましたが、大阪伊丹空港便が新設されているではありませんか
そうです、天草エアラインはすごく安いんです
一週間以上前に予約すると
土日関係なく片道8,000円、二人で往復32,000円ですから♪
まあ、これなら息子の懐にもあまり影響しないかな
だって、「安っ!」と言ってくれましたから^^
1泊ではあんまりなので2泊してきまーす
二人とも大阪は初めてなので、マニアックなところは外して(って、知らないだろ)
有名な観光所を巡ってきます
で困るのはこのお方、ペットホテルで初のお泊りです
とっちんは「私は置いてかれるラボの顔見きらん、無理だけん連れてって」だと

不安そうな表情でしたが、お店の方に撫でられていたのでちょっと安心
でも離れるときの寂しそうな表情と鳴き声に後ろ髪を引かれる

少しの辛抱だからね、と言い聞かせて預けてきました
うーん、ちょっと切ない
ということで、明日の記事はお休みします♪
ところで大阪地方は雪の予報なんですよね
熟年夫婦、日頃の行いがよほど悪いんだろうな^^;
ほんじゃ、皆様行ってきま?す^^/
春が来た!!
土手にちょっと気の早い土筆が顔を出していました
少しずつではありますが、確実に暖かくなっているんですね^^
さて今日はちょっと美味しいもののご紹介♪
まずは「アグリパーク豊野」で見つけたコレ
ふふ何でしょう?
豊野といえばコレ、「干し柿」なんだそうです^^
干し柿まるまんまだと数も多いし結構いいお値段、そこで迷っていると
こんな風に切ってあるのが横にありました
パックに入っているし種もなく食べやすい、たっぷり3個分くらいあったんじゃないかな
これで150円はお買い得でした
「なんで1パックしか買わなかったの?」とらぼっちに突っ込まれましたが
らぼっちがそんなに好きだとは知らなかったんだもん^^;
半額のシールにつられて買ったおまんじゅうのパック
どれも甘さ控えめで美味しかったんですよ?
でも、いか?ん!いちご大福がどうもおっ○いに見えてしまう^^;
中のいちごはすっごくみずみずしかったです
そしてこの「チーズまんじゅう」
直径5cmくらい、そんなに大きくないのでどうかな?と思ってたんですが
これが食べてびっくりでした
まんじゅうと表示してあったので、そのつもりで手にとると「あら??」と言います^^
そして「かたい!」そう、まんじゅうだったら皮になる部分が固いんです
そこでまんじゅうという概念を取り払わなければなりません、それってどうなの?と思いつつ
「パク!!」
うっほほ?、これ美味しい?♪
まわりはクッキーです、そしてチーズのカタマリがごろっと入っていてベストマッチです
いい意味で期待を裏切ってくれました
今度からここを通る時は買いに寄らないといけません^^
そして三角の「フィッシャーマンズワーフ・ラガール」で
「みかんケーキ」
はい?ダイコン使用にコラーゲン入り?
別にダイコン臭くないですよ(へ、そういうことじゃござんせんね^^;)
甘さはほんのりです、が、みかんが少ないんじゃ?
残念ながら思ったほどみかんの風味がしませんでした
こちらは同じ製造元の米粉をしようした「デコポンシフォンケロール」
なんと手に取ったその日が初お目見えだったそうです
こちらは生地ではなくジャムにしたデコポンが間にはさんで巻いてあるようです
しっとり、さっぱりの美味しいロールケーキでした
それから米粉といえばもうひとつ、「米の粉万十」です
これは万十というより、もちと言ったほうがいいかも
とってもやわらか?くて手でつかんで食べるのはちょっとたいへんです
実はこのシールに惹かれたんです^^
結構大きくて甘さもかなり控えめ、きなことの相性も抜群で旨かったな?♪
方々の物産館での“掘り出し物”にもその土地の文化が息づいています
おっしゃれ?なお店よりも物産館のほうが似合っている熟年は
これからも物産館を見つけては立ち寄ることでしょう、新鮮な野菜もあるし^^
「ふっ、どうせボクには何もくれないんだろ・・・」
食い意地の張ったコイツはいつもイジケモードです
そろそろ散歩にはいい気候になったんですけどね^^;、

土手にちょっと気の早い土筆が顔を出していました
少しずつではありますが、確実に暖かくなっているんですね^^
さて今日はちょっと美味しいもののご紹介♪
まずは「アグリパーク豊野」で見つけたコレ

ふふ何でしょう?
豊野といえばコレ、「干し柿」なんだそうです^^
干し柿まるまんまだと数も多いし結構いいお値段、そこで迷っていると
こんな風に切ってあるのが横にありました
パックに入っているし種もなく食べやすい、たっぷり3個分くらいあったんじゃないかな
これで150円はお買い得でした
「なんで1パックしか買わなかったの?」とらぼっちに突っ込まれましたが
らぼっちがそんなに好きだとは知らなかったんだもん^^;
半額のシールにつられて買ったおまんじゅうのパック

どれも甘さ控えめで美味しかったんですよ?
でも、いか?ん!いちご大福がどうもおっ○いに見えてしまう^^;
中のいちごはすっごくみずみずしかったです
そしてこの「チーズまんじゅう」

直径5cmくらい、そんなに大きくないのでどうかな?と思ってたんですが
これが食べてびっくりでした
まんじゅうと表示してあったので、そのつもりで手にとると「あら??」と言います^^
そして「かたい!」そう、まんじゅうだったら皮になる部分が固いんです
そこでまんじゅうという概念を取り払わなければなりません、それってどうなの?と思いつつ
「パク!!」

うっほほ?、これ美味しい?♪
まわりはクッキーです、そしてチーズのカタマリがごろっと入っていてベストマッチです
いい意味で期待を裏切ってくれました
今度からここを通る時は買いに寄らないといけません^^
そして三角の「フィッシャーマンズワーフ・ラガール」で
「みかんケーキ」

はい?ダイコン使用にコラーゲン入り?
別にダイコン臭くないですよ(へ、そういうことじゃござんせんね^^;)

甘さはほんのりです、が、みかんが少ないんじゃ?
残念ながら思ったほどみかんの風味がしませんでした
こちらは同じ製造元の米粉をしようした「デコポンシフォンケロール」
なんと手に取ったその日が初お目見えだったそうです

こちらは生地ではなくジャムにしたデコポンが間にはさんで巻いてあるようです
しっとり、さっぱりの美味しいロールケーキでした

それから米粉といえばもうひとつ、「米の粉万十」です

これは万十というより、もちと言ったほうがいいかも
とってもやわらか?くて手でつかんで食べるのはちょっとたいへんです
実はこのシールに惹かれたんです^^

結構大きくて甘さもかなり控えめ、きなことの相性も抜群で旨かったな?♪
方々の物産館での“掘り出し物”にもその土地の文化が息づいています
おっしゃれ?なお店よりも物産館のほうが似合っている熟年は
これからも物産館を見つけては立ち寄ることでしょう、新鮮な野菜もあるし^^
「ふっ、どうせボクには何もくれないんだろ・・・」

食い意地の張ったコイツはいつもイジケモードです
そろそろ散歩にはいい気候になったんですけどね^^;、
<アグリパーク豊野>
[所在地]熊本県宇城市豊野町山崎599
[アクセス]地図はコチラ
<三角フィッシャーマンズワーフ・ラガール>
[所在地]熊本県宇城市三角町三角浦1160-179
[アクセス]地図はコチラ
今日は初午、熊本城稲荷神社や高橋稲荷神社では福もちまきがあったようですね
すごい人込みなので行ったことはないのですが
その光景をニュースで見てるともちが頭にあたって痛くないのか、とか
下に落ちてしまったもちは踏まれたりしてないだろうか、とか
余計なことばかり考えてしまいます
景気がよくなるように、福を手にするための初午祭に行ってくりゃいいのに
こんなんじゃ“福”は我が家にはやってくるはずありませんよね^^;
福城寺からの帰り、寒いしもうすぐ日も暮れるのでとっとと帰ることにしていたのです
県道220号線をそのまま甲佐町に出ようと走らせていると、おもしろい橋に遭遇しました
車は通れないし、人が通るには頑丈過ぎる、なんだこれはと思って車を止めてみました
どうも廃線跡のような気がして調べてみると、なんと内大臣森林鉄道跡だったのです
ははあ、だから赤い鉄橋だったわけだ
そうかそうか、ここから霊台橋のトンネルに通じていたんですね
下りてからもうちょっと詳しく見ればよかった^^;
山都町の木材を運ぶのに甲佐町の貯木場まで繋がっていた内大臣森林鉄道
昭和42年まで使われていた線路がここにあったんだ、わあ、思わぬ発見でした
ということは、他にもまだ鉄道跡の遺構が残っているのだろうか
このあたり熊延鉄道だけじゃなかったんだ、こりゃちょっと忙しくなりそうだな(笑)
さて、今度こそ帰ろうと思っって車を走らせていると鳥居を発見
そこで思い出す、健軍神社の初詣の際に行ったことがなかった神社のことを!
阿蘇四社の残りひとつは、ここにあったんだ(笑)
いい雰囲気じゃないですか?^^
珍しく由緒が道路際、鳥居の横に掲げられています
う?ん、屋根や造りは立派ですが、全く読む気になれません^^;
なぜかって?そりゃ文字はかすれているしおまけに漢字とカタカタの難しく長?い文章だからです
眺めただけで頭痛がしてくる・・・
これを読もうとする人、尊敬します(笑)
こちらには狛犬さんの代わりにこういったものがありました
高さは3mくらいあります
左にはえっ?と、これは龍でしょうか、髭もないし角もないし・・・
こちらにはおもしろいものが載っていませんね?
あら??ちょっと待って、これはなんぞや?
ぎゃーー、誰かが石灯籠を抱えてるじゃん、しかも片方の肩で!力持ち?^^
ちょんまげあるし、仁王さん?じゃなかったら力士?じゃなかったら・・・わからん(笑)
こりゃおもしろい!こんな遊び心(たぶん)は興味深いですね^^
それにしても、左右が全く違う形とはね
こちらはやっぱり龍でした、よく見れば下の笠のところにも模様が彫られています
しかし間が抜けた感じで迫力ね?な(笑)「ごめんなさい」
ささ、拝殿に行ってみましょうか
普通の石灯籠と並んで2本の萱の木?が参道に立っています
古そうですが、そこまでの彫刻はありませんね
お参りお参り!
甲佐神社は阿蘇神社の二の宮とよばれています
健軍神社、郡浦神社とともに阿蘇四社とされていることは前にも紹介しました
創立は西暦紀元前189年ということです
『阿蘇にいたタケイワタツノミコト(健磐龍命)という神様が朝鮮半島にわたり、
帰ってくるときに対馬の女性を連れ帰りました。
この二人のあいだに生まれた子が7歳になったとき、
「甲佐明神(みょうじん)」=神八井耳命(カムヤイミミノミコト)という名前をもらい、
甲佐へ行くようにと命じました。
こうして、甲佐地方は甲佐明神によって治められるようになり、現在も甲佐神社には、
この甲佐明神と仁寿元年(851年)にまつられた健磐龍命ら阿蘇の神様がまつられています。』
(県庁HPより)
拝殿に設置された賽銭箱の家紋は「甲斐氏」の家紋“打違い鷹の羽”と同じらしいです
「阿蘇氏」の家紋には丸印がないとのこと、えへ、今知りました^^;
拝殿の中には絵が掲げられています、ゴザも敷いてあります
え、よく見ると「絵馬順路←」と書いてありますよね
ということはここに上がってもいいってこと?
あ?、らぼっちもう靴脱いでるし^^;
失礼しま?す^^
ここには鎌倉時代、肥後の御家人竹崎季長(たけさきすえなが)が奉納した
「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」の拡大模写がありました
竹崎季長は元寇の際、戦功を上げたにもかかわらず、恩賞が与えられませんでした
その後、ここ甲佐神社にお参りすると神様から鎌倉に行くようお告げがあり
幕府に直訴、結果、戦功が認められ甲佐神社の社領だった土地の地頭職を獲得しました
それに感謝して蒙古襲来絵詞をここ甲佐神社に奉納したといわれています
「蒙古襲来絵詞」はたいへん貴重な資料とされ
明治時代に皇室に献上されるまでは甲佐神社に所蔵されていたようです
甲佐町在住の有志の方々が大絵馬10枚を作成して甲佐神社に奉納されています
都合上3枚をご紹介しましたが、10枚とも見事な絵ばかりでした
拝殿に上がらせていただいたのでしっかり一礼して外に出ました
どら、社殿を見てみましょうかね
そんなに大きくはなく落ち着いた造りです、電線が邪魔ですが^^;
後ろ側にまわると穴の開いた長い箱型のものが取り付けてありました
何だろ、巣箱?物入れ?(あんな高いところ誰が何を入れるんだよ!)
こちらは・・・
神八井耳命(カムヤイミミノミコト)のお墓らしいです
大正八年の文字の石柱がありましたが、その年に柵が立てられたのでしょう
そしてこの像は何なんですかね、わからない・・・
いやはやなんともわからないことだらけではありましたが、雰囲気はとてもいいところでした
よくよく調べているとこの甲佐神社は、阿蘇神社に次ぐ県内2番目の歴史があるということで
今年平成23年に御創立二千二百年を迎えるようです
あちゃ?、そうと知っていたらもう少しお賽銭をはずんでおけばよかったかな(笑)
これにて、豊野町、美里町、甲佐町のドライブは終わりです
10日も引っ張っちゃて、申し訳ございません
おつき合い、ありがとうございました♪

すごい人込みなので行ったことはないのですが
その光景をニュースで見てるともちが頭にあたって痛くないのか、とか
下に落ちてしまったもちは踏まれたりしてないだろうか、とか
余計なことばかり考えてしまいます
景気がよくなるように、福を手にするための初午祭に行ってくりゃいいのに
こんなんじゃ“福”は我が家にはやってくるはずありませんよね^^;
福城寺からの帰り、寒いしもうすぐ日も暮れるのでとっとと帰ることにしていたのです
県道220号線をそのまま甲佐町に出ようと走らせていると、おもしろい橋に遭遇しました

車は通れないし、人が通るには頑丈過ぎる、なんだこれはと思って車を止めてみました
どうも廃線跡のような気がして調べてみると、なんと内大臣森林鉄道跡だったのです

ははあ、だから赤い鉄橋だったわけだ
そうかそうか、ここから霊台橋のトンネルに通じていたんですね
下りてからもうちょっと詳しく見ればよかった^^;
山都町の木材を運ぶのに甲佐町の貯木場まで繋がっていた内大臣森林鉄道
昭和42年まで使われていた線路がここにあったんだ、わあ、思わぬ発見でした
ということは、他にもまだ鉄道跡の遺構が残っているのだろうか
このあたり熊延鉄道だけじゃなかったんだ、こりゃちょっと忙しくなりそうだな(笑)
さて、今度こそ帰ろうと思っって車を走らせていると鳥居を発見
そこで思い出す、健軍神社の初詣の際に行ったことがなかった神社のことを!
阿蘇四社の残りひとつは、ここにあったんだ(笑)

いい雰囲気じゃないですか?^^
珍しく由緒が道路際、鳥居の横に掲げられています

う?ん、屋根や造りは立派ですが、全く読む気になれません^^;
なぜかって?そりゃ文字はかすれているしおまけに漢字とカタカタの難しく長?い文章だからです
眺めただけで頭痛がしてくる・・・
これを読もうとする人、尊敬します(笑)
こちらには狛犬さんの代わりにこういったものがありました
高さは3mくらいあります
左にはえっ?と、これは龍でしょうか、髭もないし角もないし・・・

こちらにはおもしろいものが載っていませんね?

あら??ちょっと待って、これはなんぞや?
ぎゃーー、誰かが石灯籠を抱えてるじゃん、しかも片方の肩で!力持ち?^^
ちょんまげあるし、仁王さん?じゃなかったら力士?じゃなかったら・・・わからん(笑)

こりゃおもしろい!こんな遊び心(たぶん)は興味深いですね^^
それにしても、左右が全く違う形とはね
こちらはやっぱり龍でした、よく見れば下の笠のところにも模様が彫られています

しかし間が抜けた感じで迫力ね?な(笑)「ごめんなさい」
ささ、拝殿に行ってみましょうか
普通の石灯籠と並んで2本の萱の木?が参道に立っています

古そうですが、そこまでの彫刻はありませんね
お参りお参り!

甲佐神社は阿蘇神社の二の宮とよばれています
健軍神社、郡浦神社とともに阿蘇四社とされていることは前にも紹介しました
創立は西暦紀元前189年ということです
『阿蘇にいたタケイワタツノミコト(健磐龍命)という神様が朝鮮半島にわたり、
帰ってくるときに対馬の女性を連れ帰りました。
この二人のあいだに生まれた子が7歳になったとき、
「甲佐明神(みょうじん)」=神八井耳命(カムヤイミミノミコト)という名前をもらい、
甲佐へ行くようにと命じました。
こうして、甲佐地方は甲佐明神によって治められるようになり、現在も甲佐神社には、
この甲佐明神と仁寿元年(851年)にまつられた健磐龍命ら阿蘇の神様がまつられています。』
(県庁HPより)
拝殿に設置された賽銭箱の家紋は「甲斐氏」の家紋“打違い鷹の羽”と同じらしいです
「阿蘇氏」の家紋には丸印がないとのこと、えへ、今知りました^^;

拝殿の中には絵が掲げられています、ゴザも敷いてあります

え、よく見ると「絵馬順路←」と書いてありますよね
ということはここに上がってもいいってこと?
あ?、らぼっちもう靴脱いでるし^^;
失礼しま?す^^
ここには鎌倉時代、肥後の御家人竹崎季長(たけさきすえなが)が奉納した
「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」の拡大模写がありました

竹崎季長は元寇の際、戦功を上げたにもかかわらず、恩賞が与えられませんでした
その後、ここ甲佐神社にお参りすると神様から鎌倉に行くようお告げがあり
幕府に直訴、結果、戦功が認められ甲佐神社の社領だった土地の地頭職を獲得しました

それに感謝して蒙古襲来絵詞をここ甲佐神社に奉納したといわれています
「蒙古襲来絵詞」はたいへん貴重な資料とされ
明治時代に皇室に献上されるまでは甲佐神社に所蔵されていたようです

甲佐町在住の有志の方々が大絵馬10枚を作成して甲佐神社に奉納されています
都合上3枚をご紹介しましたが、10枚とも見事な絵ばかりでした
拝殿に上がらせていただいたのでしっかり一礼して外に出ました
どら、社殿を見てみましょうかね

そんなに大きくはなく落ち着いた造りです、電線が邪魔ですが^^;
後ろ側にまわると穴の開いた長い箱型のものが取り付けてありました

何だろ、巣箱?物入れ?(あんな高いところ誰が何を入れるんだよ!)
こちらは・・・
神八井耳命(カムヤイミミノミコト)のお墓らしいです

大正八年の文字の石柱がありましたが、その年に柵が立てられたのでしょう
そしてこの像は何なんですかね、わからない・・・

いやはやなんともわからないことだらけではありましたが、雰囲気はとてもいいところでした
よくよく調べているとこの甲佐神社は、阿蘇神社に次ぐ県内2番目の歴史があるということで
今年平成23年に御創立二千二百年を迎えるようです
あちゃ?、そうと知っていたらもう少しお賽銭をはずんでおけばよかったかな(笑)
これにて、豊野町、美里町、甲佐町のドライブは終わりです
10日も引っ張っちゃて、申し訳ございません
おつき合い、ありがとうございました♪

<甲佐神社>
[所在地]熊本県上益城郡甲佐町大字上揚882
[アクセス]地図はコチラ
先週からだらだらと豊野町から美里町の記事を綴っております
まだ先月の話かいって思われるでしょうが、でもそんなことには挫けない熟年です♪
今回ちょこっと寄り道して行くつもりがおもしろ過ぎるものばかり、目を奪われ足を捕られ
ようやくこの日の本チャンにたどり着いた次第でございます^^;
去年この方々が行かれていてとても興味がわき、「行くぞ?!」と思いつつ2ヶ月が過ぎてしまいました
こうやって時季を逃すのはいつものことですが・・・
本日も少々長くなるかも、お急ぎの方はびゃーんとすっ飛ばして見てちょんまげ(笑)
美里町の今地区から県道321号線に入ります
緑川を渡ったら右折、そろそろ案内板があるんじゃないかという道を通り過ぎたもよう
もー、また我が家のナビ君は近い道を案内してくれていなかった?^^;
というか、道ないじゃん!!
ま、行けるんだからいいっかーと思いながら進む二人の会話
「本当にこの道合ってるんだよね??」らぼっち
「こんな山道は他にないだろうから着くんじゃないの??」とっちん
「やっぱ違うんじゃない?」らぼっち
「だってその方向に進んでるから大丈夫だって!」とっちん
ほらちゃんと集落もあるし^^
でもここってすごく高いところなんですよね
なんたって標高753mもある甲佐岳の頂上に近いところなんですから
すんげー、山が下に見える?!なんてね(笑)
向かいに見える山の標高は1000mを越える山々ですから、こちらよりははるかに高いんですよ
道は狭かったけど無事に着きました^^
お、これが仁王様ですね♪
ガシャーンガシャーンと動き出しそうな気配を感じました、ん?こちらは乳首がない@@
乳首はやっぱり取り外しがきくんだな
ないとかわいそうだし、あればあったでなんだかちょっぴりエロイ^^;
おっと♪
いたいた神様?う?んやっぱ寺だから寺の守り主かな?
クンクンクンクン・・・ず?っと臭われました^^;
ほうこの山には十六坊もの寺が存在していたのですね
ここだけで六体もの仏像があるのもすごいじゃないですか^^
参道の途中にはいろいろと興味深い場所があります
おや、主さんが心配して付いてきました
そうだ、テルルさんやmaiちゃんみたいに横に座ってくれるかな?
まだ先月の話かいって思われるでしょうが、でもそんなことには挫けない熟年です♪
今回ちょこっと寄り道して行くつもりがおもしろ過ぎるものばかり、目を奪われ足を捕られ
ようやくこの日の本チャンにたどり着いた次第でございます^^;
去年この方々が行かれていてとても興味がわき、「行くぞ?!」と思いつつ2ヶ月が過ぎてしまいました
こうやって時季を逃すのはいつものことですが・・・
本日も少々長くなるかも、お急ぎの方はびゃーんとすっ飛ばして見てちょんまげ(笑)
美里町の今地区から県道321号線に入ります
緑川を渡ったら右折、そろそろ案内板があるんじゃないかという道を通り過ぎたもよう
もー、また我が家のナビ君は近い道を案内してくれていなかった?^^;
というか、道ないじゃん!!
ま、行けるんだからいいっかーと思いながら進む二人の会話
「本当にこの道合ってるんだよね??」らぼっち
「こんな山道は他にないだろうから着くんじゃないの??」とっちん
「やっぱ違うんじゃない?」らぼっち
「だってその方向に進んでるから大丈夫だって!」とっちん

ほらちゃんと集落もあるし^^
でもここってすごく高いところなんですよね
なんたって標高753mもある甲佐岳の頂上に近いところなんですから

すんげー、山が下に見える?!なんてね(笑)
向かいに見える山の標高は1000mを越える山々ですから、こちらよりははるかに高いんですよ
道は狭かったけど無事に着きました^^

お、これが仁王様ですね♪
ガシャーンガシャーンと動き出しそうな気配を感じました、ん?こちらは乳首がない@@

乳首はやっぱり取り外しがきくんだな
ないとかわいそうだし、あればあったでなんだかちょっぴりエロイ^^;

おっと♪

いたいた神様?う?んやっぱ寺だから寺の守り主かな?
クンクンクンクン・・・ず?っと臭われました^^;

ほうこの山には十六坊もの寺が存在していたのですね
ここだけで六体もの仏像があるのもすごいじゃないですか^^

参道の途中にはいろいろと興味深い場所があります
おや、主さんが心配して付いてきました

そうだ、テルルさんやmaiちゃんみたいに横に座ってくれるかな?
ぎゃははははは^^
「わ?ん、どうして座ってくれないの?」
「オマエキライ・・・・」

らぼっちの気持ちは手水鉢の水のように凍り付いたのであった^^;
さて本堂です

いやいや素晴らしい彫刻ですよ^^

これは龍のようです、そう厚みもあるんですよ

ありゃ、この上には蜂が巣をかけていたんですね、しかも三つもあった^^;
どれも迫力ありますよ?^^

大丈夫、彫刻見てるだけで何も悪いことしてませんからね

お、これが「本尊十一面観世菩薩」様ですかね?

遠いし、暗いし、とても十一面あるようには見えないのですが^^;

お、これが年に2回だけ御開帳となる、国指定重要文化財の「釈迦如来像」がおられるお家?

むむむ、暗いーー!よしフラッシュをたこう!

当然中を見れるはずはなく、ちょっぴり赤っぽいお社が浮かびあがっただけでした^^;
年に2回とはいうものの1月と3月なんですよね?


おみくじは引きましたが、“ご自由にどうぞ”の御神酒には口をつけませんでした
とっちんだけでもいただいとけばよかったかな
らぼっちの引いたおみくじは「末小吉」だって、くくくっ
吉の中で一番下のランクじゃ、ついてないの?^^;

本堂の近くの公孫樹、大きいけど本命はこれじゃないんだな

下には大根が・・・わざと置いてある?

横のお堂には五体のお地蔵さま?

そのまた横のお堂、どこもお供えしてある大根がひときわ多い^^

暗い・・近づいてみよう
ここには「馬頭観音」様がちょっといかつい顔で立っておられました

そしてそしてその横を進んでいくとあるすごいもの♪

やはりここにも大根とみかんがありました

御神木の縄を張るのも大変だろうと思われる公孫樹の木
樹齢1000年とも言われる巨樹、とてもとても立派でございました

葉っぱがないので枝ぶりはバッチリ見えます
全国でも2位の大きさを誇るんだとか、幹周りが15.2mもあるというからそれも納得^^
最後まで付き合ってくれた主さん、ありがとうね♪
駐車場まで送ってくれたけど何もお土産なくてごめんなさい

やっとらぼっちになでなでさせてくれました、ちょっと嫌そうに見えるけど^^;
さあ、山を下りましょう
暮れなずんでくるとここはすごく寒くなりました

3月の御開帳には来れるかな、どうだろ^^
<福城寺>
[所在地]熊本県下益城郡美里町下益城郡美里町甲佐平2110
[アクセス]地図はコチラ
今日もまだまだ先週の豊野の続きっす、それにやっと昼食のお話(笑)
明日はやっとこの日のメインだった場所の記事が載せられるんだな?、長かった^^;
ま、それだけ見どころ満載であるにもかかわらず
熟年が迂闊にも訪れていなかったということの証でもあります
もちょいとお付き合い願います♪
さて昼食時間もとっくに過ぎた1時半、やってきたのはお気に入りの「コムシロン☆カフェ」さん^^
駐車場は満杯、かと思ったら1台分のスペースが空いてた、よかった?
ということは、席もいっぱいじゃなかろうか
よかった、ひとつだけ空いとりました^^;
研修中の女の子に案内されて座るやいなやメニューを見る(笑)
いつものメニューですが
おんや、新しいメニューがいくつかありますよ
チキン南蛮てのもあったけど、迷いに迷って
らぼっちは「コムシロン風トルコライス」
とっちんは「おすすめセット」をオーダー♪
まず出て来たのがスープ、えっ、二つも、らぼっちにはついてないはず・・
「こちらのスープはサービスになります」
あら?、ありがとうございます?、こんな心遣いはすごく嬉しいですね^^
そしてとっちんのサラダとガーリックトースト
さすがにトーストは一枚、当たり前か^^;
サラダの生ハムが美味しかった?、シャッキシャキの野菜とベストマッチング☆
らぼっちのサラダ
とっちんのサラダと自分のを比べる比べる^^;
そしてやけ食いのように食べてたけど、ちゃんと生ハムのサラダも半分食べてた(笑)
きた「トルコライス」
わーお、すごいボリュームです
ジューシーなチキンカツの大きいのが2枚ものっているし、パスタもたっくさん!
ミートソースげなのがかかっているのですが、ちょっとスパイシーな感じ
普段はあまりがっつりといけないらぼっちががっつがつ食べていました^^
そしてとっちん「エビと小柱とトマトのペペロンチーノ」を選択
エビはぷりぷり小柱も甘くてあっさりに見えますが、コクがあって美味しい♪
量もなかなか減らないくらいタップリこん、超満足です
最後はデザート「キャラメルレアチーズケーキ」だったかな?
毎回言いますが、ここのケーキは全部手作りで美味しいんですよね
コーヒーのカップもちゃんと色あわせをして入れて下さいます^^
外にいた親子連れの笑顔がとてもやさしくて和みました、ほのぼの?♪
さてお腹が満足した後は、近くにある「小筵橋」へ
一年近く前から見てみたいと思っていたのに、いつも通り過ぎていたんです
おお、こんなに立派だったんだと今まで来なかったことを悔やみながら早速下りてみました
公孫樹とのコラボはないけど全容はこの時期しか無理みたい^^
小筵川は短いのですが、この辺りは幅が50m深さ10mくらいあるそうです
よって橋の長さは47m、結構長いんですよ
文政12年(1829年)岩永三五郎の兄、嘉八によって築かれたとの話もありますが
それを証明するものが何もないとのことで、架橋年、石工は不明とされています
もちろん車は通れません
セメントで覆われたのも最近のようで、古い石橋には不釣合いでした^^;
この橋で珍しいのは“鞘石垣”らしいのですが、↑のことですかね
「鞘石垣とは、刀を納める鞘のように面が反っている石垣」だとか
やっぱこれでしょう、力強く橋を支えていて頼もしい限りです
ほう、橋の下側をよくよく見てみると、石の間は何かで塗り固められているんですね
この橋も隙間がすごかったってわけ?
よくこんなになっても崩れないもんだ、不思議です
ここは春は桜、秋は銀杏と四季の色合いさまざまな表情のある橋のようです
熟年が訪れたときも朝から雪が降っていましたが、梅がほころびかけていましたよ^^
さ、もいっちょ橋の話題、付き合ってちょm(__)m
佐俣の国道218号線の並んで架かっている「年祢橋」です
あ、いや並べて架けられたのは新しい国道の橋のほうです^^;
こちらはこの辺りではとても新しい橋です
大正13年(1924年)のアーチ橋なんです
石工は不明ですが、橋の長さ60m、幅は5.8mあります
ん?アーチが見えない
1、2、3・・・4つあるはずなのに見えない^^;
よ?し、こうなったら下に行くしかない、車で(笑)
やっぱり橋は下からよね?、よか景色じゃなかですか^^
しかも川の上流のほうへ歩いても行けるじゃん、こりゃ行かな?ん!
「日陰はやっぱ寒いよね?」と言って振り向くと
「行ってらっしゃ?い」と手を振るらぼっちがはるか後方にいたのです(笑)
「なんだ、なんだ、行かないのかよ!」こんな光景は滅多に見れるもんじゃないのにさ
と、すたこらさっさと河原を進みました
この川も雨が降って増水するとすごいんだろうな
そう思いながら振り返ると
わーー、絶景です☆
アーチの中には二俣小筵橋も見えてダブルの橋、天気も味方してくれました
この風景を見れなかったらぼっち、本当に惜しいことしたな
ずっと見ていても飽きないくらい素晴らしかったのですが、なんたって寒い(>_<)
後ろ髪を引かれながら、らぼっちの待つところへ引き揚げました
あ、そうそう下までまわり込んでも4連のアーチの写真は撮れませんでした、近すぎて(泣)
木も邪魔だったし、最後にはそのことも忘れてしまっていました
明日はやっとこの日のメインだった場所の記事が載せられるんだな?、長かった^^;
ま、それだけ見どころ満載であるにもかかわらず
熟年が迂闊にも訪れていなかったということの証でもあります
もちょいとお付き合い願います♪
さて昼食時間もとっくに過ぎた1時半、やってきたのはお気に入りの「コムシロン☆カフェ」さん^^

駐車場は満杯、かと思ったら1台分のスペースが空いてた、よかった?
ということは、席もいっぱいじゃなかろうか
よかった、ひとつだけ空いとりました^^;
研修中の女の子に案内されて座るやいなやメニューを見る(笑)
いつものメニューですが



おんや、新しいメニューがいくつかありますよ


チキン南蛮てのもあったけど、迷いに迷って
らぼっちは「コムシロン風トルコライス」
とっちんは「おすすめセット」をオーダー♪
まず出て来たのがスープ、えっ、二つも、らぼっちにはついてないはず・・

「こちらのスープはサービスになります」
あら?、ありがとうございます?、こんな心遣いはすごく嬉しいですね^^
そしてとっちんのサラダとガーリックトースト

さすがにトーストは一枚、当たり前か^^;
サラダの生ハムが美味しかった?、シャッキシャキの野菜とベストマッチング☆
らぼっちのサラダ

とっちんのサラダと自分のを比べる比べる^^;
そしてやけ食いのように食べてたけど、ちゃんと生ハムのサラダも半分食べてた(笑)
きた「トルコライス」

わーお、すごいボリュームです
ジューシーなチキンカツの大きいのが2枚ものっているし、パスタもたっくさん!
ミートソースげなのがかかっているのですが、ちょっとスパイシーな感じ
普段はあまりがっつりといけないらぼっちががっつがつ食べていました^^
そしてとっちん「エビと小柱とトマトのペペロンチーノ」を選択

エビはぷりぷり小柱も甘くてあっさりに見えますが、コクがあって美味しい♪
量もなかなか減らないくらいタップリこん、超満足です
最後はデザート「キャラメルレアチーズケーキ」だったかな?

毎回言いますが、ここのケーキは全部手作りで美味しいんですよね
コーヒーのカップもちゃんと色あわせをして入れて下さいます^^

外にいた親子連れの笑顔がとてもやさしくて和みました、ほのぼの?♪

さてお腹が満足した後は、近くにある「小筵橋」へ
一年近く前から見てみたいと思っていたのに、いつも通り過ぎていたんです

おお、こんなに立派だったんだと今まで来なかったことを悔やみながら早速下りてみました
公孫樹とのコラボはないけど全容はこの時期しか無理みたい^^

小筵川は短いのですが、この辺りは幅が50m深さ10mくらいあるそうです
よって橋の長さは47m、結構長いんですよ
文政12年(1829年)岩永三五郎の兄、嘉八によって築かれたとの話もありますが
それを証明するものが何もないとのことで、架橋年、石工は不明とされています

もちろん車は通れません
セメントで覆われたのも最近のようで、古い石橋には不釣合いでした^^;

この橋で珍しいのは“鞘石垣”らしいのですが、↑のことですかね
「鞘石垣とは、刀を納める鞘のように面が反っている石垣」だとか
やっぱこれでしょう、力強く橋を支えていて頼もしい限りです
ほう、橋の下側をよくよく見てみると、石の間は何かで塗り固められているんですね

この橋も隙間がすごかったってわけ?
よくこんなになっても崩れないもんだ、不思議です
ここは春は桜、秋は銀杏と四季の色合いさまざまな表情のある橋のようです
熟年が訪れたときも朝から雪が降っていましたが、梅がほころびかけていましたよ^^

さ、もいっちょ橋の話題、付き合ってちょm(__)m
佐俣の国道218号線の並んで架かっている「年祢橋」です
あ、いや並べて架けられたのは新しい国道の橋のほうです^^;

こちらはこの辺りではとても新しい橋です

大正13年(1924年)のアーチ橋なんです
石工は不明ですが、橋の長さ60m、幅は5.8mあります

ん?アーチが見えない
1、2、3・・・4つあるはずなのに見えない^^;

よ?し、こうなったら下に行くしかない、車で(笑)

やっぱり橋は下からよね?、よか景色じゃなかですか^^
しかも川の上流のほうへ歩いても行けるじゃん、こりゃ行かな?ん!
「日陰はやっぱ寒いよね?」と言って振り向くと

「行ってらっしゃ?い」と手を振るらぼっちがはるか後方にいたのです(笑)
「なんだ、なんだ、行かないのかよ!」こんな光景は滅多に見れるもんじゃないのにさ
と、すたこらさっさと河原を進みました

この川も雨が降って増水するとすごいんだろうな
そう思いながら振り返ると

わーー、絶景です☆
アーチの中には二俣小筵橋も見えてダブルの橋、天気も味方してくれました
この風景を見れなかったらぼっち、本当に惜しいことしたな
ずっと見ていても飽きないくらい素晴らしかったのですが、なんたって寒い(>_<)
後ろ髪を引かれながら、らぼっちの待つところへ引き揚げました
あ、そうそう下までまわり込んでも4連のアーチの写真は撮れませんでした、近すぎて(泣)
木も邪魔だったし、最後にはそのことも忘れてしまっていました
<KOMUSHIRON☆CAFE>
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<小筵橋>
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<年祢橋>
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夜8時前くらいに本渡から戻ってきました
来週はまたまた天草ネタなんですが、まだ豊野町ネタが有り余ってる
どうするん?^^
さて、豊野町の石橋、薩摩渡しに行く前にここに寄ってきました
「西川(にしごう)水源」です
こんな真冬に水源に行かなくてもって普通は思いますよね
はい、そう思いながらも看板見つけるとね、向かっちゃうんですよ^^
それが熟年マニアッカーの真骨頂♪
看板どおりに進むとため池の下の広い駐車場に出ました
西川水源は豊野町の東部の水晶山(標高334m)のふもとから豊富に湧き出す湧水です。
水晶山は、石灰岩が熱によって変化した結晶質石灰岩(大理石)という岩石からできています。
北斜面は阿蘇?4火砕流堆積物が埋めており
この火砕流堆積物の中を通ってきた水が湧出していると考えられます。
(県庁HPより)
ため池からは用水路に繋がっていますが
なんとまぁ、難しい形の幾何学模様♪
用水路、余水吐などが複雑に結ばれています^^
ため池に沿って道路があるので車で行けるところまで行ってみようかということに
とここで気づいたのがこの車止め(間から進入できますが^^)
なんでカメ、しかもウミガメ??、こんな山間部なのに・・・
この疑問はまだ解明できておりません^^
車で行けたのは100mくらいまで、ここから先は散策路としてきれいに整備されています
橋を渡る振動を感知したのか錦鯉が優雅に近づいてきます
餌はもってないよ?
でも溜まっているためか、水量が少ないためか
水はあまりきれいではないですね
また案内看板がありました
なになに、水源はもう少し上ですか
ここですね、西川水源♪
大きな岩の下からどんどん湧き出ています
この場所はさすがに綺麗な湧水ですね、一口頂きましたよ
美味しかったけど、冷たくはない^^
夏は逆に冷たい水になるのでしょう
そんな四季折々の風景を眺め、湧水を見守っている水神様
笑顔がかわいいね^^
水源はやはり夏がいい
夏はホタルが乱舞し、貴重な植物であるハンゲショウも見られるとのこと
冬のいいところは誰もいない静かな空間を楽しめるとこかな♪
暑くなったら、出直すことにしましょう^^
来週はまたまた天草ネタなんですが、まだ豊野町ネタが有り余ってる
どうするん?^^
さて、豊野町の石橋、薩摩渡しに行く前にここに寄ってきました
「西川(にしごう)水源」です

こんな真冬に水源に行かなくてもって普通は思いますよね
はい、そう思いながらも看板見つけるとね、向かっちゃうんですよ^^
それが熟年マニアッカーの真骨頂♪
看板どおりに進むとため池の下の広い駐車場に出ました

西川水源は豊野町の東部の水晶山(標高334m)のふもとから豊富に湧き出す湧水です。
水晶山は、石灰岩が熱によって変化した結晶質石灰岩(大理石)という岩石からできています。
北斜面は阿蘇?4火砕流堆積物が埋めており
この火砕流堆積物の中を通ってきた水が湧出していると考えられます。
(県庁HPより)
ため池からは用水路に繋がっていますが
なんとまぁ、難しい形の幾何学模様♪
用水路、余水吐などが複雑に結ばれています^^

ため池に沿って道路があるので車で行けるところまで行ってみようかということに
とここで気づいたのがこの車止め(間から進入できますが^^)

なんでカメ、しかもウミガメ??、こんな山間部なのに・・・
この疑問はまだ解明できておりません^^
車で行けたのは100mくらいまで、ここから先は散策路としてきれいに整備されています

橋を渡る振動を感知したのか錦鯉が優雅に近づいてきます
餌はもってないよ?

でも溜まっているためか、水量が少ないためか
水はあまりきれいではないですね
また案内看板がありました
なになに、水源はもう少し上ですか

ここですね、西川水源♪
大きな岩の下からどんどん湧き出ています

この場所はさすがに綺麗な湧水ですね、一口頂きましたよ
美味しかったけど、冷たくはない^^
夏は逆に冷たい水になるのでしょう

そんな四季折々の風景を眺め、湧水を見守っている水神様
笑顔がかわいいね^^

水源はやはり夏がいい
夏はホタルが乱舞し、貴重な植物であるハンゲショウも見られるとのこと
冬のいいところは誰もいない静かな空間を楽しめるとこかな♪

暑くなったら、出直すことにしましょう^^
今日はあったかかったですね^^
午後からとっちんはある農園で草取りのお手伝いをしてきました
暑かった?、汗だくになりました
寒さ対策はしていたのに暑いとは^^;
ここのところ雨があまり降らず草は取りやすかったのですが
作物はちょっと干からび気味、やっぱり農業には雨は大切です!
さて、三由橋から薩摩渡に向かう道の途中で気になったのがこんな風景です
白菜が仲良しこよし、紐で繋がれています
白菜自体はしっかり巻いているので霜除けなんでしょうね
見ていてなんとなく微笑ましく感じました
そしてその白菜の向こう側に“何かある”と立ち寄ったのがこちらです
神社のようですが、大きなこんな説明板がありました
結構長い文章だな^^;
要するに『天正9年(1581年)12月2日、島津氏に降伏した相良藩主「相良義陽」(さがら よしひ) が
阿蘇氏攻めを命じられ響ヶ原まで陣を進めたが、軍勢の戦勝をねぎらう酒宴の最中に
親友であった「甲斐宗運」(かい ちかなお)から、不意をつかれ討ち取られた』ということか
あは、要約しすぎですか^^;
こうも非情な戦(いくさ)を強いられる時代だったんですね
「江」を見ていてもそう思います
戦場となったこの響ケ原には後に供養塔が建てられ、相良神社「相良堂」と呼ばれているとのこと
う?ん、神社?神社ですよね
鳥居をくぐるとこれは、門になるのでしょうかね
どうも台風によって壊れたので鳥居とこの門が建て替えられたようです
そしてそこをくぐった最後のこれが供養塔だと思われます
なんだかすごく近寄りがたい何かを感じたのです
見てはいけない、でも見なくちゃブログに書けない、いやズカズカ近寄れない・・・
葛藤した後、頑張って膝をつき這いずるようにして恐る恐る近寄ってみました
暗いということもありよく中はよく見えません
目を凝らしてみましたが、やっぱり石とかそういったものはありませんでした
動悸が早くなってきました
がーーーっ、やっぱり見ちゃいけなかったんじゃないのかな^^;
供養塔の左右には高さ1mくらいの石塔が2本ずつ建っています
その中の1本には「文化十四年」の文字がありました
文化14年というと1817年、かなり後になって建てられた石塔でした
おや、ここにもきのこ型の石塔があります
手向けられた花が倒れていたので起こそうと思い近づくと何やら模様が
これは絵でしょうか
そう思って見ていると幽霊のように見えてくるから不思議です^^;
こんなのどかなところなのに430年前に壮絶な戦いがあったとは信じがたいです
すぐ横には普通の民家があります
薪ストーブを使っていらっしゃるのか煙がたなびいていました
え、ちょっと待てよ、説明板には
『言い伝えによればいくさのあった夜(12月1日)に響ケ原を通ると馬のひづめの音や
刀の切り合う音にまじって多数の兵士の勇ましい叫び声が聞えると云われている』
って書いてあるじゃないですか!
げっ、そ、そんな?、マジですか
聞いてみたいような聞きたくないような・・・やっぱ無理です^^;
義陽の命日の12月2日にはここで法要が行われるそうです
八代にあるお墓は首のみで、胴体はここに納められていたんですよ
胴体だけって、いくら供養してあるとはいえそれじゃ可哀相すぎやしませんかね
ところで無念の死を遂げた相良義陽が響ヶ原まで進むのに通ったのが娑婆神峠です
県道244号線沿いの豊野町と小川町の境にあります
今でも石畳が残っているということで後日行ってみましたので、ちとご紹介^^
豊野町側には大きくて立派な説明板があります
ところがこれといって何の整備もされておらず、この程度の石がちらほら
崩れているところもありました
これじゃあね?^^;
先に行くことはあきらめ、引き返し県道を小川町の方へ
すると今度は手書きで趣きのある説明板がありました
書いてあるとおり100mくらい入ったところにありました
杉の落ち葉の下には苔むした石畳が幅1mちょっと長さ30mくらい残されていました
おやおや?奥には石橋もあるじゃないですか^^
当然説明も何にもないので、いつ架けられたのか誰が架けたのか全然わかりません
小さいけどきれいなアーチでしたよ
車に帰ると1匹の犬がどこからともなく現れて足元に
吠えたりはしないけど眉根に皺寄せて難しい顔してるな?
あ、もしかしてあんた、相良義陽の生まれ変わりじゃないだろうね・・・^^
午後からとっちんはある農園で草取りのお手伝いをしてきました
暑かった?、汗だくになりました
寒さ対策はしていたのに暑いとは^^;
ここのところ雨があまり降らず草は取りやすかったのですが
作物はちょっと干からび気味、やっぱり農業には雨は大切です!
さて、三由橋から薩摩渡に向かう道の途中で気になったのがこんな風景です

白菜が仲良しこよし、紐で繋がれています
白菜自体はしっかり巻いているので霜除けなんでしょうね
見ていてなんとなく微笑ましく感じました
そしてその白菜の向こう側に“何かある”と立ち寄ったのがこちらです

神社のようですが、大きなこんな説明板がありました

結構長い文章だな^^;
要するに『天正9年(1581年)12月2日、島津氏に降伏した相良藩主「相良義陽」(さがら よしひ) が
阿蘇氏攻めを命じられ響ヶ原まで陣を進めたが、軍勢の戦勝をねぎらう酒宴の最中に
親友であった「甲斐宗運」(かい ちかなお)から、不意をつかれ討ち取られた』ということか
あは、要約しすぎですか^^;
こうも非情な戦(いくさ)を強いられる時代だったんですね
「江」を見ていてもそう思います
戦場となったこの響ケ原には後に供養塔が建てられ、相良神社「相良堂」と呼ばれているとのこと
う?ん、神社?神社ですよね

鳥居をくぐるとこれは、門になるのでしょうかね
どうも台風によって壊れたので鳥居とこの門が建て替えられたようです

そしてそこをくぐった最後のこれが供養塔だと思われます

なんだかすごく近寄りがたい何かを感じたのです
見てはいけない、でも見なくちゃブログに書けない、いやズカズカ近寄れない・・・
葛藤した後、頑張って膝をつき這いずるようにして恐る恐る近寄ってみました

暗いということもありよく中はよく見えません
目を凝らしてみましたが、やっぱり石とかそういったものはありませんでした
動悸が早くなってきました
がーーーっ、やっぱり見ちゃいけなかったんじゃないのかな^^;
供養塔の左右には高さ1mくらいの石塔が2本ずつ建っています


その中の1本には「文化十四年」の文字がありました

文化14年というと1817年、かなり後になって建てられた石塔でした
おや、ここにもきのこ型の石塔があります

手向けられた花が倒れていたので起こそうと思い近づくと何やら模様が

これは絵でしょうか
そう思って見ていると幽霊のように見えてくるから不思議です^^;

こんなのどかなところなのに430年前に壮絶な戦いがあったとは信じがたいです

すぐ横には普通の民家があります
薪ストーブを使っていらっしゃるのか煙がたなびいていました

え、ちょっと待てよ、説明板には
『言い伝えによればいくさのあった夜(12月1日)に響ケ原を通ると馬のひづめの音や
刀の切り合う音にまじって多数の兵士の勇ましい叫び声が聞えると云われている』
って書いてあるじゃないですか!
げっ、そ、そんな?、マジですか
聞いてみたいような聞きたくないような・・・やっぱ無理です^^;
義陽の命日の12月2日にはここで法要が行われるそうです
八代にあるお墓は首のみで、胴体はここに納められていたんですよ
胴体だけって、いくら供養してあるとはいえそれじゃ可哀相すぎやしませんかね
ところで無念の死を遂げた相良義陽が響ヶ原まで進むのに通ったのが娑婆神峠です
県道244号線沿いの豊野町と小川町の境にあります
今でも石畳が残っているということで後日行ってみましたので、ちとご紹介^^
豊野町側には大きくて立派な説明板があります

ところがこれといって何の整備もされておらず、この程度の石がちらほら

崩れているところもありました

これじゃあね?^^;
先に行くことはあきらめ、引き返し県道を小川町の方へ
すると今度は手書きで趣きのある説明板がありました

書いてあるとおり100mくらい入ったところにありました

杉の落ち葉の下には苔むした石畳が幅1mちょっと長さ30mくらい残されていました
おやおや?奥には石橋もあるじゃないですか^^

当然説明も何にもないので、いつ架けられたのか誰が架けたのか全然わかりません
小さいけどきれいなアーチでしたよ
車に帰ると1匹の犬がどこからともなく現れて足元に

吠えたりはしないけど眉根に皺寄せて難しい顔してるな?
あ、もしかしてあんた、相良義陽の生まれ変わりじゃないだろうね・・・^^
<響ヶ原古戦場>
[所在地]熊本県宇城市豊野町糸石
[アクセス]地図はコチラ
今日は節分、暦上は冬も終わりですね^^
うちも手作りの恵方巻を食べました
南南東に向かい、無病息災を願って
でも黙って、一息になんて無理でしょ、普通!

さて、豊野町石橋探訪はまだ続いているのです
豊野町には宇城市の重要文化財に指定されている石橋が6基あります
これまで3基載せましたがが、今日はあと3基を紹介しますね^^
まずは県道32号線と244号線が交わる小熊野川に架かる「三由橋」(みつよせばし)です
道路が狭く、駐車スペースもありません
どうしようかと言っているうちに写真に写っている電器屋さんの庭に乗り入れてしまいました^^;
そりゃあんまりじゃないの?と言いつつ車を降りてきょろきょろしていると
折りよくこちらのご主人が外から歩いて帰って来られました
少しの間止めさせていただくことを快く承諾していただいた後
「市の管理が行き届かないので、この前ここら辺の草刈りを自分達で済ませた」と仰います
ありゃま?と思っていると、「だけん向こう側から下りたらよかよ」と
教えていただいたのでそちらから撮った写真です
橋のたもとにはりっぱな説明板がありました
なんと、岩永三五郎28才の築造と書いてある!
えっ、1830年(文政13年)だと三五郎は37才じゃないかい?
あの雄亀滝橋を架けたときがたしか文政元年なので25才だったはず、おかしくない?
それにしても、種山(東陽村) 産 って・・・・・
なんだか牛や馬か農作物みたいじゃないですか?
かの有名な名石工さんですよ、出身とかじゃいけなかったんですかね^^;
ほら、重厚な感じがするでしょう^^
かつては鬼迫橋とも呼ばれていたそうですが、どういう意味なのかな
鬼気迫るくらい気迫のこもった橋、はたまた鬼がここまでは迫ってこれたという橋
名前の由来もいろいろ考えるとおもしろいですね
ん?それがなぜ三由橋(みつよせばし)になったのか、ぎゃははわっかりましぇ?ん(笑)
ほんでもっていつものように橋の下にもぐってみました
ごつごつとした石が粗く積まれています
どひゃ?、ヒビ入ってるし、ところどころ崩れている?すき間あり過ぎるでしょう^^;
ほれここも、そらあそこもですよ
この朽ちようは、山崎橋の比ではありません
「お?い、どこまで行ってんの?いつ崩れてもおかしくないよ、この橋」
そうなんです、石橋のアーチの下から見えますか?
2005年に崩壊の危機があるとしてこの橋は通行止めとなり、2年後新しい橋が架けられました
180年近くも現役で県道にもなり車の通行も結構激しかった場所です
補修改修は何回となくされてきたようで、コンクリートで嵩上げしたところが見えます
ちょっと怖くてとっとと橋の上に上がってきましたが、大丈夫なのかな
ここまでヒビ割れや石が崩れる前にどうにかならなかったのでしょうかね
三由橋の今後がかなり心配です
続いては「丸林橋」(まるばやしばし)のご紹介
三由橋から南に下り途中から美里方面に行く道の途中にあります
ナビにも載っていたので何の問題もなく到着する予定でした
ところがそのポイントに着くもそんな石橋のようなものは影も形もありません
そこを基点に往復すること3回、あきらめて帰ろうとしたところやっと見つけました
気付かず通り過ぎていたことが情けないですね
おいおいナビ君、また間違ってたよ
少しは反省してもらいたいね、こうやって翻弄されるのはゴメン被りたいから(笑)
今村嘉左エ門さんは初めて聞く名前ですが、なかなか立派な橋を架けられておられます
この橋はそちらの家に行くためのもののような^^
いえ、その先も道路は繋がっているようでしたから他にも使っている方がいらっしゃるのでしょう
ちょいと失礼して獣道のようなところを下りていってみました
こちらは隙間なく石がきれいに積み上げられていますが
向こう岸の石積みが削られているんじゃないかと思えたんです、だとしたらちょっと残念です
こちらは崩れる心配もなさそうです
山あいの集落にすっかり溶け込んでいる丸林橋、これからも大事にされて欲しいです
そして最後は「薩摩渡」(さつまわたし)です
これを聞いたとき、舟を使うあの“渡し”かと思いました
だから川の岸の両方に“渡し”に使われた何かの痕跡でも残っているのかも、なんてね^^
そうしたらこれが待っていてくれたんです
橋だったんですね?^^
残念ながらこの説明では石工が不明と書いてありますが
どうも岩永三五郎の兄の嘉八によって築造されたと言われているようです
しかも三五郎が三由橋を架橋した1年前の文政12年(1829年)
兄弟、種山石工がこの時期この辺りの橋を築いていたということでしょうか
薩摩藩の大名行列も通ったと言われる薩摩渡
薩摩往還としてこの橋が重要な役目を果たしていたわけです
親柱があったので当時のものかと思って見てみると昭和56年改修の文字が^^;
そうだよね?、当時のものがこんなにつるんとはしてませんから
当然、橋の下におりてみました
水は流れてはいませんでしたが、少々ぬかるみぎみの足元に注意しながら進んでいると
どこのどいつじゃーー、こんなところに扇風機なんか捨てるヤツは!
他にゴミなんかもなく自然豊かなところなのにまったくもー、こんな非常識な人間がいるんですね
のどかなに石橋を見ていた熟年は一気にどんよりした気分になってしまいました
気を取り直して
わ?、やっぱりぽろっと石が落ちてきそうなくらい粗い積み方です
三由橋のように真下に長くいるのは躊躇われますね
こちらも横に新しい車もびゃんびゃん通れる橋があります
「新薩摩渡橋」と書いてありましたが
「薩摩渡」が橋ならこの新しい橋は「新薩摩橋橋」とおんなじ意味になるんじゃないの?
などとくだらないことを考えてしまう熟年でありました^^;
この「薩摩渡」は浜戸川いっぱいに架かってはいません
中州までなので当時は浜戸川も狭かったのでしょうか
さて今日も長くなってしまいました
お付き合いくださってありがとうございますm(__)m
豊野の石橋六景はいかがだったでしょうか
この記事を読んで石橋ファンになっていただけたら嬉しいな
そして見に行ってみてもいいかな?とか思われたら熟年は小躍りしてしまうかも^^
これからも地味?に石橋巡っていきますので、どうぞよろしく♪
うちも手作りの恵方巻を食べました
南南東に向かい、無病息災を願って
でも黙って、一息になんて無理でしょ、普通!

さて、豊野町石橋探訪はまだ続いているのです
豊野町には宇城市の重要文化財に指定されている石橋が6基あります
これまで3基載せましたがが、今日はあと3基を紹介しますね^^
まずは県道32号線と244号線が交わる小熊野川に架かる「三由橋」(みつよせばし)です

道路が狭く、駐車スペースもありません
どうしようかと言っているうちに写真に写っている電器屋さんの庭に乗り入れてしまいました^^;
そりゃあんまりじゃないの?と言いつつ車を降りてきょろきょろしていると
折りよくこちらのご主人が外から歩いて帰って来られました
少しの間止めさせていただくことを快く承諾していただいた後
「市の管理が行き届かないので、この前ここら辺の草刈りを自分達で済ませた」と仰います
ありゃま?と思っていると、「だけん向こう側から下りたらよかよ」と
教えていただいたのでそちらから撮った写真です
橋のたもとにはりっぱな説明板がありました

なんと、岩永三五郎28才の築造と書いてある!
えっ、1830年(文政13年)だと三五郎は37才じゃないかい?
あの雄亀滝橋を架けたときがたしか文政元年なので25才だったはず、おかしくない?
それにしても、種山(東陽村) 産 って・・・・・
なんだか牛や馬か農作物みたいじゃないですか?
かの有名な名石工さんですよ、出身とかじゃいけなかったんですかね^^;

ほら、重厚な感じがするでしょう^^
かつては鬼迫橋とも呼ばれていたそうですが、どういう意味なのかな
鬼気迫るくらい気迫のこもった橋、はたまた鬼がここまでは迫ってこれたという橋
名前の由来もいろいろ考えるとおもしろいですね
ん?それがなぜ三由橋(みつよせばし)になったのか、ぎゃははわっかりましぇ?ん(笑)
ほんでもっていつものように橋の下にもぐってみました
ごつごつとした石が粗く積まれています

どひゃ?、ヒビ入ってるし、ところどころ崩れている?すき間あり過ぎるでしょう^^;
ほれここも、そらあそこもですよ



この朽ちようは、山崎橋の比ではありません
「お?い、どこまで行ってんの?いつ崩れてもおかしくないよ、この橋」

そうなんです、石橋のアーチの下から見えますか?
2005年に崩壊の危機があるとしてこの橋は通行止めとなり、2年後新しい橋が架けられました

180年近くも現役で県道にもなり車の通行も結構激しかった場所です
補修改修は何回となくされてきたようで、コンクリートで嵩上げしたところが見えます

ちょっと怖くてとっとと橋の上に上がってきましたが、大丈夫なのかな
ここまでヒビ割れや石が崩れる前にどうにかならなかったのでしょうかね
三由橋の今後がかなり心配です

続いては「丸林橋」(まるばやしばし)のご紹介
三由橋から南に下り途中から美里方面に行く道の途中にあります

ナビにも載っていたので何の問題もなく到着する予定でした
ところがそのポイントに着くもそんな石橋のようなものは影も形もありません
そこを基点に往復すること3回、あきらめて帰ろうとしたところやっと見つけました
気付かず通り過ぎていたことが情けないですね
おいおいナビ君、また間違ってたよ
少しは反省してもらいたいね、こうやって翻弄されるのはゴメン被りたいから(笑)

今村嘉左エ門さんは初めて聞く名前ですが、なかなか立派な橋を架けられておられます

この橋はそちらの家に行くためのもののような^^
いえ、その先も道路は繋がっているようでしたから他にも使っている方がいらっしゃるのでしょう
ちょいと失礼して獣道のようなところを下りていってみました

こちらは隙間なく石がきれいに積み上げられていますが
向こう岸の石積みが削られているんじゃないかと思えたんです、だとしたらちょっと残念です

こちらは崩れる心配もなさそうです
山あいの集落にすっかり溶け込んでいる丸林橋、これからも大事にされて欲しいです
そして最後は「薩摩渡」(さつまわたし)です
これを聞いたとき、舟を使うあの“渡し”かと思いました
だから川の岸の両方に“渡し”に使われた何かの痕跡でも残っているのかも、なんてね^^
そうしたらこれが待っていてくれたんです

橋だったんですね?^^

残念ながらこの説明では石工が不明と書いてありますが
どうも岩永三五郎の兄の嘉八によって築造されたと言われているようです
しかも三五郎が三由橋を架橋した1年前の文政12年(1829年)
兄弟、種山石工がこの時期この辺りの橋を築いていたということでしょうか
薩摩藩の大名行列も通ったと言われる薩摩渡
薩摩往還としてこの橋が重要な役目を果たしていたわけです

親柱があったので当時のものかと思って見てみると昭和56年改修の文字が^^;
そうだよね?、当時のものがこんなにつるんとはしてませんから


当然、橋の下におりてみました
水は流れてはいませんでしたが、少々ぬかるみぎみの足元に注意しながら進んでいると

どこのどいつじゃーー、こんなところに扇風機なんか捨てるヤツは!
他にゴミなんかもなく自然豊かなところなのにまったくもー、こんな非常識な人間がいるんですね
のどかなに石橋を見ていた熟年は一気にどんよりした気分になってしまいました
気を取り直して

わ?、やっぱりぽろっと石が落ちてきそうなくらい粗い積み方です
三由橋のように真下に長くいるのは躊躇われますね

こちらも横に新しい車もびゃんびゃん通れる橋があります
「新薩摩渡橋」と書いてありましたが
「薩摩渡」が橋ならこの新しい橋は「新薩摩橋橋」とおんなじ意味になるんじゃないの?
などとくだらないことを考えてしまう熟年でありました^^;

この「薩摩渡」は浜戸川いっぱいに架かってはいません
中州までなので当時は浜戸川も狭かったのでしょうか
さて今日も長くなってしまいました
お付き合いくださってありがとうございますm(__)m
豊野の石橋六景はいかがだったでしょうか
この記事を読んで石橋ファンになっていただけたら嬉しいな
そして見に行ってみてもいいかな?とか思われたら熟年は小躍りしてしまうかも^^
これからも地味?に石橋巡っていきますので、どうぞよろしく♪
<三由橋>
[所在地]熊本県宇城市豊野町下郷
[アクセス]地図はコチラ
<丸林橋>
[所在地]熊本県宇城市豊野町中間
[アクセス]地図はコチラ
<薩摩渡>
[所在地]熊本県宇城市豊野町糸石
[アクセス]地図はコチラ
実は昨日紹介した市木橋に行く前に寄り道したところがあったんです
んん?御手洗水源?危うく通り過ぎてしまうところでした^^;
ここには「浄水寺の水」と書かれていますね、御手洗じゃないの?
これは後でわかることでした^^
そうそう、名水というものは地域の方々に見守られながら受け継がれるものです
観光がてら立ち寄る人もマナーをちゃんと守りましょう!
この鳥さんもバシャバシャもせず、遠慮がちに水を飲んでいましたよ^^
道路反対側にはお地蔵さん?が並んでおられました
あらら、この祠の中にはお内裏様とお雛様でしょうか?
風化していますが木で造られているようですよ、珍しいですね^^
そしてそのお地蔵さまの後ろには・・・
「浄水寺跡」と書かれていますね
御手洗水源に寄らなければ間違いなく通り過ぎていました
だって振り向かないとこの案内柱は見えませんでしたから^^;
ここでさっきはなぜ浄水寺の水と書かれていたか納得、浄水寺の下から湧いているんですね
“跡”なのでもちろんお寺はなくて、現在そこには神社が祀られていました
やっぱり正面からお参りしなくちゃね^^
階段横には石灯籠が並んでいます
「下郷神社」です
わーお、木が参道を塞いでる?^^;
この木は無患子(ムクロジ)でした
推定樹齢350年、樹高18m、幹周り4.2m、根周りは10.6mもあるそうです
種は羽子板で突く羽根についている黒くて硬い玉に使われていますよね
「患う子が無い」という意味で、羽子板が無病息災のお守りになったと言われています
石鹸がわりにも使えるとか、いろいろ効用があるものですね^^
わ、これはなんだ?
なんと延暦9年(西暦790年)創建の碑「延暦九年銘の古碑」だそうです
凝灰岩で造られていて高さは134cm
なんか線が入っているようですが、さっぱりわかりません
おっと次はエリンギか?
左の臼のような形のものは
延暦20年(801年)に建造された燈楼の竿石「延暦廿年銘の石灯籠」だということです
やはり凝灰岩で灯籠の高さは66cm、年号が刻まれているものでは日本最古とか
ぎゃ?、びっくりです
右のきのこは天長3年(826年)の寺領を記した碑「天長三年銘の古碑」
高さ99cm、碑の三面に長文の銘があるようでしたが、はっきりとは読めず
ぱっと見、幾何学模様だと思ったんですよね(笑)
そして真ん中のきのこは
康平7年(1064年)の法華経の碑「康平七年銘 南无如法妙法蓮華経塔」
高さ112cm、笠は当時のものではないという話もあります
奈良時代末期に建立された古代寺院で
30数年間で肥後有数の大寺院に発展した貴重な寺院跡だということですよ
それに全国で知られる古代石碑25基のうち4基がこの浄水寺跡に現存しているって
なんか超、超すごいところじゃありませんか!
でも県の重要文化財にしか指定されていません、なぜ?^^;
やっと拝殿に着きました、鳥居から10mくらいなのにね(笑)
白いものはゴミじゃありませんよ、雪ですから・・
鳥居の神額ははっきりと見えませんでしたが、ここで下郷神社と確認
梁が湾曲しているのがそのまま使ってあるところがユニークじゃありませんか^^
わわ、手水鉢の水が凍ってるよ?、ちべたーい!
あれ、おっさん、おっさん、何覗いてるの??
この前の「仏像入門」を観てからますます興味を持ったようで^^;
ちょっと埃っぽいですが、「赤ちゃんの手」「衣のしわ」などなどジロジロ
う?ん、いいお顔です、心が落ち着く気がします^^
これはなんぞや?
浄水寺の礎石かもしれないから写真を撮っとけ、というらぼっちの命令で撮った石
確かになにか模様のようなものが見えるけど、なんか違うんじゃねぇと思うとっちん
実は反対側の全然違うこちらの方にその礎石はあったのでした
うん、あるある石が・・
ちょっと待って、何このマークは?
スペード?はたまた、きのこ?(笑)
このマークはひとつやふたつじゃなかったんですよ
おもしろ?い、これ^^
礎石じゃなくて、もしかしたら絵合わせゲームにでも使ったんじゃなかろうかというくらい
はっきりとしたきのこマークばかり(笑)
あ、こんなに大きかったら持ち上げられないか^^;
調べたら13個あると書いてあったけど、どう数えても16個あった、どーして?

ここ、すごくおもしろく興味深いところだと思います
人に知って欲しいような欲しくないような、歴史を感じる場所でした

んん?御手洗水源?危うく通り過ぎてしまうところでした^^;

ここには「浄水寺の水」と書かれていますね、御手洗じゃないの?
これは後でわかることでした^^

そうそう、名水というものは地域の方々に見守られながら受け継がれるものです
観光がてら立ち寄る人もマナーをちゃんと守りましょう!

この鳥さんもバシャバシャもせず、遠慮がちに水を飲んでいましたよ^^
道路反対側にはお地蔵さん?が並んでおられました

あらら、この祠の中にはお内裏様とお雛様でしょうか?
風化していますが木で造られているようですよ、珍しいですね^^

そしてそのお地蔵さまの後ろには・・・

「浄水寺跡」と書かれていますね
御手洗水源に寄らなければ間違いなく通り過ぎていました
だって振り向かないとこの案内柱は見えませんでしたから^^;
ここでさっきはなぜ浄水寺の水と書かれていたか納得、浄水寺の下から湧いているんですね
“跡”なのでもちろんお寺はなくて、現在そこには神社が祀られていました
やっぱり正面からお参りしなくちゃね^^

階段横には石灯籠が並んでいます

「下郷神社」です
わーお、木が参道を塞いでる?^^;

この木は無患子(ムクロジ)でした
推定樹齢350年、樹高18m、幹周り4.2m、根周りは10.6mもあるそうです

種は羽子板で突く羽根についている黒くて硬い玉に使われていますよね
「患う子が無い」という意味で、羽子板が無病息災のお守りになったと言われています
石鹸がわりにも使えるとか、いろいろ効用があるものですね^^
わ、これはなんだ?

なんと延暦9年(西暦790年)創建の碑「延暦九年銘の古碑」だそうです
凝灰岩で造られていて高さは134cm
なんか線が入っているようですが、さっぱりわかりません

おっと次はエリンギか?

左の臼のような形のものは
延暦20年(801年)に建造された燈楼の竿石「延暦廿年銘の石灯籠」だということです

やはり凝灰岩で灯籠の高さは66cm、年号が刻まれているものでは日本最古とか
ぎゃ?、びっくりです
右のきのこは天長3年(826年)の寺領を記した碑「天長三年銘の古碑」

高さ99cm、碑の三面に長文の銘があるようでしたが、はっきりとは読めず
ぱっと見、幾何学模様だと思ったんですよね(笑)
そして真ん中のきのこは
康平7年(1064年)の法華経の碑「康平七年銘 南无如法妙法蓮華経塔」

高さ112cm、笠は当時のものではないという話もあります
奈良時代末期に建立された古代寺院で
30数年間で肥後有数の大寺院に発展した貴重な寺院跡だということですよ
それに全国で知られる古代石碑25基のうち4基がこの浄水寺跡に現存しているって
なんか超、超すごいところじゃありませんか!
でも県の重要文化財にしか指定されていません、なぜ?^^;

やっと拝殿に着きました、鳥居から10mくらいなのにね(笑)
白いものはゴミじゃありませんよ、雪ですから・・

鳥居の神額ははっきりと見えませんでしたが、ここで下郷神社と確認
梁が湾曲しているのがそのまま使ってあるところがユニークじゃありませんか^^
わわ、手水鉢の水が凍ってるよ?、ちべたーい!

あれ、おっさん、おっさん、何覗いてるの??

この前の「仏像入門」を観てからますます興味を持ったようで^^;

ちょっと埃っぽいですが、「赤ちゃんの手」「衣のしわ」などなどジロジロ
う?ん、いいお顔です、心が落ち着く気がします^^
これはなんぞや?

浄水寺の礎石かもしれないから写真を撮っとけ、というらぼっちの命令で撮った石

確かになにか模様のようなものが見えるけど、なんか違うんじゃねぇと思うとっちん
実は反対側の全然違うこちらの方にその礎石はあったのでした

うん、あるある石が・・

ちょっと待って、何このマークは?
スペード?はたまた、きのこ?(笑)
このマークはひとつやふたつじゃなかったんですよ



おもしろ?い、これ^^
礎石じゃなくて、もしかしたら絵合わせゲームにでも使ったんじゃなかろうかというくらい
はっきりとしたきのこマークばかり(笑)
あ、こんなに大きかったら持ち上げられないか^^;
調べたら13個あると書いてあったけど、どう数えても16個あった、どーして?

ここ、すごくおもしろく興味深いところだと思います
人に知って欲しいような欲しくないような、歴史を感じる場所でした
<浄水寺跡>
[所在地]熊本県宇城市豊野町下郷
[アクセス]地図はコチラ
先日職場の同僚が他界しました
通夜に出席しましたが奥さんや子供達の涙を見ると・・・心が痛い
きれいな顔してた、何やってんだとつぶやくも返事がない
重要なポストを担っていた、将来を嘱望された人物だった
らぼっちと同世代、若すぎる、早過ぎるよ
寒かったろう、冷たかったろう
・・・合掌
下鶴橋をスタートした豊野町石橋探訪の次なるは、小熊野川に架かる「山崎橋」
看板は見つけるも橋が見当たらない
雪が舞う中を車を下りてあっちを見たりこっちを見たり、むむむ・・・ない
結局もう数百m進んだところにありました
すぐ上流が堰になっているんですね
石工は不詳と書かれていますが、親柱には種山組架と書かれています
橋本勘五郎かその仲間達でしょうか
親柱は結構新しく、舗装もされていたので
最近まで使われていた感じです
ここにも石柱がありました
左はクマモト?、ミフネ? 右はカフ?
ちょっと掘ったらわかったかも
この説明も書いてほしいですね^^
さっそく、とっちんが下り場所を見つけ、川の中を石づたいにぴょんぴょん跳ねていきます
石の下で昼寝していたフナを起こしまくってました
らぼっちは何してるのって
はい、おいおい♪と心配しながらじっと見ておりました^^
アーチが映りこんで、まさしく眼鏡橋らしいでしょ
怖い怖いと言って戻ってきましたが、理由はこれ♪
おーっ、隙々ではありませんか、抜け落ちてきそう
でも構造的にこれで充分ということなんでしょうね
だって、いままで持ったわけですから^^
この橋のベストショットはこれ
なんともこの曲線美がたまりません、もうアートの世界です
お地蔵様とともに、この地域の方々に愛されてきた重要文化財ですね
石橋ついでにもう一つ、「市木橋」です
こちらは小さな小川に架橋していました
というか、見てびっくり!
これを石橋と呼んでよろしいのでしょうか
大きな川に架橋するには無理があります^^
これで江戸末期の建造とは、なんとも素人っぽいですね^^
しかし今でも橋としての役目を果たし、橋床には用水路まで抱えているんですね
これですね、復旧したということは、夏場は通水しているのでしょうか
この橋を渡るとポコポコいうので下が空洞だというのがわかります
下に降りると数段の石桁を両側から順次迫り出して持ち送りし
その上に長い石桁を渡しているのがよくわかります

こうやってみると、やはり構造的に不安を感じます^^

でも150年以上もこうして持っているのも事実ですから、キリと言うには失礼か
タイトルは変えませんけど^^
石橋巡りは冬に限りますね
ここは夏に来ても、まさしく藪の中で何も見えなかったことでしょう♪
きれいな顔してた、何やってんだとつぶやくも返事がない
重要なポストを担っていた、将来を嘱望された人物だった
らぼっちと同世代、若すぎる、早過ぎるよ
寒かったろう、冷たかったろう
・・・合掌
下鶴橋をスタートした豊野町石橋探訪の次なるは、小熊野川に架かる「山崎橋」
看板は見つけるも橋が見当たらない
雪が舞う中を車を下りてあっちを見たりこっちを見たり、むむむ・・・ない

結局もう数百m進んだところにありました
すぐ上流が堰になっているんですね

石工は不詳と書かれていますが、親柱には種山組架と書かれています
橋本勘五郎かその仲間達でしょうか

親柱は結構新しく、舗装もされていたので
最近まで使われていた感じです

ここにも石柱がありました
左はクマモト?、ミフネ? 右はカフ?
ちょっと掘ったらわかったかも
この説明も書いてほしいですね^^


さっそく、とっちんが下り場所を見つけ、川の中を石づたいにぴょんぴょん跳ねていきます
石の下で昼寝していたフナを起こしまくってました
らぼっちは何してるのって
はい、おいおい♪と心配しながらじっと見ておりました^^
アーチが映りこんで、まさしく眼鏡橋らしいでしょ

怖い怖いと言って戻ってきましたが、理由はこれ♪
おーっ、隙々ではありませんか、抜け落ちてきそう
でも構造的にこれで充分ということなんでしょうね
だって、いままで持ったわけですから^^

この橋のベストショットはこれ
なんともこの曲線美がたまりません、もうアートの世界です

お地蔵様とともに、この地域の方々に愛されてきた重要文化財ですね

石橋ついでにもう一つ、「市木橋」です
こちらは小さな小川に架橋していました
というか、見てびっくり!

これを石橋と呼んでよろしいのでしょうか
大きな川に架橋するには無理があります^^

これで江戸末期の建造とは、なんとも素人っぽいですね^^
しかし今でも橋としての役目を果たし、橋床には用水路まで抱えているんですね
これですね、復旧したということは、夏場は通水しているのでしょうか
この橋を渡るとポコポコいうので下が空洞だというのがわかります

下に降りると数段の石桁を両側から順次迫り出して持ち送りし
その上に長い石桁を渡しているのがよくわかります

こうやってみると、やはり構造的に不安を感じます^^

でも150年以上もこうして持っているのも事実ですから、キリと言うには失礼か
タイトルは変えませんけど^^
石橋巡りは冬に限りますね
ここは夏に来ても、まさしく藪の中で何も見えなかったことでしょう♪