今日は長崎での食事のお話しです
龍馬伝館の周辺で食事処を探しましたが見あたらず
仕方なく次の目的地であるお寺に向かう道々で探そうということになりました
んが、マイナーな通りなんでしょうか
食堂どころか喫茶店もみつかりません
二人は、お寺の階段をふらふらになりながら上り下りしたのでした^^
そして、本蓮寺から道沿いに降りていくとようやく賑やかな通りに出てきました
そして、ここで行列のお店を発見!
看板から、壁から、見事に真っ黄色にディスプレイされています
遠くからも目立つことこのうえなし^^
と、その前に巨大な皿うどんのサンプルが10個位はあったでしょうか
普通なら、うぷっ、となるところですが
この時は空腹のせいもあり、なんだか引き寄せられました^^
それに並ぶ観光客が多いということは人気店だよね
看板にこんな広告文が
独特のコクと風味を与える唐灰汁(とうあく)入りの麺
もちろん並びましたよ^^
15分程度で店内へ案内されました
店内の座席は全て埋まっていて
同じ歳くらいのご夫婦と相席です、構いませんよ^^
注文は待っているときに決めていました
特製チャンポン800円、普通皿うどんの太麺600円
皿うどんは細いと太いが選べて
細いはバリバリ、太いは柔々ですね
チャンポンは特製がつくと海老が入っているようです
この唐灰汁入の特製チャンポン麺、独特のコクですか
ん?、よくわかりません^^
それよりも汁が吸われたわけでもないのでしょうが、少なくありませんか
しかも、今出てきたのに温い!
なんだか野菜もへナッとしてる
皿うどんは、細麺にすればよかった
あんかけの味もいたって普通です
うーん、なぜ人気なんだ、なぜ行列ができる、わからん!
よくわかりません
実は夕食も同じメニューを食べたんです^^
やはり、長崎ということもあるし 、それ以上に
らぼっちはチャンポンが大好きな親父の遺伝子を引き継いでいます
ランタン祭りの人ごみから、命からがら逃げてきた二人は
少し外れた通りで行列がない食堂を発見
疲れていたので座りたいという欲求で即、入店
で、外の店舗写真も取り忘れた
相席ですが2座席空いてました
早速、チャンポンと皿うどん
それにご飯物が食べたかったのでチャーハンを注文
安いな?、新地中華街で食べたらこの倍はするよね
どれも熱々で、お昼に食べたものに比べると数倍美味しかった^^
これぞ飾らない昭和の時代のおふくろの味です
帰って、お店の名前はちゃんと確認しました、「あじ盛」さんでした
こちらのお店で、美味しい長崎チャンポンと皿うどんを食べることができました
でも+チャーハンは熟年夫婦にはやはり多すぎたかな
もったいない精神で食べましたが、翌日までもたれまくりでした^^
<飛龍園>
[住所]長崎県長崎市大黒町5-14
[電話]095-821-9865
[営業時間]11:00?20:30
[定休日]日曜
[駐車場]無
[アクセス]地図はコチラ
<あじ盛食堂>
[住所]長崎県長崎市築町4-26
[電話]095-822-4810
[アクセス]地図はコチラ
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ここだけはと巡った2ヶ所です
<19 長崎海軍伝習所>
ちょっと調べておけばなんでもなかったのですが
行けばなんとかなる精神ですから、ここも探してしまいました^^
観光バスのガイドさん、地元の魚屋さんにも聞きましたが
結局わからず、一度あきらめて、出島に行った後
再トライでようやく発見しました^^




長崎海軍伝習所は、洋式海軍の創立、軍艦の購入、人材を養成するため
1855年に幕府が長崎奉行所西役所内に設置しました
幕臣を中心に各藩から送り込まれた伝習生は総勢100人を超え
この中に勝海舟や榎本武揚などもいました

これまで廻った史跡には、現在役所や大きな建物があったことを
思い出せば、わかったんでしょうけどね
そうです、跡地には現在、長崎県庁がどどーんと建っています

この案内板の横にかわいらしい、黒くて四角い不思議な郵便ポストがありました
これは、明治時代のポスト「黒塗柱箱」を復刻したものだそうです
ただし、当時は木製でしたが、復刻ポストは鉄製です

<20 出島>
こちらはもう長崎の有名な観光スポットですよね
お仲間のブロガーさん達もたくさん行かれてます

「史跡出島和蘭商館」の石柱の横になにやら案内板がありますよ



出島跡に向かう中島川に架けられた出島橋は、現役としては日本最古の鉄製道路橋で
2003年に土木学会が推奨土木遺産に認定されています
出島は1636年、ポルトガル人によるキリスト教布教を禁止するために徳川幕府が築いた扇形の人工の島です
しかし、1641年には幕府の命令で平戸に置かれていた和蘭商館が出島に移転し
その後218年もの間“鎖国期における世界に開かれた唯一の窓”となりました
現在は出島の建物や周囲の石垣など復元整備が進められています
その出島の南側護岸石垣が復元されていました


ところで、坂本龍馬は長崎最後の滞在時期、出島で店を構えていた
ハルトマン・ベッセル商会からライフル銃一千三百挺を買い付けたことが
「海援隊商事秘記」に記されています
旧石倉はハルトマンが使用していた倉庫です
それでは入ってみましょうか
東側ゲートから入ったので順路とは逆向きになりました^^
まずはミニ出島です
その入り口にある石門のアーチトップには
「連合東インド会社」のロゴマーク(VOC)が刻まれています

ミニ出島は川原慶賀が描いた『長崎出島之図』を参考に
1820年(文政3)ごろの出島を15分の1の大きさで再現したものです

この日時計は結構正確だったです、10分ちがいくらいだったかな
mamさん、こんなのありましたよ
なんとこの出島はバドミントン発祥の地だったんですね^^


庭を抜けるとでーんと構えた表門がありました
当
対岸の江戸町から出島に通じる唯一の出入口ですが
当時の位置より南側にずれているそうです

西側は当時の建物が10棟ほど復元されています
ここを和蘭商人達が往来していたんですね

おっ、緊急告知の立て札を発見!
観光客の皆さんが三角階段を登っていきますよ
続かない手はありません


こちらは、オランダ商館長(カピタンと呼ばれていた)の事務所や住居として
使用されていた出島で最も大きな建物です
部屋の中には靴を脱いで上がります、またフラッシュによる撮影は禁止でした
お役人の接待の場所にも使われていたので応接間も食堂も豪華絢爛です


とっちんが「ぶたがボールをくわえとる」
よーく見たら林檎でした^^

一番奥の涼所は唯一海が望める場所だったようです
このベランダから画家がキャンパスにに絵筆を走らせたんですね


外国人と日本人の親交の場となった旧長崎内外クラブです
2階では居留地時代の展示も行っていました

その前の庭にはなんだか目立つ木がありますよ
オランダ人がジャカルタから持ち込んだナンヨウスギで
日蘭友好の記念樹です
県指定天然記念物で、「デジマノキ」と呼ばれています

ようやくひと回りしてきましたが、やはり
ランタンが始まるまでの時間を楽しまれている方が多かったような気がします
東側ゲートには、今から入場しようとしている人もまだまだおられました
もっと時間をかけてゆっくり廻りたい場所ですね
この後、熟年夫婦は長崎海軍伝習所跡を再度探しにいった後
大混雑のランタンへとシフトしていったのでした^^
龍馬ゆかりの地をさるく<長崎編>はこれにて終了です
ん、長崎編ってことは高知編、京都編、東京編があったりして^^
いつかはわかりませんが、そんな機会があればいいなと真剣に思っている二人です
毎日のぞいて頂いた皆様!
マニアックな記事に長らくお付き合い下さいまして
ありがとうございましたm(_ _)m
あっ、長崎チャンポンとおまけは続きます
しつこくて、すみません(笑)
<長崎海軍伝習所>
[アクセス]地図はコチラ
<出島>
[URL]甦る出島(出島HP)
[住所]長崎市出島町6番1号
[電話番号]095-821-7200
[入館料]大人500円 高校生200円 小・中学生100円
[開館時間]8:00?18:00(ただし17:40までに入館)
[休館日]無休
[アクセス]地図はコチラ
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「○○跡」と書かれた標柱を探して歩いたことをご紹介します
半ば、ヤケになって探し出したようなところもあります
パンフに「龍馬ゆかりのスポット」という場所が
やたらと書いてあったのが運の尽きっちゅうやつですかね
しょーもないと思われるかもしれませんが
よろしければお付き合いください^^
<12 上野撮影局跡>
日本初の商業写真館を開いた上野彦馬の上野撮影局の跡は
中島川を眼鏡橋から上流に約1Km位上った所にありました
狭い道路の反対側には長崎聖堂跡の石碑もありました


蘭書から湿板写真術を知り、その技術を習得するとともに
感光剤に用いる化学薬液を自製するなど
化学の視点から写真術の研究を深めた人です
堀江鍬次郎(ほりえくわじろう)とともに手製写真機での撮影に成功し
1862年(文久2)に彦馬はこの地に上野撮影局を開設しました
龍馬も5分ほど不動の姿勢をとって
あの「ブーツを履いた坂本龍馬」が撮影されたわけです
龍馬の他にも高杉晋作や桂小五郎など多くの志士たちが訪れたそうです
風頭公園には「上野彦馬のお墓」もありましたね、ちゃんと撮影してますよ

でも上野彦馬の代表的な写真といわれていた坂本龍馬の写真も
現在の研究では、彦馬の弟子である井上俊三の撮影が通説となっているとのこと
まあ、彦馬なくしてあの写真は生まれてなかったのは事実ですから
熟年二人はどちらの撮影かなんて関係ありません
その撮影場所に立っているだけで満足なんです
んが、「上野彦馬生誕地」や「上野彦馬宅跡」の石碑は
存在を知らずたどり着けなかった^^
<13 玉川亭跡>
目の前に中島川が流れる料亭「玉川亭」は川魚料理で有名で
幕末期に多くの志士たちの会談の場として利用されました

1867年に龍馬と土佐藩士佐々木高行が
長州藩士の桂小五郎(木戸孝允)、伊藤俊輔(伊藤博文)と面会したのもここです
大政奉還運動を危惧を示していた小五郎は、武力討伐の必要性を強調しました
また、藩船修理費用一千両の立替えを龍馬に依頼し
翌日、龍馬は土佐商会の岩崎弥太郎に融通を頼んだそうです

この跡地は現在保育園になっていました
さて、先を急ぎましょう
<14 後藤象二郎邸跡>
吉田東洋の甥であり、東洋が開いた鶴田塾で板垣退助や岩崎弥太郎らと学び
土佐藩大監察として
東洋を暗殺した武市瑞山を党主とする土佐勤王党を断罪しています
また土佐藩の物産販売や対外貿易のため開成館を発足させ
長崎や大坂で売り出すため「土佐商会」を設立
自らは総裁として奔走しますが、後に岩崎弥太郎を主任に登用したのも彼です
後に龍馬が考えた「船中八策」をもとに
大政奉還の建白を山内容堂に勧めたのは有名ですね
日本人で始めてルイ・ヴィトンの鞄を買ったのは
象二郎とも言われているようですよ

ここは長崎での邸宅があった跡ですが、まあ彷徨いました^^
案内地図もよくわからんし、ウロウロしてたら偶然発見しました

金屋町の地元テレビ局の入り口近くです
まあ、いつものことですから気にしません^^
<15 小曾根(こぞね)邸の跡>
龍馬は、長崎海軍伝習所で親交のあった小曾根英四郎を
勝海舟に紹介してもらいます
亀山社中は、薩摩藩の後ろ盾とこの小曾根家の援助もあって設立され
ここを事務所にして、そのまま海援隊の本部にもなりました

龍馬の妻、お龍も小曾根邸で暮らしていたことがあります
長州藩からの報酬を私物化し密航しようとした海援隊の近藤長次郎が
切腹したのも小曾根邸の一室だそうです
秀でた才能を世に送り出すには、いつの時代もパトロンが必要なんですね^^
ここも探しました、万才町を一周した感じです^^
そういえば写真には撮ってないけれどお城のようなりっぱな石垣がありましたっけ
その石垣の上には長崎地方検察庁、長崎地方裁判所や
長崎地方法務合同庁舎があります
近所の方に聞いてようやく長崎地方法務合同庁舎の横にある石碑を発見!

んが、工事中のトラックがちょうどその前に止まっています
こんなに接近して、斜めからしか撮れなかったのはそういった理由です

長崎地方裁判所、長崎地方法務合同庁舎の間には
長崎版忠臣蔵「深堀喧嘩騒動」の発端となったけんか坂もあります

<16 薩摩藩跡>
新地中華街へと抜ける西浜通りにはかつて薩摩藩蔵屋敷がありました
薩摩藩蔵屋敷は、幕末の頃に志士らが集い活躍する場になっていたとか

現在は三菱UFJ信託銀行が建っています

<17 土佐商会跡>
地図を頼りに、まちなか龍馬館の周辺かと思って探しましたが見つからず
こちらも人に聞いてようやくでした

予習不足が露見してしまってますね
鐵橋と浜町アーケードの入り口付近で「土佐商会跡」の石碑発見^^

<18 清風亭跡>
1867年1月、後藤象二郎が武器や軍艦の買い付けのため長崎に来ていた時に
清風亭で龍馬と会談し、前途の大局を語り合い意気投合します
この「清風亭会談」以後、協同して政治活動にまい進し
1867年4月には土佐海援隊を結成し
10月には大政奉還が実現するという大きな歴史の流れにつながるんですね
この「清風亭跡」は数人の方にお聞きし、この辺りということはわかったんですが
結局、石碑などは発見できず
悔やまれます、まあ次回の宿題としときましょう^^
今回、我が家の勉強不足もあったのですが
それにしてもパンフの地図には参りました
方位は違うし、番号が振ってある場所も何ヶ所も違うし、おおいに迷いました
ま、でもこれもいい思い出になることでしょう
さあ、次はもう少し南下しましょうか
でも、今日はこの辺にしておきまーす^^
<後藤象二郎邸跡>
[アクセス]地図はコチラ
<小曾根(こぞね)邸の跡>
[アクセス]地図はコチラ
<土佐商会跡>
[アクセス]地図はコチラ
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寒桜だと思います
あまりにきれいだったので
知らないお宅で咲いていたのですが、勝手に写真に撮ってしまいました
今日は春一番も吹いたとか
このところ気温20度を超える日が続いていますし
寒さで背中を丸める日の少なくなるのでしょうね
さてさて、長崎の街歩きもだんだんとマニアックになってまいりますよ^^
<9 聖福寺(しょうふくじ>
1678年、隠元禅師の高弟木庵(もくあん)の弟子鉄心(てっしん)が
宇治の黄檗山万福寺(おうばくざんまんぷくじ)で修行した後、創建しました
ここも龍馬のゆかりの地のひとつなんです
1867年、坂本龍馬らが乗った「いろは丸」が
瀬戸内海で紀州藩の巨大蒸気船「明光丸(めいこうまる)」と衝突しました
龍馬ら乗組員は全員明光丸に移り無事でしたが
「いろは丸」は積荷と共に沈没してしまいます
世にいう「いろは丸事件」です
この海難事故の談判がここ長崎の聖福寺で行われたのです
龍馬ら海援隊メンバーは土佐藩参政・後藤象二郎とともに
紀州藩勘定奉行・茂田一次郎をトップとする紀州藩に対し交渉をし
結局、紀州藩に賠償金8万3,000両を支払わせることが決定しました
龍馬はこの談判中に「船を沈めたその償いに、金をとらずに国をとる」
という歌をつくり、人々の同情を誘って海援隊を支持させるという
巧みな世論操作も功をなしたと言われているようです

ここに着いた途端、荘厳な空気を放っている山門にしばし見入ってしまいました


数人ではありましたが、老若男女訪れていましたよ
見上げると各所に興味深いものがいろいろ目につきました


期待を高めつつ、石段を登ります
何本かある大きな木々の間を木洩れ日が柔らかく降り注いでいました
石段を一回直角に曲がってまた登っていくと
そこにはまた趣のある天王殿がありました


熟年は山門をくぐれば本堂に、と思っていました
この天王殿という名称は中国伝来のものだそうです
左右を通り抜けとした門で仏殿と兼用する独特の形式を持っているんです

今調べてわかったのですが
なんと、中央部分は山門側と大雄宝殿側に背中合わせに仏殿があって
仏殿と門を兼用する独特の形式を持っていたんです
山門側が「弥勒堂」といい
黄檗宗では弥勒菩薩の化身とされる布袋さんがにこやかに鎮座いているそうです
うん、これは見たような気がします
大雄宝殿側は「護法堂」といい
守り神・韋駄天が釈迦の説法を剣で護っていたんだそうです
どこかに書いてあったのかな、全然、気がつきませんでした^^;
そして、じゃ?ん、大雄宝殿です


釈迦(大雄)を本尊として祀る仏殿です
1715年に改築されたもので細部に黄檗建築の特徴を表しています
正面半扉の浮彫り彩色の桃や正面の朱塗り卍崩しの勾欄が珍しいようです
屋根の釉薬かけ瓦は肥前武雄産であり、長崎では他にないとか


当時のたたずまいが残る静かで厳かな雰囲気のお寺でした
県の有形文化財にも多く指定され
すごく良いところを見せていただいたと二人で感激しました

さあ、次に参りましょうと筑後通りを西にほんの少し歩くと
こんなものが視界に入ってきました


なんだか包帯でグルグル巻きにされたような痛々しい姿ですが
元気を取り戻すための処方なのでしょうね
樹齢は定かではありませんが、これからもすくすく生長していって欲しいです
<10 福済寺(ふくさいじ>
次に向かったのがこちら、福済寺です
崇福寺、興福寺、聖福寺と共に長崎四福寺といわれる黄檗宗の唐寺です
1628年、唐僧・覚悔が弟子の了然と覚意を伴い長崎に渡来し
媽祖聖母を祀ったのが起源とされています
福済寺の建造物は戦前、国宝に指定され
長崎三大唐寺(聖福寺を除く三寺)といわれていましたが
原爆によって2日間燃え続けて全焼しました

現在は1979年年に亀の形をした霊廟を台座とした万国霊廟長崎観音が
原爆被災者と戦没者の冥福を祈って大雄宝殿跡に建立されたようです
観音様の写真は撮っておりません


こちらは龍馬が勝海舟と来崎した際、逗留したところなのです
初めて長崎を訪れた龍馬、この高台にある福済寺から街を見ていたんですね
<11 本蓮寺(ほんれんじ>
本日最後はこちらのお寺です
道路際に遠くからでもわかるように建っているものがありました


こちらは龍馬と直接な関わりはありませんが
勝海舟が長崎海軍伝習所で学んだ時期に4年間滞在した大乗院があったところ
ここで勝さんは”くま”さんと知り合い、二人の子をもうけました
くまさんのお墓はこの近くの聖無勤寺にあるようです
(↓説明板のみ撮影してきました)

長い石段を上っていくと本蓮寺の本殿がありました


こちらには沢村惣之丞の墓もあるようです
お墓があまりにも多すぎて探すのは諦めました
ちなみにキリシタン弾圧の際に
信者が投げ込まれたという伝説が残る南蛮幽霊井戸があるという話です
知らなくてよかったということもあるのですね
今日もお付き合いくださいまして、ありがとうございます
明日もまた覗いてくださいね^^
<聖福寺(しょうふくじ)>
[所在地] 長崎市玉園町3-77
[指定] 聖福寺山門 県指定有形文化財(昭和36年11月24日指定)
聖福寺天王殿 県指定有形文化財(昭和36年11月24日)
聖福寺大雄宝殿 県指定有形文化財(昭和36年11月24日指定)
梵鐘「鉄心の大鐘」 市指定有形文化財(昭和51年12月15日指定)
[アクセス]地図はコチラ
もちろん真央ちゃんもヨナちゃんも凄かったです
でも、地元カナダのジョアニー・ロシェット選手は突然の不幸にも
気丈にSPを滑り、3位につけるという見事な演技を見せてくれました
滑り終わった後、泣きながら「ママ」と繰り返しつぶやいていたように見えました
フリーでも頑張って、お母さんにメダルを見せてあげられるといいですね
さて、長崎さるきの続きです
<7 長崎歴史文化博物館 龍馬伝館>
風頭公園を下り、街中の龍馬ゆかりのスポットをいろいろ巡りながら
目指すは「龍馬伝館」です
地図を頼りにウロウロしながらの到着でしたが、どうにか着きました
「どうしてこんなに人が少ないんだろう」と思いながら^^;


それもそのはず、この入り口を利用する人はいなかったのです
この時期、こんなわけないですよね
中に入るとすぐさまごった返しの人の渦に巻き込まれてしまいました
本来はこちらの方が奉行所の正面入り口にあたるんです^^

なんとまあ立派な建物です
「143年ぶり、龍馬奉行所に現れる」というフレーズにも惹かれますね
大河に合わせて1年間限定の展示館ということですが
「龍馬伝」のストーリー展開と連動して、三期に分けた展示変更が予定されています
現在はオープンの1月から4月までの期間中で
展示コーナーが「龍馬、黒船を見る」
龍馬の魅力コーナーでは「立志編」出会いの季節を表してあります

一番興味のある最初の龍馬と長崎に関連する場所には黒山の人集り
予想はしていたけれど、待てど暮らせど動きゃしない
人が流れないことに苛つき、遠目にチラチラっと見て通り過ぎました
みんな考えることは一緒だからね^^;
先に歩を進めるとドラマのコーナーに入りました
見たような着物が現れましたよん
撮影禁止の札もなかったので写真に収めることにしました


ん?加尾の着物ってこんな柄だったっけ?と、思って次を見ると・・
おお、これこれ!福山の着ていた着物だ!


福山の身に付けていた刀や台本、現場の設計図などもありました

途中にある「実録 長崎+龍馬 回天への奇跡」の説明を面白く読んでいたのですが
結局、謎の部分が多く、ちょっと不完全燃焼のままでしたが
謎があるからこそ、龍馬様から放たれる光は今もなお輝かしく感じられるのでしょう
そのうち、お白州劇場では寸劇が始まるらしく
廊下をひとりのお姉さん?が早く座れとばかりはやしたてております
熟年夫婦はその声に誘われるまま座ったのですが
確認すると、その時間までには15分近くあったので待ちきれず
後ろの人達に席を譲りながらその場を立ち去りました^^;
そして、この龍馬伝館でのメイーンイベント!?
「花街お座敷撮影コーナー」にやってきましたー!!
らぼっち、龍馬気分で長崎花街を楽しむ?♪なんちゃってね
係のお兄さんがらぼっちのカメラで撮ってくれます

実は、流れ作業的に写真撮影をするもので、気分を味わうにはちょっとねって感じでした
後で気に入ったらお買いあげ?のパターンでもう一枚撮られました
もちろん買いませんでしたけどね
この龍馬伝館は2階部分
1階エントランスにはまたしても龍馬像

隣には、ドラマで福山龍馬を食ってるというもっぱらの評判の岩崎弥太郎像

写真で見る弥太郎とドラマの弥太郎といささかイメージが違うと思っているのは
我が家だけではないと思うのですが^^
龍馬伝館の造りをよく知らないままに入りこんで
流れにまかせて外に出てきてしまいました
そして後で気付くことが多いっちゅうのがこの熟年ふたりです

なあんだ、駐車場ってここにあったんだ
だから1階エントランスに駐車場からの人が多かったんですね
どこから人が湧いて来ているのかと思っていたんです
そして、当時の長崎奉行所の石積みと石段が
そのまま使ってあるということを案内係の方に聞いて知りました
ああ、本当に色が違っていますね^^

人とは違うルートを通ってしまいましたが
「龍馬伝」様々の施設でした
長崎県と長崎市が共同で運営している珍しい博物館ですが
龍馬伝館、来年1月にはどうリニューアルするのでしょうか
ちょっと気になります
<8 長崎まちなか龍馬館>
今年1月2日にオープンし、来年2月28日までの開館だそうです
写真を撮らなかったのでパンフでもどうぞ

実は最初立ち寄った時、二人ともな?んかぱっとしない感じがしてスルーしたのです
ところが、土佐商会跡がこちらにあると聞きつけ再度訪問
受付のお姉さんに聞けども「わかりません」の返事
なんだって?、どういうことだ?と少々ヤケ気味に^^;
せっかく来たのだし、ここもやっぱり見ておかないと
話にも何にもならないよねということで結局入りました
最初に来たときも地下入り口に「長崎龍馬の道」コンセプトムービーを見るため
長い行列が出来ていたので、どうかなあと半信半疑のまま並び、順番を待ちました
並んでいると「5分ですから」の声
ええ?たったの5分?
はい、すぐに順番がまわってくるはずでした
それなのに熟年の前で一旦閉じられ、「立ち見でしたらご覧いただけます」
もちろんふたりも「立ち見でいいです」と言って入りました
ところがやっぱり5分のものでした
歴史浪漫あふれるルート42ヶ所の映像がパッパパッパと素早く切り替わるのみで
ベースが効いたバックミュージックはありましたが
ナレーションも何もなく、あっけに取られたまま終わってしまいました
人の流れに沿って地下1階の奥に進んで行くと
龍馬ゆかりの場所などがちょこちょこっと再現してあります
そして一角に「上野彦馬写真館」なるものがありました
またまたらぼっち龍馬登場です

ちょっと首の位置はずれてるし、着崩れてもいて
どう頑張ってもなりきれる訳はないのですが、記念ということでお許しください
帰って写真を見て気付いたんですが、隣の台に片肘をつかないとですね
長崎の街の方々には悪いのですが
ここはちょっと思った以上に残念な印象を受けました
商業施設の感が否めないというか、「ほ?!」というものがありませんでした
なかなか良い場所にあるのですから
カフェスペースをもう少し充実していただくとよかったかな
熟年もここでお茶しようと思っていたのですが
予定変更して外のタリーズに行くことになってしまいました
<長崎歴史文化博物館 龍馬伝館>
[所在地]長崎市立山1丁目1番1号
[電話番号]095-818-8366
[休館日]2010年1月?2010年12月まで無休、2011年1月以降は第3火曜日
[開館時間]8:30?19:00
[入館料]常設+龍馬伝館共通券 一般800円、小中高生400円
龍馬伝館券 一般500円、小中高生250円
[アクセス]地図はコチラ
亀山社中資料展示場を少し行くと「若宮稲荷神社」があります
南北朝の武将、楠木正成を守護神とすることから
坂本龍馬など多くの志士達が参拝し勤皇稲荷とも呼ばれています

こちらでは10月の大祭に「竹ン芸」といって
2本の青竹約10mの上で白狐に扮した若者が
お囃子に合わせて妙技を見せる事で有名なんだそうです
250年もの伝統があり、長崎市の無形民族文化財に指定されています



出初め式のようなものかなあ
あ、あれは梯子だった^^;
どっちにしても高い所での技は考えただけでも怖いです
あれ?ここにもミニチュアの龍馬像がありますよ
なんでも風頭公園の龍馬像の原像が平成21年7月に
亀山社中跡の改修を機に社中跡からこちらへ移設されたということです

朝陽を浴びて凛々しいお顔をなさってます(うーん、電線が邪魔だな)
高さは1mということで
これくらいのが売ってあったら欲しいかも、なんて思ってしまった^^
こちらの御神木は少し奥にある「マキ」でした
団体での観光の方々はここまで来る人はおられず
熟年夫婦だけがウロウロと木を眺めておりました

せまい山の上なので社殿は地形をそのまま利用して建てられたようですね
龍馬様は街を背にしておられます


<5 亀山焼窯跡>
さあ、ここからまた坂道を登っていきますよ
途中には白地に青の絵が美しい焼き物が作られた「亀山焼窯跡」がありましたが
現存しているという窯の奥壁の一部がどれなのかさっぱりわかりませんでした


<6 風頭公園>
民家の間を抜け、狭い石段を登ると「風頭公園」に到着です
若宮稲荷神社からは約10分といったところでしょうか

公園内は工事中で少し歩きづらかったですが
きれいな公園に生まれ変わるための工事なのでしょう
ふぅ?、やっと着きましたよ!龍馬様!!

全国の有志からの募金によって建立された龍馬像が
こちらは街を見下ろすように建っています
「亀山社中ば活かす会」が、建立した司馬遼太郎の『竜馬がゆく』文学碑もありました

とにかくここは眺めがバツグンです
長崎の街が一望できる場所なんですね
木の上部を払ってあるので、更に見通しがいいですよ
あまりに素晴らしいのでパノラマで撮ってみました
(↓拡大してご覧ください)

未来を睨み、世界と交易してきた港町長崎を見下ろす龍馬様
今の時代をどう見ているのでしょうね

さて、龍馬像を拝んだ後は来た道を戻り、途中から”龍馬通り”を下っていきます
写真からもかなりの落差があるのがわかります?


そして長崎といったら猫!
まだ、2月なのでニャンコには会えないかと思っていましたが
この日は天気がよかったからか、ニャンコの姿が結構多かったですね



いや?、癒されるなあ^^
寄ってきてはくれませんでしたが
逃げもせず思い思いの格好でくつろいでおりました
そして、帰りは龍馬通りを途中からはずれ
近道をしてお墓の間を下りていくことにしました
しかし、長崎の人は出かけたり帰ったり墓参りしたりするのに
この坂を毎日上ったり下りたりするのですよね
足腰が鍛えられるよなー!
この辺りの人達は我々二人よりはるかにお元気だろうと思いました
まだ昼前なのに、この坂を下りきった頃
そろそろらぼっちの顔が曇ってきつつありました^^
<風頭公園、龍馬像、『竜馬がゆく』文学碑>
[所在地]所在地 伊良林3丁目510-6
[像の建立]平成元年5月21日
[像の高さ]ブロンズ製、全身像3.2m
[アクセス]地図はコチラ
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なんと浅田真央の付き添いでホテルのロビーみたいなところに
裏口から入ったそうな^^
真央は付き添いの言うことも聞かず、友達とペチャクチャ
もーう、と思ったその時、自分がスッピンだということに気付いて大慌て
洗面所に駆け込むも化粧ポーチがなーい(T_T)
というところで、お目覚め^^
面白いので、許可を得て載せます^^
8時半に長崎に到着した二人
足取りも軽く元気なうちに山手側に行こう、と決めていました
とにかく坂の途中の狭いところと知っていたので
観光バスの団体さんが来ない内に急ごう
<1 亀山社中記念館>
歩くこと約30分、山裾の寺院が並ぶ通りにようやくでました
ランタン祭りの会場の一つにもなっている興福寺や
親鸞和尚の像が入口の脇に立つ深崇寺
そして道路脇に続く石垣がよいな^^



ここからが龍馬通りですがさらに登ること10分

途中かわいらしい看板に癒されます^^
地域の方が盛り上げようとしているのを感じます

いやあ、さすが坂の街だな、なんて思ってましたがまだこれは序の口!
ようやく亀山社中記念館に到着と思ったら
ぞろぞろ、団体さんが降りてきます、出遅れたかー!

日本最初の商社といわれる「亀山社中」は慶応元年(1865)に坂本龍馬と同志により
薩摩藩や小曽根(こぞね)家の援助を受け結成されました
海運業、商業活動の他に討幕運動にも参画しました
老朽化した建物を、長崎市が幕末期当時の間取りをほぼ復元し
平成21年8月1日から公開しています
建物の中はやり狭いですね
龍馬や海援隊ゆかりの貴重な資料が展示されています
撮影OKっていうのは嬉しいです


幕末の同志たちがこの場所に集まって、国の夜明けを語り合ったのですね
ここから見える長崎港の景色は大きく変わったでしょうね、龍馬さん^^

刀が置いてあり、龍馬をバックに記念撮影もできます
<2 龍馬のぶーつ像>
ここも行ってみたかった場所の一つ
亀山社中を出てすぐのポケットパークにあります

ちょうど団体さんが帰られるところで待たずに済みました
ぶーつをはいた龍馬の写真を参考に作られたとのことです


船の舵もありますよ
一般の方は前からのアングルでしょうが
らぼっちは、龍馬が眺めたであろう景色をバックに1枚♪
「さあ、自由の境地へ向かうぜよ」
<3 亀山社中資料展示場>
ここの存在は知らなかったのですが看板どおりに向かうと狭い通り沿いにありました
こちらもちょうどご老人の団体さんが帰られるところです



こちらの資料館は、亀山社中跡で展示していた龍馬や幕末の志士達の写真
乙女姉さんあての最初の手紙などが展示されています
ここもレプリカの刀と短銃を構えた記念撮影ができます

「亀山社中ば活かす会」という地域の方たちが運営していて入場は無料です
おばあちゃんが、「どちらか、こられましたか?」「熊本からです」
「それは遠いところからようこそ、ゆっくり見ていってくださいね」
おじいさんが龍馬の手紙を嬉しそうに説明してくれました
そのおじいさんは玄関までお見送りしてくれましたよ^^
さて、今日はここまで♪
明日はもう少し坂を登りましょうか^^
<亀山社中記念館>
[所在地]長崎県長崎市伊良林2-7-24
[電話番号]095-829-1314
[休館日]無休
[開館時間]9:00?17:00
[入館料]一般300円、高校生200円、小中学生150円
[アクセス]地図はコチラ
ベテラン葛西も2回目は135mの意地のジャンプでしたが
んー・・・・若手がなかなか台頭してこない
それにしてもスイスのアマンはノーマルと合わせて2冠!!
すばらしいです、でもあなたが強いのは
♪わかっているさ、アマン♪
って歌ったのは、らぼっちだけではなかったはず^^
結局、この歌を書きたかっただけかい^^
さて、今週末はちょっと遠出してまいりました
今年1月の龍馬伝館オープンもあって熟年にとっては
長崎市は更に魅力ある街となりました
ならば、普通はこの時期に長崎に行くって計画しますよね^^
2010長崎ランタンフェスティバルが
2月14日から28日の15日間にわたって開催されています
このお祭りは中国の旧正月(春節)を祝うための行事で
市内中心部に、約1万5千個にも及ぶランタン(中国提灯)が飾られ
湊公園をはじめ各会場には、大型オブジェが飾られます
バスツアーでとも考えましたが
ゆっくりさるくこともできないと考え直しマイカーにしました
ということで、ランタンの夜に合わせて、ではなく
朝6時半に家を出て、8時半には臨時駐車場に到着です
風は冷たいですが、真っ青の長崎の空が迎えてくれました

えっ、この時間から夜まで何してたのって?
はいーっ、12時間さるき回りましたよ
本日の記事は長崎最後のランタンフェアです^^
それとこの日は長崎県知事選の運動期間の最終日とあって
まあ最後はすごいことになってました
でも皆さん、大仁田厚が立候補してたって知ってました?
市内を歩き回っていると何やらすごい人垣が
フェアの期間中、土曜日だけ行われている皇帝パレードです
キョンシーみたいな宮廷服を着た人が歩くのをチラッと見ることができした^^

まだ15時くらいですが眼鏡橋周辺はすごい賑わいです


大きなランタンがそこかしこで飾られています
昼間でも十分に被写体となり得ますね^^

龍馬とお龍の夫婦ランタン
川岸には可愛いらしい干支が並んでいました



おやっ、女の子達がたむろしていますよ
有名な石ですよね♪
写真を撮ったり、なでなでしたりしていました^^

そろそろ、薄暗くなってきたので思案橋の方から丸山公園を回り
龍馬像を見た後、唐人屋敷会場へ
ここまで人混みをあえて避けてきた二人でしたが
この辺から雑踏に飲みこまれることになります

福建会館では胡弓の調べが聞こえてきましたが
人垣で何も見えません
それから湊公園会場に下っていったんですが
何、この人は、会場内は既に満員状態なのに
まだどんどん人波が押し寄せてくる


龍や虎のランタンは見事ですが
入ったら出られなくなると賢い判断をして
この場からの速やかな脱出を図りました
でも中華料理を食べたかったので
押し寄せる人波に逆らった1列のみの流れの後に
付いていったのが大間違いでした!
中華料理屋さんはどこも大行列
しかも押し寄せる人波はいっこうに衰えず
このランタンの下は一分の隙間もない人人人・・
中には赤ちゃんやワンコ連れ、大丈夫だったろうか・・・

もう早く戻ろうということになって
ようやく浜町アーケードを抜けたところ
ん?人が流れてないぞ
なんと鐵橋の上で人が何重にも重なり
選挙カーのうえで、だみ声が響いています
大仁田厚です^^

熟年も立ち止まって聞いていると
なんと松山千春が応援に来るとのこと
それまで自分は前座で語らせてくれ、だって
皆はそれで待っているのか
後3分で来ますからとアナウンスしてますが
この車の渋滞と人混みではまず不可能でしょう
とにかくこの橋も抜けて早く戻ろう
でも1人しか歩けない幅に反対側からも人が歩いてくる
小さな子供達は足下にいるし
体が浮き上がる感覚ってこれを言うんですね
この30?40m位の長さの橋を渡るのに
明石市の花火祭りで多くの人達が亡くなったように
圧死するんではないかと恐怖を覚えましたよ

もう臨時駐車場に戻ってきたときは
足にまめが出来たのも忘れてホッっとしました
それにしても、観光バスがたくさん止まってましたが
たぶん帰りの集合時間に間に合わない人が多数いたのではないかな
なんて余計な心配をしてしまいました
臨時駐車場を出たのが20時半
なんと12時間も歩き通しでした^^
熟年はランタンより、夜景がいいです
今度長崎に来るときはランタンフェアをはずして来るでしょう

明日からは、龍馬スポットが続きますです、はい^^
<眼鏡橋>
[住所]長崎県長崎市魚の町
[形式]2連の石造アーチ
[橋長]22m
[橋幅]3.65m
[橋高]5.46m
[完成]寛永11年(1634年)
[アクセス]地図はコチラ
今日はちょっくら遠出をしてきます
今日中に帰ってこれるかどうかわかりませんので
夜8時の予約投稿をして出かけることにします^^
どこに行くのかって?
それは明日のお楽しみ!です♪
最近、我が家ではスイーツと言ったらロールケーキと決まっていて
ドライブで通りがかったケーキ屋さんに飛び込んでは買い求めております
で、ロールケーキネタが二つたまってしまったので
ケーキ屋さんには申し訳ないのですけど
食べ比べと参りましょうか(食べた時期は違いますが)
まずは1月の末に菊池方面に出かけた際に立ち寄ったお店
「Noguchi」さんです
美味しそうなケーキが勢揃いしていましたが
他のケーキには目もくれず、ロールケーキひとすじといきます
こちらにはちょっと有名な?キャラメルマロンロールもありますが
ひたすらプレーンを、と思ったものはハチミツでございました
どうしてプレーンがないのか不思議ではありましたが
とりあえず生ロールでしたので、トライしてみました
一口食べるとやはりハチミツの香りがします
悪くはないのですが、わざわざ入れなくても美味しいのじゃないかと思いました
スポンジはふんわりと柔らかくクリームの甘さもよかったです
食べ終わってからラッピングの上の紙を見ると
横っ腹にこんな文章が書いてありました
う?ん、我が家ではコーヒーと一緒に食べましたが
ほんと、これなら日本茶に合いますよ、きっと^^
二つ目は今月の初めに行った川尻の「天明堂」さんです
やっぱりここでも他の美味しそうな誘惑に負けそうになりましたが
そこはぐっとこらえて、ロールケーキの「フレッシュロール」のみを購入
ロールケーキしか買ってないのに、包装するまでの間
紅茶とコチラの名物「はいからチーズ饅頭」を切ったものが出てきました
いっただきま?す!
コラッ!食べた後じゃないか!
なんで食べる前に写真撮らんのかいっちゅうの!!
すみません、たいへん美味しかったです
こちらが「ふれっしゅろーる」です
この黄色や青、オレンジの色は後から手作業で塗ってありました
暖かみが出ていますね
こちらのロールケーキはほんの少?しもっさりした感じがします
ショートケーキに使えるくらいで、もしかしたら、なんて思ってしまいました
生クリームもちょっと甘めでした
チーズ饅頭をいただいたのに、辛口になってしまいました
たまたま一週間のうちに2本出合うことになったので
一緒にアップしてしまいましたが
なんだか、ロールケーキ中毒になっていくようで心配です
ま、頭への害はないでしょうけど
ひたすらメタボ街道をまっしぐらの様相を呈してきつつあります
いつか飽きる時が来るんじゃないかと楽観視していたり・・
だめだこりゃ^^;
今回もロールケーキ、ご馳走様でした♪
<Noguchi>
[住所]菊池市隈府814-3
[TEL] 0968-25-5332
[営業時間]10:00?21:00
[定休日]月曜日(月曜祭日の場合は、次の日)
[駐車場]5台くらい
[アクセス]地図はコチラ
<川尻天明堂>
[住所]熊本市川尻1丁目3-39-2
[TEL] 096-357-9225
[営業時間]9:00?21:00
[定休日]年末まで営業・年始は2日より
[座席] 10?20名
[駐車場]8台くらい
[アクセス]地図はコチラ
今日は「雨水」
降ってくるものが雪から雨に変わり
北国では雪が溶け始めるころのことを言いますが
昨日も阿蘇地方では雪が降ったらしく、暦通りにはいかないようです
さて、万田坑から始まった荒尾ドライブですが
こんなにうろうろしたのは初めてのことでした
そして改めて大牟田がこんなに近いとわかった次第です
最後は三池炭坑の発展のためになくてはならない三池港に行ってみることにしました
その前に三井財閥の迎賓館として明治41年に建てられた
「旧三井港倶楽部」(きゅうみついみなとくらぶ)に寄り道です
三池港の開港と同時に開館したという三井港倶楽部ですが
昭和61年(1986年)より総合結婚式場、レストランとして営業していました
そして平成17年(2005年)に「旧三井港倶楽部」としてリニューアルオープンされました
ちょっと敷居が高い感じで、恐る恐る入ってみることにしました
この日は大安でしたが、夕方にもなり人影は全くありませんでした
和洋館並立形式ってどんなふうになっていたんだろう
ハーフティンバースタイルって?
説明板を見てもわけわからん
とにかく珍しい造りのようですね
貧乏人の熟年二人は広?い庭の手前にある駐車場の
一番端っこに車を停めて見学させてもらおうと歩き出すと
どこからか、お出迎えの執事さんが・・
執事 「こちらへどうぞ!」
熟年 「はっ、恐縮です」
執事 「ここは広うございましてね・・・」
熟年 「さようでございますね・・・」
案内されながら建物のほうに進んで行くと
りっぱな庭も見えてきました
通路を隔てて広い庭の反対側には何やら銅像や石碑もあります
修復もされているのでしょうが
庭から見る建物はまるで当時のような優雅さや綺麗さを演出しています
煙突?暖炉もあるのでしょうかね
外国高級船員のための宿泊施設としてつくられ
また、ある時は皇族や財界人等の格式高い方々をも迎い入れてきた
豪華な洋風木造建築物なのですね
正面にまわってみるとまた一段と格調高い雰囲気があります
平成17年には大牟田市有形文化財に指定され
平成19年には近代化産業遺産の指定も受けているようです
平成16年の閉館、売却により存続が危ぶまれた三井港倶楽部でしたが
建物や庭の美しい姿を残したい、思い出深い場所を残したいという市民の思いが
署名運動や出資活動を経てリニューアルに至ったという
市民あげての努力がここにあるわけです
執事さんはただ見物人の足下に佇んでいましたが
「お庭の梅も今が見頃となっております」
と、案内されました
「おや、まあ本当に綺麗ですね、執事さん」
とは言ったものの庭にはズカズカ入っては行けず
遠くから眺めるだけの二人でした
執事 「もうお帰りですか?せっかくですのでレストランでお食事でもいかがですか
そして、もう少しゆっくりされるといいのに・・」
熟年 「あ、いえいえこんな豪華なレストランでの食事なんて
私達にはもったいなくて味もわからないと思いますよ」
最後は名残惜しそうな執事さんにお礼を言い別れを告げました
あー、なんだか肩が凝ったような気がするな
ここから海側に少し行くと「三池港」に着きます
天気も悪く、海風が強く寒かったです
三池港は土砂の流入を防ぐため、航路に沿って長い防砂堤が設けられています
その全体の形から鳥がはばたく姿をイメージして作られたものといわれています
ここは干満の差の大きい有明海に面するため
干潮時にはパナマ運河と同じ閘門を閉じて一定の水位を保ちます
川尻の閘門と同じですね
近くまで行って見たかったのですが
フェンスに阻まれ、あえなく断念!
よくよく見れば、思ったよりも門はせまく
船舶が通過する時はギリギリじゃないかと思いました
ここの岸壁は切石積みで貝もたくさんくっついていて風情もありました
でも、なぜか写真は撮らずじまい^^;
公園化された駐車場にあった案内板には、ちょっと魅力的な写真が見えました
近そうでしたが、各所で道路工事中
まわりまわって私達の目の前にそれは現れました
1905年三池炭鉱専用鉄道が三池港まで全線完成し、当時は蒸気機関車が走っていました
1923年には全線が電化され、三池炭鉱専用鉄道の変電所として機能したようです
東西約33メートル、南北約17メートルあり東西に長い建物です
ここに来るまで知らなかったのですが
なんとサンデンという会社の社屋になっていたんですね
帰ってから調べましたとも!
当時、サンデンは三池炭鉱の電気工事を請け負っていました
三池炭鉱閉山に伴い、解体の話を聞いた社長が
イギリス積みの素晴らしい建物に愛着を持ち、保存したいがために
思い切って買い取ったということです
2000年12月には国の登録文化財となっています
外部の煉瓦部分には手を加えられておらず
内部の修復にはかなりの費用がかかったとか
100年経った今でも綺麗な外観を留めていました
軽?い気持ちで荒尾、大牟田を巡った二人でしたが
後世に残さなければならない歴史や事実、そして立派な建造物が
地元の方々の熱い気持ちや努力により
こうして語り継がれていっているのだと知りました
<旧三井港倶楽部>
[住所]福岡県大牟田市西港町2-6
[指定]大牟田市指定文化財(平成17年12月12日指定)
[レストラン営業]ランチ 11:30?14:30
ディナー 17:00?20:30(LO)21:00閉館
[レストラン定休日]火曜日
[駐車場]あり
[アクセス]地図はコチラ
<旧三川電鉄変電所(現サンデン)>
[住所]福岡県大牟田市新港町1-30
[指定]国登録文化財(平成12年12月4日登録)
[駐車場]サンデンの駐車場
[アクセス]地図はコチラ
どの競技もその一瞬に力を発揮することがいかに難しいかを痛感させられます
日本の期待を担い、それに応えなければならないという重圧
そして、ほんのちょっとしたタイミングのズレで
体力的にも精神的にも張りつめたものが切れてしまう繊細さ
オリンピックには魔物がいるとも言われる所以かもしれません
しかし、日頃の成果を出し切れず競技が終わってしまい
悔しくてしゃべりたくもないであろうアスリート達はインタビューで
応援してくれた人達に感謝の気持ちを表していました
連日テレビを見ている私達に感動を与えてくれる選手たちに拍手の毎日です
さて、荒尾周辺をウロウロしている続きです
荒尾にも古い石橋があるということを
「検定に出ない熊本雑情報ブログ2」の管理者Uさんのブログで知り
行ってきましたよ
その橋は福岡県との県境の関川に架かっています
江戸時代は肥後と筑後を結ぶ三池往還の重要な場所だったようです
岩本番所という藩の関所もあったということです
その後架けられた石造りの眼鏡橋が「岩本橋」です


なぜ、ここが二連のアーチ橋になったかというと
川幅が広いわりに堤防が低かったからのようです
一連だと橋の高さがかなりになるということなんですね
橋が架けられた年代は
安政5年(1858年)明治元年(1868年)明治9年(1877年)など諸説あるようです
例の東陽村種山の石工、橋本勘五郎が明治4年頃架橋したのではないかとか
話は定かではないような事が多いです
やや扁平な楕円になっていて、阿蘇凝灰岩を使用して造られています
そして、古さと保存状態の良さもあり県の重要文化財に指定されています


じゃ、早速渡ってみましょうかね

おや?、横から橋全体を見ていると気付きませんでしたが
もしかしたら、やはりこの橋は勘五郎さんが棟梁だったのではという装飾が・・



なあんて、ちょっと知ったかぶりしてしまいました^^;
でも、帰ってから調べていたら
西側外面には「菊花紋の陽刻」があるようです
ま、知っていたとしても
覗くのが怖くて確認なんかできなかったでしょうが
この橋は渡ると言っても向こう岸には行けません
これは昭和37年7月の集中豪雨で橋の一部が破壊されたため
東側に新岩本橋を造る際、川に分水路をつくり橋を守る工夫がされたからです

橋を渡った先は中洲の島になっているのです
東屋が設けられ公園化されたところは
結構大きな桜の木が何本もあり、花見の季節にはモッテコイの場所です^^
では橋の下の方にまわってみましょう

常時川の流れにさらされる橋脚を守るための水切りです
水の抵抗に強い小岱石を使用しているということです



夕方もせまる中、熟年夫婦は結構ウロウロとしておりましたが
こちらお二人さんは私達が到着する前から座っていて
まだ、立ち上がる気配はありませんでした

この寒い中、風邪引いたりしないかなとちょっと心配になりましたが
二人のハートはぽっかぽかでちっとも寒くはないらしい
でも、二人の間には微妙な空間があったのです
若いっていいね^^
二人に「お先に、邪魔してごめんね」と小さくつぶやき
熟年夫婦は橋を後にしました

<岩本橋>
[住所]荒尾市上井手
[形式]2連石造アーチ橋
[橋長]32.0m
[橋幅]4.0m
[アーチの直径]12.5m と 12.6m
[完成]1858年とも1868年など諸説ある
[石工棟梁]橋本勘五郎と推定されている
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「大牟田・荒尾 TantoTanto(炭都炭都)アクセスマップ」なるものを目にし
一枚いただきました
それを見ると、近辺にはたくさんの炭坑跡があることがわかりました
ほとんどが大牟田市にあるようです
万田坑の名前しか知らなかった私達は
せっかくだから行ってみようと車を走らせました
ちょっとマニアックなネタが続きますがご勘弁^^
まず向かったのが万田坑と同じく国の史跡・重要文化財に指定されている
「宮原坑跡」です
ここまでの道がかなり狭かった?^^;


明治31年に第一竪坑、同34年に第二竪坑が完成したとあります
現在は第二竪坑の施設しか残っていませんが
煉瓦の巻上機室や鋼製の櫓が当時の様子を忍ばせています
ここでは深さ約160mの竪坑から年間40?50万トンの石炭を掘り出していたようですね

櫓は綺麗に塗り替えられていました
煉瓦は万田坑と同じくイギリス積みなんですね
積み方には、他にオランダ積みとフランス積みがあるそうですが
違いは全然わかりません^^;


そして驚くことに宮原坑では
三池集治監(今の刑務所)に収監されていた囚人たちが採炭作業にかかわっていたとか
その厳しい労働から別名「修羅坑」とも呼ばれていたようです
そうせざるを得ない歴史があったのか
過酷な作業に差別的な要素を含んでいたとしたら胸が痛みます
「三池集治監」の外壁らしきものも残っているらしいのですが
どこだかよくわかりません
ただ、「三池集治監」の跡地は三池工業高校となっているようです
こちらは昭和6年(1931)に閉坑しました
一般公開が毎月第3土曜日にあるということです
何が見られるんでしょうかね

すぐ横には引き込み線の跡が残っておりました(たぶん^^)

次に向かったのは、宮原坑から北にあります「宮浦坑跡」です
こちらは「宮浦石炭記念公演」になっていました
おお、煙突も見えますよ


大牟田にそびえ立っていた煙突もここだけになってしまったということです
「♪あんまーり、えんとつ?ぅが?ぁ、たっかい?ぃのでー・・♪」の煙突ですね^^

高さは31.2mあります
田川市に残る2本の煙突は45.45mですので少し及びませんが
なかなかどうして威風堂々と立っていました
この煙突も国の登録文化財に指定されていました


その横にはいろいろなものが展示されていました
まずは大きなプラットホームのある坑内車両に目がいきました
ここ「宮浦坑」はここから北東方向にある
「七浦坑」の空気流通と採炭予備のために開鑿が始められました
明治20年(1887)2月開坑とありました
揚炭と人員の昇降に限定した炭坑だったようです
規模が大きくなってしまったのでこの大斜坑が造られたのですね
長さは1kmあるそうですよ、長い!
このプラットホームも当時のものらしいです
平成2年まで使われていたとは驚きです


救急車の文字が見えますが、これは昇降用の人車が展示されています
他にも車掌車、普通車、特定車、負傷車、などがあります
救急車と負傷車は分かれているものだったんですね
運転席はよくわからない造りですが
簡単に見えるのはうちらばかりでしょうか

こちらは第一竪坑跡です
煉瓦で坑口の大きさを示してありますが、案外狭いものだと思いました


そして、材料降下坑口跡
工具車、材木車、タンク車が置かれていました


あとは坑内機械が3基展示してありました
岩を砕きダイナマイトをしかける穴を掘るドリルジャンボに
坑道を掘るときに出た土や岩を、積込むサイドダンプローダです


石炭燃料が工業の中心となっていた時代
”ヤマ”は活気に満ち溢れ、町は潤っていたことでしょう
ただ、その背景にたくさんの命が奪われる事故があったり
過酷な労働を強いられてきた人々の声なき叫びがあったことを
現代の私達は絶対に忘れてはいけないと心に刻んだのでした
この公園の北側では、三井化学の工場の煙が風にたなびいていました

<宮原坑跡>
[住所]大牟田市宮原町1-86-3
[指定]国指定重要文化財(平成10年5月1日指定)
国指定史跡(平成12年1月19日指定)
[公開日]毎月第三土曜日(午前10時?午後5時)
[駐車場]なし
[アクセス]地図はコチラ
<宮浦坑跡(宮浦石炭記念公園)>
[住所]大牟田市西宮浦町132-8
[指定]国登録文化財(煙突:平成10(1998)年1月16日登録)
[駐車場]乗用車6台くらい
[アクセス]地図はコチラ
今日のバンクーバーオリンピックのスピードスケート500m、やってくれました♪
不安要素ありの二人でしたが、スタートが良かったですね
加藤選手が途中少しグラついたので思わず息をのみ
長島選手は大きく膨らみ、見ているほうに力が入りました
一番の金ではないにしても銀、銅と一度に2つ!
今後の日本選手も後に続いてほしいですね
がんばれ、ニッポン!!
さて、荒尾の万田坑に行った後
らぼっちにどうしても食べさせたいものがあったのです
それは「万幸堂」さんのメロンパンです
とっちんはずいぶん前、仕事で荒尾に行った時とかに買っていたのですが
その頃らぼっちは単身赴任中で、お目にかかっていなかったようです
知らなかった^^;
前(かなり前)に買いに行った時は焼きたてをいただいて感激したので
今回も!と思ったのは甘かったです
店頭にはわずかしか出してありませんでしたし、予約もたくさん
手前の棚の籠は空でしたが、こんな表示の紙がありました
なになに?バレンタインデーの限定?土曜日だけの限定?
もおー、こういう言葉に弱いんだよな
でももうないし・・ と思っていると
「お作りしますよ」とレジの方からお姉さんの優しい声♪
あらん、そうなんですかとばかり早速1個ずつ注文しました
もちろん普通のメロンパンも^^
みんな10個単位で買って行かれてましたが
うちは二人なので5個だけにしました
ささ、車に乗るが早いか1個取り出しました
昔なつかしい「メロンパン」です
上はザラメとかかかってなくてカリッカリッですよ!
中がふわふわなので半分にわりにくい^^
あははっ、またしても車の中にぽろぽろとこぼれてしまいました
それだけ中途半端じゃないということですね^^
ほんのり甘く、クセになる味です
100円というのがまた嬉しい♪
そしてバレンタイン限定の「チョコレートクリーム」
ちょっとチョコレートクリームが少ないかなと思いましたが
そんなことはなくちょうどいい感じでしたよ
土曜日限定の「きなこフレーク」
コレ買った時に「きなこクリーム」だと思ってたのに
食べてフレークがジャリジャリしたのでビックリしました
少しきなこクリームが甘過ぎるような気がしました
もうひとつは「ピーナツバタークリーム」
こちらもピーナツの砕いたのが入っていました
風味はよかったのですが、なかなかの歯ごたえで
ふわふわのメロンパンにはどうなのかな?という感じでした
すべて食べ終わってから、らぼっちが言うことにゃ
「やっぱり普通のメロンパンが一番美味しかった
メロンパン10個買っとけばよかった
店の前だったら、3個は一気に食べられたかも」だって
なんでもシンプルなのが一番ということですかね
メロンパンは次の日には少ししっとりするということです
今回もご馳走様でした♪
<万幸堂>
[住所]熊本県荒尾市四ツ山町3-2-6
[TEL]0968-62-0323
[FAX]0968-62-1528
[営業時間]10:00?18:00
[店休日]日曜日、祝祭日
[駐車場]乗用車20台
[アクセス]地図はコチラ
ユネスコの世界遺産暫定リストに登録された
「万田坑」を見に行こうということになったからです
いつもどおり、「まあ、行ったらなんとかなるんじゃ」と
ナビで万田という地名あたりをウロウロしてると見つけました
まずは近くの「万田炭坑館」を訪れてみました

平成11年当時の大きな航空写真がフロアに描かれています

この施設は地域の研修施設を兼ねており
こじんまりした資料館という感じです
万田坑の歴史や人力で掘っていた当時の機具、服装、竪坑模型
などが展示されています


ここで何と万田坑が現在改修工事中と知り、がっかり!
ここでパンフレットより学習です
「万田坑」は三池炭坑の坑口のひとつとして三井の総力を挙げて整備された、我が国最大規模の竪坑です。明治30年から35年にかけて造られた第一竪坑と明治31年から42年にかけて造られた第二竪坑からなります。
大正から昭和にかけて、各施設を電化するなど設備や機械も充実し、出炭量も増大していきました。昭和26年採炭効率が低下したために採炭を中止し、第一竪坑などの諸施設が解体されましたが第二竪坑は揚水や坑内管理のため、平成9年3月まで昨日が維持されました。
現在、第二竪坑、ヤグラ、巻揚機室、倉庫及び浴室、事務所、山ノ神祭祀施設などが保存されています。(中略)平成10年5月1日に国の重要文化財に指定され、平成12年1月19日に炭坑施設としては我が国で唯一、国の史跡にも指定されました。
さらに、大牟田市の宮原坑などとともに九州、山口の6県12市で構成する「九州・山口の近代化産業遺跡群」の構成資産として、平成21年1月5日にユネスコの世界遺産リストに掲載されており、世界遺産の本登録を目指しています。
(近代化産業遺産万田坑パンフレットより)
そういえば、昨年福岡県筑豊の旧三井田川炭坑の大きな2基の大煙突を
見学に行ったとき(その時の記事)もめざせ世界遺産という垂れ幕がしてましたね^^
工事中で少々ショックを受けながらも
「万田坑ステーション」に向かいました
こちらの施設は、(財)日本宝くじ協会からの助成により
万田坑の情報発信や観光交流などに資する施設として
平成21年4月にオープンしました
玄関脇のこの自動販売機がいいですね
それぞれの地域ごとにこのような企画が出来たらいいのに!


ステーション中央部には大きなジオラマがセットされていて
ちょうど、語り部の方がその前で説明をされていました


この人間1人が400円と言ってました
3センチくらいあったかな^^

備忘録として聞きかじったことを箇条書きにしておきます^^
・鉄製の竪坑櫓は亜硫酸ガスでサビも酷かった
・世界遺産に登録されるには100年の安全性が求められる
・サビを落としたところ八幡製鉄所製と思った櫓の鉄鋼が実は英国製と知りがっかりした
・地下水が多く石炭1t採掘するのに水10tを揚げる必要があった
・平成9年まで他の山で採掘するため第2竪坑で揚水施設が維持保存された
・竪坑のエレベーターは270mを50秒位で一気に上下していた
・福岡県筑豊のようにボタ山がないのは有明海の埋め立てに使用した
・このボタは三角西港の埋め立てにも使用され、その関係で三角西港も世界遺産のリストに上がっている
・沈下を防ぐために坑内跡は万田山を切り取って埋めた
・人力で掘っていた時代は、馬も坑内で働いており一度下りたら上がってこれなかった
・戦時中は韓国人も多く連れてこられて働いており、苦しい生活が襖に貼られていた
・先祖が働いていた場所を知りたいと韓国人観光客が増えている
最後に「私は坑内では働いていません
坑内で働いた人達は粉塵を吸い込んで長生きできないんです
だからこそ私達が若い方たちに語り継いで行かなければならないんです
私が生きている間になんとか世界遺産に登録されて欲しいんです」
という強い思いを語ってくれました
いい勉強になりました
説明されたのは語り部の慶田さん
鹿児島県出身の76歳だそうです
私達が外で写真を撮っていたら出てこられました

「昨日も来年の宝くじ振興につかうCM撮影があって
もっとオーバーアクションでお願いします
なんて言われてしまいました」
と楽しそうにお話してくれました
外は工事中でこれ以上は近づけませんが
赤煉瓦造りの施設の脇まで行くことができます

その間から、第2竪坑の櫓と赤煉瓦の建物が見えます

濁水を送り込んだ沈砂池も浚渫されていています
その奥に見える2基の煙突の一番下の部分がわかりますか
ジオラマにあったレンガの煙突は既に跡形もなく
コンクリートの2本の煙突の土台部分が残っておりました
こういった煙突が原型を残しているとまた文化価値が高まるんでしょうが
安全性との議論になるんでしょうね

坑内を埋め戻すのに使われたのが
この切り取られた万田山の土砂なんですね

それにしても良くこれだけの施設が保存されていたものです
この保存のために、どれ程多くの人達の尽力があったことか
新たな万田坑は、今年4月25日がオープンです
第1竪坑跡が上からのぞけるとのこと
また、来ようと二人で頷いたのでした^^
<万田坑ステーション> 公式HP
※万田坑は現在保存修理工事のため見学不可、平成22年4月25日からオープン
[住所]荒尾市原万田200番地2
[入館料]無料(平成22年4月25日から有料)
[開館時間]9時30分?17時
[休館日]水曜日(祝日の場合は、翌日)
[駐車場]乗用車5台(平成22年4月25日から大型バス5台、中型バス3台、乗用車73台駐車可能)
[[アクセス]地図はコチラ
今日はバレンタインデーという日ですかね
とっちんは朝から、バドミントン大会の裏方でお出かけ
昨日から何やら作っておりました
チョコレートケーキと生チョコです
チョコレートケーキはビターがきいたしっとりした大人のお味^^
生チョコはミルキーなとろけるお味^^
有り難く頂きましたよ♪
☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆
今週末はちょっと遠出して荒尾方面に足を伸ばしました
こっち方面に行くならばここに寄らないてはないでしょう
以前にも立ち寄ったんですが、久しぶりにこれを食べたかったんです^^
「田原坂万十」の中華まんとキムチまん♪
どちらも130円です
おばあちゃんがいつものとおり
発砲スチロールの箱の中から取りだしてくれました
これを2つずつ食べればお腹一杯は間違いなしかな^^
安上がりの昼ご飯をまずはゲット!!
ここの中華まんは本当に美味しい♪
くせになるとはこのこと^^
豚肉、春雨、キクラゲ、シイタケ、もやし、にんじん etc
これらたくさんの具材に胡椒がピリッとよく効いて
何度も言ってしつこいけど、旨い^^
ちょうどキムチまんを食べようとした時
バンクーバーオリンピック開会式の聖火が灯った瞬間でした
日本人選手の活躍を期待したいものです
この味盗んで田川の実家で商売でもする?
こんな話をまじな顔で熟年夫婦にさせる
そして一口頬張れば幸せな気持ちにさせる
そんな中華まん、キムチまんなんです^^
ところで、行き帰りとも、県道31号線で田原坂の前を通ったんですが
同じようなところで
背中がなんだかぞわぞわ、ぞくぞくすると助手席のお方
何かを払うかのように座席に背中をこすりつけていました
最近、なんだかとっちんの感じるものが強くなったような
皆さんも、田原坂前を通るとき何か感じるものがありますか
あっ、らぼっちはまったく何も感じません^^
<田原坂万十>
[所在地] 熊本県鹿本郡植木町豊岡(田原坂公園入口)
[TEL] 096-273-4764
[営業時間] 9時?17時
[定休日] 水曜日
[[アクセス] 地図はコチラ
建国記念日だった11日はすごい暴風雨で大荒れでした
出かけるかどうか迷いましたが
こんな時だからこそ、行こうと向かったのが
「阿蘇内牧温泉 蘇山郷」です
温泉好きの二人もこのような敷居の高そうな旅館はいつもスルー!
家族湯があるとわかっていても
なかなか立ち寄る勇気がありません^^
こんな時このタンクマ半額券が後押ししてくれますよね
土日、祝日でも利用できる貸切湯は阿蘇方面しかないので
きっと混雑するだろうと諦めていたのでした
だって、ここ貸切湯が2室しかないんです
風は治まるどころか激しくなる中、到着です
んが、旅館の前は既に満車状態!
計算が甘かったかと思いつつ
重々しい玄関を入ると
やはり歴史のある旅館という雰囲気を感じます
予約もせず、半額券を握っての飛び込みでしたが
番頭さん?が、「どうぞ」とにこやかに迎えて下さいました
ちょっと準備しますから、少しお待ち下さい
はいはい、何分でも待ちますよ
2時間待ちを覚悟して来ましたから^^
どうも空いていた樽風呂は13時から案内のようで
12時15分くらいでしたから
ご好意で早めに準備していただけたようです
待っている間、二人はじっと座っていません
こそこそ動き回ってはパシャパシャ!
ギャラリーや庭園など、歴史と和で満たされた空間ですから^^
こちらは与謝野鉄幹・晶子御夫妻も宿泊した
由緒ある温泉旅館です
貴重な写真や句等が紹介されています
雛人形も飾られていました
これは若かりし頃の熟年夫婦ですか(笑)
さて、15分くらいもすると番頭さん?が案内して下さいました
「たるの湯」50分で半額の750円です^^
泉質は、ナトリウム・マグネシウム・カルシウム硫酸塩温泉
源泉掛け流し方式です
ベビーベッドが用意されてます
まさしく家族用の貸切風呂ですね^^
湯舟の方はたるの内湯ですが
開きの窓を空けると、もう露天風呂と同じです^^
でも今日はあまりにも風が強いので
全開して撮影しようとすると
扉が風に押されて閉まってしまう
左側の扉は枝がなんとか抑えてくれています^^
そして樽風呂の縁がすごいことになっているんです
歴史というか、年季というか、幾人がこのお風呂に浸ったのでしょう
でもこの縁が欠けたところからうまい具合に湯が排水されるんですね^^
源泉は49度ありますが
湯舟の温度は40度くらいでしょうか
長湯できるちょうどいい湯加減ですよ
お湯は透明ですが口に含むと少し鉄分の味がします
お湯の中では、なんだかしっとりすると、とっちんは申しておりました
親父の肌では当然わかりません(笑)
ちょっと残念だったのが、天井がなぜかトタン板なんです
なんだか風流も覚めてしまいますね
そのトタンから、ポタン、ポタンと落ちる湯気が頭に^^
ちめたい!
けど汗がでるくらいに温まった体には気持ちいい♪
ああ、与謝野鉄幹、晶子夫妻が浸ったお湯は最高ですな
まったりできました
<阿蘇内牧温泉 蘇山郷(そざんきょう)> オフィシャルHP
[住所]熊本県阿蘇市内牧145
[TEL]0967-32-0515
[アクセス]地図はコチラ
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川尻史跡めぐりの後半は加勢川舟下りです
3艘の舟が繋がれて私達を待ってくれていたようです
靴を脱いで早速、乗り込みましょう
舟の舳先には梅の花が綺麗に飾られています
ん?すぐに下り始めるのかと思ったら、一旦上流に上っていきますよ
どうも今日はポスターの撮影があるらしくて
舟着場ではカメラマンさんが寝そべって構えています
わかりますかね? 梅の下の黒い人^^
いつどんなポスターになるんだろ^^
船頭さんは「加瀬川開発研究会」の会長であり、「くまもと水守」の井村さんです
そういえば工芸館でも見かけましたね
川尻で生まれ育った井村さん
「子供の頃、加瀬川は美しい川で子供達が泳ぎ回るのは当たり前
飲み水にもしていました、でも今はどうでしょう
若者が聞いたらウソやーと言いいますよ、それだけ汚くなりました
上流の皆さんは、自分達が飲む水には感心がありますが
排水には感心があまりありません
それがあればこんなに汚れることはなかったでしょう
その辺りも考えて欲しいというのが水守としての私の想いです
難しい話はこの辺で、加瀬川下りを楽しんで下さい
川尻月間の企画をするというので協力していますが
今の時期は花もない、なにもない、寒いだけの
オフシーズンなんです
8月は虫が寄ってきます
春は4月、秋は9月くらいが気持ちいいんですよ」
とおもしろおかしく、でも大切な話をしてくれました
加勢川への想いが強いんですね^^
舟は下流に向かってゆっくりゆっくり進みます
途中、廃船?の横を通り過ぎます
これって結構小さかったんですね
遠くから見ると煙突が高いので大きく感じていました
でも景観を壊しているのには変わりないか
それにしても、曇りなのでカメラを水面に近づけてもイマイチです
約15分位で目的地の中無田閘門に到着です
舟をゆっくりUターンさせると
おー、綺麗!
空と川が一面ブルーの世界ではないですか
背中側で、こんな世界が広がっていたとは^^
中無田閘門は実は2回目です
前回は(前回の記事)船着場が分からずぐるぐるしていて
偶然、たどり着いたところです^^
水守の井村さんはこの中無田閘門の操作も行っております
今日は加勢川と緑川の水位差があまりないから、と良いながら
加勢川側の水門を開けると緑川に向かって勢いよく水が流れ出しましたよ
そして、管理人小屋に入ったと思ったら
なにやら模型を持ってきましたよ^^
中無田閘門の模型です
閘門のしくみを分かりやすく解説して下さいました
「全国でも現役の閘門は4箇所(たしか?)ありますが
木製はこの中無田閘門だけです
上流側は造り替えましたが下流側は今年改修する計画です
当然木製で、強度のあるベイ松という輸入木で造ります」
確かに下流側はもうボロボロですね
参加者の方達は口々に、こういった地域学習を
子供達にして欲しいとおっしゃってました
「ここらは、小学校の遠足などでもよく来ます
既に、そういった地域の宝を学び来ていますよ」
この水門の上に立つと低平地でありながら
普賢岳、金峰山、飯田山をぐるりと見渡せます
なかなか、良いところだな、皆さん満足した様子です^^
さて、船着場に戻りましょうか
昔は各家庭に舟が接岸できる入口を川岸に持ってたそうです
現在石垣を改修中ですが、それを残そうとしていますね
帰りは井村さんの背後はスカイブルーです^^
「この船着場は天草五橋ができるまでは天草からの船で
活気がありましたが 陸路が出来てしまうと衰退してしまいました
その天草から弁当屋さんが見えておりますので
よろしかったら、買ってやって下さい」
そういうつながりだったんですね^^
びな弁当 350円、ぜんざい 100円
安いのでどちらも一つずつ買ってみました
昼食は、田崎市場の中トロのにぎりがあるので夕食にしましょう
でも写真用に1枚!
午前中だけの割には朝一番の田崎市場に始まり、史跡めぐりに、舟下り!
まあ盛りだくさんで、内容の濃い半日となりました^^
皆様、今週もおつきあい頂きありがとうございましたm(_ _)m
<中無田閘門>
[河川名] 緑川水系緑川 右岸 6K付近
[所在地] 熊本県熊本市中無田町
[アクセス] 地図はコチラ
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いやー、今日の大雨と強風は凄かったですね
家の中でまったりされた方も多かったでしょう
うちはこんな日だからこそ人も少ないだろうとあるところに行ってきましたよ
とっちんは髪の毛を振り乱しながら^^
そのお話しはまたいつか♪
☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆?☆
美しい和菓子や工芸を見学した二人
館内アナウンスからなにやら聞こえてきます
「川尻史跡めぐりをお申し込みの方はお集まりください」
ん?なになに? 10時スタートですと!
申し込んではいないが、今からでもいけるかも^^
本来は予約が必要なんですが、当日でも受付OKでした
要する時間はいつもなら2時間ですが
今日は史跡めぐり1時間、そしてなんと舟下りが1時間とのこと
ラッキー、ラッキー!^^
工芸館の中庭に集まっている参加者は、熟年夫婦を含めて8名
そして案内してくれる熊本市南部歴史研究会の西先生をはじめ3名です
ふむふむ、本来なら16ヶ所を巡るのですが今日は半分程度なのでしょう
それではスタートです
県道50号線を少し下ると最初の案内ポイントの「高札場(こうさつば)」跡です
幕府や領主が決めた法度などを木の板札に書き高く掲げておく場所なんだそうです
11枚建てとは大きな板だったのでしょうね
今は民家になっていて説明板もないのでわかりませんが
この高札橋がきっと目印だったのでしょう
川尻は薩軍が熊本城攻略の本営を置いたため、治安を考えて
旧細川藩川尻奉行の上田休(やすみ)が川尻鎮撫隊を独自に結成しました
川尻小学校には鎮撫隊本営跡の碑がのこされています
柔道の鬼、木村政彦を育てた道場跡です
木村の前に木村なし、木村の後に木村なし”と言わしめた柔道家ですね
漫画「巨人の星」で力道山と木村が対戦し
敗けてしまうシーンを思い出します^^
川尻から熊本まで米と物資を舟で輸送していた重要な内陸水路です
昔はこの時期でももっと水が流れていたんですけどね、と説明されていました
歴代の川尻城主を祀った古城神社です
瑞鷹酒造吉村彦太郎氏の懐徳碑と寄贈した公会堂です
公会堂は、今でも現役でコンサート等が開かれています
この日もモンゴルのコンサートが予定いました
港町川尻に四つある恵比寿さんのひとつです
でも手前の像はどなかかが置かれたもので
本物は壊れた扉の中に安置されているそうです
約300年の歴史を刻む全国的に文化価値の高い旧肥後藩の米蔵
20万俵を収納できたそうです
九曜の紋が瓦の端に見えますか
川尻は緑川水系の年貢を集める集積地の一つです
他に細川藩の年貢米を集めた場所は熊本、高瀬、八代、大津、久住、鶴崎
ん?途中、西先生に何故川尻に和菓子文化が根付いたのかを聞いたときに
細川の殿様が和菓子を造ることを認めたところ
そして他にもありますと応えられた場所とこれ一致していませんか^^
大工道具のカンナが出来る前に使われていたチョウナ(手首を曲げたような形らしい)
の跡が柱に残っているのがわかりますか
温度や湿度調整のための空気穴が至る所にあります
裏に瓦を積み上げていました、そしてここにも発見^^
そして、コース最後は肥後の大動脈を担った河川港の船着場です
船着場は石積みも補修されていますが
中央部だけはその必要もないくらい見事に残されていたんです
それがお殿様だけが着岸できる石段です
前回来たときになんだろうと思ってたこれ
皆さんに知ってましたか?
県下で一番早くできたと言われる公衆便所跡です^^
この後、舟下りとなるんですが
下船後、工芸館に戻る間にあるスポットに寄ってみることにしました
帰り道が良くわかならいというおじいさんと御一緒です^^
西南の役で川尻に着いた西郷隆盛が宿泊した薩軍本営跡です
薩摩藩主や相良藩主が利用したとされる本陣跡(待賓館跡)です
途中、川尻とよく合うものに出会いました、工芸館発着です
おにいちゃん、よいっしょ!
ボラティアさんの案内による地域の歴史を学ぶっていいですね^^
でも声が小さかったのでちょっと聞き取りづらかったのが残念!
うん?らぼっちの耳の方が聞こえないのではないかですと!
それもありか^^
さて、明日の記事は加勢川舟下りです^^
<川尻の御蔵>
[アクセス]地図はコチラ
川尻史跡めぐり』は事前申込が必要です
(くまもと工芸会館) 電話:(096)358-5711
日曜日、寒?い田崎市場でたんまり食材を買い込んだ後
何も予定してなかった熟年二人
いつもの事ながら、全然計画性がないです
とにかく寒いので車に乗り込み、熱いコーヒーを飲んでいる内に
ふと、川尻で何かやってたよね、と思いだしました
このところ、2週間に一度くらいの頻度で川尻に通っているよね
ま、いっかと南に向けて走り出しました
「くまもと工芸会館」に着いたのは9時過ぎ
駐車場はがらがらです
あれ、まだだったかいな、と思っていると中から人が出てきました
よかった、9時開館でした
でも、ちょっと活気に欠けるなと
ついさっきまでいた田崎市場の人混みと比べてしまっていました
中に入ると、時節柄小さくても結構なお値段のお雛様が飾ってありました
目指す「和菓子とのふれあい工房2010」は2階のようです
開懐世利六菓匠(かわせりろっかしょう)の方々の作品が展示されています
んー、ニュースで見たような絢爛さはなく、なんとなく地味?な印象の会場でした
ところが、入って作品に近づいてみるとこれが素晴らしいんです
特にらぼっちの目を釘付けにしたのがこちら
これが全部食べられるというのが不思議なくらい神秘的に出来ていました
目はどうなの?と覗いてみると、睨まれました!
工芸菓子は見たことはありますが、こんなにじっくり見るのは初めてかも
伝統技術がここに息づいているんでしょうね
砂糖が高級品だった江戸時代には
菓子はその土地の経済力や文化度の表れだったそうです
川尻には年間1,000艘もの商船が行き交い
年貢米や農産物、日用雑貨が積み下ろしされる船着き場がありました
そこから熊本城に直結する水路もあり、重要な町とされていたのです
平成2年に住民たちが川の清掃作業をした際
和菓子職人たちが河原で蒸し立ての饅頭をふるまったそうです
これが評判を呼び、まちおこしの会「開懐世利六菓匠」が誕生したわけです
川尻というせまい場所にやたらお菓子屋さんが多いのは
こういうことだったのかと改めて納得しました
そして会場で一際目を引くお菓子がこちら
ニュースではこぞってこのお菓子が映し出されていました
もう、うっとりするくらいの綺麗さでした
こんなに薄く作るには熟練された腕が必要なのでしょう
これが食べられるのだからスゴイ
「花より団子」じゃなくて「花も団子も」の世界ですね
いえ、工芸菓子なので食べるものじゃないとわかってますよ、はい
奥は1月から12月まで月毎にお菓子で表現してあるのです
12月はかわいいこんなお人形さんになっていました
表情が豊かですね?
普通ならライバルであろう六菓匠のみなさんが
お互いに切磋琢磨して町を盛り上げようと奮起されている事が素晴らしいですね
会場の外ではかわいい和菓子が並べられています
実演販売をされているようでした
ドラえもんやアンパンマン、キティちゃんがかわいい?
みかんは本物のように見事でしたよ
お隣では、手作りのどら焼きを作っておられました
早技なのでなかなか写真に収められず、結局コレです
一つだけいただきました
出来たてはあったかくて香ばしく、美味しかったです
ここで気付いたのですが
開懐世利六菓匠のロゴには各店舗の一文字が入っていたのですね
さて、2階から1階に下りると
なにやらいろいろ始まっていました
奥の部屋では、陶芸
ろくろを回しながら「ヘタだから」と仰っておられましたが
きれいに成形されていました
こちらは肥後象眼、だと思います^^;
綺麗ですね?、素晴らしい!
打ち込むための下地を造っているとおっしゃってました
これが出来上がりかどうかもわかりません
お高いので、見る機会もあまりありませんから^^;
この日、工芸会館の中にいても寒かったのに
らぼっちが何やら聞きつけ、この後もっと寒い目に遭うのでした
入り口付近ではおまんじゅうの準備も整っていたというのに・・・
続きはまた明日^^
<くまもと工芸会館>
[住所]熊本県熊本市川尻1-3-58
[TEL]096-358-5711
[FAX]096-358-6562
[アクセス]地図はコチラ
昨日の朝、動植物園のカバ、「ケンポウ」が亡くなったそうです
38歳、人間でいうと80歳を越える年でした
ザブコとの別れから一年ちょっと
寂しかったのかな
昨日の夕方、ラボの散歩の時、動物園の横を通ったけど
休園で訪れる人がいない他はいつもと同じ光景で
その時は全然わかりませんでした
熊本で37年間、みんなに親しまれていたケンポウ
おとなしく内気だったのか
畜舎から出る時はお尻から後ずさりしてプールに入っていたんですね
そしてずーっとプールの中でした
ケンポウ、長い間お疲れ様!
天国でザブコと仲良くね!
(昨年5月9日ののケンポウ)
☆ ? ☆ ? ☆ ? ☆ ? ☆ ? ☆ ? ☆ ? ☆ ? ☆ ? ☆
土曜日、春の植木市からの帰りにお昼を食べようと
珍しく二人で一致したのが「ボンズ」さんのつけ麺でした
3時から洗濯機の修理があったので
動線的にもちょうどよかったんです^^
駐車場は少ないけど、ダメ元でお店の前まで行ってみようということになり
12時半くらいにお店に着きました
あり?車が少ない!というか軽トラが1台のみ
今日は土曜日だよね、と思いながら車を駐車場に突っ込ませると
「仕込み中」の文字が思いっきり目に入ってきました
なんでー?11時半開店じゃなかったっけ?
店内には電気が点いています
二人してもう「つけ麺」モードに入っちゃってたんで
諦めきれず、らぼっちがドアを開けて聞きました
なんと、準備はとうにできているのですが
開化楼の麺が届いてなかったのです
今、輸送中ということで「いつ届くかわかりません」と言われました
なーにー?11時半の開店に間に合ってないとはどういうことだ?
と半ばあきれながらも、いつ来るかもわからない麺ちゃんを待つことにしました
それからというもの、たくさんの車が入っては出ていくを繰り返し
らぼっちは「果報は寝て待て」とばかり、車の中で高いびき
こんな時、いつでもどこでも寝れるらぼっちに感心します^^;
待つこと40分くらいだったでしょうか
どこから現れたのか
お店の体格のいいお兄さんが開化楼の文字の入ったダンボールを手に
お店の中に入っていきました
急いでらぼっちを起こしお店の列に並びました
(本当は私達が一番だったんですけどね)
さあて、メニューを見ながら量を決めることに
チャーシューも切られてバーナーで炙られています
隣では大の450gを頼んでいる方々3名、圧巻でした
とっちんは200g、らぼっちは300gを注文!
隣に比べると、なんかとってもかわいく見えます
足らなかったかもと思いつつ箸を入れて麺を持ち上げると
ずしっと太麺ならではの重さが^^
麺をつけ汁に泳がせると、絡んでいくのがよくわかります
それだけ、とろ?んととろみのついたつけ汁で
イリコやカツオの出汁がきいてて鶏も豚も主張はしてないけど
そのコクはしっかりある、得も言われぬ美味しさでありました
ぺろり?んとたいらげた二人はちょっともの足らず
「インド・ボン」をひとつだけ追加
隣の450gの猛者さんたちもみんな「インド・ボン」を追加注文してました
このつけ汁にしてこの麺ありなんですね^^
スープだけ飲むとえらくしょっぱかったので
この「インド・ボン」は大正解でした
スープを最後まで飲み干せる技ですね
4日間という手間のかかったスープですから
残すともったいないと思わせるほどの
オーナーさんの職人気質をみたような気がしました
今日もご馳走様でした
肥後味趣乱 ☆4つ半
<つけ麺 ボンズ>
[住所]熊本市尾ノ上3-3-87
[TEL]096-385-3833
[営業時間]11:30?15:00/18:00?23:00
[営業日]土曜日、日曜日
[アクセス]地図はコチラ
土曜日、動物愛護センターからの帰りにこちらに寄ってきました
戸島で行われている「くまもと春の植木市」です
四百数十年の歴史があるそうですね
我が家は植木市にまだ行ったことがないのです^^;
通り道なのでちょっくら寄ってみようかということになりました
時刻は11時過ぎ
駐車場は既にかなりの車で埋め尽くされておりました
当然、遠くに置いた車からかなり歩くことになりました
まあ何キロも歩くわけじゃないし、仕方ありません
それにしても、思ったより広大な敷地で開催されているんですね
ただ、駐車場から催事場に降りるのには階段しかなく
足の悪い方はちょっと難儀そうでした
緩やかなスロープはできなかったのでしょうかね
さてさて、会場に入るとすぐ模擬庭園が何セットも作ってありました
庭一式のお値段が表示してありましたが
どこまでがセットに入るのかが疑問でしたね
スゴイ木から可愛いもの、そりゃ、たっくさんの植木がありました
知らない木もあり、「へ?」とばかり口にする状況でした
一通り樹木のコーナーを見て回りました
次はビニールハウスのエリアに行ってみましょう
ハウスは6つあり、それぞれに種類ごとに分かれているのかと思いきや
そんなことは全然なく、ランダムにお店が入っているようでした
それにしてもハウスの中は暖かい、もう春の陽気でした^^
入ってみてビックリ!!
なんと摩訶不思議なお店やこんな所でっていうお店がいっぱい
いろんな盆栽もありました
小さいのに何年もかかっているであろうものや
お値段に思わず、「ウソだろ!」と思うもの
いやいや、手間がかかっているんでしょう
が、何が欲しいと行っているわけでもないので
なかなかビビっとくるものに巡り会えません
と、らぼっちが見えなくなりました
何を見ていたかというと
はあ?、植木市の来て石や絵を見てどうすんの!
途端に植木を見る意欲のなくなったとっちんでした
こうなるともう美味しいものを食べるしかありません
ん?あ、まあまあ、せっかく飲食店もたくさん出ていますし^^;
まずは、今晩のつまみに
蓮根コロッケとからし蓮根をお買いあげ?
つまみにと思ったのですが
この後ちょっと昼食にありつくのが遅れたので、車の中でひとつパクつき
コレ、蓮根が刻んで入れてあるのでシャキシャキと歯ごたえはいいし
味付けも程よく、美味しゅうございました
そして、らぼっちがビビっときたもの(食べ物にかい^^;)
「バターまんじゅう」です
なんともかわいい形じゃござんせんか
それに焼きたてですよ
柔らかそうだったので上をちょっと押してみました
思ったとおり柔らかくて凹んでしまいました、アチャ^^;
カスタードと粒あんを買ってみました
ちょっと甘かったけど、バターの風味もあって懐かしい感じのおまんじゅうでした
せっかくの植木市だったのに、ざーっと見たって感じでした
あまり興味のない人間と行くと全然おもしろくないということが
よくわかりました
定年後に植木職人になったらぼっちの父親の遺伝子は
どこにいっちゃったんでしょうか
おかしいなと二人で首を傾げながら会場を後にしました^^
<くまもと春の植木市>
[場所]戸島いこいの広場(熊本市戸島町)
[期間]平成22年2月1日(月)?3月10日(水) 9:30?17:00
[アクセス]地図はコチラ
日曜日の今日はなんと朝6時起き^^
で、向かった先は田崎市場です
「第3回田崎市場感謝祭」が開かれています
到着は6時40分頃だったでしょうか
こんな朝早くて、寒いんだからさすがに出足はまだまだでしょう
なんて思ったところが、甘?い!!
既に会場前の駐車場は埋め尽くされていました
さすがに市場の朝は早い^^
朝早く出たのは朝食をこちらで頂こうと考えていたからです
既にメイン会場の水産セリ場は通路を人の波がせめぎ合っています
県内各所から来たたくさんのブースが並んでいます
でもまずは朝飯、朝飯^^
で迷いながら買ったのがこちら
「でか盛り海鮮汁」(500円)と「イクラ丼」(400円)
海鮮丼はワタリガニ、エビ、ホタテ、白身魚のすり身などがどーんと
大きな丼に盛られています
並んで買っただけのことはある、これは旨かった
もう一つの「イクラ丼」はハズレでした
塩辛くて食べられたものではない
普通のイクラの旨味もなにもあったもんじゃない
でも海鮮丼だけで、ほぼ満足、満足^^
うん?グルメストリートでなにやら黒山の人集り
何やら中央で早口のおっちゃんが大声で叫んでいますよ
懐かしい喉の奥で唸るようなあの声は
「バナナの叩き売り」だ
後ろには山積みのバナナ^^
うん?また長い行列が
杵でつきたてのお餅を無料で配ってます、並ばねば^^
黒大豆とウグイス豆?の粉にきな粉をまぶしてくれました
タダに優るものなし、旨い^^
うん?何やら隣の「熊本豆腐油揚協同組合」が騒がしい
覗き込むと100円で10秒間、油揚げの詰め放題をやってます
これはお得!とっちんが早速挑戦^^
他の人に比べるとちょっと控えめでしたが8枚ゲット、上等です
その横になにやら見覚えのあるシフォンが
以前、しっとりふわふわに感動した「とうふ処 安喜」のシフォンではないか、即ゲット^^
さて、お次は買い物でもしましょうか
市場に来たなら新鮮魚系ですよね
うーん、どれもコレも新鮮で美味しそうで目移りする^^
イカ、マグロのたたき、とろサーモン、めんたいこ
マグロの赤身と中トロのにぎりをゲット!
にぎりは昼飯に車の中でいただき!
中トロが口の中でとろける、すんごく脂がのってます^^
おっ、八代漁協からなんだろうと覗いたら、タイラギです
球磨川の流れ込む八代海の天然物だそうです
珍しいのでバター焼きでもして頂きましょう
中央のステージではマグロの解体ショーをやってました
皆さんの本命は後ろに見える大きなクロマグロ(たぶん^^)でしょう
こちらは9時から解体です
で、今さばいているのはキハダマグロ^^
これも切り身が飛ぶように売れてます
その前では模擬セリも始まりました
魚数匹が入った箱が3000円前後で売れていきます
でも数人が手を挙げると、ジャンケン! セリじゃないし^^
お次の野菜、果実コーナーでは
お茶、椎茸、デコポン、イチゴ、八べえとまとをゲット!
クロマグロの解体時間が迫っていましたが
お金がいくらあっても足りそうになかったので
ここらで引き揚げましょう
熟年夫婦としては初体験の田崎市場でしたが
あまりの人混みと威勢のよい掛け声に
なんだか買わなきゃ損みたいな気持ちになるのが変ですね^^
テーブルのじゃまなものを押しのけて買ってきた物を並べてと
今夜の夕食は冬の旬物で贅沢三昧となりましたよ
タイラギのバター炒め絶品!
初めて食べましたがホタテより美味しいのではないかい^^
ネギトロも美味しいけど食べきれない
生しいたけもジューシーで柚子味噌と良く合う
とっちん、ありがとうね
ご馳走様♪
<田崎市場>
[住所]熊本市田崎町
[アクセス]地図はコチラ
なんでか、らぼっちの職場旅行についてきたとっちん
老人ホームとかいろいろ回って最後は山を歩いていたそうな
落ち葉を踏みしめて歩いていると、突然小さなヘビが足に飛びついてきて
かぶりつかれ、なかなか離れない
ふりほどくように慌てて走ると、次々と夢吸血ヘビや吸血カエルが
すごいジャンプ力で飛びかかってくる
叫びながら逃げていくところで目が覚めたらしい
ほっぺがアンパンマンさんのようなユニークな夢がみたいんだって!(笑)
ヘビの夢はお金が貯まるっていうからいいんじゃないの?
でも今日は洗濯機の修理代や何かで出て行くばかり!
実は平成20年4月に買ったサンヨーAWD-AQ3000R
その年の12月に水漏れの修理をしたんですが、最近また水漏れ発生!
もう保証期間を過ぎてるということで修理代を覚悟していたんですが
なんと出張費用も取られず、無料でした^^
これも吸血ヘビのお陰かも(爆)
さて、真っ青に晴れ渡ったこの日
初めて「熊本市動物愛護センター」に行ってきました
昨今の熊本市動物愛護センターの活動は全国的にも注目されるようになりました
以前から、動物を安易に遺棄しないという啓発活動を行ってはきましたが
効果がなかったということです
そこで、2004年以降、飼うのに困って犬や猫を連れてきた飼い主に対して
「安易にセンターで引き取らない」という方針のもとに
とくとくと説得(たまに説教)してなるべく連れて帰ってもらっているそうです
やむなく引き取った犬や猫の譲渡会でも
市獣医師会、愛護団体などでつくる協議会と協力して
飼い主としての適否を判断するために面接を行ったり
去勢、不妊を約束させ、一生育てるとの誓約書も出さなければいけないと
徹底されています
いろんなブロガーさんの記事や新聞等で気になってはいたんです
今はラボ1匹で手いっぱいなので、すぐにレスキューはできなくても
まずは譲渡会の様子を見学に行ってみよう、ということになったのです
駐車スペースには車が既にたくさん止まっています
が、人の姿は見えません
ちょうど譲渡前講習会の最中のようです
講習会が終わるのを職員さんやボランティアの方たちとともに
ゲージの中やスロープの手摺りに繋がれて、この子達が待っていました
現在センターには子犬から老犬まで60頭位いるそうですが
40頭くらいが外に出て、新しいご主人様を待っています
子犬や小型犬はゲージの中、指を入れるとペロペロ舐めてきます

こちらはソフトバンクのお父さんによく似たワンコ


名前はなんと「お父さん」、そのままです
人なつっこくて、いい子です
もう1匹、気に入ったワンコがこちら
柴犬の「サンタ」です

背中には固い毛が突っ立っています
いつもラボの柔々毛をなだているので
なんだか男の子らしく感じます
職員さんによれば、「おとなしすぎて番犬にはなりません」^^
センターの中にはまだ連れてこられて間もない子や
人と接するには早い子がゲージに入ったままです


そのせいかここでは、吠えている犬が多かったです
らぼっちがそこに入ると職員さんがついて来ておられました
心配させてスミマセン!
そうこうしているとボランティアの方がワンコの服を差し入れていました

早速、着付けです、かわいらしく変身!
譲渡会に間に合いました

このようなボランティアの方たちのお陰で
熊本市のワンコの命は救われているんですね
差し入れだけではなく、心底動物の命を救いたいと
レスキューや一時預かりのボランティアをされている方々には本当に頭が下がります
「この子達は良い子ですよ、飼い主さんに心を開くまではおとなしいんです
その子の本当の地が出るには時間が必要なんです
犬の方が人を観察しているのでしょう」
ボランティアさんの言葉です
捨てられた事で犬達もひどく傷つき、そして人間不信に陥り
かなりのストレスを抱えていると思われました
怪我をしていたり、皮膚病になっていたりする子
同じところばかりを舐めているせいか毛が無くなっている子
何かに怯えている子、落ち着きのない子
中にはそんな犬達もいました
でもどの子も接触を求めてきたり、甘えてきたり
愛情を求めてきます
「ボクを、アタシを連れて帰って!」と訴えているようでした
さて、講習会を終えた方たちが出て参りました
一頭でも多く新しいご主人様と出会えることを祈るのみです

自分達にもう1匹飼える余裕があるのか
部屋飼いできるのか
ラボとうまくやっていけるのか
飼うとなると心配の種はつきません
センター入口横には動物たちの慰霊碑がありました

とりあえず講習会を受けてから
自分達に何が出来るのか、今一度考えてみよう
<熊本市動物愛護センター> 市のホームページ
[住所]熊本市小山2丁目11-1
[電話]096-380-2153
[アクセス]地図はコチラ
先週、菊池をぶらぶら歩いたのには理由があったんです
実はこちらにお邪魔して食べたいものがあったから^^
それがこちら、「酒菜 もとやま」さんです
タンクマクーポン4週目に載っておりました
ラーメンが多い中で、”堅焼きそば”という字面に引かれたんですね
和食処と書いてありますが、店内は居酒屋の雰囲気がむんむん^^
当然ひとつはクーポン使用の「元祖!七城堅焼きそば」
注文して出て来たお皿を見て超ビーックリ!!
どうしてかというと
これですから!!
タンクマに載ってた写真と違うじゃん!
なにコレ?なにコレ?
立ってるぞ!おもいっきり!
なんか食品サンプルみたいですね^^
珍しさに方々から写真を撮りまくってしまいました
それからおもむろにお店の方に言われたように
箸を入れて崩そうとしました
んがっ!
か、かたい!!
箸が折れるかも!!
箸を一本ずつ両手に持ち麺と格闘すること2、3分
やーっとほぐれてきました^^;
ほぐれたのはいいのですが、今度はかけてあるアンとなかなかからみません
テーブルに来てすぐに箸を入れなかったからだと思います
味のほうはすごくやさしく、我が家にはとてもぴったり合う味でした
海鮮(いか、えび)もたくさん入っていて野菜もたっぷり
麺は七城の米粉で作られています
最初はカリッカリッ、次にぱりぱり、最後はもっちりと味わえる
新食感の堅やきそばで、大満足でした
タンクマでの半額は終わりましたが、今後もメニューにあるそうですよ
そしてもう一品は何にしようかと思案していると
このポスターが目に留まりました
そういえば去年”菊池丼”ってやってたなあ
「これ、まだ注文できるんですか?」と聞くと
「ああ、出来ますよ!」との返事で、即決定
「SPF角煮丼」です
わ?、すごい、てりてりな豚バラさんですよ
温卵ものっかってるし、味もしみて美味しそうです
この豚の角煮がとろっとろっで箸で持ち上げようとすると切れるんです
(写真がボケボケですが^^;)
角煮と下に敷いてある小松菜に温玉をまぜまぜして食べると
まろやかになるのと食べやすくなるせいでしょうか
箸が止まらなくなるのです、美味しい?^^
角煮自体しょっぱくもなく、小松菜がシャキシャキといい歯ごたえでした
口の中では、ホロホロ、シャキシャキ、とろ?りのハーモニー♪
これも我が家的にリピートしたいと思いました
会計の時に若いオーナーに「どちらもすごく美味しかったです」と告げると
とっても嬉しそうな笑顔で「ありがとうございます」と返ってきました^^
お寿司が自慢の「もとやま」さんですが
オーナーさんの心意気が感じられる絶品の丼とそばでした^^
ご馳走様でした
肥後味酒乱 ☆ 5つ
<酒菜 もとやま>
[住所]菊池市七城町砂田1419
[TEL] 0968-25-2756
[営業時間]11:30?14:00,17:00?23:30
[定休日]水曜日
[座席]60席
[駐車場]15台
[アクセス]地図はコチラ
今日から春?
いやいや、やっぱり暦の上だけですよ、寒いですもん
天気も良く、至る所に春の足音が聞こえてくるのですが
まだ寒の戻りもあることでしょう
寒くなくちゃいけないこともたくさんあるでしょうから
もうしばらくは我慢しましょうかね^^
さてさて、菊池巡りの途中でしたが
もうちょっとの間、お付き合いくださいませ
今日は「石造り眼鏡橋巡り」です
菊池にも古い石橋が残っていることを知り、行ってきましたよ
まずは 「迫間橋」(はざまばし)です
どこに?って思われますよね
滝の上のほうにかすかにアーチが見えているんです
なぜこんなに遠いところに立て札があるのかと思ったら
ということでした^^
確かにこの石に座ると景色はよかったですよ
でも、橋は遠い!
そこで、よそ様の敷地であろう所に堂々と車を停め(すみません^^;)
近寄ってみました
この迫間橋は県道133号線を菊池市街から竜門ダム方面に向かい
東迫間から西迫間を結ぶ道路の迫間川に架かっています
1829年4月の竣工で地元の石工、伊助らによって造られました
当時は熊本県内で石橋がかなり築造されていたんですね
水面近くからも撮ってみました
地元の車が頻繁に渡っていきます
180年もの間ビクともしないで架かっているんですよ
すごいですね!
そして、車に乗ろうとした時、良い香りがしてきました
よくよく見ると、蝋梅が満開でした
キラキラ光る川面と芳しい香りで気分良く次の橋に参りました
たどり着いたのは「立門橋」(たてかどばし)です
国道387号を菊池渓谷入り口の所を上津江の方に曲がるとすぐ左にあります
日田往還に要した橋だったのです
寄り道をしていたので日が傾いてしまい、写真が良くないですね
橋の中ほどに左から「立」「門」の文字が書いてあるのが見えますか?
これは写真のせいではなく、もともと薄くなっていたんですよ^^;
近寄ってもわからないとおもいますよ、ほらねっ!
それにしても高いところに橋を架けたもんじゃ
いくら片側がちと高いからといっても
こんなに石を積み上げるのはたいへんだっただろうな
この橋は1860年、種山石工である橋本勘五郎の兄
宇市の手によって築かれました
なんでも、架橋設計図が残っているそうで
急流な川に架けるための工夫がしてあったようです
ははあ、だから川の水に流されないよう高くしてあるんですね
橋を渡るため、反対側に行ってみることに
するとこちら側に説明板がありました
「平行して流れる用水路に架けられた持送り式桁橋からなる石橋」
よくわかりませんが、用水路ってこれですかね↑
橋の上はツギハギだらけでしたが、おもしろい形していますよ^^
落ちないようにフェンスがしてあってわかりにくいですが
橋の登り口から一番高いところまで欄干がないのです
こ、怖いじゃないですか!
こんなに高いのに
でも見れば見るほど不思議な格好の橋でした
反対側には数軒ほど家があり
おばちゃんがそろりそろりと車を運転して行かれました
そして最後は「永山橋」(ながやまばし)です
さっきの立門橋から県道45号線を菊池渓谷の方へ少し行った永山地区にあります
と、わかっていたにもかかわらずウロウロしてしまいました
降りて行く道が狭いだろうと県道の脇に車を置き歩きました
するとこういったものがあったのです
小国往還の口番所跡でした
なんとなく昔の風情を感じることができました
ここを過ぎて少し歩くと前方に見えてきましたよ「永山橋」
もう日が暮れてきそうでしたので写真が見苦しいです
そしてネットで見ていた橋と雰囲気がずいぶん違うなと思ったら
向こう側の結構大きい木が切り倒されていました
後からわかったのですが
1823年に旧永山橋が130m下流に架けられましたが
6年後の洪水で流出してしまったそうです
それで現存の永山橋は、1878年にかの橋本勘五郎によって築かれました
橋本勘五郎といえば、皇居の二重橋とか東京の有名な橋を架けているんですよ
(スミマセン、現在の橋は違うようです)
あは、知りませんでした
そして「立門橋」とは文字通り”兄弟橋”となるんですね
この橋、特徴的な欄干がとてもおもしろかったし
装飾をも考えてある見事な橋です
この橋は3つの中でも一番どっしり構えた感じがして
見ていて落ち着く橋でした
こんなに立派な橋がいくつもあるとは調べるまで知りませんでしたし
実際見に行ってみると、素晴らしさに感嘆の声が出ました
昔の人はなんて偉大な業績を残しているのでしょう
私達、熟年二人は良いものを見せてもらったと満足するのみでした^^
<迫間橋>
[所在地] 熊本県菊池市西迫間
[市指定文化財]指定日 昭和49年6月28日
[構造]長さ36.4m 幅4m 高さ10m 輪石数62枚
[アクセス]地図はコチラ
<立門橋>
[所在地] 熊本県菊池市重味立門
[県指定文化財]指定日 平成6年3月16日
[構造]長さ75m 幅3.6m 高さ11.4m
[アクセス]地図はコチラ
<永山橋>
[所在地] 熊本県菊池市原永山
[県指定文化財]指定日 平成6年3月16日
[構造]長さ61m 幅4.6m 高さ17m 輪石は45枚
[アクセス]地図はコチラ
今日はまたまた えびす屋さん へ行って参りました
姪っ子に「恵方巻」や鰯を焼いたのやハンバーグ、グラタンなどを作ったので
えびす屋さんの大福とか芋あんパイを一緒に持って行こうと思ったのです
今回はやっと、ゆりさんにお会いすることができました
いつもお忙しく、いつ行ってもいらっしゃらなかったんです
お話しできてよかった?
で、我が家に買ってきたのがこちら
手前左から「抹茶栗大福」「トマト大福」「塩豆大福」奥が「芋あんパイ」です
で、いつものように割ってみました^^
大福の求肥はとっても柔らかいし、トマトも栗も美味しい
塩豆大福のあんこも絶品で塩気がちょうどいいんです
芋あんパイはお芋のほくほく感が残っていて
ほんのりとしたお芋の甘さが生きています
いつも申し分なく美味しいです
そして、新商品の「桜いちご餅」とセットの「いちご大福」
な?んか、いちごがデカくないですか?
それにしても桜餅といちごって、合うもんですね
葉っぱの塩味がまたいい味出しています
色合いも良くて見た目にもきれいなので贈答用にいいかも^^
そして今日は何気なく「らぼっちが大福でも粒あんが好きで・・」の話から
ゆりさんからのご厚意でサービスしていただきました
「いちご大福 粒あんバージョン」です
こんな風にして材料が揃えば希望のものを作っていただけるようですよ
ただし、前もって予約が必要です
いちごは、気温によってあんこの中で発酵するって知らなかったなぁ^^
そして、そして
タンクマ3月号とのコラボ商品をも、コソっといただいちゃったんです
「ええっ、いいんですか?」
レア物ですよ!!
えびす屋さんの今日のブログでも紹介されていました
試作品のようでしたが、先行で試食させていただきました
むふふ、見た目がちょっとおもしろいんですよ
あ、もしかしたらそう見えるのは我が家だけかしら^^;
お味は?
もちろん美味しいに決まっているじゃないですか!
いつものいちご大福とはやっぱり違いますよ
タンクマ3月号が出たらまた買いに行かなくちゃ^^
ゆりさん、本当にありがとうございました
ご馳走様でした!
?おまけ?
今日の散歩でもワクワクするようなことがありました
春が来ていたんです^^
ツクシが出て色とりどりの草花が咲き始めました
明日は立春
暖かい春ももうすぐですね
この子は年中”春”のようです、めでたいヤツだ
<えびす屋餅本舗>
[住所]熊本市新生1-32-23
[TEL/FAX]096-369-0429
[営業時間]08:00?18:00
[店休日]月曜日 ※祝日の場合、翌日火曜日が休み
[アクセス]地図はコチラ
昨日紹介しました「前川水源」のすぐ横に丘のような山?がありました
道路を隔てて看板もあり石段が上に伸びていました
mamさん、間違いないですよ?!
ここの水源は「亀尾城址公園」の一角となっていますので
駐車場は兼用となっていたようです
今まで”階段を見たら登る”はずだった熟年ふたりは
そうとは知らず、さっさと車に乗りブーっと山の上に行っちゃいました
らぼっちがなぜかこの日は登らないと言ったんです^^
すぐに着きました
歩いて登ってもたいしたことなかったみたいです
上は結構ひろい畑が広がっていました
よかった?、車停めるスペースが2台分くらいありました
神社がありましたが、ここは最後にして
石段を登ってすぐの所にある冠木門(かぶきもん)から散策開始です
昔の地形を活かしながら公園になっているようです
苔も良い感じに渋みをだしています
歩いたらぼっちがふかふかしていて気持ちいいと言っていました
ショートカットして歩いたとっちんにはわかりませんでした^^;
おお?なぜか途中の妙なところに看板がありましたよ
菊池十八外城のひとつで「亀尾城」または「板井城」と書いてあります
板井氏が長くこの地を治めていたようですが、後に関部氏に変わります
そのせいでいろいろ呼び名が変わったのでしょうか
菊鹿平野を一望する要地にあり
南西方面の熊本、合志方面からの攻撃に備えたようです
少し歩くと本丸が見えてきました
草もきれいに刈り取られ山城たる地形が見事に残されています
下の県道を通っている時には全然想像だにできない光景がここにはありました
なんだかわくわくします
この日は天気はよかったのですが、霞んでいたのでちょっと残念
でも高いところから見える景色が気持ちよかった?
昔、戦のためにここを構えたなんてウソのようです
今の幸せをありがたく思います
桜の木が結構植えてあったので、花見の季節はお弁当持って再訪決定です^^
説明板によると豊前壕や切り落としは手が加えてあると書いてありました
そうでしょうね、じゃないと崩れることなくここまで保存できないと思いました
それでも、ほうほうと感動して見ていたら
きゃ?、らぼっち何してるの!!
侍にでもなったつもりか・・・
この後、登れずに一番端までとぼとぼ歩き、やっとよじ登ったらぼっちでした
やれやれ、豊前壕を崩さなくてよかった
何やってんだか
こうして城址を歩き回り最後に神社に向かいました
「板井熊野座神社」とあります
こちらは珍しく下には鈴がなく、靴を脱いで上がらなければならないようです
御堂の中にはいろいろ掛けてあったのですが
色が褪めていて文字も絵もよく判別できませんでした
やはり歴史があるのでしょう、立派な樟が数本ありました
なかでもこの樟は高さ20m、幹回り7.35mあるそうです
いつぞやの台風で丸裸同然になったらしいのですが
そんなふうには見えず、意気盛んに生長しているようでした
樟のみならず、杉や銀杏も元気いっぱい!
真っ直ぐに空に向かって伸びているのを見ているだけでパワーが貰えそうです
季節はいつものように外してしまってはいますが
静かで落ち着くとてもいいところと二人とも大満足しました
我が家の例の”・・・スポット”に仮登録しときます
桜の時期に前川水源と合わせて考えます、うんうん^^
何様かって、偉そうにすみません^^
<亀尾城址>
[所在地] 熊本県菊池市七城町亀尾城平
[アクセス]地図はコチラ
さて、今週はタンクマ券を持って菊池方面へと決めておりました
菊池さるきのために、下調べしたところへ参りましょう
なんでも菊池氏発祥の地があるとのこと
大津方面から菊池市内は深川へ向かいました
と早速、らしきものが目に留まりました
菊池氏の初代「菊池則隆の墓」です
平安時代の1070年、大宰府の将監だった藤原則隆が菊池へ下向し、この深川に居城を構え
地名をとって菊池と名乗ったとあります
墓のすぐ後ろにこの大きな碑がありました
この辺り一帯が菊池氏発祥の地なんですね
後で調べたらその「菊之池城」も
田んぼの中に石碑だけですが、近くにあったようです
まあいつものことですから、次の宿題、宿題^^
この墓を更に西へ進むと、左側に小さな池が現れます
これが「菊の池」です
則隆公が居を構えた深川村には広大な池があり
池辺一帯には菊の花が咲き乱れていたことから菊の池と名付けたところ
この池が枯渇することなく田を潤し続けたので、この池にちなんで
氏を藤原から菊池に、城を菊の城と称したとのことです
この池は広大とはいえないので、その池とは違うようですが
平成16年に公園として整備されていて
池には大きな鯉が泳いでいます
こういった史実を後世に残していくすことは大切なことですよね
それでは、水つながりで菊池の水源巡りと参りましょうか^^
熊本の名水百選にも選ばれている水源で
「清水(きよみず)水源」と「前川水源」です
国道387号線を南に走らせ菊池川の手前を清水集落方面へ走り
集落道をくねくね走らせているとありました
火の見櫓が目印です
本当はとっちんナビで通り過ぎ、らぼっちが
この澄んだ水は通り過ぎてると主張し、すったもんだがあったんですけど^^
「清水水源」です
もう民家のすぐ裏側を綺麗な水が20cm程度の深さで流れています
どうもこの杉の木の下あたりから湧き出しているみたい
カワニナもたくさん生息しているようです
初夏にはきっとホタルが乱舞するんでしょうね
そして泡ぷくぷくを撮るのになかなかタイミングが合わない
それではもうひとつの「前川水源」です
「清水水源」からは菊池川を渡った対岸にあります
湧き出してますね、そしてこちらも鯉が^^
ここも公園化されていて、大きな二連水車が目印にもなります
横の小屋では水車の動力を利用して製粉できるようになっていたようですが
回っていないどころか残念ながら既に使用中止なっていました
熟年夫婦がいたのは15分くらいでしたが
湧水を汲みにこられる人が絶えません
ちょっと頂きましたが
うーん、やはり阿蘇の「手野の名水」の方が美味しいかな^^
ここまで美しい水源を見てきただけに残念な光景をひとつ
水汲み場の湧水はこの池に落ちているようですが貯まっておりません
もしかしたら貯めていないのかもと思いましたが
水草が少し腐って臭いを発していました
そしてその水草の上にはペットボトルやそのキャップが多数散乱!!
情けない、悲しい、眉をひそめる光景でした
熊本名水百選が泣いてます
この公園は水車もそうですが使われていない分
傷みも進んでいるような気がしました
地域の宝を守ろうという住民の方々の奮闘に期待します!
<菊の池>
[所在地] 熊本県菊池市深川
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<清水水源>
[所在地] 熊本県菊池市七城町清水
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<前川水源>
[所在地] 熊本県菊池市七城町亀尾
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