ゴーストタウンと化した町は、今回のツアー参加者にいろんな事を訴えかけてきました
1年以上経っても、瓦礫が片付けられただけの風景をバスの中から見ながら
まだまだというか、本当に復興できるのだろうかという不安も感じられます
でも、ブーメラン(フカヒレ)も見たし、大島の方々も元気でした
日本全体で活気付けるべきだと思い直し、「気仙沼復興商店街」に向かったのです
バスの中でガイドさんが
「地元の商店街ですから、お土産ばかりがあるわけじゃありません
飲食店あり、薬屋さんあり、美容院あり、刃物屋さんあり、それから学習塾もあるんです
そのことを一考のうえ、お店に立ち寄ってみてください」と釘を刺されました
そうか、そうだよね
地域の人たちの生活のためにも商店街はなくてはならないもの
観光客が冷やかし半分でお店を見てまわるものじゃないのです
東日本各地でこのような復興商店街はたくさんできているようですが
地域の方の邪魔にならないよう、お金を落とさなくてなりません
前もってバスの中でもらった案内図、団地のようです

昨年12月24日にオープンした「復興商店街」
気仙沼市南町地区での商店街運営なので
正式には「気仙沼復興商店街 南町紫市場」となっています
南町紫市場の「紫」という名前は
商店街近くにある避難所となっていた「紫神社」にちなんで名づけられています
このロゴは、仮設商店街のある南町のローマ字頭文字「M」と「みなみ」を図案化し
復興に向けて手をつなぐ人たちを表しているんだそうです
裏にはお店の内容が書いてありました
営業時間や値段だったり、意気込みも載せてあります
バスに乗っている間にどこをまわるかを考えていました
なんたって、時間がない!1時間40分の滞在です^^;
ええ~っと、迷子になりそう(笑)
あお、あったあった!「特急寿司」さん
暖簾をくぐるとお昼時なので、待ち客が7、8人
時間がないけど、大丈夫なのかな?
と思いながら待つこと10分、あ、空いた!
カウンターに座ってオーダーすると
「ご飯が途切れたから、暖簾をしまって!」とお店の人
ふ~~、ぎりぎりセーフだった(-_-;)
注文したのは「にぎり上」と「海鮮丼」
どうですか、ネタがひとつもかぶってないでしょ?
バスツアーなのでビールも頼んで新鮮なお寿司に舌鼓、大満足です♪
あ~ん、思い出しただけでもヨダレが(笑)
こんなお味噌汁もついていました^^
具は甘海老の頭のみです(笑)
でもでも、これが良い出汁が出ていて美味しいのなんのって(#^.^#)
「どうして特急寿司っていうんですか?」らぼっちが若大将に聞きました
「うちは震災前はこの3軒隣で店をやってたんです
あそこにある電車で寿司を運んでいたんですよ」
そういうことだったんだ、プレハブで何かと不便なこともあるでしょうに
気持ちのいい応対に一見である熟年ふたりのほうがほっとさせて貰いました
ちなみに、こんなにリーズナブルなお値段だったんですよ
お腹が満たされたあとは、お隣にある「みなみまち青空市」さんへ
復興グッズも置いてあるということだったので寄ってみました
震災前や震災後のポストカードをはじめ、シールやストラップなどがたくさん
震災直後から空き地で露店としてスタートしていたお店でした
色鮮やかな千羽鶴に支援の大事さを改めて感じます
買った品の数々、決して忘れてはいけない、風化させてはいけない出来事です
復興商店街を1歩出ると、やはり気持ちが重くなります
信号が点いているのが不思議な感じ
頑丈そうに見える建物でも中は尋常じゃないことになっています
赤い丸印が書いてあったんですけど、何の印でしょうか?
こちらは全然手つかずなのか、それともゴミ溜めになっているかのようなビル
東京目黒のさんま祭りは有名、あのさんまはここ気仙沼産のものです
こういうちょっとしたものを見ても心が痛みます
市の花ヤマツツジが咲き乱れ、ウミネコやカツオに沸く気仙沼に早く戻って欲しいですね
このあと、お土産を買うためにあちこち3軒のお店に行き
最後はデザートにコロッケを(笑)
揚げたてあっつあつ出発時間も迫ってくる中、火傷しないように急いで食べました
そのコロッケのお店で偶然見かけたものがこの写真集
なぜ、コロッケ屋さんにこの写真集があるのかはよくわかりませんでしたが
結婚30年目の記録としても意味があると思い、即買い求めました
かくして1時間40分はあっという間に経ってしまい
こんなんでよかったのかと疑問を抱きながら、バスに乗り込みました
午後2時半バスは出発、とうとう気仙沼ともお別れです
すると商店街の方が出てきて手を振ってくれました
よくお土産物屋さんで見かける光景ですが
ここ気仙沼では意味合いの違うものに思えました
昨年6月、商店街の理事さんが阪神・淡路大震災で被害を受けた神戸市長田区の商店街を視察
震災から5カ月後に仮設大型店舗を開設した商店主の方から話を聞いたそうです
「仮設は仮設」「お金をかけない」「仮設店舗で資金をためる」と繰り返し言われたんだとか
また客足は必ず鈍るという体験談をもとに、月1回の集客イベントを計画
コンペで、人口を震災前の60、70%と想定しているような行政には頼らない
100%に戻したいと願っている商店街の人たちは
「気仙沼復興商店街」から「復興」の2文字が取れる日に向けて歩んでいるそうです
そしてバスが少し走ったところで、こんな動物からもお別れの挨拶が@@
鹿だと運転手さんが言ってたけど、らぼっちが「カモシカじゃん!」
こんな街中にどこからどうやってきたのでしょうかね
バスの前を横切り、民家に逃げ込もうとしたみたい
交通事故とかに遭わず、人にも捕まらず、ちゃんと山に帰れたかな・・
東北自動車道にのって一時間後、今回のボランティアツアーでお世話になった
添乗員の井上さんと森谷さんともここでお別れとなりました

仙台支社にお勤めですから、名残惜しいですが仕方ありません
何事にも一生懸命で、ボランティアの草取りも一緒に汗を流しました
若いお二人にいろんな話も聞かせてもらい、とても有意義なものになりました
本当にお世話になり、ありがとうございましたm(__)m
そして7時間半後には東京駅に到着、ツアーは終了となりました
「帰ったら知り合いの人にこんな状況だったよ、って伝えて貰えると嬉しい」
黒潮旅館の堺社長が、そう言っておられました
こういうツアーに参加したのも自己満足かもしれません
きれい事を並べた偽善者なのかもしれません
今回出来ることといったらこれしか考えられなかった熟年ふたりだったのです
(青年会議所のポスターに心打たれました)
1年以上経っても、瓦礫が片付けられただけの風景をバスの中から見ながら
まだまだというか、本当に復興できるのだろうかという不安も感じられます
でも、ブーメラン(フカヒレ)も見たし、大島の方々も元気でした
日本全体で活気付けるべきだと思い直し、「気仙沼復興商店街」に向かったのです
バスの中でガイドさんが
「地元の商店街ですから、お土産ばかりがあるわけじゃありません
飲食店あり、薬屋さんあり、美容院あり、刃物屋さんあり、それから学習塾もあるんです
そのことを一考のうえ、お店に立ち寄ってみてください」と釘を刺されました
そうか、そうだよね
地域の人たちの生活のためにも商店街はなくてはならないもの
観光客が冷やかし半分でお店を見てまわるものじゃないのです
東日本各地でこのような復興商店街はたくさんできているようですが
地域の方の邪魔にならないよう、お金を落とさなくてなりません
前もってバスの中でもらった案内図、団地のようです

昨年12月24日にオープンした「復興商店街」
気仙沼市南町地区での商店街運営なので
正式には「気仙沼復興商店街 南町紫市場」となっています
南町紫市場の「紫」という名前は
商店街近くにある避難所となっていた「紫神社」にちなんで名づけられています
このロゴは、仮設商店街のある南町のローマ字頭文字「M」と「みなみ」を図案化し
復興に向けて手をつなぐ人たちを表しているんだそうです

裏にはお店の内容が書いてありました
営業時間や値段だったり、意気込みも載せてあります

バスに乗っている間にどこをまわるかを考えていました
なんたって、時間がない!1時間40分の滞在です^^;

ええ~っと、迷子になりそう(笑)

あお、あったあった!「特急寿司」さん

暖簾をくぐるとお昼時なので、待ち客が7、8人
時間がないけど、大丈夫なのかな?
と思いながら待つこと10分、あ、空いた!

カウンターに座ってオーダーすると
「ご飯が途切れたから、暖簾をしまって!」とお店の人
ふ~~、ぎりぎりセーフだった(-_-;)
注文したのは「にぎり上」と「海鮮丼」


どうですか、ネタがひとつもかぶってないでしょ?
バスツアーなのでビールも頼んで新鮮なお寿司に舌鼓、大満足です♪
あ~ん、思い出しただけでもヨダレが(笑)
こんなお味噌汁もついていました^^

具は甘海老の頭のみです(笑)
でもでも、これが良い出汁が出ていて美味しいのなんのって(#^.^#)
「どうして特急寿司っていうんですか?」らぼっちが若大将に聞きました
「うちは震災前はこの3軒隣で店をやってたんです
あそこにある電車で寿司を運んでいたんですよ」

そういうことだったんだ、プレハブで何かと不便なこともあるでしょうに
気持ちのいい応対に一見である熟年ふたりのほうがほっとさせて貰いました
ちなみに、こんなにリーズナブルなお値段だったんですよ

お腹が満たされたあとは、お隣にある「みなみまち青空市」さんへ

復興グッズも置いてあるということだったので寄ってみました
震災前や震災後のポストカードをはじめ、シールやストラップなどがたくさん

震災直後から空き地で露店としてスタートしていたお店でした
色鮮やかな千羽鶴に支援の大事さを改めて感じます

買った品の数々、決して忘れてはいけない、風化させてはいけない出来事です

復興商店街を1歩出ると、やはり気持ちが重くなります
信号が点いているのが不思議な感じ

頑丈そうに見える建物でも中は尋常じゃないことになっています
赤い丸印が書いてあったんですけど、何の印でしょうか?

こちらは全然手つかずなのか、それともゴミ溜めになっているかのようなビル

東京目黒のさんま祭りは有名、あのさんまはここ気仙沼産のものです
こういうちょっとしたものを見ても心が痛みます

市の花ヤマツツジが咲き乱れ、ウミネコやカツオに沸く気仙沼に早く戻って欲しいですね

このあと、お土産を買うためにあちこち3軒のお店に行き

最後はデザートにコロッケを(笑)
揚げたてあっつあつ出発時間も迫ってくる中、火傷しないように急いで食べました

そのコロッケのお店で偶然見かけたものがこの写真集

なぜ、コロッケ屋さんにこの写真集があるのかはよくわかりませんでしたが
結婚30年目の記録としても意味があると思い、即買い求めました
かくして1時間40分はあっという間に経ってしまい
こんなんでよかったのかと疑問を抱きながら、バスに乗り込みました
午後2時半バスは出発、とうとう気仙沼ともお別れです
すると商店街の方が出てきて手を振ってくれました

よくお土産物屋さんで見かける光景ですが
ここ気仙沼では意味合いの違うものに思えました
昨年6月、商店街の理事さんが阪神・淡路大震災で被害を受けた神戸市長田区の商店街を視察
震災から5カ月後に仮設大型店舗を開設した商店主の方から話を聞いたそうです
「仮設は仮設」「お金をかけない」「仮設店舗で資金をためる」と繰り返し言われたんだとか
また客足は必ず鈍るという体験談をもとに、月1回の集客イベントを計画
コンペで、人口を震災前の60、70%と想定しているような行政には頼らない
100%に戻したいと願っている商店街の人たちは
「気仙沼復興商店街」から「復興」の2文字が取れる日に向けて歩んでいるそうです
そしてバスが少し走ったところで、こんな動物からもお別れの挨拶が@@
鹿だと運転手さんが言ってたけど、らぼっちが「カモシカじゃん!」

こんな街中にどこからどうやってきたのでしょうかね
バスの前を横切り、民家に逃げ込もうとしたみたい
交通事故とかに遭わず、人にも捕まらず、ちゃんと山に帰れたかな・・
東北自動車道にのって一時間後、今回のボランティアツアーでお世話になった
添乗員の井上さんと森谷さんともここでお別れとなりました

仙台支社にお勤めですから、名残惜しいですが仕方ありません
何事にも一生懸命で、ボランティアの草取りも一緒に汗を流しました
若いお二人にいろんな話も聞かせてもらい、とても有意義なものになりました
本当にお世話になり、ありがとうございましたm(__)m
そして7時間半後には東京駅に到着、ツアーは終了となりました

「帰ったら知り合いの人にこんな状況だったよ、って伝えて貰えると嬉しい」
黒潮旅館の堺社長が、そう言っておられました
こういうツアーに参加したのも自己満足かもしれません
きれい事を並べた偽善者なのかもしれません
今回出来ることといったらこれしか考えられなかった熟年ふたりだったのです

(青年会議所のポスターに心打たれました)
<気仙沼復興商店街>
[アクセス]地図はコチラ
昨日のつくば市の竜巻は凄かったですね
一夜明けた現場での中継を見てても、恐怖を感じてしまいました
気仙沼から帰ったばかりの熟年、津波ではなく竜巻によって
同じような光景を見るとは思いも寄りませんでした
他に落雷の犠牲になった人もいたとか
ここ最近の天候不良はどうしたことだろう
昨日は立夏でしたが、夏の気配どころかこんなことになろうとは
被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます
さて、昨日の続きです♪
フェリー海来(みらい)には、我々以外にも観光客が乗り込んできました
大島に訪れていた団体は、私達だけではなかったようです
島民の方達に見送られ、気仙沼のエースポートに向けて、いざ出港!
準備OKのものたちが他にもいました
フェリーを追いかけるようにウミネコ達が乱舞してくる
熊本島原間のフェリーのカモメと一緒で観光客がえさをやっているんだな
案の定、別の観光客がエビせんを出して掲げると、我先にと群がってくる
ウミネコって場所によっては天然記念物だよね
あまり良い事じゃないよ、なんて言いながら
写真を撮りまくっていたのはらぼっち^^;
そうこうしていると、黒く変色した山肌が見えてきた
そうだ、ウミネコなんて撮ってる場合じゃない
北は陸前高田市、南は南三陸町に挟まれた気仙沼市
三陸の各地が20mを越える津波に襲われる中、気仙沼市街地は10m程度の高さに留まりました
東側を御崎岬の半島と大島によって遮られ、直撃を受けなかったことが
大きかったのではないかと思います
しかし、それが被害を軽減したのかと聞かれれば
それは・・・違っていました
24年3月1現在、気仙沼市で亡くなった方1,032人、行方不明者324人
家屋の全壊 16,438棟
昨日は夕暮れであまりよく見えなかった海岸縁
明るくなって見えてきた風景は津波の爪痕がはっきりと分かります
ここまで来るとやはり海の色が茶色に変色しています
エースポートに入港した後、海岸線にバスを乗り入れてくれました
バスは右に左に大きくうねりながらゆっくりと進んで行きます
行けるところまで、ということでしたが
すぐに甚大な被害を目の当たりにさせられました
こちらは宮城県気仙沼合同庁舎、建物の左上に青い線が引かれているのが分かりますか
ここまで津波が上がったというラインです
津波避難ビルに指定されていたようですね
3階までは上がってこなかったのが分かります
ここからUターン!!
写真やTVで目にしてきたような光景が
今、目の前に広がっています
本来ならここから見えるはずもない山々がよく見渡せる・・・
バスは留まることはなかったので、車中で短く合掌しただけでした
・・・営みの感じられない風景が続きます
と、運転手さんが何か叫んでいます
「ブーメランかと思った」
残された建物の屋上に確かにブーメランのようなものがぶら下がっています
よくよく見ると、気仙沼ブランドのフカヒレだ^^
人の姿もカメラを2台ぶら下げた観光客?を一人見ただけ
このような光景が被害の大小はあれど青森県から茨城県まで続いているわけですから
復興って簡単に言いますが、莫大な予算と関係者の全開パワーが必要になりますね
途中フカヒレに気付いて良かったな^^
気仙沼人の復興に向けた元気とやる気を見て取ることができました^^
他の方達は何を感じたのかな
さて、お腹も空いてきたし、この後は元気100倍の復興商店街に向かいますよ、れっつらごー♪
一夜明けた現場での中継を見てても、恐怖を感じてしまいました
気仙沼から帰ったばかりの熟年、津波ではなく竜巻によって
同じような光景を見るとは思いも寄りませんでした
他に落雷の犠牲になった人もいたとか
ここ最近の天候不良はどうしたことだろう
昨日は立夏でしたが、夏の気配どころかこんなことになろうとは
被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます
さて、昨日の続きです♪
フェリー海来(みらい)には、我々以外にも観光客が乗り込んできました
大島に訪れていた団体は、私達だけではなかったようです

島民の方達に見送られ、気仙沼のエースポートに向けて、いざ出港!
準備OKのものたちが他にもいました

フェリーを追いかけるようにウミネコ達が乱舞してくる

熊本島原間のフェリーのカモメと一緒で観光客がえさをやっているんだな
案の定、別の観光客がエビせんを出して掲げると、我先にと群がってくる
ウミネコって場所によっては天然記念物だよね
あまり良い事じゃないよ、なんて言いながら
写真を撮りまくっていたのはらぼっち^^;

そうこうしていると、黒く変色した山肌が見えてきた
そうだ、ウミネコなんて撮ってる場合じゃない

北は陸前高田市、南は南三陸町に挟まれた気仙沼市
三陸の各地が20mを越える津波に襲われる中、気仙沼市街地は10m程度の高さに留まりました
東側を御崎岬の半島と大島によって遮られ、直撃を受けなかったことが
大きかったのではないかと思います
しかし、それが被害を軽減したのかと聞かれれば
それは・・・違っていました
24年3月1現在、気仙沼市で亡くなった方1,032人、行方不明者324人
家屋の全壊 16,438棟
昨日は夕暮れであまりよく見えなかった海岸縁
明るくなって見えてきた風景は津波の爪痕がはっきりと分かります

ここまで来るとやはり海の色が茶色に変色しています

エースポートに入港した後、海岸線にバスを乗り入れてくれました
バスは右に左に大きくうねりながらゆっくりと進んで行きます

行けるところまで、ということでしたが
すぐに甚大な被害を目の当たりにさせられました


こちらは宮城県気仙沼合同庁舎、建物の左上に青い線が引かれているのが分かりますか
ここまで津波が上がったというラインです

津波避難ビルに指定されていたようですね
3階までは上がってこなかったのが分かります

ここからUターン!!
写真やTVで目にしてきたような光景が
今、目の前に広がっています


本来ならここから見えるはずもない山々がよく見渡せる・・・

バスは留まることはなかったので、車中で短く合掌しただけでした

・・・営みの感じられない風景が続きます

と、運転手さんが何か叫んでいます
「ブーメランかと思った」

残された建物の屋上に確かにブーメランのようなものがぶら下がっています
よくよく見ると、気仙沼ブランドのフカヒレだ^^

人の姿もカメラを2台ぶら下げた観光客?を一人見ただけ

このような光景が被害の大小はあれど青森県から茨城県まで続いているわけですから
復興って簡単に言いますが、莫大な予算と関係者の全開パワーが必要になりますね
途中フカヒレに気付いて良かったな^^
気仙沼人の復興に向けた元気とやる気を見て取ることができました^^
他の方達は何を感じたのかな

さて、お腹も空いてきたし、この後は元気100倍の復興商店街に向かいますよ、れっつらごー♪
<宮城県気仙沼合同庁舎>
[アクセス]地図はコチラ
朝ごはんをしっかり食べた後、旅館「黒潮」さんのバスにて作業場まで移動
大島の南側から中心部に向けて(たぶん^^;)出発~♪
前にも書きましたが
今回の旅行の目的は、被災地でのボランティア活動と観光での経済支援です
前もってボランティア活動としての内容はワカメの乾燥作業と書いてありましたが
すでにその作業は終わってしまったとのこと
そこで考えられたのが、畑の草取り、です
は、なんで?と思われるでしょう?
大島では被災後、作物の半自給化の必要性の声に答えて
約800坪の休耕地を開墾、「みんなの畑プロジェクト」が始められています
自然災害で孤立してしまいがちな島では、野菜を作ることによって
島の外から食料が入ってこなくても生活していけるように、このプロジェクトが考えられました
「黒潮」の堺社長は、日本財団の支援で大島の震災の記録を残すという
「大島宝島委員会」の会長でもあり、こういったプロジェクトも運営されています
「島の大人だけでなく子供たちにも野菜作りを教えたい」
「化成肥料などを使わず、有機肥料で無農薬の野菜を作りたい」
堺社長は目を輝かせておっしゃいました^^
ボランティアにもいろんな仕方があると思います
被災地に入って現場を目の当たりにし、どれだけのことができるか不安でした
被災された方と直接会わなくても、ここで野菜を作ってくれる人がいるんだ
そんな気持ちで一生懸命に草取りをしました
大島の土はかなり水分が多く、根っこにいっぱい土が絡まりみんな悪戦苦闘です
でもその土には珍しいことに、砂粒のようなものが混ざっていてピカピカ光っていました
その輝きに気持ちも押され、みるみるうちにきれいな畑に変わっていきました
同じ頃らぼっちを含む男3人組は、近くの一人暮らしのおばあちゃんちへ^^
じゃんけんで負けたんだそうです(笑)
キウイの棚が倒れかけたので直して欲しいとのことでした
単管を引き抜きまた打ち込んで、竹竿を通して棚を持ち上げる作業だったようです
得意な人間なんていなかったと思いますが、どうにか形になってきた?^^;
こちらも悪戦苦闘の末、おばあちゃんの要望に応えることができました
すると、こちらではおばあちゃんからお茶や珈琲の差し入れがあったんですって!
「ありがとう、また来てくれや」と、しきりにお礼を言われたみたい
じゃんけんに負けて、かえって良い思い出ができたんだね(;¬_¬)
こうして約2時間、畑は見事?すぐに野菜が植えられる状態になりました
島のみんなのお役に少しは立てたかな^^
自給自足で野菜を食べる、何かあった時の強みですよね
このことは島ではなくても言えることです
この後、一旦旅館に戻り着替えてから、再度旅館のバスに乗り
島の一番高いところ、「亀山公園」に連れていってもらいました
その途中、家の基礎部分しかなくなった場所で片付けをしている人を見かけたり
瓦礫の山のそばを通ったりしました
島の瓦礫はこれでもずいぶん片付けられたんだとか
でも、まだたくさんの瓦礫が分別されていました
ここらへんは島のくびれ部分、ある程度高さもあるように感じましたが
前からも後ろからも津波が襲ったらしい
こうしてバスは亀山に登っていきます
途中でところどころ木々が黒いのに気付きました
気仙沼湾で起こった火災が大島の北側に近づき、飛び火してきたんだそうです
強い風にあおられこの亀山が点々と燃えていったようです
消防団員や自衛隊だけではなく、多くの島民が昼夜を問わず消火活動に奮闘したことで
民家への延焼もなく島が守られたということです
大地震、大津波の後の火事、どんなに大変な事態だったことでしょう
結束の力、生まれ育った島への想いが為せる力だったんだと思われます
そのような火事が起こったとは思えないように咲きほこる満開の椿と桜
通常なら満開の桜を鑑賞するところでしょうが
桜よりも眼下の悲惨な風景に目を奪われます
この亀山公園にはリフトでも来れるようになっていましたが
木々とともに焼けてしまったようです
焦た木々の間からは、無残な気仙沼の市街地が見えます
南気仙沼方面です
先日、スマホからもアップしましたね
これで震災前後の様子が分かりますか
あそこに例の重油タンクがあったんです
左(南)のほうに目を移しても、やはり同じような光景でした
こちらは北側、唐桑半島の付け根にあたるところ
見たところ被災は少ないかと思われますが、実際のところはよくわかりません
展望台でもいろんなお話を伺いました
質問も多く出されており、いつまでも話は尽きません
よく見たら、さっき見た瓦礫の山も見えていました
くびれの反対側は、あ、そうか浦の浜漁港だ
フェリーの発着場なのですが、やはり流されたものが多いようです
さて、フェリーの時間も迫っていたので急いで下りようとなりました
フェリー乗り場に下りてみると、やっぱり何もありません
左の山が「亀山公園」です
ここが漁港からのメインストリートだったはずです
プレハブが数軒建っていましたが、これからという感じでした
このかたは朝、熟年がいろいろお話をうかがった小松さんです
熟年がうかつにもカメラの充電器を部屋に忘れたところ
亀山から旅館までわざわざ往復して届けて下さったんです
本当にありがとうございましたm(_ _)m
自宅も流され、息子さんのためにと買って1ヶ月の船も沈んでしまったと話されていました
今も仮設住宅で生活しておられるということでした
つらいお話でしたが、ご本人はすごく前向きでいらっしゃいました
そして「平家の子孫なんだよ」とも、おっしゃってました^^
頑張ってください、なんてとても言えなかった熟年
「お世話になりました」と誠に味気ない挨拶になってしまった
身体に気をつけて無理はしないでくださいね、これも心の中でつぶやきました
こんな時、どんな言葉をかけたらいいのかわからず
「また来れたらいいなと思います」
これが精いっぱいでした
きっと、もう一度来るからね
その時は力強く復興した姿を見られることを祈ってます♪
大島の南側から中心部に向けて(たぶん^^;)出発~♪
前にも書きましたが
今回の旅行の目的は、被災地でのボランティア活動と観光での経済支援です
前もってボランティア活動としての内容はワカメの乾燥作業と書いてありましたが
すでにその作業は終わってしまったとのこと
そこで考えられたのが、畑の草取り、です
は、なんで?と思われるでしょう?
大島では被災後、作物の半自給化の必要性の声に答えて
約800坪の休耕地を開墾、「みんなの畑プロジェクト」が始められています

自然災害で孤立してしまいがちな島では、野菜を作ることによって
島の外から食料が入ってこなくても生活していけるように、このプロジェクトが考えられました
「黒潮」の堺社長は、日本財団の支援で大島の震災の記録を残すという
「大島宝島委員会」の会長でもあり、こういったプロジェクトも運営されています
「島の大人だけでなく子供たちにも野菜作りを教えたい」
「化成肥料などを使わず、有機肥料で無農薬の野菜を作りたい」
堺社長は目を輝かせておっしゃいました^^

ボランティアにもいろんな仕方があると思います
被災地に入って現場を目の当たりにし、どれだけのことができるか不安でした
被災された方と直接会わなくても、ここで野菜を作ってくれる人がいるんだ
そんな気持ちで一生懸命に草取りをしました

大島の土はかなり水分が多く、根っこにいっぱい土が絡まりみんな悪戦苦闘です
でもその土には珍しいことに、砂粒のようなものが混ざっていてピカピカ光っていました
その輝きに気持ちも押され、みるみるうちにきれいな畑に変わっていきました

同じ頃らぼっちを含む男3人組は、近くの一人暮らしのおばあちゃんちへ^^
じゃんけんで負けたんだそうです(笑)
キウイの棚が倒れかけたので直して欲しいとのことでした
単管を引き抜きまた打ち込んで、竹竿を通して棚を持ち上げる作業だったようです
得意な人間なんていなかったと思いますが、どうにか形になってきた?^^;

こちらも悪戦苦闘の末、おばあちゃんの要望に応えることができました

すると、こちらではおばあちゃんからお茶や珈琲の差し入れがあったんですって!
「ありがとう、また来てくれや」と、しきりにお礼を言われたみたい
じゃんけんに負けて、かえって良い思い出ができたんだね(;¬_¬)

こうして約2時間、畑は見事?すぐに野菜が植えられる状態になりました
島のみんなのお役に少しは立てたかな^^
自給自足で野菜を食べる、何かあった時の強みですよね
このことは島ではなくても言えることです
この後、一旦旅館に戻り着替えてから、再度旅館のバスに乗り
島の一番高いところ、「亀山公園」に連れていってもらいました
その途中、家の基礎部分しかなくなった場所で片付けをしている人を見かけたり

瓦礫の山のそばを通ったりしました

島の瓦礫はこれでもずいぶん片付けられたんだとか
でも、まだたくさんの瓦礫が分別されていました

ここらへんは島のくびれ部分、ある程度高さもあるように感じましたが
前からも後ろからも津波が襲ったらしい

こうしてバスは亀山に登っていきます
途中でところどころ木々が黒いのに気付きました

気仙沼湾で起こった火災が大島の北側に近づき、飛び火してきたんだそうです
強い風にあおられこの亀山が点々と燃えていったようです

消防団員や自衛隊だけではなく、多くの島民が昼夜を問わず消火活動に奮闘したことで
民家への延焼もなく島が守られたということです
大地震、大津波の後の火事、どんなに大変な事態だったことでしょう
結束の力、生まれ育った島への想いが為せる力だったんだと思われます

そのような火事が起こったとは思えないように咲きほこる満開の椿と桜

通常なら満開の桜を鑑賞するところでしょうが
桜よりも眼下の悲惨な風景に目を奪われます
この亀山公園にはリフトでも来れるようになっていましたが
木々とともに焼けてしまったようです

焦た木々の間からは、無残な気仙沼の市街地が見えます

南気仙沼方面です
先日、スマホからもアップしましたね

これで震災前後の様子が分かりますか
あそこに例の重油タンクがあったんです

左(南)のほうに目を移しても、やはり同じような光景でした

こちらは北側、唐桑半島の付け根にあたるところ
見たところ被災は少ないかと思われますが、実際のところはよくわかりません

展望台でもいろんなお話を伺いました
質問も多く出されており、いつまでも話は尽きません

よく見たら、さっき見た瓦礫の山も見えていました

くびれの反対側は、あ、そうか浦の浜漁港だ
フェリーの発着場なのですが、やはり流されたものが多いようです

さて、フェリーの時間も迫っていたので急いで下りようとなりました
フェリー乗り場に下りてみると、やっぱり何もありません
左の山が「亀山公園」です

ここが漁港からのメインストリートだったはずです
プレハブが数軒建っていましたが、これからという感じでした

このかたは朝、熟年がいろいろお話をうかがった小松さんです

熟年がうかつにもカメラの充電器を部屋に忘れたところ
亀山から旅館までわざわざ往復して届けて下さったんです
本当にありがとうございましたm(_ _)m
自宅も流され、息子さんのためにと買って1ヶ月の船も沈んでしまったと話されていました
今も仮設住宅で生活しておられるということでした
つらいお話でしたが、ご本人はすごく前向きでいらっしゃいました
そして「平家の子孫なんだよ」とも、おっしゃってました^^
頑張ってください、なんてとても言えなかった熟年
「お世話になりました」と誠に味気ない挨拶になってしまった
身体に気をつけて無理はしないでくださいね、これも心の中でつぶやきました
こんな時、どんな言葉をかけたらいいのかわからず
「また来れたらいいなと思います」
これが精いっぱいでした

きっと、もう一度来るからね
その時は力強く復興した姿を見られることを祈ってます♪
<大島亀山公園>
[アクセス]地図はコチラ
GWも残すところあと一日、早いもんです
今日は子供の日ということで、動植物園は大賑わいのようでした
動植物園の駐車場はもちろん、近くの公園や学校のグランドは車で溢れていました
春のこどもまつりやわくわく江津湖フェスタのイベントも開催中とのこと
天気が良くてよかった
ヤギの赤ちゃんも大人気だっただろうな~
お弁当持って、今日だけは子供につきあってあげたお父さんお母さんお疲れ様^^
我が家は近すぎて家族で行ったことってなかったんだ(笑)
早朝に娘のアパートを出発し7時間もバスに揺られたので、28日は早く休むことにしました
外が明るくなったのでそろそろ起きたほうがいいのかなと思い、携帯で時刻を確認
な、な、なんと 4時半!! じゃないか@@
熊本じゃこんな時間に起きることなんてまずないし、こんなに明るくないよ
東北と九州では時差もあるし
きっと脳や身体はいつもの6時だと思って目覚めたのだろうな(^_^メ)
それから寝るのももったいないし、朝食は7時半ということだったので
朝、それも早朝の散歩と相成りました^^
前の晩は暗くなってから着いたのでよくわかりませんでしたが
こちらがお世話になった「旅館黒潮」さんです
民宿のようなとても家庭的なところでした
大島でも一番南に位置する旅館です、たぶん^^;
まだ誰も起きてなさそうな頃、その「黒潮」さんの前の細い道を下って行きました
すると、すぐにいろいろな花が出迎えてくれたんです
熊本じゃもうとっくに終わっている花々^^
こちらの保育園の桜、見事でした
朝陽があたっていればもっとよかったのにね^^;
その隣には「長命寺」さん
こちらにお参りしておくと長生きできそうですね♪
東北のお寺ってどうなの?って近寄ってみると
わあ~、すごいすごい、すんばらしいじゃござんせんか♪
まさか、早朝散歩でオテラ~になるとはね(笑)
さらに下っていくと、県道に出ました
バス停がありますよ、ん?ミヤコーバスだって^^
九州でミヤコーって言ったら宮交(宮崎交通)だけど宮城交通でも同じだよね
う~ん、人口3000人余りの島でこの便数は多いのか少ないのか・・・
そこを真っ直ぐ下りていくと、津波の被害をもろに受けたであろう場所が!
ここは駒形漁港、朝早くから作業されています
地元の方に伺ったら、この漁港も2mくらい沈下したというお話
どおりで水面が岸壁と同じ高さなんだ
船が困ったような顔をしているように見えた
汗まで流して・・・^m^
暗くなる気持ちをたくさんの花が癒してくれます
朝露までが元気付けてくれるような^^
それにしてもこの大島、どこのお宅も花でいっぱい
花いっぱい運動でもしてるかのようです
さらに南に向かい、海端に近づいてみると
やっぱり崩れたところがどこかしこに
穏やかな海は見ていて落ち着くけど
ひとたび天変地異が起きると何もかものみこんでしまいます
気仙沼市の北隣、陸前高田市の椿島はウミネコの繁殖地
だからか、この大島もウミネコ多かったな~
気仙沼では震災から3ヶ月でワカメの養殖作業を再開、先月までに収穫されたとか
養殖施設は壊滅したのに、このバイタリティーには拍手ですね
それから県道を歩いていると、さすがに東北
道路の黄色い木箱のなかには、塩化カルシュムが置いてありました
もちろん凍結防止でしょう^^
こうやって歩いていると、たいていのお宅は瓦屋根が新しくなっています
どんなに新しい家もあの地震ではどうしようもなかったでしょう
こうして約1時間、ゆ~っくりと散歩して「黒潮」さんの入口まで戻ってきました
わあ~、ここもこんな状態のままなんだ
早く直さなくていいのかな?
と、二人で話しながら玄関を入ると、角火鉢には炭が熾こっていました
そんなに寒くはなかったけど、この炭火は心が温まりました
震災で結構目にしてきた河北新報がもう配達されていた、離島なのに、早っ!@@
我が家に新聞がくるのもこのくらいの時間だし^^;
おや、このコピーは?
昨晩、堺社長が話されたいた問題記事のようです
実はこの大島では今、
災害対策本部長による義援金の使途不明、救援物資の横流し、補助金の不正申請
そして市議による名古屋市から提供された公用車の私物化問題等で大騒動になっています
大島の住民が、多くの善意に申し訳ないとようやく声を上げ出したと言ってました
あの大きな混乱の中では、こういった話は気仙沼大島だけの話ではないかもしれません
しかし、復興という新たな一歩を踏み出すためには
大島住民の力で真実を明らかにして、適切に対処して欲しいです
このような裏話は、現地に行かなければ分からなかったでしょう
良い意味でいろいろと考えさせられる一件でした
大島の皆さん、いろんな意味で注目されてますよ♪
さあ、やっと朝ごはんの時間になりました
起きてから3時間、お腹へったーー^^;
さぁ、しっかり食べて、しっかり働くぞ~♪
今日は子供の日ということで、動植物園は大賑わいのようでした
動植物園の駐車場はもちろん、近くの公園や学校のグランドは車で溢れていました
春のこどもまつりやわくわく江津湖フェスタのイベントも開催中とのこと
天気が良くてよかった
ヤギの赤ちゃんも大人気だっただろうな~
お弁当持って、今日だけは子供につきあってあげたお父さんお母さんお疲れ様^^
我が家は近すぎて家族で行ったことってなかったんだ(笑)
早朝に娘のアパートを出発し7時間もバスに揺られたので、28日は早く休むことにしました
外が明るくなったのでそろそろ起きたほうがいいのかなと思い、携帯で時刻を確認
な、な、なんと 4時半!! じゃないか@@
熊本じゃこんな時間に起きることなんてまずないし、こんなに明るくないよ
東北と九州では時差もあるし
きっと脳や身体はいつもの6時だと思って目覚めたのだろうな(^_^メ)

それから寝るのももったいないし、朝食は7時半ということだったので
朝、それも早朝の散歩と相成りました^^
前の晩は暗くなってから着いたのでよくわかりませんでしたが
こちらがお世話になった「旅館黒潮」さんです

民宿のようなとても家庭的なところでした
大島でも一番南に位置する旅館です、たぶん^^;

まだ誰も起きてなさそうな頃、その「黒潮」さんの前の細い道を下って行きました
すると、すぐにいろいろな花が出迎えてくれたんです
熊本じゃもうとっくに終わっている花々^^

こちらの保育園の桜、見事でした
朝陽があたっていればもっとよかったのにね^^;

その隣には「長命寺」さん
こちらにお参りしておくと長生きできそうですね♪

東北のお寺ってどうなの?って近寄ってみると
わあ~、すごいすごい、すんばらしいじゃござんせんか♪

まさか、早朝散歩でオテラ~になるとはね(笑)
さらに下っていくと、県道に出ました
バス停がありますよ、ん?ミヤコーバスだって^^

九州でミヤコーって言ったら宮交(宮崎交通)だけど宮城交通でも同じだよね
う~ん、人口3000人余りの島でこの便数は多いのか少ないのか・・・

そこを真っ直ぐ下りていくと、津波の被害をもろに受けたであろう場所が!

ここは駒形漁港、朝早くから作業されています

地元の方に伺ったら、この漁港も2mくらい沈下したというお話
どおりで水面が岸壁と同じ高さなんだ

船が困ったような顔をしているように見えた
汗まで流して・・・^m^

暗くなる気持ちをたくさんの花が癒してくれます

朝露までが元気付けてくれるような^^

それにしてもこの大島、どこのお宅も花でいっぱい
花いっぱい運動でもしてるかのようです

さらに南に向かい、海端に近づいてみると
やっぱり崩れたところがどこかしこに

穏やかな海は見ていて落ち着くけど
ひとたび天変地異が起きると何もかものみこんでしまいます

気仙沼市の北隣、陸前高田市の椿島はウミネコの繁殖地
だからか、この大島もウミネコ多かったな~

気仙沼では震災から3ヶ月でワカメの養殖作業を再開、先月までに収穫されたとか
養殖施設は壊滅したのに、このバイタリティーには拍手ですね

それから県道を歩いていると、さすがに東北
道路の黄色い木箱のなかには、塩化カルシュムが置いてありました
もちろん凍結防止でしょう^^

こうやって歩いていると、たいていのお宅は瓦屋根が新しくなっています
どんなに新しい家もあの地震ではどうしようもなかったでしょう

こうして約1時間、ゆ~っくりと散歩して「黒潮」さんの入口まで戻ってきました
わあ~、ここもこんな状態のままなんだ

早く直さなくていいのかな?
と、二人で話しながら玄関を入ると、角火鉢には炭が熾こっていました

そんなに寒くはなかったけど、この炭火は心が温まりました
震災で結構目にしてきた河北新報がもう配達されていた、離島なのに、早っ!@@
我が家に新聞がくるのもこのくらいの時間だし^^;
おや、このコピーは?

昨晩、堺社長が話されたいた問題記事のようです
実はこの大島では今、
災害対策本部長による義援金の使途不明、救援物資の横流し、補助金の不正申請
そして市議による名古屋市から提供された公用車の私物化問題等で大騒動になっています
大島の住民が、多くの善意に申し訳ないとようやく声を上げ出したと言ってました
あの大きな混乱の中では、こういった話は気仙沼大島だけの話ではないかもしれません
しかし、復興という新たな一歩を踏み出すためには
大島住民の力で真実を明らかにして、適切に対処して欲しいです
このような裏話は、現地に行かなければ分からなかったでしょう
良い意味でいろいろと考えさせられる一件でした
大島の皆さん、いろんな意味で注目されてますよ♪
さあ、やっと朝ごはんの時間になりました
起きてから3時間、お腹へったーー^^;

さぁ、しっかり食べて、しっかり働くぞ~♪
GW後半、東北地方の天候は大荒れのようです
我々が先週訪れた気仙沼市街地では豪雨で町中が浸水した映像が流れています
この期間中に東北支援で行こうと思っていた方達、準備万端で待っていた方達
予定が多狂いになり、多くの人たちがこの天候を恨んでいることでしょう
でもあの大震災から立ち上がろうとしている東北
明日からきっと晴れ間ものぞいてくれるはず、そうあって欲しい!!
平泉の中尊寺を駆け足で見学した後に向かったのは気仙沼市
添乗員さんが突然、「皆さん」と声をあげ立ち上がりました
「私達は、これから気仙沼市に向かいます。皆さんに見てほしいDVDがあります。
宮城県内の地震から津波までの被災の映像です。もし見たくない方は
下を向いていても構いません。この事実を知った上で現地を見て欲しいのです。」
そうなんです、我々の今回のツアーの目的は被災地の現状を知り
短時間ではあるけど何かの役に立ちたい
そして出来るだけたくさんのお土産を買ったり、美味しいものを食べたりして
少しでも多くのお金を置いてくること^^v
この被災映像を車内で見ながら、その思いを強く再認識させられました
気仙沼市の津波の高さはこの鹿折地区辺りでは約10m、重油タンクが流されて火の海になり
市街地や山林が延焼したことは皆さんもご存知でしょうか
市内に入り海岸が近づいてくると、ある地点から景色が一変
瓦礫は片づけられていたので、当時の惨状は想像もできませんが
それでも目に飛び込んでくる光景は言葉を失うものばかり
大島にわたるエースポートという港の前で少し時間があったのでちょっと散策
遠めには気付かなくても、近くで見るとまだまだ被災当時のままで
残されているものが多数存在しています
森進一「港町ブルース」の碑も相当ダメージを受けています
これは男山という酒造本店だったところ
残っているのは3階部分のみ・・・
痛々しい中にも間違いなく復興も進んでいます
こちらは時間の都合で寄れませんでしたが
夕闇に赤提灯が目立ってた「復興屋台村気仙沼横丁」
大島に渡るフェリー「海来」、みらいと読むようですが
なんだか今考えると微妙な名前です
これに間に合わなかったら、タライに乗っていくはめになるところだったんだ^^
フェリーから臨むと、もうすぐ陽が沈みそう
ここで気付いたのが海の色、土気色なんです
後から聞いた話ですが、この港は閉鎖域の一番奥で
まだ海底に沈んでいるものも多いため、動物性プランクトンの発生で
このような色になっているのではないかということでした
大島までは約30分の航路
フェリーの甲板で心地よい風を感じながら、夕陽を眺めている限りでは
あの日あの時間、荒れ狂い、燃え盛った同じ海とは思えません
大島での宿泊は「旅館黒潮」
「漁師さん達が漁を自粛しているので、新鮮な魚はなかなか入手できませんが
牡蠣やワカメの出来がいいんです」とは、堺社長さん
夕食はさほど期待していなかったのですが、なかなかどうして大したもんでした^^
メインは気仙沼自慢のワカメのしゃぶしゃぶ♪
熱湯に2~3回通すと見事な緑色に変わります
皆さんこれには、うんうんと頷きながら食べてた^^
周りの席の方とも話をしましたが、ほとんどが関東の方々
熊本から来たというと、皆さん驚いていました^m^
参加された方達は、熟年夫婦と同じでこの休みの間に何かボランティアをしたい
東北を応援したいという気持ちが強く感じられました
そうこしていると、社長さんが何やら大きなものを抱えてきました
気仙沼はマグロやカツオの水揚げが多いところ
ということで、出てきたのはマグロの頭の丸焼き
ほほ肉などは、ぷりぷりとろとろのコラーゲンたっぷり♪

食事も終わるころ、社長さんから震災のお話を伺うことができました
社長の横でフードを被っているのはガイドさん^m^
「大島では150軒が流され、80件の仮設住宅が造られた。
この旅館は高台にあり、大きな被災は受けなかった。
大島で亡くなられた31人は、高台に逃げれば助かったのに
逃げることをしなかった。
残念ながら人は50年も経てば過去の恐怖を忘れてしまう。
津波の時は他人の事ではなく自分自身を守ることが大切。
海上火災は4日間で鎮火したことになっているが
実際は2週間くすぶった。
きれいに見える海岸も10cm掘ると、今でも油が浮いてくる。」
宮城県気仙沼市大島
東北では最も大きな離島ということで、伊達政宗に名づけられた大島
明日は朝早く起きて、島内散策でもしてみよう
ということで、4月28日の夜は静かに更けていくのでした♪
我々が先週訪れた気仙沼市街地では豪雨で町中が浸水した映像が流れています
この期間中に東北支援で行こうと思っていた方達、準備万端で待っていた方達
予定が多狂いになり、多くの人たちがこの天候を恨んでいることでしょう
でもあの大震災から立ち上がろうとしている東北
明日からきっと晴れ間ものぞいてくれるはず、そうあって欲しい!!
平泉の中尊寺を駆け足で見学した後に向かったのは気仙沼市
添乗員さんが突然、「皆さん」と声をあげ立ち上がりました
「私達は、これから気仙沼市に向かいます。皆さんに見てほしいDVDがあります。
宮城県内の地震から津波までの被災の映像です。もし見たくない方は
下を向いていても構いません。この事実を知った上で現地を見て欲しいのです。」

そうなんです、我々の今回のツアーの目的は被災地の現状を知り
短時間ではあるけど何かの役に立ちたい
そして出来るだけたくさんのお土産を買ったり、美味しいものを食べたりして
少しでも多くのお金を置いてくること^^v
この被災映像を車内で見ながら、その思いを強く再認識させられました
気仙沼市の津波の高さはこの鹿折地区辺りでは約10m、重油タンクが流されて火の海になり
市街地や山林が延焼したことは皆さんもご存知でしょうか

市内に入り海岸が近づいてくると、ある地点から景色が一変
瓦礫は片づけられていたので、当時の惨状は想像もできませんが
それでも目に飛び込んでくる光景は言葉を失うものばかり
大島にわたるエースポートという港の前で少し時間があったのでちょっと散策

遠めには気付かなくても、近くで見るとまだまだ被災当時のままで
残されているものが多数存在しています

森進一「港町ブルース」の碑も相当ダメージを受けています

これは男山という酒造本店だったところ

残っているのは3階部分のみ・・・

痛々しい中にも間違いなく復興も進んでいます

こちらは時間の都合で寄れませんでしたが
夕闇に赤提灯が目立ってた「復興屋台村気仙沼横丁」

大島に渡るフェリー「海来」、みらいと読むようですが
なんだか今考えると微妙な名前です
これに間に合わなかったら、タライに乗っていくはめになるところだったんだ^^

フェリーから臨むと、もうすぐ陽が沈みそう

ここで気付いたのが海の色、土気色なんです

後から聞いた話ですが、この港は閉鎖域の一番奥で
まだ海底に沈んでいるものも多いため、動物性プランクトンの発生で
このような色になっているのではないかということでした
大島までは約30分の航路

フェリーの甲板で心地よい風を感じながら、夕陽を眺めている限りでは
あの日あの時間、荒れ狂い、燃え盛った同じ海とは思えません

大島での宿泊は「旅館黒潮」
「漁師さん達が漁を自粛しているので、新鮮な魚はなかなか入手できませんが
牡蠣やワカメの出来がいいんです」とは、堺社長さん

夕食はさほど期待していなかったのですが、なかなかどうして大したもんでした^^

メインは気仙沼自慢のワカメのしゃぶしゃぶ♪

熱湯に2~3回通すと見事な緑色に変わります

皆さんこれには、うんうんと頷きながら食べてた^^

周りの席の方とも話をしましたが、ほとんどが関東の方々
熊本から来たというと、皆さん驚いていました^m^
参加された方達は、熟年夫婦と同じでこの休みの間に何かボランティアをしたい
東北を応援したいという気持ちが強く感じられました
そうこしていると、社長さんが何やら大きなものを抱えてきました
気仙沼はマグロやカツオの水揚げが多いところ

ということで、出てきたのはマグロの頭の丸焼き
ほほ肉などは、ぷりぷりとろとろのコラーゲンたっぷり♪

食事も終わるころ、社長さんから震災のお話を伺うことができました
社長の横でフードを被っているのはガイドさん^m^

「大島では150軒が流され、80件の仮設住宅が造られた。
この旅館は高台にあり、大きな被災は受けなかった。
大島で亡くなられた31人は、高台に逃げれば助かったのに
逃げることをしなかった。
残念ながら人は50年も経てば過去の恐怖を忘れてしまう。
津波の時は他人の事ではなく自分自身を守ることが大切。
海上火災は4日間で鎮火したことになっているが
実際は2週間くすぶった。
きれいに見える海岸も10cm掘ると、今でも油が浮いてくる。」
宮城県気仙沼市大島
東北では最も大きな離島ということで、伊達政宗に名づけられた大島
明日は朝早く起きて、島内散策でもしてみよう
ということで、4月28日の夜は静かに更けていくのでした♪
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[TEL]0226-28-2125
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