今日は次男が、友達と会うので車を使いたいということで
家でまったりの熟年夫婦でございました^^
旧野崎豪邸を見学した後に向かったのは、鷲羽山(わしゅうざん)
ここから展望する瀬戸大橋の全景は最高ということで、はずす訳にはいかんでしょ^^
鷲羽山は雲仙、霧島とともに昭和9年に国内初の国立公園に指定されたんですよ
また、鷲羽山から見た瀬戸内海に沈む夕日は「日本の夕日百選」にも選ばれています
大駐車場から登ると展望台があるのですが、イマイチ角度が悪くて大橋の全景が収まらない
ということで、この頃には結構足腰にもきてましたが、さらに山頂に向かって大橋に向かって歩きました
ビジターセンターまでは断念しましたが、途中の大きな一枚岩から撮影♪

曇り空なのが本当に残念!
紺碧の海とブルースカイだったら、どれだけ素晴らしかったことか
どこぞのおっさんがどうしても一枚撮って欲しいというので
仕方なくとっちんが撮りましたが、どんなポーズ取っても冴えないね^^;

もちろん、今度は山を下りて、見上げましたとも
見上げすぎると、後ろにぶっ倒れそうになります^^;

しかし、すごい迫力!
日本にはこれだけの力があるのだから、復興も大丈夫と改めて思いました

ちょうどこの時、列車が通過しているのが轟音で分かりますが、まったく見えません^^;
この頃の時間が夕方の5時過ぎ、ということでもう間に合わないとは知りつつ向かったのが
「むかし下津井 回船問屋」

瀬戸内海を望む下津井漁港は、江戸時代から大正にかけて北前船で賑わった湊町でした
その面影が感じられますね

この「むかし下津井回船問屋」は当時の回船問屋を復元した資料館で
瀬戸内の海の幸や干物などの土産も購入できます
二階にはしっかりと倉敷格子も復元されていますね♪

そして、この「まだかな」の建物の文字が気になって、近くにあった看板に目をやると

なるほど、そういう一面もあった賑やかな町だったのね^^

少しぶらついた後、小さなみやげ物店を見つけ、下津江で採れた海苔とワカメを購入♪
こちらは下津井のノラくん^^

まだ明るかったので水島コンビナートを山から眺めようよということになり
鷲羽山スカイライン を少し戻って一枚♪
ここは工場群の夜景が素晴らしいんですよね

でも熟年はこれで満足して、次へ向かいます
コンビナートを左に眺めつつ、夕日に向かって西へ走るエアウェイブ♪
熟年の突然の遠出というフットワークの軽さの理由の一つ
実は宿泊を考えないからなんです、どういうことかって^^;
カーナビでトイレがありそうな公園を探して、車中泊^^v
フラットにして布団を敷けばカプセルホテルとそう変わりません(笑)
寝床は岡山県浅口市の海岸沿いの運動公園に決定
ここで事件発生、とっちんがトイレから戻ってくる時に
最短を歩こうとして池にはまってしまった^^;
まあ靴は水浸しになりましたが、浅くてよかったね
今回、倉敷に来るにあたって決めていたことは
「倉敷近辺」、尾道の「浄土寺」と「千光寺」そして尾道で「お好み焼き」を食べること
明日の行程を決めるにあたって、尾道までの途中になんか良い所ないかな
と調べてたら、むふふ、見つけましたよ^m^
さあ、食べて、飲んだら真っ暗でやることないから、21時過ぎには早々と就寝・・・
当然目覚めは早く、朝の5時過ぎ^^

ここです とっちんが、はまった池^^

ここまで来たんだからと海を見てみることに
小さな山が三つ並んだ島が良いアクセントになってました
この日は雨模様さえ予想されたので、曇りならラッキー♪

さて、ここからは2日目♪
昨晩、行き当たりばったりで見つけた場所にレッツらゴー!
実は、これがオマケと思ってたら、今回のGW旅の本命にもなろうかというくらい
風情のある萌え萌え場所でした
この時点の位置関係と熟年の趣味、萌えスポットから分かる人いるかな?^^
興味ある方は、明日も見てくださいませm(_ _)m
<むかし下津井 回船問屋>
[所在地]倉敷市下津井1-7-23
[TEL]086-479-7890
[開館時間]9:00~17:00(入館は16:30まで)
[休館日]火曜日(但し祝日は開館)
[アクセス]地図はコチラ
一昨日と昨日は次男を連れて福岡の実家に行っておりました
そして昨日は思いもかけない事態に遭遇!
前々から猿が畑を荒らすとは聞いていたのですが
実際に猿の群れが裏山から家の近くの畑に下りてきて
エンドウ豆やタマネギを採って食べているのを見たのです
町ではあちこちで猿の被害が大きいため
各家庭に手首固定型のスリングショット(俗に言うパチンコ)を貸し出しているようです
らぼっちと次男は出没した猿にパチンコ玉を当てたくて
出てきた時はてんでに追い回して玉を放つのですが、敵もサルモノ(笑)
逃げ足早く裏山に駆け上がります
でも本当は木に登って近くで様子をうかがっているのです
人間が疲れて家に上がるやいなや、すぐさま下りてきてタマネギを抜いて食べてしまいます
その繰り返しが続き、これじゃタマネギがなくなってしまうと思われたので役場に電話
委託された業者が来て爆竹や散弾銃もどきの銃(どう見てもおもちゃ^^;)で威嚇しました
ですが、それも見透かされているようで業者が帰れば元の木阿弥
畑に一日中いるわけにもいかず、どうしたもんか頭をかかえています
中には家の引き戸を開けて仏壇のお供え物を食べたりする猿もいるようで
人間と猿の攻防はずっと続いていくんでしょうかねぇ^^;
さてさて、倉敷をざざーっと見た後のお話です
今回はちょっと欲張りな旅にしようと美観地区から児島エリアに南下しました
そこで訪れたのは・・・
専用駐車場に停めて歩き出すとよく目立つんで助かります^^
そう、旧野崎家住宅です
ここでどうして国と県指定で呼び方が違うのか疑問に思いましたが
ま、いいかと小さいことは気にせず向かうことに^^
あ、そうだった、ここ児島は日本ジーンズ発祥の地でした
目の前の桃太郎ジーンズの味野本店さんからジーンズストリートと呼ばれる通りが始まっていました
店内を見たい気持ちをぐっと抑え、野崎家の門に急ぎます
何だか武家屋敷の長屋門みたいです
でもただの長屋門ではなく、右に桃屋敷、左に南座敷が御成門に続きます
こちらは江戸時代後半、児島半島の南側を中心に広大な塩田開発を行い
「塩田王」となった大庄屋、野崎武左衛門の居宅、いうなれば財閥の邸宅なのです
低い丘陵を背景に約3000坪という広大な敷地と、約1000坪の建物延べ床面積を持ち
枯山水の庭園、長屋門、主屋、表書院、土蔵、茶室などが一体的に残っているのが特徴らしいです
ぎょえーー!さすが大富豪!広さが半端ないです@@
あ、いかんいかん、門を入ってすぐから怖気づいてる(笑)
さ、くぐり戸を抜けてっと・・・
ここは、内玄関とな、げげっこんなに大きい^^;
どれだけの部屋数があるのかいな
さらに進むと、こちらが表玄関、お、中庭が見えていますよ
ちょっと大き目のくぐり戸、さらに奥には立派な庭が^^
前庭には貴賓が駕籠をとめるお駕籠石が配されています
この庭が見える部屋が表書院、今で言う応接間です、広っ!!
上の間、下の間、茶室と全部で三十畳くらいあるようです
キンキラキンの襖に黒縁取りの波形の欄間、超豪華ーー☆
おおー、これも圧巻、梁は一本の地松だそうです
こちらは水琴窟(すいきんくつ)
手前に立てかけてある竹筒に耳を当て、水の音を楽しみます
竹で聞くせいか、すごく澄んだ心が洗われるようなきれいな音がとてもよく聞こえました
いろんな木々が植えられている庭、さつきにはちょっと早かったみたい^^;
ここは中座敷、野崎家の住まいの中心となったところです
どれだけ繋がっていると思います?
42m、九つの部屋が連なっているということです
運動会ができそうですよね(笑)
広い庭にはお茶室が三席もあったり、大きな桧や苔がいろんな調和を見せていました

裏にまわると、要塞のような石垣が現れました
これがただの石垣じゃないんですよ
高さは10m以上、丘に合わせてうねりが作ってあり、圧倒されます
これを書くにあたって調べていたら、この中に高度な技術を要した扇面の石があるとのこと
明治~大正時代にかけて造られた石垣、はい、目を凝らして撮った写真を探しましたとも!
そうしたら偶然写っていました(笑)
こちらは台所、なんとかまどの多いこと
何人分を作っていたんでしょうね^^
調度品も贅沢なものでしたよ^^
大正時代のオールドノリタケなんかもありました、かわいかった~♪
向座敷の上部にあるガラス張りのアレは何だろうか、見張り部屋?
台所の横には夜具蔵
蔵に入れなきゃならないほど、たくさんの布団があったんでしょうね
それにしても外壁の「焼き杉」は「焼き過ぎ」じゃありませんか?(爆)
建物がたくさんなので、敷地内でも風情のある景色がどこかしこにありました
だって、蔵だけでも7つあるんですから^^;
蔵は“商人のお城”とも言われ、富の象徴だというわけです
その中のひとつ、一番大きい大蔵は展示館になっています
これはポーランド産の岩塩、重さ当てをしていました(答え忘れちゃった^^;)
昔の塩作りの道具なども展示されていましたよ
現在でも野崎家は市内にてナイカイ塩業という製塩会社を経営していて
国内トップシェアを誇っているそうです
疎いのでちっともわかりませんが、絵や字が書かれた屏風や掛け軸がたくさんありました
たぶん高価なものなんでしょう(貧乏人なので・・^^;)
いやいやお金持ちというのはどんだけの度量があったのでしょうか

蔵の窓も同じものがありませんでした
パンフには“山陽道の代表的な民家”と書いてありましたが
民家とは違うだろっ!民家とは一般庶民の家っつうことでしょーが
ここは“山陽道の代表的な豪邸”と改めてほしいと思った熟年でした(笑)
上の写真は文久3年(1863年)に塩釜明神の御神燈として
また、浜へ出入りする船の夜間照明のための灯台として建てられた旧野崎浜灯明台です
そして昨日は思いもかけない事態に遭遇!
前々から猿が畑を荒らすとは聞いていたのですが
実際に猿の群れが裏山から家の近くの畑に下りてきて
エンドウ豆やタマネギを採って食べているのを見たのです
町ではあちこちで猿の被害が大きいため
各家庭に手首固定型のスリングショット(俗に言うパチンコ)を貸し出しているようです
らぼっちと次男は出没した猿にパチンコ玉を当てたくて
出てきた時はてんでに追い回して玉を放つのですが、敵もサルモノ(笑)
逃げ足早く裏山に駆け上がります
でも本当は木に登って近くで様子をうかがっているのです
人間が疲れて家に上がるやいなや、すぐさま下りてきてタマネギを抜いて食べてしまいます
その繰り返しが続き、これじゃタマネギがなくなってしまうと思われたので役場に電話
委託された業者が来て爆竹や散弾銃もどきの銃(どう見てもおもちゃ^^;)で威嚇しました
ですが、それも見透かされているようで業者が帰れば元の木阿弥
畑に一日中いるわけにもいかず、どうしたもんか頭をかかえています
中には家の引き戸を開けて仏壇のお供え物を食べたりする猿もいるようで
人間と猿の攻防はずっと続いていくんでしょうかねぇ^^;
さてさて、倉敷をざざーっと見た後のお話です
今回はちょっと欲張りな旅にしようと美観地区から児島エリアに南下しました
そこで訪れたのは・・・

専用駐車場に停めて歩き出すとよく目立つんで助かります^^
そう、旧野崎家住宅です
ここでどうして国と県指定で呼び方が違うのか疑問に思いましたが
ま、いいかと小さいことは気にせず向かうことに^^
あ、そうだった、ここ児島は日本ジーンズ発祥の地でした


目の前の桃太郎ジーンズの味野本店さんからジーンズストリートと呼ばれる通りが始まっていました
店内を見たい気持ちをぐっと抑え、野崎家の門に急ぎます

何だか武家屋敷の長屋門みたいです
でもただの長屋門ではなく、右に桃屋敷、左に南座敷が御成門に続きます
こちらは江戸時代後半、児島半島の南側を中心に広大な塩田開発を行い
「塩田王」となった大庄屋、野崎武左衛門の居宅、いうなれば財閥の邸宅なのです
低い丘陵を背景に約3000坪という広大な敷地と、約1000坪の建物延べ床面積を持ち
枯山水の庭園、長屋門、主屋、表書院、土蔵、茶室などが一体的に残っているのが特徴らしいです

ぎょえーー!さすが大富豪!広さが半端ないです@@
あ、いかんいかん、門を入ってすぐから怖気づいてる(笑)
さ、くぐり戸を抜けてっと・・・
ここは、内玄関とな、げげっこんなに大きい^^;
どれだけの部屋数があるのかいな

さらに進むと、こちらが表玄関、お、中庭が見えていますよ

ちょっと大き目のくぐり戸、さらに奥には立派な庭が^^

前庭には貴賓が駕籠をとめるお駕籠石が配されています

この庭が見える部屋が表書院、今で言う応接間です、広っ!!

上の間、下の間、茶室と全部で三十畳くらいあるようです
キンキラキンの襖に黒縁取りの波形の欄間、超豪華ーー☆
おおー、これも圧巻、梁は一本の地松だそうです

こちらは水琴窟(すいきんくつ)

手前に立てかけてある竹筒に耳を当て、水の音を楽しみます
竹で聞くせいか、すごく澄んだ心が洗われるようなきれいな音がとてもよく聞こえました
いろんな木々が植えられている庭、さつきにはちょっと早かったみたい^^;

ここは中座敷、野崎家の住まいの中心となったところです
どれだけ繋がっていると思います?

42m、九つの部屋が連なっているということです
運動会ができそうですよね(笑)
広い庭にはお茶室が三席もあったり、大きな桧や苔がいろんな調和を見せていました


裏にまわると、要塞のような石垣が現れました

これがただの石垣じゃないんですよ
高さは10m以上、丘に合わせてうねりが作ってあり、圧倒されます

これを書くにあたって調べていたら、この中に高度な技術を要した扇面の石があるとのこと
明治~大正時代にかけて造られた石垣、はい、目を凝らして撮った写真を探しましたとも!
そうしたら偶然写っていました(笑)

こちらは台所、なんとかまどの多いこと
何人分を作っていたんでしょうね^^

調度品も贅沢なものでしたよ^^
大正時代のオールドノリタケなんかもありました、かわいかった~♪

向座敷の上部にあるガラス張りのアレは何だろうか、見張り部屋?

台所の横には夜具蔵
蔵に入れなきゃならないほど、たくさんの布団があったんでしょうね

それにしても外壁の「焼き杉」は「焼き過ぎ」じゃありませんか?(爆)

建物がたくさんなので、敷地内でも風情のある景色がどこかしこにありました


だって、蔵だけでも7つあるんですから^^;


蔵は“商人のお城”とも言われ、富の象徴だというわけです
その中のひとつ、一番大きい大蔵は展示館になっています
これはポーランド産の岩塩、重さ当てをしていました(答え忘れちゃった^^;)

昔の塩作りの道具なども展示されていましたよ

現在でも野崎家は市内にてナイカイ塩業という製塩会社を経営していて
国内トップシェアを誇っているそうです
疎いのでちっともわかりませんが、絵や字が書かれた屏風や掛け軸がたくさんありました
たぶん高価なものなんでしょう(貧乏人なので・・^^;)

いやいやお金持ちというのはどんだけの度量があったのでしょうか


蔵の窓も同じものがありませんでした

パンフには“山陽道の代表的な民家”と書いてありましたが
民家とは違うだろっ!民家とは一般庶民の家っつうことでしょーが
ここは“山陽道の代表的な豪邸”と改めてほしいと思った熟年でした(笑)

上の写真は文久3年(1863年)に塩釜明神の御神燈として
また、浜へ出入りする船の夜間照明のための灯台として建てられた旧野崎浜灯明台です
<旧野崎家住宅>
[所在地]岡山県倉敷市児島味野1-11-19
[TEL]086-472-2001
[料金]大人(高校生以上)500円、小中学生 300円
[アクセス]地図はコチラ
今日はグルメねたも少し紹介しときます^^
大橋家を見学した後、お昼には少し早かったのですが朝が早かった二人
通りからちょっと外れたバイキングランチのお店を見つけ入店♪
夜は居酒屋をやっているのでしょう
九州の黒霧や赤霧の焼酎もたくさん並んでいました^^
バイキング料理、結構品数が並んでおりました
居酒屋料理ですが、ひと手間かけた料理ばかり
後から、二切れですがカンパチのお刺身まで出てきました^^
最後は、珈琲と小さな手づくりスイーツまで
思わず儲けありますかと聞いちゃいました
倉敷の名物料理ではありませんでしたが、もう二人とも大満足でした^^
食で満足するって大切ですよね
この日は一日中、幸せな気分でした♪
鶴形山阿智神社の参道を上ることなく下ってきた熟年夫婦
この辺りの南麓は「本町・東町」といい、庶民的な雰囲気の町家が立ち並び
美観地区の中では若者世代よりも熟年世代が好む空間が続いています
その中に昔ながらの土蔵や町家を改装したカフェ、居酒屋などがたくさんあります
美観地区を今朝から歩いてて思ってたんですが、美観といいながら電信柱や電線が多いと思いませんか
その中に生活があるので仕方ないとは思うんですが
行政は電線の地中化なんかも考えて欲しいなと思ったらぼっちなのでした
ひと休みと決めていたカフェはお客さんが外までズッラーと並んでいて断念♪
で、ぶらぶらしているとお客さんが群がっている一角あり
元祖「醤油ぶっかけソフト」
そういえば大分の臼杵にもありましたっけ
二人で半分こ♪
醤油そのものではなく香り深いカラメルでした
この後向かったのは、美観地区の中でもちょっと異彩を放つ「倉敷アイビースクエア」
裏口の西門の方から来ちゃいましたね
こちらには江戸時代、幕府の代官所があったんですね
明治22年に倉敷紡績工場が建設され、昭和48年に観光施設として再生されました
平成19年には「近代化産業遺産」に認定されています
それでは工場時代の名残を見つけに参りましょう
入ってすぐ横にあるのが「児島虎次郎記念館」
この赤レンガに囲まれた空間がたまりません^^
「倉紡記念館」に入ろうと思い、何が見られるか尋ねると
窓口のおばさんが横柄な態度で分かりにくい返事、気分を害したので止めました^^;
しばらく行くと施設の象徴でもある蔦に覆われた「アイビー学館」が現れます
まさしく、アイビーという言葉以外には思いつかない姿です^^
この蔦は西陽のため工場内の温度上昇を調節するために植えられたそうです
左奥はオルゴールミュゼ、左側の大きな木はメタセコイア
その周囲を歩いていると当時の名残「鉄鈴」みっけ♪
始業終業の合図に使われていたんですね
蔦で見にくいですが、上の方に50cmくらいの鉄鈴が2個並んでいるのがわかりますか
建物の中は藍染めの展示がありましたが、とっちんの撮るのは壁ばかり^^;
とっちんが若かりし頃、訪れた記憶があったところが皆さんが寛いでいるこちらの「広場」
倉敷の町並みは全く思い出せなかったようなので、よかったよかった記憶が繋がって^^
熟年夫婦もこちらで、しばし休憩♪
広場の周囲はホテルになっていて、アイビースクエアの入口もこちらが正門のようです
倉敷の風情ある町並みとレトロな近代遺産を楽しんだ熟年
さて次に目指すは?^^
大橋家を見学した後、お昼には少し早かったのですが朝が早かった二人
通りからちょっと外れたバイキングランチのお店を見つけ入店♪

夜は居酒屋をやっているのでしょう
九州の黒霧や赤霧の焼酎もたくさん並んでいました^^

バイキング料理、結構品数が並んでおりました
居酒屋料理ですが、ひと手間かけた料理ばかり

後から、二切れですがカンパチのお刺身まで出てきました^^

最後は、珈琲と小さな手づくりスイーツまで
思わず儲けありますかと聞いちゃいました

倉敷の名物料理ではありませんでしたが、もう二人とも大満足でした^^
食で満足するって大切ですよね
この日は一日中、幸せな気分でした♪
鶴形山阿智神社の参道を上ることなく下ってきた熟年夫婦

この辺りの南麓は「本町・東町」といい、庶民的な雰囲気の町家が立ち並び
美観地区の中では若者世代よりも熟年世代が好む空間が続いています

その中に昔ながらの土蔵や町家を改装したカフェ、居酒屋などがたくさんあります
美観地区を今朝から歩いてて思ってたんですが、美観といいながら電信柱や電線が多いと思いませんか
その中に生活があるので仕方ないとは思うんですが
行政は電線の地中化なんかも考えて欲しいなと思ったらぼっちなのでした
ひと休みと決めていたカフェはお客さんが外までズッラーと並んでいて断念♪

で、ぶらぶらしているとお客さんが群がっている一角あり
元祖「醤油ぶっかけソフト」
そういえば大分の臼杵にもありましたっけ

二人で半分こ♪
醤油そのものではなく香り深いカラメルでした

この後向かったのは、美観地区の中でもちょっと異彩を放つ「倉敷アイビースクエア」
裏口の西門の方から来ちゃいましたね

こちらには江戸時代、幕府の代官所があったんですね

明治22年に倉敷紡績工場が建設され、昭和48年に観光施設として再生されました
平成19年には「近代化産業遺産」に認定されています

それでは工場時代の名残を見つけに参りましょう
入ってすぐ横にあるのが「児島虎次郎記念館」
この赤レンガに囲まれた空間がたまりません^^

「倉紡記念館」に入ろうと思い、何が見られるか尋ねると
窓口のおばさんが横柄な態度で分かりにくい返事、気分を害したので止めました^^;
しばらく行くと施設の象徴でもある蔦に覆われた「アイビー学館」が現れます

まさしく、アイビーという言葉以外には思いつかない姿です^^
この蔦は西陽のため工場内の温度上昇を調節するために植えられたそうです

左奥はオルゴールミュゼ、左側の大きな木はメタセコイア

その周囲を歩いていると当時の名残「鉄鈴」みっけ♪
始業終業の合図に使われていたんですね

蔦で見にくいですが、上の方に50cmくらいの鉄鈴が2個並んでいるのがわかりますか

建物の中は藍染めの展示がありましたが、とっちんの撮るのは壁ばかり^^;

とっちんが若かりし頃、訪れた記憶があったところが皆さんが寛いでいるこちらの「広場」
倉敷の町並みは全く思い出せなかったようなので、よかったよかった記憶が繋がって^^
熟年夫婦もこちらで、しばし休憩♪

広場の周囲はホテルになっていて、アイビースクエアの入口もこちらが正門のようです

倉敷の風情ある町並みとレトロな近代遺産を楽しんだ熟年
さて次に目指すは?^^
<アイビースクエア>
[アクセス]地図はコチラ
今日は朝から次男を連れて田川の実家へ行ってます
風呂のボイラーが壊れかけてる?けど、東日本震災でなかなか入荷しないとのこと
いろんな所に影響がでてますね
さぁ倉敷、第3弾です^^
大橋家を見学した後、食事となりましたがその話はまた明日♪
次にめざすは「鶴形山」、ここにはお寺や神社があるというのもありますが
美観地区を見下ろすスポットでもあるんです
山へ向かう通りでも、きょろきょろのしっぱなし
皆さんも、飽きないでしょ^^
着物姿の女性は町並みに良く似合います^^
あれっ、阿智神社の西参道に出ちゃいましたよ
そうそう、この時期は”藤まつり”の最中なんですよ
正面の参道から登ろうということで、本通りを東へ♪
でも、後で知ったんですがこれを上がったところに
巨石などのパワースポットがあったんです(>_<)
とっちんを惹き付けた建物がこちら、「旧倉敷銀行」で現在の中国銀行
大原孫三郎が大正11年に建築したもので、ルネッサンス様式を備えています
外から見てもステンドグラスの美しさはわかりません、平日だったら中から見れたのにね^^
と、ここで振り返ると、おいでおいでと誘っている石段、「観龍寺」です
なになに、左側の潜り門には長州藩一隊が攻め入った時の槍の傷跡があるとな?

本堂は移転や焼失に遭いながらも、寛永2年(1749年)に再建されたものです
境内の鐘楼では、アジアの若い娘さんが通路に鞄を置きっぱなしにして
写真を撮りまくっていました♪
もう一人が本堂をこの角度からも撮影してたな、なるほどね♪
心打つ一瞬は万人共通ということでしょう^^
このまま、向かったのは、岡山県天然記念物「阿知の藤」
藤は倉敷市の市花に制定されています
根元周囲は約2.2mで、アケボノフジという珍種の中では全国一の巨樹
20m四方に枝を広げ、淡紅色の花が大藤棚一面に咲き誇る様は可憐でいて見応えがある
と紹介されてあったので、期待しましたが
あれっ、”藤まつり”期間中なのに、棚より下に垂れ下がっていませんよ
よく見ると短い房が棚の上には見えますが、まだちょっと早かったのかな^^;
鶴形山に登ってきてしまったので、そのまま「阿智神社」へ向かいました
玄関である表参道からではなく、勝手口からお邪魔した感じですね♪
阿智神社は旧倉敷総鎮守の宮として人々の尊崇を集めてきました
祭神は皇祖神、天照大御神と素盞鳴尊の娘神の宗像三女神
結びの神様でもあり結婚式が多く行われるそうです^^
これは古代祭祀場であったとされる鶴と亀を模した石組みです
が、うーん正直言って、そんな風には見えなかったかな^^
この神社の休憩所からは美観地区が一望できます
左側隅が観光案内所の「倉敷館」、右側隅が「大原美術館」、その下に「緑御殿」が見えます
夜はライトアップされてまた違った空間を見せる美観地区
その全体をここから眺めるのも一興みたいですよ♪
熟年はデジカメだし、他に見たいのがありますから
暗くなるまでここに居残るわけにはいきません^^
楼門も帰り際、振り返りながら撮るのも初めてではなかろうか^^;
この表参道の石段が面白いんです
楼門の手前が厄除坂、中段が還暦坂、下段が米寿坂
本当だったら上るときにだんだんと若返るんですが
下りるときに気づいても老いていくばっかり^^
でもこの坂を下りると、またまた観光客が集まる通りなんです
この続きは、また明日♪
風呂のボイラーが壊れかけてる?けど、東日本震災でなかなか入荷しないとのこと
いろんな所に影響がでてますね
さぁ倉敷、第3弾です^^
大橋家を見学した後、食事となりましたがその話はまた明日♪
次にめざすは「鶴形山」、ここにはお寺や神社があるというのもありますが
美観地区を見下ろすスポットでもあるんです
山へ向かう通りでも、きょろきょろのしっぱなし
皆さんも、飽きないでしょ^^

着物姿の女性は町並みに良く似合います^^

あれっ、阿智神社の西参道に出ちゃいましたよ

そうそう、この時期は”藤まつり”の最中なんですよ
正面の参道から登ろうということで、本通りを東へ♪
でも、後で知ったんですがこれを上がったところに
巨石などのパワースポットがあったんです(>_<)
とっちんを惹き付けた建物がこちら、「旧倉敷銀行」で現在の中国銀行

大原孫三郎が大正11年に建築したもので、ルネッサンス様式を備えています

外から見てもステンドグラスの美しさはわかりません、平日だったら中から見れたのにね^^

と、ここで振り返ると、おいでおいでと誘っている石段、「観龍寺」です



なになに、左側の潜り門には長州藩一隊が攻め入った時の槍の傷跡があるとな?


本堂は移転や焼失に遭いながらも、寛永2年(1749年)に再建されたものです

境内の鐘楼では、アジアの若い娘さんが通路に鞄を置きっぱなしにして
写真を撮りまくっていました♪
もう一人が本堂をこの角度からも撮影してたな、なるほどね♪

心打つ一瞬は万人共通ということでしょう^^
このまま、向かったのは、岡山県天然記念物「阿知の藤」
藤は倉敷市の市花に制定されています

根元周囲は約2.2mで、アケボノフジという珍種の中では全国一の巨樹
20m四方に枝を広げ、淡紅色の花が大藤棚一面に咲き誇る様は可憐でいて見応えがある
と紹介されてあったので、期待しましたが

あれっ、”藤まつり”期間中なのに、棚より下に垂れ下がっていませんよ
よく見ると短い房が棚の上には見えますが、まだちょっと早かったのかな^^;

鶴形山に登ってきてしまったので、そのまま「阿智神社」へ向かいました
玄関である表参道からではなく、勝手口からお邪魔した感じですね♪

阿智神社は旧倉敷総鎮守の宮として人々の尊崇を集めてきました
祭神は皇祖神、天照大御神と素盞鳴尊の娘神の宗像三女神
結びの神様でもあり結婚式が多く行われるそうです^^

これは古代祭祀場であったとされる鶴と亀を模した石組みです
が、うーん正直言って、そんな風には見えなかったかな^^
この神社の休憩所からは美観地区が一望できます
左側隅が観光案内所の「倉敷館」、右側隅が「大原美術館」、その下に「緑御殿」が見えます

夜はライトアップされてまた違った空間を見せる美観地区
その全体をここから眺めるのも一興みたいですよ♪
熟年はデジカメだし、他に見たいのがありますから
暗くなるまでここに居残るわけにはいきません^^
楼門も帰り際、振り返りながら撮るのも初めてではなかろうか^^;

この表参道の石段が面白いんです
楼門の手前が厄除坂、中段が還暦坂、下段が米寿坂


本当だったら上るときにだんだんと若返るんですが
下りるときに気づいても老いていくばっかり^^
でもこの坂を下りると、またまた観光客が集まる通りなんです

この続きは、また明日♪
<阿智神社>
[アクセス]地図はコチラ
今日は次男が1年ぶりに帰ってきました
例年まとまった休みが取れず、この時期帰ってくるのはとても珍しいこと
今夜はストレス解消にゆっくり酒を飲みながら話を聞いてやろうかな~^^
え、余計ストレスが溜まるんじゃないかって?
はい、ほどほどにしておきます(笑)
さて倉敷の第2弾です
昨年の日本経済新聞『散策したい歴史ある町並み』の第4位にが選ばれ
和と洋、レトロとモダンが融合した歴史情緒ある商家町、倉敷美観地区
ひとつひとつじっくり見たいところですが
そんなことしていたら3日くらいかかりそうなので、ざーっと見ることにしました(笑)
大勢の人で賑わっている大原美術館には目もくれず
美術館前の倉敷川に架かる今橋を渡ったところにある「旧大原家住宅」を眺める^^;
そう、残念ながらここは外観の見学のみで入館はできないんです
江戸時代後期のこの地方の代表的な町屋の一つで
主屋をはじめ離座敷、内倉、倉など10棟と土地が国の重要文化財に指定されているんですよね~
ご存知のように天領だった倉敷では、旧来「古禄」と呼ばれる世襲の勢力が栄えていましたが
新田・塩田開発と倉敷川の水運の利を生かして「新禄」という商人の新興勢力が台頭してきました
その中でもこの大原家は筆頭格で綿仲買商人として大いに発展していくわけです
クラボウ、クラレ、中国銀行、中国電力などの基礎を造り上げた大財閥ですから
さぞ贅沢なお屋敷なんでしょうね~
そしてこちらは大原孫三郎が妻のために建てた大原家の別邸
泉州谷川の窯で特別に作られた瓦は見る角度によって微妙な緑色に光り
「緑御殿」とも呼ばれているようです
こちらも外観のみを満喫しその場を離れました
ところが、大原美術館主催の特別展会場として年数回しか公開されないとのこと
えーっ、帰ってきてからわかってもねーー(笑)
それから向かったのは「新禄」のもうひとつの代表である「大橋家住宅」です
やはり主屋や長屋門・米蔵・内蔵の4棟が国の重要文化財に指定されています
あっはーー、昔の家は広すぎて何がなんだかよーわからん(笑)
我が家が住むには表門の右側だけで充分、それでも4部屋あるんですから(笑)
たぶん、使用人の部屋だったんでしょうね
もともと「大橋家」の先祖は豊臣家に仕えた武士だったということです
幕府の追及を逃れ倉敷に移り住み、大地主となり大きな財をなしていきました
後から聞いた話では、土間に米千俵が置いてあったとか
米蔵には三百俵ということだったので、どんだけかって思いました^^;
主屋の二階は5本の格子が入れてある“倉敷窓”が見えます
入り口には上棟札がたくさん掲げてありました
一階には親竪子の間に上端を切りつめた細くて短い子を3本入れた
親付切子格子とも言われる大きな“倉敷格子”が目につきます
内側から見るとこんな感じです
祭礼の時はこの格子を外し毛氈を敷き秘蔵の屏風を立てて富を誇示したようです
ひょえ~、ということはこの格子が大きければ大きいほど豪家の象徴ということでしょうか
この日は春の花展が催されていました
が、目的が違う熟年ふたりは、申し訳ないけど花には全く興味なしです(笑)
欄間もさすが倉敷川で発展した場所、波が描かれています
床の間は地味に落ち着いています^^
その上の間から見た庭、そんなに広くはないけどとてもいい感じ
こちらはもっと小さいほうの庭
大きな壷の中にはめだかが泳いでいましたよ^^
土間の裏入り口から台所を見たところ
この土間の吹き抜けがとても高くて、5mもある鯉のぼりが飾ってありました
暗くて黒っぽい天井が華やかに、そしてそれだけ高いってことですが
寂しくしょんぼりぶら下がっていました
鯉は青い空を泳ぎたいんじゃないかとちょっと思っちゃいました^^;


裏から見た蔵、なまこ壁が美しい♪
蔵の中の壁はもっと趣きがあり、丸くなった板階段とよくマッチしていました
この壁は、なまこ壁のように盛り上がらない平目地瓦張といわれるものです
随所に倉敷らしい特徴を持ち、利便性も豪華さもあるお屋敷でした
こちらは今回のように展覧会や作品展が催されるほか、結婚式なども行われているようですよ
綿帽子や内掛け姿はこの白壁やお座敷によく映えるでしょうね^^
例年まとまった休みが取れず、この時期帰ってくるのはとても珍しいこと
今夜はストレス解消にゆっくり酒を飲みながら話を聞いてやろうかな~^^
え、余計ストレスが溜まるんじゃないかって?
はい、ほどほどにしておきます(笑)
さて倉敷の第2弾です
昨年の日本経済新聞『散策したい歴史ある町並み』の第4位にが選ばれ
和と洋、レトロとモダンが融合した歴史情緒ある商家町、倉敷美観地区
ひとつひとつじっくり見たいところですが
そんなことしていたら3日くらいかかりそうなので、ざーっと見ることにしました(笑)
大勢の人で賑わっている大原美術館には目もくれず
美術館前の倉敷川に架かる今橋を渡ったところにある「旧大原家住宅」を眺める^^;

そう、残念ながらここは外観の見学のみで入館はできないんです
江戸時代後期のこの地方の代表的な町屋の一つで
主屋をはじめ離座敷、内倉、倉など10棟と土地が国の重要文化財に指定されているんですよね~

ご存知のように天領だった倉敷では、旧来「古禄」と呼ばれる世襲の勢力が栄えていましたが
新田・塩田開発と倉敷川の水運の利を生かして「新禄」という商人の新興勢力が台頭してきました
その中でもこの大原家は筆頭格で綿仲買商人として大いに発展していくわけです

クラボウ、クラレ、中国銀行、中国電力などの基礎を造り上げた大財閥ですから
さぞ贅沢なお屋敷なんでしょうね~
そしてこちらは大原孫三郎が妻のために建てた大原家の別邸

泉州谷川の窯で特別に作られた瓦は見る角度によって微妙な緑色に光り
「緑御殿」とも呼ばれているようです

こちらも外観のみを満喫しその場を離れました
ところが、大原美術館主催の特別展会場として年数回しか公開されないとのこと
えーっ、帰ってきてからわかってもねーー(笑)
それから向かったのは「新禄」のもうひとつの代表である「大橋家住宅」です

やはり主屋や長屋門・米蔵・内蔵の4棟が国の重要文化財に指定されています
あっはーー、昔の家は広すぎて何がなんだかよーわからん(笑)

我が家が住むには表門の右側だけで充分、それでも4部屋あるんですから(笑)
たぶん、使用人の部屋だったんでしょうね
もともと「大橋家」の先祖は豊臣家に仕えた武士だったということです
幕府の追及を逃れ倉敷に移り住み、大地主となり大きな財をなしていきました
後から聞いた話では、土間に米千俵が置いてあったとか
米蔵には三百俵ということだったので、どんだけかって思いました^^;

主屋の二階は5本の格子が入れてある“倉敷窓”が見えます
入り口には上棟札がたくさん掲げてありました

一階には親竪子の間に上端を切りつめた細くて短い子を3本入れた
親付切子格子とも言われる大きな“倉敷格子”が目につきます

内側から見るとこんな感じです

祭礼の時はこの格子を外し毛氈を敷き秘蔵の屏風を立てて富を誇示したようです
ひょえ~、ということはこの格子が大きければ大きいほど豪家の象徴ということでしょうか
この日は春の花展が催されていました
が、目的が違う熟年ふたりは、申し訳ないけど花には全く興味なしです(笑)

欄間もさすが倉敷川で発展した場所、波が描かれています

床の間は地味に落ち着いています^^

その上の間から見た庭、そんなに広くはないけどとてもいい感じ

こちらはもっと小さいほうの庭
大きな壷の中にはめだかが泳いでいましたよ^^

土間の裏入り口から台所を見たところ

この土間の吹き抜けがとても高くて、5mもある鯉のぼりが飾ってありました

暗くて黒っぽい天井が華やかに、そしてそれだけ高いってことですが
寂しくしょんぼりぶら下がっていました
鯉は青い空を泳ぎたいんじゃないかとちょっと思っちゃいました^^;




裏から見た蔵、なまこ壁が美しい♪

蔵の中の壁はもっと趣きがあり、丸くなった板階段とよくマッチしていました
この壁は、なまこ壁のように盛り上がらない平目地瓦張といわれるものです

随所に倉敷らしい特徴を持ち、利便性も豪華さもあるお屋敷でした

こちらは今回のように展覧会や作品展が催されるほか、結婚式なども行われているようですよ
綿帽子や内掛け姿はこの白壁やお座敷によく映えるでしょうね^^

<大橋家住宅>
[所在地] 岡山県倉敷市阿知3-21-31
[開館時間] 9:00~17:00(季節により延長あり)
[入館料] 大人 500円
高齢者(65歳以上) 300円
小・中学生 300円
[休館日] 3月~11月は休館日なし
12月28日~1月3日休館
12月・1月・2月は金曜日休館(祝日は開館)
[アクセス] 地図はコチラ