今夜も雷がごろごろとずっと鳴り響いています
今は雨が降っていないけど、そのうち降りだすんだろうな
沖縄地方は特別警報が発表されたらしい
最大級の警戒をする必要があるとか、自分の命は自分で守らなきゃ!
七夕だというのに、なんてこった(>_<)
らぼっちの沖永良部はどうなんだろ?
どなたかのFBに、港のかなり高い波が動画であがっていたな(-_-;)
あ、そういえばあの堤防はもう修復終わってたんだっけ?
昨年のような被害が出ないことを祈ろう
先月、東京に戻る次男を空港まで送って行った際
駐車場に車を入れて、ゆっくり見送ろうと思ってたのに
「駐車場には入れなくていいから!」と、うるさく言うので
滑走路が見えるほうにまわって、見送ることにしました
ついでにカメラのテストも兼ねて(*^^)v
午後4時台って、結構な離着陸があったのでかなり楽しめました
今夜は写真を貼り付けて終わろう
あっは~、手抜きだす(^-^)ケケケ
今は雨が降っていないけど、そのうち降りだすんだろうな
沖縄地方は特別警報が発表されたらしい
最大級の警戒をする必要があるとか、自分の命は自分で守らなきゃ!
七夕だというのに、なんてこった(>_<)
らぼっちの沖永良部はどうなんだろ?
どなたかのFBに、港のかなり高い波が動画であがっていたな(-_-;)
あ、そういえばあの堤防はもう修復終わってたんだっけ?
昨年のような被害が出ないことを祈ろう
先月、東京に戻る次男を空港まで送って行った際
駐車場に車を入れて、ゆっくり見送ろうと思ってたのに
「駐車場には入れなくていいから!」と、うるさく言うので
滑走路が見えるほうにまわって、見送ることにしました
ついでにカメラのテストも兼ねて(*^^)v

午後4時台って、結構な離着陸があったのでかなり楽しめました
今夜は写真を貼り付けて終わろう
あっは~、手抜きだす(^-^)ケケケ

















今日の夕刊に長崎新聞の記事の紹介が載っていました
それによると長崎、軍艦島(端島)が2070年頃には崩壊する可能性が高いらしい
鉄筋コンクリート造のビルの耐久年数が100年としての試算のよう
このまま補修工事をしないと建物群も護岸も崩れてしまうと予測されています
そして、2090年には何もない岩礁になるとか
う~ん、こういうふうに聞くと
今すぐ手を入れるべきか、それともそれも歴史とみなすのかとなりますよね
世界遺産登録を目指している長崎としては
前者を選択するのだろうか、気になりますね~(・o・)
さて、今日はタイトルにあるとおり「麦」のお話
先日、義母にメロンを送るために行った七城町で
色付いた麦畑をのどか~に見ておりました
手前は水田ゴボウかな
柔らかそうな葉っぱが風に揺れていました
まさに「麦秋の候」ですね
なにげなく黄金色の麦を追いかけていたんですが
およ~?手前の、なんじゃこりゃ~?(@_@;)
色が・・・色が・・・へん・・・・・
最初は何かわかりませんでした
なんだろ?と近づいてやっと麦だと気づいたのです
調べました、でもこれがなかなか出てこない(;一_一)
20分近くかかってやっとこれかな?というものが・・
裸麦のもち麦の一種で、「ダイシモチ」という六条麦の品種
かな~?(笑)
これ、何になるんだろう?
うどん?パン?それともビール?ヽ(*^∇^*)ノ
そしてこちらは?
ビール大麦のようですね
なんか、こうやってゆっくり見るのは初めてかも
これが美味しいビールになるのね~(#^.^#)
そしてまだ青々としているこれが小麦?
アップにしてもわっかりましぇ~ん(笑)
それにしても今まで麦畑を見て、普通に「麦」と言っていたとっちん
気にもしていなかったけど、ちょっとびっくりでした
いつもパンや麺類として食べているっちゅうのに~(^_^;)
いや、一番お世話になっているのはビールだったな(笑)
それによると長崎、軍艦島(端島)が2070年頃には崩壊する可能性が高いらしい
鉄筋コンクリート造のビルの耐久年数が100年としての試算のよう
このまま補修工事をしないと建物群も護岸も崩れてしまうと予測されています
そして、2090年には何もない岩礁になるとか
う~ん、こういうふうに聞くと
今すぐ手を入れるべきか、それともそれも歴史とみなすのかとなりますよね
世界遺産登録を目指している長崎としては
前者を選択するのだろうか、気になりますね~(・o・)
さて、今日はタイトルにあるとおり「麦」のお話
先日、義母にメロンを送るために行った七城町で
色付いた麦畑をのどか~に見ておりました

手前は水田ゴボウかな
柔らかそうな葉っぱが風に揺れていました

まさに「麦秋の候」ですね

なにげなく黄金色の麦を追いかけていたんですが
およ~?手前の、なんじゃこりゃ~?(@_@;)

色が・・・色が・・・へん・・・・・

最初は何かわかりませんでした
なんだろ?と近づいてやっと麦だと気づいたのです

調べました、でもこれがなかなか出てこない(;一_一)
20分近くかかってやっとこれかな?というものが・・
裸麦のもち麦の一種で、「ダイシモチ」という六条麦の品種
かな~?(笑)

これ、何になるんだろう?
うどん?パン?それともビール?ヽ(*^∇^*)ノ

そしてこちらは?

ビール大麦のようですね
なんか、こうやってゆっくり見るのは初めてかも

これが美味しいビールになるのね~(#^.^#)

そしてまだ青々としているこれが小麦?

アップにしてもわっかりましぇ~ん(笑)

それにしても今まで麦畑を見て、普通に「麦」と言っていたとっちん
気にもしていなかったけど、ちょっとびっくりでした
いつもパンや麺類として食べているっちゅうのに~(^_^;)
いや、一番お世話になっているのはビールだったな(笑)

花房飛行場跡の遺構を探してうろついた土曜日の続きです
次の所は、いや~探しましたよ
近所のお子さんに不審な目で見られながら・・(-_-;)
個人に畑のど真ん中にあった「油倉庫跡」
油っていうと食用油みたいじゃない、燃料のことだよね(笑)
フェンスと生垣の間からパチリ!
こりゃわからんだろ~(;一_一)
そして、これは比較的わかりやすい「弾薬庫跡」
なんかね~、ここは建築資材のようなものやゴミ?がたくさん置いてあって
正直、汚い!大事にされているって書いてあったのに・・・
写真を撮るのも難しいよ~
今でもそうだけど、夏はもっと草ボーボーで遺構って感じじゃないんだろうな(>_<)
お、中が見れる?と思ったけどや~めた!
どうせ遺構と思われるようなものはないでしょ
ん~、郵便受けがある・・・
人が住んでたの?住んでるの?
ナンバーのない放置車はあるし、どう見ても廃墟(・・;)
廃墟と言えば、あの方のようにこんなふうに撮る?(笑)
あら?ここは車庫?
次に行こうと裏にまわった時、気づいた!
屋上に山があった~(@_@;)
そして最後は「木造格納庫跡」
すぐにわかるんですが、なんとも難しいところに建ってますな~
明らかに現代のものではないおにぎり型のコンクリート基礎
アパートとスレスレです
20mくらい離れたところには反対側の基礎があります
ここは会社の敷地内なので、入ることはできませんが
どうもこちら側の手前は焼き物ができる窯のようになっていました
あ、あ~よく見たら珍しい使い方がしてあるよ(・o・)
ここでは遺構と言っても特別扱いはされてないのね~
けど、これにはちょっと安心しました
悲惨な体験をし、思い出したくもないという人もいる
平和の中で育ち、どんな時代だったかさえも知らない人もいる
もう戦争は起きないからではなく
終戦から70年近く経った現代において、この遺構はどう活かされなければならないだろう
これらを見るだけでは、何の教訓も得られない
やはり、知っている人が語り継がなければ、ただのコンクリートの塊になってしまう
パトロールの方に会ったら聞いてみたかったな・・・

次の所は、いや~探しましたよ
近所のお子さんに不審な目で見られながら・・(-_-;)
個人に畑のど真ん中にあった「油倉庫跡」
油っていうと食用油みたいじゃない、燃料のことだよね(笑)

フェンスと生垣の間からパチリ!
こりゃわからんだろ~(;一_一)
そして、これは比較的わかりやすい「弾薬庫跡」

なんかね~、ここは建築資材のようなものやゴミ?がたくさん置いてあって
正直、汚い!大事にされているって書いてあったのに・・・

写真を撮るのも難しいよ~

今でもそうだけど、夏はもっと草ボーボーで遺構って感じじゃないんだろうな(>_<)

お、中が見れる?と思ったけどや~めた!
どうせ遺構と思われるようなものはないでしょ

ん~、郵便受けがある・・・
人が住んでたの?住んでるの?

ナンバーのない放置車はあるし、どう見ても廃墟(・・;)

廃墟と言えば、あの方のようにこんなふうに撮る?(笑)



あら?ここは車庫?

次に行こうと裏にまわった時、気づいた!
屋上に山があった~(@_@;)

そして最後は「木造格納庫跡」
すぐにわかるんですが、なんとも難しいところに建ってますな~

明らかに現代のものではないおにぎり型のコンクリート基礎
アパートとスレスレです

20mくらい離れたところには反対側の基礎があります

ここは会社の敷地内なので、入ることはできませんが
どうもこちら側の手前は焼き物ができる窯のようになっていました

あ、あ~よく見たら珍しい使い方がしてあるよ(・o・)

ここでは遺構と言っても特別扱いはされてないのね~
けど、これにはちょっと安心しました

悲惨な体験をし、思い出したくもないという人もいる
平和の中で育ち、どんな時代だったかさえも知らない人もいる
もう戦争は起きないからではなく
終戦から70年近く経った現代において、この遺構はどう活かされなければならないだろう
これらを見るだけでは、何の教訓も得られない
やはり、知っている人が語り継がなければ、ただのコンクリートの塊になってしまう
パトロールの方に会ったら聞いてみたかったな・・・

菊池方面に行った時、立ち寄った場所
泗水の花房台地に「菊池(花房)陸軍飛行場跡」があるんです
以前から戦争遺構があることを知ってはいたのですが、行く機会がなくて…
今回やっと行くことができました
戦争を知らない世代だからこそ見とかなきゃいけない
なんていう建前は置いといて・・・ただ見たいというのが本心です、ゴメンナアイ
うろ覚えでの寄り道だったので、大丈夫かな?と思ったけど
やっぱり迷い、とんでもないところに行ったので、Iphoneで検索してやっと着いた(-_-;)
後で見つけた説明板ですが、結構あるんですね~
これを手がかりにうろうろしてみました
「花房飛行場は、知覧飛行場と同様、福岡県にある大刀洗陸軍飛行場の分敞(ぶんしょ)
として計画され、昭和10年から6年かけて完成しました。
主たる施設は陸軍飛行学校(菊池教育隊)でしたが
通信学校や陸軍病院も併設されていました。
終戦も間近の昭和20年5月14日に米軍機の爆撃にあい
隣接する陸軍航空通信学校と合わせ36名の尊い命が失われました。
辛うじて戦禍を逃れた施設が住宅地内に現在でも数ヶ所残され
戦争の悲惨さを現代に伝承しています。」
部隊営門の跡と思われる先には、「慰霊碑」があります
靖国の事も考え合わせ参りながらも、つい見上げてしまいました
こちらは「格納庫跡」
う~ん、端から端まで30mくらいあったかな~
北端は土台が長めに残っています
ですが、南端は・・・
庭木と相まってある種、オブジェ的な要素を醸し出している
こちらは「部隊営門跡」と「哨所(しょうしょ)跡」
哨所とは軍隊で警戒・監視の任に当たる歩哨(見張り)の詰所ですね
六角形の狭~い場所、座ることってできたのかな?
片方だけ残っている門
なにか物語ってくれそうな・・・
その北側にあるのがこんな大きな楠のある小さな公園
こんな石碑が建っています「開隊記念碑」
残っていた記念碑が風化したので改修したとの旨と平成5年の文字が記してありました
そしてそのそばに歴史資料として
平成22年、菊池市の指定文化財になった「高架水槽」があります
高さ13.57m、思ってたよりもずっと大きかった(@_@;)
主に陸軍病院の給水施設として設置されたものだそうです
水位測定装置があるものは全国でも現存するものが2例しかないんだとか
それは素晴らしい!!
とても貴重なものなんですね、ほほう~~~♪
おっと、危ない危ない!
気をつけなくっちゃヽ(^o^)丿
見るからに落ちてきそうなコンクリート片(・o・;)
今時季だから見れるこんな光景♪
有刺鉄線は新しそう
そうそう、水槽上部には約30箇所の弾丸跡が残っているらしい
こんなのがそう?
それともこんなの?
まさかこれじゃないよね (;¬_¬)
ぐるぐるまわって見ていたら、どなたかのように撮ってみたくなっちゃった(笑)
ふっ、なかなか雰囲気でてるんじゃないの~(*^^)v
え、毎日?大変だろな
でもこの日はお会いしなかった・・・
終戦後は平成19年の使用停止までの長い期間、生活用水として工場用水として
地域の復興に大きく貢献したようですよ
梅の花もほころんでいました
後半につ・づ・く〜(^o^)/
泗水の花房台地に「菊池(花房)陸軍飛行場跡」があるんです
以前から戦争遺構があることを知ってはいたのですが、行く機会がなくて…
今回やっと行くことができました
戦争を知らない世代だからこそ見とかなきゃいけない
なんていう建前は置いといて・・・ただ見たいというのが本心です、ゴメンナアイ
うろ覚えでの寄り道だったので、大丈夫かな?と思ったけど
やっぱり迷い、とんでもないところに行ったので、Iphoneで検索してやっと着いた(-_-;)
後で見つけた説明板ですが、結構あるんですね~
これを手がかりにうろうろしてみました

「花房飛行場は、知覧飛行場と同様、福岡県にある大刀洗陸軍飛行場の分敞(ぶんしょ)
として計画され、昭和10年から6年かけて完成しました。
主たる施設は陸軍飛行学校(菊池教育隊)でしたが
通信学校や陸軍病院も併設されていました。
終戦も間近の昭和20年5月14日に米軍機の爆撃にあい
隣接する陸軍航空通信学校と合わせ36名の尊い命が失われました。
辛うじて戦禍を逃れた施設が住宅地内に現在でも数ヶ所残され
戦争の悲惨さを現代に伝承しています。」
部隊営門の跡と思われる先には、「慰霊碑」があります

靖国の事も考え合わせ参りながらも、つい見上げてしまいました

こちらは「格納庫跡」

う~ん、端から端まで30mくらいあったかな~
北端は土台が長めに残っています


ですが、南端は・・・

庭木と相まってある種、オブジェ的な要素を醸し出している

こちらは「部隊営門跡」と「哨所(しょうしょ)跡」

哨所とは軍隊で警戒・監視の任に当たる歩哨(見張り)の詰所ですね
六角形の狭~い場所、座ることってできたのかな?

片方だけ残っている門
なにか物語ってくれそうな・・・

その北側にあるのがこんな大きな楠のある小さな公園

こんな石碑が建っています「開隊記念碑」
残っていた記念碑が風化したので改修したとの旨と平成5年の文字が記してありました

そしてそのそばに歴史資料として
平成22年、菊池市の指定文化財になった「高架水槽」があります

高さ13.57m、思ってたよりもずっと大きかった(@_@;)

主に陸軍病院の給水施設として設置されたものだそうです
水位測定装置があるものは全国でも現存するものが2例しかないんだとか
それは素晴らしい!!
とても貴重なものなんですね、ほほう~~~♪




おっと、危ない危ない!
気をつけなくっちゃヽ(^o^)丿

見るからに落ちてきそうなコンクリート片(・o・;)

今時季だから見れるこんな光景♪

有刺鉄線は新しそう

そうそう、水槽上部には約30箇所の弾丸跡が残っているらしい
こんなのがそう?

それともこんなの?

まさかこれじゃないよね (;¬_¬)

ぐるぐるまわって見ていたら、どなたかのように撮ってみたくなっちゃった(笑)
ふっ、なかなか雰囲気でてるんじゃないの~(*^^)v

え、毎日?大変だろな
でもこの日はお会いしなかった・・・

終戦後は平成19年の使用停止までの長い期間、生活用水として工場用水として
地域の復興に大きく貢献したようですよ
梅の花もほころんでいました
後半につ・づ・く〜(^o^)/

<花房飛行場跡、高架水槽>
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ああ、ルーターが・・・
もう寿命なのか、調子が悪いどころではなく度々おネムになってしまうという状態
昨日はほとんど使い物にならず、とっちんも諦めてお寝んねしてしまいました(笑)
いや、笑いごとじゃないのよ
どうしたものか考え中です
お、今繋がった、いつ落ちるかちょっとビクビクですが
ご機嫌が良い時にちゃちゃっとアップしちゃいましょ(^_^;)
昨日ちょっと用事があって出かけた際、急に思い立って寄ってしまいました
泗水にあります「養生伝承館」です
竜門ダムに沈む集落から4軒の家を解体移築して再建されたものらしいですよ
国道387号沿いにあるのに、こんな素敵な建物に気づかなかったな~
昭和の時代にタイムスリップ~(*^^)v
入口は二つ、田舎美術館と養生伝承塾
いつか、熊日あれんじで昼食代の事がかいてあったのをなぜか覚えていたので
お昼時だったこともあり、飛び込んですぐにお昼ご飯のことを聞いてしまいました
なんと、あさましい(ーー;)
なんでも養生説法が開かれた時のみだそうです、残念!
でも、対応に出て下さったお姉さまが「よかったら一緒に奥で食べませんか?」
「ええ~?いえいえ、そんなとんでもありません」
とお断りしつつ「建物だけでも見せていただけますでしょうか?」とお願いすると
「はい、どうぞ、どうぞ」と2階の田舎美術館を開けてくださいました
天井を見ていると、ん~?文字が・・・
元の家の持ち主さんのお名前でしょうか
聞くのを忘れちゃった(^_^;)
この階段、おもしろい(#^.^#)
ここの入口にかかっていたのは、かの倉本聰さんじゃありませんか(@_@;)
昔の家の木材を使ってなかなかユニークな作りになっています
しっかり雰囲気も残しながら♪
おっと、これは?
これもダムに沈む運命だったの?
2階よりもここのほうが田舎美術館のような感じがする(笑)
昨日は「自分で作ろう新聞ドレス」のイベントがあるということで
新聞が所狭しと置いてありました
まもなくテレビ取材も入いるということを聞いて
お礼を言ってそそくさと退散することにしました
家の周りにも興味津々(*^_^*)
隣の国道横には売店の建物があります
そして売られてた有機栽培の野菜はすぐそばの畑から(^^)/
館長の竹熊宜孝さんは菊池養生園診療所名誉園長でいらっしゃいます
予約で「クマさんの養生説法」が開かれ、「医は農に、農は自然に学べ」が聞けるようです
お忙しい中、ふらっと立ち寄った人間にお心遣いいただき
本当にありがとうございましたm(_ _)m
もう寿命なのか、調子が悪いどころではなく度々おネムになってしまうという状態
昨日はほとんど使い物にならず、とっちんも諦めてお寝んねしてしまいました(笑)
いや、笑いごとじゃないのよ
どうしたものか考え中です
お、今繋がった、いつ落ちるかちょっとビクビクですが
ご機嫌が良い時にちゃちゃっとアップしちゃいましょ(^_^;)
昨日ちょっと用事があって出かけた際、急に思い立って寄ってしまいました
泗水にあります「養生伝承館」です

竜門ダムに沈む集落から4軒の家を解体移築して再建されたものらしいですよ
国道387号沿いにあるのに、こんな素敵な建物に気づかなかったな~

昭和の時代にタイムスリップ~(*^^)v


入口は二つ、田舎美術館と養生伝承塾


いつか、熊日あれんじで昼食代の事がかいてあったのをなぜか覚えていたので
お昼時だったこともあり、飛び込んですぐにお昼ご飯のことを聞いてしまいました
なんと、あさましい(ーー;)
なんでも養生説法が開かれた時のみだそうです、残念!
でも、対応に出て下さったお姉さまが「よかったら一緒に奥で食べませんか?」
「ええ~?いえいえ、そんなとんでもありません」
とお断りしつつ「建物だけでも見せていただけますでしょうか?」とお願いすると
「はい、どうぞ、どうぞ」と2階の田舎美術館を開けてくださいました


天井を見ていると、ん~?文字が・・・

元の家の持ち主さんのお名前でしょうか
聞くのを忘れちゃった(^_^;)


この階段、おもしろい(#^.^#)

ここの入口にかかっていたのは、かの倉本聰さんじゃありませんか(@_@;)

昔の家の木材を使ってなかなかユニークな作りになっています
しっかり雰囲気も残しながら♪





おっと、これは?
これもダムに沈む運命だったの?

2階よりもここのほうが田舎美術館のような感じがする(笑)





昨日は「自分で作ろう新聞ドレス」のイベントがあるということで
新聞が所狭しと置いてありました

まもなくテレビ取材も入いるということを聞いて
お礼を言ってそそくさと退散することにしました

家の周りにも興味津々(*^_^*)


隣の国道横には売店の建物があります







そして売られてた有機栽培の野菜はすぐそばの畑から(^^)/

館長の竹熊宜孝さんは菊池養生園診療所名誉園長でいらっしゃいます
予約で「クマさんの養生説法」が開かれ、「医は農に、農は自然に学べ」が聞けるようです
お忙しい中、ふらっと立ち寄った人間にお心遣いいただき
本当にありがとうございましたm(_ _)m
<養生伝承館>
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