ここんところ熟年夫婦の隣家は解体工事の真っ最中です
10mくらいしか離れていないところで重機が家をバリバリと壊していると
日中、地響きや轟音と共に下から突き上げるような振動を感じ、まるで地震のようです
地震といえば、ニュージーランドの地震は日本人留学生にも悲劇をもたらしてしまいました
日本と同じく地震大国のニュージーランド
日本からも国際緊急援助隊が現地入り、救助活動が始まっています
すでに救助の限界となる3日を過ぎようとしていますが
余震で新たな被害を出すことなく希望を捨てず一人でも多くの命が救われることを願うばかりです
さて、昨日の続きです
棚底の町で予想だにしなかったかくれんぼをしてしまい
まさしく般若とひょっとこになった熟年ふたりですが
お互いとんがった角を隠し、突き出た口を戻し、目指すは山!の方・・・^^;
案内板に従って行くとな?んにもなさそうに見えるところに
国指定の史跡ですよ、国指定の!
でもでも、前に行った「堅志田城跡」のようなこともあるしな?
『棚底城は16世紀に隆盛期を迎えたと思われる県内最大級の海城で
本丸にあたる主郭を中心に合計8つの郭(くるわ)から成っており
中世において地方に高い築城技術があった多くの証拠を残していることが分かりました』
ということを知り、来てみたというわけです
入口に近づいてみると
はあ?、ここって私有地なんですね
それにしてもマムシ??イノシシ??
この季節だからマムシはいないだろうけど
イノシシに出合ったらどうすんべ、らぼっちを盾にしてズラかろうかな^^
あ、また“般若”が甦った(笑)
上り口には新しい説明板があって地図が書いてありました
「結構な距離があるんじゃないの??」“ひょっとこ”らしく口をひん曲げて
最後まで登りたくないようなことをらぼっちが言いました
ここまで来たんなら全貌を見なきゃ意味ないでしょ、ねっ!
ささ、レッツゴー!
イメージ映像ではありません
でもちょっとヤラセっぽいですか?
はい、しっかりヤラセました(笑)
実際はロープを掴まなくても登れるのですが、かなりの勾配はあります
こりゃ帰りの方が滑りそうで怖いかも^^;
地図にあった端っこの『棚底集落の石垣風景がよく見れます』の場所に着きました
ほえ?これでも一番よく見える位置から写真を撮ったつもりです
霞んでいたこともありますが、木も邪魔でよく見えなーい^^;
先に行くとひと際大きなブルーシートが見えました
何なのでしょうか?
ちょっと失礼して
思ったとおり崩れかけた石垣が覆われていたんですよね?(じゃ、はぐるなよ!)
上まで行くのはやめようかと言ってたらぼっちがどんどん先に進んでいってる^^
やたらブルーシートが目立ちますな?
最初見たように城跡は調査はされましたが『未整備』なので、いたしかたありません
ここでやっと真ん中あたりです
らぼっちが真剣に見ていたのはこちら
あは?、素晴らしい説明が書いてあるのに写真が小さくてさっぱりわかりませんね?
じゃ大きくしろよって?
わっかりましたーー!
他にも説明板が何箇所か置いてありこんなことも書いてありました
城跡は東西に伸びる尾根線上に約340mにわたって築かれ
標高約90mの?郭から東へ?郭まで曲輪を連ねた構造で
随所に堀切や竪掘を施すなど天草地域の山城としては重厚な縄張りを有しています。
平成14年?15年度の発掘調査で
???郭までの全曲輪で岩盤を掘り込んだ柱穴が数多く発見され
豊かな城内生活を物語る大量の輸入陶磁器等の遺物が出土しました。
城主が暮らしたと想定される?郭では、300基を超えるおびただしい数の柱穴が集中しており
大規模な城主居館が幾度も建て替えられたと考えられます。
この?郭にを守るために周囲には三重にめぐる横堀を岩盤を削って設けてあり
多大な労力を費やして厳重な城づくりを行っています。
多重横堀は上津浦氏の領域と考えられる城郭に多く見られ
相良氏からの技術供与の産物である可能性も指摘されており、注目されています。
ふ?ん、そうなんだ
戦国時代の紆余曲折を経てこの山があるんですね?、この何でもないような山が
そして、なんと驚くことに
発掘調査では、約2000点の遺物が出土し
特に青磁や染付など中国産輸入陶磁器片がその半数以上の約1100点を数えます。
また15世紀前半頃のベトナム産染付片など希少な陶磁器も出土しています。
中国産天目茶碗片、茶入片、茶壷片や地元産の石材を使った石製風炉、茶臼など
茶の湯道具も出土しており、戦国城郭での豊かな生活を物語っています。
今では中国やベトナムからの輸入品は当たり前ですが
この時代はきっと豪華な贅沢品として使われていたんでしょうね、すごいわ?!
お、やっと「城主居館跡(?郭)」に着いたんでしょうか
ここには段差がかなりあるのでまわり込んで登らなくてはなりません
この辺でらぼっちは疲れがピークのようです^^;
ここに厳重な“要塞”に守られた贅沢極まりない城主がいたんですね?
あ?ん、ですがゴミだかビニールシートだかわからないくらい見栄えはよくない!
おまけに『眺望抜群!!!』と「!」が三つもくっ付いていたのに
竹がとてもすくすく伸びてて、まるで見えまっしぇ?ん T_T
ここにも説明がされていましたよ、なになに?
へえ?、ここは舞台だったんだ、南北5m、東西10.7mあったようですよ
と、ここでこれを読んで舞台だったであろうところに下りていったらぼっち
踊っていました(笑)
手や足をあげたりおろしたり、妙な踊り
カメラマンと気が合わず、シャッターを切ったのは手を下ろした時ばっかり
打ち合わせしないとヤラセも出来ないじゃん^^;
調査は完了したのか、今後はどうなるのか定かではありませんが
国指定の史跡はこれでいいのでしょうか
歴史的にも貴重な城跡であるはずですよね
こういうところって当然、建造物は残っていません
かといって新たに復元されたり、整備され過ぎることも好まれません
この場所に立って遥かいにしえの時代に思いを馳せてみるのが一番なのでしょうか
想像力の乏しい熟年ふたりは限界を感じ、早々に下山することになったのでした?
10mくらいしか離れていないところで重機が家をバリバリと壊していると
日中、地響きや轟音と共に下から突き上げるような振動を感じ、まるで地震のようです
地震といえば、ニュージーランドの地震は日本人留学生にも悲劇をもたらしてしまいました
日本と同じく地震大国のニュージーランド
日本からも国際緊急援助隊が現地入り、救助活動が始まっています
すでに救助の限界となる3日を過ぎようとしていますが
余震で新たな被害を出すことなく希望を捨てず一人でも多くの命が救われることを願うばかりです
さて、昨日の続きです
棚底の町で予想だにしなかったかくれんぼをしてしまい
まさしく般若とひょっとこになった熟年ふたりですが
お互いとんがった角を隠し、突き出た口を戻し、目指すは山!の方・・・^^;
案内板に従って行くとな?んにもなさそうに見えるところに
国指定の史跡ですよ、国指定の!
でもでも、前に行った「堅志田城跡」のようなこともあるしな?
『棚底城は16世紀に隆盛期を迎えたと思われる県内最大級の海城で
本丸にあたる主郭を中心に合計8つの郭(くるわ)から成っており
中世において地方に高い築城技術があった多くの証拠を残していることが分かりました』
ということを知り、来てみたというわけです
入口に近づいてみると
はあ?、ここって私有地なんですね
それにしてもマムシ??イノシシ??
この季節だからマムシはいないだろうけど
イノシシに出合ったらどうすんべ、らぼっちを盾にしてズラかろうかな^^
あ、また“般若”が甦った(笑)
上り口には新しい説明板があって地図が書いてありました
「結構な距離があるんじゃないの??」“ひょっとこ”らしく口をひん曲げて
最後まで登りたくないようなことをらぼっちが言いました
ここまで来たんなら全貌を見なきゃ意味ないでしょ、ねっ!
ささ、レッツゴー!
イメージ映像ではありません
でもちょっとヤラセっぽいですか?
はい、しっかりヤラセました(笑)
実際はロープを掴まなくても登れるのですが、かなりの勾配はあります
こりゃ帰りの方が滑りそうで怖いかも^^;
地図にあった端っこの『棚底集落の石垣風景がよく見れます』の場所に着きました
ほえ?これでも一番よく見える位置から写真を撮ったつもりです
霞んでいたこともありますが、木も邪魔でよく見えなーい^^;
先に行くとひと際大きなブルーシートが見えました
何なのでしょうか?
ちょっと失礼して
思ったとおり崩れかけた石垣が覆われていたんですよね?(じゃ、はぐるなよ!)
上まで行くのはやめようかと言ってたらぼっちがどんどん先に進んでいってる^^
やたらブルーシートが目立ちますな?
最初見たように城跡は調査はされましたが『未整備』なので、いたしかたありません
ここでやっと真ん中あたりです
らぼっちが真剣に見ていたのはこちら
あは?、素晴らしい説明が書いてあるのに写真が小さくてさっぱりわかりませんね?
じゃ大きくしろよって?
わっかりましたーー!
他にも説明板が何箇所か置いてありこんなことも書いてありました
城跡は東西に伸びる尾根線上に約340mにわたって築かれ
標高約90mの?郭から東へ?郭まで曲輪を連ねた構造で
随所に堀切や竪掘を施すなど天草地域の山城としては重厚な縄張りを有しています。
平成14年?15年度の発掘調査で
???郭までの全曲輪で岩盤を掘り込んだ柱穴が数多く発見され
豊かな城内生活を物語る大量の輸入陶磁器等の遺物が出土しました。
城主が暮らしたと想定される?郭では、300基を超えるおびただしい数の柱穴が集中しており
大規模な城主居館が幾度も建て替えられたと考えられます。
この?郭にを守るために周囲には三重にめぐる横堀を岩盤を削って設けてあり
多大な労力を費やして厳重な城づくりを行っています。
多重横堀は上津浦氏の領域と考えられる城郭に多く見られ
相良氏からの技術供与の産物である可能性も指摘されており、注目されています。
ふ?ん、そうなんだ
戦国時代の紆余曲折を経てこの山があるんですね?、この何でもないような山が
そして、なんと驚くことに
発掘調査では、約2000点の遺物が出土し
特に青磁や染付など中国産輸入陶磁器片がその半数以上の約1100点を数えます。
また15世紀前半頃のベトナム産染付片など希少な陶磁器も出土しています。
中国産天目茶碗片、茶入片、茶壷片や地元産の石材を使った石製風炉、茶臼など
茶の湯道具も出土しており、戦国城郭での豊かな生活を物語っています。
今では中国やベトナムからの輸入品は当たり前ですが
この時代はきっと豪華な贅沢品として使われていたんでしょうね、すごいわ?!
お、やっと「城主居館跡(?郭)」に着いたんでしょうか
ここには段差がかなりあるのでまわり込んで登らなくてはなりません
この辺でらぼっちは疲れがピークのようです^^;
ここに厳重な“要塞”に守られた贅沢極まりない城主がいたんですね?
あ?ん、ですがゴミだかビニールシートだかわからないくらい見栄えはよくない!
おまけに『眺望抜群!!!』と「!」が三つもくっ付いていたのに
竹がとてもすくすく伸びてて、まるで見えまっしぇ?ん T_T
ここにも説明がされていましたよ、なになに?
へえ?、ここは舞台だったんだ、南北5m、東西10.7mあったようですよ
と、ここでこれを読んで舞台だったであろうところに下りていったらぼっち
踊っていました(笑)
手や足をあげたりおろしたり、妙な踊り
カメラマンと気が合わず、シャッターを切ったのは手を下ろした時ばっかり
打ち合わせしないとヤラセも出来ないじゃん^^;
調査は完了したのか、今後はどうなるのか定かではありませんが
国指定の史跡はこれでいいのでしょうか
歴史的にも貴重な城跡であるはずですよね
こういうところって当然、建造物は残っていません
かといって新たに復元されたり、整備され過ぎることも好まれません
この場所に立って遥かいにしえの時代に思いを馳せてみるのが一番なのでしょうか
想像力の乏しい熟年ふたりは限界を感じ、早々に下山することになったのでした?
<棚底城跡>
[所在地]熊本県天草市倉岳町棚底
[アクセス]地図はコチラ
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ん~・・・当たりのような、ハズレのような場所ですね(^^;
国指定はいいものの、これからこの場所をどうして行くのかが大事ですよね。
私有地って言う所がイロイロと難しいのかもしれませんね。
地主さんにご理解いただき、きちんと整備して残して行って欲しいものだわ。
国指定はいいものの、これからこの場所をどうして行くのかが大事ですよね。
私有地って言う所がイロイロと難しいのかもしれませんね。
地主さんにご理解いただき、きちんと整備して残して行って欲しいものだわ。
習うような有名な史実じゃなくて
その地方地方にお城があって
戦いがあって 暮らしがあって。。。
そんな郷土の歴史がわかるようにしてもらえると
いいですよね
二人で楽しそうですよん♪
その地方地方にお城があって
戦いがあって 暮らしがあって。。。
そんな郷土の歴史がわかるようにしてもらえると
いいですよね
二人で楽しそうですよん♪
こんばんは。
これだけの歴史文化の資料の積み重ね。
これは是非、熊本のために人肌脱いでいただきたいですね。観光に使えます。
これだけの歴史文化の資料の積み重ね。
これは是非、熊本のために人肌脱いでいただきたいですね。観光に使えます。
海が見え、民を見下ろし、後ろからは攻められない
そんな場所がよかったのですかね
どんな城だったのか想像もつきません
県でも市でも私有地の所有者さんでも
山城を復活してくれないかな
せめてジオラマで^^
そんな場所がよかったのですかね
どんな城だったのか想像もつきません
県でも市でも私有地の所有者さんでも
山城を復活してくれないかな
せめてジオラマで^^
最近の社会科ってそのような郷土の勉強の時間があったのではないですかね^^
だから親よりも子供達の方が地の歴史なんか知っているかも♪
こちらは案内看板も整備されていたので
がんばっているほうですね♪
だから親よりも子供達の方が地の歴史なんか知っているかも♪
こちらは案内看板も整備されていたので
がんばっているほうですね♪
往時の山城を見てみたいですよね
誰か十肌脱いで、ポーンと1億円くらい寄付してくれませんかね^^
絶景だけなら、倉岳などの観海アルプスがありますしね
肌を見せる人は難しいかもです^^
誰か十肌脱いで、ポーンと1億円くらい寄付してくれませんかね^^
絶景だけなら、倉岳などの観海アルプスがありますしね
肌を見せる人は難しいかもです^^
遺跡遺構の散策って
イマジネーションが大事ですよね(^o^)
お疲れ様でした!
イマジネーションが大事ですよね(^o^)
お疲れ様でした!
いちおう、イマジネーションを持って
舞を踊ってみたんですが
とっちんには、伝わらなかったようです^^
舞を踊ってみたんですが
とっちんには、伝わらなかったようです^^